「反省とおわび」の歴史認識、首相演説で表明
あ〜ぁ、これで日本の自虐史観は逆戻りです。
中国が墓穴掘ってくれた今、日本の自虐史観をひっくり返す絶好のチャンスだったのにね。
以下私の素朴な疑問の呟き・・・
今の時代になって、侵略が悪いの植民地支配が悪いのと言ったってね。
あの当時はそれが良しとされた世界情勢だったんですよ。
日本だけじゃなく、ヨーロッパ列強も競ってアジア・アフリカを「植民地支配」してました。
それが何か問題なのでしょうか?
あの時代良しとされたことを今の時代の感覚で断罪するのは、ピントずれしてませんかね?
何かといえば日本ばっかり「謝罪と反省」を求められるけど、それは「敗戦国・日本」だけが背負わねばならない宿業なのですか?
今の時代でこそ「植民地支配は良くない」とか「民族自立」だとかという価値観が世界の共通認識になってます。
だからこそ、日本は過去の歴史に学んで戦後60年、どこの国も侵略してないし武力による威嚇もしてない。
日本ほどあの戦争から真摯に学んだ国は他に無い、と思うのですがね?
中国や韓国の人たちも、それから私たち日本人も何かといえばすぐ「戦争責任」と言う言葉を使いたがりますが、そもそも戦争責任ってなんなのでしょう?
戦争を始めたことが責任なのか?
人を殺したり領土を侵略したりするのが責任なのか?
喧嘩は両成敗、ってことにはならないのですか?
国を守るため、家族を守るため。
命を懸けて戦ったのは戦勝国も敗戦国も同じはず。
なのに敗戦国ばかり、責任を問われるのはどうしてなのでしょう?
戦勝国の責任。
例えばアメリカの東京大空襲とか原爆投下とかの責任はなぜ問われないのでしょう?
ソ連のシベリア抑留も多いに問題があると思うけど、日本は敗戦国だから文句のひとつも付けてはいけないのでしょうか?
勝てば官軍。
盗人にも三分の理。
歴史は勝者の都合の良い様に作られる。
だけど敗戦国・日本にだって戦争の意義について、主張するべき正義はあるはず。
そのことを頭の隅において、日本の近代史、特に戦争の意義と責任問題を考えるべきと私は思うのですが、どうでしょう?
テキストアップの前にちょっと業務連絡です。
リンクに2件追加をしました。
ひとつは北朝鮮拉致問題関連に「KONAboration-SSQ」様。
特定失踪者高野清文さんの妹、高野美幸さんのBlogです。
被害者家族の生の声を聞ける貴重な場です。
どうか訪ねてみてくださいませ。
もう一件はお勧めリンクに「人生とんぼ返り」を追加しました。
こちらはトンボがえりベイビーさんのBlog。
私なんぞのぼんやりした論陣とは違って、拉致問題など切れ味鋭く迫っていらっしゃいます。
こちらもぜひご訪問を。
ブログ訪問ありがとうございました!
いつも集会のレポ、読んでいます。人権擁護法案の集会の大衆の反応に寒気を感じたりしてました。
さて本題。
フランスが、イギリスが、アフリカなどに対して「ごめんね植民地支配して」って言ってたか?って話ですよね?
