2005年09月19日

靖国神社へ行ってきました 2

もう、昨日の話になりますが、救う会の集会へ参加する前に私は靖国神社へ立ち寄ってきました。
今回は母を同行して。
母は靖国参拝は何度もしているのですが、遊就館には一度も入った事が無いと言うのです。
ですからあの中に特攻の叔父さんが搭乗した戦闘機、「桜花」が展示されている事も、桜花出撃の様子をジオラマで再現した横に神雷部隊の戦没者名簿が展示されてことも知らないと言うのです。
それらを改めて母に見せたくて、気候が涼しくなるのを待って昨日、思い切って出かけて参りました。

まず、母に見せたかったのは神門を入って右横2本目に植えてある、神雷桜です。
これは神雷部隊の隊員が、靖国神社神門右2番目の桜の木の下で会おうと約束して出撃したことにちなんで、戦友の方々が植樹された物。
母もやはり泣きました。
桜の木に触れると、叔父の体に触れたような気がするのです。
体の大きかった叔父のように、桜の木もかなりの大木、一抱えは軽くあります。
この木のどこかに叔父がいると思えば、遺族としてはやはり心動かされないわけには行かないのです。
「叔父さん、叔父さん会いに来たよ」としばらくは桜の木の下に佇んで、叔父との会話をいたしました。

時間もありましたので今回は昇殿参拝をさせていただくつもりで靖国に来ました。
秋のお彼岸が近いせいか、昨日は参拝者がやけに多かったような気がします。
それも若い人がたくさん。
遊就館の中は若者てんこ盛り、と言う感じでもありましたしね。
靖国に関心を持って来てくれたのか?
それとも反日感情の延長戦で怖い物見たさ、冷やかし半分で来たのか?
それは分かりませんけれど。
遊就館内に設置してある、見学者ノートには結構辛らつな靖国批判が書いてありますしね。
遺族の一人としましては心中複雑な物がありますが・・・それでも靖国を一度も参った事も無く、観念だけで物を言われるよりは良いのでしょうか?
私としては一日も早く、心静かにお参りが出来るそんな環境が整う事を祈るばかりなのですが。

昇殿参拝は、実は母も私も今回初めての体験です。
何だか今までは気後れしてしまって・・・
でも今回は時間もたっぷりありましたし、やはり戦後60年の節目の年ですし。
拝殿横の参集殿へ昇殿参拝申し込みへ行きますと、係りの人に「ご遺族の方でいらっしゃいますか?」と聞かれました。
靖国神社では一般の参拝と遺族の参拝とでは申し込みの用紙が違うのです。
むろん、私たちは特攻の叔父を供養する為に参ったのですから、遺族ですと申し上げ、それ用の申し込み書を頂き、英霊の名前と申込人の住所氏名などを記入して、玉串料と共にお願いをいたしました。

ではこれを、と渡されたのは黄色のリボン。
一般の参拝者はピンク色のリボンです。
あれ?遺族とそれ以外では参拝者の扱いに違いがあるのだろうか?と思っていたら、その通りだったんですね。
参拝のご奉仕をしてくださった宮司さんのお話によれば、靖国の御霊が何よりお喜びになるのは遺族の参拝であると。
春秋の例大祭や御霊祭りなど、様々な趣向で御霊をお慰めしてはいても、やはりご遺族の拝礼に勝るお慰めは無い、ということで遺族の参拝には特に気を使ってくださるのです。

本殿横でお払いを受ける時も、遺族は最前列へ。
本殿内で座る時もやはり遺族は最前列へ。
玉串を捧げる順番も、遺族が先でその後一般の参列者となります。
何だか申し訳ないくらい、お心を使っていただきました。
祝詞を上げていただく時は叔父の名前も詠んで頂きました。
私も母もただただ、涙。
不思議なものです。
あそこで参拝をするときは、拝殿の前であろうと昇殿であろうと、無心にただひたすら涙涙になる。
叔父の魂に包まれたような気持ちになる。
ここには間違いなく、叔父の魂がいると感じるのです。
昇殿参拝を終えてお神酒を頂戴し、控え室に戻ると遺族だけにはお供物の下賜があります。
それを頂いて無事参拝を終えました。

