2005年07月29日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(8)05.7.17 藤沢産業センターにて

『高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)のお話と特定失踪者ご家族のご紹介』

Img_0298.jpg

※司会(河井氏)
続きましては、特定失踪者家族の訴えです。
特定失踪者高野清文さんの妹でいらっしゃる高野美幸さんです。
よろしくお願いいたします。

高野美幸さん
いつも神奈川の集会の方にお呼びいただきまして、ごあいさつさせていただいているので「またあいつか」とイヤな顔をされないで、また聞いていただきたいと思うんですけれども。
わたくしの兄は、特定失踪者高野清文ということで、伊豆七島の神津島から、1976年に大学2年生19歳の時に、行方不明になっているその家族の妹でございます。
今日はですね、先に特定失踪者の家族のご紹介ということで、今日いらっしゃってる家族の方たち、お名前を申し上げますので、あの立ち上がってその場で、軽くあいさつとかしていただければと思うんですが。

高野清文さん 
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から

大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

『参加した特定失踪者のご家族の紹介』

Img_0302.jpg

Img_0303.jpg

↑紹介を受けてご挨拶をされる特定失踪者ご家族の方々

高野さん
まずですね、前回もお話をいただきました、佐渡から74年にいなくなられました大澤孝司(おおさわたかし)さんのお兄様でいらっしゃいます茂樹様がいらっしゃってます。(拍手)


★大澤茂樹さん
(拍手の中、マイクを受け取る。以下他の家族の方々も同様に発言または会釈あり)
私の弟は、昭和49年の2月24日に、新潟県佐渡島でいなくなっております。
今それぞれの方のいろいろなお話がありましたが、私もこの拉致問題が完全に解決するまで頑張っていきたいと思いますので、さらなる皆様方のご支援とご協力をよろしくお願いいたします。(拍手、以下同)

大沢孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

高野さん
ありがとうございました。それではですね、生島孝子(いくしまたかこ)さんですね。
渋谷から72年に行方不明になりました。
お姉様の馨子(けいこ)様がいらっしゃってると思うんですけど。

★生島馨子さん
皆様のお力をお借りして、是非、妹を日本に連れ帰りたい、取り返したいと思います。
よろしくお願いいたします。

生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

高野さん                                      
そして、藤沢のこの地では、もっとも関係が深い方かと思います。
寺島佐津子さん、鎌倉の花火大会に行って行方不明になりました。(会場の一角が「あら〜」と驚きでざわめく。「かわいそうに」の声も…)
ご両親がいらっしゃってると思いますけど、その場でお立ちいただければと。

★寺島佐津子さんのご両親
無言で会場に深々と一礼。(拍手)

寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

高野さん
あと、松井綾子さんのお母様、1998年12月に千葉県※で失踪されたということで、いらっしゃってるかと思いますが。

★松井綾子氏のご母堂
松井でございます。(最敬礼)

松井綾子さん(※千葉県で失踪?)
失踪年月日 平成10(1998)年12月3日
生年月日 昭和51(1976)年9月14日
当時年齢 22歳
当時身分 臨床検査技師として病院に勤務
失踪現場 茨城県水戸市のアパート

12月3日8:20病院に「調子が悪いので休む」とtel。4日病院を無断欠勤。検査課の人がアパートへ確認に行く。車なし、ドア施錠。病院から実家に電話があり、家族が部屋に入るが室内物色された形跡なし。12月4日8:28国道6号線茨城町のGSで給油(本人自筆で確認)。12:05ローソン調子黒生店で昼食購入。12月15日 神栖町海浜公園多目的広場駐車場で自家用車発見。運転席側のロックなし、6000円入りの財布が助手席に置かれた黒バックに残されていた

※特定失踪者問題調査会のホームページでは、水戸市で失踪となっていますが、松井氏の車が千葉県内の東金から銚子方面を走り回って、最後は茨城県神栖町で発見されており、千葉県内での失踪の可能性が高いので、松井氏は千葉県で失踪としたものと思われます。
(この項、原良一氏が調査会の真鍋氏に直接確認済み)

高野氏さん
それからですね、
実は、笹垣範男(ささがきのりお)さんという92年に行方不明になられてます、18歳の方のお父様がいらっしゃってたんですけど、
今日はこの時間には、ちょっとご用事があるということで、お帰りになられましたが。
いらっしゃってたことの旨、お伝えしておきたいと思います。

笹垣範男さん
失踪年月日 平成4(1992)年9月12日
生年月日 昭和49(1974)年3月4日
当時年齢 18歳
当時身分 予備校生(美大志望)
失踪現場 神奈川県三浦市

