2005年05月09日

有本恵子さんを救うぞ!東京集会(3)05.2.10 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話』

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ちょっと風邪をひいてますのでお聞き苦しいところがありますがご了承ください。
今のお話を聞きながらいろいろ思い出していたんですけど。
実は私はいろいろな所で書いたりしゃべったりしてまして。
97年の3月の家族会結成までは、日本は国家として、そしてマスコミも国民も拉致被害者北に囚われてきた人とその家族を見捨てて来たと思うんですけども。
97年の3月に至るまでの過程で、大きく2段階があったんだなと、今も思い出しながら頭を整理してたんですけど。

77年から78年に拉致が多発する訳ですね。
めぐみさんの事件は77年で、78年には蓮池さんたちや曽我さんがやられていく訳ですけども。
それ以前にどれくらいのものがあったのかということが、まだ分からないので私の分析は今かなり明らかになってる物だけの分析なんです。
これはまたその枠組みが大きく変わるかも知れないんですけど、その前提でお聞きいただきたいんですけども。

77、78年くらいに多発して発生したわけです。
日本政府が認定しているものもそこが多いわけです。
10年間は何もしなかったわけです。
日本政府は今認定できてる77年78年の拉致については、事件直後から拉致であることを知っていたんです。
だから認定できてるんです。
後になってから証拠が出て来たんじゃなくて、当初から拉致であることについて分かっていたから、認定できてるんです。
分かってなかった拉致もあるんです。
それはもっともっと時間が経てば証拠が出てこないですから、認定は難しいですね。

具体的にいうと電波です。
工作船が来てるとき電波を出してるわけです。
暗号がかかってるんですけども、この電波帯を日本は掴んでいたわけです。
電波が日本海を飛び交えば北朝鮮から船が来てる。
何ヶ所かで傍受しますと、場所が分かるわけです。
来てるというと、警戒をするわけです。
警備警報と言いまして、警察がコリアンボート警報というのをかけるわけです。
1978年の8月には何回もコリアンボート警報というのがかかっていたんです。

警察庁の中でその電波を傍受していた実務責任者の幹部が、2002年の年末にある大手の新聞のインタビューに答えて、「当時私は徹夜で家に帰らなくて泊り込みで仕事をしていた」と。
そして福井沖に来てると。
工作船が来てると言って警戒していると、福井県警からおかしなアベック失踪事件が起きたという報告が上がったと。
その後新潟沖に来てると。
分かって警戒していたらば、またおかしなアベック失踪事件が起きたと報告が上がってると。
そしてその次に鹿児島から来たと。
北朝鮮による拉致だと報告書を書いたと。
その時点ですね。
と言うことをある大手の新聞にしゃべっているんです。
もう辞めてらっしゃる方ですけども。

私はそのことに付いて関心がありましたのでいろいろ調べたんですが。
その記事には無いんですけども、その報告書は警察庁の長官まで読んでた。
その上の政治家まで読んでたかどうかは分からないですけども。
それから富山で未遂事件があったんです。
曽我さんの事件についてまでは分かってたのかどうか分かりません。
その時に分かってたのかどうか、分かりません。
その人の証言には出てきてないです。

ただ、3組6人の失踪事件と1件の拉致未遂事件については、発生時から北朝鮮によるものだと言うふうに、警察のごく少数の幹部たちは知ってたんです。
そして79年の初めに東京で会議が開かれるんです。
そこには鹿児島県警、富山県警、福井県警、新潟県警からも来るんです。
これをどう処理するか?と言うことになるわけです。
公開しないことが決められるんです。(「え〜?」と言うささやき声)
その目的は何なのか?と言うことについていろいろ議論があったそうです。
当時は日本人になりすますための身分を取得するためじゃないか?と思われていたんで。 
戸籍が謄本が取られることがないか?チェックしろと言うことになったんですね。
多分そのことを知ってた何人かの内の誰かが、産経新聞にリークしたんだと思います。
80年の1月に産経新聞が書くわけです。

ですから蓮池さんたち、地村さんたち、増元さんたちの拉致については最初から分かっていたんです。
分かっていたけれど会議をして公にしないと決めたんです。
田口さんのことについてはちょっと分からないですね。
曽我さんのことについても分からない。
めぐみさんのことについてはどうも電波情報があったらしい、と。
でもあまりにも子供なので、と、いうことだったか?のようです。
でもこれは分かりません。
まだ情報が少なすぎて断定的なことはまだ言えません。

しかし少なくとも、あの6人についてと、久米さんについては分かってたんです。
現場で犯人捕まえたですからね。
富山の未遂事件が起きて、海岸でメチャクチャやるような拉致は少なくなったですね。
そのあともちろん、原さん型の国内にいる協力者がおびき出してやる拉致が始まった。
それから日本人に日本人が拉致される、と言うものが今度80年から始まるんです。
今お話があったように海外で日本人に日本人が拉致されるという、犯人のリーダーが20人って言ってるわけですね。
あと17人についてはまだ分からないんです。

