2007年04月02日

土浦にて

P4010014.jpg

昨日私は母を連れて、茨城県の陸上自衛隊土浦駐屯地内にある、「雄翔館(ゆうしょうかん)」という予科練の記念館を訪ねてきました。
http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/heiki5/yokaren/yokaren.html
ここは戦前、予科練教育の中心的施設があったところだそうで、そこに私の特攻の叔父の遺影が飾られていると聞き、是非一度たずねてみたいと、母と共に足を運んでまいりました。

駐屯地内にある記念館は、それほど大きいものではありません。
学校の教室二つ分くらいの小さな展示室に所狭しと、遺影や遺書などが飾られています。
私の特攻の叔父も話に聞いたとおり、海軍の白い軍服姿の写真と両親に宛てた遺書の写しなどが、ガラスケースの向こう側に展示してありました。

特攻の叔父ゆかりの場所を訪ねるとき、母はいきなり7歳の少女に戻ってしまいます。
今年69歳のいい大人が、人目も憚らず、記念館の中で号泣をする。
「叔父ちゃん、叔父ちゃん」と涙声で話しかける。
それが特攻によって直接に命を護って貰った遺族のありのままの姿なのだろうと思います。
母は結局1時間以上も記念館の叔父の写真の前で号泣を続けておりました。

少し前の私なら、母と共に泣いて涙を流していました。
でも、今回は私は一粒の涙も出なかった。
なぜなのでしょう?

無論、私とて悲しくないわけではないのです。
しかし、直接には特攻の叔父を知らない私の思い・感じ方は、やはり母のそれとは微妙に違う。
直接に知らない分だけ、冷静に客観的に特攻についてのあれこれを読み取る余力が、おそらく私の中にはある。
ただただ肉親として悲しむだけでない何かが、私の中に根付いたようにもこの頃感じられてなりません。

生還不能の決死の突撃。
桜花に乗り込む直前、「では往きます」と、母機の一式陸攻の搭乗員に別れを告げたその姿は神々しささえあったという。
最近入手した地元の郷土史研究家の方の著書によって、私は叔父の最期の様子を知りました。
悟りの境地というのは、そういう姿の事を言うのでしょうか?

自分の愛する家族を護りたい。
そう思わなければ、特攻などと言うおよそ無謀な作戦にその身を投じることなど果たして出来るのか?
大事なものを護るためには、時に命さえも投げ出さねばならない時がある。
それを身をもって私に教えてくれたのが、特攻の叔父。

特攻で死んだ人はただ、可哀想だけの人なのか?
現実問題として、きれい事では済まない無い何かがこの世にはあります。
「戦争はいけないこと」といった決まり文句だけでは解決のつかない世界の矛盾。
極限状態に追い込まれた時、人はどうあるべきなのか?
どうすれば、自分の愛する家族を護り故郷を護り、そして国を護れるのか?

もっともっと、私たちは考えなければならない事があるのだと思います。
のんびりと平和ボケしている間に、忘れてしまった物・失ってしまった物の如何に大きいことか。
真の平和を享受するために、私たちが払わねばならない代償について、戦後の私たちは考えることさえ拒否をしてきました。

でも、そろそろ私たちは目覚めても良い頃合だと思う。
自分の身だけ安泰であれば、という甘えはそもそもはじめから通用しないのだから。
幻想の海の中で惰眠をむさぼる事は、そろそろ許されない時期に来ているのではないか?
そんな事を思いながら、私は資料館を後にしましたが。

資料館の外は、春爛漫の桜の花。
同じ桜の花と書いても、花の桜は平和の時代の私たちの心を和ませる美しい存在です。
しかし、特攻機「桜花」は、同じ桜でも人の命を散らす花。
沖縄の海で、「桜花」と共に散った一つの若い命を、どうか時には思い起こしてください。

