
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
どうも、皆さんこんにちは。
今、司会の方からご案内のあったように私も被害者家族の一人として、八重子のこの最後の写真、これを最後にもう29年も顔を見ていないんですね。
もちろんこの子供が1歳だったとき連れて行かれたんですけども、その耕一郎はですね。
未だに母と呼べない、田口八重子さんって言ってるんですよ。
非常にそういう事を聞くと私も胸が詰まってしまうんですけども、これはもう仕方が無い事実で、抱かれた事もない叱られた事もない抱っこされた事もない、記憶のない人をね。
そうだそうだと言ってお母さんとは呼べないと、そういうことでは非常に気の毒なんですけども。
もう成人になりましたし一緒になってこの問題に対して取り組み、挑戦するんだと言う強い意思の元に今必死にやってますけども、非常にこれは悲劇ですね。
他の家族の方皆そうですけども、一番人生の大事なときに北に連れて行かれてしまったと。
これはもう取り返しのつかないことで帰って来てもですね。
日本にいたときのすべてが取り戻せるか?と。
いわゆるその、向こうに20何年いれば感化される部分も知らず知らずあると思いますし、そういった心のケアだとか、それから経済的な援助だとか、そういった生活を含めてですね。
これからも大変、先に苦労が待っていますという事なんですけども。
私たち、こういう境遇の人たちが集まった家族連絡会というのがありますが、これは全くその家族を拉致された本当にかわいそうな家族なんですね。
こんなに皆さんの前に出て、皆さんの理解を高め支援を頂き活動をしなきゃいけないのかと言う事にも考えとしてはなるんですけども。
先日安倍総理が決まりまして、組閣を始めてそれが決定して3日後にすぐですね。
私たち家族会・救う会の役員の人たちと会いたいと、今までなかった事柄が突然出て来まして私たちもびっくりしたんですけども。
そういう中で安倍さん、以前官房長官時代からこの拉致については物凄い強い態度で行動して参りましたし、それの続きと言っては何ですけども、総理になってからもそれは全然ぶれてないと。
ハッキリと日本人拉致問題は自分の責任において解決させるんだという意識が、ありありと見えてますね。
とにかく、総理になってもやる事が早いんです。
この対策本部を作ると言う事自体も前々から考えていて、自分が総理になったら即それを設置するという事で、我々に対して説明がありました。
対策本部長に総理大臣がなると言うのはかつてない事なんですね。
ですからそれだけにこの拉致の問題というのは、非常に日本の重要課題として、最も基本的な人権の問題として政府としては責任を持って取り組まなければいけないとそういう強い気持ちが、今回の表れだと言うふうに私は感じております。
対策本部の組織図を早速もらったんですけども、もちろん総理大臣が対策本部長。
それで官房長官は官房長官という役割の中に拉致問題対策をやれという、直結した指示を持っています。
それからこの下に事務局長というのがあるんですけど、これは総理大臣補佐官、いわゆる前の中山参与です。
この人は24時間拉致の問題専門に仕事をすると、24時間てちょっとオーバーですけども、専門にこの仕事をすると。
この事務局長の横と下にですね。
それぞれ幹事会と言うのがありまして、これは関係省庁全部の大臣ならびに局長クラスが入って幹事会を開いて拉致問題に対する取り組みも考えていくと言うそういう幹事会です。
今、これが出来る前は「拉致問題特命チーム」と言うふうになっていましたけども、それと同じなんですがもっともっと力をきちっと固めて行きたいと。
その下に更に分科会がある。
それから事務局長の下に次長といいますか、内閣副官房長官補が当たるということです。
それから更には今情報の問題がたくさん出ていますけども、情報担当次長として内閣情報官をここに当てる。
で、その下に今私たちがお世話になっています連絡調整室と言うのがあるわけですけど、多分ここが窓口になって我々とタイアップしながらいろんな情報交換なりあるいは報告なりをしていくと。
で、更にですね。
情報室というのがありまして、これは今まで情報が錯乱していてですね、何が正しいのか?どれが信憑性があるのか?と言うのが分からない。
要するに各省庁単独でやってますから、これを一本にまとめて警察庁も含めてですね、当然。
この本部として情報をハッキリと掴んでいくと。
もっともそれによってどう活動するか?どう動いていくかを決めたいという事ですね。