海外でいなくなった場合は、家族も特定失踪者のところに訴えようとはなかなか思わないですねよね?
どんな事故があるかわからないですから。
多分有本さんのところも手紙が来てなければですね。
(嘉代子さんの声で「そうですね」)荒木さんのところに。
うちは留学してたんだからということに多分なってたと思うんですね。
手紙が来なかったら、(明弘さんの声で「これは分かってない」)海外からの拉致ということは全く分からないまま、今も私たちは拉致のことを分かっていても、よど号のグループが拉致をしていたということを全く分からないまま終わってたと思うんですね。

これは本人たちも必死で。
つまり日本政府も誰も分かってなかった拉致を、本人たちが必死で手紙を書いてくれたから。
3人のことだけじゃなくて実は後17人の人たちについても、こういう人たちがいるんだという情報を出してくれた訳ですね。
88年の8月に手紙が来たんですね。
この87〜8年というのは拉致が多発してから10年経つわけです。
この10年間、皆分かってても見捨ててたわけです。
分かってても見捨てていたし、分かってなかった部分もあったんです。

実は10年経って87年に寺越さんから手紙が来るわけです。
(明弘さんの声で「寺越さんと北海道のこの子だけ、手紙が来たの」)
そして88年に石岡さんのところに手紙が来るわけです。
これで確実に北にいるという証拠を日本政府が握ったわけですね。
そしてもうひとつ、大韓航空機爆破事件が起こるわけです。
これは87年の11月ですね。
金賢姫が生き残って、拉致の目的が日本人になりすます身分をとるだけはなくて、なりすます工作員の日本人化教育の教師を確保するためだということを、その秘密が明らかになるわけです。
それが88年の1月です。
日本側が77、78年に拉致をされたことが分かってたけど目的が分からなかったんですけど、それが分かるわけですね。

そこで警察署は態度を変えます。
警察はそれまでは秘密にするという方針を決めたわけですね。
それはなぜ決めたのかについては今後検証しなくちゃいけないんですけど。
我々が専門家としていろいろ分析したりして、今の段階で考えているのは当時の世論と国会です。
当時の世論は韓国について非情に厳しくて北朝鮮に対して大変甘かった。
北朝鮮の工作員が日本に侵入して日本人を拉致していると言うと、韓国のKCIのでっち上げだろうと。
皆が思った。
裁判をするんだったらば、そういう世論の中で裁判をするんであれば、証拠を全部出さなければならない。
無線を傍受しているということも明らかにしなければならない。
彼らの電波帯を掴んでるという事実も当然言わなければならない。
そうすれば彼らは電波帯変えてきますから。
 
久米さん事件では一部暗号の解読が出来たんです。
暗号解読が出来たということを言ってしまうと、当然向こうは変えてくる。
そしてもうひとつ、無線を傍受していること事態を秘密にしていたわけですけども。
傍受をしているということを公にすれば当然、野党当時社会党が3分の1くらい占めていた国会やマスコミの中で、なんで警察が傍受するんだという議論になる。
どこで傍受してるんだ?
傍受している基地の場所が明らかになるということは大変今後の傍受活動が難しくなるわけです。
スパイ防止法が無い中で、北朝鮮の工作船が領海内に侵入して来て工作員を挙げているという現実の中でどうやって戦うのか?とするときに、傍受が出来てるということは大変な武器だった訳ですけども。
それを明らかにしなくちゃいけないと言うこととの、プラス・マイナスを考えたんだと思いますけども。
その判断が正しかったかどうかは今から考えれば、その結果救える人を見捨ててたんじゃないかと言えると思いますけども。

しかし警察は分かっていたんですから。
大韓機爆破事件が起きたので、ここで明らかにしなければ駄目だろうと。
そしてもうひとつ実はヨーロッパルートでも、手紙が来たのが88年ですけども。
先ほどコペンハーゲンの空港の写真の話がありましたですね。
あの写真は83年に撮られていた写真でしたね?
あの写真がいつ日本の警察の手に入ったのか?という問題があります。
(嘉代子さんの声「私が見せてもらったのは1995年の5月ごろだったと思います」)

私は88年には写真は日本の警察の手に入っただろうなと思ってます。
根拠はですね。
情報機関同士で、つまりあの写真を撮ったのは日本の情報機関じゃないんですね?
西側のどこかの情報機関がキム・ユウチョルを追ってたんです。
そしたらば、東洋人の女性とたくさん写ってるわけです。
で、その情報から、よど号の妻たちがヨーロッパで活動してると、いうことが分かるわけです。
そしてよど号の妻たちの旅券返還命令が出るのが88年の5月です。

そのときと一緒に、だから有本さんも実はよど号の妻なんじゃないか?と最初照会が出たんですね。
で黒田や森なんかが一緒に写ってる写真もあるわけです。
キム・ユウチョルとね。
彼女たちの旅券返還命令の根拠は、北朝鮮の工作員と一緒に行動しているから、日本の国益に反するということなんです。
だから恵子さんについても、これは日本の過激派じゃないですか?という最初は問い合わせだったんです。
それはなぜそんなことが起きたのかというと、ソウルオリンピックを守れという国際包囲網があったんです。

