2005年06月11日

田中実さんを救うぞ!東京集会(2)05.6.9 友愛会館にて

『救う会兵庫 長瀬猛氏のお話 その1』

Img_9729.jpg

救う会兵庫の長瀬でございます。
本日はかように皆様お運びいただきましてありがとうございます。

今、平田事務局長からご案内させて頂きました通り、渡辺友夫先生に本来ならご足労いただいて。
この極めて、田中実さんと言うその人となり、どんな人物だったのかを語る人が少ないですね。
この拉致被害者について語って頂くはずでした。
大変渡辺先生も心苦しいと仰っておられましたが、この東京集会に合わせて何とか、と思っていたんですけども、先週から急に容態が悪くなられまして。
持病の心臓の方が悪くなられまして、残念ながらおとついに手術したばっかりですので。
もしこちらにご足労が無理な場合は、先生に私がメッセージをビデオで持ってくる予定だったんですけども。
面会して長時間っていうのも、お医者さんにちょっと止めてくださいと言われていたもので、それも出来ませんでした。

そこでですね。
ただ今よりごく短い時間ではありますが、ビデオで渡辺先生がご発言というのをちょっと見て頂こうと思っています。
こちらのビデオはですね、テレビ局様の方からご提供して頂いた物です。
最初に見て頂く物は約1分半の物でございますが、こちらは関西テレビさんの方からオンエア前の、当時のニュースで流すオンエア前の物です。
約2年前のニュースで使われる前の物を多少(編集して)作っていただきました。

それからもうひとつ、先だってですね。
TBSの報道特集で田中実さんについて相当詳しくやっていただけまして、その中で渡辺友夫先生、かなり長くインタビューに応じていられます。
これはオンエアされた後の物をですね、渡辺先生の息子さんが自宅のビデオで録画されてましてね。
「どうしてもせめてこれだけは持っていって、まだ見たことのない人もいるだろうから、父のですね。気持ちだと思ってやってください」ということで、私が受け取ってまいりましたので、その二つをこれからお流ししたいと思います。
どうかそういうことでございますので、ご了承頂きたいと思います。

最初にそしたら関西テレビさんの方からいきます。
(ビデオのスイッチが入る。
「来大(らいだい)」の外観映像、車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像、曹廷楽のインタビューテープを流す記者会見の映像などが流れる。
音声が小さかったので、聞き取りはほとんど不可)

これはですね、後でまたご説明しますが、田中実さんが拉致される直前まで働いていた中華料理店「来大」と言うお店です
(車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像)
これは韓竜大本人です。
(記者会見場でテープを流す映像)
これは曹廷楽です。
次はごめんなさい、渡辺先生のやつです。
(TBS報道特集の中から渡辺友夫先生のインタビュー部分のみを流す。
渡辺先生のインタビュー部分だけを以下テキスト化)

(田中さんの恩師だとの紹介ナレーションが入った後)
田中実についてはね、今でもはっきり顔が分かるし。
彼は特別な子供でしたからね。
施設から来てる生徒やったからね。
おとなしいし、しかった指導もないし、まぁいわゆる普通の子やったね。

(渡辺先生は修学旅行の思い出を良く覚えているとのナレーションが入った後)
施設のなぁ、先生にお土産くらいお菓子くらい買っていかなあかんのかなぁ?って言うから、そんなんいいですよって、そんな会話しとるんですよ。
そんな記憶もあるんですけどね。

(渡辺先生は来大店主の韓竜大に会いに行ったこともある、とのナレーションの後)
担任や、ってな事を言いました。
田中実の担任やって。
本当のことを話してくれませんか?いうて。
そしたら、俺はそんな事知らんで、って。
俺そんなん、関係ないから、って。
親も無い、兄弟も無い子供でしたから、ちょっとラーメン屋さんの甘い言葉・優しい言葉についほろりとなってね。
行ったのもうなずけますわな。
(渡辺先生は田中さんのこれからも救出活動をするとのナレーションが入る。
ビデオはここで終了)

