2007年05月14日

07.4.10 飯塚繁雄さん 東京連続集会27(6)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『飯塚繁雄さんのタイ訪問報告』

Img_5076.jpg



皆さん、こんばんは。
いつもお世話になっております。

今説明があったように、私と西岡先生と3月の20日から24日まで、タイへ行って参りました。
もちろん目的は拉致被害者がいるタイ国、並びにその家族の方と連携をとりながら、北に対して国際的な包囲網をがっちり固めていこうという気持ちでおりまして、早く被害者を救出したいという目的でございます。
今海老原先生から事細かく説明がありましたので、私の方からはそこに無い話を若干かいつまんでご報告します。

このアノーチャさんの実家、スカムさんの家はですね。
大体チェンマイ市内から28キロと言っていましたね。
非常な田舎でしてね。
写真にもありましたように、いわゆる高床式の住宅なんですね。
風通しが良くて、上の部屋は窓を開ければ光が入ってくる。
風も入る。
そういう事で昔からそういう知恵を集めた住宅でした。

そこではスカムさんはもちろん、甥っ子のバンジョイさん、それからその奥さんたちにも会いまして、私たちが来るという事で地元のマスコミ・日本のマスコミもいましたけども、相当数来ましてですね。
回りはびっくりしていたという状況なんですが、先ほどもちょっと説明ありましたように、スカムさん非常に気の毒でこの短期間に衰えてしまってですね。
私よりも9歳若いんですけど、頭真っ白、それから耳が聞こえない。
それから足もですね、その高床式の階段を上がるのがやっとだと。
2〜3日前までは全然降りて来られなかったという話も聞いていますけども、結局そういう状況の中で、お父さんも平成5年亡くなりましたし、早く妹が帰ってくることを望んでいると非常に毎日毎日のように思っていると。

私たちが行ったときにですね。
「わざわざ遠く日本から家まで訪問していただいて本当にありがとう」と、涙を流しながら言っておりましたけども、「これによって私も体が弱っているけれども非常に勇気付けられた」と、「元気付けられた」という事で非常に感動しておられました。
やはりその中でも「これからも皆さんと共に、一緒になって家族が帰ってくるまで戦っていきたい」と、気持ちだけはしっかりして強いものを感じております。

それとアノーチャさんが残していったポータブルラジオと言うのがありまして、写真が小さくて見えないんですけども、このラジオをですね。
お父さんがいつも身近において、「アノーチャ、早く帰ってきて欲しい」という念願を込めながら、いつも傍に置いていたと、いう事を聞かされました。
それからアノーチャさんが買ってきたいろんなお土産とか写真とかですね。
部屋においてありまして、いつもそれを眺めながら毎日毎日帰国を待ち焦がれていたという状況を聞いております。

丁度このデータを見ますとですね。
話は変わりますけど、うちの田口八重子の状況とかなり似ているんですね。
拉致された年代も1978年、年齢も22。
うちは22、アノーチャさんは23ですけど、そういった事ですとか、それから働きに出ていた状況とかですね。
非常にそういった面ではアノーチャさん非常に若い時からきれいで、22歳の時の写真もきれいで、そういった関係でも狙われていたかな?と言うそんなことも思いました。
4月22日に先ほども仰いました「国民大集会にも来てください」というようにお願いもしてきましたし、当然ながらスカムさんは無理なので甥っ子のバンジョイさんが来てくれることになりまして、2回目ですけどもさらに皆さんと一緒にこういった活動を是非していきたいという強い意思でございます。

たまたまさっきも出ましたけど、青パパイヤのサラダですね。
さすがに私と西岡先生、食べられなかったです。(笑い声)
一口頂いたんですけどね。
何か異様な味がしまして、酸っぱいのか何か、ちょっと、もちろんそういうお国柄の食事ですからそれなりに好きな人もいると思うんですけども、わざわざ私たちが来るというんで、前の晩作って出してくれたんですね。
「是非食べてください」と。
「これはアノーチャがいつも帰ってくるたび作ってあげているんだ」と。
ちょっと食べたんですけど、残念ながら本当に一口だけで終りました。(笑い声)