88年の9月にソウルオリンピックが開かれたんです。
それにはソ連も中国も参加したんです。
邪魔をするのは平壌だけだった。
世界中の情報機関が北朝鮮のテロに対して網を張ってたんです。
それでも大韓機爆破事件は起きたんです。
具体的なことは聞かないですけど、韓国のある辞めた公務員の人が、数年前に自分が辞めてから大分時間が経つからもう時効だからといって教えてくれたんですが。

当時日本の警察は大変な能力があると思ったと。
日本の警察のおかげでソウルオリンピックは無事に出来たんだと。
内部で話してたんですよと。
日本の警察もソウルオリンピックに対するテロを防ぐ活動をずいぶんやったわけです。
そういう情報交換の中で、つまりよど号の妻たちも日本の警察は最初分かってなかったんです。
結婚してるということは秘密にされてたわけですけども。
しかし、写真からこれは誰だ?って、出入国記録が出てきますからね。

そしてもうひとつ88年にソウルオリンピックの数ヶ月前に、新宿でよど号の犯人の柴田が捕まるんです。
戻って来てたんですね。
その妻の八尾恵が横須賀で捕まるのも88年です。
あれなんか私文書偽造罪で捕まえるわけですね。
アパート借りるときに本名書かなかったと。(笑い)
本当はスパイ防止法があればスパイ罪で捕まえるべきなんですね。
あるいは私は外患罪で捕まえるべきだと思ってますが。
自衛隊の中に北朝鮮のスパイを入れようとして、横須賀で自衛隊の防衛大学の学生を相手にスナックをやってたわけですから。

外患罪だと思うんですけど。
今でも刑法に外患罪があるんですから外患罪で捕まえるべきだと思うんですけど。
なんですか、私文書偽造罪とかそういうものでやって。
警察が悔しいからスパイだとちょっとリークして、新聞がスパイだと書いたんですね。
そしたらば彼女が名誉毀損だと新聞社全部を訴えて、新聞社全部負けたんです。
裁判負けました。
スパイだったんですけど、証拠が無ければ負けるんですよ。
そこでですね88年のころに、八尾・・・本当だったら八尾がそこでしゃべってれば、手紙が来て八尾がしゃべってくれれば、ヨーロッパの事件はそこで一気呵成に片付いたはずなんですよね。
(明弘さん「早い時期に、この家族会出来て7年でしょ?もっともっと早い時点でな、今の状態が出来とったらな」)

ところが今度は警察が本気になって、1988年の3月の梶山答弁になるわけです。
大韓機爆破事件についての質問だったんですけど、大韓機爆破事件については金賢姫が自供したわけなんですけど、金賢姫は蓮池さんや地村さんを見たとは言ってないんですよね。
金賢姫が捕まったことと、蓮池さん事件や地村さん事件や増元さん事件は関係ないんですよ。
だけどもあそこで初めて北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であるとの答弁が出てきたわけなんです。
それは以前から知ってたからです。
事件の発生のときから確実だと思っていたけど、出さないで置こうという決定があったんだけども、大韓機爆破事件で金賢姫が捕まって自供したことを契機として、内部で会議が開かれて多分方針が変わったんです。

で、梶山答弁が出たんです。
警察は本気になって大韓機事件でも公開捜査をして、金賢姫の証言も間違いないと最初から思ったんです。
だから似顔絵も全国に張り出すなんてこともやったんですね。
なぜそう言えたのか?と言うと、北は拉致をする国だと思ってたんです。
最初の1人が田口さんであれば、そう簡単じゃなかったと思いますよ?
金賢姫の言うことは本当かどうか検証しなければならなかった、ということになったと思うんですが。
特に日本の警察機関は韓国の情報機関好きじゃないんです。
1973年の金大中拉致事件がありますから。
大変仲が悪かったんです。

通常から協力関係があるか?というとそうじゃないんですね。
そういう中で大韓機爆破事件が起きたんですけども。
しかしそれは間違いが無いと思ったのは、増元さんたちの事件について決定的な証拠を握ってたから、もう一人(被害者が)増えたというだけなんです。
ところがその87年〜8年で政府は決定的な証拠を全部握るんですけども、そして警察は表に出すんですね。
ところがマスコミがまずそれを報道しないんですね。
先ほどマスコミについておっしゃってましたけど、梶山答弁について朝日・毎日・読売3大紙は一行も書かなかったんです。
ファクト(事実・証拠・実説の意)ですから。
産経新聞も一段記事ですね、小さな。
日経も一段記事です。
あとは調べてないから分かりませんですね。

ニュース、テレビのほうは録画が無いので分かりません。
とにかく大騒ぎにならなかっただけは事実ですね。
本当はですね、国家公安委員長が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と言ったんですから、北朝鮮って言ったんですからね。
第三国とか言わなかったんですから。
産経新聞だって98年には北朝鮮って書けなかったんですから。
「ある外国の情報機関か?」とか書いてたのに。
役所のほうが北朝鮮って言ったんですから、けしからんって思う立場でも問題にするべきだったんですね。

