2005年07月09日

特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会(1)05.7.3 千葉市民会館にて

先日千葉市民会館にて開かれた「特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会」の集会テキストをご紹介いたします。
本当は私自ら参加して、テキスト化をする予定だったのですが過日ご案内の通り集会前夜に激しい頭痛に襲われまして、ダウン。
やむなく涙を呑んで参加をキャンセルした例の集会です。

幸いにも支援者のお仲間でもある原良一氏のご好意により、集会のテキストを当Blogに全文掲載させて頂く許可を頂きました。
相変わらずの弱小Blogではありますが、掲載の場を少しでも増やすことにより、一人でも多くの人の目に留めていただき、拉致問題中でも特定失踪者に関する認識を高めてもらう一助となればと考えております。
どうぞお付き合いの程よろしくお願い申し上げます。

・・・以下 原良一氏の手による集会テキストを掲載・・・

入力に対する姿勢

 今回の講演を入力するに当たって、発言者の口調や集会の雰囲気をできるだけ忠実に再現するため、講演者の発言は、極力オリジナルのまま(いわゆる丸起こし)とし、補注が必要な部分は( )で補いました。

 ただし、

映画のアニメのトトロ→アニメ映画の「となりのトトロ」、
橋本助教授→橋本正次東京歯科大助教授

のように最小限の校正を行っています。
また文中の見出しも、入力者によるもので当日のレジュメなどに依っていません。

-------------------------------------------------------------------------------

  特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会
 〜すべての特定失踪者、拉致被害者を家族のもとへ〜

日 時:2005年(平成17年)7月3日 19時〜21時(開場18時40分)
場 所:千葉市民会館 地階小ホール(〒260-0017千葉市中央区要町1−1)
JR総武線千葉駅より徒歩7分、総武本線東千葉駅より2分、総武本線沿い
TEL:043-224-2431、FAX:043-224-2439
地 図:<http://www.f-cp.jp/shimin/map.html>参照
主 宰:加瀬テル子を支援する会
後 援:内閣府認証NPO法人 亜細亜人権協議会
協 賛:特定失踪者家族支援委員会
講 演:1.中村実氏(船橋市議特定失踪者問題調査会理事)
    「拉致認定の意義について」
    2.真鍋貞樹(特定失踪者問題調査会専務理事)
    「特定失踪者の多数出ている大町ルートについて」
    3.仲條富夫(加瀬テル子を支援する会代表、加瀬テル子従兄弟)
    「加瀬テル子の家族の訴え」
-------------------------------------------------------------------------------
 開会のあいさつ

 司会者(亜細亜人権協議会平野さん)
 本日は、忙しい中特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会にお集まりいただき、まことにありがとうございます。私ども特定失踪者加瀬テル子を支援する会は、特定失踪者加瀬テル子の従兄弟である仲條富夫氏を代表とし、内閣府認証NPO特定非営利活動法人亜細亜人権協議会全面支援協力の下、すべての特定失踪者、拉致被害者を家族の許へスローガンに掲げ、特定失踪者加瀬テル子の拉致被害者認定、家族との面会を趣旨として立ち上げ致しました。

 本日は、特定失踪者問題調査会専務理事真鍋貞樹氏、また特定失踪者問題調査会理事中村実(船橋市議会議員)氏をお招きし、講演をしていただきます。それでは只今より、特定失踪者加瀬テル子を支援する会千葉集会を開催いたします。初めに加瀬テル子を支援する会仲條富夫代表、ごあいさつをお願い致します。

 仲條富夫代表のあいさつ
 (マイクを使わず大きな地声で)
 どうも本日は、お忙しいところご苦労様です。

 まずもって最初にお詫び申し上げます。いろいろ努力をしましたが、皆さん心配していただいた通り(聴衆が3人だけ(>_<))になってしまいましたが、街頭の方でもチラシをお配りしてお願いしたんですが、なかなかやはり特定失踪者ということで、なかなかそれは他人事、絵空事だなあということを、雨の中も配りしましたし、今日も配らせていただきましたけど、これが今の現実なのかなあと敢えて申し上げたいと思いますけど(悄然とした口調)…。ただ今日来ていただいた方は、私どもとしましてはも千万の味方を得た思いが致します。

