2006年11月04日

06.11.1 安明進氏 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(2)東京弁護士会館にて

『安明進氏のお話』

★川人弁護士

どうしましょうか?
この甲29号証について、お持ちで無い方も多いと思いますが、もうちょっと詳しく・・・・・

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

マスコミの方でお持ちでない方いますか?よろしいですか?
(証拠文書のコピーを会場に配る)

★川人弁護士

安さんの方で、日本語を急速にマスターされまして、今日は法廷ですので通訳で行われましたけど、場合によったら時々通訳で。
今日法廷で話をしていただいた内容をもう一度話していただくのも恐縮なんですが、一番初めて古川了子さんを1991年に北朝鮮で目撃したときの模様について今日詳しく証言をしてもらったんですけども、もう一度ここでその話をしていただきたいと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

Img_2400.jpg

ちょっと簡単にご説明しようと思って描いたのでお恥ずかしいんですが、1991年の7月ないし8月だったと思いますが、古川了子さんを見たところを簡単に説明しようと思って描いたものです。
1997年に本を書いたときには45日間頭を一生懸命していたもので、そこまでちょっと手が回りませんでした。
それとお姉さんにお会いして今日はそこらへんの記憶を、本に書いたものではなく自分の記憶を全部辿ってお話をするようにしました。

その了子さんと思われる人はですね。
自分も医者とか看護婦さんから日本人がいるという話は聞いていましたけど、直接会った人が了子さんであってしかもその時自分も非常に拙かったものですから了子さんであると自信を持って言えます。
この915病院は私以外にも拉致された日本人が入院するところだという話は出ていると思います。

私が聞いた看護婦ですね。
北朝鮮のこの915病院の看護婦が了子さんと思われる女性に嫉妬していなければ、つまり例えば化粧品をいじると怒るとかですね。
そういう事の情報がもっと少なかっただろうと思います。

写真を見たときにですね。
やはりこの人だろうというふうに思ったんですが、やはり一番決定的だったのは2002年の冬にお姉さんにお会いしたときですね。
顔の下半分の部分がともかくそっくりだったと。
それでもう間違いないと思ったということです。
その時はですね。
お姉さんがたくさん昔の写真を持ってきたと記憶をしていますけども、その写真よりもお姉さんの方が似ていたというふうに感じました。

今も古川了子さんは私が本を書いたり文章を書いたり、あるいはこうやって裁判に出ている事をご存知のはずだと思います。
日本政府が認定するかどうか分かりませんけど、私はやはり自分が見た人としてこの古川了子さんをですね。
全力を尽くしたいというふうに思います。

Img_2404.jpg

ここに書いてあるのは915病院です。
外部には病院だと言っていますが、連絡所として知られています。
この二つは学生が入院する学生病棟です。(図面左端の四角い建物を指差す)
ここは古川了子さんが入院した病棟です。(図面右側の四角い建物を指差す)
日本で出た本で、衛星写真でこの病院について上からハッキリと写っているのがあります。
その写真でもこの二つの病棟とそれから古川さんがいた病棟、そして本部の病棟、総合病棟のようなですね。
それが全部写っています。

元々外出はしてはいけない事になっているんですが、そこを外出しようとしたときに古川了子さんに見られてしまったので非常に緊張した状態で。
もし古川さんが完全な工作員教育を受けた工作員であれば帽子を被ってそして顔を隠していたわけですが、それをしていなかったから顔を覚えていたという事で、大変幸運だったと思います。

自分が夕食が終ってから、ここは鉄条網になっているわけですがここを乗り越えて出て行こうとしてですね。
この、なんていうか、獣道みたいなところですか?
そこを行ったときに古川了子さんが後ろから見えたので、古川了子さんはこっちへ(=古川さんのいた病棟の方角)行ったわけですけども、その後をついていったわけです。

もし戻って非常ベルみたいのを押してですね。
そして鉄条網の方から逃げていこうとしたという話になれば、これは自分自身が危険な状態になりますので、そして追いかけていって、ちょっとちょっとと言う形で声を掛けて止めたわけです。
自分がそこで古川さんと向き合って「私は学生で、報告しないでくれ」というふうにお願いをしました。
その時の印象はですね。
顔が非常に青白くてやっぱり患者だという印象を受けました。
翌日看護婦さんに聞いたらば胃が悪くて長い間入院しているという事を言っていました。

そこでもししゃべれらたらどうか?と思ったんですけど、結局結果的には自分自身を守ってくれたという事でですね。
言わないでくれたおかげで自分が助かったという、ありがたいという気持ちもあります。
それよりも一番大事な事は日本人拉致被害者を助けるために努力をする事が、人間としての道理であるというふうに私は思っています。
可能な限り日本人拉致被害者を救出しようという事で自分なりに努力をしてまいります。


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