2005年04月09日

人権擁護法案を考える緊急集会(8)05.4.4 日比谷公会堂にて

※司会(男性)
それでは次に長谷川三千子先生にお話をいただきます。
長谷川先生、袖でずっとですね。
椅子に座ってくださいと言ったんですが立って皆様に話したいと、ずっと立って袖の方で待たれておりました。
人権擁護を政策化するときに根本的に考えなければならない問題点を、長谷川三千子埼玉大学教授に「自由・差別・人権ってなんだろう?」と題してお話していただこうと存じます。
長谷川先生よろしくお願いします。(拍手)

『長谷川三千子 埼玉大学教授のお話』
 
本日は本当にありがとうございます。
実は私、今日は「アジれ!」というふうに言われております。(笑い声)
いろいろただアジろうと思っていたんですけども。
もう本当にすごい盛り上がりで議員の先生方次々アジって下さいました。(笑い声)
私正直今年の正月までは、もう本当に自民党にも国会にも全部に嫌気がさしておりました。
国会議員の方たちは当選することが全てと思ってらっしゃるんだから、ちょっと口当たりのいい言葉なんかにあえて反論するなんてそんな方は、まぁいらっしゃらないだろうと正直絶望しておりました。

それが本当にこの一ヶ月ばかり、あ、やっぱり国会議員の先生方と言うのはやっぱりすごいんだという気がしてまいりました。
もう今度、選挙あったときに棄権せずにちゃんと投票しようと思っております。
そういう意味で今日はアジる代わりに私盛り下げようと思っております。
この人権擁護法案と言うもの、これに対する疑念疑惑と言うものをお持ちの方が今日お集まりであると思います。
なんとなく胡散臭いぞ?と言うそういう感じは皆さん持ってらっしゃると思います。
今日の先生方のお話でもそれはだんだん明らかになってまいりました。

ところがこの戦いと言うのは決して簡単なものではない、と私は思っております。
今も西村先生のメッセージにもありましたように人がNOと言えない言葉を出してしまう。
そうすると誰も何も言えなくなってしまう。
この人権擁護法案と言うのは、一種のそういう禁じ手をそのまま使っている法案だという。
そういうことをずばりとおっしゃってました。
私その通りだと思います。

先ほども古川先生仰ってました。
「いったい人権って本当になんだろう?」とか。
「日本中でこれ、何人の人がきちんと説明してくれるんだろう?」
そういうことを言ってらっしゃいました。
私日本中を探してもあるいは正直な話、世界中を探しても「人権とは何か?」ということをきちんと定義できる人は一人もいないと思います。

そもそも実は「人権」と言う言葉が、誰もきちんと定義できない元々曖昧な観念なんです。
今日は本当にここにいらっしゃる皆さん一人一人が起爆剤になって、そして日本中に啓蒙そしてキャンペーンを広げてくださる。
そういう方々がお集まりだと思うんですが。
そのための一番大事なことは、これは左翼のいう言葉なんですが理論武装だと思います。
ただ、理論武装というと難しい話をごちゃごちゃごちゃごちゃしなくちゃならないのか?とうんざりする方もおありだと思うんですが。
実は非常に単純なことなんです。

この「人権」と言う言葉のトリックは200年くらい世界中を覆い尽くしております。
実はこの人権擁護法案の出発点も国連にある。
国連の人間たちもこれの「人権」と言う言葉の意味を深く理解しないまんま、ただのまじない言葉として世界中に広げようとしてる。
これを今日本で我々が阻止 しなければならない。
そういう立場に我々は立たされる。
じゃいったいどうやって、この世界中に広まったまじない言葉の「人権」と言う言葉のマジックを解くことが出来るか?
非常に簡単なことなんです。

我々普通に「権利」と言う言葉を日常の事務的な場面で使いますよね?
例えば、いきなり皆さんの家の庭に誰か入ってきてテントを張って、「ここに住むのは自分の権利だ」と言い張ったとしたら、これは皆さんびっくりすると同時に腹を立てて。
「お前さん、じゃあ本当にこの土地の権利書はあるのか?」
「借地料は払っているのか?」
「固定資産税は払っているのか?」
と問い詰めることができますね?

「権利」と「人権」と言う言葉の違いは実はそこにあるんです。
「権利」と言う言葉を胸を張って言えるためには、まずそれに先立って自分が何かきちんとその権利を得るための義務を果たしている必要がある。
借地料を払うなり、権利書持ってきちんと権利を結ぶなり。
何か予めの根拠があり枠組みがあって初めて「権利」というものは守られる。

あるいはもう少し漠然とした例でいいますと、例えば昔の日本にも世界各地にも良くあったように。
あそこの土地の草は誰が行って馬に食べさせてもいいという、そういう土地があります。
そこで馬に草を食べさせるということはその土地に住む長年の「権利」として認められる。
つまり長年の皆が認める慣習という、そういう根拠があってある特定の「権利」が認められる。
大体イギリスの憲法なんていうのはそういう形で出発している。
普通の「権利」と言う言葉は何か予め万人に認められているきちんとした枠組みがあって、その中でこれこれの事が認められる。
というふうに定まっている。
それが「権利」と言う言葉の元来の姿です。

