2005年04月15日

増元るみ子さんを救うぞ!東京集会(4)04.12.9 友愛会館にて

『木村宏次郎さんのお話 (るみ子さんの同級生)』

Img_7604.jpg

こんばんは、皆さん。
今日はお急がしい中をありがとうございます。
今日は裏方としてきたつもりなんですが、代表でみどりさんがですね。
お話しするちゅう事で安心したんですが、急にしゃべってくれと言う事で(笑い声)飛び飛びになりますけども、宜しくお願いします。(拍手)

そもそも増元家の方とはですね、お父さんを先に知っててですね。
まず鹿児島市内の国道沿いの八百屋さんにですね。
営林署に勤めてらっしゃったもんですから、賄いの野菜を買いに行くとかですね。
そしてまぁ、電車道を挟んで向かい側が私の家でしてね。
それが、その威勢の良い親父さんでですね。
まぁ家族が怖がっていたと言うかそのくらい、一瞬私は「どこかのやくざかな?」と(笑い声)思ってですね。
自分では側に付きたくない位。
だけど歩道を通る方々へ皆さん笑顔で挨拶してるから、「この人は絶対やくざでは無いな」と思って見てたんですけど。

それで北朝鮮に拉致されて、吹上浜の報道のなされてですね。
「あら?この親父は、るみ子さんの親父さんやったとか?」と言うくらいびっくりしてですね。
何かしないといかんなぁ、ちゅう事でですね。
当初は北朝鮮に拉致されたと言うのが分かんなかったもんですから。
るみ子さんがああして駆け落ちするような女性では無いんです。
とっても優しいですね。
皆に好かれる女性です。

その後、ちょいちょい同窓会を私なんかを良くしてたもんですから、もっと早く力になれたら良かったんですけども。
ここ5〜6年ですかね。
募金も少し、1万2万と皆から集めてですね。
初めて実家の方へ持っていったら、ものすごくお父さんが喜ばれてですね。
「やっと清水中のクラスの同級生が動き出してくれやった」と言ってですね、喜んでくださいましてですね。
同窓会をやるたび、募金を持っていきまして「活動に使ってください」と、そのように動いてまして。

それといなくなる前、病院にですね。
また同窓会があったもんだから、実家の方にお電話したらなかなか電話出ないもんですから。
夜遅く電話したらお母様がでてらして 「ちょっと、他の人には入院している事黙っていてくれ」と言うんで。
私は「クラスメートだけは見舞いに行ってもいいでしょうか?」ちゅう事で許可を貰ってですね。

入院して10日目くらいだったですかね。
女性3人男性2人でですね、病院に行きまして。
「多分、検査入院だろうな?」と思いきやったんですね。
個室を借りてらっしゃって、ベッドに横たわってステテコ一枚でお昼寝してらっしゃって、お母様はソファで寝てらっしゃって。
「こうしてまた募金が集まったから、家族の為に使ってください」と持って行きました。

最後までちょっと悲しいと言うか。
るみ子さんのお母さんと言う人はですね、本当こう、あんまし表情をですね。
あんまり笑ったりとかなさらない方なんですけども、最初は機嫌が悪そうな顔してらっしゃってですね。
最後にですね、お父様にお母様が「ほら、るみ子が3人来たよ」とですね、励ますんですね。
そしてお母様が3人に向って「ありがとうね」というてですね、泣かれましてですね。
とっても、その時私辛かったです。
それからすぐ、悪くなられてですね。
まさか?って言うくらい・・・危ない・・・すぐ亡くなってしまわれて。

るみ子さんとはクラスが一緒で、みどりさんともクラスが一緒で、クラスメートであったもんですから。
私の横にるみ子さんがいらっしゃっいましてですね。
常にこう、でしゃばりでもない、勉強も出来てらっしゃっいましたからね。
私なんか後ろから数えた方が早かったんですけども、勉強も良くしてらっしゃった。
卓球をですね、頑張ってらっしゃって。

照明君がサッカーが好きで、私がサッカー部にいたもんですから「いつも邪魔しに来る」と言ってですね、るみ子さんに言っとったんですね。
「邪魔しに来て迷惑だ」と冗談ぽく言ってたんですね。
私が可愛がっていた照明君なもんだから、「宜しくお願いします」て言うような事でですね。
たまに給食を貰ったりですね。(笑い声)
今思えば「照明君を宜しく」ということだったんじゃないかな?と思ってですね。
餌で釣られたかな?と。(笑い声)
るみ子さんとはわりに仲良くしてました。

私たちは今回、当初中学の3年6組の救う会を作りまして。
その後、今度は去年中学校同級生がですね、35年ぶりの同窓会をしましてですね。
全国から100人くらい集まって。
その時私が実行委員長をしまして、私としては、るみ子さんの事がまた忘れつつあるんじゃないかな?始まる前に皆にお断りしてですね。
今日は始まる前に増元るみ子さんの講演をしていただくということでお姉さん・照明君をお呼びしてですね。
皆に協力して欲しいとお願いしまして。

それからだんだんと鹿児島の方も盛り上がってきまして。
今年の10月はですね、小学校・中学校・高校の市川修一さんも一緒にですね。
うちの学校も、一本化の救う会を作ろうちゅう事で。
そもそも私たち清水中がですね、ものすごく人数が多いもんですからね。
修一さんの所は地方になるもんですから、人が皆さん就職して地元に残ってらっしゃらないんですよね。
それでいっつも私たちがメインでいろいろ活動してまして、まぁ、一緒には活動してましたけど。

一緒に拉致されているのに同じあれを作ってあげなきゃいかんなぁ、ちゅうことで、私が高校の方とか、修一さんの方にも話をしてですね。
なるべく一本化にして、家族と一心同体となってですね。
なかなか問題が解決しないもんですから、一本化にして活動するちゅう事が決まりまして。
その時は、市川さんご夫婦が喜ばれてですね。
自分たちは人数が少ないから、こちらは活動してくれる人が少ないと。
だけど「皆で一心同体にやってくれれば本当に嬉しいと」発会式でおっしゃってくださって。
これからも一生懸命頑張っていきますけども。
まだしばらくは続くと思いますけど、未帰還者を奪還するまで、宜しくお願いします。


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