そしてその後目的の遊就館へ。
初めて「桜花」を目にした母の感想はやはり
「こんなに小さくてどうやって乗り込んだのか?
特攻の叔父さんは人よりも体が大きいから、体を折り曲げるようにして乗り込んだんじゃないだろうか?」
でした。
桜花は本当に小さい。
例えは悪いけど、遊園地に良くあるような飛行機の乗り物に毛が生えたような感じ、なのです。
しかも性能はお話にならないほど幼稚だったと言う・・・これで命をかけて特攻する叔父の心中はいかばかりだったのだろう?
けれどあの時代、どの若者も国を家族を守るためなら、命をかけることを厭わなかったと言います。
特攻への志願も、後年言われているように嫌々の仕方無しではなく、むしろ進んで志願したケースが多いという。
多分私の叔父も志願するに当たっては、嫌々ではなく、自ら望んで誇りを持って名乗り出たような感じがします。
叔父の場合は赤紙で徴兵されたのではなく、自らの意思で予科練へ進んだ生粋の軍人です。
その軍人としての責務、日本男子として家族を守るという意思、その他もろもろ・・・
国家の危機に際して、叔父がおろおろ・もたもたしたとは考え難い。

特攻に志願するには家族の承諾が必要だったそうですが、それを親に言い出した時、親の側・子の側にどんな葛藤があったのでしょうかね?
それはなんとも分かりませんが、しかし私の祖父は弟を心の底から誇りに思っていました。
それは間違いが無い。
悲しみを乗り越えた上でのゆるぎない心だったのか、誇りに思ってやらねば弟が不憫すぎると思ってのことだったのか?
特攻などと無謀な作戦を考え出した人に対しては、やはりどうにも割り切れない複雑なものが私の心の内にあります。
所詮は戦後生まれの私が今の時代感覚で何を言っても説得力はありませんが・・・けれど戦闘機としてはちゃちな代物だったという桜花を見るたびに心中は複雑になるのであり、桜花を見つめる目には涙が滲むのです。

ジオラマを見て、叔父の出撃の様子を改めて目に焼き付けます。
大きな飛行機の下に戦闘機をくくりつけるような格好で桜花は出撃した・・・と、話には聞いていますが、実際にジオラマを見るとその時の状況をリアルに想像する事ができます。
所詮はたかがジオラマなのですが、これをみてこんなふうに叔父が搭乗していたのだなぁと思うと、遺族にとっては単なる模型、と言うわけにはいきません。
もうこの辺りから、涙モードなのですが、何とかこらえてジオラマ横の神雷部隊戦没者の芳名碑の前へと進みます。
老眼で細かい文字を読むにはそれ用の眼鏡と交換しなければならない母なのですが、眼鏡をかけ直し叔父の名前を確認した途端、芳名碑の前でオイオイと号泣を始めてしまいました。
展示室の中にはかなりの人がいましたから、いったい何事か?と怪訝に思った人は沢山いたでしょう。
でも私は母を止めませんでした。
泣きたいだけ泣けば良い。
叔父はまだ幼かった母を守るため、拙い文字で書かれた母の葉書を胸に抱いて出撃したのです。
その姪っ子が亡き叔父を偲んで泣けば、叔父の魂もいくらか慰められるに違いない。
それが叔父の魂のおわす靖国ならではの事なのだから。

叔父の出撃時(昭和20年5月4日)の頃にはもうたいした戦闘機もなくて、人も戦闘機も寄せ集めのような有様だったんだそうです。
そして特攻の叔父の話でもご紹介した戦友のAさんは、叔父の乗り込んだ桜花の発射ボタンを押した人。
そのわずか数秒後に見事敵艦の撃沈に成功した様子を、彼は一式陸攻の中でどんな思いで見つめたのか?
撃沈の瞬間「石渡〜〜〜!」と一式陸攻の搭乗席で絶叫したと言う彼。
Aさんもきっと生き残った神雷部隊隊員の一人として、戦友たちと共にやはりこのジオラマの設置や神雷桜の植樹のために奔走したのでしょうね。