ところが「人権」と言う言葉はこれが全く引っくり返ってしまって。
誰でも何かを「これが人間としての権利だ!」と言ったらそのまんま通ってしまう。
これが実は近代の「人権」と言う言葉のマジックなんですね。
どうしてそんなマジックが起こったのか?
実はちょっとその舞台裏をご紹介します。

皆様も「天賦人権説」と言うような言葉をお聞きになったことがあるかと思います。
例えば一番有名なのは独立宣言の最初に
「創造主は人々を平等に作り、我々に奪いがたい権利を付与した。
生命・自由・幸福の追求がそれである」
あれが典型的な天賦人権説ですね。
実はこれはオーソドックスな権利の形をそのまま踏まえている。
つまり神様が人間に下さった。
というからには当然その権利を享受するためには人間として神様の命令を聞かなくちゃいけないわけです。

例えばフランス革命の時に有名な人権宣言というのが作られますけれども。
人権宣言を作るときにですね、実はその前に聖書の十戒を入れなければいけないんじゃないか?と言う議論があったんです。
ところがその非常にもっともな議論はあの革命のワヤワヤの中で葬られてしまって。
今皆さんがご覧になるとおりの「予め神様にきちんと従わなくてはいけませんよ」と言うような義務は一切なしで、いきなり「人間には奪いがたい権利がある」と言う話になってしまう。

実はこの世界中で認められている「人権」と言う考え方の出発点は、こういう天賦人権説の天賦の方だけこっそり隠してしまって。
もう神様のことは忘れよう。
まぁまぁもう神は死んだんだし、神様から貰った権利の方だけ我々振りかざしてそして
「人間には生まれながらの権利がある」
「だからこれを尊重せよ!」
と言って王様に突きつけて我々の革命を成功させよう、と言うそういうプロパガンダの道具になってしまう。
これが「人権」なんです。

ですから誰にも「人権」というのは正確なところどういう輪郭を持っているのか?という事をきちんと描くことができないんです。
ですからこれをお互いがぶつけ合い始めたらとんでもない事になる。
丁度今いろんなお話があったとおりです。
例えば自分は住まいを持つことは基本的人権だから、「これがお前さんの土地であろうが何であろうが私はそこに住む」と言う。
これも「人権」と言う言葉を使ったら通用する話になってしまう。
そういうとんでもない概念が「人権」と言う概念です。

こんなふうに申し上げると例えば戦後生まれて小学校・中学校で教育を受けた方は、え〜っ?と思うと思います。
例えば小学校のうちから憲法の三大原理、基本的人権・平和主義・国民主権そんなのこう一生懸命を暗記させられて覚えさせられた。
そういう方がたくさんいらっしゃると思います。
この三大原理のひとつがそんなインチキだったの?と。
私も時々いろんなところでこういう話をすると、もう天からそんな話絶対信用できないという方が一杯いらっしゃいます。

とんでもない「人権」と言う言葉も先ほど城内先生も「これはある意味で抗がん剤の超大量投与みたいなものだ」と言うお話がありましたけれども。
例えば基本的人権という言葉がある意味役に立つ国が世界中を見渡すと確かにあるわけです。
例えば我々のすぐお隣の北朝鮮と言う国。
ああいう国の現状を駄目じゃないか?と批判する時に一番役に立つのはある意味でこの基本的人権と言う言葉かと思います。(拍手)

本当に国民の一人一人の生命・自由・幸福の追求、それが政府自身によって虐げられている。
そういう国は世界の中に確かにあるわけです。
ところが一応基本的人権が満たされている国で、野放図に自分が「これが人権だ!」といったらそれが通用してしまう。
そしてその叫びをありがたいことに人権委員会と人権擁護委員とがよってたかって支えてくれる。
こういうことをしたら、もう社会・政府全部がたがたになってしまう。
これが「人権」と言う概念なんです。

じゃあ我々としたら一体どうしたらいいのか?と言う事が問題になります。
で実は我々の日本国憲法に歌われている基本的人権というこの条項。
それはある意味でそういうアナーキーを防ぐためのキリキリの防波堤と言っても良い。
そういう文言だというふうに言ってもいいかと思います。

今ちょっと日本国憲法のプリントを持ってまいりました。
例えばここに「第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」とあります。
じゃぁ基本的人権とは何なのか?
第13条のこう定められています。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
これが「人権」と言う、ちょっと手綱を緩めたら大変な暴走をしてしまうアナーキーな概念をキリキリ手綱を締めている。
その防波堤であると言っていいと思います。

