2005年09月19日

拉致被害者は生きている!東京集会(1)05.9.18 友愛会館にて

『西岡力氏による、安明進氏の経歴紹介』

安さんのお話の前にまず私の方から簡単に安明進さんの事を紹介させていただきます。
安明進さん、1968生まれです。
そして87年に朝鮮労働党の工作員に選抜されました。
これは自分の意思は全く関係ないです。
工作員になるというのは、党が、労働党が決めるんですが。
そして金正日政治軍事大学、当時は学校の名前は、朝鮮労働党中央委員会直属政治学校と言う名前だったんですが、そこに87年の3月に入学しました。

そして93年の5月にその大学を卒業して、朝鮮労働党の3号庁舎の作戦部という拉致を担当した工作員の所属する所です。
その作戦部の715連絡所、これは陸上の工作員の連絡所ですね。
海の工作員ではなくてですね。
陸上から韓国に侵入する工作員の連絡所に所属になりまして、そして93年の5月に卒業して所属になって、その年の9月にその最初の作戦で韓国に偵察任務のために韓国軍の軍服を着て入る。
と言う偵察任務があって、韓国の軍事境界線を越えたこちら側にそのままこちらに来てしまった、という形で韓国に亡命をしています。

実はこれは安さんがじゃあなぜ亡命したかと言いますと、これは金賢姫事件と関係があるんです。
金賢姫が毒薬を飲んだんですけれど、生き残ったんですね。
韓国に行って、自白をしてしまったと。
金正日は大変怒ったんです。
なんで自白をしたんだと。
で教育が悪かったって、いう事になったわけですが、その時に教育の仕方に問題があったという事になったんです。
韓国に入る事が想定される工作員に、韓国の実情を教えてなかった。

これはこの間ここでもお話したかもしれませんけど、金賢姫がなぜ自白をしたのかというと拷問にあったんではなくてですね。
韓国の実情を知ってしまったから。
北朝鮮にいる時教育を受けたのは、韓国が北朝鮮より貧しい。
アメリカ帝国主義の植民地で苦しい生活をしていると言われてたのが、実は韓国の方が豊かだったというのを見て、自白してしまったから。
安さんたちの代からは韓国のことを正しく教えると、いうことになって、安さんは韓国の新聞を毎日自由に見れると。
韓国のテレビも録画したビデオが来て見れると、いう生活をしていたんですね。
そのうちに韓国に憧れちゃったんです。
自由な世界が良いと思った。
夢の中でソウルの町を自由に歩いてる自分の夢を見たんです。

そしてもう一つのショックは金賢姫が死刑にならなかった。
115人をテロで殺した犯人なのに、韓国政府は恩赦をしたと。
で、自分が絶対に殺されない。
思って、つまり、普通はですね。
ソウルに何回も入って疑って逃げる人はいるんですけれど、(何回も)入らないで最初の作戦で来ちゃったんです。
その理由は政治軍事大学の中に居るときから韓国の事を知っていたから。
それは金賢姫が生き残った、からなんですね。
彼女が生き残らなければ、めぐみさんを目撃した安さんもこちら側に来なかった、言う事なんですが。

安さんは政治軍事大学の中で今までは15人について、目撃したり確実な情報があると。
この間の国会でも言ったんですけれど、先ほどちょっと打ち合わせして、後二人は知っていると言う事で17人と。
今日はその17人についてお話をしてもらおうと思っています。
それではよろしくお願いします。


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