 これからこういう支援をする会を皆さんと共に進んでいくわけですが、最後にいってはおかしいですけれども、加瀬テル子が北朝鮮に拉致されていって向こうの確実に政府間の交渉に乗っていただいた時に、初めて会場が一杯になるのかなあ、という思い、これは自分の不安でもありますし、ある意味ではここで挫けてはいけない、遠い彼の地でこういう催しをしなければ、なかなか向こうの空で住んでいる人たちに声が届かないのかなあという淋しい思いもしますが、大変今日は申し訳なく思っておりますが、真鍋さん、中村さんの講演の方を是非聞いていっていただきたいなと思います。どうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。

 真鍋貞樹特定失踪者問題調査会専務理事の講演 ‐1

 どうもみなさんありがとうございます。日曜日の夜お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。仲條さんの冒頭の言葉ありましたけれど、え〜、あのお…(しばし言い澱み)8年前を思い出しました(しみじみとした口調)。私たちが拉致問題をスタートした時の状況は、もう今日のこの(聴衆がいない)状況でございました。

 1.スタートは一人から

 まず何かをやらなきゃいけないということで、何か会を作ろう。ということで集まったのが、当時で20人くらいでしたね。それからこれは集まっただけで何か具体的なものがあったわけじゃなくて、具体的なものを始めようとしたのが、とにかく署名活動をやろうと…。それから会を作ったことの記者会見をやろうということからスタートしました。
で、最初に署名活動をやったのが、有楽町の数寄屋橋の駅前で、え〜ま、10人くらいだったでしょうかね。そこでビラ配りをいたしましたが、だあ〜〜れも受け取ってくれませんでした。ビラもどれくらい用意したのかはわかりませんけど、一人として振り向いてくれる人はいませんでした。ま、こんなものだろうと思いまして、その後記者会見を行いました。

 その時の記者会見は、集まった記者はたった5人です。今でも誰と誰と誰と誰と誰とで、名前を挙げられるわけですけれども、その中で記事を書いてくれたのは産経新聞、それと読売新聞だけでした。産経新聞はご存知の通り、この問題は昔から熱心にやってましたから、一面のトップに救う会というものができて、これから活動を始めるという記事を書いてくださいましたけど、読売新聞は、ベタ記事のこのちっちゃなところにようやく、まあ見る人がみればわかるというくらいの記事で、ま、そういうところから運動というのはスタートするもんだと思っております。

 拉致問題というものが、大きく国民の関心を呼んでいる問題であるといっても、やはりどんな事例もそうでしょうけども、やはりスタートというものは、こういう一人か二人からスタートする、数人からスタートする、その積み重ねで大きくなっていく、というふうに思っていますから、今日はこういう所は、こういう状況でまずは第一歩が進んだということでですね、これから頑張っていこうという会に、是非していただければというふうに思っております。

 で今日は、前回の市原集会に来られた方がたくさん、というか多いので、この間と同じことを話してもいけませんが、中にはいらっしゃっていない方もおられるようです。ですからまあ、前回と同じだなあと思うようなところがあってもゴメンナサイ、申し訳ございませんということでご諒承いただければと思います。

 ただ今日は、加瀬テル子さんの会ですから加瀬テル子さんのことについてですね、くわしくお話をさせていただきたいというふうに思っております。

 2.加瀬テル子さん失踪の状況

 加瀬さんにつきましてはですね、もうテレビや新聞等々でご案内とはいえども、私たちもなかなか新聞に書いてほしいとか、訴えていることがいっぱいあるんですけど、どうしても割愛されてしまいます。ですから今日はちょっとその辺の割愛されている部分をお話しさせていただきたいと思います。

