2005年07月07日

靖国は日本人の心、粗末にするべからず

昨日アップしました特攻の叔父の話にたくさんのコメントを頂戴しました。
私の拙い駄文でどこまで家族の心情をお伝えできるか、少し不安に思っていたのですが。
私の足りない所を後ろから叔父が後押ししてくれたのかな?
感動した、涙が出たというコメントにこちらが逆に少し勇気付けられた思いです。
どうもありがとう。

お話したいエピソードはいろいろあるんです。
子供の頃の聞き伝えとはいえ、全部のお話をご紹介するとなると、エントリー4〜5回分は多分必要になるかと思います。
だいぶ長くなりますが、お付き合いいただけますでしょうか?
特に、なぜ遺族の私たちが叔父が沖縄戦で見事敵艦の撃沈に成功したことを知っているのか?
この件については非常に珍しいエピソードがあります。
子供の頃は特別どうとも思わなかったのですが。
今考えると中々感動的な、まるでドラマのようなお話が我が家の場合あるのです。
どうしてもこれについてご紹介したい。
あの時代を生きた人の心情を少しでも現代日本に伝えたい。
これが自分のBlogを立ち上げ、特攻の叔父さんの事を語ろうと思ったきっかけでもあるのです。
必ず書き上げますので、今しばらくお待ちくださいませ。

私は祖父から戦争の話を聞くのが好きな子供でした。
母方のいとこは私を含めて全部で12人いるのですが、多分、私が一番祖父から戦争の話を聞いているのでは?と自負しています。
だいたいそういう辛気臭い話って、子供は苦手でしょう?
ちょっとだけ聞くと後はいいやって話をはぐらかしたりして、きちんと聞かない事の方が多いと思う。
でも私の場合、それから?それから?とかなり突っ込んで祖父の話を聞いていたのです。
聞き手がいれば、もともとおしゃべり好きな祖父ですから良い調子で次々と話をしてくれる。
まぁだいたいは同じ話の繰り返しなんですが、その繰り返しに付き合うのが割りに億劫じゃなかったんですね。

でも子供の頃に感じる疑問と、大人になって感じる疑問は違います。
例えば、叔父が予科練に志願した理由とか、いつ特攻に志願してそれを家族に伝えたのか?とか。
その時親兄弟はどんな反応をしたのか?
叔父が特攻死したと聞いたとき、家族はどう思ったのか?とか。
何一つ私は聞いてはいないのです。
今、これらのことをどれだけ後悔しているか?
このBlogをお読みの方で、身近な人に戦争体験を持つ人をお持ちの方。
今のうちに根掘り葉掘り聞いておいた方が良いですよ。
あとでどれだけ悔やんでも「死者に口無し」なのですから。

私が今ご紹介できるのは、子供の視点で祖父母から聞いた話だけ。
でもたとえそれだけの話でも、今伝えねば誰も何も知らないまま、叔父の生きた証は埋もれてしまう。
それだけは嫌だったんです。
命を懸けて国と家族を護ってくれた叔父に対して申し訳が立たない、とも思いました。
戦後60周年の今年、供養を兼ねて叔父の話を広くご紹介しよう。
それがこのBlogを立ち上げたもうひとつの理由であり、英霊に対する私の恩返しなのだと思っております。


さて本日書き綴りたい素人のたわ言は靖国神社についてです。
いうまでもなくあそこは国を護るために命を懸けた人々の魂の眠る場所です。
現代日本に生きる日本人の全てが、彼らの尊い犠牲の上に命を生き永らえている事を再確認する場でもあると思う。
それなのにつまらぬ外交の駆け引きの道具にされ、参拝するのしないのといった瑣末なことで靖国が不当に貶められていることを、“私は遺族の一人として”とても哀しく思います。

死んだ人間より生きてる人間の方が大事なんだから、靖国を後回しに考えても良いじゃないか?
靖国参拝に反対する御仁の口からはそんな言葉も飛び出します。
へぇ〜〜、あんたはいつから日本人のプライドをどぶに捨てたのか?
テレビなどでそんな論調を目にするたび、私は彼らに軽蔑の眼差しを送ります。
確かに死者を拝むより、自分の腹に食べ物を満たす方が優先順位が先なのかも知れない。
しかし靖国の御霊は単なる死者ではありません。
私たちの国を命を護るために、自分の命を投げ出してくれた人の魂を祭ってある所なのです。
彼らの存在を蔑ろにするということは、めぐり巡って自らの存在も蔑ろにするということ。
そんな自虐的な国・国民が、どうやって世界からそして私たちの子孫から尊敬を集めるというのでしょう?

誇りを捨てるということは、自分の心を殺すこと。
そんな最低限のプライドさえも持たない根無し草が、いったいどうやって?自分の国を、家族を護るというのだろう?
プライドだけじゃ飯は食えないという拝金主義が現代日本には蔓延っているようですが。
プライドを護るためには、今目の前にあるご馳走を蹴飛ばす勇気が必要な時もある、と私は思っています。
いくらご馳走で腹を満たしても、そこにどのような生きる支えがあるというのでしょうか?
プライドをなくしたら、何をよりどころに人は人生を生きるのですか?
何を誇りにして次の世代に伝えるのですか?
誇りをなくした人間は生きるしかばねです。
そんな腐臭ばかりを放つ人間に、いったいどんな魅力があるというのでしょうね?