アノーチャさんの家族の話は先ほど詳しくしましたので、午後からですね。
チェンマイの県庁に行きまして、チェンマイの副知事に面会しました。
知事は何かいなかったらしいんですけども、話したところ、県庁と言うのはあくまでも内政・内務の関係だけで、外務との関係は一切分からないし、何も出来ないと。
「地元のアノーチャさんの身辺状況をつぶさに調べて政府に報告します」と、「外務省に報告しています」というような事だけだったんですね。

我々がわざわざチェンマイまで来たという事については、非常に日本の活動も更なる理解が深まったし、出来れば何かお役に立ちたいというそういう気持ちはありましたけど、具体的にはあまり活動の中では入り込む感じがしませんでした。
もちろん状況はすでに調べちゃたわけですね。
ですから後は「何か変わった情報があればそれにしてはきちんと報告したい」という事でした。

夕方6時半からタイと日本の友好フォーラムという組織がありまして、先ほど先生が仰ったような支援者の団体もあるんですけど、そこで講演という事で、そこにはバンジョイさん、海老原先生、それからタマサート大学のワリントンさん、女性の先生ですけども来てくださって、それで私と西岡先生が若干お話をしたと。
海老原先生に全部段取りから通訳から何から全部やっていただいて、本当に大変だなぁと言う感じはしたんですけども。
もちろん来てくださった方々は話をいろいろ聞いて、特に拉致が国際的になってきた事を西岡さんの話を感銘を受けて聞いておりましたけど、さらに日本での拉致の実態ですとか、あるいは拉致の解決のための実態ですとか、そういったものを非常にその状況は理解できたという事を言っていましたし、タイ国としましてもですね。
そういったある程度追いつくように私たちも出来ることは何でもしますと、言うような参加者の話もありました。

後は先ほどの出身地の郡長さん、名前ちょっと忘れましたけども、その人が若干お話しまして、その人がアノーチャさんの拉致に関する状況を調べて特定まで持って行った人で、非常にはっきりとその内容が整っておりまして、日本にも行ったんですよね?(西岡氏「はい、そうですね」の声)
日本の集会でも挨拶をしましたけど、そういったときにもいつも参加をして頂いているようです。

それからその前ですがバンコクに移動しまして、行った夜は日本大使館の藤原公使の招待で夕食会を開いたんですが、そこには小山一等書記官、それから先ほどのワリントン先生と海老原先生含めて懇談を致しました。
懇談の内容は忘れました。(笑い声)
要するに、こういう一切含めてですね。
国際的にこういった問題がクローズアップされていく中で、とにかく捨てておけない問題だという事で認識を深めていただいたという事になると思います。

その後23日にタイの外務省に行きまして、先ほどちょっとお話がありましたように、タイ政府の拉致問題の担当者と言うのがおりまして、それぞれ面会しましたけども、その中でシン・トンウン(?)日本部長さんが面会されまして、特にその日本部長の話によりますと日本とのこの問題に関する情報交換はしょっちゅうしてますと。
それからどういう取り組みをしているのか?
あるいはタイとしてもどういうふうにしていかなければならないか?と言うことを考えています。
一貫してこの問題が明確になってからそれぞれ対応しているところですと、言う話がありました。
先ほど話したクーデターが起こって無政府状態のはずですけども、政府が変わっても北の大使館を通じて交渉を続けていくと。

これはタイと北朝鮮は国交があるわけですね。
外務省から大使館を通じてそういった話は持ち込める。
しかしながら、我々の感想としてはですね。
一応話は聞くようなんですけども、全くコメントは無いと。
この問題の共同作業部会を作ろうという事を、提案・要求しても北はこの話をただ持ち帰っていくだけで何の返答もないという事で、タイの外務省としては北との交渉は非常に難しいと。
明日、明後日に解決するような簡単な問題では無いという事を理解と言うか、認識しているようです。

