2005年07月25日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(2) 05.7.17 藤沢産業センターにて

『斉藤文代さんのお話』

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神奈川の皆様、こんにちは。
暑い中こんなにたくさん私の話を聞いていただけると本当に私も今日は胸がいっぱいで。
今日藤沢に来て良かったなぁと思っております。
聞こえますでしょうか?
だいたい私地声で声が大きいんですけど。
ちょっとの間、よろしくお願いします。

私の弟・松木薫は1980年にですね。
スペインのマドリッドから北朝鮮の方に拉致されました。
拉致した犯人は森順子さん若林さんと言う、二人で拉致したんじゃないか?というようなことで警察の方から私はお話を伺っております。

私の弟は、父には「スペインに行くときは1年で帰ってきますので、ぜひ行かせて下さい」ということで。
父はその当は、時絶対駄目だということで反対しましたけれど。
私たち家族、母・私「これから先は何でも勉強することは大事だから、お父さん最後の願いだと言ってるから、行かせてやってください」と願いしたのが今でもちょっと後悔しております。
あの時父が反対したように皆で反対しておれば、こういう事もなかったんじゃないかな?と時々布団の中で考えて眠れない時もあるんですよね。

父も折れまして、じゃあ1年だけということで許してくれて、弟は最後のバイトの、富士山でバイトをしてまして。
その費用と父から貰った費用でスペインの方に渡って語学の勉強をしてたんですけれども。
まさかこの26年間帰って来れなくなると、思うことは一回も無かったわけです。
私も本当に可哀想な子だなと、思っております。
80年に拉致されてから全然帰ってこないので父はもう慌てふためいて、スペイン大使館だの外務省だのとずい分駆けずり回って探してくださいということでいろいろお願いして回ったんですけども。
その当時は門前払いで、外務省の方も「まぁそのうち気が向いたら帰って来られるんじゃないんですか?」と言う簡単な気持ちだったので、父も本当にずい分いろんな所へお願いして回って助けてやることも出来なくって、亡くなりましたけども。
本当に父も無念だったと思います。
本当に可哀想な父だなぁと思っております。

その後に私の母が、その後活動を続けなければいけないんですけども、母はうちにおるおとなしい母でありまして。
父の言われるがまま、父の指導のままで付いて回るようなおとなしい母なものですから。
本当にショックが大きかったと思います。
本当に今思えばですね。
88年に平壌で石岡さん・有本さん・弟が暮らしていると、いうことが分かりましたけれども。
父はそういうことも出来ないままにあと亡くなりました。
そして母の方に手を差し伸べて亡くなってたんですね、床でね。
それを考えると何と北朝鮮は憎いところなんだろうと、いつもいつも思います。

未だかつて北朝鮮から帰って来れないということが本当に私の母は悔しいんだと思います。
今病院の方に入院しておりますけども、あんまり病状は良くないんですね。
でもあの、何としてでも薫に会うまではという気持ちが強いんですよね。
だからもう吐血も何回もしてるんですけども、その度ごとに私も一生懸命「頑張って頑張って」と言って励ましているんですけども。
母も「頑張ります」と言ってくれますので。
辛い気持ちで冷たい言葉を浴びせるときもあるんです。
「あんたがいないと(薫が)帰って来たって、母ちゃんがいないと泣くよ」って。
「薫が泣くよ」って言ってですね、
「頑張りなさい」って耳元で大きな声で怒鳴る時があるんです。
でもやっぱりそうやって母を元気付けさせないと、帰って来るんだと思って母は待ってるんですから、絶対に会わせるまでは私も頑張らなければいけないなぁと思いまして。
皆さんとこうやって活動させていただいております。

本当にもうよど号の妻たちは平気で日本に帰ってきて、のほほんと暮らしておりますけども。
なぜこんなに日本の政府が長年助け出してくれないのか?と思うと、毎日辛い思いでですね。
本当に毎日毎日、主人に分からないように布団の中で私涙流して、寝る時あるんですよ。
何も自分が出来ない。
なんでこんなに自分で一生懸命やってるつもりでも政府は動いてくれないんだ、やっぱり駄目なんだなと思いつつも、やっぱり母が待ってるし。
私たちが頑張らなければ、母に対しても申し訳ないし。
母も私がいつもベッドでですね。
「母ちゃん」って、「薫が帰って来たら何ていうの?」って。
「お帰りなさいって、私玄関の前で車椅子に乗って迎えに出るんだ」といって。
歯も無いもんですから大きい声で練習してるそうなんです。
それを見たら、聞いたらですね。
絶対会わせるまでは何が何でも私が倒れるまではやらなければいけないと思いつつ、一生懸命皆さんに活動させてもらってこうやって回らせてもらってますけども。

本当にうちの家族の場合には骨も2階もあずけられたんですよ?
死んでると言ってですね。
でも私は最初から信じておりません。
骨は2回目は動物の骨まで混じってるわけですから、他人様の骨そんな骨を、私は橋本先生に鑑定していただいて本当に良かったと思っております。
あの時に受け取って父のお墓の中に入れていたら父も泣いて。
あぁ、私はひとつだけは良い事をしたんだなと思って。
絶対に受け取らないといって跳ね除けましたので、そこだけは父に対して良い事をしたと今でも思っております。
父の墓に入れていたら、父も本当に私の所に毎日毎日出てくるんじゃないか?と思うくらいに、思うとぞっとしますんで。

この間の第3回実務者協議のときもやはり松木薫さんの骨ですと、いって持って帰ってきたときもなんだと思って、何で持ってきたんですか!って政府の方に言いました。
前の時も偽物だったじゃないですか!って、今回もまた偽物だったらどうするんですか!って。
どう責任取るんですか?って、私は言ったんですけども。
出された物は全部持って帰ってくることにしてましたんで持って帰ってきましたと。
このような答えしかないわけですよね。
本当にめぐみちゃんの骨も偽物なんですよね。
なんてひどいことをする国なんですか?
本当に許せないですよ。
めぐみちゃんは13歳ですよ?

そんな子供を連れて行っておいてね。
本当に骨ですとかね。
弟の2度も骨ですとか渡すということは私は北朝鮮は許せない国だと、自分でも優しい心はあるんですけども。
5人が帰って来たときは、今度はうちの番だと、今度はうちが帰って来るんだと。
言い聞かせながら、そんなに人を恨んだらいけないいけないと思っておりましたけれども。
もう我慢が限界に来ているわけですども。
母もいつそういう状態ですので、薫に会えないかも知れない。

そういうことを考えたら、絶対にこれから時間もないし。
皆様にお忙しい中時間を作ってきて頂いて、お願いするのも申し訳ないんですけども。
やはり世論の力、皆さんの力を借りて私たちが頑張るしかないと、早期解決が出来るように何としてでも知恵がありましたら私にもお聞かせください。
私も出来る限りのことはしておるんですけれども、何としてでも日本政府が動いてくれなければ、北から家族皆を助け出すことは出来ませんので、どうか皆様力をこれからも貸して下さい。
今日は皆さんとこうしてお話させていただきまして、良かったと思っております。
これからも頑張りますのでどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

※斉藤文代さんのお話は終始涙ぐまれてのお話でした。


posted by ぴろん at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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