2005年05月11日

市川修一さんを救うぞ!東京集会(4)05.3.10 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話』

Img_8295.jpg

最初は79年の4月20日に結婚して、そして9月4日に海水浴で死んだと言ってたわけです。
市川さんについて言うとですね。
ところが昨年の11月に79年の7月20に結婚して9月4日に死んだと今は言っているわけなんです。
しかし、結婚相手のるみ子さんと祐木子さんは79年の10月まで一緒にいたと言っている。
結婚できないんですよね。(笑い声)
しかし自筆のサインがついてる結婚申請書があるんですよね。
自分でサインしたことになってるわけなんですね、二人がね。
それは全部デタラメだということ、なんですよね。

で、少しおかしいといわれたんで直してきたけども、やっぱりるみ子さんだけを直すわけにはいかなくて、市川さんのを隠してた・・・困ったんでしょうね、やっぱりね。
10月まで、10月の後半に結婚したとすると、11月に海水浴に行かなきゃいけない。(笑い声)
それにいくらなんでも気付かなかったのか?
ちょっと困るということになっちゃったんですね。

実は今日ですね、安明進さんが来ることになってたんですけども、ソウルでちょっと用事が出来て今日までにこちらに来れないと昨日電話がかかってきました。
残念なんですが。
実は彼から安さんからですね、市川さんについて詳しく聞き取りを私しておりまして。
それを本当はここで彼に話してもらおうと思っていたんですけど。
まずそのお話、報告からさせていただきたいと思います。

安さんは、ご承知のとおり1987年の3月に金正日政治軍事大学に入ったんですね。
その年の11月に大韓機爆発事件が起きて。
そして学校の中で金賢姫は我々の先輩だという噂が出て。
日本人に化けてたらしいと。
拉致された日本人が先生らしいという噂が駆け巡って、日本人に対する関心が高まるわけなんですね。

一方88年(87年の言い間違い?)の3月、安さんが入学した時にですね。
安さんよりも先輩の工作員たち。
特に、安さんは25期生なんですけども、11期生。
清津連絡所で実際に拉致をやっていた先輩の工作員たちが、「再教育を受けろ」という命令があって政治軍事大学に再入学するわけです。
昔は教育期間が2年ぐらいだったんですね。
安さんは6年コースなんです。

政治軍事大学もだんだんコースが長くなってきて、金正日は工作員教育を重視してたんですね。
現役の工作員だけれども教育期間が足りない、2年しか受けてないから。
もう一度学校に戻って再教育をしろ、と言われて。
それが実はめぐみさんを拉致したチョンという教官が、その再教育組だったわけです。

その先輩の工作員が戻ってきまして。
最初は再教育で学生と一緒に寮に入ってですね、授業受けてたんですけども。
もう歳取ってますからね。
15年くらい先輩なわけですね。
現役の工作員で拉致とかして来てる人たちですから、「何で学生と同じ待遇なんだ」と怒り始めたわけなんです。
で、授業もあんまり真面目に受けない。

で、大学当局は困っちゃって、教官的な地位もあげようということになって。
でも教育は受けさせなくちゃいけないから、だから学生の生活指導教官にしよう、と。
言って、新入生の班にひとりずつこう分けてですね、生活指導教官として配置して。
それで朝マラソンなんかをする時は、タバコふかして自分はやる気が無いと。
「ちゃんと走れ!」とか言う。
で授業は一緒に受けるということをやってたわけです。
安さんの班の生活指導教官が、チョン・スンホォン(あるいはスンボォン・スンウォンかも?)という。
チョンって一丁目二丁目の丁に順番の順に権利の権。
11期生、1954年生まれだったわけですけども、その人がめぐみさんを拉致した人だと。

丁度学校で大韓機爆発事件の話が話題になってたんです。
そして清津連絡所から実際拉致をしていた人たちが先輩で来てて、そして別々の教室だったら分からないわけです、話をしないけれど。
同じ寮で生活指導しているわけですね。
朝から晩まで一緒にいて食事もしながらいろんな雑談もすると。
その人たちが拉致をした人間だったんで、拉致の話題になった時は「俺がやったんだ」とかいう話題が自然に出てきたんです。

チョン・スンホォン教官が「自分は2回拉致に成功した」と。
「一人は歳をとった男をやった」と。
「この学校にはいない」と。
もう一人は「自分が拉致した女性が今教官をしている」と、「綺麗になった」と、「今度学校行事があるときに教えてやる」と。
いうふうに安さんたちに言っていたと。