 加瀬さんの失踪の経過につきましてはですね、ここの皆さんのお手元の資料に書かれている通りなんですけれども、(当日配布のレジュメを)お持ちですね、これ、皆さんお持ちですね。こういう状況で失踪ということですから、自殺とか家出とか考えられない失踪だったわけですね。それがその昭和37年4月以降まったく音信がないということで、まさに神隠しという状況で失踪されたわけであります。

 ― 拉致に最適な環境 ―

 もう地元の方はご存知と思いますが、海上町(うなかみちょうと読む)の町の中、今は当時とずいぶん変わっているようですけれども、非常に道が狭くてですね、両側にこんもりした屋敷森というのですか、そういうのが迫っていて、一旦そこに入ると迷子になってしまうような、アニメ映画「となりのトトロ」の中で主人公メイちゃんがお姉ちゃんとはぐれるシーンがあるのをご存知ですね、ちょうどああいう風景が、当時の海上町だったんですね。

 ですから、ほんと工作員があの場所に隠れていて、パーマから帰ってきた加瀬さんを待ち伏せしていて、そこで大きな麻袋で加瀬さんを拘束して、そのまま肩に担いで車に乗せて運べば、もう誰も知ることなく拉致ができるという絶好の場所ではあると思っています。

 ただですね、誰彼となく待ち伏せして拉致されたというふうには、考えていません(キッパリとした口調)。やはりある程度拉致の対象者をですね、選定するということは必ずあったと思います。そうでないことももちろんあると思いますけど、加瀬さんの場合はやはり狙われていたと思っています。

 その理由はいくつかあるんですけれども、それが大町ルートと絡んでくるんですけども、当時海上町の周辺では、砂鉄採りと水飴作りというのが盛んに行われていて、加瀬さんのお宅も一部関わっておられたんですね。その水飴作りと砂鉄採りに日本人も従事していたし、当時の在日の人たちもそれに一生懸命従事していたんですね。

 それで加瀬さんのお宅にも、どうもご家族の記憶によれば在日の人たちも家に出入りをしていた、ということなんですね。それとこれはまた気になる点なんですけれども、加瀬さんの家の周辺にですね、北朝鮮にお嫁さん(所謂日本人妻)として行った方がいらっしゃるんです。所謂帰国者という方ですけれども、まあ若い方はご存知ないと思いますけれども、1960年代から北朝鮮に北送事業というのがあったんです。戦争が終りましてですね、そして日本にたくさん在日の人がおられたわけですが、その方々を北朝鮮に送る運動というのがあったんですね。その送る運動の中にお一人の女性が、加瀬さんの家の周辺におられたわけであります。

 この北送事業というのが、非常にポイント、拉致問題とも繋がってくる事業だったんですね。ここは推測なんですけれども、おそらく北送事業で ―北に送ると書くんですね― 北送事業の中で2000人ほどの日本人女性が、北朝鮮に渡っています。当然当局の尋問を受けるわけですね。どこで何をしていたのか? 友人は何人で何をしているのか? どういう生活環境だったのか? 近くに重要な施設があるのかないのか? といったような尋問を受けるわけですね。

 そうした尋問を受けたデータが、これも推測なんですけども、北朝鮮による工作活動の重要な参考情報になったんじゃないかと、その中の一つにこの日本人拉致というのも当然あったわけですから、そこに参考情報として使われたのじゃないかなあと思っています。

 ― 拉致被害者の運搬方法 ―

 それでですね、拉致された人をどうやって運ぶかという問題がありますね。これが解明されているのは一件もありません、実は…。帰ってきた5人の方々も、ご自身がどのように、拘束された場所はわかるんですね。拘束されたけれどもすぐに気絶させられたり、袋を被せられたりしていますから、どこでどう拉致されて運ばれていたかというのは、ご本人もわからないわけですね。

