2005年07月13日

ロマンス・・・ある特攻隊員のお話 その3・・・

特攻について調べていると、必ずぶち当たるのが恋、恋愛の話です。
特攻隊員のほとんどが10代後半から20代の前半。
中には結婚して子供のいた特攻隊員もいましたがそれはむしろ少数派。
大多数が未婚の独身者のまま戦死しているのです。
燃えるような恋愛をしたという話もありますが、まだ恋も知らぬままに戦死してしまった悲哀を語ることも多いのですね。

私が調べた中で一番切ないなぁと思った話をひとつご紹介します。
ある特攻隊員が、自分が出撃するときにはぜひ若い女性の写真を持って往きたい、と考えたのだそうです。
しかし彼に特定の女性がいたわけではありません。
そこで知り合いの伝を頼り、全く見ず知らずの若い女性の写真を手に入れ、それを胸に抱いて彼は出撃して往ったのだとか。
10代後半から20代前半の年回りと言えば、異性に興味を持ち恋の切なさを知り、将来の希望を描く時代。
人生の中でも一番輝きに満ち溢れる時代です。
その輝くべき時代をひたすら戦争に捧げ、死に向かうことのみを求めるしかなかった特攻隊員の心を思うと、本当に切なくてやりきれない思いがします。

それでは私の叔父の場合はどうだったのか?
避けては通れぬロマンスの話を、今日は皆様にご紹介したいと思います。

叔父さんはどうも女性にはかなりもてたみたいですね。
頭は良いし背は高いし。
頭が良いと言ってもそれをひけらかして人を馬鹿にすることはありませんでしたし、人懐っこくてユーモアがあっておしゃべり好きで、話の場を賑やかせずにはいられないと言う明るい性格でしたしね。
顔もまぁ・・・特別美男子と言うほどではありませんが、鼻筋がすっと通っていて貫禄のある顔立ちをしています。
どちらかと言えばいい男の方だと思います。(笑)
身内の私が褒めるのもなんですが・・・(^^ゞ
それに何よりも当時憧れの予科練ですからね。
年頃の女性陣が放っておくはずが無いでしょう。

時期がいつだか不明なのですが、近所の神社の境内で海軍の軍服姿の叔父を真ん中に、7〜8人の女の同級生ばかりがずらりと周りを取り囲み、黒一点写っている写真も残っています。
まだまだあの当時は男女7歳にして席を同じにせず、と言う時代ですよ?
多分叔父が久しぶりの帰省をしたときに、急遽同級生が集まって写したんだと思いますが。
そんな写真が残っているほど、叔父は人気者だったのです。

叔父は優秀な上に農家の次男坊でしたから、ぜひ婿養子に迎えたいと言う話は実際たくさんあったのだそうです。
その中でも一番手の有力候補が前回ご紹介した同級生のTさん。
このTさんは後に小学校の先生になり、母の恩師でもあった人です。

ただどうも正式な約束は無かったようです。
特攻隊員に志願していたということもあって、そこまでは踏み切れなかったのでしょうけれど。
生きて無事に帰ってきた暁にはぜひ、と言う話は親も含めてそこそこの所まで進んでいたらしい。
もしも叔父が戦争を生き延びていたら、このTさんと結婚して家庭を築いていたのかもしれません。
母にすれば恩師の先生がそのまま親戚の叔母さんになるという不思議なめぐり合わせになるのですが、良いじゃないですか、そういうご縁があっても。

母の記憶によれば、叔父の死後、このTさんは一度生家にお線香を上げに来たことがあるんだそうです。
仏壇の前で静かに手を合わせて長いこと祈りを捧げていたのを、覚えているのだと。
母はまだ子供でしたし、恋がどうのこうのなんてその頃は分かりようもないのですが。
ただ単に叔父さんの同級生だからお参りに来てくれたのだ、と単純に考えていたのだそうですけどね。
今になって考えれば、Tさんはもしや叔父さんの事が好きだったのではないのかな?と。
そういうふうに思える節もあったわけです。

本人同士がどこまで心に秘めた物を持っていたかは分かりません。
Tさんもだいぶ前に亡くなっているので確かめようが無いのです。
でも、幼馴染が大人になってそのまま結婚すると言うのは今も昔も良くある話です。
私としては通じあう物があったと信じたいと言うのが、正直な所なのですが。
人を愛し愛されるという至福の感情を味わうことなく命を散らしたとは思いたくありません。
たとえ淡い初恋のような物であっても、恋の喜びを少しでも知った上での死だと思いたいのです。
でなければ、あまりにも叔父が可哀想過ぎる。

私の母はどちらかと言うと父親似です。
当然戦死した叔父とも顔つきがどことなく似ております。
亡き人の面影を残す少女を教えるかつての同級生だった恩師のTさん。
中学校時代の恩師だった元同級生のEさん。
中々心中複雑な物があったのではないでしょうか?
ついつい昔を思い出しては「あなたの叔父さんは優秀な人だった」と昔語りするのも仕方の無いことではありましょう。
子供だった母にとっては、ひたすら優秀すぎる叔父と比べられる苦痛の日々であってもですね。
元同級生の彼女たちにしてみれば、母の姿を通して懐かしい青春時代を思い起こしていたのでしょうからね。

もしも叔父が生きて家庭を持ったとしたら、今頃どんなお爺さんになっていたのか?
ふと考えることがあります。
私の祖父はとても子煩悩な人でした。
自分の孫が12人もいるのにそれでは足らず、隣近所の子供まで手懐けて可愛がるという、地元では知らぬ人のいないくらい子煩悩なお爺さんで有名な人でした。
似たもの兄弟の叔父のことですから、私の祖父に負けず劣らず子煩悩爺さんになったのではないのかな?と。
生きていれば今年80ですから、ひ孫がちらほらいてもおかしくない年です。
次々と生まれる孫やひ孫を可愛がり、それでも足らずに近所や親戚の子も可愛がりしてたんじゃないのかな?と。
その中で、ついでも私もご相伴にあずかって可愛がってもらえたのじゃないかしら?などと思ったりもするのです。

大勢の子や孫に囲まれて賑やかな老後を過ごしていたであろう叔父。
わずか20歳でその生涯を閉じねばならなかった彼の無念を思うと、いい加減な気持ちで日々の暮らしを貪るのは、やはりどこか申し訳ないような気がするのです。

参考リンク
残しおきたし我が心をば・・・ある特攻隊員のお話・・・
生い立ち・・・ある特攻隊員のお話 その2・・・


posted by ぴろん at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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