2006年09月17日

4度目の9・17に想う

例えば、先日放送のNHKクローズアップ現代。
横田夫妻をスタジオ出演させた事に、支援者の間でも賛否両論あるようです。
お疲れのご夫妻をスタジオまで引っ張り出すのは配慮が足りないという意見の一方で、あの時間あのボリュームでの出演は世論への影響力と言う点を考えても大変良かった、という意見もあります。

そのどちらにも一理があり、ゴールデンタイムで30分の全国放送というボリュームを考えれば、多少の無理をしてもと言う気持ちが横田夫妻の中にあったかもしれません。
だから生出演した事が良かったか悪かったか、私の立場ではなんともいえない。
ただ、お体への負担は決して少なくなかったことは事実でしょう。
それを思うと心が痛みます。

救出活動は、本来国民運動でなければなりません。
国民自らがそれぞれに問題意識を持ち、関心を持ち、ささやかでも行動を起こさねばならないと思う。

しかし、残念ながらこの運動はいまだ国民運動のレベルには達してはいないと感じます。
確かに家族が表に露出すれば、集会でも街頭でもテレビ出演でもそれなりの数字を稼ぐ。
でも家族がいなければ、その数字は尻すぼみです。

という事は、つまり家族が走り続けなければこの運動は急速に盛り上がりを欠いてしまうということ。
つまり、本当の意味での国民運動には成り得ていない、ということです。

家族のお疲れは極限状態。
彼らを休ませる為にも、もうそろそろ国民自らが運動の担い手として行動を起さねばならないはずなのですが、現実は中々思うようにはいかず、結局家族は走り続けなければならないのです。
家族を追い詰めている原因のひとつは、国民の無関心にもある、と私は思う。
被害者救出が中々実現せず、だらしないのは政府だけの責任と言えるのか?
だらしが無いのは、ある意味一般国民も同罪では無いのか?とこの頃つとに感じてなりません。

いや、多くの国民にも被害者を救いたいという純粋な思いはあります。
署名やハガキをお願いして歩けば、皆それぞれにそれなりにこの問題への関心を持っている事を実感します。
でも運動としての盛り上がりはいまひとつ。
集会の動員も街頭署名の数も、最近は正直な所、ジリ貧の感は否めないのです。

集会へ行けば登壇者の方は、世論はかつて無い盛り上がりを見せていると力説をする。
本当でしょうか?
確かに9・17以前に比べれば世論の関心は高いです。
飽きっぽいといわれる日本人が4年経ってもこれだけの関心度を維持できているのは、奇跡的といえるかもしれない。
でも、その関心度を維持する為の代償として、家族は自分の命を削って駆けずり回っているわけです。
そんな現実を目の当たりにするたびに、私はこの運動のあり方に言いようの無い矛盾や疑問や不安を感じてしまう。
家族や関係者の周囲に集まる人たち、今すでに行動を起こしている人たちは、そもそも問題意識の非常に高い人が多いのです。
しかし一歩その輪の外に出れば、いまだに行動を起こす事をためらうような、冷めた一般世論があるのも事実。
一般世論と運動主体の側との間に横たわるこのギャップ・温度差に、関係者の方々は気が付いているのでしょうか?

何故こういう現象が起こるのか?
一般世論の間に歴然としてあるはずの拉致問題への関心を、現実には運動の主体を担う者が上手く引き出せない・掬い取れていないというのも、偽らざる現実ではないのでしょうか?
一般の彼らが救出運動に加わる事にためらいを感じる理由は何なのでしょう?
運動を進める主体の方に、一般世論を遠ざける驕りや勘違いは無いのでしょうか?
この運動は国家主権侵害問題・人権侵害問題なのだから、国民の側が自主的に行動を起こし救出活動に参加してくれるのは当たり前、といった不遜な感情は無いんでしょうか?

救出運動の入り口は広く、敷居は低くあるべきです。
世論の様々な価値観を持つ人たちを仲間に引き込むためには、「小異を捨てて大同に付く」という姿勢は欠かせません。
しかし、残念ながらごく一部の運動内部の人たちの中に、この「小異を捨てて大同に付く」事の出来ない人たちがいる。
小異の違いを巡ってつまらない揉め事を起す人たちが、運動の主体を担う人たちの中に少なからずいるのも哀しいけれど現実です。

早紀江さんが言うように、被害者は今溺れて助けを求めている状態です。
命の危機の前につまらぬ内輪もめなどしている場合か?と私は以前から何度も主張しておりますが、中々その事が理解されない。
そしてそういうゴタゴタを目にするたびに、一般世論は人知れず腰を引いていくのではないか?とも感じてやり切れない思いをしています。

この運動の目的は被害者を救うこと。
その大望実現の為に、今は小異を捨てるべきなのです。
それが出来なければ、家族はいつまでも馬車馬のように走り続ける事を強いられてしまいます。
被害者を救うのが先か?家族が倒れるのが先か?といった、そんな哀しい競争をこれ以上家族にさせてはいけないのです。
イデオロギー的な論争をやりたいのであれば、被害者救出をなし得た後、いくらでも気の済むまでやれば宜しい。
でも今は、そんな悠長な論争をしている場合ではないはずでしょう。

運動の主体を担う人たちは、もう一度原点を思い返し、今以上に謙虚な態度で世論への理解と関心を求める必要があると感じます。
9.17から4年、一般世論はずるずると萎んでいるようにも思えて、強い危機感を感じます。
家族をこれ以上追いつめないためにも、被害者を一刻も早く救い出すためにも、支援者も一般国民もとるべき正しい道を選ぶべきでしょう。
何のために私たちは自分の時間や体力を犠牲にしてこの救出活動に取り組むのか?
4度目の9.17を迎えるに当たり、もう一度謙虚に考えたいものだと思っています。


posted by ぴろん at 10:22| Comment(0) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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