根拠があるのか?とか。
根拠が無くてやるなら、また在日朝鮮人がいじめに遭うじゃないか?とかね。
そういう言っても良い位に重大な答弁ですよ?
無視したんですね。
無かったことにされてしまった。
で、警察は相当焦ったんだと思います。
だから先ほどの多分90年の12月に(有本家に)マスコミが来たことも、お父さんの推測どおり警察によるリークじゃないか?って言うのは僕は正しいんじゃないかと思いますけども。
状況証拠からみてね、思いますね。

マスコミが報道しなかったことと、政治の中に逆の動きが起きたんです。
88年ソウルオリンピックが成功したあと、韓国が抱擁政策みたいのを取りましてね。
盧泰愚政権が日本とアメリカが北朝鮮と接触することを反対しないと言ったんですね。
それで竹下内閣が竹下総理が国会で、北朝鮮に対して謝罪する談話を出すんですね。
そして田辺さんが動いて金丸さんを連れて行くのが90年の9月です。
88年に警察が覚悟決めて拉致でやろうとしてマスコミに出なくて。
逆に89年から日朝国交正常化のほうに自民党政権も舵を切り始めるんです。
そして90年の、これは3月だと思うんですけども、もしかしたら月が違ってるかもしれませんけども。

朝鮮総連の幹部に安という人がいるんですね。
副議長ですね。
北の最高人民会議の代議員、国会議員を当時やってた人です。
安商宅さんといって平壌に安商宅通りって言う通りがあるんですね。
50億円献金して彼の名前が付いちゃったんです。
50億円献金したといわれているんだけど、本当は値切って30億円だったとかいろんな説があるんです。(笑い声)
その50億円献金した年の所得税は日本では0円だと。
いわく付の人なんですが。

その人とその人の部下が田口さんが働いていたお店にしょっちゅう出入りしてて。
田口さんの拉致とも関係があるんじゃないか?と。
当時はまだ田口さんと分かってないですからね。
金賢姫が書いた似顔絵の人と似てる女性と一緒にいるところを目撃されたという証言があって、警視庁は家宅捜索令状を取ったんです。
(会場より「5月ですね」の声)
5月。
ところが大規模な家宅捜索になるのでなんか近くの県警からも動員したのかな?
かなりの大規模な体制で、北朝鮮側が反対するだろうと思ってたから、チームを組んでやろうとしてたら数日前に中止になったんです。
そのことについて警察の中にいた人がジャーナリストに金丸によって止められたと。
話してるんです。

そのことは文芸春秋が2003年の5月号に書いてます。
産経新聞も、いつだったかな?
ちょっと覚えてないですけど、その文芸春秋出た後書いてるんです。
2003年じゃない、98年に文芸春秋ですね。
98年の6月に衆議院の防衛委員会に有本さんたちと一緒に参考人で出たときに、名前入りでちゃんとこのことしゃべってます。
国会の議事録にこのこと書いてあります。
名誉毀損で訴えられてませんからね(笑い声)
僕は自信のあることしか言いませんので。
具体的に名前出せるのはちゃんと根拠ありますので。

ということがあったわけです。
つまり拉致を警察は87〜88で完全に掴んで、明らかにしようという流れに出たんですけども、マスコミがビビッて報道しなかったと。
判断が出来なかったかもしれませんけどもね。
それまでの北朝鮮報道と全然違う流れですからね。
とにかく様子見で全然報道しなかった。
そしたらば自民党の一部が拉致を棚上げにして国交正常化をしようという、強烈な動きに出てきた。

というのが87年88年くらいなんですね。
その中に有本さんたちも巻き込まれちゃったわけですね。
ちょうど手紙が来たのが88年で、マスコミはまだ覚悟が決まらないと。
警察はやろうと思ったと。
しかし自民党と外務省は拉致を無視して国交正常化の方に行こうと思ったと。
だから警察は一生懸命話を聞いてくれたというのは、外務省が冷たかったというのはよく分かる。
そして安倍事務所は福田派ですからね。
金丸さんの竹下派がやろうとしてたことについて、全然巻き込まれてなかったというのもよく分かる話だと思います。

そして北朝鮮側も遠藤さんという人を使って。
この遠藤さんはですね。
私が聞いてるのは、金丸さんと直接の関係というより、本当に北朝鮮のエージェントで金日成の主席級と関係のある人と繋がりがあったと。
なんか遠藤さんが別のところで動いて、日本の大手の航空会社に北朝鮮の上空を通過する通過権をやるから、中国行くときそこ行くと近いんですってね。
その代わり、主席がもしもっていうような時に日本から医者を急遽連れて行くときに協力して欲しいとか。
そういう話が80年代にあったらしいですね。
その秘密交渉の一部に加担している人です。