私たちの国・日本には連綿と続く長い歴史があります。
縄文・弥生の時代から平安・戦国の世を経て、徳川の時代を経て明治・大正・昭和と続き、今平成の世があります。
その時代その時代を真剣に生きた人の証は私たちの体の中に、血脈として刻まれていることを、戦後60年間の日本人はあまりにも蔑ろにし過ぎたのではないでしょうか?
この歴史の連鎖を、現代日本の勝手な都合で勝手に拾捨選択しても良いのでしょうか?
無論どこぞの国のように、不当に歴史を美化することは許されませんが、不当に貶める必要も無いんじゃないか?と私は思います。

私の特攻の叔父は、沖縄で敵艦の撃沈に見事に成功しているのだそうです。
その敵艦にアメリカ兵はいったい何人乗り組んでいたのか?
彼らの家族から見れば、私の叔父は憎い仇でありましょう。
日教組の自虐歴史観的に語れば、私の叔父はアメリカ兵を何十人も何百人も殺した人殺しです。
でも歴史のあやと言う物をそんなに簡単に単純に論じることが、果たして正義と言えるのか?
私に言わせたら、国を家族を護るために命懸けで戦ったのは、アメリカ兵も私の叔父も同じです。
ただ、勝負は時の運です。
戦争が終わったとき、たまたま非常にも勝者と敗者をクッキリと色分けしただけのこと。
戦争が罪だと言うならば、戦争に加担した勝者も敗者も等しく罪を背負わなければ不公平です。
勝者は何の罪にも問われず、敗者のみが罪を着せられ汚名を被せられ不当に貶められるのは、命懸けで戦って散った戦死者に対する冒涜だとも思う。

私はいつも叔父を供養する時、叔父が撃沈したという敵艦のアメリカ兵の犠牲者にも叔父と同じように哀悼の意を捧げています。
もしも叔父が撃沈したアメリカ兵のご遺族にお会いしたら、謹んでご冥福を祈らせて頂きたいとも思っております。
しかし彼らに謝罪はいたしません。
彼らの息子や夫や父親が命を懸けて祖国・アメリカと家族を護ろうとした気持ちと、私の叔父が命を懸けて祖国・日本と家族を護ろうとした気持ちとに、上下の隔たりは無いと思うからです。

私が自虐史観に負けてアメリカ兵のご遺族に頭を下げると言うことは、叔父の犠牲を不当に貶めることにつながります。
それは叔父の名誉のためにも出来ないことだと思っています。
逆に仮にあの戦争で日本が勝利したとしても、私はアメリカ兵の遺族に謝罪を求めることはいたしません。
それが戦争のある意味での本質ではないのでしょうか?
戦争はその決着がついたとき、非常なまでに敗者と勝者を分けるだけのこと。
戦争の責任は敗者だけが背負うべき物、戦争の罪は敗者だけが背負うべき物・・・とは、私にはどうしても思えないのです。
posted by ぴろん at 09:27| Comment(34) | TrackBack(1) | 与太話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
靖国神社については中国が言うことは正論だと僕には思えるのですが。
たしかに中国が外交の道具にしているという面はあるのかもしれませんが、中国が抗議しているか否かに関係なく、A級戦犯を合祀したことは問題であるかと思います。
いかに東京裁判がおかしなものだったとは言え、歴史的に日本はこの裁判を受け入れたのです。それを蒸し返してA級戦犯の名誉回復をはかるのは間違いではないかと思います。
僕のおじさん(父の兄)も戦死し、靖国神社に祀られていますが、僕の親戚のある方は以前は靖国神社に参拝にいっていましたが、A級戦犯が合祀されてから参拝をやめてしまいました。それは靖国神社が東京裁判を否定するという特定の政治勢力の主張の場としてつかわれていると判断したからだと思います。その親戚の方に、僕は子供のとき、どうして靖国神社参拝をやめたのかをたずねたところ、その方は「靖国神社はハイジャックされてしまった」と答えました。どういうことだろうと子供ながらにびっくりしてしまいました。そのことがいまだにずっとひっかかっていて、靖国神社にA級戦犯を合祀していることを是とすることには個人的抵抗を感じています。
そのように中国が言うとか言わないということとはそもそも関係なく、遺族の中にはA級戦犯が合祀されていることに疑問を感じている人達は確実にいるのであり、中国が外交問題にしているから靖国神社参拝が問題であるわけではないのではないかと思います。もともと国内問題として問題であることに、中国が外交の道具としていろいろ言って来ることが事情を複雑にさせているという風に僕は思います。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 10:31
> 靖国神社については中国が言うことは正論だと僕には思えるのですが。

A級戦犯の合祀はダメだがB級/C級戦犯の合祀は良いとお考えですか?
A級戦犯とはどのような罪に問われたのかご存知ですか?
A級/B級/C級と称するから誤解されるように思います。
A項/B項/C項とした方が分かりやすいですね。
Posted by だい at 2005年07月07日 11:48
東京裁判についてkusukuskuさんのようにお考えの方がいらっしゃるのは存じています。
しかしそれでは、kusukusuさんは、罪を償っても(刑を受けても)罪人は永遠に罪人として扱われるべき、とお思いなのでしょうか。
裁いた当事者が後になって揃って「間違いであった」と語ったような裁判でも、それを受け入れた所まで含めて「敗戦」であると考えるとしても、その後の日本人が鎮魂を行う事の障害にはならないと私は考えます。
Posted by Nikita at 2005年07月07日 12:58
B級戦犯、C級戦犯は東京裁判で裁かれたものではありません。僕が問題にしているのは東京裁判を否定するということですので、A級戦犯がこの場合、問題になります。A級戦犯がB級戦犯、C級戦犯よりも重いものなのかどうかということは関係ありません。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 13:02
>しかしそれでは、kusukusuさんは、罪を償っても(刑を受けても)罪人は永遠に罪人として扱われるべき、とお思いなのでしょうか。

これは難しい問題ですね。僕は実は死刑廃止論の考えもある人間なのですが。なぜなら死刑というのを執行してしまうと、その罪人が罪を償って更生する機会を奪ってしまうからです。生き返ることは出来ませんからね。
その意味ではA級戦犯の人たちが死刑でなく懲役に課せられてそれを償った上で社会復帰したということなら裁判を否定するということにはならないので問題ないかと思います。
たとえば岸首相のような人についてはなんら問題ないと思います。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 13:14
ああ、成る程。
ご存じと思いますが、私を含め靖国を肯定する人間の多くは「東京裁判はそもそも国際法違反である」との立場に立っております。
対してkusukusuさんは、(私はその根拠は存じませんが)「東京裁判を否定すべきではない」から始まっているのですよね。
そして、死刑になった戦犯に関しては、それが「死刑」であったという理由から「償っていない」と解釈なさると。
しかし東京裁判には死刑が存在したのであり、後世の我々がどう解釈しようと事実は動かせません。それは死刑が存在する制度化で既に「死をもって償って」しまった物なのです。
この点のみを否定して死刑となった戦犯だけを永遠の罪人と見るのは、あまたの大きな国際法違反に目を瞑っても「東京裁判を受け入れるべき」とする主張と食い違わないのでしょうか。
Posted by Nikita at 2005年07月07日 13:46
すみません。議論好きなもので、ついぴろんさんの掲示板で議論をしてしまっていますが。

