2006年05月09日

06.4.16 野口孝行氏 日本再生フォーラム(14)JACK大宮ビル5階にて

『野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金・国際担当)の講演』

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皆さん、こんにちは。
指名手配中の野口孝行と申します。(笑い声)
今日はこういった貴重な機会にですね。
時間を与えて頂きまして、誠にありがとうございます。
今日私、初めて埼玉で話す機会を頂いたんですが、実は私埼玉の出身で蓮田市と言う所で育ちました。
そして現在はさいたま市、ここからも自転車ですぐの所に住んでまして、とてもここの場所は良く知っている所なので、今日は本当にこの場所でお話しする事が出来て大変光栄に思っております。

更にそれだけでなく、先ほどですね。
鈴木(賢)さんのお兄さんだったかと思いますが、実はですね。
私、鈴木さんの高校の後輩に当たる関係でありまして、実は高校は浦和西高校と言うところに行ってまして、その関係でですね。
なにか経歴を見たら、浦和西・明治大学と書いてあって、これは他人事では無いなと思って本当にこの問題にはですね。
これからも埼玉県民の一人としてですね。
一緒に協力して立ち向かって行きたいなと思っている次第です。

次なんですが、実際に私が(中国で)捕まったんですが、これはですね。
2003年の12月ですね。
私と元在日朝鮮人の人で北朝鮮に渡っていた人が二人いたんですが、彼らと中国の遼寧省の大連と言うところで合流しまして、彼らが「どうしても日本に帰りたい」と、「どうしても助けて欲しい」と言う要請を受けまして3人で、4人ですね。
4人でバスと列車を使ってベトナムの方に、ずっと何百キロ何千キロを走って逃げていく途中、最後の広西壮族(チワン)族自治区と言うところでですね。
区都の南寧(ナンネイ)と言うところでですね。
ホテルで休んでいる時に中国の公安に踏み込まれまして、そこで逮捕されるという事になりました。

その前にもですね。
私は脱北者といわれている人に会って来ていまして、どういう状況かと言いますと、だいたいその黒龍江省とかですね。
遼寧省、吉林省と言われる、東北三省と言われるところにたくさん脱北者の方たちがいるんですが。
ご年配の方々には凄く馴染みのある都市の名前だと思いますが、ハルピンとかですね。
牡丹江とかそういったところからバスなんかで何時間も走っていく。

「昔はここに開拓団の人たちが居たんだよ」と言うそういう話をですね。
聞かされるようなちっちゃな村に隠れている脱北者の人たちと会ってですね。
お話をするわけですが、そういった中で私は日本人としてそういったところに行きまして。
年配の方、60過ぎた方がですね。
生まれ故郷である日本に対してですね。
「どうしても帰りたいんだ、助けてください」と、そういったちっちゃな寒村で話をされるわけですね。
そうしますと私も日本人として、こんなに日本を恋焦がれているなら助けてあげたいなと言う思いが強くなりまして、こうした活動を続けてきたわけです。

ハルピンで会ったとき、何人かの脱北者がいたんですが、とても不思議な思いと言うかですね。
彼らは私の生まれる前の日本を知っていて1960年代に北に渡って行った訳ですね。
私は1971年生まれですから、彼女たち・彼たちが知ってる日本を知らないわけです。
で、逆に彼らはですね。
要するに彼らの知らない日本を私は知っている。
そういった存在をお互い東北三省という土地で会って、お互い日本の事を話をして、「今日本はどうなっているんですか?」と話をしながらですね。
「じゃあ、一緒に日本に帰りましょう」と言う思いでこれまでいろんな思いで、脱北支援を運動をして来ました。