遠藤はウニタ書店ていう左翼専門の、書店って言っても売る方です。
神田の方で。
売れなくなって本屋たたんで、重信たちのよど号の機関紙などを作ってた人です。
同じ赤軍つながりで田宮たちとしょちゅっう会ってたことも確かです。
その人を使って、向こうは向こうでやっと金丸という人まで北朝鮮は動かすまで工作したわけです。
ところが拉致が出てきたら大変なことになるので、遠藤さんを使ったという事だと思いますね。
(明弘さん「表の顔は見えとうけどな、裏にな、どんなのがおっとたか分からんけどおるのよ」)

この一番問題は外務省だと思うんですね。
お父さんが抗議に行ったら次の日に遠藤が出てくるって何でかな?と。(笑い声)
外務省と遠藤さんが何で繋がってるのかな?と言う事になりますよね?
(明弘さん「そりゃそうだ、部外者やからな遠藤は」)
そして外務省は静かにしてた方がいいですよって、言ってるわけですよ。
つまり北朝鮮っていう国は人を拉致しておいて、拉致されたと言って親が騒いだらば被害者に危害を加えるテロ国家だというふうに、もう90年の時点で外務省は分かってたということになるんですよ?
そのテロ国家と拉致を棚上げにして国交を正常化しようとしてるのか?と

テロ国家だと分かっているから、我々がテロリストと交渉します、と。
親は出なくていいですよと言って、1対1で返さないんだったらおまえら容赦しないぞと。
こちらは経済制裁だって出来るんだぞ、って言ってるんだったら、親は静かにしてくださいなら分かると思いますけども。
結局外務省も当時は政治家の言いなりになって、拉致を棚上げにして国交正常化をしようとしてたんだ。
これは間違いが無い。

じゃあその動きが何で止まったのか?ということですけども。
警察は必死で止めようとしていたのは間違いが無いです。
僕はある席で海部という元総理大臣と一緒になったことがあるんです。
2002年の春ですね。
拉致問題について私が講師で呼ばれて話をすることになってて、その前にお茶を飲んでたんですけど。
「私は拉致問題に詳しいんだ、」と言うんですね。
「何ですか?」って僕が膝を乗り出して話を聞いたら、実は自分が総理だったときに金丸訪朝があったと。
そのとき警察が自分のところに来て「総理、日朝関係を軽々に動かさないでください。拉致問題は深刻です」って言ったと、言うんですね。
もっと具体的な中身があったと思いますけど。

つまり88年梶山答弁をしたのに政府は全然動かなかったと。
逆に金丸訪朝の動きになっちゃったから。
総理直々に、拉致問題のブリーフィングに警察の幹部が来たわけです。
オープンにしていても世論も動かないしマスコミは報道しないし、政治家は逆の方向に行こうとしていると。
何とか止めようとしたわけですね。
だから私は詳しいんだと。
海部さんは言うんだけど、「だから海部さんあなたは何をやったのか?」ということなんですけども。(笑い声)

海部さんは金丸さんに自民党総裁として親書を渡してるんです。
(明弘さん「親書持っててるのや」)
さっきお父さんが言ったように、その親書には拉致のらの字も書いてないんです。
詳しいのに、詳しかったら書けよ!(笑い声)
(明弘さん「海部なんかもっとしゃべらにゃいかん。あれも総理大臣辞めても何もしゃべってないやないか。なぁ?おってもおらんでもええ人間なんや」)(拍手と笑い声)
当時は本当に危なかったんです。
あのまま91年から日朝国交正常化交渉が始まったんですね。
総理に言っても警察は止められない、マスコミも書かない。
週刊誌を使ってリークしたり写真の一部を週刊誌に出したりして、リークして書かせても世論が盛り上がらない。
ただお父さんと今回僕がひとつだけ違うのは、田口さんのことについては分かっててあの時点で出したんじゃなくて、あの時点でやっと分かったんです。
(明弘さん「そやろ」)
91年の5月にやっと分かったんです。

(明弘さん「いやちょっとそれ言わせてくれるか?」)
(明弘さんマイクを握って話し始める)
田口八重子さんの件でね。
まだ金丸さん逮捕されてないのよ、な。
で、わし警察があそこまで踏み込んでやったということに関してな、警察は皆情報網持っとるのよ。
あれやった人な、韓国まで行って捜査やった人な。
あれ大丈夫かと?
首が飛ぶんちゃうかと?
俺そこまで話したよ?
その人の身辺気遣こうて。
政治の力って恐ろしいよ?
首が飛ぶんじゃないか?と
それからしばらくして反対に金丸がこれになった。(両手を体の前でクロスさせ逮捕の仕草)
あの金丸がな。
それである程度警察信用してるのよ。(笑い声と拍手)

(西岡氏の話に戻る)
それはですね、それはもっと大きな力が多分働いたからだと思います。
金賢姫の証言は全部いっぺんにわっと出てきたわけではないんですね。
やっぱり彼女を安心しなくちゃいけないし、あと思い出し方があるわけです。
「ちとせ」ということなんか後で思い出したんです。
僕は最近その金賢姫という人の証言を取った人からだいたい話を聞いたんですけども。
取調べの調書を作った人じゃなかったんですね。
そうじゃない人が安心させながら、「女同士だからあの時どんな話をしたの?」とかね。
「一緒にお風呂に入ったんじゃないの?」とか。
「入ったとき体の特徴はどうだったとか、見なかったの?」とかね。

