2005年05月03日

第7回国民大集会(24)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 8』

「飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)のお話」
「市川龍子さん(市川修一さん義姉)のお話」

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☆飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

私の妹八重子も、そこに写真がありますけども。
(隣の耕一郎さんを見て)こいつが1歳の時に持ってかれちゃったもんですから。
相当慌てたんですが。
うちはきょうだいが7人おりまして、私が一番上。
連れて行かれた八重子が一番下で、年齢差が17もあるんですよね。

従って育ち盛りに何か話したとか面倒見たとかっていう記憶はあまりないんです。
むしろ親父の方が一番末っ子なんで可愛がってたと。
向こうへ行って見る夢は、親父の夢だっていう、金賢姫の本に書いてありました。
突然がばって夜中に起きて、親父の幻想が出たとかね、そういう話も聞きますし。

むこうで結婚の話も出てますけども彼女はどっちかと言うと気が強いほうで。
その気の強さが良し悪しあったんですけども、
結婚して子供が出来た時もですね。
女手ひとつで育てる羽目になったんですが、「絶対私が育てる」と。
こういうふうに頑張ってまして、私もそれに対しては少し様子を見ようと言う事でいたんですが、間も無く連れて行かれちゃった。

先ほどの結婚の話もあったんですけども、例えば、原さんには悪いんですけども、原さんと結婚したというのは全く考えられない事実ですね。
北朝鮮はやたら結婚させるのが何か好きらしくて、(笑い声)誰かといつもくっつけるんですね。
見合いをしろという命令が下って。
じゃあお願いだから見合いをする前に下見をさせてくれと。
要するにどんな人かね、扉の影で一回見たいと。

で、ある人が入って来て、やっぱり例えば原さんの年齢の男の人らしいんですけど、一見して嫌だって逃げ出しちゃった。
いうふうな話も聞いてますし。
それよりも何よりも、日本に残した小さい子がいると。
早く帰って会いたい、面倒見たい。
本当に子供だから困ってるんじゃないか?
それがもう頭が一杯で、とにかく自分がまた違う人と結婚してどうのこうのというのはまず考えられないし。

そういう意味では昼間はすごく気を強く保って、北の言うことを聞いてなるべく優等生的な態度を見せる。
これはもう例えば、帰ってこられた富貴恵さんなんかも皆話をしてですね。
とにかく田舎の収容所に入れられないように昼間は頑張ろうと、いう誓いもしてきたようですけど。
そういうなかで夜になると故郷を思い出して、今子供は何歳になったかしら?と。
もう何年経ったかな?と。
そういう話がつい出るようなんですけどね。

普通指折り数えてと言うのはせいぜい10本の指の中ですけど、それこそ30本も指がないと足りないわけですよ、もう。
それまでですね、毎日毎日思いを積み重ねてきていると言うことは、物凄い、もちろんストレスもありますし、可哀想な状態が続いてると。
で、私たちも早く親子で会わせて上げたいと、そういう言う一心で頑張っておりますけど。

(西岡さん 「それで八重子さんに一言、今言うとすれば」の声)
すみません、長くなって。
まぁ、八重子に最初に会った時は「ごめんなさい」っていうふうに思ってるんです。
なぜかと言うと「こんなに長い間、あんちゃんたちは助けてくれなかった」と思ってるかもしれないし。
日本もそれだけの間、私を助けてに来てくれなかったということも代弁して、私謝りたい、と言うふうに思っています。(拍手)

※司会 西岡力氏
続いて市川健一さんか龍子さんかどちらか、お願いします。
修一さんに一言言うとしたら何を言いたいですか?

☆市川龍子さん(市川修一さん義姉)

3月14日に90を迎えた父と、同じく90になります母がおります。
私はこの両親に、両親の胸に(修一さんを)抱かせたやりたい一心で闘っておりますが、母の心境を言います。

彼の国へ飛んで行きたい今すぐに 翼が欲しいと母の声かな
老いてゆく我が身に鞭を打ちながら 愛しい吾子を抱く夢見て
風に舞う花の吹雪に君思う 我が家の桜も君を待ち続け
弟よ君の姿を追い求め 声を嗄らして今日もまた

これからも、とにかく取り戻すまでは声を嗄らして全国を駆け巡りたいと思います。(拍手)

・・・続く・・・


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