2006年06月18日

06.6.3 川添友幸神奈川救う会会長 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(1)藤沢産業センターにて

「福留貴美子さん拉致事件を考える集い」 06.6.3 藤沢産業センターにて

『川添友幸 神奈川救う会会長 講演』

〜〜福留貴美子さん拉致事件とは?〜〜

Img_1626.jpg

本日はご参加頂きありがとうございました。
最初ですね。
この会は学習会みたいなのを考えていたんですが、こんなに人が集まって頂いてですね。
非常に私も嬉しい限りです。
今日は福留問題といって、まだ殆ど皆さんご存じない拉致問題・拉致事件だと思いますので、ご理解頂ければ良いと思いますし、更にこれがかなり福留問題と言うのは拉致事件の中で重要な事件。
他の拉致事件とは違った次元で重要な事件ですので、是非ご理解を頂ければと私たちも思っています。

そうしましたらまず、私が作りました「福留貴美子さんについて」と題したチラシを出してください。
だいたいこのチラシに添ってですね。
話をしていこうと思いますので御覧になってください。

福留貴美子さんですね。
この方、1952年1月1日に高知県の方でお生まれになりまして、1970年に高知県の高校を卒業し、大阪万博の方のですね。
警備員をされていました。
その後ですね。
上京しまして、アルバイトをしながら専門学校に通って保育士の資格を取りました。
その後、その頃ですね。
高校の頃からなんですが、モンゴルに行きたいという事を非常に熱望していました。
このモンゴルに行きたいというのはですね。
お父様が太平洋戦争のときに、満州の方におられたという事でモンゴルに行きたかったという事がどうもあったと、そういう話が関連しているのではないかと伺いました。

次、拉致事件の経緯なんですが、当時モンゴルはですね。
私もモンゴル大使館の方に確認をしたんですが、共産圏と言う事で殆ど一般の人が個人で旅行する事は出来なかったそうです。
しかしですね。
1976年の7月18日に、急にモンゴルへ行くといって直前にパスポートを取りまして、羽田を出国しました。
この後ですね。
全く所在がつかめなくなってしまいまして、1979年の8月に東ベルリン、昔ベルリンの壁ありましたね?
東ベルリン、共産圏の方ですね。
共産圏の東ベルリンの消印の手紙が、高知県の実家の方に届きました。

で、この手紙の中でですね。
福留さんが、ある共産圏の国にいる事と、もう少し海外に滞在しなければいけない事、生活には困っていないという事。
で、この後がちょっと重要なんですが、いとこの結婚式を祝う事が出来なかったので宜しく伝えて欲しいと書いてあったと。
ここで非常に重要なのはですね。
殆ど実家とは音信普通にも拘らず、何故いとこの結婚式を知っていたのか?と。
どうも福留さんの身の回りにですね。
北朝鮮と繋がっている人間がいた、あるいはよど号グループといた、と言うふうに考えるのが自然ではないか?と思われます。

その後ですね。
今度これも非常に奇妙な話なんですが、1980年3月11日に突然福留さんが、これは横浜に住まわれている方なんですが、同級生の家に突然現れまして2〜3日間その家に滞在しましていろいろな話をしていたと。
このとき滞在した友人にですね。
これから高知の実家に戻るんだと言うふうな事を言ったそうですが、実家に戻る事はなく、また姿を消してしまいます。
この後同年6月にですね。
日本を再度出国したと言う記録が出て来ていますが、この記録自体が本当に正しいのかどうか?
あるいは別の方が出国したのか分かりませんし、確認は取れていません。

ここでちょっと注意しないといけないのは、ここでもうこの時にですね。
子供が二人お生まれになって、本当に日本に戻ってくるのであれば、子供たちを北朝鮮から連れて戻ってきますので、子供が一緒でなかったという事が非常におかしな事と言わざるを得ない所です。

さてですね。
拉致事件として実際如何に表に出たか?と言う事をちょっと見ますと、実はちょっと福留さんの話とはズレるんですが、よど号グループのメンバーの岡本武がですね。
テルアビブ・ロッド空港乱射事件、岡本公三のお兄さんに当たる方なんですが、岡本武がですね。
ずっと結婚相手が北朝鮮の方だと言われて来たそうです。

