2005年05月01日

第7回国民大集会(17)05.4.24 日比谷公会堂にて

第7回国民大集会 第2部

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 1』

「曽我ひとみさんからのメッセージ紹介」
「有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)のお話」

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※司会 西岡力氏
第二部はですね、まだ帰って来ていない「家族会」の家族の方たちに、今までは家族会の役員として色んな発言をされてきましたけれども、今日は「家族会」の役員という衣を脱いでいただいて、「拉致被害者の家族」として、今北朝鮮で待っている自分の家族のことをどう思っているのか?という話をじっくりしていただきたいと思って企画いたしました。座って話をさせていただきます。

最初にですね、実は先ほど帰って来た5人のメッセージと言いながら「4人分」しかなかったですよね?曽我ひとみさんからもメッセージが来ておりますが、第一部ではなくて第二部で紹介させていただきます。

と言うのは、曽我さんは「家族会」に入っていらっしゃっていて、「お母さんの救出を今日訴えたい」というメッセージだったからです。まずそれをご紹介させていただいて、このパネルディスカッションを始めたいと思います。

☆曽我ひとみさんからのメッセージ紹介

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国民大集会にお集まりいただきました皆さま、こんにちは。今日この席に出席することができず、心より深くお詫び致します。

母と別れてから27年の年月が過ぎてしまいました。今年の2月には父をガンで亡くしました。今でも「母に一目会いたい」と強く願いながら、母の姿を追って天国に旅立ってしまった父。もうすぐ母は帰って来て、みんな一緒に暮らせるととても喜んでいた父の顔が、今でも頭の中から離れません。

母は春になると鍬で畑を耕していた、夏には私と妹のために、学校に持って行く薬草集めを汗だくになって手伝ってくれていた姿、秋には風呂の焚き付けにする枯れた松の葉を集めていた姿、寒い冬、家の中でざるを一つ一つきれいに作っていた姿、今さらのように、見るもの・聞くものみんなが母の姿に思えてなりません。

一日も早く母に会いたくて、いてもたってもいられません。しかしもう母も73歳になってしまいました。ただただ「元気でいてほしい」「一日も早く佐渡に帰って来てほしい」、今私はその気持ちでいっぱいです。

そして被害者の方々は、今この時間も北朝鮮で「日本にいつ帰れるんだろうか?お父さん、お母さん、兄弟、姉妹に会いたい!!」と指折り数えて待っています。くじけそうになると、きっと日本で楽しく暮らしていた時のことを思い出し、また、日本に帰って楽しく暮らすことができると思い、一日一日を一生懸命に生きていると思います。

しかしもう時間がありません。家族の皆さんは高齢になっています。私も24年間北朝鮮にいたので、被害者の方々の気持ちは痛いほどわかります。今、私の立場を考えますと申し訳ない気持ちでいっぱいです。被害者の方々が、全員揃って元気でタラップから降りてくる日を、毎日毎日祈る気持ちで待ちわびています。

「拉致」は絶対にあってはならず、許しがたいことです!!これからも国民の皆さま方には、この問題の解決のためにお力をお借りしたいと思います。何卒よろしくお願い致します。今日は本当にありがとうございました。

平成17年4月24日、曽我ひとみ。(大拍手)

※司会 西岡力氏
ここで、曽我さんが24年間北朝鮮にいた経験からですね、北朝鮮にいる被害者の人たちは、今この時間も北朝鮮で、「日本にいつ帰れるんだろうか?お父さん、お母さん、兄弟、姉妹に会いたい!!」と指折り数えて待っていると、くじけそうになると、きっと日本で暮らしていた楽しい時の思い出を思い出していると、また日本に帰って楽しく暮らすことができると思って、一日一日一生懸命生きていると、それは自分がそうだったからと言っているんですね。

そこでまずですね、ご家族の方々に、向こうで待っている人たちが覚えているであろう、日本で暮らしていた時の楽しい思い出ですね、平壌でこの瞬間も待っている人たちが、心の中でそのことを思い出して「日本に帰りたい!!」と思っているはずの思い出について、親御さん、あるいは兄弟の方からお話をいただければというふうに思います。

では、こちらの有本さんのところからお願いできるでしょうか?有本さんのお母さん、よろしくお願い致します。(大拍手)

☆有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)

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皆さん、こんにちは。有本でございます。

あの、本当に娘がいなくなって、先ほど表(外・第二会場)でもお話したんですけれども、恵子は23歳でいなくなりまして、それでちょうど22年になりますので、今年で45歳になります。

だから私も歳がいきますけれども、娘も歳を重ねておりますので、あの地でもしものことがあって、あの、病気にでもなったら本当にどうなるんかな、という思いがずっとあります。

だからその思いはみんな、ここにいらっしゃる方(拉致被害者ご家族・特定失踪者ご家族)みんなそうだと思いますけれども、とにかくこの長い間「どうしてこんなに長くかかったんだろうなぁ?」といつも思いながら暮らしております。

「どうすることが、帰すことができるんだろうなぁ?」と、本当に夜もそう思いますと眠れない夜もあります。だけど「何とか会いたい!もう一度!!この手で抱きしめてやりたい!!!」という気持ちはずっと持っております。(お母さんは泣いていました)(拍手)

何卒、皆さんのお力で、本当にこんなにたくさん来てくださっている、表もみんな下(地べた)に座っていらっしゃるんですよね、冷たいのそこへ、私たちが今お話申し上げたのも、キチッと一生懸命に聞いてくださいまして、声援を送ってくださいました。そのお気持ちを私は本当に大事に思って、いつもあの感謝しております。

本当に、皆さま方が本当に、一生懸命応援してくださる、道で会っても必ず何人かの方が「元気で、ともかく子どもさん、きっと元気でいますから、帰るまでね、(お母さん)元気でね。」っていつも励ましてくださるのが、何よりの心の支えになっております。(会場から「お母さんも身体に気をつけてね」)はい、ありがとうございます!!(大拍手)

ということで、皆さんが一生懸命に応援してくださいますので、いつも「とにかく頑張ろう」と、「二人で最後まで頑張ろう」と思っておりますので、どうか皆さん、・・・どうぞ一緒に闘ってくださいませ。よろしくお願い致します!!(大拍手)


※司会 西岡力氏
あの、恵子さんが日本にいた時、楽しかったなぁと思われる思い出などありませんか?

☆有本嘉代子さん

恵子は、とにかくわり方小さい時分からおとなしい子で、全然目立たない子だったんです。

幼稚園の時分も背が小さい子で、前の方にいたんですけれども、何かこう、後ろから来た子にどどっと、後ろの子が前に出てしまって、いつでも一番後ろになるんですね。だから表に迎えに行っていましても、一番最後に出て来るんです。

そうしますと子どもだもんだから、おしっこに行きたくても、よくあのこぼれてしまって、家までもたない時が度々ありました。(お母さんは楽しそうにお話していました)(会場笑い)そういう思い出がありまして、冷たい、寒い時分だと、冷たいのを辛抱してね、帰って来るんですよ。そういう思い出が今も残っております。

とにかくおとなしい子で、目立たない子で、あの、怒ったような記憶がないんですね。でも「ヨーロッパに行く」「勉強に行く」と言うた時だけは、絶対に親の言うことは聞かなかったんです。泣いて聞かなかったんです。だから、こういうことになるために、そうして行ってしまったんかなぁ、と今思います。そういう思いがずっとあります。(拍手)

・・・続く・・・

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このエントリーのテキストはaoinomama様のご好意により転載させていただいたものです。
快く転載のご同意を頂きましたこと、この場をお借りして心より感謝申し上げます。


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