2006年08月27日

06.7.12 砂川昌順氏 八重山集会より 石垣市民会館大ホールにて

「日本最南端から拉致被害者家族を応援する市民のつどい」 
06.7.12 石垣市民会館大ホールにて

『砂川昌順氏の講演』

ただ今ご紹介頂きました砂川でございます。
オープニングで「トゥバラーマ」「月ぬ美しゃ」をそこで聴いていたんですけども、ついうるっと来ましてですね。
私も島んちゅですので、やはり歌を聴くと色んな思いが頭をよぎって行くんですけれども、本当に素晴らしい歌を聴かせて頂きました。

本日は横田さんご夫妻をお迎えし、「日本最南端から拉致被害者家族を応援する市民のつどい」で講演させて頂く機会を与えられましたことを、大変光栄に思い深く感謝申し上げます。
本日の開催に向けご尽力くださいました主催者、実行委員、後援者、多くの関係者の方々、そして本日こうしてお忙しい中、それにも増して台風4号が接近中の中、ご来場くださいました皆様に対して心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。

以前、横田さんご夫妻と講演を一緒にさせて頂いた時でした。
何気ない会話の中で、「横田さんご夫妻が、全国でまだ講演に訪れていない県が二県ある」という話になりました。
「どこですか?どこの県ですか?」
軽く聞いてしまったんですね。
その答えを聞いたときに、ガツンと頭を思いっきり殴られたような思いで言葉を失いました。
その二県の中に沖縄県が入っていたからです。

「申し訳ありません」
ただ謝るしか言葉は見つかりませんでした。
足元を見つめていなかった自分が愚かしく情けなく、拉致被害者ご家族の皆様に対しまして「申し訳ない」と言う思いで、自分には横田さんご夫妻と一緒に講演をする資格など無いんじゃないのかな?と、その時思いました。
本日は石垣市民の皆様が横田様ご夫妻をお迎えしてくださって、こうして講演会を開いてくださったことに対して、特別の思いを込めて皆様に対しましてお礼申し上げたいと思います。
ありがとうございます。

私は毎年11月15日は新潟の海へ出かけています。
横田めぐみさん、当時13歳、中学校1年生。
学校からの帰宅途中拉致されたあの新潟の海を、この目に焼き付けておきたいと思うからです。
横田さんご夫妻が「めぐみちゃ〜ん、めぐみちゃ〜ん」と必死で我が子を探し回った。
暗闇の中を懐中電灯を手に必死で探し回ったであろう、その海岸に立ち、国民の一人としてそしてかつて公務に携わっていた一人として自分が至らなかった事を反省し戒め、拉致被害者ご家族の皆様に対しまして改めてお詫びの気持ちを強く思うと同時に、今私たちがやらなければならない事について足元から見つめ直していきたいという思いを、自分自身に強く叱咤する日としております。

過去において多くの日本国民が、拉致問題に真摯に取り組んでこなかった時期がありました。
助けを求める拉致被害者ご家族の声に耳を傾けなかった一時期がありました。
事実を、事実足らしめる物を見誤って来たように思います。
私たち国民も反省すべき点があるかと思います。

私は自分の記録した物を本として出版いたしました。
「極秘指令」と言う本ですが、それは元北朝鮮労働党調査部に所属していた蜂谷真一ことキム・スンイル、蜂谷真由美こと金賢姫の、大韓航空機858便の爆破した実行犯の二人を拘束した経緯をまとめた本です。
大韓航空機858便は1987年11月29日、二人の実行犯によって爆破されました。
115名と言う多くの尊い人命が一瞬にして消えました。

皆様の中には1987年12月15日のテレビ報道を記憶されておられる方もおられるかと思いますが、金賢姫が韓国に到着した日のタラップを安企部。
これは1988年に国家情報院と改称をしておりますが、その安企部、国家安全企画部のメンバー、その前身のKCIAとも言われておりますが、そのメンバーに両脇を抱えられながら飛行機のタラップを降ろされるシーンは、ご記憶されている方もいるかと思います。

しかしながら裏を返せば金賢姫の身柄を要求せず、韓国側に身柄を引き渡し、情報の収集・分析に消極的であった日本政府。
日本における、いわゆるインテリジェンスの不在を露呈したシーンだったと言えるとも思います。
この事件は単なるテロ事件として片付けられるものではありません。
日本国のパスポートが偽造され、日本人が偽装の対象となり、いわゆる日本国が陥れらようとしました。
それは日本国の国益が失われかけたとも言えます。
そこには日本の体制そのものにおける国家、存在としての根本的な問題、根幹が横たわっているように思います。

