2007年05月08日

07.4.10 海老原智治氏1 東京連続集会27(3)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その1』

Img_5035.jpg



タイから参りました海老原と申します。
タイの方で、「北朝鮮に拉致された人々を救援する会・チェンマイ」という支援団体を立ち上げまして主宰しています。
救う会の方ではタイの連絡調査員という事で・・・(聞き取れず)いただいております。
今日はタイ人拉致、今現在判明しておりますのはアノーチャ・パンジョイさん1名ですけども、それにつきましてアノーチャさんの生い立ちを写真等を含めまして紹介いたしまして、それからタイ人拉致が判明した経緯、それから最近のタイにおける拉致に関する動きに関しまして約1時間ほどお話させていただこうと思います。

タイ人拉致被害者、今申し上げましたけども、判明しておりますのが1名です。
タイ人の女性、北部タイのチェンマイの出身でアノーチャ・パンジョイさん。
1954年4月12日生まれですので、今現在52歳になります。
4月になりましたらば53歳になります。

Img_5037.jpg

1978年ですね。
5月の21日または7月2日に、出稼ぎ先のマカオから拉致されたことが明らかになっております。
この拉致が明らかになった経緯を若干振り返りますと、次のようなことです。
西岡先生からもお話ありましたジェンキンスさんの証言。
ジェンキンスさんと曽我さんが1980年から1989年まで9年間、平壌郊外に住んでいたときに、そこで米兵のラリー・アブシャーさんの妻として1980年にやって来たタイ人女性、それがアノーチャ・パンジョイさんである、という事です。

約9年間に亘って曽我さん・ジェンキンスさんと非常に親密な交際を続けて、89年に、ちょっと前後しますけども、最初の夫が米兵のラリー・アブシャーさんですけど、結婚後2〜3年で亡くなります。
ずっと独身時代を続けた後、1989年にドイツ人と結婚するという事になって、このドイツ人と言うのは北朝鮮に在住するドイツ人、名前も分からないという事ですけども、結婚することになってそのために北朝鮮当局によってどこかに転居させられた。
それがジェンキンスさん・曽我さんとの別れだったという事です。

それを曽我さん・ジェンキンスさんが2005年の5月に救う会・家族会の面接によって証言しまして、北朝鮮から持ち帰った写真もある。
それを示したわけです。
それがですね、2005年の10月にジェンキンスさんの「告白」と言う本が出まして、ベストセラーになったんですけども、そこに非常に詳細にアノーチャとの交際が記されていたわけです。
それが大きなニュースになりましたために、これがテレビのニュースになりまして2005年の10月の末に、タイのテレビで「アノーチャと言う女性について拉致されたのでは無いか?」と言う報道がタイで大きくなされました。
テレビがこれを取り上げた、そして写真も取り上げられました。

それを偶然アノーチャの家族がそのテレビ番組を見ておりまして、「これは私の家のアノーチャに違いない」ということでテレビ局に名乗りでまして、それがきっかけとなって身元が判明したという事になります。
従いまして2005年の11月に身元が判明致しまして、それから今までですから身元が判明してから1年半という事になっております。

私の方の活動を若干申し上げますと2005年の11月に、アノーチャさんの身元確認のために西岡副会長と増元事務局長がチェンマイの方でアノーチャの家族に面接をするという事をしまして、その際に私の方でお目にかかりまして「タイの方で何かお手伝いできる事はないか?」と申し出たことで、私がこの問題に関与し始めたきっかけとなっております。
その直後に支援団体を立ち上げまして現在に至っているわけです。

それではこれがこれまでのタイ人拉致被害者アノーチャのごく大雑把な経緯なんですけど、ちょっと写真を見ていただきながらアノーチャと言う人の半生を説明させていただこうと思います。
これはアノーチャさんの実家の写真です。

Img_5038.jpg

今実家にいますのは実兄のスカムさんと言う方です。
スカムさんの写真写っていませんけど、ご両親はすでに亡くなっておりまして、特にお父さんは2005年にアノーチャの拉致が判明するわずか4ヶ月か5ヶ月前に94歳で亡くなっております。
今実家を守っていますのは長兄のスカムさんで、この方は2年前の国民集会にも参加しております。
このような木造の家で典型的な北タイの農村のごく一般的な家庭という感じです。

Img_5039.jpg

アノーチャの個人情報ですけれども整理いたします。
姓がパンジョイさん、で名前がアノーチャ。
なぜかアノーチャと言う名前を改名しておりまして、これは元々はブアパーと言う名前であったという事です。
これは拉致の1年前、1977年にアノーチャに改名しております。
ニックネームはイット。
生年月日が1954年7月12日。
ずっとチェンマイに生まれてからずっといたわけなんですけど、その後バンコクに出稼ぎに出てまいりました。

