2006年04月25日

06.4.16 朴さん 神奈川県民集会(7)横浜市開港記念会館にて

『朴さん(韓国人拉致被害者家族)の訴え 通訳:金基柱氏(守る会)』

※朴さんのお話中、固有名詞がはっきり聞き取れず、人名・地名などやむを得ず空白にしているところがあります。
また朴さんのお話は通訳の音声その物が全体的に聞き取り難く、途中意訳を加えて文章の意味が通じるようにしてある所もありますことを予めご了承くださいませ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日本語で)こんにちは。

(以下韓国語で)
皆様こんにちは。
私は1971年1月6日、韓国の西の方の海の○○道○○島という島の近海で、北に拉致された朴○○の娘で朴○○と申します。
まずこのような貴重な席で話をする機会を与えてくださった関係者の皆さんに深く感謝申し上げます。

当時、お父さんが乗っていた船の名前は「ヒヨン(?)37号」と言う船で、インチョンに籍を置いた漁船でありました。
その当時非常に視界が悪く、また船の機械の故障によってですね。
船の流れ着いた所、北朝鮮の警備船から攻撃をされ、そして拉致をされました。
その後36年が過ぎた未だに生きているか死んでいるか、まだ分からない状態が今も続いています。
平和だった田舎村にある日突然訪れたこのような苦難はですね。
私たち家族にとって想像が出来ない事だったと思っております。
平和だったのはもちろんその行為によって、お母さんは未だにうつ病にかかっております。

その当時、私は15歳でした。
・・・(聞き取れず)を感じるくらいその当時はですね、今は白髪の混じっているお婆さんになってしまいました。
また私のお父さんは・・・(聞き取れず)を連れて戻ってくる事ができない場所に連れて行かれ、未だに涙の季節は流れております。
今日か明日か、いつか息子が帰ってくると思って海だけを臨んで息子を待っていたお爺さん・お婆さんは、夢にも望んでいた息子を待ちながら、結局は目を開いたまま亡くなりました。
この世を去りました。
旦那をなくし、その悲しみから去る暇もなく、お母さんは私たち幼い子供たちを抱え生活を心配しなければなりません。

しかし、それよりももっと辛かったのは、韓国公安関係の刑事の監視だったんです。
私が結婚する当時も私の主人の・・・・(聞き取れず)まで行うくらいの監視の対象になっていました。
お祝い・・・(聞き取れず)盆と正月が来れば、お父さんの思い出が涙の内になってしまいましたが、しかしその悲しむ間にも刑事たちの監視の目は光っていました。
分断国家で生まれた事が罪といえば罪だと思います。
36年間の・・・(聞き取れず)この出来事を一言では表現出来ないと思います。
すでに涙も枯れてしまった私のお母さんの恨みを子供として少しも楽にしてあげる事が出来ず、隣の国である日本でお父さんの消息を何とか訴えている私のこの姿が余りにも力なく情けなく、本当に惨めな思いで一杯です。

今韓国では黄色いリボン運動によって、韓国の国民たちも少しづつ拉致被害者の事を分かるようになりました。
マスコミの報道によって、日本の拉致被害者であるめぐみさんと韓国の拉致被害者の金英男氏が、北朝鮮で夫婦の縁を結んだと言う事を、関心高く見守っております。
私たち韓国人は韓国に税金を納め、国民の権利を行使できる権利のある、韓国の国民であります。
しかし、どうして私のお父さんは・・・(聞き取れず)仕事をする最中に拉致をされ、それにも拘らずこのような状況を分かってくれる政治家が一人もいない。
韓国の実態を本当に情けなく思っています。

しかしそういう韓国もだいぶ事情が変わってきました。
韓国の政治家にも拉致被害者の為の特別な法律を制定する動きが見えています。
しかし旦那を拉致された私のお母さんは、もう残りわずかな人生なのでこれ以上待っている時間はありません。
一日も早くお母さんが生きている間にお父さんの顔だけでも見る事が出来るように、しかしそれが無理であるならば北朝鮮の中に生きているのか死んでいるのかだけでも教えて貰えるように、集団解決のために日本と韓国が連帯し私たちの家族を一日も早く救出できるように欲しております。
分断の悲劇と言うには余りにも過酷なこの現実が一日も早く解決され、お父さんを連れ戻せるように劇的なヒューマンドラマのような幕を閉じるような場面を一日も早く実現するように待っております。

この場にいらっしゃっている尊敬する皆さん。
また先生方の皆さんに、私のこのような出来事をどうか覚えてください。
また、力を貸してください。
全世界が一つになり、拉致と言う言葉がこの世から無くなる日まで、そして北朝鮮がその過ちを認め、また北朝鮮の同胞たち・住民たちが自由を行使できるようなその日が来るまで、一日も早くその現実が現れる事を望みながら、最後に私の涙声の訴えを聞いてくださって非常に感謝しております。

皆様ともう一度会うときは、「私のお父さんが元気で帰って来ましたよ」と言う知らせを皆様に報告できるような言葉を持って、皆様と再会できる事を望んでおります。
どうもありがとうございました。(拍手)


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