僕が東京裁判を受け入れるべきというのは、不完全な裁判であったとしてもあの時点でああした裁判を行ったことの歴史的意義は認めようということです。これは日本1国の問題ではなく、第二次世界大戦は世界中を巻き込んだものだったわけです。それに対して国際的な軍事裁判が行われたことは基本的に認めるべきではないかという考えから来ています。
ただし、東京裁判というものにいろいろな不備な点がなかったかということを検証することには反対ではありません。東京裁判とはなんだったのか、妥当な裁判だったのかといったことを検証すること自体はどんどん行っていいかと思います。
ただ、基本的な、東京裁判を行ったことの歴史的意義は認めるべきではないかということです。

また、個人的には死刑制度廃止の考えではあるけれども、現在、行われている死刑に対して不当なものだとは思っていないし、抗議するつもりはありません。だからそれほど死刑制度廃止に関しては運動するつもりもないですね。死刑を支持する人が多数であるなら、民主主義のもとでは(自分の個人的考えと違うものであっても)死刑制度があることは基本的には認めるべきかとは思います。

あとB級戦犯、C級戦犯をどうとらえるのかというのは自分の中で整理がついていないところがあるのですが。
東京裁判にもそういう要素があるようですが、B級戦犯、C級戦犯を裁いた軍事法廷は、東京裁判以上に戦勝国による復讐のような要素があったようです。ですから、ちょっとA級戦犯を裁いた東京裁判とB級戦犯、C級戦犯を裁いた他の軍事法廷は分けて考えたほうがいいのかなと思っているのですが。
それと、B級戦犯、C級戦犯は日本人以外の人も入っているので、位置付けが難しいんですね。中国がA級戦犯ばかりを問題視してB級戦犯、C級戦犯は問題視しないのもB級戦犯、C級戦犯には日本人以外の人がいるからではないでしょうか。

ぴろん様、勝手に議論してましてごめんなさい。


Posted by kusukusu at 2005年07月07日 14:14
kusukusuさんがここであえて東京裁判のみを問題にされるのは、最初の投稿で仰られていた親戚の方のお話がベースにあるのでしょうか。
だとすれば、A級戦犯がどうこうというよりは、靖国に付きまとう「特定の政治勢力」の臭いを感じ取られて、それに反発されているのでしょうか。僕にはそのように感じられますし、僕は参拝賛成派ですが、心情は分からなくもありません。

ですが、死刑とはまさに「死を以って償う」わけですし、東京裁判の判決を受け入れることと東京裁判の日本に戦争の全責任を被せる価値観を受け入れることは峻別すべきかと思います。
ではご遺族や天皇陛下がどうお考えなのかというと、口をつぐまざるをえなくなるのですが、かつて戦争の責任を一身に負って処刑された方たちに対して、実際責任があったかどうかはともかくも、死後にまで罪をなすりつけてスケープゴートにするかのごとき論調には賛同しかねます。(kusukusuさんはA級戦犯分祀派かとお見受けします。当て推量なので違っていたら済みません。)

ああ、書いている間に議論が進んでしまった。いずれにせよ、我々が太平洋戦争の犠牲者に思いを馳せるに靖国を抜いて考えるのはむずかしく、あまりおおざっぱに全否定するものではないと思うのですが。
Posted by catfist at 2005年07月07日 14:27
>kusukusuさんはA級戦犯分祀派かとお見受けします。当て推量なので違っていたら済みません。

個人的にはそうなんですけれども、靖国神社自身がそれは出来ないことであると言っているようで、現実的には難しいらしいのですが。

>いずれにせよ、我々が太平洋戦争の犠牲者に思いを馳せるに靖国を抜いて考えるのはむずかしく、あまりおおざっぱに全否定するものではないと思うのですが。

靖国神社の存在自体を全否定しようという考えではありません。A級戦犯が合祀していることには個人的に疑問を感じていますが。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 14:53
つい死刑制度の話になってしまいましたが、僕は以前から個人的に疑問なのですが、死刑と無期懲役ってどちらが重い刑なのでしょうか? 人間というのはいずれはみんな、死ぬんです。死刑になろうとなるまいと死をのがれることは出来ません。僕が仮にとてつもない犯罪を犯したとして、無期懲役の場合は死ぬまで何十年間もそのことに良心の呵責を感じて悔い改め苦しみ続けることになるでしょう。ところが、死刑はその執行の瞬間が恐怖を覚えるでしょうが、一瞬を我慢していれば苦しみからはのがれてしまうのです。そうすると、死刑よりも無期懲役のほうがもしかしたらずっと罪人に苦しみを与える刑なのではないでしょうか? そういう意味でも「死刑」に対する疑問があります。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 15:24
つまり、当時の国際法という意味では、A級戦犯を裁いた「平和に対する罪」が国際法として確立されていたかどうかが議論になるわけで、東京裁判は「国際法違反である」という論も出て来るのかと思います。それに対して、各国で裁判が行われたBC級戦犯裁判については当時の国際法上で認められたものということになるかと思うので、従って、BC級戦犯裁判は国際法違反ではないが東京裁判は国際法違反であるという考え方もあるかと思います。
しかし、僕はこのとらえ方がちょっと違います。僕は第二次世界大戦というのはやはり人類史上、例がない規模の戦争だったと思うわけですね。そのような未曾有の出来事が起きたからには、それをどうとらえて裁くかもそれまでの国際法のルールを踏み越えて全人類規模で考え裁判を行う必要がやはりあったのではないかと思うのです。だから東京裁判を行ったことの意義は認めるべきではないかと思うのです。当時の国際法では認められていない裁判だったとしても。
それに対して、各国で行われたBC級戦犯裁判は当時の国際法違反ではなかったとしても、実態としては東京裁判以上に戦勝国の復讐の要素が強いもののように思います。この点で疑問に思うわけです。
ただし、東京裁判自体はそうはいっても、全人類規模で未曾有の体験をどう考え裁くべきなのかという理念からは実態はかなり離れたものだったのかもしれません。その点は検証されるべきかとは思います。つまり、基本的な理念としてこうした裁判を行おうとしたことは支持したいけれども、東京裁判にいろいろ不備な点があったと思われることは検証されるべきかとは思うということです。
たとえば、アメリカは原爆被害者に賠償するべきだったのではないか。国際法違反のことをしたわけですから。戦勝国がそうしたことをした上で敗戦国を裁いたのならば、それは戦勝国による報復のための裁判ということをこえた意味をもつものに成り得たと思うからです。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 18:00
上の書き込み、ちょっと訂正します。