同じ敗戦国といっても、ドイツも謝っていません。
ドイツは植民地を殆ど持ちませんでしたが代わりにまわりに陣地を広げていったので、賠償をしています(でも謝罪はしていません。ホロコースト式典ではひざまづいたりしてますけど、「謝罪」はしてません)。
私は海外に住んでいたのですが(某クラインと同じ国♪)その経験と旅行の経験において、どんなひどいことをされても「謝罪」をされたことがありません。つまり、謝罪をすることは「過ちを認める」ことになるので、やつらにとっては「死んでもしてはならない」ことなのです。
それを、なぜか繰り返している日本。
世界にはさぞ滑稽に映るだろうと思うと、外務省はなんでそんな(わたしにすらわかることが)わからないのだろうと腹が立って仕方ありません。
近代の戦争において、負けたら賠償を払うのがルール。日本は「サンフランシスコ講和条約」において、賠償を払うことを約束(賠償を放棄してくれた国もある)し、すでにその賠償は終わっています。その他に、朝鮮人に対して個人的な賠償をもしています。
さらに朝鮮人に対して有利な条件で永住許可をしていることはご承知のとおりです。
ここまでやっても「賠償をしてない」というのがあの半島と大国。むしろその要求に対して抗議してもいいんじゃないかと思うくらいです。
アメリカの「国際法違反」については、わたしのブログの「東京大空襲」という記事でも触れました。
こちらにもTB致しますね。ご一読ください。
今後ともよろしくお願いいたします。
ようこそいらっしゃいました。
欧米列強がアジア・アフリカを植民地にしてた時代。
あの時代はあれが良しとされていたんです。
列強各国もあの当時悪いことをしてました、なんて感覚は全く持ち合わせてなかったはず。
当時当たり前とされていた行為について、いくら時代が変わったとはいえ、今更謝罪の必要など感じる必要性は無いでしょう。
ヨーロッパ各国が過去の植民地支配について謝罪しないのは、そういう理由もあるんじゃないか?と思います。
それは日本にも当てはまると思うんですよ。
あの時代はあれが世界の常識だった。
しかも日本の植民地政策(と言う言葉にも語弊はあるが。特に朝鮮半島の場合は本来併合と呼ぶべきだろうし)は欧米列強のそれと比べてもはるかに民主的だったと思う。
そこのところを感謝しろとまでは言わないけれどね。
あれは歴史の必然だった、と冷静に受け止めることは出来ないんですかね?
そして今現在は日本の統治から開放されて、自主独立を維持してるのでしょう?
これ以上何が不満なのか?
一個人が個人的に反日思想を持つのは止められないけど、国家が国策として反日を標榜し、何かといえば日本たたきをするのは欺瞞以外の何物でもないですよ。
特に中韓両国にはそう言いたい。
民族の誇りを傷つけられた・・・いくら日本の統治が民主的なものだったとしても、そういう論陣はあるかもしれない。
でもそれを言うならば、日本を恨む前に、弱肉強食の時代に国の独立を維持できなかった不甲斐ない己の先祖をまず恨むべきでは?とも思う。
戦争について考える時いつも思うこと。
しょせん負けたことは罪なのです。
日本に蔓延る自虐史観を考える時、このことをいつも思わされます。
歴史は勝者の都合によって作られます。
戦争責任も敗者にだけ押付けられます。
敗者・日本はどんなに理不尽な言いがかりを付けられても、勝者の言い分にはいつまでも黙って耐えなければならないのです。
日本人は日本人として生まれた瞬間から、過去の贖罪を背負わされて生きることを運命付けられているのです。
こういう論理に納得できる人はいつまででもヘイコラヘイコラ頭を下げ続けたらよろしいと思う。
しかしながら私個人は、勝者vs敗者=被害者vs加害者とスッパリキッパリ切り分ける世の論理には釈然としないものを感じております。
そもそも「戦争責任」って何なのか?
「戦争責任」って負けた国だけが背負うべきものなのか?
命がけの戦争に挑むに当たっての正義は、勝者も敗者も同じはず。
国家の命運をかけて戦う戦争の正義に、上下の区別なんか無いはずとも思う。
それでも日本は敗戦の罪を背負い、保障もした、謝罪もした。
歴史の教訓に学び、戦後は他国への「侵略行為」は一切せず、ひたすら平和路線にまい進しました。
これ以上どこをどうしろというのでしょう?
これ以上の謝罪は先人への罪です。
戦争に負けた日本にだって正義はあったんです。
必要以上の謝罪はその正義さえも否定する先人への不貞行為ではないか?と思います。
負けたことで死刑にされた人々は戦争前にはなかった法律で裁かれました。この悔しさはどこにぶつければ?
生体実験のモデルにされた日本の立場は?
負ければ全て悪くてしかも何世紀にもわたって謝り通しですか?
それがいいと思っている方が多いのに驚きました。
あの国際感覚ってなんなんだろう。
日本人にこれだけ失望したのは初めてかもしれません。
ふたたびTBさせていただきましたので、よかったらお読みくださいませ。
…と思ったら違うのをTBしてました。改めてしておきます。ごめんなさい(^_^;)