非常にごく短い渡辺先生のメッセージだったんですけども。
渡辺先生は、昭和40年に田中実さんが神戸工業高校の機械科Bというところにご入学されてから3年間、受け持っておられます。
ですから田中実さんのことは大変よく覚えていらしゃいます。
まず最初に田中実さんと言う人がどんな人だったのかなぁ、ということをですね、私が普段渡辺先生と接したり、あと田中実さんの同級生から聞いている話を多少ね。
お話いただいたこともありますので、その辺のお話を含めてお話させていただきたいと思います。

まず田中実さんのプロフィールでございますが、田中実さんは昭和24年1949年7月28日、神戸市のお生まれです。
幼いときにご両親が離婚されて神戸市内の養護施設、児童養護施設でずっとお育ちになられておられました。
その後神戸市立高羽小学校、神戸市立鷹匠中学校、そしてこの渡辺先生の勤務されていた神戸工業高校を卒業の後ですね。
神戸でも今でも著名な神戸市内の洋菓子店、パンとかお菓子を作るメーカーにご就職になられたんですが、そこもそう長くせず辞められて以来職を転々とされます。

田中実さんが皆さんの前から姿を消したのは、昭和53年です。
1978年6月6日です。
先ほどの最初のビデオで前後しましたけれど、最初のビデオでこれが田中実さんが勤めていたラーメン店ですよと言ったあのラーメン店の来大には、わずか半年しか勤めておられません。
で、なぜこの半年で姿を消したのか?という事についてもですね。
お友達がいらっしゃったとかいろんな話がありますが、それは後ほどですね。
事件の実行犯たちの追跡と言う部分で詳しく触れさせて頂きたいと思います。

この田中実さんという方はですね。
お父さまお母さまがいないと言う境遇の中でも、渡辺先生の記憶の中でもそんなに例えばグレてしまうとかそういうことは全然無かった。
むしろですね、時々照れくさそうにニコッと笑う少年だったと言う記憶があるとおっしゃっています。
今ビデオの中では修学旅行の時に施設から、当然施設から通って来ている訳ですから、施設のスタッフの人にお土産を買っていこうと思うんだけど、どうしたらいいんだろうか?と。
当然そんなにごくわずかの小遣いしか与えられていない中で、その中でお土産に使わなければいけないんじゃないか?と考えられたんだそうですね。
大変に渡辺先生の心を強く打ったと、言うことだそうです。

やはり、お弁当がですね。
神戸工業高校、お昼は当然お弁当を持ってくるんですけど、他の子供たちに比べて粗末。
少しこう、そう思ってたのかな?田中実さんが。
実際はどうだったか分からないけれど、だからいつも隠れるようにお弁当を食べていたと。
「おい、田中どうしたんだ」と言ったら。
そしたら「いやちょっと俺の弁当おかずも少ないし」と言うこともあって、「それだったら職員室で食べなさい」と、言うようなことも何度かあったと。
いうふうに渡辺先生からはお聞きしました。

神戸工業高校というところを卒業した、この児童養護施設からはたった一人なんですね。
で、これはですね。
神戸市の方針として、そういう施設の子供でも成績が優秀でやる気のある子供たちは、積極的に高校進学を進めていこうと、そういう取り組みの一環でですね。
この時期のこの田中実さんの在籍された児童養護施設でたった一人、田中実さんが高校へ行かれたということです。
その後ですね、また2名の方がということですが、非常に数が少ないうちのお一人だと言うことをお聞きしています。

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頑張ってですね、機械科Bと言う所を昭和43年の3月に卒業した時の写真がこれです。
よくまぁテレビでも紹介されていますが、これが卒業写真ですね。
私ちょっと丸印していますが、分かり難いんですけど、これの方が田中実さん。
また後でね、お近くで見て頂いたら良いと思うんですけど。
こちらが渡辺先生ですね。
若かりし日の渡辺先生です。

