2006年04月25日

06.4.16 崔祐英さん 神奈川県民集会(8)横浜市開港記念会館にて

『崔祐英 韓国拉致被害者家族協議会会長の訴え 通訳:金基柱(守る会)』



みなさまこんにちは。(会場からこんにちはの声)
尊敬する川添会長、それにみなさま、日本拉致被害者問題に限らず、韓国拉致被害者問題に関心を持って私達を招待していただいて、感謝申し上げます。

また今日は日本政府が認定している拉致被害者の他に、特定失踪者の(ご家族の)訴えを聞いて、非常に感銘を受けました。

私は高校一年の時に、この世で最も愛する父親(東進号の漁労長、崔宗錫さん)を拉致されました。

東進号という漁船に乗って、先ほどの朴さんと同じように、そのお父さんと同じように、韓国の西の海(=黄海の事)のペニョン(白○、○=令+羽)島と言う島の近くで、北朝鮮に拉致されましたがその当時は、家族は、お父さんがすぐ帰ってくると言う話しを聞いて安心していました。

しかし、ある日突如として、政府から南北会談が微妙になったので、すぐには帰ってこれないという連絡を受けた後、20年間、音信とれなくなっています。

その後、偶然に新聞報道によって、お父さんが、北朝鮮の中の政治犯収容所に入れられていると言う知らせを受けました。
しかし、その時私はまだ幼い年齢であったので、北朝鮮という国が、どういう国か、その中での収容所と言うところが、どういうところなのかを知りませんでした。

韓国では、私の前にお話しした朴さんのお話でもありましたが、公安関係の監視、あるいはひどい場合は拷問を受けることもあるので、どこにも自分たちの現実を、自分たちの実情を訴える場所がありませんでした。

そう言う背景の中で、韓国には485人、拉致被害者がいるんですが、その家族達は、一緒にあうことができません。そう言う環境の中で、私は、横田めぐみさんのお父さん、横田滋さん、増元照明さんたち日本の拉致被害者のご家族のみなさんと韓国の拉致被害者家族よりも早く合う事ができました。

・・・この問題は単なる韓国と日本の問題ではなく、家族を失った、同じような痛みを持っている家族同士の出会いだったと気付きました。

昨日私は、横浜にきたのですが、偶然ホテルのテレビで、横田めぐみ姉さん(横田めぐみさんを<横田めぐみ姉さん。とよんでいますが)の写真展をやっているニュースを見ました。そのニュースを消して私自身、愛するお父さんの思い出が沸々とわき、お父さんのことを考えて眠れませんでした。

お父さんはいつも船に乗っていましたので、身近に愛を分けてくれることはできませんでしたが、船に乗る前に手紙を書いて、妹、私、お母さんに手紙を書いてくれました。

横田滋さんもめぐみさんの写真を撮ることをすごく喜んでいたという話を聞きましたが、私の父親も、拉致される前は、・・・に連れて行ってくれては、写真を撮ってくれました。

私の父親は、「いつも、人間は、誠実に、真実に、まじめに、生きれば、必ず幸せになり、その努力が報われる」と言う話をいつもしていたのをいまだに覚えています。

おとうさんが拉致される以前に、うちの家の近くには、小さな池がありました。その池を掃除しながら、今度くるときはこの池に鯉を放して育てようと約束しました。

私のお父さんは、とても刺身がすきで、その刺身のあらで・・・を食べるのを喜び、そして、いろんな話を私達子供にするのを楽しみにしている非常に優しい父親でした。

「お父さん、お父さん」いつもと呼んでみますけれど、お父さんはあたしの呼びかけに対して、答えてくれることはありませんでした。

生きているのか、死んでいるのか、心の中でいつもお父さんに呼びかけております。いまだに何も返事をしてくれないお父さんを、今、私は待っています。

この場にいらっしゃるみなさんに訴えたいと思っております。私達拉致被害者の家族は、お父さんの情、そして娘の情を奪われたまま、20年、30年間、時間が止まったままの生活になっております。

