2006年10月18日

06.10.7 杉野正治氏1 第15回藤沢集会(4)藤沢産業センターにて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その1』

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皆さん、こんにちは。(「こんにちは」の声)
今ご紹介を頂きました調査会の杉野でございます。

先ほど来お話にも出ておりますけども、安倍内閣と言うのが先日誕生をしました。
安倍総理自らが拉致対策本部長になりまして、この問題を解決すると言う強い決意を見せられたわけですけども、一言で印象を申し上げればこれでやっとスタート地点に立ったのかな?と。
やっと道具が揃いました。
これからどうやって拉致被害者を取り戻すのか?
まずは拉致被害者、どういった方が拉致をされたのか?

私ども調査会が出来まして、年が明ければもう4年になるわけですけれども、私どものところに今460名の方から自分の家族も拉致をされたのではないだろうか?と、今日も会場の中に御家族が数名いらしておりますけども、460名の方。
警察にはその倍、900名くらいの方が同じようにご相談をされています、と言うふうに伺っています。
この方たちの中であるいはこの方たち以外で、一体どんな人が拉致をされて日本人の拉致被害者一体どれくらいいるんだろうと言う事が、実はまだ分かっていないわけです。
私ども調査会と自分たちで言っておりまして自分たちで調べているんですけども、私たち自身も実は良く分かっていない。
少なくとも100名以上と言う規模で日本人が拉致されているんじゃないか?いうふうには考えておるんですけども、じゃあ一体どこまでなのか?

日本の政府はですね。
これまでは小泉政権の時代、私どもも再三申し上げて来たんですけども、一体日本人の拉致被害者はどれくらいの規模いるのか?どこにいるんだ?と、これを調べて欲しいというふうに申し上げてきました。
しかしながらおそらく分からない事も多いんだろうと思います。
結局それに対する答えと言うのは、未だ明確にはなっておりません。
一体何人拉致されたのか?分からない。

しかしながら今回安倍内閣ですね。
拉致対策本部と言うのが出来ました。
日本には警察を初めとして公安調査庁、それから海上保安庁、自衛隊の中にも情報機関というのはあります。
こういった各情報機関の情報を統合してですね。
日本の国として失踪者にこういう情報があるというのを一括して調べていただいて、一体どのくらいの規模日本人が拉致されているのか?
いう事をまず明確にしていただきたい、いうふうに思っております。

これはこれまで言ってきた真相究明と言う事なんですけども、真相が分かっただけでは実は何もなりません。
取り返さなければいけないんです。
どうやって取り返すか?ということをこれから、これはもう長い時間をかけるべき事ではありません。
今市川さんも斉藤さんも仰いましたように、親御さん、もうかなりご高齢の方がいらっしゃいます。
特定失踪者のご家族でもこの3年半、4年近くの間にずいぶんたくさんの方が亡くなられています。
それを聞くたびに私ども、この問題一刻の猶予も許せないと思って活動を続けているわけでございます。

そこでですね。
本日は私ども調査会、先ほど申しましたように平成15年の初めに設立をいたしまして、これは皆さん私もいろいろな所で話もしておりますしこの集会でも申し上げたかと思いますけども、当初小泉訪朝9・17のとき北朝鮮が拉致を認めました。
その中で曽我ひとみさん、佐渡で失踪されました曽我ひとみさんの親子。
この方は全く日本の政府も警察もみんな拉致だと思ってなかったんですね。
この方たちが実は拉致をされていた、いう事実が明るみになったことから私どものところにご相談がたくさん来ているわけでございます。

その当時かなりのたくさんの方が100名以上の方がご相談を持ちかけられたんですけど、私どもとしてはそれを整理しなきゃいけない。
パソコンなんか使ってデータベースを作っていたんですけど、非常に奇妙な偏り・塊と言いますか、例えば職業ですとか例えば失踪した年代というように奇妙な塊があるという事に感付いたというか、誰でも分かるんですけど。
という事でこういったものを整理して参りました。

最初の頃はこういったものをいろいろ発表しておったんですけども、真相の究明と言う原点に改めて立ち返ってやらせていただきたいと言うこともあって、この9月からですね。
マッピングリストと言う名前で、これは名前適当なんですけどもマッピング、つまり地図を作る意味なんですけど。
例えばここにいらっしゃる市川さんもそうなんですけども、1978年アベックで失踪された。
こういう方っていうのは、アベックで失踪と言うのは実はおられるわけなんですね。

そういった特徴、あるいは後ろの方に私どもの作ったポスターが貼ってある、休憩時間にでもご覧になられたら良いかと思いますけども、例えば1960年代後半、就職の決まった高校3年生が立て続けにいなくなっている。
これは何か意味があるのではないだろうか?
あるいは1991年平成3年、若い女性が立て続けにいなくなる。
こういったものを私どもとしては分類してそしてご提示をしていきたい、というのがマッピングリストと言うのを発表させていただいております。