そういうわけで私は捕まりまして8ヶ月という実刑判決を受けたんですが、作戦の中でですね。
いろいろな予期せぬ事が起こりまして、その南寧(ナンネイ)と言う町はベトナムの国境から列車で3時間の所なんですが、そこに到着する列車のですね。
私は夜到着する列車を予約して乗ったんですが、それは以前にも乗った事がありまして、夜着けば後は中国の町の闇に紛れてしまえばですね。
人の目にもつかないし、どうにかなるだろうというような計画で以前も行っていたんですが、皆さんご存知のように中国の経済発展と言うのはですね。
本当に日進月歩と言うか凄まじい物がありまして、数ヵ月後に同じ時間北京の駅を発車する列車に乗ったらですね。
その間に電車の性能と保線の性能と言うか品質が良くなったせいだと思うんですけど、私たちが目的地に着いたときは真っ昼間だったんですね。

というのは数時間単位で電車が速くなっている。
そこに着いたらあれ夜のはずなのになんでこんな昼間についているんだろう?(笑い声)そういう状況でして。
後々話を聞くとどうやら北京の前で張っていた公安の連中がいまして、僕らを見てこいつら怪しいぞと。
と言う事で私たちを尾行したと言う話がありますので、今思いますと、あれが夜だったらもしかしたら助かったのかな?と言う思いもあります。

先ほど荒木先生からちょっとお話がありましたが、私が今年の2月ですね。
日朝交渉の時に、私が日本に帰ってもう2年くらい経ちますから、あまりマスコミなんかで名前が上がらなくなって来てちょっとホッとしていたと言う所なんですが、7人の引き渡し要求が出たと。
言う話が突如出て来まして、正直、もう本当に北朝鮮を、実際笑ってしまったと言う感じなんですね。
よくもまぁこんなにとんでもないコジツケをですね、言えたものだと。
恥も外聞も無い状況だなというように思いました。

それでまぁ3月ですか。
次は逮捕状が出されると言う状況なんですが、本当にここで真面目にどうこう話をするのも馬鹿らしいくらいなんです。
実際向こうは北朝鮮の公民を拉致誘拐した極悪犯と言う事を言ってるんですが、だったら私と一緒に拘束されて北朝鮮に送還された二人は被害者なわけですね、私に誘拐された。
であれば、その二人を表に出しなさいと、言いたい所なんですが、結局ですね。
私が連れていた一人は結局収容所みたいなところに入れられて、もう命が無いんじゃないか?と言う話も有りますし。

また、もう一人の人はですね。
6ヶ月間、強化所と言われているところに入れられまして、酷い罰を受けてどうにか生きて出てくる事は出来たんですが、罰せられたわけであります。
もしくは私に誘拐拉致された被害者であれば、彼らは保護されるべき位置にいる人間であって、決して罰せられる対象では無いと言う事をですね。
いうまでもなく、北朝鮮の言ってる事はデタラメであると言うことを言っておきたいと思います。

今回ですね、この件があったときに出て来たときに、たまたま実際に現地で一緒に活動してきた韓国の60歳を過ぎている活動家の人がいるんですが、東京で食事をする機会がありました。
その時に私と、私の団体の事務局長の加藤(博)もまた逮捕状を出されているんですが、二人で食事をして、その韓国人の男性が上手な日本語で「加藤さん、野口さん、これは良い機会じゃないですか?」と。
「あなたたち北朝鮮に行きなさいよ」と。
そして引渡しを受けて「辛光洙で何でも引き渡せ」と、「やりなさい」と。
「そうする事によって日本人の勇ましさを世界中にアピールする事が出来るんですよ」ととても強く叩られたんですが。
 
「うん、そうですね」と言いながらですね。
「そんな馬鹿な話に乗ってもしょうがない」という事で、今お手元にある私たちの資料にですね。
共同声明を出すと言う所で一応納まってるんですが、これ以上いい加減な事を言ったらですね。
私たちも更にレベルをアップしてですね。
何か対抗処置を取らなければいけないというふうに思うところもあります。