失踪年月日が1978年の5月21日または7月2日、23歳の時。
この日取りですけれども、ちょっとまだ情報が錯綜しております。
確定しておりません。
これは失踪地マカオに同行した友人がおりまして、私どもも直接電話で何度か話をして直接聞いているんですけども、そこで言うのは5月21日だというんですね。
その人たちが言うには、アノーチャのビザが5月の30日で切れる予定であった。
ビザだかパスポートだかちょっと忘れてしまいましたが、だけどアノーチャは「もう延長しないよ、タイに戻るから」と言っていたので21日で間違いないといっているんですけど、マカオ当局の情報では新聞の方にですね。
二人のマカオ人女性と失踪したタイ人女性がいるという事が大きく報道されていまして、7月2日と言われていましてこの齟齬がちょっと情報を取っているんですけど、まだ分かっていません。

Img_5040.jpg

アノーチャさんの家族構成、このようになっております。
両親がおりまして、お父さんソンさん、1911年生まれの方で2005年に先ほど申し上げましたけども、アノーチャさんの件がニュースになるものの数ヶ月前にですね。
94歳で亡くなっております。
この件、今実家を守っておりますスカムさんが言いますと、まさにですね。
「あと数ヶ月で娘の消息を伝えられたのに本当に残念だ」と繰り返し繰り返しスカムさん言っておられます。

お母さんのノイさん、この方はかなり早くに亡くなっておりまして、あまりアノーチャさんにはお母さんの印象というのはほとんど無いだろうという話です。
長子、3番、お姉さんがいます、ブンユアンさん。
この方は早くに亡くなっておられます。
で、第2子、4番目スカムさんですけど、これがアノーチャさんのお兄さん。
アノーチャさんは、ブユンアン、スカム、アノーチャの3人兄妹の末っ子であるという事です。
6、7、8はスカムさんの奥さん、それから息子さんになります。

Img_5041.jpg

Img_5042.jpg

これがその家族の写真です。
一番左が甥のバンジョンさん。
その隣がスカム・パンジョイさん、アノーチャさんのお兄さんになります。
私を挟みましてスカムさんの奥さんのトーンさん。
これがスカムさんの孫ですね。
アノーチャさんとは面識のない、かなり下の世代になります。

Img_5043.jpg

アノーチャさんがどんな人であったのか?
私ども何度も何度も尋ねているんですけども、家族あるいは友人と言う人が口を揃えて言うのは、次のようなことです。
非常に優しくて親切気のある人である。
それから友人が多い、社交的で友人が多い。
様々な物事に関心がある、知りたがりである。
度胸があって人を恐れない。
それから化粧をしたりして身なりを綺麗にするのを大事にする人。
移動や旅行が好きである。
このようなことが伝えられております。
そんな性格背景もあって失踪地・マカオに出稼ぎに行ったのでは無いか?と思われます。

Img_5044.jpg

ではアノーチャさんが拉致されるまでの半生をちょっと詳しく見てみることに致します。
1954年にチェンマイ県のサンカンペーン郡のファイサーイ村と言うところで出生致しました。
出生時の名前はブアパーと言う名前だそうです。
1961年に同じ村にあります、ノーンセ寺小学校に入学いたしました。
1964年にここを卒業と言うのか修了していると。
これは小学校4年生なんですけど、当時タイでは小学校4年生までが義務教育でして、それをして卒業という事では無いんですけど、当時金銭的に豊かでなかった方は4年生修了で教育は終ったという方が多数いまして、義務教育修了という事でみなしております。

アノーチャさんもそのような経緯だったんですけど、それが終りましてすぐにもう10歳の頃からですね。
家業の手伝いに入りました。
初期のころは実家が農家であったために農業の手伝い、これは田んぼを作ったり果物を作ったりそれから葉タバコを作ったりという事を家がやっておりまして、その手伝いをわずか10歳の頃から行っていたという事です。
その後タバコ工場の雇われ人としまして、北部タイの各地の工場に行ったと。
これも極めて幼い頃でして、わずか10代の12〜3歳くらいの頃からそんな事をやっていました。
しかしタバコ工場の労働と言うのは非常にきつい労働でして、それは幼い女性には辛いという事でもうそういうのは辞めようと言う事で、家業の手伝いに専念してまた家に戻ってきたという事です。

そのようなことで家業の手伝いを中心に仕事をしていたんですけども、チェンマイ市内の職業技術学校に若干通いまして、美容ですね。
美容師になろうと思って美容を習ったと。
そんな事をした後には、今度は実家にいながら様々な農業関係の物品の販売を行なうこともあったと聞いています。

Img_5046.jpg

これが小学生ごろのアノーチャさんの写真です。
それからこれが実業学校で美容を習っていた頃の写真だというのですが、すみません。
どれが、写真自体がきれいに出来ていないのですみません。

Img_5047.jpg

これが先ほどの実家の写真に戻りました。
これは実家の家ですけども、この家につきましては甥のバンジョンさんがこのような事を言っています。
「1978年にアノーチャがいなくなってから、家は何度も建て直している」と。
しかし祖父、祖父と言うのはバンジョンさんの祖父ですからアノーチャの父、それからアノーチャの兄はそのたびに、「アノーチャが帰ってきてどこに帰って来たか分からなくならないように同じ形で直そう」という事で階段の形ですとか階段の前ちょっとベンチのようなところがあったりするんですが、それをまったく同じ形で直し続けてきたという事です。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。