当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。姉が昼に出かけるときはまだいた。予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。いつもは夕方5〜6時に帰宅するのが、10〜10時半に帰宅する日もあった。前日、前々日は終電で帰ってきた。誰と会っていたか聞いても答えなかった。預金通帳は残っている。


(高野さんの発言の続き)
そして、わたくしのお話をさせていただきたいと思いますが。
わたくしの兄、高野清文は、1976年の7月30日、もうすぐ29回目の7月30日が来ようとしています。
その前の年(75年)私は湘南で、ちょうど兄と海水浴をしていた時の3歳の記憶があるんです。
波が来て、わたくし浮き輪につかまってたんですけども、後ろの方からひっくり返って海の中が見えまして。
その後兄が慌てて戻して、兄のほっとした顔をしていて、私は何が起こったんだろう?とキョトンとしているような記憶がありまして。
14歳離れておりましたので、親が3人いるような、非常に優しい兄だったことを覚えております。

まあ今ですね、拉致問題、拉致の可能性があるということで、思ったきっかけは、9・17の時にですね。
曽我ひとみさんが出てらっしゃった時に、最初にお名前が出てらっしゃらなかったので、そんなに世の中に行方不明になっている人がいるものではないと思っていましたので。
ウチの兄の名前も言ってくれるんじゃないかということをですね。
テレビに言ってほしい、言ってほしいというふうに祈りながら見ておりましたが。
実は佐渡島からいなくなった女性だということだったので。

でも、こうやって政府の拉致認定とかがなくても、いなくなってる方がいらっしゃるんだという認識を持ちました。
そしてその後今、実質失踪者というのが、430、50? 440人くらいということで、後ろのポスター、ちょっと落ちそうになってますけども、たくさんの方が顔を出していらっしゃっいます。
もちろん(顔を)出せない方もいらっしゃいますし、調査会に申し出ることさえも躊躇してる方のお話とかも、ままお伺いすることがございます。

その内何人が、本当に北朝鮮に連れて行かれているのか? 
私の兄もそうなのかどうか?という確証はないのですが、政府が調べているのか、調べていないか?
警察の方がやっているか、やっていないか、公調の方が一回接触に来られただけなんですが、まったくそういう情報がないので自分で調べております。
それこそ、先月ですね。
真鍋さんに連れてっていただきまして、伊豆七島の神津島の方にも調べに行きました。

新しいことは、とりたてて無いんですが。
私の兄の場合は、近隣でいなくなってる女性の方がいらっしゃっいますので、その足で新島の方もいろいろ調べてはきたんですが。
怪しいことばかり、という感じで、まあ逆にいえば、確証たるものもないような状態ではあるのですが。
この状況をですね。
一家族が、警察や公調や政府に代わって調べているという事実(笑)をですね。
皆さんに知っていただければと思います。
34歳ごときの小娘がそんなことをしております。
この国はどうなっているのでしょうか? 
私たち国民の政府であるのかどうか?と言うのは、非常に疑問に思うことではあります。

まず私、この特定失踪者という形になる、まあ公表をする段階でですね、
日本という国は、まあどうしてCIAとかFBIみたいな組織がないんだろう?ということを、既に2年半前に記者会見の場で申し上げておりまして、
それがなんか最近になって、また改めて実感で「何で無いんだろう?」みたいな部分が明らかになってきたんだろう、とあるかと思いますが、
認定ですね、拉致の認定の話しも今はいろいろありますが。
認定であってもなくても、拉致被害者は拉致被害者だって、私自身は、認定云々ということよりも、真実が知りたい。
兄貴がどうなったのか?ていうことを知りたい。
まあ、上の方が動いてくれないことを嘆いていても、その上を選んでしまったのは私たち国民なので、私はその国民の皆様にお訴えするしかない、という今の現状であります。

それからですね、今ニューヨークで先日テロが、ツインタワーのテロがあったかと思います。
最近では、ロンドンでもテロがありました。
じゃあ、この日本の拉致問題は? 
まあ拉致はテロだということで、救う会の方も活動をされておりますが、
6者会談を前にですね思うのが、核の話をメインにしようとしている趣がありますが、この核作ってるの、私の兄かもしれません。
そうなってくるとですね。
核の問題イコール拉致問題だと私は捉えざるを得ないんじゃないか?と、私は思います。