Img_9748.jpg

こちらは同じく卒業アルバムからお借りしてきました。
これはそれぞれの文化活動の仲間と一緒にスナップと言うか、そういう写真が卒業アルバムの中に掲載されてまして、書道だとかいうふうにお聞きしましたけど、田中実さんこちらですね。(写真前列右を指差す)

Img_9749.jpg

これが卒業写真の個人の写真です。
高校卒業ですから、17〜8の頃の田中実さんです。
29歳で拉致されてますから、拉致される10年前の写真ですね。

Img_9752.jpg

こちらのお写真がおそらく拉致されたときに一番近いと思われる成人後の田中実さんの写真です。
これも偶然ですね。
知人が保管されていた物を報道機関の方が保管されていた物を、私ども救う会兵庫がご好意でお借りしております。
これはお友達と一緒にですね。
京都に旅行された時の写真だそうです。
田中実さんはこの頃になりますと、大変女性に良くおモテになったという噂、周辺の人の記憶では女性におモテになったと。
まぁ、プレイボーイと申しますかね。
若い日は誰でもそうなんでしょうけど、そういう側面もこの頃持ち合わせていたと。

あとでまた詳しく説明しますが、田中実さんを語る上でどうしても切っても切ることの出来ない特定失踪者に金田竜光さんと言う方がいらっしゃるんですが。
この金田竜光さんと言う方は、いっつも田中実さんの後をついて歩いていたそうです。
「金ちゃん金ちゃん」と呼ばれていた金田竜光さんはこの田中実さんを本当の、まぁ金田さんもご両親はいらっしゃるんでしょうが同じ養護施設ですからね。
同じ境遇ですから兄のように慕っていたと。
そういうことは結構ですね、周辺の様々な方が今でもご記憶になっています。
当時ちょっと若気の至りと申しますか、少しねお遊びが過ぎたような田中さんに対してですね。
金田さんと言う人はちょっと引っ込み思案で、傍目にもちょっとコントラストがハッキリしているような二人だったと、そういう二人だったというお話を聞いております。

田中実さんはですね、なぜこの中華料理店に勤めることになったか?と言いますと、これは金田竜光さんが先にこの中華料理店に就職されていて。
まぁ、なんて言ったんでしょうかね?
おそらく「兄貴」なんて呼んでたんでしょうか?
「ふらふらしないで兄貴、中華料理店で働きなよ、ラーメン店で働きなよ」といったことを言ったのでしょう、おそらく。
引き込むと言うか紹介するという形で、先に金田さんが勤めていてその後から田中さんが就職されたと、いうふうに聞いております。

ちなみにですね。
少し金田竜光さんと言う方のプロフィールにも触れておきます。
金田竜光さんは昭和27年1952年のお生まれです。
田中実さんの3つ年下ですね。
金田さんは高校には行かれておりません。
金田さんは昭和52年1977年、田中さんが拉致される前年ですね。
この来大に就職しております。

このあたりは正確に何年の何月と言うのは分からないんです。
周辺の人たちの何となくという記憶を整理していますのでだいたいの推測ですが、年を越えて昭和53年1978年の初めの方ですね、田中さんを連れてきたと。
で、もう6月には田中さんはウィーンに行かれてしまうと。
その後の金田さんはですね。
昭和53年、田中さんが拉致された年と同じ年の年末に田中さんの後を追うといって姿を消してですね。
その後全く音信が途絶えております。

最近私どもが得た情報でございます。
1次情報ではございません。
私どもが2次的にお聞きしている情報でありますが、金田竜光さんは、まぁお名前からもハッキリしているんですが在日ですが。
当然在留許可証を持っておられますし、海外に行かれるときは再入国許可証と言う我々で言えばパスポートに該当する物が交付されているんですが、これらが使われた形跡がございません。
と言うことは田中実さんの後を追いかけて姿を消したんだけども、ウィーンには行っていないのか?
あるいは別の人間に成りすまして海外に出る必要があったのか?
あるいはまだ国内にいるのか?
まったく分かりません。