まだ途中なんですけどこれは今年中にでもまとめてご発表させていただきたいんですけど、例えばですね。
今日は時間の関係で余り詳しくは申し上げらませんけども、例えば年代。
先ほども申し上げましたように1960年代後半、男子高校生が立て続けにいなくなる。
あるいは1970年代中盤から後半にかけて、男子大学生がいなくなる。
今日は高野(清文)さんの妹さんがいらっしゃってますけど、皆さんお聞きになったかもしれませんけども、埼玉の川口でいなくなった藤田進さん、大学生でした。
その直後ですね。
同じ年の直後、高野清文さん、これは電通大の学生さんだったんですけども場所としては外れるんですけども、神津島でいらっしゃらなくなっている、いうような事。

あるいはアベックという事で言えば、1970年代を中心に立て続けにいなくなっている。
ちょっとざっと数えただけですけども、これはご夫妻あるいはきょうだいということも含めれば、この1970年代に11組のアベックが、これは拉致被害者、蓮池さん・地村さんそれから市川さん・増元さんを含めてですけど、そういった非常に特徴があると。
これは年代からいうと、古くから全部が全部拉致されたとは言えないかもしれないんですけど、1950年前後から私どもに来ているリストの中には2000年後まで来ています。

これが拉致だとすると横田めぐみちゃんの名前が出てきた、あれは日本で拉致問題が浮上したその後も、拉致をしていたかもしれない。
我々はまさかそんな最近までやってないだろうと思ったんですが、安明進氏にその事を話したら「そんな事を考えない方が良い、北朝鮮は何があってもやる、必要であれば」と言うふうに申しております。
と言う事からするとかなりの長いスパン、非常に恒常的にレギュラーなサイクルとして、北朝鮮は拉致をやっていたのであろうと言うふうに考えています。

あるいは失踪者の場所という、地域的なものという見方のマッピングも作成しています。
先ほども話が出ました埼玉県の川口市、今日お出でになっています飯塚さんの妹さんの田口八重子さんも、ご実家は川口市であります。
この川口ではかなりたくさんの人の失踪がある。
それぞれ非常に拉致をした可能性が高いと思われる方が何人もいらっしゃる。
それから兵庫県の神戸も、神戸の中でも非常に偏った地域で失踪者がかなりいる。
田中実さんと言う政府認定の拉致被害者がいますけども、この方もその地域の中にいらっしゃる、という事でございます。

それからもう一つ特徴的な事は職業、職業的な特徴が非常にあるわけです。
例えば私どものリスト機械的に見ただけですけど、特に多いのは看護婦さん。
なぜか看護婦さんが多い。
それを含めて医療関係者が非常に多いです。
大体400名の中でおよそ20名の方が看護婦さん、医療関係者の方々である、という事であります。
中には医師の方あるいは薬剤師の方、あるいは医学書の翻訳をやっていた方、という人も含めますとおよそ20名。

それともう一つ印刷関係者が非常に多い。
これはですね、年代が限られていまして1970年・昭和45年を中心として、大体前後3年間というふうに考えていただいて良いと思いますが、そういった方がおよそ10名います。
印刷関係者と言うと、皆さんピンと来られるかもしれませんけども、もしかすると北朝鮮が作っている偽ドル、偽札というものの技術のために、もしかしたら拉致されたのではないだろうか。
中には非常に高度な知識を持っておられる、つまり日本でお札を作るようなところに就職される方というのも含まれております。

あるいはですね。
電電公社の職員の方、市川修一さんも電電公社の職員でございました。
こういう方も6名の方がおられます。
あるいは電話交換士とか電話に関連した方です。

あるいは女性の方ですね。
先ほど看護婦さんと言うのが出てきましたけど、美容師・理容師、あるいはパーマに行くと言ったままいなくなった。
いう方が、これまた非常に多い。
あるいは洋裁だとか和裁、編み物教室へ行く途中だったとか。
あるいは和裁の先生のところから商品を届けに行く途中いなくなった、言う方が非常に多い。

あるいは自衛隊員。
この神奈川県にも自衛隊の基地・施設と言うのがあります。
特に横須賀には陸海、武山の方にもございます。
こういったところに勤務していた、なぜかこれは元自衛官、自衛官を退官した人の失踪が非常に多い。
ご存知の方もいらっしゃると、これは川添会長の方が非常に詳しいんですけど、よど号の妻である八尾恵さん。
この人はあそこでカフェバーを開いて、そしてお客に米軍の関係者、自衛隊員という人が来ていたんですね。
そういう所から情報を取り、あるいはリクルートしようと言う事をしていたと言われています。
そういったものと関係があるのではないか、と言った事が考えられます。

で、これは神奈川県の特徴なんですけど、元自衛隊員で退官をしてその後自動車工場の季節工に再就職して、そのままいなくなっちゃったと言う人も数人おられます。
神奈川の自動車工場いくつかあるんですけど、日産自動車ですね。
あるいはその他いろいろあるんですけど、自動車教習所、建設に携わっていた人。

・・・その2に続く・・・


posted by ぴろん at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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