2007年07月08日

「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観てきました

多忙のため時間を作る事が出来ず、公開から長いこと間を置いた今日ようやく「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観に行く事ができました。
今日はその感想などを少し綴ってみたいと思います。

特攻で戦死した大叔父を身内に持つ私には、映画の内容は特段珍しいものがあるわけではありません。
この程度の事実は、私も個人的に調べてすでに承知のことでありますし。
そして毎度のことながら、この手の作品を見るたびに「映画は所詮は作り物で、本物はこんな程度じゃないんだろうな・・・」という冷めた感覚が体の中に湧いてしまう私なのです。

けれど、この作品を見ておや?と思ったところもあります。
それは出撃していく特攻隊員が「靖国で逢おう」という台詞を口にしていること。
これ、日本の戦争もの映画では特筆すべきことのように私には感じました。
靖国の問題はいつの日からか当たらず障らずという空気が出来てしまい、戦争はいけないことで平和は大事なことといった単純思考がまかり通っていたのが昨今までの世情と言えるでしょうか。

それを素直に、「靖国で逢おう」と言わせたこの作品。
靖国に祀られることが戦争で死んでいく者にとって、そして残される者にとってどれほどの拠り所であったか?を語らずして、あの時代の空気を表現する事は出来ないでしょう。
その意味で私はこの作品を素直に評価したいと感じております。

それから特攻のシーンがリアルに表現されていたところは、観ていてやはり胸の詰まる思いがしました。
知覧は陸軍の特攻基地。
映画の中で特攻隊員は「隼」に乗って出撃しますが、私の大叔父は人間爆弾・桜花と呼ばれたロケット型の特攻機による出撃。
それと私の特攻の大叔父は海軍の所属で鹿屋基地からの出撃なので、この作品の特攻シーンがそのままそっくり当てはまるというわけではありません。

しかし、圧倒的な兵力の差、特に飛行機の性能の差は如何ともし難かったのがあの時代の戦争の実情。
特攻は外道の統率などと改めて言うまでも無く、命をかけて出撃に臨むためのその愛機が、どうにもお粗末な代物であることを、彼らはどう自分に納得させて出撃に臨んだのか?
それは私の特攻の大叔父の出撃にも重なること。
当時わずか19歳だった大叔父の苦悩を思うとき、決死の出撃に臨む特攻隊員の決意の程は、平和ボケした私などにはとても計り知れぬこと、と改めて重過ぎる事実を突きつけられたような気がします。

敵の激しい迎撃をくぐり抜け、見事敵艦の撃沈に成功した特攻機は特攻作戦全体からみればわずかな数でしかありません。
空しく海に散った多くの特攻隊員の無念を思うと、どうにも複雑でやりきれない思いに囚われる私。
私の特攻の大叔父も、雄雄しく出撃はしたものの敵艦への体当たりは叶わず、目標の船の20メートル手前で機首に被弾、海面に激突大破したと様々な記録を調べてその実情を知りました。
その瞬間、大叔父の胸に去来したであろう無念を思うと、私はどうにもやりきれない思いがするのです。
特攻を志願し死の覚悟を決めたのなら、せめて本懐を遂げさせてやりたかった。
そんな思いが、私の心の中には歴然としてありますので。

映画の中で、沖縄を目指して開聞岳の横を特攻機の編隊が静かに飛んでいくシーンは、作り物とはいえ思わず胸の痛みを覚えずにはいられませんでした。
鹿児島県の南端にそびえる開聞岳は別名薩摩富士とも呼ばれ、多くの特攻機が本土との最期の別れを惜しんだ山。
私の特攻の大叔父もこの山の姿をその目に焼き付けて、故郷への名残を惜しんだに違いないのです。
特攻に関わる者にとって開聞岳はひとしお思い入れのある山。
いつか私もその山の姿を自分の目に焼き付けて、特攻の大叔父の最期を偲びたいと思っております。

自分の愛する家族を国を護るため、計り知れない死の恐怖を乗り越えて出撃していった特攻隊員たち。
そして彼らを軍神と崇め、見送った当時の国民たち。
戦争はいけないことと言うのは容易い。
けれど、愛する者を護るために若い命を散らした彼らの心に嘘偽りはあるでしょうか?
極限状態に追い込まれれば追い込まれるほど、最後に残るのは純粋な愛情ではないのか?と。

特攻は犬死だ、と言う人がいます。
でも、それは余りにも単純に過ぎる物の言い方ではないかと思う。
特攻隊員は、愛する家族のために命を散らした。
その彼らの犠牲を単なる犬死にするか否かは、護られた側の私たちが、護ってもらったこの命をどう生きるか?にかかっているのではないでしょうか?

決死の覚悟で特攻に臨むなどとは、とてもとても正気の沙汰で挑めることではない。
しかし、彼らは文句一つ言わず、粛々とその命を愛する者を護るために捧げたのです。
生きたくても生きる事が許されなかった特攻隊員たち。
彼らの死を無駄にしてはならぬと思うのであれば、今この平和の時代を生きる私たちが、護られたこの命を決して粗末にしてはならぬと思う。
そして彼らが示したように、私たちも愛する者のために時に命をかける覚悟を持たねばならぬ、とも思う。

覚悟を忘れた日本人は、いつしか己のことしか考えないような、浅はかで醜い人間に成り果ててはいないか?
自分の命も他人の命も粗末にする、軽薄な人間に成り下がってはいないか?
自分の命の価値を知っているからこそ、その命を捨てた代償として得るものの大きさを、特攻隊員は肌身で知っていたのでしょう。
だからこそ、彼らは愛する家族のため、死の恐怖を超えて出撃に臨めたのだと私は信じます。

映画の中で出撃に臨む部隊の隊長が、自分の隊の部下に向かって「靖国神社では拝殿前の右側二本目の桜の下で逢おう」と語りかける場面が出てきます。
その姿はまるで私の特攻の大叔父さんそのもののように見えました。
桜花隊の皆さんも、神門右二番目の桜の木の下、と再会の場を約束して出撃に臨んだのですものね。
靖国さんも、あの頃は毎日のように数え切れないほどの多くの英霊が集っていたのです。
きちんと再会の場所を決めておかねば、迷子になって戦友に逢うことが出来なくなる。
その切ない思いが、どうにも胸を締め付けます。

特攻の大叔父さん。
あなたは靖国でこの国の有様をどんな思いで見ていらっしゃるのか?
私の生き方は、あなたが命をかけて護ったに相応しいものでしょうか?
いつか私が天寿を全うし三途の川を渡ってあなたに逢う時、あなたの犠牲に相応しい自分でありたいと願っています。
日本は今決して心穏やかな国とは言えませんが、大叔父さんの御心に背く事の無い様に、自分に出来る精一杯をして、いつかあなたにお逢いしたいといつも心に誓う私なのです。
posted by ぴろん at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 与太話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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