2007年05月06日

07.4.10 西岡力氏 東京連続集会27(2)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『西岡力救う会副会長のルーマニア訪問報告』

Img_5028.jpg



今の話とマスコミの報道で大体お分かりと思いますけど、後でお話があると思いますが私たちはジェンキンスさんの本が出る半年くらい前に曽我さんに会ってですね。
日本の政府を通じてそれぞれの国の政府に情報提供をしたんですけれど、中々政府がたくさんいる失踪者から該当者を見つけ出すという作業は難しくてですね。
中々家族に辿り着けなかったんですが、タイではテレビの力で、ルーマニアではインターネットの力で、そして家族の人たちが諦めていなくて捜し続けていたという事があって、離れたところにある情報が結びついて家族が名乗り出ることになったという事を目の当たりにしました。

ルーマニアの場合は、一昨年の10月にジェンキンスさんの本が出まして、その直後にルーマニアの新聞が「ルーマニア人の被害者がいると本に書いてある」と言う記事を書いたんです。
しかしその記事を、ブカレストから4時間くらいの田舎に住んでいるガブリエルさんは気付かなくて、分からなかったんですね。
その記者はその記事を書いた後ですね。
いろいろ情報収集をしていたと。
我々は我々でルーマニア政府に情報を外務省を通じてお話していただいて、日本政府もそういう情報提供をしていたという事だったんですが、実はそのルーマニアの新聞記者が救う会のHPを見ていてですね。
救う会にメールを書いたというんですが、我々はそれに気がつかなくてですね。
返事が出せなかったと。

こちらは政府ルートで捜そうとしていたんですけども、向こうは個人的にしていて、それを我々が気がつかなかったという事もあってですね。
向こうも捜していてこちらも捜していたんだけども、気付かなかったと。
ガブリエルさんは新聞の紙は見なかったようですけども、仕事でコンピューターの修理をやっている方で、去年になってですね。
いろいろとネットをやっていたら、どうもルーマニア人の被害者がいるようだという事がだんだん分かってきて、それで自分ひとりでいろいろ情報を集めていらっしゃったようですけども。

一方ルーマニア人の新聞記者は、イギリスのドキュメンタリー監督が北朝鮮に入って、ドレスノクさんと言う人のインタビューをしていると言うのをネットで知って、イギリスのテレビドキュメンタリー監督に電話を直接かけたりして「情報をくれ」と。
「ルーマニア人に関することだけでいいんだ」と言ったけども、「いや我々もその映画が公表されるまでは取材の事を外に出せないんだ」と言われて、情報をもらえないでいたと。
そしたらですね。
今年の3月にそのイギリスの監督が作ったドキュメンタリー映画がアメリカのテレビで放映された。
それを家族のガブリエルさんがインターネットで、アメリカのテレビ局のサイトに入ってそれを見たんですね。

それで自分のお姉さんの名前と同じ名前の、ある程度ネットで情報を集めていましたから同じ名前だと思ってたわけですけども、その息子が、北朝鮮で生まれた息子の名前が自分と同じ名前だと。
ガブリエルと言う同じ名前で、尚且つその写真がフィルムに映ったもんですから、それがお姉さんの顔に似ているということで、これは間違いないんじゃないか?と思って、そこでルーマニアの記者の記事を過去に遡って辿りついていましたから、ルーマニアの記者に話をしたと。
ただルーマニアの記者の方もイギリスのフィルムを作っているという話は聞いていたから、それで確認をしてみてこれで間違いないと思って、家族が名乗り出たという記事を今年の3月に書いています。

ですから北朝鮮はですね。
多分イギリスの映画監督を北に入れてドレスノクさんのインタビューを取らせたのは、ジェンキンスさんが嘘を言っていると。
ジェンキンスさんが日本に来て、北朝鮮がタイ人を拉致しているとかルーマニア人を拉致しているとか酷い目に遭ったとか言っていると。
そんな事はないんだと。
脱走米兵は待遇を良くしていて、脱走兵が主体思想を信奉しているんだという事を言わせるために取材させたんですね。
ドレスノク氏はそういう事を言っているんです。
北朝鮮としてはジェンキンスさんの情報を否定しようとして取材させていて、それによってフィルムが出来てアメリカで放送されたと。

ところがそれをルーマニアで見ている。
ルーマニアでは放映されていないんだけど、そしてその一部に写った甥の写真を見て間違いないとなって、ルーマニアで新聞記事が出て。
それを我々はルーマニアで新聞記事が出たのを分からなかったんですけど、そしたらワシントンにあるですね。
自由アジア放送と言う、これはアメリカ政府がお金を出してやっている北朝鮮向けの短波放送なんですね。
外の情報を北朝鮮の中に入れるという放送局が、ルーマニアの新聞がそれを書いたのを情報を入手して、ラジオ放送でそれを流して、そのラジオ放送でやったものをまたネットで出るわけですね。

それを見て韓国の韓国日報と朝鮮日報が韓国語で報道して、それが韓国日報と朝鮮日報は日本語のサイトがありますから、それが日本語のサイトを見ていた人が分かって日本でも報道されて、その時私は丁度タイにいて、海老原君と一緒にいたんですけど、私のところに電話がかかってきて、そしてもう一回東京の社会部の私の知り合いの記者に「調べてよ」と言って電話したりしている間にどんどん話が進んで、日本のジャーナリストではNHKが一番最初にガブリエルさんのところへ行って、その後テレビ朝日が行って、朝日新聞が行ってインタビューを取って。