>たとえば、アメリカは原爆被害者に賠償するべきだったのではないか。国際法違反のことをしたわけですから。戦勝国がそうしたことをした上で敗戦国を裁いたのならば、それは戦勝国による報復のための裁判ということをこえた意味をもつものに成り得たと思うからです。

のところですが、東京裁判を当時の国際法をこえて行うことの意義を認めると言っているのに、アメリカが原爆を落とす国際法違反のことをしたことを問うというのはちょっと理屈としておかしいですね。そうではなく、原爆で民間人を大量虐殺するという人類史上初のことをしてしまった以上は、いかにアメリカに原爆を落とす軍事上の理由があったとはいえ、原爆を落としたことが問われて、原爆被害者にアメリカが賠償する必要があったのではないか、その上で日本の戦争責任を問うべきだったのではないか、そうすると東京裁判の意味合いも大きく変わってきたのではないか、ということです。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 18:16
つい死刑制度について話が脱線してしまい、死刑と無期懲役(終身刑)のどっちが重いのかなんて書いてしまいましたが、死刑より無期懲役(終身刑)の方が重いというのはさすがに変ですね。どうも思考が混乱していて、変なことを書いてしまったようです。
罪を償い更生する機会を与えない「死刑」というものに疑問を感じていたものですから、話が靖国問題と混同してしまいました。ちょっと違う問題だったかもしれません。
死刑制度には理屈としては疑問を感じているのですが、しかし、現状の日本社会で死刑廃止するべきだと主張するべきなのかどうかという点では迷っています。現状にそぐわないもののようにも思えるからです。
長々、失礼しました。
Posted by kusukusu at 2005年07月07日 20:18
ご訪問の皆様へ

管理人のぴろんでございます。
え〜〜、お初の方もあればお馴染みの方もあるようですが、どうぞどうぞ多いに議論なさってくださいませ。
なんの、管理人に対して遠慮することなどございませんって。(笑)

靖国並びにA級戦犯、それと大東亜戦争についての個人的見解を少し。
これは主にkusukusu 様に向けてのコメントになるのかな?
大東亜戦争については私も勉強中の身ですので、頓珍漢な答えになってしまったらごめんなさい。

私はあの大東亜戦争は、今A級戦犯と呼ばれている人とそっくり指導者が別人と入れ替わっても避ける事は難しかったのでは?と言う見解を持っています。
それと日本にとっての大東亜戦争は、侵略戦争というよりも自衛のための戦争と言う意味合いのほうが強かったのでは?との認識も持っています。
ただし戦争における作戦上の問題点、(個人的見解で言えば特攻の是非などのような)戦争の戦略のあり方そのものについては彼らに問うべき責任はあると思っています。
しかしこれは日本人自身が自国の指導者層に問うべき話であって、戦勝国側がどうのこうのと口を挟む問題ではない、というのが今の所の私の基本認識です。

それと東京裁判に関しては戦勝国の意趣返し、の意味合いが大きかったのではないか?と。
歴史的に日本はこの裁判を受け入れたといっても、日本は無条件降伏をした敗戦国。
戦勝国側のやり様に否やを言える状況ではなく、どんな理不尽な裁判であってもそれを拒むことは出来なかったと認識しています。
いずれにせよ戦争責任を彼らA級戦犯のみに問うことは戦勝国側の傲慢だと思っています。

大体において、そもそも日本が背負うべき戦争責任って何なのか?と言う素朴な疑問を私は持っております。
勝てば官軍・負ければ賊軍で、悪いのはなんでも敗戦国日本と思わされているのが自虐史観の真髄なのではないでしょうか?
百歩譲って敗戦国日本に背負うべき戦争責任があったとして、その戦争責任をA級戦犯にだけ押付ければそれですむ問題なのか?と言う疑問も私は多いに感じています。
仮に日本が戦争に勝利した場合、A級戦犯と呼ばれた人たちはおそらく国民から熱狂的に英雄扱いされたことでしょう。
しかしその場合でも、戦争責任とやらがA級戦犯の死後も付きまとうほど重大な罪ならば、彼らは仮に日本が勝利したとしても死刑に処せられなければ合理的ではありません。
しかし戦争と言う物はそう簡単にキッパリ白黒付けられる物ではない。
大東亜戦争に至る時代背景・世界情勢なども考慮した場合、日本ばかり戦争の責めを負わされるのは理不尽に過ぎないか?との思いはぬぐえません。

>靖国神社はハイジャックされてしまった

う〜ん、これはまたすごいご意見ですね。
まぁ人の意見は様々ですから、こういう意見を何が何でも排除しようとは思いませんが、率直に言って何と哀しい物言いだろうと感じました。
少し宗教的な話になりますが、日本人は古来「死者に鞭打たず」という死生感をもつ民族です。
死んで罪を償った人を、その死後までも不当に貶める必要性がどこにあるのか分かりません。
ですので、個人的にもA級戦犯分祀の必要性は全く感じていません。