そして別の班のペ・ドンホというですね。
その人は10期か11期くらいのやっぱり清津連絡所の工作員も、安さんとは別の班の学生に対して「自分も二回拉致工作に成功した」と、言っていたわけですけども。
清津連絡所が拉致を、対日担当で、そして70年代後半にそこに居た人たちですね。
拉致をやってたわけです。
そして今のが87年の暮れぐらいからの話なんですね。
87年の12月に大韓機爆発事件が起きて88年の1月に金賢姫が記者会見するわけです。
話題が出るわけです。

その年の10月の9日。
10月の10日ってのは労働党の党の創建記念日なんですね。
党の創建記念日で北側の祭日なんですね。
学校では行事があるんですけど、大体その日は休みにしますから、一日前ぐらいにあるんですね。
88年の10月9日に、本校の講堂があるんですね。
そこで記念行事が行われたと。
本校に当日いる全校学生と教官が参加すると。

学生席が前の方にあって、後ろに教員席があると。
学生も教員も皆軍服着てるんです。
工作員は皆軍服を着ているんです。
ところが私服の一団がそこにいると。
そしてそこに綺麗な女性がいたと。
さっきのチョン教官が「実はあれだ」と。
話をしてましたからね、「あの女性が俺が拉致してきた女性である」と話をした。
そこに実は市川修一さんに大変良く似た男性がいたんです。

ですから安さんが市川さんを見たのはですね。
まず一番最初はめぐみさんと一緒、88年の10月9日なんです。
88年の10月9日。
79年に死んでたらなんで88年にいるのか?と、いうことになるんですけども。
市川さんについては最初から自信があると言ってたんですよね?
言ってるんです。
増元るみ子さんについてはここで、ここで安さん言いましたっけ?忘れちゃった。
とにかく最近別の写真を見たらば、全身の写っている写真を見たらば足の形なんかで似てる人がいたと。
ただし市川さんと増元さんは、男女教官は別々に行動しているので、そこの中での行動で夫婦だっていうふうまでは分からなかったと言ってましたけど。

めぐみさんについてはチョン教官が本に書かなかったことで。
18歳の時とその後2回精神病で915病院に入院したと言ったと、その最初の時にね。
そしたら学生が「今はしっかりしてるじゃないですか?」って聞いたら、「今は全部直ったよ、昔の話だ」そういうことを言ってたわけです。
1988年の10月の話ですから。
そこで直っていたというふうに言ってたわけなんです。
チョン教官は自分が拉致した人なようなので、どうも病院にまで情報を取りに行ったようだと。
詳しいわけですね。
それに安さんも・・・ちょっとめぐみさんの話になっちゃいますけど。
病気の人を教師にするほど、工作員学校は甘くないと。
直ってなければ教師として使わないと、言うことです。

でまぁ、市川さんについて言いますとその後ですね。
その行事で安さんは、市川さんがいつも外国語二講座の代表として。
なんか表彰されたりする時は、代表で贈り物をもらっていたのを覚えている。
外国語一講座と外国語二講座というのがあって、外国語一講座は朝鮮人の先生がいて、外国語二講座に日本人の先生がいたと。
その代表がいつも市川さんだった。
市川さんは普通は日本人の教官は日本人の教官と団体でしか歩く。
一人で歩くと言うことは無くて団体で歩いてるんだけども、食事に行く時外国語一講座の朝鮮人の教官と話しながら歩いていたこともあったと。
言う風に覚えています。

安さんが政治軍事大学の中で教官として何回も目撃してるのが11人なんですね。
男6人女5人。
市川修一さんに大変良く似てる人。
それから女性では横田めぐみさんにたいへん似ている人がいたと、最初本で言ってたんです。
そのあと帰ってきた蓮池薫さんの顔を見て、あぁ、あの顔に間違いがないと。
大学生時代の写真を見た時は5分5分ぐらいだなと思って、ご両親にもし間違いだということを言ったら申し訳ないからご両親には言わなかったけど、日本の警察には似ている人がいましたと言ってたんだと。
帰ってきてあの顔を見て間違いがないと思った。
と言ってて、で、蓮池薫さん。