なんかそういういろんな話をしながら安心感を与えて、それがいっぺんに日本政府に入ったんじゃなくて、飯塚家にいったんじゃなくて五月雨式に来てて、決定的だと思えるのが来た。
そして最後に一回だけ。
つまり警察は慎重ですから。
どこかで報道されたことが彼女の口から出ても駄目なんです。
どこにも報道されていないことが彼女から出なくちゃいけない。
当然飯塚さんが表に出なかったというのは良かったわけで、田口さんの写真は出てなかったんです。
田口さんの写真か?というのが一度テレビなんかで出ちゃってて、それを2番目に警察が持っていって、(金賢姫が)これだと言ったら。
彼女がテレビを見てて「ああこれかもしれない」と言ったんじゃ駄目で。
一度も公開されていない田口さんの写真と他に何枚かの別の写真とを持って行ったんですね。
で、これだと選んだんで、これは間違いがないと。
いうやり方をしてたんですね。

91年の5月に取れたのは実はカツカツだったんですね。
91年の5月には第3回の日朝国交正常化交渉が開かれたんですね。
1回目と2回目ってのは平壌と東京でやるもんで、お互いが暗号が使えないですからね。
大使館がないですからね。
見合うだけですからね。
3回目の北京からが本番だったんです。
そこに間に合ったんです。
田口さんの捜査が。
その直前に(警察が)記者会見をしたんです。

で、漏れ聞くところによると、金丸事務所が大変強く圧力をかけたと。
外務省も圧力をかけたと、言う報道があります。
裏は取れてないですけど。
でどっかの週刊誌が書いてましたけど、「あんなキャバレーの女1人がなんだ」と金丸が言ったと。
警察の幹部呼びつけてという話があります。
当時の金丸事務所がどういう事務所だったかというと、核問題で西側の情報機関の人が頭を抱えているわけです。
日本政府に説明しなくちゃいけない。
日本政府の実力者は金丸事務所だと。
金丸事務所に核の情報を説明に行くと、FAXで平壌に流れちゃう、と。(笑い声)
これは私が西側の情報機関の人間に直接当時聞いていたんですから。

そういう事務所だったんです。
それが日本の警察に頭を潰しにかかってたわけです。
危なかったんです。
じゃあなぜ潰れたのか?というとアメリカの力が働いた。
アメリカは拉致でないです。
核です。
核問題で絶対に譲歩しない、いうことで日本に強い圧力をかけたんです。

実は金丸はですね、当時の谷野というアジア局長をワシントンに送って、「核問題は米朝でやってください」と。
「日朝国交正常化交渉では核は扱いませんと言いに行け」といって、言いに行ったんです。
そしたらワシントンはカンカンに怒って、「核問題では1ミリの譲歩もしないからな」と。
「日朝国交正常化交渉でも核をやれ」と言われて帰ってきたんです。
これはワシントンの駐在の当時の特派員から聞きました。
日本も当時の91年からの交渉に核を出すわけです。
それで3回目に田口さんのことを出すんです。
これは警察が必死に捜査したわけです。
しかし増元さんのことは出さなかった。

槙田というアジア局長がいたわけですね。
2000年に何かのことで陳情に行ったんですね。
私と増元さんと横田早紀江さん3人しかいなかったんですね。
何か他の人ちょっと都合が悪くて。
あ、荒木さんもいたか。
荒木さんと4人で行ったんです。

そしたら偉そうにしててね。(ふんぞり返る仕草をする)
もう本当に嫌だけど会ってやってるというのが顔に出てるんですね。
それで「私は拉致問題に詳しい」、詳しいというやつは悪いやつです。(笑い声)
「私は拉致問題に詳しいんです」っていうんですね。
だから「何ですか」って聞いたら、「前回の日朝交渉決裂したでしょ?」
「その席に私いたんですよ」って言うんですよ。
それでもう僕はかぁ〜っとなって、「ここに増元さんがいる」と。
「あなたは1回目から8回目までの交渉で増元るみ子のまの字も出したのか?」と。
「素人だと思ってなめるんじゃないぞ!」ってそう言ったんですね。(笑い)
「あなたは家族ですか?私は家族としか話さない」って真っ青になって。(笑い声)
まあそれ以上は喧嘩しませんでしたけども。

だから外務省は、警察は88年に増元るみ子の拉致の疑いは十分濃厚だと言ってるんですよ。
ただ国交が無いから駄目だって言ってるんでしょ?
じゃ国交交渉すればそこに出せばいいじゃないですか?
じゃあ、いつ出すんですか?
国交交渉で出さなかったら出す場所が無いのに出さなかったんですよ?
有本恵子も出さなかったし、増元るみ子も出さなかったんですよ。
田口八重子について、一回だけ出してるんですよ。
3回交渉で。
警察が記者会見したからね。
したら北朝鮮が席を立ったんですよ。

