2007年03月30日

神雷の夜桜

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昨日、夕方から靖国神社へ行って来ました。
ちょうど東京の桜は満開宣言が出て、叔父の魂の宿る神雷桜も見事に枝一杯に花を咲かせておりました。

特攻に限らず、戦地で命を落とした犠牲者の中には、骨のひとかけらさえも故郷の家族の元に帰れない人が多い。
でも自分の魂は必ず靖国の社に帰るから、会いたくなったらいつでも九段まで来て欲しい、と多くの戦死者が遺書にその言葉を残しています。

特攻の叔父さん。
今年はどの枝に花と咲いてくれたのでしょうか?
命の極限を体験した戦友たちとどんな会話をしているのでしょうか?
一抱えもある神雷桜に寄り添って、長いこと私は叔父の言葉を待ちました。

余りにも長いこと神雷桜に寄り添っていたら、通りがかりの年配のご婦人から、「どうかされましたか?」と声をかけられました。
桜の幹に頭をつけてもたれかかっている様子を見て、どうも私が具合を悪くしているように見えたらしい・・・(笑)
「大丈夫です。私はこの桜にゆかりの者です。遺族なのです」
と申しましたら、ご婦人は納得されて「そうでしたか。お邪魔してごめんなさいね」と言う言葉を残し、過ぎ去っていきました。

多くの見物客にとって、桜はただの桜です。
でもゆかりの者にとっては、あれは単なる桜ではない。
靖国の桜は、遺族にとって魂のよりどころ、そして家族の絆を確かめるところ。

だから私は靖国神社へ「桜を見に行く」とは言いません。
「会いに行く」というのです。
魂の桜に会いに行き、私は叔父の魂に触れ合うのです。

靖国神社の境内には、いつもはなにやら重苦しい一種の妖気のようなものが漂う場所であります。
いつもならその重苦しさに圧倒される私なのですが、今回に限ってはその重苦しさを感じる事が全くありませんでした。
なぜなのだろう?
昨日は幾ら話しかけても、特攻の叔父は一言も返事をしてくれませんでした。

これはどういう事なのか?
私の感性が鈍ってしまったという事なのか?

一晩明けて、今私はこんなふうに考えています。
ここ数年、私は色々な手段を通じて叔父の魂に近づこうと努力を重ねてきました。
その努力が実って、叔父が最期に残しおきたいと願った思いが、肉親の私にも多少は理解できるようになったのかもしれない。
それゆえに叔父は満足をして、昨日は語るべき言葉を発しなかったのかもしれないな、と。

ただ安らかに。
私の願いはそれだけです。
家族の幸せだけをひたすら願い、沖縄の海へ命を投げ出した私の特攻の叔父。
叔父の魂の宿りし神雷桜の幹に抱きつくようにして、私は感謝の言葉を捧げました。

叔父さん、あなたのおかげで私も母も元気で暮らしています。
あなたの顔に泥を塗るような恥ずかしい生き方はしておりません。
これからもどうか温かく見守っていてください。
また、会いに参ります、と。

年に一度、わずか1週間ほどでその命を終える桜の花。
余りにも短い生を終えなければならなかった特攻隊員たちにとって、これ以上お似合いの花も他には無い。
靖国の桜に花と咲くことを誓って、命を散らした多くの兵士たち。
彼らの犠牲の上に今の日本の繁栄がある事を、私たちは決して忘れてはいけないと思います。

桜の季節、花見を楽しむその心の片隅で、どうか先人の犠牲を思って欲しい。
それが過去から未来へと命をつなぐ、現在に生きる私たちの役割であると思います。


posted by ぴろん at 08:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ぴろんさま
初めてコメントいたします。
およそ8ヶ月ぶりの「特攻の叔父の話」の書き込みを拝読いたしました。
さて、この8ヶ月の間に何があったのかな?というのが正直な感想です。


昨年の文体は、悲しく、切なく、そして心重たいものを感じさせていました。
そして今回の文章は、一言で言えば「憑き物が落ちた」と思うほど文章が心軽やかになっていると感じました。
読み手に負担を求めず、そして、読み手がちゃんと書き手の考えを理解できる、そんな文章だと思います。

我々は、戦争は極力避けなければならないが、大事なものを守るためには戦争も辞さずという心構えを忘れています。
でも、拉致事件の発露から、この心構えが必要だと考える人が徐々に増加しているのも事実です。時計の振り子が、60年をかけて左?に大きく傾いていましたが、拉致事件をきっかけにゆり戻しが始まったのではというのが実感です。
今後とも機会あることに、本エントリーの書き込みをお願いします。

以上、愚考まで。
Posted by KINA at 2007年04月06日 18:44
★KINA様

はじめまして、ようこそいらっしゃいました。
特攻の大叔父に関するエントリーをお読み下さったようで、心より感謝申し上げます。
素人の駄文でどこまで叔父の思いを表現できているのか分かりませんが、少しでもKINA様のお心に響く何かがあれば私としても大変嬉しく思います。

さて、8ヶ月ぶりの特攻の大叔父のエントリーに関してなにやら印象が変わったとのご感想を頂き、我が身を振り返って考えているところでございます。

特攻の大叔父の話は物心ついた子供の頃から聞かされていたので、私にとっての特攻は他の方に比べれば非常にリアリティーのある話ではありました。
でも、それは所詮伝聞情報であり他人事だったのだと思います。

拉致問題に関わり、国を護るとはどういう事か?と考え始めた時、突然のようにこの大叔父の存在が重たく私の肩にのしかかってまいりました。
その重さの意味は何なのか?
特攻の大叔父は一体私に何を伝え、何を残しおきたいと思ったのか?
七転八倒しながら叔父の心を追いかけたのがここ数年の私の有り様だったのだと今は考えています。

拉致問題に取り組めば取り組むほど、戦後の日本が如何に平和ボケをしてしまったか?
日本の良き伝統や文化を如何に蔑ろにしてしまったか?
思い知らされる日々であります。

「後を頼む」
その思い一つで命を投げ出した大叔父。
彼が残しおきたいと思った心がいくらかでも私の心に通じたのなら、それが大叔父の思いを私の思いとして真に昇華できた証しなのだろう、と考えてもおります。

今年は5月4日の大叔父の命日に靖国をたずねようと思っています。
その時、大叔父は私に何を話しかけるのか否か?
私が大叔父の心を受け継げたのかどうかが試される一日となりましょう。
その折は、その感想などもこのBlogで紹介しようと思っています。
引き続き、お付き合いいただければと存じます。
Posted by ぴろん at 2007年04月08日 09:33
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