幸にも、長くて寒い冬が終わり暖かい春になりました。
一日も早く拉致被害者がたちが戻ってきて、家族と共においしいものを食べて、いっぱい話ができるような時間が来てほしいと思っております。



去年の10月、お父さんの還暦がありました。韓国及び朝鮮半島では、こうした還暦の祝いは子供達が、立派な食事を作ってもてなす、そういう風習があります。

お父さんは、北にいるので、そう言う食事を作ってあげることができなかったので、せめてもの救いで、金正日国防委員長に「どうか北朝鮮にいる私のお父さんに、還暦の祝いをしてほしい」というメッセージを込めて、韓国の新聞紙上に広告を載せました。

いろんな出来事が各マスコミに報道され、その報道結果を見て私は今(すぐ)にでも、お父さんが韓国に帰ってくるのではないかという期待を持っていました。

そして、お父さんの誕生日であります10月23日、韓国の・・・・黄色いリボンをかけました。

もしお父さんが近々帰ってくるならば、韓国に残っていた私達家族は「貴方のことを決して一日たりとも忘れずに、貴方を待っていたんですよ」という意思表示のために、この黄色いハンカチの運動を始めました。

この黄色いハンカチの由来は、日本でも知られていると思うんですが、戦争に行っている夫の無事帰還を、無事の帰国を祈った家族の話、そして戦争に行った旦那さん思った奥さんが胸にかけた黄色いハンカチに由来する話しです。

この黄色いハンカチの運動は、私が採り入れたんですが、・・・のみなさん、韓国国内の食堂を経営しているみなさん、そして拉致被害者のみなさんが、みなさんがこのような黄色いハンカチをかけてくれるようになりました。

これは黄色いリボンなんですが、私がここに来たときに日本のある女性からプレゼントされたものです。
その人は、去年の10月の出来事をニュースで知り、そして私と会うまでに作って・・くれたものだそうです。

その黄色いリボンを横田めぐみさんの旦那さんである金英男さんの家族にもあげたら、今度北朝鮮のほうでも、
・・・・・・(不明)

この黄色いリボンを作ってくれたボランティアの女性が私に言ってくれたことがあります。
「拉致問題に関しては、日本と韓国が一緒に、共に連帯して解決していかなければなりません。」と言っていました。

日本と韓国の関係は非常に複雑で、いろんな問題を抱えているのが実情です。

いろんな問題はありますが、この拉致問題に対しては、被害者のみなさんが、手を組んで、また力を合わせ、団結して、そして解決していくまで、努力していかなければならないと思っています。

韓国も拉致問題に対して、だいぶ流れが変わってきました。その一例がですね、イ・ジョンボク統一省長官は、ついこの間、北朝鮮に対して、拉致被害者問題について訴えることを明らかにし、また韓国の国会でも、拉致被害者法法律制定のために動くことを、・・しました。

ここまでくるのに、非常に険しい道でありました。しかし私達韓国の拉致被害者家族達は、日本の拉致被害者を支援しているボランティア団体、NG0団体の日本の国民大集会に参加して力をもらい、韓国に戻って、韓国の拉致被害者達と、力を合わせて頑張ってきました。

日本に拉致被害者がいるのと同時に、韓国にもこのような悲惨な拉致被害者家族及び拉致被害者がいることを、みなさま覚えてください。そして私達(韓国の)拉致被害者の家族は、日本の拉致被害者家族と共に、力を合わせて、頑張っていきたいと思っております。

日本のみなさんも、まだ解決されていない日本の拉致被害者の問題を抱えていながら、韓国の拉致被害者問題に関心を持っていただいたことに対して、非常に感謝の気持ちを申し上げたいと思っております。

また、この場にいらっしゃる拉致被害者(特定失踪者家族)、山本美保さん家族、高野清文さん家族(他)のみなさまも頑張っていただきたいと思います。

私は明日、この横浜を離れますが、韓国に戻ったら、より日韓拉致被害者家族会の連帯及び、私のお父さんの送還、そして韓国の拉致被害者が無事帰ってくるまで頑張りたいと思います。
みなさま、私の話を最後まで聴いていただきましてありがとうございました。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。


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