2006年09月24日

驕りの気分

支援の現場に出ていて、最近私が感じる懸念があります。
拉致問題は国家主権侵害問題・人権侵害問題。
だから国民はもっともっと高い意識を持ち、救出の為に自主的に行動を起こすのが当たり前、といった驕りの気分が私たち支援者の間に蔓延してはいませんかね?

人に物を頼むなら行動を起こしてくれる事を願うなら、お願いする支援者の側は謙虚の上にも謙虚になって、ひたすら頭を下げなければならないと思う。
日本人なら救出運動に参画するのが当たり前、などといった驕りの匂いがぷんぷんするようなそんなタカビーな救出運動に、そもそも世論が素直に共感するはずは無いのです。

私も含めた多くの支援者の皆さんも、長年この問題の存在に気が付かなかった愚か者であったはずです。
拉致被害者家族を長年苦しめた張本人は私たちでもあるのです。
そんな愚か者の私たちが、ホンの少しだけ人より先に目覚めて支援活動に打ち込んだ所で、それがどれほど偉くて立派なことなのか?
所詮はその程度の小者に過ぎない一支援者の私たちに、いまだ行動を起こさない関心の薄い一般世論を高い所から見下す資格などかけらも無い事を自覚しなければ、この救出運動への関心度は日毎に萎むばかりではないか?と懸念しています。

救出活動の入り口は広く敷居は低くあるべきであり、その観点からも世論に理解と協力を求める時は、「被害者や家族が可哀想」といったレベルの働きかけでも私は十分だと思います。
それをきっかけにして拉致問題を勉強して、国家主権とか人権とかいった難しい事をそれぞれが考えればいいのであって、最初から高いハードルを持ち出して支援者を選別・排除する必要は全く無い。

被害者を救いたいという思いさえあれば、支援者としての資格はそれで十分では無いでしょうか?
この救出運動の目的は「全ての被害者を救うこと」
そのためにはより一層の世論の盛り上がりが必要であり、仲間は一人でも多いに越したことは無いのです。
思想信条の違い・知識の多少・関心度の濃淡などの個人差を超えて一人でも多くの人たちと手を取り合うには、「小異を捨てて大同に付く」という姿勢を持つ以外に策はありません。
支援の輪をもっともっと広げる為にも、支援者の私たちもここでもう一度初心に戻り、驕りの気分を捨てて救出活動に参画すべきだと思う。


posted by ぴろん at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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