 唯一例外として曽我ひとみさんが、辛うじて3人の男性に後ろから追っかけられて、突然脇の道に引きずりこまれてお母さん(曽我ミヨシさん)と別れて、舟に運ばれましたということなんですけれども、まだ全容まではわかっていない。では加瀬さんがどうやって運ばれたのかということなんですが、ここに着目したのが大町ルートいうことになるわけであります。

 なぜ着目したかというと、先程の水飴と砂鉄が、どのように運ばれていたかということなんですが、当時マツダのオート三輪車ですかね、そういった運搬に使われていたのと同時にですね、実はちょうど加瀬さんが失踪された頃の記録映画がありましてですね、「干潟三千石」でしたかね(仲條氏より「三万です」と訂正入る)、あ、失礼、「干潟三万石」という記録映画が残っているんです。

 ほとんどは参考にならなかったんですけれども、一部だけですね、やはり当時の海上町周辺で「たくさん工場があって、水飴や砂鉄が大変盛んになっていました」というシーンに、大きなトラックがどんどん、どんどん走っているというシーンがあります。それを見た時に、この長距離トラックなんですね、千葉市を通って東京を経由して、山梨、長野、そして日本海に到って富山方面か、新潟方面に分かれていくという、そういう長距離トラックに荷物として運ばれていけば、これは拉致ルートの運搬としてはあり得るな、というふうに考えたわけであります。

 ただこれは一つの仮説です。もしかしたらということなんですけれども、当時は日本もですね、日本海側の警戒も厳しかったわけですし、北朝鮮側も拉致というものを、当時としては慎重に行っていたと思われますので、もしかしたら逆に太平洋側に寄港してくる北朝鮮の船がありますから、例えば千葉ですね、例えば横浜港、そういった船舶にですね、運んでしまえばそのまま運ばれていきますから、その可能性もなきにしもあらずということです。

 ― やりたい放題の北朝鮮工作員 ―

 でもこれはまだまだわからないですね。多くの拉致被害者の方々が、どうやって運ばれたかということを類推する一つの方法としてですね、どのように北朝鮮の工作員が入ってきたかということになるわけですけれど、これは私たちが考えているよりも、非常に大胆です。

 北朝鮮の工作員にとって、日本に侵入する、上陸するというのは、三度の食事よりも簡単なことだいうふうに言われているわけですね。もし見つかっても、ピストルで撃たれて殺されるということはまずないし、一週間くらい臭い飯を食ったらば、「強制送還」されて無事に戻るわけですから、な〜んの心配もなく、北朝鮮の工作員は上陸してきます(いまいましげな口調)。コンビニで買い物というか、コンビニは当時ないですけれども、しばしば北海道の現地を調査しますと、海岸ふちのお店に買い物に来る日本語を話せない北朝鮮の人と思われる人が、しばしば来るという場所もあります。

 だからもう別に日本に来て、上陸して工作するというのは、彼らにとっては、ほんとに何の特別なことではない行為だということですね。それが使われるのが工作船であったり、万景峰号であったり、あるいは潜水艦であったり、貨物船であったりするということですね。あらゆる方法というか、日本にとりあえず接岸するものであれば、何だって利用できるということですね。

 極端な時にはですね、何年か忘れましたけど、飛行機で来た人もいますよ、(半ば吹き出しながら)広島に…。これは亡命ということなんですけれども、工作員が亡命に広島に飛行機で来たと、まあそういう非常に面白い、といってはあれですけれど、それくらい日本という国は、ある意味警戒感、危機感がないという状況が、ここ何十年も続いていたというわけです。その背景の中に、その背景を元に拉致が実行されていったわけですね。

 3.加瀬さん関連の重大情報

 はい、そんなことばっかり言ってますと時間がなくなりますので加瀬さんの方に戻りますけれども、加瀬さんにつきましては、私ども特定失踪者問題調査会が、設立当初から重大な情報としてもたらされておりました。それが目撃情報ということですね。この写真をもたらした人物とは違う人物です。

