2005年04月18日

寺越家を救うぞ!東京集会(3)05.1.14 友愛会館にて

『大口英夫 救う会石川事務局長のお話』

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皆様こんばんは。(「こんばんは」の声)
救う会石川の事務局長の大口と申します。
お時間もありますので、簡単に少しお話をさせていただきたいと思います。
救う会石川は2年前に設立しました。
ただ、私の方は今から8年前ですね。
救う会石川の設立の6年前から、実は寺越友枝さんと一緒にこの問題取り組んでまいりました。

寺越事件を語るときは大変ややこしいんです。
寺越さんと言う人、何人も出て来てて。(笑い声)
しかも寺越昭二さんの息子さん、長男・寺越昭男さん、御次男・北野政男さん、養子に行かれて。
三男さんの内田美津夫さんも養子に行かれてお名前が違うと。
拉致被害者の方も3人いらっしゃって、しかもお子さんとか、寺越友枝さんもいると大変ややこしいお話になるんですけども。

ただ事件としたらこんなに簡単でおかしな事件は無いんです。
それで2年前救う会石川が出来ました。
救う会石川が寺越さんたちとやってきた事、ひとつは石川県警に告訴をいたしました。
告訴・告発。
これは北朝鮮から亡命された安明進さんの証言を基にしまして作成しました。

まずひとつは寺越昭二さん。
これは「1968年3月30日北朝鮮で死亡」と言ってるのは、これは社会党の当時の代議士の島崎譲さんと言う人がごまかす為に作ったわけです。
安さんのお話によれば、昭和38年5月12日に事故に遭った時。
この時に寺越昭二さんは、寺越武志さんをかばって撃たれて海に捨てられた、という証言があります。
私たちこれを信じております。

そしてその撃った張本人の者の名前もオ・グホといいますが。
安さんの証言によってオ・グホという名前も分かっております。
この人を告訴いたしました。
合わせて外雄さんと武志さん、拉致と言うことで告発もいたしております。
これが私たちが救う会石川が出来てからやったことのひとつ。

もうひとつは先ほどのお話からあります。
昭二さん殺してはおらんと。
海難事故に遭ってるところを私たちが助けて、北朝鮮に住んでいて昭二さんは病気で亡くなったんだと。
その証拠に墓もあると。
生年月日違ってますけど、墓もあると。
しかも遺骨もある、って言ったんですね。
それであるなら遺骨を返せるものなら返してみろ、と。
出せるものなら出して見ろと、これを今一生懸命やっておるんです。

外務省にも言ってまいりました。
そして赤十字にも言っております。
そして斎木審議官の方が北朝鮮に再三言っております。
遺骨どうなった?遺骨どうなった?と。
その都度北朝鮮はごまかしていると言うのが現状です。
この2年間は告訴とそして遺骨の返還を強く求めております。

そしてもうひとつは拉致被害者認定してくれと、言っております。
誰がどう見ても聞いても拉致であります。
しかし日本の法律では拉致された寺越武志さん、またはそのご家族・寺越友枝さんが「息子が拉致された」と言わない限りは拉致とは認められませんというのが、今の日本の法律だそうです。
それで私平沢勝栄代議士にも食って掛かったんですけど、平沢さんは
「いやこれはそうなんだ、これは正しいんだ、そうじゃなかったら裁判勝てないんだ」
と、訳の分からんことを言ってますけども。

戦争状態みたいなものですよね?
日本のこんな法律はおかしいわけで。
だけどそれに基づいて拉致だと認められませんというのは私は大変おかしいと思います。
裸の王様の話みたいなもので、皆拉致だと思ってるのに拉致だと言えないと。
それが今の現状で、私たちは拉致被害者認定を強く求めてまいりました。

さてこの2年間、救う会石川が出来てから2年間のお話は以上なんですけど。
私8年前から寺腰友枝さんと一緒におりました。
当時寺越友枝さん、昭和38年拉致されて。
それから死んだものだと思ってたら、昭和62年に手紙が届いたんですね。
外雄さんから手紙届いたんです。
「私たち生きてます」と、「私と武志が生きてます」と届いたんです。