しかし、ジャーナリストの高沢皓司さんが1995年春に北朝鮮で田宮高麿とですね。
もう亡くなられました田宮高麿とインタビューした時に、岡本武は日本人と結婚している。
二人子供をもうけていると。
岡本武と結婚した日本人女性は、高知県の出身である事・東京に住んでいる事・剣道大会に出席した事がある事などを田宮が語ったと。
結婚の時に田宮が、岡本夫妻が今生存している。
今自分の手元から離れているが、どこか別の所で暮らしていますよ、と言う言い方をしていたと言う事を前提で話しました。

で、その後ですね。
高沢氏と朝日新聞などが調べましてですね。
高知県の、当時警察は実は把握してなかったそうですが、高知県の方でいなくなった福留貴美子さんと一致しているとして、96年の8月7日、朝日新聞の社会面に衝撃的な記事が踊りました。
この報道の直後から、急に国内にいるよど号グループの支援グループが動き始めまして、今度中日新聞に共同通信配信で、中日新聞が記事を書いたんですが、「よど号の岡本武容疑者の妻/8年前に死亡?」
96年ですから、88年に事故で亡くなっているということを、共同通信、これ北京の共同電ということで、これ、間違いなくよど号グループからのリークがあったと我々見ていますが、リークがあり、それを報道しました。

事件の概要ですと、88年に北朝鮮から岡本と福留さんが土砂崩れで死亡したという通知があったと。
(よど号グループの)支援者が高知の、福留さんのお母さんがおられまして、お母様の方に実はお話をしに来たということだそうです。
その後、お母様に対して、北朝鮮に来てですね。
遺骨を取りに来てくれとか、死亡届を出してくれとかですね。
そういうことをずっと連絡をしました。

お母様の方はですね。
1996年11月25日に、代理人を通してですね。
亡くなったという事は了解できないと。
全く死亡の経緯なども明らかでないので、と言う事で質問書を出しました。
しかしその質問書に対しても、田宮高麿が亡くなってしまいましたので、小西(隆裕)がですね。
第三者を介在させたくないので直接お母さんと話をしたい、と言う回答が1997年11月15日であり、そのあと電話がですね。
平壌から何度もかかって来たと。
その時に、貴美子さんの死亡届をお母さんに出して欲しいと、言うような事を言われました。

ここでひとつ、私思うのはこのチラシには書いて無いんですが、横田めぐみさんが亡くなられたときにですね。
しきりに北朝鮮側はですね。
来てくださいと促したりとか、今は金英男さんのお母さんに対して北朝鮮が韓国政府に来てくれと言う事をしきりに言うのと何か似ているなぁと思います。
これがまた向こうの多分やり方なのではないでしょうか?と思います。

実はその後ですね。
お母様が救う会の方に入られまして、家族会の方と一緒に行動されたんですが、2002年の1月の12日にご病気で亡くなられてしまいました。
実は(福留貴美子さんの)娘さんたち二人がですね。
2003年、2004年にですね。
帰国しました。
他のよど号のメンバーと帰国してですね。
現在関西の方で、他のメンバーたちと一緒に暮らしているそうです。

私自身ですね。
おととしの暮れのよど号の裁判の時に実はお会いしました。
まだ高知の方に若干親戚の方が残っていまして、そちらの方に時たま姿を現しているという噂を風の便りに私も伺ったという感じですね。

次にちょっと裏面の方のお話をします。
行政の認識と言う事をちょっとお話したいと思うんですが、行政が、政府や警察が如何に動かれたか?と言う事の流れなんですが、福留さんの拉致事件はですね。
発生当初から存在を感知していたとは感じられない。
これはどういうことかと申し上げますと、横田めぐみさんの拉致事件とかですね。
今日も来られています、増元(照明)さんの増元るみ子さんの拉致事件なんかと言うのは、ある程度起きた当時から拉致じゃないか?と言う事は分かっていたらしいんですね。

工作船の動きだとかですね。
そういう事で分かっていたんですが、福留さんの件に関してはですね。
存在を確認できた様子が感じられない。
どうも96年の朝日新聞の報道を受けてですね。
事件を認知したようで、警察の捜査でもですね。
旅券の更新手続きや足取り等の方もかなりつかめているようである。
国会で実は何回か福留さん問題になっていまして、国会の答弁を2回くらい見ておりましても、警察庁としては拉致にいたる判断をしていないと答弁していたんです。