そしたら外務省どうしたか?というと、秘密にいろんな学者を送ったりとか、外務省の役人を平壌に送って北朝鮮に何とか頼んで第4回交渉やりましょうと。
第4回交渉から拉致問題は我々本会談出さないから戻って来てくれと言ったんです。
それで出さないことにして、でも日本の世論があるから本会議では出さないけど、実務協議と称して主席代表がいないナンバー2同士が別室で、「前回お願いした田口さんの調査はどうなってますか?」と聞くわけですよ。
それを北朝鮮側は黙って聞くわけですよ。
何も答えない。
それで日本側は「拉致問題も出しました」と言うわけですよ。(笑い声)
北朝鮮側は「出しませんでした」って言えるわけです。(笑い声)
ということを4.5.6.7.8回とやったわけです。

ところが8回目になったらその別室での交渉でも北朝鮮はけしからんと言い始めたんですよ。
さすがに日本側は我慢出来なくなって決裂になるわけなんですけど、その背景にはアメリカが「核問題でこれ以上交渉するな」と、日本に圧力かけてきたのがあるんです。
核問題でアメリカが強い態度をとったので日朝は進まなかったんですよ。
しかし、94年で核が妥協したんです。
クリントン政権の中途半端な立場でジュネーブ合意というのが出来たんですね。
そしたらば、電話がかかってきまして、当時の村山総理に「日本は10億ドル出してくれ」と。
拉致問題が一切解決してないのに、「分かりました」って言ってアメリカに。
北朝鮮に対して10万ドル出したんです。
それが経過なんですけども。

88年から97年まで間っていうのは外務省と自民党の当時、金丸以降ず〜っと竹下派内閣ですよ。
中曽根さんも竹下の力でなったわけでしょ?
小泉政権になって初めてそこが切れるわけですよね?
だから政府与党と外務省にとって、有本さんたちは敵だったんですよ。
だから扱いが厳しかった。
そして申し訳ないんですけども、僕らは91年、有本さんたちの事件を知ったのは週刊誌の報道で新聞の報道で91年で、そのときに救う会を作っていれば、一緒に行動していればこんなに孤立されなかったのかな、というふうに思うんですけども。

僕らは当時金丸訪朝反対のキャンペーンをやってまして、拉致については私91年の3月の「諸君」という本に私論文を書いたんですね。
そしたら周りの人に「お前、命の危険は無いのか?」とずいぶん心配されて。
拉致のことを書くだけで、そういう時代だったですよね。
そういう中で大阪にいらっしゃったということもあって、会いに行ってもうちょっとお手伝いすればよかったかな、と今の話を聞いて思ったんですけども。
だから僕らは91年の時から関心があったので石高さんにも記事を書いてもらったし。
石高さんに情報を出した身元の人にも接触をして、めぐみさんのことに間違いが無いと思ったので、家族会を作った後救う会を作ったんですけど。

87年から88年というのはひとつのピークだったんですね。
警察は本気になろうとしたけれども、逆に自民党と外務省はそれを押し潰して国交正常化に向かおうとした。
でもそれは93年4年のアメリカの核問題の緊張で一応止まったと。
逆に言えば核問題が起きてるわけです。
ここで何回も申し上げてますけども、私たちの問題意識は93年4年のときの苦い経験があるもんですから。
国際社会は拉致問題は置いていってしまう。
北朝鮮問題が大問題になるのは、核問題であると。
そしてアメリカも今本格的に北朝鮮問題に取り組もうとしてますけども、それはあくまでも核問題で。
拉致問題について日本政府が独自にきちんとした対応をしなければ、いつでも置いてかれてしまうと。
ということなんです。
北朝鮮は今日、6者協議に出ないといったわけですよね。
家族会の見解をあとで増元さんと飯塚さんにお話いただこうと思ってるんですけども。

これで逆に時間が無くなって来たと思ってます。
アメリカと北朝鮮の緊張はどんどん高まります。
6者協議アメリカは止めてもいいと思ってたのに、向こうから止めると言ってきた。
安保理事会に持っていけるわけです。
安保理事会に持っていけるための手続きとして6者協議をやってたわけです。
本来であれば核拡散防止条約に入っていながら、核武装をしていたことが明らかになったらば、安保理事会に扱うべきことなんです。
イランは今安保理事会に来てるわけなんです。
イランは作ろうとしている段階で安保理事会に行ってるわけです。
北朝鮮は核兵器持ったと公然と言ってるわけです。
で、まだ安保理事会に行ってないと言うのはおかしいわけです。

なぜ行ってないかというと、中国が間に入って北がアメリカとなら話し合いをしたいと言ってるから、話し合いで解決しようじゃないかと。
アメリカは北朝鮮は信用出来ないから関係国全部ならと言って、6者協議になってるんです。
それが去年の6月以降開けない状況なわけですね。
そして北朝鮮の方から(6者協議に)来ないと言ってるんですから、近く安保理事会に行くでしょう。
そうすると93年94年の再来になるわけです。
核問題で米朝、国際社会対北朝鮮の緊張が高まる。
戦争のぎりぎりまで行くと思います。