私どもが田中実さん、金田竜光さんの本当の素顔に迫るお話と言うのは、正直申し上げまして今お話したくらいが全てです。
なんかね、コンクリートの壁を一生懸命引っかいているような、ほとんど音が伝わらないようなもどかしさをお持ちだと思うんですけども、本当に情報が少ないです。
これからね、私のお話しすることはその極めて人物像が不確かなこの二人にですね。
それでもいろんな形で方々から情報を集めて、少しずつ人物と事件の背景に迫って行こうと我々ボランティアで協力してやっておりまして。
今日はたまたま私がこうして発表の機会を頂戴しておりますので、私が発表すると言う経緯をご披露させて頂きたいと思います。

今日お手元の資料はですね、前回合同学習会で皆様にお配りしたものとほとんど変わっておりません。
前回の合同学習会の時にお話した内容は割愛させて頂いて、韓竜大と曹廷楽の二人ですね。
拉致の実行犯がどういう組織に所属していて、どういう活動をしていたのか?
我々がどういう証拠に基づいて彼ら二人を告発したのか?と言う部分にですね、今日のお話の重点を置いていこうと思います。

まずですね、後ほど西岡先生のお話でも登場するとは思うんですが、張龍雲さん。
朝鮮語読みではチャン・ヨンウンさんという重要な、田中実さんを語る上で重要な方がいらっしゃいます。
こちらの「朝鮮総連工作員」と言う本を書いておられます。
小学館文庫から発売されている物なんですが、この中に田中実さんの拉致及び田中実さんの拉致を実行した「洛東江(らくとんがん)」と言う秘密工作組織について詳しく書かれています。
この張龍雲さんという方はお亡くなりになってしまったんですが、本当にお亡くなりになる直前にですね。
私偶然にも面識を頂戴することが出来まして。
私がお会いした時にはもう車椅子に乗られておられて、おそらく片足を失われて義足になられていたと思うんですね。
糖尿病がすごく悪化されていて、張龍雲さんと私がお会いしたのが平成12年2000年の秋にですね。
神戸市で初めて初対面でお会いすることが出来ました。

そのときにですね。
この本が出ているのは知っておりましたけれども、張龍雲さんがどういう経緯でこういうふうに至ったのか?も、それほど僕自身詳しく知らないまでも。
まぁ、お名刺を頂戴しましてね。
「もっと早く皆さんの前で真実を語るべきだったんだけど、僕には時間が残されていない」と。
「だから分からないことがあれば何でも聞きに来なさい」と、お名刺を頂戴しました。
その日の講演を聞いて、その後もう1回2回お電話でお話をすることはあったんですけど、半年後、翌年にはですね、張龍雲さんお亡くなりになりました。
私どももせっかくの張龍雲、面識を得ておきながら、お亡くなりになった以上これはどうにもならないな、と思いながら、運動を進めておりましたところ、実はこの張龍雲さんと私どもが出会ったということが、その後の韓竜大と曹廷楽の告発に持ってまいります。

田中実さんの写真を私ども公開したと言う話は前回もお話しているんですけど。
当然この写真は神戸工業高校の卒業写真を公表した時に、大変大きな反響がありまして各方面から様々な証言がもたらされるようになります。
まずですね、田中実さんの拉致を直接手を下したというふうに書いてある韓竜大。
田中さんが勤めていた来大、元店主ですね。
ラーメン店の店主というふうに紹介されておりますけど。
この人をどうやったら告発できるのか?と言うことを考えたんです。
ひとつはこの張龍雲さんが家族会の横田さんにですね、告白の手紙を送られていましたので、その本旨と言う物を改めて証拠価値があると。
それから当然田中実さんというのはこういう人だったんだよ、と言うことが証言できる渡辺先生の証言。
それからその児童養護施設の関係者の証言と言う物が得られました。