今年は戦後60年と言う節目の年であり、この夏テレビではドラマやドキュメンタリーなどの関連番組がたくさんありました。
当然それらの番組中には特攻の場面を映した映像が流れる事が例年よりも多くてですね。
特攻隊員の英霊を持つ身としましては、ずいぶんと心の痛い夏でありました。
あの映像を見ると、どうも私は平静ではいられない。
いろいろ感じてしまうのです。
いろいろ考えるのではなく、感じてしまう。
突撃の瞬間は自分の体がバラバラにされるような感覚に襲われますし、迎撃を受けて空しく落下する戦闘機を見れば搭乗員の無念の涙を感じてしまう。
私が望むのは、テレビの映像であれ遊就館に展示中の戦闘機であれ、単なる物体としてドライな視線で見ることはしないで欲しい、ということでしょうか?
テレビの向こうに映る戦闘機にも展示中の戦闘機にも、そこには様々な思いを抱いた生身の若者が乗り組み、命をかけて闘ったのだと言う事実を、少しでもリアルに感じて欲しいと思うのです。

館内を一通り見学した後、遊就館一階のサロンで、海軍カレーを頂いてきました。
今時のカレーと違って昔風の素朴な味わいのカレーです。
ちょっと年配の人?であれば、ソースを一さじかけたくなるような昔の味わい、と言えばイメージできるでしょうか?(笑)
叔父さんも海軍だから、きっとこれと同じ味のカレーを食べたのかもしれない、と思うとたかがカレー一つにも感慨深いものがあります。
戦争当時のカレーはさぞかしご馳走だったことでしょう。
体が大きくて大飯食いだった叔父は、やっぱり軍でも人より余計にご飯を食べたんだろうか?とか。
つまらぬ事を思っては、カレー一つにも涙が滲む、変な親子でありました。(笑)

遊就館を出てもう一度拝殿前にいくと夕暮れの中、ライトアップがされており、拝殿前がやけに明るいのです。
さすがに夕方遅くなると人気も少なくなります。
最後にもう一度拝殿でお参りをして叔父との別れを惜しみました。
そして帰り際はやはり振り返り振り返り・・・次回の参拝を約束しつつ、後ろ髪を惹かれつつ、九段下駅へと向かいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日初めて当Blogをご訪問の方へ。
私には沖縄戦で戦死した特攻の大叔父がいます。
本日のエントリーに関連する詳しい話をお知りになりたい方は、カテゴリー「特攻の叔父の話」の過去エントリーをご参照ください。


posted by ぴろん at 11:05| Comment(5) | TrackBack(1) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の周りには先の大戦で戦死した者はおりません。海軍に2人(一名は予科練です)、陸軍に2名ですがいずれも特攻の出撃前に終戦を迎えました。
父は陸軍の学徒動員兵でしたが、出征の一週間前が8月15日だったのです。
父の一年先輩の方々はほとんどの方が特攻で英霊となっていらっしゃいます。もう一人の陸軍の叔父は士官学校の学生で、やはりほとんどの先輩が南方で散華されたと聞いております。

子供の頃から、その当時は遊就館とは言わず宝物殿といっていたと思いますが、父と一緒に度々参拝の後に拝観させて頂きました。例大祭、御霊祭り、8月15日、12月8日と折にふれて参拝しております。

遊就館は何度足を運んでも出てくるときは目が真っ赤になります。「男が人前で涙を流してもいいのは親が死んだときだけだ」と言われながら育ったのですが、靖国神社ではその教えを守ることはできません。