それから田中実さんに大変よく似ている人。
それから北海道から拉致された男性だと言われていた人。
で、まだ誰か分からないんですね、特定できない。
それからもう一人藤田進さんに大変良く似た人。
それからもう一人男性。
その人は刺青をしていたと、6人の教官がいるんですね。

女5人はめぐみさんとそれからるみ子さんに似てる人。
それから加藤久美子さんに似ている人。
それからあと女性が二人。
女性のうち一人は田中実さんと結婚していたようだと。
で11人。
それ以外に田口八重子さんに関する情報を聞いたり。
病院で古川了子さんと良く似ている人に会ったり。
工作用の放送局でタバコを吸ってる女性を見ている。

市川修一さんについて覚えてることで、本には余り書いてないことを中心に申しあげますと。
身長が165〜166センチくらい。
彼の記憶力は、工作員ってのはすごいんですね。
僕ら会った人の身長なんて分からないですけれども。
見たらばどういう特徴を覚えろと言う教育を受けるんですから、それがそういう風に見えたと言うんですけど。
それから90年に30代後半に見えたと。
外国語講座で表彰される時に、代表で賞を授与されていたと。

それからもうひとつですね。
学校の外国語講座の教官の事務所というのは、本部棟の2階の東側にあるんですね。
その後ろのほうに体育館があるんです。
体育館の2階に格闘技道場があって。
窓を開けると丁度、外国語二講座の教官室が良く見えたんです。
そこで格闘技の授業をやって休んでる時に、丁度高さが見下ろせるような形だったので、よく市川さんの姿を見ていたと。

それから講堂で行事がある。
講堂の上のほうに勝利号という政治軍事大学が船を持ってる。
それで修学旅行で日本に来るんです。
工作員が、卒業の。
その船員の事務所が講堂の2階にあって。
時々航海が終わると船員たちが、元々船員はゲンザン(文字不明)に住んでいるんけども、報告に来ていたと。

その時講堂の前のところで日本人の男性教官がタバコを吸いながら船員が出てくるのを待っていたと。
どうも日本の話を聞いたり、あるいは新しい何か物を頼んだり、そういうことをしていたようだと。
それでいつも船員たちが出てくるのを待っているのを。
また丁度講堂の前の階段のところと言うのは、安さんの寄宿舎からグラウンドを挟んで見えるわけです。
で寄宿舎の窓からそういうのを見ていたと、いうことがあります。

それからですね、今の話は本校なんですけどもね。
本校があってそして分校があるんです。
分校ってのは1対1での工作員教育をするところです。
本校はただ授業みたいなこういう風(集会の様子を指差す)にやるんですね。
大学と大学院みたいなものだとも言われてるんですけども。
6年制の工作員教育を受けて、その中で本当に選ばれた人が、今度は1対1の教育を受けて本当のスパイになって侵入してくる。
スパイの案内人になる人たちは6年制だけで終わり。

それから金賢姫みたいに普通の大学を途中で出た人は、本校に入らないで分校へすっと行くんですけども。
そういう関係なんですけども。
本校と分校の間をミニバスが運行されていて、そのバス停がキャンパスにあって、そこの前に市川さんはよく立っているのを見た。
いう風に言ってました。

オウ・ブウホウ教官というのがいるんですけども。
航海術のことですね。
工作船を航海して工作船に乗って日本に侵入する韓国に侵入するという、航海術を教える教官で。
この人も清津連絡所で、ずっと60年代70年代工作員をやってて、歳をとってたので引退して教官になった人、ベテランです。
実はそのオウ教官が「寺越武志さんを自分が拉致したんだ」と、授業中に安さんたちに言ってる人です。
拉致は「自分たちが元祖だ」と言ったんだそうです。
「60年代に能登半島で」って話をしたそうなんで、それはこの次寺越事件の時話をしますんで。

そのオウ教官の家は大学のキャンパスの中にある。
射撃場の下にあるんです。
そして射撃の授業があるとですね。
学生たちはその射撃場へ行くんですね。
射撃の授業に関わるとですね、アンパンとかお菓子とか沢山くれるんだそうです。
食べ物はすごく恵まれているわけですね。

お菓子とか間食物を沢山もらうわけですね。
それを一部持っていって、やっぱりね、キムチは食堂のキムチより家で作ったキムチの方がうまいから。
そのアンパンとか何かを持って行って、教官の家へ行って教官の奥さんから手で作った手作りのキムチと換えてもらうということをよくやってた。
で、教官も換えて来いって言うそうです。
自分のうちに食べ物、甘いものが欲しいわけなんですね、教官も。
射撃の授業の時にオウ教官の家に、航海術の教官ですけども、行ってたそうです。