そして誰も話を聞いてくれないから、社会党の島崎譲代議士のところへ行って。
そしたら社会党の島崎譲代議士はご自身で書かれた本が2冊ございます。
「再会」という本と「再会2」と言う本がございます。
そこに「寺越さんたちは拉致ではなくて海難事故で助けていただいたんだ」と。
言うことでごまかして。
その時寺越友枝さんは、「息子が事故で死んだことになってるけど戸籍を回復してくれ」と言ったら「大変難しいから出来ません」とごまかしたんですね。
そしてそれからほったらかし。

それで8年前に当時の救う会の拉致問題を一生懸命やっていた荒木和博さん。
救う会の前の事務局長さんで、今調査会の代表であります荒木和博さんが私の方に電話して来まして。
「実はこういった人が居ると、寺越友枝さんと言う人がいるから私は石川県まで会いに行きます」とご連絡があったもんで、「私も何かお手伝いさせてください」と引っ付いていきました。
そして「寺越武志さんが生きてるにも関わらず戸籍が回復されないというのはこれは大変なことだ」と、荒木さんが言われて。
寺越友枝さんと私が活動をし始めたわけです。
戸籍は見事回復されました。

それまでは寺越友枝さん、「武志さんは拉致だぁ」と言ってたんです。
戸籍回復がされた時から、色々な力が動きました。
先ほどの森代議士のお話しもあります。
朝鮮総連も接触持って来ております。
要は寺越武志さん、それから急に偉くなったんですね、向こうで。
労働委員会の副委員長になったんです、急に。

簡単に言いますと寺越武志さん良い生活させてやる。
身の保証もさしてやる。
友枝さんあんたいつでも(北朝鮮に)来させてやる。
だから拉致だと言うな、と。
北朝鮮と朝鮮総連と、森代議士はじめ自民党の何人もの代議士もやり始めたんですね。
そこで友枝さんがコロッとここで考えが変わったんです。
それまでは「拉致だぁ〜」と騒いでいたのがコロッと変わったんです。
で「拉致じゃない」と言い始めたんですね。

ですけども地村さんや蓮池さんたちが戻って来たとき。
武志さんが初めて帰国して帰った直後ですね。
やっぱり「うちの息子も拉致だ」とまた言ったんです。
平成14年にも一回言ってるんですね、また。
そしたらまぁまた向こうの国がまた慌てたんでしょう。
または自民党の先生方慌てたのかもしれません。
一回言ったけれども、またひっくり返して「やっぱり拉致じゃない」と言うんですね。
それが今の現状です。

石川県では寺越武志さんのお母さんの友枝さんは「拉致ではない」と言っております。
そして昭二さんの息子さんたち3名は「拉致だ」と。
そして救う会・私たちも「拉致だ」と言っております。
そういうちょっと特別な事情があるのが石川県です。

しかし誰が見ても聞いても拉致です。
その証拠はたくさんあります。
その島崎代議士が当時書かれた「再会」でも一杯矛盾した事がございます。
武志さんが書かれました「人情の海」という、北朝鮮で書いた本。
これにも一杯矛盾したところがあります。
お墓の生年月日も矛盾しております。
向こうが拉致ではないという証拠があるならたった一つ、遺骨の問題だけです。
返せるもんなら返して見ろと、言っておりますが。

大変分かりやすいようで、ちょっといろんなたくさんの人が絡んでおりますので分かり難い面もありますが。
しかし私は救う会石川としても、寺越さんの問題、これを拉致だと言わずしてごまかすわけにはいきません。
拉致だと一番分かりやすい、また向こうで生存しとるんですから、武志さん。
この問題を日本政府が拉致だとしたときに、きっと拉致被害者皆さんの事件がぐっと加速度をつけて進んでいくんじゃないか?と思っております。
こういったことで私たちも力足らずではありますけれども、石川県の方で少し頑張っております。
また全国の皆さんに応援していただきたいと思います。
ありがとうございます。(拍手)


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