それから私もおや?と思ったのは、タイに7名の拉致疑惑者がいると言う話をしましてね。
これは明確では無いんですけどもそういった人たちもいてですね。
その情報も取りたいんですけど中々取れないと。
何人かの関係者に連絡すると、「協力したくない」と言う返事が返ってくるようなんですね。
ですからそれらを考えてもまだまだ北の拉致に関する被害者と言うか、たくさん出てくると予測されるんですね。

丁度アノーチャさんが拉致されたのは北朝鮮とタイが国交を結んだ後なんですね。
国交を結んでもそんなこと関係なくその国の人を拉致して連れ去る。
いう事が一つ言えるのと、それからもう一つ30周年に再度申し入れたけど返答が無い。
だから国交があっても北朝鮮は正常な状態ではない、というのがタイ政府の外務省がハッキリと認識しているようです。
そういう中でさらにこの問題の追及については、強く解決に結びつくような事柄を要求していくという強い態度は示しておりました。

何か4月に首相が日本に来たんですね。
ちょっと私うっかりしましたけど、その時にもタイ国としての役割をきちっと果たすべく、日本の政府・外務省と協力してやっていきたいと。
タイとしては取りあえずアノーチャ問題について、引き続きやるという強い意思を示していたようです。

それから話はちょっと変わりますが、国連の安保理事会、これは前回北朝鮮非難決議については、いわゆる1718決議ですけど可決されましたけども、タイ国としてはですね。
いろいろ伝統がありましてね。
特定の国を名指す議案については棄権をする。
反対をしないという事よりはいいんでしょうけれども、賛成はしないんですね。
棄権をするという事をハッキリと言っていますが、これの背景とか考え方とか良く聞きませんでしたけども、そういう態度を貫いているようです。

それから午後はですね。
バンコクでのタイ日友好フォーラム、これも拉致問題の講演会を開催しまして、約60名くらいの方が参加されましたけども、主に西岡先生の拉致問題の国際化という事について詳しく説明をし、みんなで手を組んでこの問題を何とか解決して行こうと言うそういった話でしたけども。
ナロンさんですね。
このフォーラムの副会長さんもお見えになっていて、そこでもやはりこの問題については放ってはおけないと。
強い態度で臨んでいくという態度でお話も伺っています。

日本人の方が多かったんですけども、在タイ日本人ですね。
その他、若い方もいまして、こういった拉致問題に対する理解を深めたと。
日本とかあるいは他国の北による拉致の実態だとか、その辺の解決への取り組みだとか、いう事が良く分かったと。
私たちもやれる事があれば努力を惜しまないつもりですというような話も聞いております。

その後は私たちの泊まっているホテルで現地の報道陣と記者会見をしまして、今回の訪問についての目的あるいは成果を思い、今後の方針等を聞かれましたけど。
要するに一人でもそういった被害者を抱えている国としては、もっともっと怒って欲しいというような事も含めながら、ともかくさっきも出ました北に対する拉致に関する件での強い包囲網を作っていくんだと、言う事をちょっとお話しておきましたけど。
もちろんそういった目的で行っておりますので、そういったお話でコメントをしておきました。

後は余談ですけど、バンコクって言うのは気温が39度なんですね。
我々成田を出た時は17度だった。
20度以上も気温の差があってですね。
ちょっと急に行くとまいりますね。
ですからさっきのワリントン先生の日傘を借りまして、それで西岡先生と町を歩いて。
そうしないととってもじゃないけどね、歩けないというか、慣れないせいもあるんですけども。

そういう状態の中で皆さんいろいろ活動していただいて、特に今回海老原先生につきましてはピンからキリまで全部お世話になりまして、本当に助かりましたしお礼申し上げたいと思います。
私の方からは以上です。
ありがとうございました。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。
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