2007年05月05日

母の涙

特攻の大叔父の62回目の命日に合わせて、昨日靖国参拝をして参りました。
昨日のBlogにも紹介したように、今回は拉致問題の支援活動で知り合えたお仲間を誘い、私と私の母を含めると総勢14名の大所帯での一日となりました。

参加者には靖国境内内の大村益次郎像の下に集合してください、とお願いしました。
言いだしっぺの主催者が遅刻をしては話にならないので、30分ほど早めに行って参加者のお出でをお待ちしました。
事前の約束どおり、次々とお誘いしたお仲間が集まって来てくれる光景に、まずは胸が熱くなりました。
連休の最中、それぞれに忙しい時間を割いて集まっていただける。
それだけでも靖国の社におわす大叔父の御霊はさぞかし喜んでくれたことでしょう。
何しろ明るく朗らかでどこに行ってもすぐに仲の良い友達を作る名人だった大叔父は、賑やかなことのたいそう好きなひとでもありました。
昨日の団体様ご一行の参拝を一番喜んだのは、私でも母でもなく、特攻の大叔父その人であろうと思っております。

私がこの参拝で参加者の皆さんに一番見てもらいたかったもの。
それは一番の近親者である母の涙でした。
戦後62年の年月を経て、大叔父の戦死時7歳の少女もすでに老年の域に入っております。
まだまだ元気ではありますが、体の衰えはやはり隠せない。
しかし、その母が靖国に参り、叔父の魂に触れた瞬間、一瞬にして7歳の少女に逆戻りしてしまう姿を理屈抜きで見てもらいたかったのです。

この参拝に合わせ、大叔父の人となりを知ってもらうために、事前に私はたくさんの資料を準備しました。
神雷桜の前で、遊就館の桜花の模型の前で、私は大叔父の生涯や家族としての思いなどを拙い言葉で語りました。
でも、そんなものは家族の心情を伝える力の1%にも満たない。
それよりも何よりも生前の大叔父を知る母が、神雷桜の幹に抱きついて号泣する姿をとにかく見て欲しかった。
それを見て何かを感じて欲しかった。
そして感じた何かを、それぞれの参加者が今後の糧にしてくだされば、それが何よりもの大叔父の供養になる。
私はそう考えたのです。

実際、靖国の神門をくぐると同時に神雷桜に駆け寄り、桜の太い幹に抱きつくようにしていきなり号泣を始めた母の姿を見て、びっくりした参加者もいらっしゃいました。
参拝後の懇談会の席で、私が参加者に感想を聞いて回った時も、あの母の姿に驚いたと仰ってくださる方は少なくありませんでした。

遺族の感情を言葉で語る事はいくらでも出来ます。
でも言葉以上に語るべき何かは、やはり生身の遺族の姿を見て感じてもらうのが一番良い。
それが今回大勢のお仲間にお声かけをさせていただいた一番の理由でした。
そしてその思い通り、それぞれの心に遺族の思いは通じてくれたものと私は信じております。

短い生涯を特攻と言う形で閉じた大叔父。
その叔父さんが大好きだったという母は、叔父さんの話になるといつも涙ぐんでしまう。
ゆかりの場所を訪ねれば、一瞬のうちに7歳の少女に戻ってしまう。

特攻は出撃したが最後、いつどこでどんなふうに死んだのか?誰にも分からないのが普通です。
だから多くの遺族は、本当に自分の息子や兄弟が特攻で死んだのかどうかが、はっきりと認識できない場合がほとんどであろうと思います。
もしやどこかで生きているのでは?という淡い期待を捨てきれず、長年苦しむ方も少なくなかったことでしょう。

しかし、うちの大叔父の場合は、桜花といういわゆる人間爆弾での特攻だったため、特攻の瞬間を目撃した生き証人がいるわけです。
叔父の搭乗した桜花を牽引して沖縄へと飛んだ母機の一式陸攻は、奇跡的に鹿屋基地への生還を果たし、その乗組員だった人が大叔父の最期を千葉の生家に伝え、さらに大叔父の出撃の様子を手記と言う形で後世に伝え残してくれました。

否が応でも大叔父の死を家族は受け入れなくてはならない。
でも大叔父の特攻の瞬間の目撃者が生還し、その方が戦後を生き延びてくださったおかげで、私たち遺族は大叔父の特攻の詳細を敵方への戦果まで含めて知ることが出来る。
これもまさしく稀有な事例である事は間違いのない事実なのです。

威張るわけではありませんが特攻隊員の遺族である事は、それ自体がすでに稀有な存在でもあります。
それに加えて、大叔父の出撃から特攻の瞬間、戦果まですべて辿れる我が家のようなケースは本当に稀であるとも思います。
その立場にいる私たち遺族に課せられた使命とは何なのか?
そういう自分の立ち位置と言うものを考えた時、私は特攻の大叔父について語りつがねばならないと思いました。
例えどんなに拙い言葉でも、一人でも多くの方へ、大叔父の短い生涯の意味を伝えねばいけない。
それをしなければ、命をかけて7歳の姪っ子を護るために沖縄の海に命を散らした大叔父の魂に申し訳が立たない。
そんなふうに私は感じているのです。

62回目の大叔父の命日に靖国神社へ一緒に参拝しませんか?と呼びかけたのも、ひとりでも多くの方に遺族の思いを知ってもらいたかったから。
その遺族の思いを言葉以上に雄弁に語るのは、母の涙に他ならない、と私は思うのです。

昨日の経験が参加してくださった皆様の心の中で、どのように受け止められてどのように昇華されていくのかは私には分かりません。
けれど、母が号泣する姿には強烈なインパクトがあった事だけは、間違いの無いことだろうと思っております。
後は昨日感じた事を、それぞれの今後に活かしていただければ良い。
そして亡き大叔父の思いを、参加してくれた皆さんがそれぞれの言葉で周囲の人に伝えてくれたらば、それが何よりも大叔父の魂を引き継ぎ、次の世代に伝える力となるであろうと私は信じております。

靖国におわす私の特攻の大叔父さん。
昨日の参拝はいかがでしたでしょうか?
あなたの魂に会うために、全くの赤の他人である人々が大勢集い、あなたの魂に向けて静かに頭を垂れてくださいました。
あなたが残しおきたいと願った心をひとりでも多くの方に伝えるべく微力ながら奮闘した私ですが、昨日の参拝の様子を見て大叔父さんは喜んでくれたでしょうか?

特攻の大叔父さん、石渡正義、享年21歳。
沖縄本島西方の伊江島近海にて、昭和20年5月4日午前8時55分、その若い命を散らす。
あなたが命をかけて護った石渡家の一人、当時7歳の姪っ子である母は今年69歳となり、おかげさまで叔父さんの歳の三倍以上も元気で生きたことになります。
それもこれも、あなたが命をかけて護ってくださったおかげ。
あなたの家族を思う命がけの愛に応えて、これからも日々を過ごしていくであろう母と共に、私も自分の生を全うします。
いつか三途の川を渡ってあなたに会うときに、恥ずかしくない自分でありたいと日々願いながら・・・


posted by ぴろん at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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