あるときにですね1990年3月の昼。
射撃場からキムチをもらいにオウ教官の家に行った時、部屋の中に市川さんともうひとり日本人がいましたと。
夫人がすぐに扉を閉めたので何をしていたのかは分かりませんでした。
それからひと月も経たない1990年の3月か4月。
別の、オウ教官の横に住んでたスン教官って言います。
スン教官の家に行くと、キムチ置き場に日本製のカップラーメンがあったと。
それで教官にカップラーメンのことを、
「外国語講座のあの男がオウ教官の家で見ましたが、その男が持ってきたんですか?」
と聞いたんだそうです。
安さんが聞いたら、「うん時々来るんだ」と。

91年の8月か9月くらいのある夜、こんどは酒をもらいにオウ教官の家を訪ねたと。
オウ教官が酒などの倉庫を探してくれた時、そこから日本製のカップラーメンとソニー製のカセットテープレコーダーの新品が沢山出てきたと。
そこでオウ教官が次のように話した。
「知ってるだろ?外国語講座で行事のときによく前に出てくるやつ、家に良く来るんだ。このことを他で言うなよ」
というふうに言われたんだそうです。

なんでこのことを他で言うなよ、というのは安さんの解説によると、実はオウ教官は古手の清津の連絡所の教官ですから。
日本人拉致被害者のことを全体が自分が管理するみたいにしてて。
日本人は外貨ショップに行けるわけなんです。
で、その日本人を使って外貨ショップから物を買わせてるとか、日本人から外貨を巻き上げてるという悪い噂が立ってたんだそうです、学校の中で。
だから「俺の家に来てるというのを言うなよ」と学生に言ってた、ということなんだろうと言うことで。

90年の3月から4月と、それから91年の8月ですね。
その間に90年の7月か8月くらいにタバコを貰った。
映画を見に行けと言うのを暑くて・・・(聞き取れず)卓球台の横のところで会ってタバコを貰ったと、言う話があるんですけども。
セブンスターを貰ったと。
その横にいたのが藤田さんに似た人だった。

そのあとですね。
91年の7月か8月。
陸上訓練というのがあるんですね。
装備を重装備を持ってですね、山の中をずっと地方を回るんですね。
それが終わって帰ってきて、装備の銃とかなんかを点検をして、汚れを落としたりする作業をやって。
それで少し授業が無くて休みだったんですね。
寮の部屋にいた。
タバコが無かったんだそうです。

で、あぁ市川は日本のタバコを吸っていたと。
教官だったら朝鮮のタバコは配給になる。
あいつは朝鮮のタバコは余ってるはずだと思った。
こう窓を見たら、勝利号の船員に会いたくて市川さんたちがタバコを吸っていたと。
それで市川に貰いに行こうかと、学生同士で話をしたと。
でも結局行かなかったと。
前の時にもお前たちのせいで連れてこられたと、不愉快そうな感じで対してたので、そんな不愉快そうな態度をする人間に頭を下げて貰いに行くのは嫌だなと思って行かなかったと。
それが91年の7月か8月です。

そして一番最後に市川さんを目撃したのは92年の1月20日。
92年の1月20日。
実はですね、92年の1月20日に金正日政治軍事大学という名前に学校が変わるわけです。
安さんが入った時は金正日政治軍事大学という名前じゃなかったわけなんです。
朝鮮労働党中央委員会直属政治学校。
朝鮮労働党中央委員会直属政治学校という名前だったわけです。
直属政治学校と言うのは、本校と分校両方あわせて直属政治大学と言っていたんですけども。
92年の1月に本校が金正日政治軍事大学になって、分校が烽火(ほうか)政治大学になったんです。
烽火(ほうか)と言うのはたいまつの烽火です。

名前が変わる式があったんです。
その時にキム・ヨンスン労働党の書記も来て、ゴ・コクレツ作戦部長も来て、そこで金正日政治軍事大学の改称を記念する式典が行われたと。
そこに市川修一さんと、北海道から拉致された男性と、もう一人男で藤田さんじゃない男と、増元るみ子さんの4人が出席していたことを記憶している。
92年の1月20日です。
まぁ、以上が市川さんについて安さんが話していることです。
では後でゆっくり読んでください。(資料の束を隣に座る市川健一さんに渡す)

