2005年04月28日

第7回国民大集会(10)05.4.24 日比谷公会堂にて

『竹下玉路さん(古川了子さんの姉)の訴え』

syuukai10.jpg

みなさまこんにちは。
今ひとつ訂正させて頂きます。
私は11才年上の姉です。

(櫻井さん 「ごめんなさい」)

若く見て頂きありがとうございます。(会場笑い)
竹下玉路でございます。
私の妹、古川了子はみなさん方の一番左のはしの写真の、あれが古川了子の18歳の時の写真です。(壇上のパネルをさして)失踪する3ヶ月ほど前、高校を卒業したての時に仲良しの友達と遊びに行った時の写真です。
一番自然な写真だと思い、一番妹を感じる写真です。

私の妹、古川了子は、昭和48年7月7日土曜日でした。
その前日に初めてのボーナスを頂きまして、そのボーナスを手に、母と約束をしていた。
「私のお金で浴衣を買いたいから母さん一緒に見てね」と約束をしていた。
それから美容院に前の晩に予約をしていた。
その二つの楽しみな予定を電話で急にキャンセルして「今どこにいるの」という美容師さんの問いかけに「千葉駅にいる」という声を最後に連絡が全く取れなくなってしまいました。
持って出たと思われるものは、ハンカチと小さな財布しか入らないような程度の、ちいさな、ちいさなバックと、それだけでした。
そして、その後本人の銀行口座から一切お金を引き出された様子はありません。

母は、そして私達家族は、あらゆる、自分たちにできる、可能な限りの探し方をしました。
母は占いにも頼りにし、テレビにも出して頂き、新聞や、同級生の方々に手紙で消息を尋ねるお願いをしましたが、一切消息は掴めず。
20数年たった時に、元工作員の安明進さんが、あるマスメディアの方に母がお願いしていた写真を見て「この女性は見たことがある。915病院で自分が会って話をした、その女性に大変よく似ている。」という証言を頂きました。
それが1997年の事でした。

そして、私はその話を伺いまして、すぐ最寄りの警察に行きましたけれど、その当時はまだ「イヤ太平洋岸ではないですよ」
それから、「今拉致の被害者と言う方々が出ているのは昭和52年、53年からですから、48年はちょっと早すぎますね。」というお話しで。
私自身も、母も「そんなものなかなぁ?」「違うのかしら?」と思いながら、ずっと「もしかしたら、いなくなった当時から、本人が何かいけなかったのかもしれない、家族がいけなかったのかもしれない」と言う思いで、なかなかお話しができなかったそのこと(=古川了子さんの拉致の疑い)を、また97年に封印するような形になりました。

しかし、次のチャンスがあれば、安明進さんにお目にかかれるものなら、もっとお話しを聞いてみたいというお願いもしていたのですが、それが具体化したのは、平成14年12月でした。
その(原因の)一つには、曽我ひとみさんというそれまで新聞に名前も載っていなかった方達が9.17に時点で急に名前が浮上してきたということです。
これはきっと私の妹も、名前が分かっていないだけに、政府も交渉をして、そして行方を捜して貰えなかったんだと思い。
荒木さん、その他の皆さんの「公表しましょう」そして「動きましょう」という、「この状況からして北朝鮮による拉致に疑いがないんだよ」という励ましを頂いて、名前を公表させて頂きました。

昨年には日弁連の人権擁護委員会に提訴もいたしました。
そして訴えをいたしました。
その結果つい3月に「これは北朝鮮の拉致による可能性が大変強い」ということと。
「政府はすぐにもこの実態を明らかにして救出に最大務めなければいけない」という報告書を出して頂き。
私たちは本当に10件15人という人たちばかりでなく、もっとたくさんの人たちが拉致されているんだという(ことを)日弁連の人権用語委員会の方々も認めて頂いたと言うことを、大変力強くつい先頃ですが思いました。
私達は、「特定失踪者」という妹に対する呼び方ではなく「拉致の被害者です」と大きく言えると確信を持っております。(拍手)

今現在、拉致認定されているか、されていないかで、その立場で政府の対応は大きく違っております。
そのひとつは、北朝鮮との交渉においても拉致認定の方々に関しては、交渉テーブルで名前がきちんと乗っておりますが。
特定失踪者の私達、そして前にたくさんおられるご家族のその特定失踪者の方々については、認定されたかされないかという、そこの壁のところで交渉テーブルに名前の一行も出ていないのです。

拉致されている可能性が強いと、いろいろな状況の中で、これは日本政府自身が、救出に向いて動いていないと言うことではないでしょうか?
曽我ひとみさんのお話の中に、日本の要人が向こうの国を尋ねたというニュースが流れたときに、「次はさぁ、私を探しに来てくれたんだろうか」と思って訪問を待っていたという話が確かありました。
今私の妹は、きっと彼の国で、その思いで「いつ自分を捜しに来てくれるのだろうか」と、同じ気持ちを持っているんだと思います。(拍手)
私たち家族が、そして日本の国が、「古川了子を、そして拉致された全員の人々を捜しているんだよ」と北朝鮮に出すことによって、所在を要求することによって、本人達の命が一番確保される。
そしてそうしないと、もしかしたら、闇から闇に葬られてしまうかもしれない、この大事な命なのです。(拍手)

先だって今、荒木さんからご紹介がありましたように、古川了子の拉致認定を求める行政訴訟というのを起こさせて頂きました。
これは、古川了子を救出する手段の一つなのです。行政訴訟で拉致認定をしていただいたからといって、本人がすぐ帰ってくるわけではないのです。
政府に拉致被害者として、相手方との交渉、そして救出という行動に移って頂きたい、その一つのプロセスでしかないのです。(拍手)
拉致認定をされてから、それからも、どんなに大切かはこの家族会の皆さんのお話を聞いても十分私にもわかります。
大変道の厳しいこともよく解ります。
しかし今本当に本人を救出しないと。
本当に時間がないのです。(拍手 声が震える)

私の母もまもなく89才になろうとしています。
古川了子本人は今年の1月で、50才になりました。
しかし、豊かな日本で50才と彼の厳しいと伺っている国での50才とでは同じでしょうか?
32年という妹の不在は本当に長いです。

命は誰も同じだと思います。
先ほど鳩山先生からお話しがありましたように、何よりも命を救っていただきたい。
一刻も早く命を救っていただきたい。
たくさんの日本人を救っていただきたい。
それには日本国の代表である小泉総理に毅然たる態度といっても、それよりももっと決断をしていただきたいのです。(大きな拍手)

経済制裁も含めあらゆる可能な限りの救出に向けた決断をぜひぜひお願いしたいと思っております。
それには皆さんの支援するお力が何よりの力になると思います。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。(拍手)

※司会 櫻井よしこ氏
ありがとうございました。
皆の心をひとつに合わせてこの問題にぶつかっていくしかありません。
この声は日本だけではありません。
アメリカでも力強く北朝鮮人権法と言うものが出来ました。
そのアメリカの北朝鮮に対する人権法の中に、日本人の拉致被害者・韓国人の拉致被害者の無条件即時の原状回復というものをうたった条文がございます。
これを人権法案に入れるために尽力をしてくださったスザンヌ・ショルティーさんからのメッセージがございます。
島田先生にお願いいたします。(拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。


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