ただ、どうしても犯行であるとか組織であるとかに近づく証拠と言う物が、我々の手元には全く無かったんです。
色々な情報がもたらされた中で登場してきたのが、金田竜光さんで。
金田竜光さんはどこへ行っちゃったの?ということで周辺の人たちの感情と言う物が、この告発につながっていくんですが。
実は金田竜光さんが、田中実さんの後を追って同じ年の暮れにですね。
とりあえず東京へ行くという事になったんです。
そのときにですね、この周辺の人たちは、「じゃあ金ちゃんの送別会せにゃいかんなぁ」と言うことでこのラーメン店の来大で送別会やってますね。
で、私どもその送別会に出た方に会ってお話をお聞きしました。

その時にはハッキリと「ウィーンに行くんだ」と。
「ウィーンに行く準備のため東京に行かなければならない」と。
全幅の信頼を置いていたのが、この来大の経営者・韓竜大。
そういうシチュエーションの中で彼は旅立って行ったと。
ただ、ごく近しい人には田中実さんが旅立った後ですね。
田中実さんが出した手紙が届いたそうです。
そこには金田さんに対して「金ちゃん、お前もウィーンに来いよ」と。
「仕事もあるし、良い所だ」と言うことが書いてあると。
「でもどうしても田中実さんにしては字がきれい過ぎる」と。
いうことは金ちゃんは不思議に思って、そのことを周辺の人にずい分相談しているんです。

行きつけの居酒屋と言うかお寿司屋さんの大将みたいな人に、「大将、どうもおかしいと思う」と言うことを言っておったり。
最近聞いた話では、お手伝いと言うか少し働いていた雑貨屋の店長のような所には何度も足を運んで、「僕はもうこれから旅に出ます」と言うことを唐突に言ってみたり。
非常に不安げだったという証言がたくさん出ております。

この事実を証言して頂いたことは、これは非常に田中実さん事態も犯罪に巻き込まれたであろう、拉致されたであろうと推測するに十分な。
直接田中実さんということではないけれど証拠であると判断して、証言いただいた方のご協力をいただいて、まず韓竜大を告発いたしました。
韓竜大の告発は、平成14年の10月の4日でございます。
この平成14年と言うのは大変な激動の年でございまして、9月の17日に小泉さん訪朝しましたし。
10月15日には5名の被害者の方が帰って来られる劇的な年ではありましたが、帰国の日にこの告発状は受理して頂きました。

事はこれは一件落着というわけではなくて。
この告発の経緯の中で渡辺先生が当時まだ本当にお元気でしたので。
今から2年ちょっと前は物凄くお元気でしたので、自ら「韓竜大の首根っこ捕まえてぶん殴ってやる」と言って八戸まで会いに行かれたんですね。
ある雑誌の協力で。
でまぁちょっとこれは差し支えあるかもしれませんがその時の写真が、
(雑誌のページをめくって写真を探す)
ちょっとごめんなさい、渡辺先生が行った時の写真持って来てないですけど。
先ほどちょっとビデオで韓竜大が車の中から、「関係ない、関係ない」と言ってる部分がありましたよね?あそこの韓竜大に渡辺先生が直接会いに行ったということもありました。

その時にはもう、韓竜大は知らぬ存ぜぬで「とにかく俺じゃないんだ」と。
「曹に聞け」と「あいつが全部やったんだ」と「あいつに聞いてくれ」と言うのに終始していたんですけど。
それもあって、ならば曹に話を聞いてみようじゃないか?と。
曹廷楽と言う人がいわば犯罪を主導したと言う風に、張龍雲さんの本には書いてあるのだからならば曹廷楽に会いに行こうと、私どもは山形の曹廷楽と言う人に会いに行きました。
まぁそう簡単に会いに行けたわけではないんですが、何とか曹廷楽に話を聞く機会を得まして、約1時間半に亘って、ああでもないこうでもないと彼の話を直接聞く機会があったんです。
もう一度ちょっとそのビデオもう一度。
先ほどビデオの順番が相前後しましたけど、もう一度ちょっとお流します。