ですから79年の9月に死んだなんていうのは全くありえないわけですよね。
北朝鮮の方も結婚の日付を間違えちゃってるわけですね。
じゃあなんで79年の9月に死んだと言っているのか?と。
これは多分に安明進の証言を意識している。
安明進の証言を認められないんですよね。
安明進は拉致は金正日の命令で行われていたと言ってるわけですから。
そして金正日政治軍事大学と言うテロリスト養成学校があったと、言ってるわけです。

しかし金正日は拉致は知らないと言ってるわけです。
金正日の名前が付いてる学校は金正日政治軍事大学だけですから。
金日成っていうのが付いてるのは多いですけどね。
彼はですから工作機関のトップだったんです。
父親が生きてる時から工作機関のトップは金正日だったんです。

アメリカで言えば、CIAのトップだったんです。
1975年から、後継者になってすぐCIAのトップになったんです。
謀略テロ機関のトップになったんです。
拉致の責任者だったわけです。
75年以降工作機関が行なったことで彼の決済貰ってないものなんて、ありえない。
しかしそれは認められない。
拉致は認めるけれども、安明進の証言は認めない。

そうすると同じ6人アベックの中で、実は地村さんたちと蓮池さんたちは記憶がないと言ってたんですね。
本にも書いてなかったんですね。
市川さんとめぐみさんだけ見てると言ってたんです。
同じアベックで同じ時期に拉致されて条件は同じだと思うんですけども、その中で一番早く死んだというふうにされちゃったんです。
安明進の証言より、もっともっと早く死んでたのに、安明進の言ってることはおかしいんだと言いたかったんだろうと思いますけど。
結婚の日付とか間違えちゃって。
89年の9月とか言っておけばまだ良かったのに。(笑い声)
ずさんなんですよね。

今彼らが言ってることは、ここで何回も言いましたけども。
日本政府は北朝鮮の情報を証明するものは皆無であると言うことなわけですから、今は白紙なわけですね。
これだけの目撃情があるわけですから。
一回や二回じゃないわけですよね。
ただ、残念なのはですね、清津連絡所出身の亡命工作員はまだ一人もいないんです。
清津連絡所出身の人が誰か一人出てくればですね、情報の宝庫だと思うんですけどね。
今のところ韓国にいるのはゲンザン連絡所出身が二人いますけどね。
あとは陸上・・・・・韓国に出頭する・・・(聞き取れず)

でも生きているというのは間違い無くて。
祐木子さんが「あなたの知ってる日本人は子供が産まれた」と招待所で誰かに言われてるんですよね?
それは祐木子さんが知ってる日本人と言うのは、蓮池さんとそれから地村さんたち以外の人であれば、るみ子さんしかいないわけです。
るみ子さんが子供が産まれてれば、市川さんと結婚して子供が産まれているしかない。
言うことで、結婚の時期は北朝鮮が言ってるのとは違うと思いますけど。
結婚して子供がいるんだろうと。
増元さんのところに入ってる非公式の情報では二人という情報があるんですよね?
で、それが、まだ分からないでいるということですね。

ただ工作機関の中の幼稚園が二つあっただろうか?と思うんですね。
工作機関の中でめぐみさんと蓮池さんたち地村さんたちは、ひとつの幼稚園に子供をやってたんですよね。
招待所にいて幼稚園にやってたと。
市川さんや増元さんの子供がそんな歳も変わらなければ、その幼稚園に行ってないと考えるのはちょっと難しいですよね?
その幼稚園に関することであれば帰ってきた子供たちに、「クラス何人いたのか?」とか、聞くことが出来るんじゃないか?と。
まだまだ解明されていないことが多いなぁというふうに思って、今後も情報収集を続けていきたいと思います。
基本的に市川さんが死亡だとされたのは北朝鮮が出せない人だからです。
死亡しているからじゃないんです。
金正日の責任につながってしまう人だったから、と言うことに尽きると思っています。

最近の情勢について若干お話をして。
そして実は今日参議院の内閣委員会で、拉致問題について審議が行われましたので、それは傍聴されていた飯塚さんと増元さんが来てますので、あとで報告していただきたいと思いますけども。

