2005年09月20日

拉致被害者は生きている!東京集会(2)05.9.18 友愛会館にて

『安明進氏の証言(通訳・西岡力氏) その1』

(日本語で)皆さんこんばんは。(大きな拍手)
(以下、西岡氏の通訳)今、西岡さんの方から私の紹介があり、金賢姫が証言をして生き残ったので、私は韓国に亡命をして、そして日本に来て証言をしたと言う話であったんですけれども。
これは聖書にある言葉か仏教の物かちょっと忘れましたが、「悪は必ず暴かれる」と、言う事で私でなくても別の人が来て、証言をしたんじゃないかと私は信じています。

この席は私が金正日政治軍事大学で私が見た日本人についてお話しする。
そしてまた政治軍事大学で何人が拉致されたのかを明らかにする席でありますけれども。
私がまずすぐ思い出すのは、政治軍事大学には11人の教官がいた。
これはもう一緒に生活するキャンパスの中で何回も見ていた人たちです。
11人を一辺に見たんではなくて、5人一緒に見たり6人一緒に見たり、何回か入れ替わりながらそのように目撃していた人たちが11人いると。

実は11人と言うことを申し上げるんですが、私たち政治軍事大学では私たち学生は、少し申し訳ない話かもしれませんが、若い男性だったものですからどうしても若い女性に関心があったと。
めぐみさんのことをずっと関心があってじろじろと見ていたんだと。
そしてその横にいる人たちのことについても目に入って来たんだと、言う事です。

学校の中ではですね、先輩たちや教官から政治軍事大学には30人ほどの日本人の教官がいると聞いていたんです。
それでそういう話を聞いたもんだから、私もそして同級生たちもですね。
30人もいるのかと思って、数えてみたんですね。
しかしいくら数えてみても30人は数え切れなかった。
11人だったというふうに覚えています。

その11人の中ですね。
一番良く覚えているのは市川修一さん。
もちろん北朝鮮にいた時はその日本の名前は知らなかったわけです。
キム・ヨンイルとかいう名前だったと覚えているんですが、彼は外国語第二講座の教官の代表として、良く何かの式の時に行事の時に贈り物を貰ったりしていた、言う事で覚えています。

今、名前が分かっている人はそれ以外に、増元るみ子さん。
格好はちょっと今の拉致される前の写真の顔とは違っていたんですが、体全体が写っている写真などを見ると足の形などで覚えていると言って、増元るみ子さん。
それから蓮池薫さん。
薫さんは私が目撃したと言う事を否定しているようですけれども、とにかく薫さん。
それから、もちろん横田めぐみさん。
そして田中実さん。
それから北海道から拉致された男性、名前は分からないんですが北海道から拉致された男性。
それから加藤久美子さん。

それからですね、後女性が二人。
一人は田中実さんの、実さんが若干体が弱かったようなので、横にいつもいて面倒を見ていた奥さんとも見えた女性。
田中実さんの奥さんとも見えた女性。
そしてもう一人の女性。
それから男性が二人。
その4人については、今まで私が見せていただいた失踪者の写真の中に似た顔はいないんですが、もしかしたら顔が大変変化していて、その中にいても確認出来ていないのかもしれません。

それからですね、学校の中に通信装備を持ってきて、良く学校の中を出入りしていた寺越武志さん。

それから915病院と言う工作員が利用できる病院が大学の近くにあるんですが、その915病院で目撃した古川了子さん。

それからやはり近くにですね。
放送局がありましてですね。
そこに偽装アンテナが沢山付いていて、それを工作員の学生たちが爆破する訓練を受けるんですね。
その爆破訓練場だった放送局に出入りしていた日本人の女性が一人。

今言った人たちが目撃した人ですけど、それ以外に田口八重子さんについてですね。
金賢姫を教えた先生ですが、私は田口八重子さんを目撃はしていません。
ただし、実は1990年〜91年頃、私の先生で金賢姫の先生。
私にも教えた共通の先生がいるんです。
その先生たちが大変元気がなかった。
金賢姫が本を書くという話が伝わって、その本の中に政治軍事大学の様子が書かれて、自分が登場したら罰を受けるんじゃないか。
元気がなかったんですが、それでそういう事があったんでだいぶ噂になったと。
ところが91年になったらばその教官が元気が出てきた。
ハムさんと言う教官なんですが、(後ろのホワイトボードに「咸」と言う文字を書く)こういう字を書くんですけどね。
射撃の教官で。
その教官に我々が聞いた所、「先生元気になりましたね」と言ったらば、「将軍様の配慮で教官の処罰はされない事になったんだ」と。
「金賢姫を教えた日本人の教官も全く問題がない」と。
「行ってみると招待所だけが変わってそのまま教育をしていた」と、いうふうにハッキリとした話を聞いています。
ですから91年まで、金賢姫を教えた日本人の教官、つまり田口八重子さんは健在だったと言うことは分かっている。

