2005年05月14日

曽我ミヨシさんを救うぞ!東京集会(2)05.5.12 豊島公会堂にて

『曽我ひとみさんのお話(2)』

Img_9154.jpg

※西岡氏
今お母さんと別れた日のこと、その時から時計をしていらっしゃったと言いましたけれども。
会場の皆さんには資料として曽我ひとみさんが2002年の12月にジュネーブの国連人権委員会に強制的失踪作業部会にどのように拉致されたのか?という事について説明の書簡を出しています。

・・・以下配布された資料を紹介・・・

◆曽我ひとみさんが2003年11月12日ジュネーブ人権委員会強制的失踪者作業部会に提出した書簡

 1978年8月12日土曜日、19時頃、家を出て私と母は近所のお店に夕食のおかずを買いに二人で出かけました。その日は、ごく普通の日を過ごし二人で出かけた買い物が母と生き別れになってしますとは知る由もありませんでした。
 私の家から、逸見商店までは、まっすぐな一本道で500メートル位離れている場所にあり、歩いて5〜6分の距離です。私の家も、お店も国道沿いです。国道沿いには四日町の家並みが続いていますが、その当時はとても暗く、当時街頭は数少なかったので、大変くらい道でした。灯りと言えば、家並みの中の灯りがぼんやりと照らされる程度でした。最初、家を出て反対側に渡り、海側の歩道を母と一列になって歩いていました。生きも帰りも車の往来は2〜3台程度でした。
 お店について、お店の中には10分もいなかったと思います。品物をみながら「あれにしようか、これにしようか?」と決めたりして、お店のおばさんと少し会話をしてお店を後にしました。帰り道も海側を歩きました。帰りは母と二人並んで歩いていました。その日の帰り道に、私と母に挨拶をしたと言う、近所のおばさんの証言がありますが、私には覚えがありません。

 私と母は、買い物を終えて、話をしながら家に向かっていました。お店と家のちょうど真ん中辺りを少し過ぎた頃、国道沿いにある農機具整備工場の手前、Nさんのお宅辺りだと思います。背後に人の気配がして、私が後ろを振り向くと、男の人が3人横並びに私達の後ろをついてくるのが見えました。私と母は、その男達3人を見て「気持ち悪い、怖いね」と話をしながら歩き続けました。その後少しして、私と母が足早に歩き始めた途端、急に後ろから男達3人が、走って来て私と母は、国道沿いの農機具整備工場から14〜15メート李先のお宅の敷地内にある、歩道と敷地内野坂委に140cm位の高さの赤い実のなる木の辺りに引きずり込まれました。
 私はすぐに、口をふさがれ、手足を縛られ、袋の中に入れられました。私はちょっと果て移行しましたが、男性3人の力と私の力では抵抗できず、体をバタバタさせるぐらいしか出来なかったのです。母は襲われるまで横にいたから一緒に襲われたと思いましたが、私はすぐに、袋に入れら担がれ、その場を去った様なので、母の気配は感じることさえ無理でした。そして、私は1人に担がれ数分運ばれて、小舟らしいものに乗せられて、しばらくして、膿にでた気配を感じました。
 縛られて、袋の中に入れられたまま船の中で出発を待っている時に日本語を話す女性の声がしました。しかし日本人ではないような気がしました。日本語の話し方が少しおかしいようでした。小さな声で話をしていたので内容は聞き取れませんでした。そして、誰と話をしているかも、その中にいる人数も、わかりませんでした。
 海に出た後、もう少し、大きい船に乗り替えました。袋のまま船室の中の一室へ運ばれ初めて袋から出して貰いました。部屋の中からは、一日中出ることもなく、その船の中で人を見たのは、朝と昼、2回の食事を運んできた男性のみ1人だけでした。
 1978年8月13日、17時頃、北朝鮮の清津に到着。(13日17時頃と、時間がはっきり覚えているのは、拉致されたとき腕時計を身につけていましたので時間は覚えています)清津について後、招待所に移動しましたが、その責任者に母の行方を聞きましたところ、「日本で元気に暮らしているから心配しなくてもいい」と言われました。

◆曾我ひとみさん、ミヨシさんに関する北朝鮮側の「情報」

「(曽我ひとみさんは)、1978年8月12日、特殊機観光索引が未分化串および語学教育の目的で現地請負業者(日本人)に依頼し、引き渡しを受けて連れてきた」「母・ミヨシさんについては承知していない。特殊機関工作員が現地請負業者から引き渡しを受けたのは曾我ひとみさ一人だけ」(「拉致に関する調査結果」平成14年9月28日〜10月1日)

・・・資料の紹介終了・・・

※西岡氏
お母さんがどのように襲われたのかを明らかにするためには、自分がどう襲われたのかを明らかにしなければならないと言うことで。
あんまり思い出したくなかったのとですけど、詳しく書いていただいたんですが。
お母さんの事を探す・救出するためには、その時のことをどうしても考えなくてはいけないと思いますので。
あんまり思い出したくない思い出かもしれませんけれども、ここでどのように拉致されていったのか?という事に付いてちょっと話してくださいますか?