毎月の集まりで何回も申し上げてるわけですけども、去年の12月がひとつの転機だったわけです。
日本政府は「北朝鮮の主張を裏付ける物証・情報は皆無である」と言ったわけですね。
そこで北朝鮮の「8人死亡2人未入境」という主張は論破できたんです。
彼らは市川さんの死亡を証明できなかった。
その方が結婚の日付とか矛盾しているわけですね。
誰が見ても笑っちゃうようなことしか言えてないんですね。
これで死んだなんて信じるか?って言ったら誰も信じることは出来ないんですね。

で問題はですねその時に細田官房長官が記者会見をしまして、北朝鮮に対して、「迅速かつ誠意ある対応を求める」と。
「迅速かつ誠意ある対応」
そして「それが無い場合には厳しい対応を取らざるを得ない」と。
「厳しい対応を取らざるを得ない」
これも政府の担当者としては初めて「厳しい対応」と言う言葉を使ったんです。
制裁をするという意味だと。
制裁もその中に入っていると、後で細田さんも認めてますけども。
言葉遣いは若干オブラートに包んでますけども、このままで行くと制裁をしますと、我々はもうずっ〜と言ってたんですけども、日本政府が初めて言ったのは12月の24日なんです。

ただ、一点だけ、不安だったのはその発言を聞いてですね。
大変良かったと思ったんですが、一点不安だったのは迅速にと言っていて期限が付いてない。
そこで、薮中、当時のアジア大洋州局長に私が質問して、「迅速というのはいつまでなんですか?」と。
「1年や2年このまま過ぎて迅速ということはないでしょうね?」と言ったら。
「常識の範囲と言うのがあります」って言ってました。
しかし迅速で誠実な対応を求めるって、誰が見ても今北朝鮮は誠実な対応をしてませんよね?
これは小泉総理に聞いても、そこで逃げることは出来ないと思うんですね。
日本政府の鑑定が捏造だと言ってる、もう日本とは話し合わないと言ってるわけですから。
これを誠実な対応とはいくらうまい官僚が答弁を作ることは出来ないと思うんですね。

問題は迅速なんです。
まだ迅速っていうのが終わってないから待ってると言うことなのか?
迅速な対応を待ち続けているのか?
迅速な対応が無ければ厳しい対応をすると言ったんですからね。
言ったのにやらなければ、これは逆に大変まずいマイナス効果が生まれちゃう。
金正日からすれば日本は口だけだと。
制裁法案を作ったけれども、やっぱりわが国が怖いから制裁できないんだと。
偽の遺骨を送るって事をやってそれがバレちゃったのにも関わらず、制裁をしてこないと。
ここで制裁できないんなら、日本は拉致で制裁できないな、と思われちゃう。

担当者は必死にですね、「実は帝京大学の鑑定が捏造なんです」って言ってます。
金正日の決済を貰って遺骨を出したわけですから。
ここで何回も言いましたけど、松木さんの遺骨を最初出してね、遺骨と言われるものをね、日本の鑑定能力を確かめたわけです。
高温で焼いたらDNAは出来ないと思った。
出てきちゃった。
「お前何やってるだ!」ということになりますよね?
「こちらは大恥かいたじゃないか!」と言うことになりますから。
「いや、これは安倍晋三とか反動派の謀略で帝京大学が嘘ついてるんです」って事を言ってるわけです。
「その一番の根拠は日本が制裁かけないでしょ?」と。
「小泉総理が怒らないでしょ?」と。
「あれは何か後ろめたいんです」と。

そう言ってるのは間違いないし、世界から見ればそう見えますよ。
13歳の少女や20代の若者がどんどんさらわれて。
さらったと言うことを認めた後出したのが偽の遺骨だったり、偽の死亡診断書だったりしてるのに、迅速にと言ってて2ヶ月も3ヶ月も何もしないと。
北朝鮮の方から非難されていると。
なんか日本は鑑定に自信が無いのかな?思われますよね?
ネイチャーと言う自然科学の専門のイギリスの雑誌があって、(鑑定に)疑問ありと言う記事を載せたりしてるんですよね?
そういうものを当然北朝鮮は国際社会の宣伝に使いますよね?
今かけないと金正日にもあるいは国際社会にも誤解されちゃうんですよね?
日本は拉致問題重視してない。