しかしこれ、私間違えました、2005年なんです、2004年ではなくて去年なんですが、去年の10月11日にですね。
東京地裁でよど号関係者の民事訴訟と書いてあるんですが、簡単に申し上げますと帰国した娘さんたちのですね。
成田空港でカバンの所持品検査を警察で受けたんですね。
それに関して裁判を起こしまして損害賠償請求、その公判のなかで警視庁公安一課の幹部が、「救う会が認定している福留貴美子さんは、警察としては拉致被害者として考えていない」というような判断を致しました。

それに対してですね。
こちらの資料を御覧になっていただきたいんですが、救う会全国協議会ニュース。
ここの救う会全国協議会ニュースでですね。
私11日の日にこれすぐ情報入りまして、救う会の西岡副会長とちょっとご相談してですね。
すぐ反論を出した方が良いと言うことで、私の名前で反論を出しました。

それでですね。
端的な反論から申し上げますと、公安一課長がですね。
公安一課の幹部なんですね。
福留さんが日本に一時帰国している時に友人宅などに泊まったりなどしており、逃げる機会はあったと。
在外公館に自ら旅券更新をしていたので拉致ではないと言うような事を根拠に拉致では無いと言っているわけですが、まず私が思うにですね。
北に入った時点で洗脳されている可能性も高いですし、最大の問題は子供さん二人をですね。
北朝鮮側に人質として取られている状況で、例えば今ですね。
拉致被害者の方が、どこかの大使館に逃げ込めばこれは保護してくれると思いますが、80年代にこれをやってもただ頭のおかしい人と言う事で処理されてしまったと思うので、やはり難しいのではないかと。
これはおかしいのではないかと言う事で、反論を出しました。

あえてもう一点ここで私のコメントとして言わせて頂くと、連れて行かれた経緯がですね。
騙されて連れて行かれたとしても帰ってこれなければ、それは拉致なんですね。
寺越さんとか、例えば有本さんにしても同じだと思うんですが、騙されて例え自分の意思で行ったとしてもですね。
これは拉致なんではないか?と思います。
この辺は荒木先生に細かくお話をして頂こうと思っておりますので。

その後ですね。
このよど号訴訟の証言が出た後ですね。
今年の2月に北京で開催された日朝の実務者協議でですね。
外務省が36人の安否確認、これは政府が認定しています11人以外に、特定失踪者、所謂1000番台、今日来られていますが大沢さんのケースなんかを含めました1000番台の人間プラス、小住健蔵さんと福留貴美子さんの安否確認を行いました。
実はこれまでですね。
日本政府は福留さんの安否確認を言う事を北朝鮮側に行っていなかったんですが、そういうわけかここで安否確認を行った。
ということで、これも警察の判断とはちょっと違う判断で、どういうことかな?というふうに思います。

今後の問題点なんですが、福留さんの拉致事件の真相究明、特にどういうルートで連れて行かれたとか、実際殆ど分かっていません。
帰国も非常に重要であると私思っています。
しかしですね。
私、近頃最大の問題と思っていますのは、娘さん二人がですね。
22と27で、実は帰国して、関西の方にいらっしゃいます。
彼女たちの意思でですね。
そこに戻るならそれは良いと僕は思うんですが、生まれてからずっとよど号のグループと一緒にいる、ある意味監視下、北朝鮮の状況下にいる中で、これもやはりある意味拉致ではないかと私思うので、娘さんに対して早期に何らかの対応を取れないかと思うので、いろんな方と相談して何らかの対応を取れないかと言う事を考えております。

まとめとしてですね。
この福留問題と言うのは難しいと思いますし、救う会の中でも今までずっと店晒しと言うんでしょうか。
そういう面もあったかも知れませんが、今全国の救う会と併せてですね。
この問題を顕著化していこうと思っていますので、皆様のご協力とご関心の方をよろしくお願いします。
以上です。
ありがとうございました。(拍手)

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参考リンク

★救う会全国協議会ニュース(2005・10・15)
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200510/20051015.htm


posted by ぴろん at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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