そこでその後、そこで多分朝日新聞だと思うんですけど、朝日新聞の記者の人からブカレストから救う会に電話がかかってきて、「ガブリエルさんが来週家族会と救う会の人が来るといっているんですけど、いつ来るんですか?」と言われて。
まだ連絡先も分かっていなくて行くことも決めてなかったんですけども、多分私たちがバンコクで記者会見をしたときに、「それが本当ならいかなくちゃならないと思います」とかと言ったら、それが報道されたのが、向こうはネットを見ていますから来てくれると思ってしまったみたいで、それ出来てくれるというふうに言われたと電話がかかってきたりして、それで我々は行くようになったという事で、情報がですね。

だからルーマニアと佐渡にある情報が、ルーマニアと佐渡が直結しないでロンドンがあったりワシントンがあったりしてですね。
韓国があったりしながら飛んで結局結びついて、調べてみたらば名前もドイナと言う名前で、家族もお父さんは軍人ということで、そして78年に拉致された。
大体アノーチャさんも78年、同じ年で。

それから後今回ですね。
ジェンキンスさんの本に書いてないことで我々確認しようと思ったのは、島田さんとですけども、去年の12月に東京で国際会議をやりまして、その為にジェンキンスさんに話を聞きに行ったんですね。
「ドイナさんについてもっと詳しく教えてください」と言って教えてもらった情報は、ドイナさんのお父さんが軍隊を辞めるきっかけについて教えてくれたんですね。
「軍隊の中であるパーティーが開かれて、そして軍の自分の上司の将軍との間でちょっとトラブルが起きて、それで軍を辞めさせられた」という話だったんです。

それで私もこの事が頭にあったもんですから、今回お母さんと弟さんに会って「お父さんが軍隊を辞めたいきさつを聞かせて欲しい」と言ったら、1958年に、ずいぶん早く辞めているんですね。
「軍隊の中でお父さんの意見と上司の意見が合わなくて辞めさせられた」と。
その後運転手をやったり、いろんな職業を転々としたと。
軍関係の職業には就いてないんですね。

トラブルがあって辞めさせられたというのと、意見の違いでというのは主観的な物の言い方の違いで、実態としては同じ事を言っていると思いまして、その事は本にも書いてないわけですから、事前に準備することができない情報も一致しまして、間違いないなという事ですね。
ジェンキンスさんと曽我さんが、ドイナさんのいろいろ写している写真を見て、ジェンキンスさんが「これは間違いない」と言っていることがありまして、間違いないと思ってるわけです。

後すみません、話がちょっと前後しましたけど、拉致された経緯。
イタリアに行って結婚して離婚して絵の勉強をしていたところ、香港で個展を開かせてやるとか。
私がジェンキンスさんから聞いたのは、「日本で絵の勉強をさせてやる」とか言われて騙されて北朝鮮に連れて行かれたというんですけども。
現場で聞いてきたのは、「イタリア人と恋愛をして美術学校の1年生の時に結婚をしてイタリアに行って、そこで絵の勉強を続けていて離婚をして、そして絵の勉強を続けていた時ある日本人を名乗る男性が近づいてきて、日本で画廊を持たせてやる」と言ったんです。
お母さんに「大変これはいい話だ」と言って、「うちの経済的な問題は全部解決する」と言って喜んで電話をして来たと。
そのいきさつも一致するわけです。

という事で、間違いないだろうというふうに思いまして、アノーチャさんのときもそうだったんですけど、間違いなければ一番心配なのは向こうでどういう暮らしをしているのだろうという事だと思いまして、行く前に曽我さんに電話をしてドイナさんの思い出を教えてくださいといったらば、「大変手先が器用な人だ」と。
「料理が上手くて、ミシンを買ってきて生地を買ってきて自分で型紙を作って服を作っていた」と。
「ロールキャベツとイタリア風サラダとピザの作り方を私は習ったんだ」と。
「それから生地からワンピースを作ってもらった」と。
「曽我さんと曽我さんの娘二人全部に作ってくれた」と。

いう話を聞いてその話をそこでしましたら、お母さんが涙が出てくるんですね。
どういう暮らしをしていたかと言うのが分かると思い出してしまうんですね。
そしたらガブリエルさんが「いや実はそのロールキャベツはうちのお母さんの得意な料理なんだ」と。
そして「うちの母もミシンで裁縫が上手いんだよ」と。
「それはうちの母から習ったんですよ」というふうに弟さんが言って、そしたらお母さんは、急に思い出を話してくださいといったら、「良い子で話を良く聞いてくれて、実は17歳年下のガブリエルが生まれた時、妊娠して歳が離れているから恥ずかしい」と思っていたら、ドイナが「お母さんそんなに恥ずかしがる必要は無い」と。
「可愛い子が生まれてくるから産みなさい」と。

「そして生まれてきた子に名前を実は娘のドイナがガブリエルとつけたんだ」と。
「私が裁縫の仕事をしていたり料理の仕事をしていたりすると、美術学校の勉強で忙しいにも拘らず、朝早く起きていつも手伝ってくれた」とか、わぁ〜と思い出を我々の前で話すわけですよね。
ここでもそれぞれの家族に思い出を語っていただきましたけど、それと同じで親は自分の子供の事をずっと覚えていているんだな、と。
そして一番やっぱり残酷なのは、どうなったか分からないでず〜っといると言うのは、文化とか体制とか関係なく本当に家族を苦しめていることなんだなと、拉致と言うのは本当に酷いことだなと実感して帰ってまいりました。

「ジェンキンスさんに会えるでしょうか?」と言う話をしましたものですから、「22日に国民大集会をします」と。
「そこに来てくださるのならば、是非我々の方で招待をしたい」と話をしまして、是非ガブリエルさんはという事で来てくださるということになりました。
以上です。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。


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