ちょっと、お話に聞いたところによりますと。
とある工作関係の方は、例えば麻薬であるとか、偽札であるとか、拳銃であるとか、そういった物を日本に垂れ流しすることを、「緩やかなテロ」と言って、テロだと認識してやっているようであります。
真綿で首を絞めるようなやり方で、日本にテロを仕掛けているわけですね。
偽札入れると、日本のお金の価値が下がって、自分たちの所にも外貨が入りますね。
麻薬を日本に入れることによって、日本のヤクザとかが潤って、なおかつ日本の若者の世代は崩壊していくわけです。
そしたら、日本の未来はないわけですよね?
そういった形で、私たちは今テロに遭っているということを、もっと深く認識するべきではないか?というふうに思っております。

ちょっと特定失踪者の問題から外れてる部分もあるかと思うんですが。
かなりの大勢の方がいなくなっていらっしゃっるっていう点では、例えば印刷工の方がいなくなっていらっしゃっる、
ウチの兄のような技術者がいなくなっていらっしゃっる、
医療関係の方(注:特の曽我ひとみさんなど、看護婦の方に失踪が多い)がいなくなっていらっしゃっるなどの傾向が見えてきた中で、そういったことが言えるのではないか?という部分もございまして、ちょっとわたくしは、そのようなお話をさせていただきました。

あともう一点ですね、北朝鮮の土地にいる方たちですね。
何回かお話ししてますが、私の母は、引揚者で北朝鮮の地から帰ってまいりました。
そういった意味で、北朝鮮の土地に住む人民の皆様にお世話になったことがあります。
母が、帰ってくる時握らされたお米(引き揚げ時、近隣の朝鮮人たちから道中の携帯食に、と焼き米をもらった)を、直接北朝鮮の土地にいる方たちに、お返しできるような経済援助でなければする意味がなく、経済制裁をしたもらった方がいいぐらいな気持ちでいると思います。
先程の脱北者の方のお話にもありました。ウチの母にも、ほんとに紙一重の部分があったのではないか?と思います。
そういった意味で、私は家族の中二つちょっと、たまたま(北朝鮮と)関わるような事例がございましたので、こんなふうに話をさせていただいているんですが。

わたくし、こういう話をする時に、北朝鮮が悪いという話はしないで、キム政権を何とかしたい、と必ず申し上げるようにしています。
北朝鮮の土地の方たちは、同じ人間として非常に大変な扱いを受けていらっしゃっると思いますので。
そちらにも目を向けて、たまたまこういう問題をやっていく中で、そういう部分に私みたいな若者が気づいてしまった、と。
そういう世界情勢まで考えなければいけない状況だと、いうことがわかったということで、この立った状態で大変申し訳ないんですが、お訴えをさせていただきました。

後ろの方で、また失踪者の署名ですとか、あと調査会のポスターの方も、今回は拉致被害者の方も入った状態になってます。
時系列で、非常にわかりやすくなってるかと思います。
何らかの参考にされる方は、販売もしております。
それからまたウチの母が、帰りを待っていながら編んでいる編み物が(アクリル毛糸のたわし)、夏なので西瓜なんか持ってってみたら、なんて言われたので持ってきてみました。
いつも早く帰ってくることを祈りながら、日本の花、桜の花とか、いいことがある(吉兆の)亀さんとかそんなのを編んでおりますので、それも販売しております。
カンパの方も募っております。

Img_0354.jpg

それから、秋田の方の子供たちが作ってくださった鶴が、インターネットとかでよく出てるのはご覧になった方あるかと思いますが、後ろの方でご入用の方に配布しておりますので、私も今下げてるんですけど。
あの北朝鮮の方を向いている金の鶴と、早くゴメンナサイと兜を脱いでくれるように、逆さまの兜をかたどっているというようなお話しで。
あの〜まあ中学生、高校生の子供がここまで考えてくれるか?というようなことで。
ウチの両親も、たまたま実家に届きまして直接、泣きながら電話が入ってまいりました。
こんなこともあるんだねって話しをしたことがあります。
そういったことで、長くなりました。
わたくしの話を終わらせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。

※司会
ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク

・特定失踪者高野清文さんの妹、高野美幸さんのblog
Ω♪♪♪♪♪  KONAboration-SSQ  ♪♪♪♪♪Ω
http://konaboration-ssq.seesaa.net/

・特定失踪者大澤孝司氏のホームページ
「大澤孝司さんと再会を果たす会」
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
特定失踪者お一人お一人の失踪の状況に関しては、特定失踪者問題調査会のHPより引用させていただきました。
特定失踪者に関しての詳しい情報は、調査会のHPをどうぞ御覧下さい。

↓特定失踪者問題調査会HPはこちらから 
http://www.chosa-kai.jp/indexjpn.htm
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは、原良一氏提供のテキストを元に当Blog管理人が再構成したものです。
原氏のご好意に感謝申し上げます。


posted by ぴろん at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。