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どうも皆さん、こんにちは。
今日石川の方から来ました、寺越といいます。
簡単に寺越事件という物を説明させて頂きたいと思います。
昭和38年、1963年、能登半島福浦港の沖合い400メートル、本当にわずか海岸から200メートルくらいのところからですね。
私の父・昭二と叔父・外雄、そして従兄弟・武志が3人一緒に漁をしていて北朝鮮に拉致された。
日本の政府は今だに拉致を言う事を認めていません。
というのは、今北朝鮮にいる従兄弟の武志が「拉致では無い」「と言っているから。
それでお母さんも北朝鮮に行く度に「拉致では無い」と、そういうふうに言っているから拉致とは認められないという現状なんですね。
で、あの、座らせて頂きます。(昭男さん椅子に座る)
今日は人権ということなので、寺越事件が今まで人権問題という事で、私たちは今までは北朝鮮で生きていた叔父・外雄さん、武志の事を心配し、いろいろ考えて声を上げないで2002年まで来たわけなんですけども、金正日が拉致を認め、丁度2002年の2月に私の母親が亡くなりました。
このままでは寺越事件というものは拉致ではなく救助で終わってしまう。
そういう心配というか危惧というかをしまして、政府に対して事件の真相(究明)、そして遺骨の返還、拉致の認定という事で、2002年の10月ですね。
声を上げる事にしたんですけども。
ひとつ言える事はまず、うちの父親が果たして本当に北朝鮮で亡くなったのか?ということなんですね。
安明進さんが1997年だったと思いますけども、証言をして頂きまして、横田めぐみさんの事などもひっくるめて寺越事件という物も証言して頂きまして、父が拉致されたときに武志をかばって工作員に射殺されて海に沈められたという証言をしてくれたんですね。
その時に私らも声を上げれば良かったんですけども、声をまだ上げるという気持ちにはなれなかった。
というのは、やっぱり上げてもどうにもならないという、そういう思いもありましたし。
それからやっぱり武志・外雄さん、外雄さんはその時点では亡くなっていたんですね。
外雄さんは平成の6年ですか、病気で亡くなったという事を知らされまして。
で、私たちが声を上げるという事に対して、友枝さんはやっぱり反対しました。
圧力もかかりましたね。
しかし寺越問題・事件というのを解決するというのはやはり私たちが声を上げるしかない。
でないと、殺されたかも分からん父親という者の人権というものも踏みにじられるんでないかと。
北朝鮮で亡くなった叔父さんも同じく、踏みにじられると。
叔父さんの家族もいるんですね。
亡くなった私の母親、そして私たち兄弟の人権という物もおそらく踏みにじられると思うんですよ。
うまく話が出来ないんですけど、本当に救助されたんなら私はそれで納得すると思うし、本当に真実というのを知りたい。
そう言うのが第一のひとつで、父親の遺骨、もし本当にあれば返して頂きたい。
多分無いとは思ってるんです。
横田めぐみさんと同じですね。
生きている人の遺骨は返せない。
無い人の遺骨も返せない。
今まで4年間、もう3年半ですか。
経ちますけども北朝鮮は、父の遺骨に関しては家族が反対している。
それからどこかの団体も反対している。
そういう回答しか返って来ていないんですね。
家族が反対するというのは、私たちが反対しているんじゃなくて、従兄弟の武志が反対せざるを得ないということなんじゃないかと思います。
なぜならば、やっぱり無い遺骨を返すことは出来ないから反対するんですよ。
しかし、私たちその遺骨の返還を求める事によって寺越事件の真相にも近づけると思っています。
遺骨が本当にあれば、父親が北朝鮮で生きていたという事が証明できるだろうし、救助という事も考えられるかもしれない。
しかし本当に遺骨が北朝鮮にあっても、私たちは救助という事は絶対に認める事は出来ない。
なぜならば、やっぱり本当に救助したんならなんで24年間も連絡をさせてくれなかったのか?
救助した人間をすぐに返さないとなればやっぱりそれは・・・(聞き取れず)と同じだと思うんですね。
そういうことで、これからも(遺骨の)返還・真相究明そして拉致認定と、求めて戦っていきたいと思うんですけども。
最後に、先日の金英男さんの会見を聞いていて、丁度私の思ったとおりになったなというふうに思ってますね。
金英男さんのお姉さんとお母さんが来日したときに、私お姉さんと少し話をする事が出来たんです。
2〜3分だったと思いますけども、寺越事件というものがあって、そして北朝鮮にお母さんが会いに行ってますと。
で、会いに行ったばっかりに拉致を救助にすり替えられたと、いうふうに話をしておきました。
私は会いに行かないほうが良いですよという事を言いたかったんですけども、話が時間が無くてそこまで出来なくて何だったんですけども。
やっぱり北朝鮮において、面会したり会いに行ったりするという事は、結局北朝鮮の思う壺に、どうにもならないという事なんですね。
私は寺越事件の解決ということについて考えているんですけども、寺越事件の解決というのは、ひとつはやっぱり今北朝鮮で43年間生きてきて、子供が出来て孫が出来て、日本に帰りたくても帰れないという武志の事をどうにかしてやりたい。
どうにかしたいと言うのは、自由に本当に日本に行ったり来たりするような環境にしてやりたいということなんですね。
今のまんまではおそらく日本に自由に来る事は出来ないでしょう。
それをするにはどうすれば良いか?という事を考えた場合に、日本の政府がきちんと拉致を認定して、北朝鮮に対して武志の自由とか人権の保障を求めるべきだと思うんですね。
そうしないと寺越事件の解決にはならないと思うし、それから私の父親の事も叔父・外雄の事もやっぱり解決の道筋になっていかないということで、今までは拉致の認定という物は後からついてくるもんやと考えていましたけど、そうではなくて日本の政府がきちんと拉致認定をしていただく。
これは寺越事件だけでなくて、その他の特定失踪者、調査会で今上げられている1000番台の方、もしくは400人を超える特定失踪者。
私はもう間違っていてもいいから政府は認定をしていくべきだと考えています。
ただしこれは家族、特定失踪者の家族に了解を得てですね。
ひょっとしたら間違っているかもしれない。
しかし北朝鮮に対して、やはり拉致問題を解決する為にはそういう方法も有り得るという事で。
で、何で認定しなければならないかというと、北朝鮮側は今でも拉致は解決済みだと言ってますね。
しかし全然拉致の問題は進行していないという事です。
日本の政府がやっぱり解決済みだという北朝鮮の言いなりにならないように、幕引きをさせないためにやっぱり拉致認定をもう少ししていかなければならないのかな、と考えています。
話があっち行ったりこっち行ったり、あんまり話は得意でないもんですから分かり難いかも分かりませんけども、今の私の気持ちとしてはそう思っています。
今後とも本当に拉致問題解決のために、国民の皆様の協力という物を宜しくお願いしたいと思います。
今ミサイル問題で拉致問題を含めて人権問題と言うのが、声を抑えようとする意図もあったんじゃないかな?という気持ちもします。
やっぱりそうではなくて政府に対しては、拉致問題・人権問題に絡んでやっぱりこれからも北朝鮮に圧力をかけていって頂きたいと思っています。
どうかよろしく、ご協力をまた宜しくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)