それと死刑論云々は靖国問題とは切り離して考えるべきではないでしょうか?
私も死刑に関しては思うところあります。
しかし東京裁判の結果、A級戦犯とされた人たちは問答無用で処刑されてしまったのです。
この事実は、今更動かしようの無い事実です。
事実に基づいた上で、しかし問題の歪みがあれば正当な手段を持ってそれを修正する。
その趣旨に則った上で、戦後日本が主権を回復した後国会の全会一致の決議を持って、A級戦犯の名誉が回復されたのだと認識しています。
一度出た結論を蒸し返すのはおかしいと仰りますが、私にはそういうふうに感じてしまう感覚の方が、いまだ自虐史観の呪縛から開放されていないと言う印象を受けましたが?
どうでしょうか?
Posted by ぴろん at 2005年07月07日 22:47
いや、僕は東京裁判が戦勝国が一方的に敗戦国を裁いたものだという意味で不当なものだったのではないかという点では賛同する部分はあるのですが。
でも基本的に第二次世界大戦というのは人類史上、かつてない兵器が使われた、かつてない規模の戦争だったわけでしょう。特にナチスドイツが行ったアウシュビッツに象徴されるように、いまだかつてないような事態も起こったわけで。それに対して全人類規模で、我々が行ったことはなんだったのかということを議論し合うために何らかの裁判を行う必要があったのだと思うのですね。
だから、敗戦国が行なったことだけがスケープゴートにされるんじゃなくて、理想を言えば戦勝国が行なった行為にも行き過ぎたところがなかったか、本当は検証するべきだったと思う。たとえば戦争を終わらせるために仕方がない面があったとはいえ、アメリカが原爆を落として民間人を大量虐殺した行為は犯罪性はないものだと言えるのだろうか?と。だから、アメリカなどの戦勝国がそこまで、自らの行為にまで踏み込んで、原爆については行き過ぎた面もあったので原爆被害者の補償はアメリカがしましょう。でも日本がドイツと手を組んだことや、中国で戦争を始めたことの責任はとってもらいますと、そういうことならばもっと筋が通っていたとは思うんですね。
ただ残念ながら実際の東京裁判はそういうものではなかったのかもしれないですが。そういう理念にそうような裁判ではなかったのではないかという具体的な東京裁判の内容については検証するべき要素があるかと思うんです。しかし、「平和に対する罪」という、それまでになかった犯罪性が提起されたということは、具体的に戦争で行われた「行為」の犯罪性を問い直すということであり、第二次世界大戦の結果、そういうものが新たに提起されたということは意義をもつものなのではないかと思うのです。それは日本1国の問題ではなく、今後、似たような「平和に対する罪」と思われる「行為」がなされた時にそれを裁く基準を示したという意味で。だから、「平和に対する罪」というのはそれまでの国際法の概念にはないものなのだけれども、それまでなかった罪状を出してきたから事後法であり不当なものであると考えるのではなくて、未曾有の事態に対してそれまでなかった新たな概念を提起して犯罪性を問い直したことを評価したいというのが僕の考えなんです。
自虐史観と重なるかもしれないけど、ちょっと違うようにも思うのですが。
Posted by kusukusu at 2005年07月08日 01:06
でも、ろぐさんがトラックバックしている文章には

>「平和に対する罪」「人道に対する罪」というのが日本とドイツを裁く為に戦後制定された罪状であること(つまり裁判では極めて不当な「事後法」である)。

とあるんですが、第二次世界大戦の結果として「平和に対する罪」「人道に対する罪」が提起されたこと自体は評価していいことなのではないだろうか。
こうした概念は今後、考えていくべきものかと思います。たとえば「人道に対する罪」というのは北朝鮮の金政権の犯罪性を考える上でも関連するものなのではないでしょうか?

「平和に対する罪」のほうは微妙なところはあるのかもしれませんが。というのは、これはつまり戦争を起こした責任という点を重視しているものだと思うのですが、そうするとたとえば今のイラク戦争をはじめたブッシュ政権に「平和に対する罪」はないのだろうか?と思うんです。かつての日本の「平和に対する罪」は裁かれるけれども、アメリカがイラク戦争をはじめた「平和に対する罪」は裁かれないというのはたしかに敗戦国は裁かれるけれども戦勝国は裁かれないという恣意的なところはあるものなのかもしれません。
Posted by kusukusu at 2005年07月08日 01:33
第二次大戦のみを特別視するのはなぜでしょう?
先の大戦のみが特別でそれ以前の戦争は皆同じなのでしょうか?
当事者にとっては全てこれまで無かった戦争だと思います。
各々に大義ががあり、正義があるのでしょう。
kusukusuさんが先の大戦のみを特別視するのはどうしても腑に落ちないです。
Posted by ななし at 2005年07月08日 07:07
kusukusu様

「平和に対する罪」「人道に対する罪」と言う観念が生まれたことをもって、東京裁判の意義を評価するということでしょうか?
う〜ん、仰りたいことは分かるけど、だからといって東京裁判そのものを評価するのは合理的に納得できませんね。
東京裁判とは、後付の事後法で人を裁き処刑したことが最大の問題点であると私は思っています。
そこにどんなに高尚な理由を持ち出そうとも、です。
事後法で人を裁くというのは一種の人権侵害ではないのでしょうか?
そんな不条理を許したら、人間命がいくつあっても足りないですよ。
事後法で人を裁くことを良しとされたら、社会の秩序もなにもあったものじゃない。
そこの所、kusukusu様は少し混同して物を考えてはいませんか?

確かに第二次大戦後「平和に対する罪」「人道に対する罪」と言う観念が生まれたことは、一種の人類の進歩だと私も思います。
でもそれと、東京裁判のあり方そのものを評価するか否かは別立てで考えないと、戦勝国の驕りによる敗戦国への人権侵害と言う罪を見逃すことになりはしませんか?