誰でも自分自身の生命と言うものはとても大切なものです。
この生命が脅かされるということ、これが人間一人一人にとって一番耐え難い辛いことです。
そして同時に自分の人身の自由、これが故なく妨げられる。
突然拉致されて船の底に閉じ込められて、自分が見たこともない国に連れ去られる。
それは生命を奪われるのと同じくらい辛いことです。
そういうことが無いように、それが国政の基本である。
立法であれ何であれそれを防ぐために全力を挙げなくてはならない。
国の基本を憲法の文言でしっかりと定めていく。
これが基本なんですね。

ところがこの驚いたことに、この人権擁護法案には基本的人権の第13条「生命・自由・幸福の追求」
この言葉が一言も出てこないんです。
で、いきなり出てくるのが「差別の助長」なんです。
差別、へぇ〜っ?13条に差別のさの字も無いよ?という。
これが何で出てくるのか?というと、実は第14条にこういうその基本的人権というものは日本国民全部に平等に与えられなくてはいけない。

さっきお話に出てきたように人権と言うものは、片一方を擁護しすぎると必ず誰かの人権侵害になる。
こういうバランスの難しいものです。
ですからこれを全ての人間に平等に、できる限り平等に行き渡らせなければいけない。
これが第14条に語られている
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
この文言なわけです。

言ってみれば基本的人権についての但し書き、それが差別してはならないと言うことなんですね。
それがなぜ一人歩きして。
もう皆さんの中にも人権運動といったら、「あぁ何か差別と戦っている人ね?」というそういうイメージが出来上がっているかと思います。
人権と言うこの言葉をもう一度憲法の下に取り戻さなくてはいけない、というのが現状だと思います。

こういう一番基本のところをそのままにしておいて、城内先生と古川先生からご報告があったように法務省は本当に小手先のいろんな修正を持ち出しております。
でもこの基本、つまり人権ていうのは基本的人権「生命・自由・幸福の追求」それをこの順番で守っていく。
それを外したらいけないじゃないか?というこの基本を、もし法務省が無視したまんまこの法案を出し続けるとしたら、これは本当にもう日本の司法全体の自殺と言うべきものだと思います。(拍手)

一人一人が同志となってこの法案の阻止に向かって頑張っていただきたいと思っております。(拍手)
どうもありがとうございます。(拍手)

※司会(男性)
長谷川先生、ありがとうございました。
この記事へのコメント
これは私のようにボーっと暮らしている人間にとってものすごく啓発的な内容です。

感想をまとめるのが難しいのですが、一つだけ書きますと、人権とはpH値のようなものだということがよくわかりました。

(私は上海に住んでいるのですが、seesaaのブログは特にアクセスが難しい状態です。7,8回アクセスを試みてようやくつながりました。しつこくトライしてよかったと感激です。ありがとうございます。そしてお疲れ様です。)
Posted by wowow at 2005年04月10日 00:18
ぴろんさん、はじめまして。TBさせていただきました。
4月4日の集会のテキスト、興味深く拝見しております。集会に参加できなかったものにとっては本当にありがたいテキストです。
長谷川先生の講義についてのテキストも拝見しまして、それについて私のブログでも記事を書きました。
その際、本エントリーのリンクを貼らせていただいております。
もしご都合が悪ければ削除しますのでご連絡ください。
Posted by トントロ at 2005年04月10日 04:28
トントロ様

ようこそおいでくださいました。
長谷川先生のお話は分かりやすくてためになるものでした。
このお話を聞けただけでも集会に参加した甲斐はあったかと。
リンクの件は異存ありません。
少しでも多くの方にお読みいただきたいと思っていますので、むしろ大歓迎です。
どうもありがとうございます
Posted by ぴろん at 2005年04月11日 00:35
はじめまして。
どうしても当ブロクで取り上げたかったので、長谷川先生の講演内容の一部をお借りしました。
Posted by kingsnake at 2005年04月27日 01:32
kingsnakeさま
ようこそ当Blogへ
集会テキスト、どうぞご自由にご利用ください。
世論喚起の一助として全文起こしました。
この人権法、知れば知るほど胡散臭すぎます。
日本の未来に禍根を残さないためにも、多いに国民的議論を盛り上げて貰いたいものだと思っております。
Posted by ぴろん at 2005年04月27日 16:15
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック

長谷川教授の講演を読ませていただきました
Excerpt: 前回のエントリーで集会に参加できなかったことを残念に思ってたら、なんと奇特なことにテキスト起こしをされてる方がおられました!こちら。「話の花束」というブログです。管理人さん、どうもありがとうございます..
Weblog: 読んで書いて考えて─トントロ日記
Tracked: 2005-04-10 04:27

人権の定義とは?
Excerpt: 4月4日に日比谷公会堂で行われた「人権擁護法案 緊急国民集会」に参加した時、私の中で一番印象に残ったのがこの講演でした。どなたか講演内容のテキスト起こしていないかと思ったら、「話の花束」さんがこの日の..
Weblog: WatchDogTower
Tracked: 2005-04-27 01:20
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。