2006年05月08日

06.4.16 特定失踪者・生島孝子さんの姉 日本再生フォーラム(12)JACK大宮ビル5階にて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え』

Img_2664.jpg



こんにちは。
特定失踪者・生島孝子の姉、馨子(けいこ)でございます。
どうぞよろしくお願いします。

妹は1972年渋谷区笹塚、新宿の駅から3つ目ですね。
のところで、日中にいなくなりました。
それから33年経って北朝鮮での目撃証言を得ました。
妹が失踪した当時母は入院しておりましたが、33年後に(孝子さんが)北朝鮮で目撃されたと言う証言を得て、母はとても喜びまして、自分が33年間生きていると信じて生き延びてきた事を、自分自身をとても褒めて喜んでいました。
33年生きていて良かった、会えるんじゃないか?
会いたい会いたいと言いながら、でもその目撃証言を得て3ヵ月後に、会いたい会いたいと言って力尽きて亡くなってしまいました。

その母の無念さを皆様に知って頂く事で、孝子を取り返す運動につなげていきたいと思って、自費出版をする事を決意したんですが、母の無くなった当時、特定失踪者と言うことがまだ世の中に余り知られていない為に、言って良いのかどうか?と言う疑問がありました。
不安がありました。
それと、家族会になんで入らないの?と言われた事もありまして、当時の状況から特定失踪者の母がこのように残念な思いをして死んでいきましたと言うふうに言う事が憚られたんですね。

それでも何か家族としては、残された私としては何か母のためにしてあげたいと思って、このような本を出版いたしましたが、1年経って見るともうちょっと『特定失踪者である妹の孝子という者の母親であった』と言う事を、ハッキリ書けばよかったかな、と思ってます。
ですからこれの中にはその事は殆ど触れてなくて、『母親がこういうふうに我慢して33年間生きてきた』と言う事だけを中心にして書きました。

今日この場に主催者の方、またご出席の皆様のご好意に甘えまして、このつまらない本をちょっとご紹介させていただきます。
こんな中身の薄い物を1400円も出すのはちょっと憚られると思われる方は、ネット本に入れましたので、ネットで500円で見て頂きたい。
それもちょっとねと言う方は、そういう思いで私が、母の思いを世の中に知って頂きたいと言う事だけで、こんな本を出したという事をチラッと思っていただけると、ありがたいと思います。
どうもいろいろありがとうございます。
よろしくお願いします。(拍手)

氏名 生島 孝子
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
性別 女 当時年齢 31
身長 体重
公開 第1次公開
当時身分 港区役所麻布支所交換手
特徴
失踪現場 東京都渋谷区
失踪状況 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

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参考過去エントリー

★「うらさんの願いはダイヤモンドになって」特定失踪者・生島孝子さんの姉、生島馨子さんの著書紹介
http://piron326.seesaa.net/article/13463564.html
★「うらさんの祈りはダイヤモンドになって」電子版出版のご案内
http://piron326.seesaa.net/article/15574603.html


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