最後にですね。
そこの資料にもあるんですが、自民党と民主党が先々月同時に順番にですね。
北朝鮮の人権法案と言う物を出しました。
これですね、内容を見ると自民党案と言うのは基本的にもちろん拉致問題を解決しましょうと言う内容で、経済制裁も使いながら解決していきましょう、という内容です。
これは私はそれはそれで意義のある事だと思います。

また民主党案はですね。
経済制裁と言うよりも脱北者の問題を難民として取り上げて、国連の難民条約に準じた形で条約難民として、北朝鮮の難民の人たちを助けて、日本に保護を求める人はこちらに保護を許すと。
こちらで在留する事を許しましょうという法案ですね。

それで私ここでひとつ申し上げたい事なんですが、もちろん拉致の問題も解決しなくてはいけません。
もう一つなんですが、ここで日本としてですね。
脱北者を助けると言う法律・法案で・・・(聞き取れず)をつけて、それに対して動くと言う事はとても大切な事だと思うんですね。
なぜかと申しますと、これまで私も韓国の人たちにたくさん会って来ました。
それはこの問題に関る前からもいろんな所で韓国の人たちに会って来ました。

で、大体ですね。
皆さんもご経験ある方もおられるかもしれませんが、やはり豊臣秀吉の話から始まるわけですよ。
日本人は悪い人ですね、と言う話から始まってとくとくと歴史の話をされるんですね。
で私が「お前500年前生きてたのか?」と、「俺は生きてないよ」と。
「過去の事を言われても私は責任取れません、ただこれからの未来に向けては責任を取ることは出来ます」ということで、いつも韓国人とはだいたい朝までかかる口論になってしまうんですが、そういう状況の中でですね。
今回、その日本と言う国が朝鮮半島の人たちを保護する為に、法律を作ると言うのはですね。
大変意義のある事だと思うんですね。

歴史問題、認識をですね。
に対して、あの国の、韓国も含めて朝鮮半島の認識を変えると言う事は本当に難しい事だと思うんですね。
ただ、これからの将来とか未来を作っていくと言う事は、若い世代を始めとして出来る事だと思うんですね。
ここでそういった朝鮮の人たちを助けると言う法律を日本が作る事によって、本当にですね。
拉致の問題だけじゃなくて、更に大きな大局的な立場に立った場合、100年後200年後にですね。
相手は500年前の話を言ってるわけですから、100年後200年後にですね。
いや、ちょっと待てよと。
俺たちはあの時にこういう法律を作って、北朝鮮の人たちを救ったじゃないかと。
そういう事をですね、言える法律だと思うので、是非皆さんも、もちろん拉致の解決は当然の事です。
ですが、もう少し大局的な観点からですね。
こういった難民の問題と言うことにも目を配って頂いて、ご理解を頂けたら大変私は感謝いたします。

時間ももう無いようですが、最後にですね。
この脱北者の取り組み、国際的な取り組みなんですが、3月にベルギーで国際会議が開かれました。
これは今までの会議と違って、今まではこんな酷い状況がありますよと言うような、状況を説明するばかりだったんですが、今回はちょっと一歩踏み出しまして、金正日を国際法廷で裁こうじゃないかと決議案が出まして、国際法の専門家の弁護士さんたちが集まって今後ですね。
金正日を国際法廷に引きずり出そうと言う枠組みが出来ました。

更にその後には国連、今民間レベルですから、その後は国連のですね。
オランダのハーグにある国際犯罪法廷に持って行こうと言うような枠組みも出来ています。
先月ですか、ユーゴスラビアのミロシェビッチがですね。
あの中で亡くなりましてね。
と言う事は、国家元首級の人をですね。
迎え入れる施設があそこに空いている筈なんですね。(笑い声)
ということは、そういう事でですね。
是非あそこに金正日をぶち込もうと(拍手)、いうように私は思っております。

どうも今日はありがとうございました。(拍手)

・・・この後主催者の挨拶などがあって、講演会は終了・・・


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