 ― 加瀬さんの目撃情報 ―

 その人物から、平壌で加瀬さんらしい女性を何度も見たよと、もう一人布施範行さんと思われる男性と一緒に仕事をしていたと…。それで加瀬テル子さんについては、千葉の海から来たというふうに言っておられたと…。で布施範行さんについては、関西訛りの非常におとなしい、身長180pくらいの方でしたという情報がありました。

 これは実はですね、我々としても俄かに信じがたい情報だったんですね。この情報の信憑性を探るために、1年くらいかけて調査をしてきました。その間仲條さんには内緒で、いろいろと調査をしていて申し訳なかったんですけれども、内容が内容だけに慎重にということで、調査を進めていったわけです。

 そして、その裏取りをした結果、その情報についてはほぼ間違いがないだろうという形で、特定失踪者問題調査会としては、拉致の疑いが濃厚であるというふうに認定をしたということです。

 ―「拉致確定」の決め手の写真-1 〜TBSから〜 ―

 その後、(ボードに貼られた写真の一つを指しながら)この写真というのが、出てきたわけです。我々としても、私もですね、加瀬さんのこの2枚の写真を見た時に、テレビ局のディレクターの方がですね「真鍋さん、この写真誰だと思いますか?」ということで見せられたんですね。

 私は(加瀬さんの家族から提供されたほうの写真を指して)この写真ばっかりずーっと眺めていましたから、この写真を見せられた時に「わかりません」と。これは(加瀬さんの)お父さんと一緒です。かつてのお父さんと一緒で「橋本正次東京歯科大助教授によれば、この女性は加瀬さんであると言っておられます」というお話しが来た時に、私は本当に信じられなかったです。

 だけどよくよく橋本先生のお話しなりなんなりをお聞きしていくうちに、だんだん目が慣れてくると「ああここが似てる、ここが似てる、ここが一致してる」ということで、私自身も納得をしていったということですね。

 それで橋本先生は細かく分析をされたわけですけれども、一番大切なのは、この写真が本物なのかということから、スタートするわけですね。藤田進さんの写真の時は、コピーでしたから本物じゃないんですね。オリジナルの写真じゃなかったものですから、我々としてもちょっと不安があったんですけれども、加瀬さんについては、完全な本物です。
大きさは、よく学生証とか免許証に貼る写真とほぼ同じ大きさです。ほんと小さな(手で丸を作り)これくらいの大きさの写真です。(会場から「それは切ってあったんですか」の問いに)いや、切ってあるというか証明写真なんですね。それがそのまんま剥がされていた、で剥がされていますから裏に糊がついています。そして本人の朝鮮名と思われる名前が記入されていました。

 それだったらですね、もしかしたらニセ物じゃないかということになるんですけれども、実はテレビでも放映されましたけど、(写真を指して)ここに傷が残ってるんですね、(円弧状に手を動かし)こういうふうに…。この傷というのは、刻印です。要するに証明書に貼って押さえる刻印ですね。

 で、(演壇の拡大された)この写真でははっきりはわからないんですけど、明確にハングルで書かれてます。何が書かれているかはわからないんですけど、ハングルであることは間違いない。という状況なものですから、これはもう本物で間違いないだろう、ということになったわけです。

 それから加瀬さんであるということは、やはり橋本助教授も1枚の写真からでは、なかなか判断はできない。断定することはできないわけなんです、普通は…。しかし加瀬さんの場合は、決め手がございました。(写真の右目下を指して)これが向かって左の目ですね。左の目(実際には右目)に、ここに小さなほくろがあるんですね。(家族から提供された)こちらの写真にも、(演壇の拡大された)この写真でははっきりはわかりませんけれども、ご本人の向かって左の目の同じ場所にほくろがある。