後は制作企画室と言うのがあって、例えば日本の政治の中にこの問題をどうやって組み込ませて、皆さんと協力しながら解決していくのか?と、言うような事でですね。
錚々たるメンバーなんですよ。
私初めてああいったテーブルに着きましたけども、総理大臣を初め塩崎官房長官、それから各担当の副大臣、それから外務省の面々、それと中山補佐官含めてですね。
この問題に対する直結したメンバーをずらりと並べて私たちと話が出来たんですけど。
ですから先ほど誰だか仰ったようにこの問題を片付けると言う形は、要するに組織は出来たと。
しかしながらその組織は今までに無いような最高レベルのね、組織だと言うふうに私は感動しました。
私もちょっと発言の中でいつも官邸に行くときは、不安な気持ちとか不信な気持ちとかでどうも冴えなかった状態で入って来たんですけど、今日は爽やかな気持ちでここへ来る事が出来ましたと、いうふうに言ったんですけども。
まずその面会の場と言うのは本当に今までに無い確たるものだという事で、私たちも自信を持ちました。
だとすると完全にやってくれる総理大臣以下、対策本部があれば私たちあんまり動かなくても良いんじゃないか?と。
すべて任せ切ってですね。
家で待っていれば良いのではないか?という話もありました。
半分冗談かもしれませんけども、それだけ期待できる組織である事は言えますね。
総理の方からは、いやそれはちょっとという事で、やっぱり皆さん救う会の人たちも含めて世の皆さんにこの問題を一緒になって戦って行こうという事を、出来ればアピールして頂きたいという話がありました。
その後ちょっと感動した場面がありまして、4年前の9・17の日。
5人の方が帰ってきてタラップから降りて、留守家族と抱き合ったシーンが未だに頭から離れない。
早く早紀江さんがめぐみちゃんを抱きしめて迎え出るという事を夢見ていると言うか、実現させたいと。
その時に私も初めて見たんですけども、声が詰まって涙を流したんですね。
総理大臣のああいう姿を見たのは初めてなんですけども、それだけに形も心もやる気満々と言う感じですかね。
もちろん発言もそうですけども気持ちもそうだと、言うふうに強く感動しました。
そういったことで皆さんに報告がてら、詳しい人員はですね。
後ほど発表があると思いますけども、とにかく今までに無い強力な組織でこの拉致問題を取り組んでいくんだという事で、ご報告をしたいと思います。
今日は国際連帯というテーマと聞いていますけど、皆さんにまだご報告はしなかったかと思うんですが、私も4月の25日から1週間、訪米しましてワシントンへ行きました。
その時皆さんすでにご存知のように、横田早紀江さんと一緒です。
行く前まではブッシュ大統領とまさか会えるとは思ってなかったんですね、もしかしたら、と言う程度で。
向こうへ行って日が経つにつれて、そういうブッシュさんと会えるという情報がちょろちょろちょろちょろ漏れてくるんですね。
実は私アメリカの国防総省、ペンタゴンて言いますけどそこのそのときにいたトップと、イングランド副長官と会いまして、家族会、その時参加された家族と話をしてですね。
こんな偉い人と普段会えて話も出来ないんですけど、非常に身近でですね。
目を見てしっかりと話を聞いてくれて、しかもこんな拉致なんて絶対に許せないと言う気持ちでですね。
対応をして頂きました。
この日ですね。
ペンタゴンにいるすべての高官をすべての行事を中止させて全部集まれと。
ですから太平洋総司令官とかね。
それからちょっと忘れましたけど肩書きが物凄い、ずらっとした人たちが座っていまして、私たちの話を熱心に聞いてくれました。
そういう場面とですね。
メインは横田早紀江さんがアメリカの下院でですね。
正式に公聴会という事でこの拉致問題を訴える、これが一つの大きな目的で行ってきました。
このときはまだブッシュさんに会えると決まっていませんでしたけど、この公聴会に訴える文書の内容をですね。
夜中の1時2時まで詰めて、ああいう場面ですからきっちりと時間内に終らなければいけないと、言う事も含めてですね。
何回も練習したり文を直したりしてやっていました。
それを当日ですね。
通訳、向こうの弁護士のスーザン・小森さんという人がいるんですけども、この弁護士さんが通訳して頂きまして本当に感動、私英語は良く分からないんですけど、単に直訳じゃなくてこれを早紀江さんの気持ちまでも通訳して言葉に表したと言う、そういう何か感動した場面がありましたし。
それだけに委員の人たちも非常に熱心に聞いていて、頷いていたという場面があります。
・・・その2に続く・・・