今回のぴろんさんのエントリーを拝読している途中から目の前が曇ってしまいどうしようもありませんでした。

>特攻などと無謀な作戦を考え出した人に対しては、やはりどうにも割り切れない複雑なものが私の心の内にあります。

実は母の実家が長唄の家で、戦前はお弟子さんの中に特攻隊を組織した大西中将の奥様がおられたのです。その関係で中将のお人柄など祖母からいろいろ聞いているんですが、中将自身、特攻という戦い方を軍人としては納得しておられなかったとのことです。それでもなお、あえて特攻隊を送り出し続けたのは、こうして戦うことで戦後の世界で日本という国を敗戦国として軽くあしらわれないようにするためだったと言うことです。中将は特攻隊の出撃に際してはかならず見送り、自分も必ず後から行くからとお話しになっていたそうです。そしてその通りに終戦にあわせて自決されました。それもピストルによる自決ではなく、介錯無しの切腹による自決です。息を引き取られるまでに8時間にわたって苦しまれたそうです。副官が介錯を申し出ても頑として拒まれたそうです。
だからどうだという訳ではありませんが、出撃された英霊ばかりでなく、あの作戦を遂行した上層部の人々も同じように苦しみ悩まれたと言うこともご記憶いただければと思います。

私たちの誇り高い先達は素晴らしい人々でした。戦後の60年で私たちは本来の歴史を失ってしまったような気がします。時にイスラム原理主義者のテロと大日本帝国の特攻を同列に論じる方々がいますが、とんでもないことです。宗教的熱狂と、特攻隊員のように国を守ること、愛する家族を守ること、そのために進んで一命をなげうった英霊とを一緒にして欲しくはありません。軍事目標に対する特攻と一般市民を対象とするテロを同列に論じるなんて許せないです。

多くの尊い命のうえに築かれた現在の日本で、どうして拉致被害者を速やかに救出することができないのか。一人の日本人として靖国の英霊に顔向けができません。恥ずかしさと悔しさで体が震える思いです。

父は(すでに他界しましたが)靖国神社を訪れると、いつも特攻で散華した先輩方と対話をしていたように思います。叔父は親戚が集まって夕食を共にするときなどは必ず涙を流しながら「神風特別攻撃隊」を歌っております。
Posted by 小龍景光 at 2005年09月19日 23:32
★小龍景光様

大西中将のお話は私も存じております。
特攻はそれを命ずる方も受ける方も、心中に様々な思いを抱えての事。
それでも非情な覚悟を決めて、命令を下し出撃をした当時の日本人の崇高な志は、平和ボケした戦後の日本人の及ぶ所ではありません。
考えれば考えるほど、叔父の決心の大きさ重さに潰されそうな気持ちになります。

叔父のように命をかけて、国を同胞を愛せるか?家族を守れるのか?
拉致問題に関るようになって、その事を強く意識するようになりました。
しかし拉致問題は遅々として進展を見せない。
焦りや苛立ちを募らせる時、必ず叔父の声がどこかから聞こえて参ります。

「俺は命をかけて国を家族を護ったんだぞ。
なのにお前はこれしきの事で諦めるのか?
お前は何時まで同胞を見殺しにし続けるつもりなのか?」

その声が聞こえるたびに、挫けそうになる心を奮い立たせています。
叔父の魂はいつでも私の背中から私のすることを見ているように思えます。
おかしいでしょうかね?

人は死んで終わりではない。
魂は後に残る人の心の中で生き続ける物。
しかし戦後の日本では
「死んだ人などどうでも良いじゃないか。
生きてる人間の都合を優先する方がはるかに大事」
と思う人が少なくないような気がします。
残念な事です。
そういう物の考え方は先人の犠牲を無にするに等しい。
大変不遜でおこがましい事ではないでしょうか?
Posted by ぴろん at 2005年09月20日 18:30
>「俺は命をかけて国を家族を護ったんだぞ。
>なのにお前はこれしきの事で諦めるのか?
>お前は何時まで同胞を見殺しにし続けるつもりなのか?」

おっしゃる通りです。現在の日本の状況は先の戦争で散華された英霊の志を無にするに等しいものです。

>その声が聞こえるたびに、挫けそうになる心を奮い立たせています。
>叔父の魂はいつでも私の背中から私のすることを見ているように思えます。
>おかしいでしょうかね?