ついでに言うなら民族自決なんて観念も、大東亜戦争当時はありませんでしたからね。
力のある国が力の無い国を支配するのが良しとされた時代、日本が朝鮮半島を併合することは完全に合法だったし、世界もそれを認めてわけですから。
それを今の感覚でやれ民族の誇りが傷ついたの、やれ保障しろ謝罪しろと不満を言っても始まらないのですよ。
歴史の是非を考える時、その当時の社会観念はどのような物だったのか?を知ることがまずははじめの一歩です。
その視点を忘れて後付の理由で物事を考えるのは、歴史の真実を見誤る元だと思います。
Posted by ぴろん at 2005年07月08日 08:08
追加

もしも「平和に対する罪」「人道に対する罪」で戦争責任を問い人を裁きたいのであれば、それは、第二次世界大戦後新たに勃発した戦争の事後処理の際、問うべきなんです。

「平和に対する罪」「人道に対する罪」と言ういかに高尚な理由を持ち出そうとも、大東亜戦争当時そんな観念は世界のどこにもありませんでした。
後付の事後法で人を裁くのがどんなに理不尽な行為か?
その視点を忘れて、東京裁判、もとい極東軍事裁判の意義を語るべきではないと私は心得ます。
Posted by ぴろん at 2005年07月08日 08:21
↑極東“国際”軍事裁判でしたね。
国際の文字を打ち忘れました。
失礼・・・<(_ _)>
Posted by ぴろん at 2005年07月08日 08:23
ななし様
>第二次大戦のみを特別視するのはなぜでしょう?

いや、兵器の発達は過去の戦争とは違う段階に至ってしまったように思います。特に原子力爆弾まで出てきました。原子力爆弾というのが問題なのは、後世にまで長く影響をもつことです。被害者の子孫に至るまで放射能の影響は残るんです。つまり、原爆は戦争時に莫大な被害を与えるだけでなく、戦争が終わってからも影響を持ち続けるというところに特殊な兵器としての犯罪性があるかと思います。
またドイツのホロコーストのようなこともかつてなかったことだと思うし。
僕が考えているのは、ひとつひとつの戦争で行われた「行為」そのものについて、過去にない兵器や残虐行為が出てきたのならそれまでの概念を踏みこえて、その犯罪性を裁く必要があるのではないかということです。

ぴろん様
>もしも「平和に対する罪」「人道に対する罪」で戦争責任を問い人を裁きたいのであれば、それは、第二次世界大戦後新たに勃発した戦争の事後処理の際、問うべきなんです。

法的にはたしかにそうかもしれないんですけれども。
ただ第二次世界大戦で行われた「行為」自体の中に「平和に対する罪」「人道に対する罪」を提起させるような要素があったわけでしょう。
ホロコーストが起こったから「人道に対する罪」という概念が出てきたのだと思うし。事後法で裁くのはおかしいからといって、ナチスドイツのホロコーストが裁かれなかったとしますよ。法的にはこの時点でこれを裁く国際法がなかったから裁けない、ただしこうした概念を提起し次に似た事態が起きたら裁きましょうというのはたしかに理屈としては通っているのかもしれないとは思う。でも、そういってホロコーストが裁かれなかったら、次に似たようなことが起きたときに裁かれるかというと、ホロコーストだって裁かれなかったんだから今度も裁けないという話になってきませんか? それより、ホロコーストを裁いて、こうしたものは裁判で裁こうという実例をつくっておくほうが具体的なのではないだろうか? 
たしかに法律だけをつくって、でもその法律の根拠になる行為はその時点では事後法だから裁けない、次から裁こうというのは法的にはそうかもしれないけど。ライブドアが行なったことは法的に問題ないので裁けないけど、次からはほかの会社がああいうことを出来ないように法律を作ろう、みたいなね。

でもたしかに「人道に対する罪」のほうはまだ分かりやすけど(でもこれだってなぜホロコーストは裁かれるけど原爆は裁かれないのか?という点では疑問はあるわけですが。戦勝国が敗戦国を裁く、ということではなくて、戦争時に行われた「行為」そのものの犯罪性を裁くということならば、なぜ原爆の方は裁かれないのか?という疑問が生じます。)、「平和に対する罪」のほうは分かりにくいところはあるんですね。日本がアジア諸国を植民地にしていたのが悪いことだと言ってもそれは欧米諸国がやってきたことじゃないかということはあるし、戦争を始めたことが悪いと言うなら、ほかの戦争もみんな、そうではないかという議論が出て来る余地はたしかにあります。
これに対して思うのは、世界中で植民地というのは犯罪性があることなのではないか、こうしたことをやめようという考えがじょじょに出てきていて、日本はそのちょうどやめようとみんなが言い出した時にやっていたことが目立っていたのでスケープゴートにされたのかもしれないということです。
そういう意味では日本が運が悪いというのか、割を食ったところはあるのかもしれないけど。
でもこれは日本1国の問題ではないですから。日本としては割を食った面があるのだとしても、どこかの国、誰かが割を食わなきゃ、新たな前例は出来ないわけですから。日本は歴史的流れでタイミングが悪かったんだと思います。
Posted by kusukusu at 2005年07月08日 10:35
>いや、兵器の発達は過去の戦争とは違う段階に至ってしまったように思います

やはり戦後の価値観で過去を裁いているのではないでしょうか?
石ころや棒きれで戦った時代から現代に至るまでそうした革新は継続していると思います。

>またドイツのホロコーストのようなこともかつてなかったことだと思うし。

もっと酷かったのではないでしょうか?
アメリカでネイティブの地位が低かったり、南米にかつての帝国の遺跡なんかがありますが、それほど昔のことではないのにその歴史は謎の部分が多かったりしますよね。
世界中で民族浄化みたいなことがあたりまえにあったのではないでしょうか?
近代戦については文明の発達により、より正確な記録が残っているというだけだと思います。



Posted by ななし at 2005年07月08日 11:51
kusukusu様

ホロコーストにしても原爆投下にしても議論は大いにするべきだし事実の検証も大いにすべきと思います。

けれど、それらの観念を事後法で裁くのはやはりどう考えても戦勝国の傲慢ですよ。
百歩譲って東条英機以下7名の処刑者に「平和に対する罪」「人道に対する罪」があったとしても、それを事後法で裁くのは順序としておかしい。
私は処刑された7人のA級戦犯は無罪になって然るべきだったのでは?と今でも思っております。

