2006年10月21日

06.10.7 山田文明氏1 第15回藤沢集会(7)藤沢産業センターにて

『山田文明 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表の講演 その1』

Img_2171.jpg 

 

どうも、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会というものをいろんなメンバーとやっております、山田文明と申します。
よろしくお願い致します。
救う会の皆様のこういう集まりで、私どもの事も話をさせていただく時間をいただけた事を何より嬉しく思っております。
今日は限られた時間の中ですので、この夏にあった問題を中心にちょっと説明を話をさせていただきながら、その点について皆さんのご理解を得たいと思います。

私ども、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、この名前は元々本来は1959年12月から始まりました日本政府がいう帰還事業、向こうを国とは認めておりませんので帰還事業という言い方になったわけですが。
北朝鮮へ帰るということを希望した在日コリアンの人々、その人たちが北朝鮮に帰っていく。
それを国交の無い国でありますから赤十字社の事業として推進した。
その事によって9万3千人ほどの方が向こうへ渡って行かれた。

その中に、在日コリアンの人と結婚されていた日本国籍者もですね。
大体4600人ほどが子供さんたちを含めて一緒に渡って行ったわけであります。
その中の1300人ほどが日本人妻という立場であったわけでございます。
この帰国事業で北に行った人たちの状況はですね。
とんでもない状況にあるという事をそのご家族から聞き、これは少ししっかり調べてですね。
考えなきゃならんのじゃないか?という事で始まったのが私たちの会でありました。

その後1998年ごろからですね。
脱北と言う問題がクローズアップされました。
その中に帰国者が含まれてきたという事ですね。
そしてその人たちが、つまり中国へ逃げたその後ですね。
何とか救われたいという事で、日本の親族に連絡があったりいろいろする。
その過程で私たちの会にも「実はこんな連絡が来たんだがどうしたらいいんだ?」と相談もあった。
そんな事から脱北者と言う立場の人と関わりを持つようになり、現在かなりの時間・労力をそちらに取られていくというか、取られていると言う言い方はおかしいですが、この問題に関わっているのが実情でございます。

前置きはそれくらいにしまして、この夏、実は二人の日本人妻であった人、あったというか日本人妻ですね。
もう80に近づいたお二人の方が、一人は自分の北朝鮮で生まれた娘さんをお連れになり、もう一人は北朝鮮で生まれたお孫さんを連れて中国まで出てきたと、言う状態の連絡を受ける事になったのです。
そういう状態を把握した。
それでどうするかという事になりまして、少しいろいろ時間がかかりました。
途中、こういう場合はですね。
善意でその人を助けてあげて日本に行けるようにお手伝いをしようという人が少ない。
中国へ出てからですね。
そこで巡り合う人たちの中に現在はかなりいろいろな形のブローカー、お金目的でですね。
関与しようとそれをやろうという人たちがたくさんいるわけです。

ブローカーがすべて悪いとは言いません。
危険を冒しながらもですね。
一生懸命匿い、保護されるまで対応してくれる。
それは事実そうであります。
ですから、これをブローカーはすべて悪いとは決して言えない。
そういう人たちがいなければ救わない人がたくさんいるわけですから。

しかし悪質なブローカーにかかると実際には保護されるのではなく、女性だと売られていってしまうという事例は数限りなくあるというわけです。
そういう事例は、PRで恐縮ですがこの中で証言してもらった人、自分も姉さんも妹もみんな一緒に売られていった。
幸い奇跡的に後で合流して、韓国のキリスト教団との連携もあって韓国まで無事に到着出来た人たち、その人たちの信じられない話などが出ております。
こちらにお任せいたしまして、そういうブローカーとのつながりを何とかつけながらですね。
その場合一定の費用もかかるわけです。
確かに匿ってもらうにはお金もいる。
本人たちはお金がありませんから、そうするとどうしようかという事になり、いろんな工夫をしていくわけです。
そしていろんな経過を経て安全なところで保護していただくと、そして日本に入国されるのを待つという事になります。

安全なところに保護されると言うのが、いくつかの場合がございます。
ひとつは日本の領事館・大使館に保護されると言うところまでいくという事ですね。
かつてはそれが非常に困難、出来なかった、そういう対応が無かったときは、ベトナムを経由したりしながら遠いですとタイまで、あるいはモンゴルまでというようなルートを経ながらですね、第3国まで出る。
そこで初めて日本の領事館・大使館に、日本の関係者であるからというようなことで対応をしてもらっていたわけですね。
いろんな事があったわけであります。

この度の日本人妻とお二人の娘さんお孫さんは今安全な所にいます。
中国がどんな対応をしてくれるかによって、後どれくらいで日本に入って来られるかどうか分かりませんが、ひとまずは安全、と言うところまで来た。
で、この人たちが日本に着いたとき、どうなるか?ということなんですが、日本に到着するまでは政府の関係の方がきちっと届けてくださるんですね。
日本に着いたら空港で、この、どう言いますかね。
空港に出迎えに行きまして、そしてこちらでお預かりするという事になるわけですね。
その約束をまずしておかないといけません。
日本での身元引受人になりますということで、そういう事になります。