それからもうひとつ、90年くらいだったと記憶しているんですけれども、実は朝鮮中央放送、ラジオでですね。
大韓機爆破事件と言うのは全くでっち上げだと。
拉致した日本人なんかいないんだと、言う放送をしてたんですね。
それを学生と先生が学校の中で聴いたと。
それで、おかしいと、ここの中に居るじゃないかと。
余りにもでたらめなことを言ってるなぁ、おかしいなぁというふうに、学内で話題になったんです。
だからその時まで、田口さんはいたということです。

実はそのときですね。
学生の中で、我々はもう金賢姫がここに居たと言うこと、拉致された人から教わったというのを知っているのに、公開的に国際社会ででたらめだという。
ということは、我々が国際社会に出て行ってもしも捕まった時、そんな話をしたらどういう事になるんだろうか?
どういうことを上は考えているんだろう。
怖い気持ちがしたんです。

北朝鮮と言うのはそういう所なんですね。
しかし日本人はまりにも信用社会に住んで嘘をついてはいけないと言う事を思っていらっしゃるから、北が死んだと言ったら死んだということを信じてしまうというような、純真な所があるかもしれません。

日本を見ていてですね。
もちろん北朝鮮のことを知らないからそう仰るのかもしれませんが、やはり北を見る時は日本的な物の見方を捨てなければならないと、強くお願いしたいんです。

今までで15人になるわけですけれど、先ほど17人と申し上げたのは、後二人は実は寺越さんを拉致した犯人であるオ・グホと言う人物は我々の教官であると。
航海術を教える講座の福講座長で授業中に寺越事件に付いて話をして、そこには3人が船に乗っていた。
一人は子供だった、と言っていた。
今は大きくなったと言っていた。
そして一人は抵抗したのでその場で射殺した。
死体を海に捨てたと言ってる。
後二人、つまりそこで3人いたと言ってる訳ですから、寺越(武志)さん以外に昭二さんともう一人外雄さんの事だと思いますが、それを合わせると17人になると、いうことです。

そこで寺越さんの話が出たので申し上げたいんですけれども、日本の方々はいったいこの事件をどのように考えているのか?ということです。
船は日本のすぐ近くで見つかったんですよね?
人間は北朝鮮に居たわけです。
彼らは救助したと言ってるんですけども、何で船が(日本の)近くで、北朝鮮で救助されなくてはならないのか?
私は海の、海上での工作活動の訓練を沢山受けているから良く知っているんです。
冬の、5月ですか。
寒い海の中で長い事人間は泳いでいられないんです。
夜、水中に長い事いれば凍え死んでしまう。
特に13歳の武志さんが、長い期間北朝鮮の船に発見されるまでの長い期間泳いでいたとすれば、流されていたとすれば、それを日本人はどう考えるのか?
今でも北朝鮮の言うように救助だと考えるのか?拉致だと考えるのか?
北朝鮮が何と言ってるかではなくて、日本人が何と考えるかではないでしょうか?

もちろん日本の総理は北朝鮮に行った時「寺越さんを助けてくださってありがとう」と、感謝は申し述べなかったんでしょうけれども。
しかしハッキリと拉致だと分かる事件があって、その証人もいた事が分かっていたのに、なんで日本政府は、その事をず〜っと歴代の政府は問題にして来なかったんでしょうか?
どうしても理解が出来ない。

寺越事件の現場に私は行ってみたんですね。
その現場の様子と、オ・グホ教官が私たちに話してくれた様子が全く一致するんです。
つまりオ教官はその場所に侵入するとき、船の明かりを消して真っ暗な中、進んでいった。
いつもそこの上陸地点は何回も利用していて、何も無かった所だったと。
ところがその日突然小さな船が現れて、大声でこっちへ来るな来るなと声をかけたと、言うふうに言ったんです。
それで拉致をしたと。
現場に行ってご家族からお話を聞きますと、その日たまたまそこの地点の近くに網をかけたと。
今まではそこの場所に網をかけたことはなかったと、いうことですし。
そこは岩が多い所なんです。
ですからまさか工作船がそんな岩の多い所から入ってくる事はないだろうな、と思われる地域なんですね。
そういう点でも全く地理が様子が一致している。

その寺越さんたちを拉致したオ・グホ教官たちと言うのは、政治軍事大学の中でも7〜8人しかいない、共和国英雄称号を受けた人なんですね。
共和国英雄称号と言うのは戦闘行為をして手柄を立てた人だけに与えられるそのような英雄称号で、その人が嘘を言うはずが無いと。
その人が実は日本担当の清津連絡所に約20年間勤務していて。
ずっと対日工作・侵入をしていて寺越さんだけではなくて、拉致された日本人と大変親しく付き合っていた。
彼の家へいくと日本人拉致被害者がそこへ出入りをしていたと。
日本人拉致被害者は外貨を貰って、外貨ショップで買い物が出来るんですが、そこでオ教官の子供に必要なカセットテープを買ってきてプレゼントしたり、あるいはカップラーメンを買ってきてオ教官にプレゼントしたりとかしていて。
それを私はオ教官の家に行った時に見ているんです。
自分が関係して拉致した人間に申し訳ないと思って付き合っていたのか?
愛着を持ってたのか良く分かりませんが、とにかく自分が清津にいた時代に拉致した人たちを良く知っていて、その人たちと付き合っていたのがオ教官です。

・・・続く・・・


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