>どこかの国、誰かが割を食わなきゃ、新たな前例は出来ないわけですから。日本は歴史的流れでタイミングが悪かったんだと思います。

申し訳ありませんが、こういう考え方って自虐史観そのものの典型ではありませんか?
東京裁判史観、と言う言葉をkusukusu様も耳にしたことはおありでしょう?
東京裁判をそのまま受け入れることは単にタイミングが悪かったなどと言う単純な思考ですむ問題ではないのです。
これを受け入れると言うことは、日本が侵略戦争をしたと自ら認めるに等しい行為。
だからこそいわゆる保守を自認する人の間からは東京裁判を受け入れない→靖国にケチをつける中国の横暴は認めない、と言った論調にたどり着くわけです。

ひとつお尋ねしておきたいんですけど、kusukusu 様は大東亜戦争は日本にとってどのような位置づけを持つ戦争だと認識していらっしゃるのでしょうか?
中国などの言うような侵略戦争ですか?
それとも自衛のための戦争でしょうか?
どうもお話をしているとそこのところの基本認識に食い違いがあるような気がしてならないのですけど?
Posted by ぴろん at 2005年07月08日 12:14
二次大戦後でも中国なんかはものすごいことしてるみたいですが(チベット問題や文化大革命)
大昔の戦争なんかは映像や繊細な記録が残っていればもっとすさまじいものだったのではないでしょうかね。
Posted by ななし at 2005年07月08日 12:14
>中国などの言うような侵略戦争ですか?
それとも自衛のための戦争でしょうか?

それは両方の側面というのがあったのではないでしょうか?
どんな戦争もそれぞれの国の立場から見て、とらえ方があり、複眼的なものだと思います。日本側から見て「自衛のための戦争」で、日本がアジア諸国を解放しようとしたということも事実だとは思います。
でも中国や朝鮮にとっては、日本に自分達の国が侵略されているように思えたということも事実ではないでしょうか。仮に日本側がそういうつもりではなかったのだとしても、日本側の意志が伝わらなかったことは事実かと思います。
だからこそ、いまだに双方にしこりが残っているわけではないでしょうか。
僕は「つくる会」教科書的な主張も日本側から見た観点としてそういう見方はあるかとは思うのですが、かといって中国や韓国が言うことがまるっきり虚構のものであるとは思っていません。中国や韓国の人達からすると日本の行動はそういうものとしてとらえられたということは事実であると思うので(日本側はそういうつもりではなかったのだとしても、誤解されたのだしても、きちんと双方が理解しあうことが出来ずにこういう風に先方に思い込まれたということは少なくとも客観的に事実であると言えるのではないでしょうか)、どちらの主張にも理があり(少なくとも中国や韓国が嘘をついているわけではなく、本当にそう思って言っているのだと思う)、複合的に見ていかなければいけないかと思っています。
相手と理解し合いたいと思うのならば、自分側の主張をするだけではなく、相手の気持ちになっても考え、複合的に妥協点を見い出すように努めることが必要だと僕は思います。
(こういうのが自虐史観だと言われるのかもしれないけど。)
Posted by kusukusu at 2005年07月08日 12:56
kusukusu様

お答えありがとうございます。
kusukusu様のBlogで従軍慰安婦に関するエントリーも読ませて頂きましたのですね。
そこで感じたことと言い、当Blogでの靖国問題やA級戦犯の認識といい どうも基本認識に違いがあるようだとは思ったのですが、やはり思ったとおりだったようですね。

おそらくkusukusu様と議論をすると、いわゆる南京大虐殺や強制連行も、話の食い違いを見せるような気がします。
正直申し上げますが、kusukusu様の今の認識はホンの少し前の私の認識と似たり寄ったりだったんですよ?
信じてもらえないかもしれませんが。(笑)
なのにどうしてこうも食い違いを見せるのでしょうね?
ただ私が言えるのは、もう少しいろいろな資料を読んで勉強したほうがよろしいのでは?ということです。
私は論理的に論陣を張るのが苦手なのでこの程度のことしか書けませんが。
もっともっとバリバリに近代史の勉強をしている人にかかったら、 kusukusu様の論など簡単に論破されかねない危うさを感じます。

>きちんと双方が理解しあうことが出来ずにこういう風に先方に思い込まれたということは少なくとも客観的に事実であると言えるのではないでしょうか

この程度の根拠で中韓のいう事に真実性があると考えるのは、思考の方法としては少し甘いと思います。

>相手と理解し合いたいと思うのならば、自分側の主張をするだけではなく、相手の気持ちになっても考え、複合的に妥協点を見い出すように努めることが必要だと僕は思います。
(こういうのが自虐史観だと言われるのかもしれないけど。)

仰るとおり。
私はあなた様の思考方法は、安易な上に自虐史観に過ぎるとしか、私には受け止めようがありません。
Posted by ぴろん at 2005年07月08日 15:28
追伸

現在の価値観で過去の歴史を裁くことくらい愚かで傲慢な行為はありません。
現在の中韓両国の日本に対する不当なまでの言いがかりの数々は、ほとんどこの愚かで傲慢な行為に起因すると私は感じています。

それとkusukusu様ご自身の思考回路にも、現代の価値観で過去の歴史を裁く傾向が強いように感じるのですね。
そこのところお気をつけた方が宜しいと思います。
特に歴史問題を論じる時、ここを外すといつまで経っても話はかみ合わず、議論は平行線を辿るばかりで結論を見出すことは不可能ですので。