 これはご家族が記憶されている、非常に大きな本人の特徴なんですね。ここがまったく場所と形態が一致しているということで、ま、要するに「まったく矛盾するところがない」どころか、本人の極めて特徴的な場所・形態が一致しているということで、この写真については、ほぼ加瀬テル子さんであるということで間違いない、という判断を橋本助教授はなさった。

・加瀬テル子さん失踪関連の報道番組が保存されているサイト
「檀君 WHO's WHO」
http://kamomiya.ddo.jp/index0.html>から
・「拉致問題映像ライブラリー」の
「報道特集『北朝鮮からの流出写真と大町ルート』」
(TBS系で2004年10月17日放映)

 ―「拉致確定」の決め手の写真-2 〜フジテレビから〜 ―

 そして、別のテレビ局から、こちらの立った(全身像の写真を指して)写真がもたらされたんですけども、別々に入手されたんですけど、(証明写真の)この女性と同一人物であるという情報で、我々にもたらされてきました。こちら(全身像)がフジテレビでしたかね、こちら(証明写真)がTBSです(仲條氏が「はい、そうです」と確認)。別々の社に一人の人物が売ったわけですね。

 で、問題はこちらの写真です。こちらの写真が加瀬さんであるかどうかというのは、こういうほんとちっちゃな写真ですからわからないんですけれども、加瀬さんのおばさんがこの写真を見た時に「テル子に間違いない!」、この立った姿は、お父さんもおばさんも「この立った姿はテル子だ」と仰いました。

 人間の記憶というのは、実は非常に曖昧でやはり全体的な雰囲気というもので記憶されているようですので、この顔写真の1枚では、お父さんが「これはテル子ではない」というくらいに曖昧なんですけれど、(全身写真で)全体の雰囲気を見ると「ああ、これはテル子だ」というふうに、皆さん異口同音に言われたわけです。

 ただしがありましてですね、この全身写真が本当に北朝鮮で撮られた写真かどうかいう点なんですが、非常に不思議な点が幾つかあります。一つはですね、このパラソル、日傘なんですね。北朝鮮の女性もパラソルを差します、当然…。

 で、この辺は矛盾はないんですけれども、問題はこのパンプスです。この加瀬さんが履いてるパンプス、ちょっとヒールの高いパンプス、これは北朝鮮の女性は履かない。それから丈が非常に短いパンツを履いてますね。これも北朝鮮の女性は一般的に履かない、と言う状況です。で、この背景の周辺はひまわりみたいなもので、これどうも北朝鮮かどうかというのははっきりしないんですが、この石畳というのは、北朝鮮でも一般的にある物なんですね。

 でも中国にもたくさんあるということなので、北朝鮮で撮られたような、また北朝鮮ではない外の第三国で撮られた可能性もある写真、まだわかっていません。この決め手のズボンとパンプスが、本当に北朝鮮で撮られたとするならば、少し違和感があるということなんですね。

 で、まだはっきりしないんですけど、拉致された日本人が、北朝鮮以外の第三国で活動させられているという、これは噂なんですが、噂は前からあります。あ、これはもう(客席の古川了子氏の姉竹下珠路さんと目が会い、含み笑いと共に)、古川さんもそうなんですけど、古川さんのみならず、他のケースもあるんですけど、例えばじゃないんですけど、こういう例があるんです。

 福留貴美子さんていらっしゃいますでしょう。福留さんは、一回日本に帰国をされているわけです。これ、秘密の工作活動として、そしてまた北朝鮮に戻されているという、そういう例もありますから、拉致した日本人をですね、東南アジアなどで貿易商社の職員みたいな形で、そういう所で働かせる可能性はあるわけですね。日本人として働かせる、ただし、当然貿易会社といってもただの貿易会社じゃないわけです。非常に、非合法的な活動に手をかける、手を出す貿易会社に働かせるということは、当然あり得る、想定できるということです。
編集済


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。