で、北朝鮮は負けるんですよ。
負けるのは目に見えている。
どういう形で負けるか?ってだけです。
その場合に最後になって手を上げたりなんかする段階になっていろいろ言うでしょうね。
脅しもするし、泣き喚くし、助けてくれとも言うでしょうし。
助けてくれと言ってきた時に核の大部分を止めろということになるかも知れない。
でそしたらば、アメリカの国務省はそれで良いと言うかも知れない。

拉致はテロだって我々が言ったのは、アメリカはテロとの戦争を戦っているのに、自分の国の被害の遭ったテロだけは妥協せずに戦うけれども、世界中のテロと一緒に戦わないのか?と。
核問題が解決すれば拉致問題解決しないまま、北とアメリカは国交正常化するのか?ということだったんですけども。
アメリカは北朝鮮人権法を通して、拉致問題解決しない限りそれも日本人だけじゃなくて韓国人拉致も解決しない限り、経済協力しないと書いてあるんです。

だからアメリカはもう大丈夫なんです。
拉致と核を一緒にやるというのはブレが無いわけです。
北朝鮮は日本とアメリカを何とか分断しようと思って、偽の遺骨を出してきて日本を黙らせてがっくり。
これで偽の遺骨だけど偽だと分からないだろうと思って、家族をがっかりさせて1月から日朝国交正常化交渉に入ろうとしたんです。
それが失敗したもんだから、日本に対して厳しいことを言ってアメリカに少し手腕を送ったんですね。
アメリカは表現は軟らかくしましたけど、北朝鮮の核武装の野望を打ち砕くと言ってるんです。
止めろということです。
そして人権法は法律ですからね。
政府が何と言おうと動かないわけです。

多分裏交渉いろいろしてたと思うんですけども、今年のアメリカのグローバル・テロリズム・レポートには韓国人拉致も書き込まれる可能性が高まってます。
アメリカの下院議長も含む20人の国会議員が韓国人拉致で声明を出したんです。
「北朝鮮が韓国人拉致についてきちんとした対応をしない限り、北をテロ支援国リストから外すのは反対である」とアメリカの下院議長が言ってるんです。
そういう状況になって、日米を今度アメリカをやろうと思ったんだけど、アメリカは全然動かないから。
核を持ってるんだと脅して今度は中国と韓国に慌てさせて、このままいったらば緊張が高まると大変ですから。
中国と韓国はアメリカを説得してくれってことで、核を持ってるとか6者協議やめるとか言ってるんだと思いますけども。
日本とアメリカが動かなければ、向こうは手出しできないです。

ただ問題は最後の所になってですね。
後半年とか一年経って、ぎりぎりの緊張が高まって妥協と言うステージになったときに拉致問題がどこまで反映されるか?なんです。
そのためには日本は絶対に拉致が解決するまでODAは出さない、と言う意思表示をしとかなきゃ駄目なんです。
その一番良い方法は、拉致問題だけで制裁をかけることなんです。(拍手)
拉致問題単独の理由で制裁を今かけるチャンスなんです。
偽の遺骨が来たんです。
誰でも国民が納得するじゃないですか?
そしたらば核問題でいくら北朝鮮が譲歩してきてもその制裁は解けないんです。
拉致で(制裁を)かけてるんだから。
そうでしょ?

拉致を理由にして日本が制裁をかけたと言うことを中国や韓国にも示せば、拉致のほうが核より解決は簡単なんですよ。
韓国や中国は慌てて北朝鮮に、核は全部と言うのは難しいからアメリカをすぐ説得するけど拉致もぜんぜん動かなかったら日本が動かないから困るから、アメリカを孤立させるためには拉致はちょっと何かいろいろやれよとか、言うんですよ。
しかし韓国や中国や平壌が、日本が拉致が解決しなくても93年94年みたいに、アメリカに言われれば10億ドルくらい出すんだと思ってれば、拉致なんか動かないですよ。
93年4年の時の日本と違うんだと言うことを国際社会に示すためには単独で(制裁を)かける。
今が一番良いチャンスなんですよ。(拍手)

大状況としては、北朝鮮が話し合いでは言うことを聞かない国だということを自ら認めたんですから、核武装はしてますよとか、6者協議はやめましたよと言ったんですから、いいことだと思います。
北朝鮮の本質が国際社会に明らかになったと言う点ではですね。
しかし日本にとっては早く制裁をかけておかないと、北朝鮮の本質が分かって国際社会が圧力をかけて最後のステージになったときに、もしかしたら拉致問題の一部が置き去りにされちゃうかもしれない。
ぜひ被害者が帰ってくるまで、特定失踪者の問題も含めてね。
ぜひ被害者が帰ってくるまで制裁は解除しない、と言う制裁をかけなくちゃいけない。(拍手)

えっと、マスコミの方への要請もあったりするので、北朝鮮が言ってきたことについて、家族会の飯塚さんと増元さんと有本さん、最後にお願いします。


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