そして空港で出会いまして、それからどうするか?と言うのが後は全く私的な問題になるわけなんですね。
空港で出会ってどうするか?と。
今夜どこへ泊まってもらおうか?これから食事何を食べるんか?全部これから始めるという事です。
その時泊まってもらう準備がそれまでに出来ていなければ、ともかくどこかホテルをとってですね。
そこに入ってもらう、そして出来るだけ早くもう少し経費の安く済む所を探すという事になります。
そしてアパートを借りて、その場合当然いろいろな費用が要るわけですけどね。
それは何とかみんなで思案して入ってもらう。

そしてそれから日本に入ってからの在留の資格をどうするか?と言う問題が出て参ります。
とりあえずは臨時のですね、これは密入国ではありません。
きちんと日本政府が認めて入っているわけですが、在留資格がハッキリしない。
そこの手続きをし始めます。
そしてひとまず、そういった手続きが何とかなればですね。
まずしなければならないのは日本語の勉強なんですね。
特に若い人たちにとっては日本語無しには日本での今後の生活は考えられないです。
いかに早く日本語を頑張って勉強していただくか。

それから大体ほとんどの場合が健康を害されている場合が多いんです。
検査を受けていただき、可能な治療ならするという事になります。
今回お出でになる(方の)場合、お一人はまだお元気なんですが、もう一人は体をちょっと壊されていると言う事。
お元気な日本人妻も、これまでの連絡では日本語をだいぶ忘れていらっしゃると言う事なので、日本語の勉強をこれからしていただく事になるかどうか。
まぁお歳によってどうするか、考えなければならないわけですけどね。

お嬢さん、娘さんが40代くらいで、長年の栄養不良から失明状態だという連絡であります。
それは中国に入られたときから、そちらを聞いておりますけども。
じゃ、日本で治療が出来るかどうか?
大体失明と言うのはいったんダメになると回復が難しいですね。
そうすると目が見えないとすれば、今後どうして行っていただくかですね。
まだ若いですから、目が見えなくても何とか生きていけるそういう準備をどうしたら良いかですね。
これもこれまで私ども経験した事の無い形であります。

そういうふうにしてから、今度は何とか自立してもらいたいという事を考えますので、高齢の方やご病気の方は生活保護を頂くしかありません。
地域へ行きまして市の方と相談をいたしまして、実はこういう人なんだという事でですね。
説得し切るしかないんですね。
ともかく出来るだけ自立を早くしてもらうから、その間しばらくだけでも生活保護で支えて欲しいという相談をする。
そんな事から始まっていきます。

で、仕事をしていただく。
これはもう、若い人・元気な人ならそれは必要であります。
ところがここで問題が生じますのは、例えば20代30代40代、まだ仕事が出来る年代であり健康な方であるとしても、北朝鮮でですね。
職業経験が余り無いのであります。
それをご理解いただきたいです。

なぜなら北の多くの職場は崩壊しております。
工場は原料もないし、エネルギーも無い、電気も来てませんから稼動していないところがほとんどなんです。
だから仕事をしていないんです。
それでも出勤するんですよ?
出勤しないと罰せられるんです、捕まったりするんですよ。
出勤して職務と関係の無い事をやるんですね。
ですから決められた時間、きちっと仕事をするとそういう習慣がないわけであります。

それと更にはですね。
仕事をしたら給料をもらえる、これは当前の事ですよね?
北にも給料はあるんです。
だけど北朝鮮の給料は生活できる金額ではありません。
極めてわずかです。
なぜなら向こうは配給によって食料は確保すると言う前提の制度ですね。 
そんな給料なんてホンのわずかですよ。
それも現在はほとんど支給されないとかいう現状が続いているわけですね。
仕事をしたら給料がもらえて、給料をもらったらそれで暮らせるんだと言う意識が無いわけです。
知らない、そういう事を。

そういう状況の中でね。
日本のように労働密度の厳しい職場にパッと入って、体力的に耐えて仕事が出来るか?といったら出来ないんです。
職場へ行っていろいろ失敗したりはじかれたり、当然しますね?
叱られます。
もの凄いショックを受けるんですね。
こんな事を言われたと、差別されていると、北朝鮮から来たから差別されるようになったと。
そうじゃないんです。
説明しなければなりません。
日本人だって失敗して職場で叱られたりしながら仕事を覚えていくんだと、それに耐えてもらわなきゃならない。
あなたが特別差別されているんじゃないんですよ、という事を理解してもらわなきゃならない。
そういう時期が必要なんですね。

・・・その2に続く・・・


posted by ぴろん at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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