さてここで少し突っ込んでお話させて頂きます。
1987年7月、在バーレーン大使館での勤務を終え、帰国。
9月に休暇を取り、私はヨーロッパへ向かいました。
目的は3つありました。

ひとつはオーストリアの北朝鮮大使館において、大韓航空機爆破事件の真偽を問いただしてみる事。
二つ目は東西ドイツの壁、ベルリンの壁の崩壊・開放、東側社会体制の崩壊に関わる情報の信憑性の確認。
これは当時のソ連の国家保安委員会、皆さんKGBと申し上げると分かりやすいのかもしれませんが、そのメンバーに確認する事。
そして三つ目は日本の機密情報を東側に流している日本側協力者の情報を入手する事。
以上3つの目的を持ってヨーロッパへ向かいました。
本日は二つ目と三つ目の目的に関しては、今回の講演の趣旨とは直接関わりが無いため割愛いたしますが、ひとつ目の目的について、時間の範囲内で簡単にお話したいと思っております。

ウィーン到着後、二人のウィーンでの足跡を洗いました。
その後北朝鮮大使館側と話し合いを持ちました。
大使館側は参事官、書記官計5名が出席、その中での話し合いとなりました。
まず最初に「北朝鮮が大韓航空機858便を爆破したと考えられている。それは韓国でのオリンピック開催を阻止する事を目的として韓国にダメージ・打撃を与える為に、あなたたちの国が国家として国家犯罪として大韓航空機を爆破したと考えられているが、それについてあなたたちの意見を聞かせてもらいたい」と、いう問いかけを行いました。
彼らは真剣な顔つきをしながらも、時折薄ら笑いに近い表情も浮かべていました。

「あなた達が大韓航空機を爆破したんですか?」とストレートに問い掛けました。
すると、「南だよ、南のせいだよ」と言う答えが返ってきました。
全て南が悪い、南のせいだ。
論理や説明や根拠もなく、ただ口をそろえて「南のせいだよ、南が悪いんだ」と言い続けておりました。
そこで私は「二人は北朝鮮の工作員だと思われますが、それについてはどう考えますか?」と尋ねました。
すると一人の書記官が「あぁ、南の安企部だ。あいつらは安企部のメンバーだ」と答えてきました。
「どうして南の安企部だと言えるんですか?」
すると参事官が「いや、確か服毒したと聞いたけれど、服毒は南の安企部のやり方だよ。だから南がやったんだよ」という答えが返ってきました。

「なるほど、安企部のやり方ですか。それではこのテープを聴いて貰えますか?」
私は持ってきたテープをそこで回し始めました。
そのテープと言うのはバーレーンの空港で二人を拘束し、服毒現場を録音したテープでした。
彼らは暫く聞き入っていましたが、私が何も尋ねないうちから「いや、日本語は良く分からないし、何のテープなのか分かりません」と、言って来ました。
その会談は日本語でやってたんですけれども、そういう答えがこちらが何も尋ねないうちから即座に帰ってきました。

そこで「日本語を話せる人が北朝鮮にも大勢いると思いますが、日本人も結構いるんでしょうね?」と尋ねました。
すると彼らは「日本人は北朝鮮の研究所とか大学には結構います。日本語を話せるのは一杯いますよ」と。
「それは日本のせいでしょ?日本語教育、日本人化教育、それはあなた達がやったんじゃないですか?だから一杯いるんですよ」と答えてきました。

そこでちょっと話を戻して、「複数の日本人がヨーロッパから北朝鮮に入国していると言う情報を我々はつかんでいる。どうして彼らが北朝鮮に入国しているんだろうか?」と尋ねました。
すると、「あぁ、チュチェ思想だよ。彼らは北朝鮮でチュチェ思想を勉強している」
その偉大なるチュチェ思想とはどういう物か?というのを参事官がとうとうと説明を始めました。

その説明を一通り聞いて「なるほど、それでは私もチュチェ思想というのを勉強したいと思っている。どうですか?私を北朝鮮に入国させてくれませんか?私を受け入れて、日本の外務省の職員が北朝鮮に亡命したとでも何とでも発表すればあなたたちの国の宣伝にもなる。私が不要になればその時点で私を処分すれば済むのではないのか?こんなに都合の良い話は無いと思うがどうですか?」と北朝鮮入国の交渉を始めました。
いかなる理由、いかなる手段を使ってでも北朝鮮に入国し、彼らの旅券偽造、日本人化教育、北朝鮮にいる日本人の人たちがどうしているのか?
その実態を調査し情報を得なければ、国際社会において彼らを糾弾する事は困難と考えておりました。