全くおかしくないです。ぴろんさんのように誇れるご親族をお持ちでいらっしゃることは素晴らしいことです。
私たちの世代はぴろんさんのように叔父上様のことをその当時に生きていた方から直接聞くことができた世代です。私も父の世代の親族からいろいろな話を聞くことができました。
いま、日本は8月15日以前の歴史から断絶されてしまっているようなものです。あの頃に何があったのか、あの頃の日本人がどういう行き方をしていたのか。次の世代にきちんと伝えていくのは私たちの義務でしょう。

今回の六カ国協議の共同声明も全く納得できない内容です。日本の選択肢としては六カ国協議からの脱退をほのめかしてでも自説を主張するべきでした。しょせん日本のマネーを当てにした協議なのですから毅然とした主張をすれば必ず通ったはずです。
また、六カ国の枠組みとは別に単独の経済制裁も含めたオプションは絶対に排除するべきではありません。

私たちは誇り高かった日本人の後裔なのです。拉致被害者は何としても救出せねばなりません。
いま、多くの日本人が目覚めつつあるように感じます。日本という国がこのままで終わることはないと信じています。
Posted by 小龍景光 at 2005年09月20日 23:39
音声が聞けるようになりましたね。
おめでとう御座います。
多くの方々が喜ばれると思います、お疲れ様でした。
有り難う御座いました。
Posted by Ambient1 at 2005年09月21日 08:37
★小龍景光様

>いま、日本は8月15日以前の歴史から断絶されてしまっているようなものです。あの頃に何があったのか、あの頃の日本人がどういう行き方をしていたのか。次の世代にきちんと伝えていくのは私たちの義務でしょう。

本当にその通りだと思います。
自虐歴史観などの先入観に囚われて、ただ単純に戦争の時代を拒絶するのではなく、どうして彼らはそこへ至ったのか?を考える事は大事な事です。
私たちの先祖は単なる人殺しでも侵略者でもない。
彼らにも正義はあったのであり、直面する戦争と言う非常時の中で苦悩の日々を過ごした事を少しでも感じ取ってやらねば、英霊たちも多くの一般犠牲者の思いも後世に伝わりません。
その意味でも私は特攻の叔父を通して色々考える事を続けていきたいと思っています。
それが特攻隊員と言う稀有な英霊を身内に持つものの努めであろうと考えています。

>今回の六カ国協議の共同声明も全く納得できない内容です。日本の選択肢としては六カ国協議からの脱退をほのめかしてでも自説を主張するべきでした。しょせん日本のマネーを当てにした協議なのですから毅然とした主張をすれば必ず通ったはずです。
また、六カ国の枠組みとは別に単独の経済制裁も含めたオプションは絶対に排除するべきではありません。

日本にとっての拉致問題解決とは何を示すのか?そこがどうも曖昧な事がご家族や支援者の不安を増す最大の原因だと思います。
一人残さず被害者を帰せ、さもなくば一円たりとも支援はしない、と徹底した態度を示せば中国も北朝鮮も日本の存在を無視するわけには行かなくなると思うんですが。
特定失踪者の調査を国の責任で行うなど、何度も言い尽くしていることですが、日本政府は何としても被害者全員を取り返すぞ!と言う気概を言葉と態度で一刻も早く示すべきです。

★Ambient1様

電脳補完録様のおかげで家族の声をお届けできる事になりました。
これをきっかけに拉致問題に関心を寄せる人が増える事を願いたい。
私の方も何とか集会の音をBlogに乗せられないかと奮闘中。
こちらの方はいま少しお待ちくださいませ。
Posted by ぴろん at 2005年09月22日 16:02
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