現代の感覚を過去の歴史に持ち出したら、相互理解も友好も永遠に実現することはありません。
国と国との関係でも、人と人との関係でもそれは同じではないかと私は思っております。
Posted by ぴろん at 2005年07月08日 15:48
南京大虐殺についても自分のブログで以前に書いています。やっぱりかなり優柔不断なものだけれども。
僕の考えに甘いことがあるかとは思いますが、別に僕は絶対に自分は正しいとか、議論でどんな論客も論破してやろうというつもりはないんです。優柔不断で混乱したところもあるけれども、ぐちゃぐちゃ、議論しあうことで意見が違う相手と通じ合うことが出来ないかと思っているので。
おそらく世代的なこともあるかと思う。僕は30代後半ですけど、やっぱり「相手の気持ちになって考えよう」みたいな教育が身についている世代かと思うのです。そういうのが日教組の教育による障害なんだって、右寄りの人からは言われるんですけれども。
でも、僕の思考回路には確実にそういうものは身についていると思いますね。だから、たしかに日教組や自虐史観の教育の影響が僕の思考回路に組み込まれているだろうことは否定しませんし、隠すつもりもありません。そういうことが思考回路に組み込まれているということも含めて、また左よりの運動をしてきた人間であるということを含めて、僕が生きてきた積み重ねがあるわけで、そういうことすべてが積み重なって現在の僕がいるわけですから。
Posted by kusukusu at 2005年07月08日 16:04
>現在の価値観で過去の歴史を裁くことくらい愚かで傲慢な行為はありません。
現在の中韓両国の日本に対する不当なまでの言いがかりの数々は、ほとんどこの愚かで傲慢な行為に起因すると私は感じています。
>それとkusukusu様ご自身の思考回路にも、現代の価値観で過去の歴史を裁く傾向が強いように感じるのですね。

たしかにこれはあるんでしょうね。
僕が東京裁判や従軍慰安婦について言っていることに論理的に無理があるとすれば、この点でしょうね。
もともとマルクスをはじめ、左翼のイデオロギーというのはそういう傾向があるように思います。つまり、左翼の論理というのは、ある種の特定の史観なり考え方に乗った上で言っているものですので、そういう特定の視点に立つことを共有している人どおしの間でしか、通じないところがあるんですね。誰もが聞いて、なるほどと思えることではないんです。だから特定の仲間どおしで固まってしまう傾向があるかと思うんです。
中国は共産主義国家なんだから、やっぱりそういう考え方が土台になっているところはあるかとは思う。
そういう問題は僕ももっと考えてみないといけないのかもしれませんが。
Posted by kusukusu at 2005年07月08日 17:33
戦時下の中国人あるいは朝鮮人の一被害者の視点でものをみれば、それはそれは日本が憎いでしょう。
でも状況は戦時下です。
たとえば日本兵に殺された中国人は、自身が殺される前に日本人を殺していたかもしれない。
また、殺された日本人の視点だと中国人こそ極悪でしょう。

あと、イデオロギーと実際に何があったのかという事実は関係ありません。
学問であるのか、単なる政治の道具であるか、歴史の扱い方が違うだけでしょう。
Posted by ななし at 2005年07月09日 07:20
戦争のとらえ方について、ちょこっと参加させて下さい( ̄▽ ̄ノ

「衣食足りて礼節を知る」というように、困窮している人間に
道徳を説いたりするのは無意味なことです。
私は大東亜戦争は、善悪で分けられるものではないと思います。
歴史は断罪するものではなく、正しく学び教訓として生かすものです。

戦争を外交手段と考えれば、負ければ割を食うのは当然です。
ただ戦争という命がけの外交が終わっても、会談や経済交流
または謀略などによる駆け引きは、永遠に終わることは無く
国家というものは、戦い続けなければならないわけです。
理不尽な過去をひっくり返すのも、理不尽な言いがかりをつけるのも
外交手段のひとつだと思うのです。

つまり今日の中韓との問題も、過去の戦争の延長であり戦いなのです。
「相手の気持ちになって」いたら殺されます。
利益を奪われ、正義を主張する権利を失います。

こんな私も、ちょっと前までは「中国やら韓国が怒ってるなら謝ればいいじゃん」
なんて考えていたわけですが( ̄▽ ̄; メディアと教育って大事ですね。
Posted by シマモト! at 2005年07月09日 19:12
ななし様 シマモト!様

ご意見ありがとうございます。

相手の気持ちになって考える、と言うのはとても美しい行為だと思いますし、それ自体を全否定する気は毛頭無いのですがね。

相手の気落ちを思う前に、日本人はまず自分の根っこを大事にすることを学ぶべきなんですよ。
自分を捨てて相手の気持ちばかりを思っていたら足元すくわれるのは当たり前。
日本と言う国が他国の思惑によってどんどん侵食されるのは当たり前。

そんな簡単なことも分からずに、やれ地球市民だの何だのと、浮かれることの愚かさを日本人はもっともっと知るべきでしょう。
護るべき誇りを忘れ、他国の顔色ばかりを気にすることがどれだけ日本の現在・過去・そして未来を蝕むか?
国家主権とは何か?
国の誇りとは何かを忘れて歴史問題や靖国問題を論じるべきではないと思うのです。
Posted by ぴろん at 2005年07月09日 19:47
↑気落ちじゃなくて気持ちですよね。
でもなんだか妙にハマってるんで、自分でも思わず笑ってしまいました。
笑いをこらえつつ、お詫びして訂正します。<(_ _)>
Posted by ぴろん at 2005年07月09日 20:56
なお、僕はA級戦犯をもし可能ならば分祀することを検討してほしいとは思っていますが、新しい国立の追悼施設をつくる案には反対です。
そのことを自分のブログに書きましたので、もしよければどうぞ。

http://blue.ap.teacup.com/documentary/229.html

もう、うんざりしているかもしれませんが。
Posted by kusukusu at 2005年07月09日 21:47
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「自虐史観からの脱却」、その足を引っ張り続けているのは?
Excerpt:  先ず「極東国際軍事裁判」に問題がある。これはドイツ人自らがナチスの行為を犯罪として“ドイツの裁判所”で裁いた「ニュルンベルク裁判」とは、明らかに性格が異なる。 1 「極東国際軍事裁判」は戦勝国によ..
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Tracked: 2005-07-07 19:45