いまだひとかけらの骨も故郷に戻れない叔父に会うためには、こうした資料館の類を訪ねていくより他にない。
69歳の良い大人が、一瞬にして7歳の少女に戻り、「叔父ちゃん、叔父ちゃん」と声を上げて泣く。
ガラスの向こうに飾られた写真を前に、「このガラスより近くには叔父ちゃんのところへ行けない。叔父ちゃんに手が届かない」と言っては、また泣く。
「叔父ちゃんの顔に泥を塗るような生き方はしてないよ、叔父ちゃんこれからも私を護ってね」と言って泣く。
それが遺族のありのままの姿であるのだと、どうか心の隅に刻んで欲しいと願っております。


posted by ぴろん at 07:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今、私たちは誰のお陰で生かされている
のか?
間違いなくぴろんさんの大叔父さんを
含む、靖国に祀られている二百数十万人
に及ぶ大東亜戦争で散華された、英霊
の力によって生かされています。
靖国で眠る御霊は苦悩を重ねつつ、それ
でも最後は何故、笑って散華する事が
出来たのか?
それは後に残った者達が、郷土を同胞を
そして祖国日本の歴史と伝統を、しっかり
と守ってくれる。そう信じたればこそ
だと私は思います。
ぴろんさんの大叔父さんの辞世に出てくる
「国に忠なるは親に孝」と言う考え方は
”一旦緩急アレバ義勇公二奉”ずるのが
当たり前だった時代の、出征兵士の常識でありました。
”国に忠誠を尽くし太く短く生きる、それ
が親孝行”と言う、美しくも悲しい考え方
の根底にあるもの、それは自分たちが華と
散る事で、家族を祖国を郷土を守り、後の
世に生まれてくる日本人に、自分たちが
守った祖国を残し伝える、そうして日本を
同胞を守る事で、もし後の世に措いて日本
が受難を迎える事があったとしても、各々
の時代で各々の人々が、自分たちに倣って祖国を家族を同胞を守ってくれる、「死
するも意思となって生きる」とでも言う
べき考え方であったと思います。
靖国に祀られている英霊は、後の世に生
まれた私たちに対して、”同胞・郷土・
祖国を護ってくれ”と言う付託を残されて
散華されたのです。
しかるに最低で見積もっても百五十人から
の拉致被害者が、北朝鮮によって連れ
去られたまま、長きに渡りこれを捨て置き
、家族会にだけ孤独な闘いを強いてきた。
これは英霊の御遺志に背くを通り越して
、汚水をぶっ掛けるが如き行為に他なりま
せん。
我々日本人全体が一致団結して、拉致被害
者奪還を”国是”とでも言うべきものにし
闘う姿勢を示さなければ、我々は英霊の御
遺志に、後生背き奉る事になってしまい
ます。「神雷の夜桜」「土浦の大叔父
さん」各々心して読ませて頂きました。
私の家系には大東亜戦争で散華した英霊は
おりませんが、ぴろんさんと同じ様に、
英霊に生かされている一人の日本人として
、その付託に答えるべく拉致被害者救出
運動に取り組んで行こうと思います。
これからもご指導の程よろしくお願い申し
上げます。
Posted by NOGI at 2007年04月04日 16:23
★NOGI様

身に余るコメント、ありがとうございます。
特攻に限らず戦争で命を散らした先人達は、後に残る者たちに心を託しているはずだと思うのです。

心を頼まれた私たちは、先人の犠牲の上に胡坐をかくのではなく謙虚にその心を受け継がねば、死んだ者はいつまで経っても浮かばれないと思います。
そして一旦事あれば、私たちもあなた方の後に続くと誓う場所が靖国であるとも私は考えています。
その誓いを裏切らないためにも、日本の国難であり主権侵害である拉致問題解決のために、微力ながら自分に出来る精一杯を努めたいと思うのです。
そうでなければ、私があの世に逝ったとき、特攻の大叔父に合わせる顔がありませんのでね。

ご指導などととんでもない。
私こそこれからもいろいろと教え諭していただきたく思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by ぴろん at 2007年04月08日 09:19
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