この一年目ぼしい進展もなく、被害者救出に一歩も近づけていない不明を恥じています。
北の地で救いを待つ被害者と、肉親の帰りを待ちわびて全国を駆け巡るご家族に対し、ただただ申し訳ない気持ちで一杯です。
3年前の今日、小泉総理第一回訪朝の日。
「5人生存・8人死亡・2人未入国」の報を受け体が震えて何も手につかなかった一日。
テレビの向こうで悲しみに暮れ、怒りに震えるご家族に対し、今まで拉致問題に無関心だった自分を恥じた日。
せめてこれからは拉致問題が解決するまで決して関心を失わないと心に決めた日・・・
私なぞに出来る事には限りがあります。
ぼちぼちと集会のテキストを起こすくらいしか出来ない自分が時にもどかしく思うこともある。
やりきれない思いに囚われる瞬間もありますが、しかし途中で投げ出すわけにも行きますまい。
被害者は今も助けを待っている。
家族も歯を食いしばり支援を求めて東奔西走している。
知らぬ振りはできない。
他人事には出来ない。
彼ら当事者は、所詮は他人の私などよりもっともっと苦しいのだから。
初心を忘れぬ為に、私が最近心のよりどころにしている言葉を一つご紹介いたします。
パンドラの箱から全ての悪が飛び出した後、たったひとつ「希望」が残っているのだと言う。
今ここで諦めれば自ら「希望」を捨てるに等しい。
ならば諦めるわけにはいくまい。
最後の一人を救い出すまでは。
Where there is a will,there is a way.(意志あるところに道はある)
皆同じだと思います、ですから自分の行動を恥じることはおかしく、逆に言えばほめても良い位だと思います。
前にも言いましたが、私にとって「拉致は他人事」であり、取り組んでいる問題は拉致だけではありません。
拉致問題は解決へむけて確実に進んでいます。
ぴろんさんのBlogに来て下さる方々から、多くの賛同を受けているではないですか。
ぴろんさんのBlogを見て書き込まなくても、少数かも知れませんが「取り組み」始めた方々もいると思います。
出来る事に限りがあることを理解した上で、一人一人がそれぞれ出来ることを持ち寄れば大きな力になると信じております。
関心を持ち続ける事だって、立派な支援の一つ。
飽きっぽいと言われる日本人が9.17から丸3年経っても拉致問題への関心を失っていない事は、とても素晴らしい事だと思うし、ここにこそ希望の光があると思っています。
諦めない事、忘れない事、関心を持ち続ける事の威力の大きさを改めて思うのです。