2005年05月16日

曽我ミヨシさんを救うぞ!東京集会(5)05.5.12 豊島公会堂にて

『曽我ひとみさんのお話(5)』



※西岡氏
そしていつも私いろんなところで言うんですけど、月や星を見ながらいつ帰れるか?と思っていたと。

☆曽我ひとみさん 
その話なんですけど、向こうにいた24年間の間にも日本から来る代表団って言うんですかね?
いっぱい人が来ました。
もちろん私が直接会ったわけでもないですけど、テレビではどこの党の人が来たとか、どこを訪問しましたとか。
そういったのがニュースで流れるんで、また日本の代表団が来たんだなぁ?
今度は何か良い知らせがあるかなぁ?

それも一人二人じゃありませんでした。
沢山の人が来て、それも1日2日でもう次の日には帰ってしまって、あぁまた何にも無かったんだ。
やっぱりこういうふうにして連れてこられたと言うのを、知らなかったのかなぁと。
日本のなかでどういう運動があるのか、私たちには全然分からないし。
ただただ、日本の代表団に会って「一緒に連れて帰ってください」と、言いたいと思ったのは何度もありました。

だけど、そうすることも出来ず、ただただ、我慢。
この次は、この次はと、ずっと我慢してきました。
夜になれば日本でも北朝鮮でも空には月、星。
見るといつも佐渡が頭の中に浮かびました。
そしてそれと同時に、お母さんのこと、いつも夜、月を見ながらいつになったら日本に帰れるんだろう?
誰か助けに来てくれる人はいないんだろうか?と、いつもいつも思ってました。

※西岡氏
日本の国会で拉致のことが認められるのは1988年ですから。
その後は日本の政治家は拉致のことは分かってたんですよね?
分かってる人が、北朝鮮に行って何も取り上げなかった。
その間、曽我さんはいつも月や星を見ていた。
残念ながらそういう事になりますよね?

☆曽我ひとみさん
(消え入りそうなほど小さな声で)そうです。
だからまだ日本に帰って来れない人たちのことを思うと、本当に心が痛いです。
私の母もそうです。
もう73です。
今の日本なら80、90って言ってもまだ元気でいられる方が一杯います。

向こうにいる人、日本で待ってる人。
本当に一秒一秒が大切です。
その大切な時間を本当に皆様方のお力で、皆が日本に帰って来て、笑顔で生活出来るようにお願いしたいと思います。

※西岡氏
最後に聞きたいんですけど、日本に帰ってくる事が出来た2002年までに、お母さんのことやめぐみさんの他に日本人のことを知ろうとはしましたよね?
お母さんいるかもしれないと思ってらっしゃったわけですし。
その日本人のことについて何か聞いてることがあれば、ここで話せることがあればお話してください。

☆曽我ひとみさん
日本人って言うか、(北朝鮮に)行った当初ですけど、ちょっと遠くで後姿を見たとか、少し話して日本人がいるというようなそういう話は耳にした事はありますけど、直接その人に会ったとか、そういうことも無かったし。
まぁ遠くで見たことはあるんですけど、その人がじゃあ誰か?って今言われても。

※西岡氏
男性ですか?女性ですか?

☆曽我ひとみさん
男性も見ましたし、女性も見ました。
行った当初ですけど。

※西岡氏
それ以外は分からなくて、結婚した後はそういうところからも離れて。

☆曽我ひとみさん
ほとんど外部との接触も無いと言うか。
そういう人たちとは違う場所で結婚してからは生活してたので。

※西岡氏
後姿を見たのはいつですか?
一回だけですか?

☆曽我ひとみさん
行って何日かしてからですね。
平壌に行ってから。

※西岡氏
めぐみさんに会ってから?

☆曽我ひとみさん
会った前ですね。
会う前。

※西岡氏
二人ですか?
後姿?男と女?

☆曽我ひとみさん
男と女ですね。

※西岡氏
歳は?わからない?

☆曽我ひとみさん
まぁ、若いとしか。
後姿しか見てないし。

※西岡氏
もしかしたら増元さんと市川さんだったかもしれないですね。
同じ時期だったし。

☆曽我ひとみさん
ちょっと分からないです。

※西岡氏
ありがとうございました。
(大きな拍手)


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