それで家族会・救う会の合同会議で4月24日に国民大集会をすることを設定しました。
そのちらしがここに、これは今コピー版で作ったやつですけど。
綺麗に印刷して作ろうと思ってるんですけど。(会場内、事前に配られた集会案内の資料を広げる音)
4月24日の日曜日の午後2時から5時まで。
「小泉総理の決断を求める国民大集会」(拍手)
いままでは「めぐみさんたちは生きている!」とか、「拉致はテロだ!」とか言ってたんですけど、固有名詞を出してですね。
「小泉総理の決断を求める国民大集会」としました。

そして4月24日まで全国の救う会は各地で街頭行動や集会をする。
で、迅速ってのはいつまでなんだ?というその一点に絞ってですね、集会をやると。
4月24日になったら4ヶ月になるわけです。
迅速な回答を求めて4ヶ月経っても回答が来ないのに、厳しい対応をすると予告しながらしないのか?と。
いうことをやろうと思ってます。

そして家族の方たちはその議論をしたときに、小泉さんを批判しなくちゃいけないと言ったら、その前に小泉さんとぜひ一度会いたいと。
会って家族の立場からすると制裁を求めるっていうのも胸が裂かれる思いなんだと、まだ向こうに肉親がいるんだから。
その立場で北朝鮮に一番厳しいことを言ってるのはどういう気持ちで言ってるのか?と。
そのことをぜひ直接訴えたいと、言うお話がありましたので。

4月24日の国民大集会とそれから全国の救う会での集会と街頭行動、そして3つ目政府に求めていくのは家族と会ってください。
実はそのことについて今日、迅速と言うのはいつまでなのか?
もう今2ヶ月以上経ってるんだから、制裁発動する時期じゃありませんか?制裁して欲しいってことと、家族と会って欲しいと言うことと。
まだ認定されていない寺越さんたちとか、加藤さん、古川さん、福留さん、田中さん、小住さんたちについてですね。
特定失踪者問題調査会が出来る前から、救う会が拉致と認定している部分について認定を求める。

それから朝鮮総連の最高幹部6人が北の国会議員を兼ねてるわけですね。
許宗万(キョ・ソンマン)総連副議長をはじめとしてですね。
その人たちに対する再入国許可の取り消してください、と言う申し入れをします。
そのことについて若干申し上げたいんですが。
人権問題だと考える方もいるかもしれませんが、実は日本政府は日本国民の旅券を失効させている。

よど号の妻たちですね。
金子(恵美子=よど号犯・赤木志郎の妻)が最初帰ってきまして捕まりましたよね?
彼女の罪は何か?と言ったら、彼女は海外旅行中に、日本政府が「あなたの旅券は失効だから返還しなさい」と旅券返還命令を出してるんです。
それに従わなかったと。
旅券返還命令に従わなかったから捕まるんです。
じゃあなぜ旅券返還命令を出したか?というと、彼女が何かテロをやったか?違法行為をしたか?というとしてないんですね?

北の工作員と一緒に行動している。
それは日本の国益・安全にとって大変有害である。
だから旅券返還命令を出す。
1988年の5月にやったわけです。
日本国民でそれも海外旅行の人の旅券を、工作員と一緒にいるというだけで、返還させちゃったんです。
国家と言うのは安全のためにはそういうことをするんですよ?

日本で永住許可を貰ってる人が自由に北朝鮮と行き来できる。
今4年間自由に行き来できる再入国許可を出してるんです。
1回ごとに許可しなくて、4年間だったら何回でも行ったり来たり出来るっていうのを、出しちゃってるんです。
朝鮮総連の幹部、北の国会議員に。
日本の国民にも旅券失効命令出したんです、実際。
北の国会議員が北の政策に責任ないなんて言えないですよね?
許宗万氏は学習組という公安調査庁も認めている、日本の中の非工作組織のリーダーなんです。
北の工作員と一緒に行動してるどころか、北の工作員そのものなんです。

その人になんで?日本人の旅券を失効させといて、彼らを自由に行き来させてるのか?
少なくとも、拉致問題について、北朝鮮が迅速で誠意ば回答をしない限り、再入国許可を停止すべきだと。
現行法規で出来るんです。
日本人に対して出来てるんですからね。
この件についてはよど号の妻たちは最高裁まで争ったんですね。
負けたんです裁判、彼女たちは。

と言うような要請をしております。
後は家族会の横田さんたちも来てくださってますので一言ずつ。


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