彼らはその場で緊急に北朝鮮に本国に打電します。
「私の申し入れを打電します」と言う事で一人の書記官が席を立ちました。
暫くして北朝鮮からは3日後に返事が来るという事になったと言う事で、私は再度また3日後に北朝鮮大使館に来ることになり、その日の会談は終わりました。
それからはホテル周辺ではアジア系の顔をした男たちがうろうろし始めました。
それが北朝鮮側の見張り役かどうかは、確認する必要はありません。

3日後に北朝鮮大使館を訪れ、そこで返事が来たと言う事で返事を聞く話し合いを持ちました。
返事は日本人の外務省職員、あなたをここからオーストリアからウィーンから直接北朝鮮に入国させる事は出来ない。
それは不自然な為、危険と思われる。
日本に帰って朝鮮総連の誰それとコンタクトし、朝鮮総連のアレンジによって入国する事は可能。
あなたの要望を全て満たすことは可能、ということで北朝鮮大使館側からは直接朝鮮総連側の連絡先を記したメモをその場で手渡されました。
それはいわゆる、その時点での情報収集の道をふさがれた事を意味してもいます。

当時はヨーロッパから数名の日本人が北朝鮮に入国していると言う情報は得ておりましたけども、我々もそれが本人の意思で渡ったものなのか?
それとも強制的に渡らされたものなのか?
そこまでの情報は掴んでおりませんでした。
それを思うと、ただただ申し訳なく拉致被害者ご家族に対しては謝る事しか出来ていないと言えます。

さて拉致問題の解決に向けて我々がすべき事はなんでしょうか?
武力行使はもちろん出来ません。
戦争は、過ちは二度と犯してはいけません。
それでは北朝鮮に工作員とかCIAのようにエージェントを潜り込ませて、被害者の救出を図りますか?
そんな簡単な物でもありません。
他にお願い出来るような事でもありません。

それでは北朝鮮の体制崩壊を目論見ますか?
一番望むところですけれども、6者協議における北朝鮮の体制保障の問題、体制保障の絡みもあります。
それではどうしますか?
平壌宣言の約束を破り、国際社会の非難を浴びる中でも核保有をほのめかし、先週7月5日にはミサイルを発射した北朝鮮とどう向き合えば宜しいのでしょうか?

安倍晋三官房長官は、「我が国として厳しい措置で臨む。日本の出来るあらゆる措置を講じる」と明言しています。
その言葉を拉致問題解決につなげて欲しいと望む所です。
ミサイル発射に対する措置の断行を機に、言うまでも無く対話の門戸は決して閉める事無く、徹底した制裁による圧力を実行し、同時に国際世論、包括的な人権問題として国際世論の形成に日本は全力を傾けるべきだと思っております。

去る4月28日、横田早紀江さんはブッシュ大統領と面会する事が出来ました。
一人のお母さんの心の叫びが一人の母親の声が、超大国アメリカをも国際社会をも動かし始めています。
「10億の人に10億の父あれど、10億の人に10億の母あれど、わが親に勝る親は無し」とご両親の人生をかけた心血を注ぐ活動を知ると、めぐみさんはきっとそう言うと思います。

子を思うお父さんお母さんの叫びを 我が子を愛する親の心を、この日本最南端の地から応援して行こうではないかと思っています。
あなたの声を聞かせてください。
あなたの声を国際社会にも届けてください。
この最南端の石垣から八重山から声を上げていければ、それに勝る喜びは無いと思います。

本日は皆様の前でこうして講和させて頂きました事を改めてお礼申し上げます。
そして横田さんご夫妻がこの最南端の地、石垣市までお出でくださったことに対しまして、心よりお礼申し上げたいと思います。
横田さん、どうもありがとうございます。
そして皆様、どうもありがとうございました。(拍手)

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この集会の模様はオンデマンド放送で見る事が出来ます。
オンデマンド放送を御利用の方はこちらへどうぞ。
http://www.netlive.ne.jp/archive/ISHIGAKIJIMA/ondemand_060712.html
posted by ぴろん at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(八重山集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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