(ビデオを再び流す。田中さんについての思い出を語る男性と女性の姿が映る)
これは田中実さんの中学校時代の同級生の方です。
ちょっと早送りしますね。

(記者会見場でテープを流す場面。以下聞き取れる所のみテキスト化)
これが曹廷楽がしゃべっている所です。

・・・・・・田中実なんてまったくそんなの本当に聞いたことが無いよ?俺。本当に・・・・・・

(場面が変わって来大の外観が映る)
これが中華料理店の来大です。
(車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像が映る。以下聞き取れる所のみテキスト化)

・・・そういうことでどうであれ・・・

これが韓竜大です。
これも韓竜大です。
(記者会見場で再び曹廷楽のテープの音を流す場面が映る。聞き取れる範囲のみ以下テキスト化)

・・・・・・田中実は自分の足で、あのウィーンに行ってるんですから、ね。
ね、彼は、だから拉致じゃないでしょう。
自分の足で歩いて行ってる。
ウィーンに・・・ね・・・・・・

(ビデオ終了)

一時間半の話の中でごく短い所しかご紹介できなくて、大変ちょっと我々の準備不足を申し訳なく思うんですが。
少しこの時のやり取りをご紹介しますと、まず我々はですね。
ここまではっきり実名を出されて、しかもこの本が出る前々年にはですね。
週刊誌で告白記事というのが出ましてそこでも名指しされ、さらにこの本でも非常に詳細に犯罪組織のトップであると名指しされていて、しかも拉致だけではなくて、関西のですね。
在日社会の中での経済事件。
十文字山事件とか大乗寺事件とかがあるんですが、在日を対象とした詐欺事件というのに深く関わった犯罪者というふうに書いてあるにも関わらず、曹廷楽と言う人がどういう対抗手段をとったんだろうか?と。

今はですね、山形県でパチンコ屋を営んでおって、一応普通の暮らしをしておると。
それであれば普通であればね。
名誉毀損なり誣告罪なりのですね。
自分の名誉を守るための法の手立てというものを取るのが当然であるのに、そういうことをまったくしていないと言うのを、僕は非常に不思議に思ったんです。
で、会った最初にまずね。
もう息切れの激しい曹廷楽をなだめて。
「まぁまぁ落ち着いてください」と、「とって食おうという訳じゃないんだから」と言う話をして。
「我々はどうしても理解できない」と。
「韓竜大に話を聞いたら、全部あなたに聞いてくれと言われましたよ?」と。
「しかもここにあなた名指しされてるでしょ?」と。
「もし事実無根であるなら、あるいは事実誤認であるなら、当然のことながら名誉毀損とか誣告罪とか様々な対抗手段が打てたでしょ?」と。
そういう話をしたんです。

そしたら曹廷楽と言う人はですね。
田中実の拉致自体は否定しないんです。
ここが僕、実に注目した所なんです。
一番注目した所なんです。
今の短いビデオがまさに凝縮された所なんですが、田中実が拉致されたわけじゃないんでしょ?と。
自分の足で行ったんでしょ?と言ってましたよね?
つまりこれはどういうことかというと、暴力的な拉致をさしているわけなんです。

我々も何の前触れも無く会いに行っているんですからね。
曹廷楽と言う人は拉致と言う物を、横田めぐみさんの例やあるいは曽我ひとみさんの例のような物を完全にステレオ的に頭の中に思い込んでいて、自分の足で歩いて自分の足で飛行機に乗った者は拉致ではないと思い込んでいるからそういうふうに言ってるわけです。
もし事実無根であるなら、田中実なんて者は全く知らないし、土台そんなことがあるはずが無いと言って全否定すれば良いじゃないですか?
まずそれを全く90分にわたって、それを結局最後までしなかったと。
それが我々の確信を得る大きな告発の動機となりました。

・・・続く・・・


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