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☆曽我ひとみさん
1978年、丁度その日は土曜日でした。
私がその頃看護学校に通っていて、丁度毎週土曜日になると家に帰っていました。
その日夕方母が帰ってきて、丁度8月12日なのでお盆の支度をしたり、ちょっと忙しいときでした。
それで夕方もう7時は回っていましたけど、母と一緒に近所の雑貨屋さんに買い物に出かけました。

そんなに遠くもないので普段着で、草履で、財布ひとつ持って、それで二人して出かけました。
その時には街灯もほとんど無く、道路と言ってもあまり車も通らない。
そういった頃でした。
明かりと言えば家々からもれてくるような、ちょっと薄暗いそんな明かりしかない頃でした。

店に行って二人で買い物を済ませて、家に向かっていました。
店を出ながら1週間あった話をいろいろ母としながら二人で歩いていると、何か後ろに人の気配を感じたので私が後ろを振り向きました。
そうした所、後ろには3人の男が横並びで付いて来てました。
その時母と二人で何か気持ち悪いから、二人共早足になって、少しでも早く家に帰ろうと話をしながら足を早くして歩き始めたその時でした。

後ろから・・・余り靴の音はしなかったんですよね、何か静かにぱ〜っとこう来たって感じで。
道路の横にあった木の下に私と母は引きずり込まれてしまいました。
その後は口、手足を縛られて袋に入れられました。
そして船に乗せられ、着いたのが北朝鮮でした。
もちろん行った当初はその地名も分かりませんでしたけど、後で汽車とか時間的に計算してみると、まぁこのくらい時間がかかったから、まぁこの場所だろうと言う。
そういうふうにして場所がハッキリ分かりました。

だけど、その・・・(西岡氏「北朝鮮だと分かった?」)清津だと。
(西岡氏「清津だと分かった?」)はい。
それでその時に袋に入れられた後は母の姿は・・・見てないです。

※西岡氏
その3人の男に襲われて袋に入れられてそれで担がれて川の船に乗せられたんですよね?
その間何分くらいだったんですか?

☆曽我ひとみさん
もちろん私もその時に自分自身何が何か分からないくらいだったんで、時間と言われてもちょっとあれですけど、そんなに長い時間じゃなかったような気がします。

※西岡氏
そこが大事なんで確認しますけど、途中車に乗せられたりとか隠れ家のような所に連れて行かれたんじゃなくて。
その3人の中の一人に担がれてその3人と一緒にボートで、小さな船ですよね最初は。
小さな船で外に出て、そこから一回乗り換えて大きな船に乗ったと、それでいいんですか?

☆曽我ひとみさん
そうです。

※西岡氏
ゴムボートみたいだったんですか?

☆曽我ひとみさん
私がぽっと置かれた所は板みたいになってて、下がどうなってるのかちょっと私も袋に入れられているので分からないんですけど、置かれた所はとにかく下に板がありました。

※西岡氏
そこでつまり曾我さんがいて、3人の男がいて、そして何か他にお母さんの気配とか無かったんですか?

☆曽我ひとみさん
その時母の気配は感じてないんですけど、その時に下手な日本語と言うか、で、話をしている女性がいました。

※西岡氏
下手な日本語と言うのは日本人の日本語じゃないということですか?

☆曽我ひとみさん
はい、そうです。

※西岡氏
女性。
曽我さんに対して話しかけたんですか?

☆曽我ひとみさん
いいえ私に対してじゃないです。

※西岡氏
そこのボートの所に男3人と下手な日本語を話す女性一人と、曽我さんが袋にいれられていたと。
男3人は朝鮮人ですから下手な日本語を話す必要はないですよね?
曽我さんに話しかけなかったということは、これは私・西岡の推測ですけども、そのボートの別の所に曽我さんのお母さんがいて。

富山の事件で未遂事件がありましたけども「静かにしなさい」とやっぱり下手な日本語で言われてるんですね。
何か暴れたりすると「静かにしなさい」と言われると。
つまり曾我さんは感じなかったけれどもそこにお母さんがいたという証拠じゃないか?
そこでもう一回聞くとそこでどんな話をしてたんですか?
「静かにしなさい」の他に、意味は分かったんですか?

☆曽我ひとみさん
私がいた場所よりもちょっと多分離れた場所にいたと思うんですよ。
それで日本語で話してるな、と言うのはハッキリと分かるんですけども、その一言一言がどういう話の内容だったか?っていうのは私は分からないです。

※西岡氏
でも下手な日本語だ、と言うのは分かったんですよね?
例えば通りかかった人に日本語で話しかけたら、その人に外国人だというのがばれてしまうから隠れているのに、曽我さん袋に入れて逃げようとしているのに、通りかかった人に日本語で話しをするのは考えられないですよね?

☆曽我ひとみさん
考えられないです。

※西岡氏
朝鮮人工作員と、その人が北朝鮮の工作員の多分一味だと思うんですが、やはりそこの近くにお母さんが入れられていたんじゃないかなぁと思うんですけどもね。

☆曽我ひとみさん
私もそう思います。

・・・続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリー中、資料の部分のテキスト化は金木犀様によるものです。
いつもの事ながら、ご協力感謝いたします。


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