2005年09月22日

拉致被害者は生きている!東京集会(3)05.9.18 友愛会館にて

『安明進氏の証言(通訳・西岡力氏) その2』

政治軍事大学の中では教科書でですね。
工作員の現地化教育は工作員たちが頭をひねっても出す事ができなかった優秀なアイデア、それが金正日同士が3号庁舎を指導するようになって偉大な同士の頭から出てきた。
大変素晴らしいアイデアであると、教科書で習うんですね。
しかしそれを習った時にオ教官はですね。
もちろん公式の席で金正日は嘘つきだとか言えないんですが、実は俺たちが前から金正日が指示する前からやってたと。(くすくす笑い)
俺たちが現役の頃から必要だと思えば一人二人は拉致してたんだと。
昔からやってたんだと。
朝鮮語で「虎がタバコを吸っていた時代」と言う言葉があるんですが、昔と言う言葉ですね。
昔々という昔話の頭言葉で使うんですが、虎がタバコを吸っていた時代から、と言うふうにオ教官は我々学生に言ってたんです。

もちろん金正日が「現地化教育をしろ」と、「そのために現地人を連れて来い」と拉致指令を下した後、拉致工作が本格化して拉致が大変頻繁に行われたと言う事は事実です。

ちょっと専門的な話になってしまうんですが、金正日が拉致命令を下したあと拉致を本格的にした事を証明する一つの事実としてですね。
70年代の半ばに拉致命令が出されたわけですけども、その後は82〜3年くらいの間拉致が本格的に行われた時、清津連絡所、日本担当の清津連絡所だけでは足りなくて元山連絡所、ウォンサンですね。
元山連絡所の一部が対日担当に動員された。
元山と言うのは本来日本担当ではなくて、南担当なんですが。
元山連絡所の所属で昔元山からちょっと離れたラクオン郡にあるテチョ連絡所と言うのがあって、今は政治軍事大学の訓練所になっているんですが、その連絡所にだから元山の一部ですね。
そこは70年代半ばから82〜3年までの間、日本担当に変更になった、言う事実があります。
そのテチョにある元山の一部はですね。
連絡所の下に方向(ホウコウ)と言うのがあるんですね。
方向と言うのがあってその下に組と言うのがあるんですが、3つの方向があるんですが。
その一つの部隊みたいなものですが、53方向と言う名前が付けられているテチョにある方向ですね。
つまり元山連絡所には3つしか方向がないわけですが、3分の1が日本担当になったと。

韓国にですね。
今何人かの政治軍事大学出身の先輩で亡命したり捕まったりした人たちがいるんですね。
その先輩たちが拉致のことを話すと今の韓国政府の圧力を受けるので、中々話をしないんですが、その元山連絡所で勤務していた先輩たちもいるんです。
その先輩がその53方向が日本だけを担当する方向だったと、言ってる。
拉致を担当するとは言わないんですが、日本だけを担当する方向だったと言うふうには言っています。

そしてその53方向は実は82年か3年に解体されてもう一度元山連絡所に移管されるんですね。
その事実からして、70年代の半ばに金正日が現地化教育のために現地人を連れて来いと拉致命令を出して、大々的に拉致を行われて、ある程度必要な教官が確保されたので縮小されたという推測も成り立つんです。

このような状況からしてですね、北朝鮮の言ってる事を絶対に信じてはならない。
ここにいらっしゃる皆さんだけでも北朝鮮の言ってる事をそのまま信じる事は絶対にやめて欲しいと思う。

ですから見てください。
96年から私が拉致に付いて証言を始めたとき、まず最初は安明進と言う人間はいないと言った。
その後は私が学校の先生で、強盗・強姦・殺人をして逃げた人間のクズだと。
人間のクズの言う事だから信じてはいけないというふうに発表したんですね。
しかし2002年に拉致を認めたじゃないですか。

私は北朝鮮によってですね。
このように存在しない人間とされ、それから学校の先生一度もしたことないんですが先生にもなって(くすくす笑い)、金正日政治軍事大学に通ったんですけども、北朝鮮はその大学の存在を認めていない。

私は金正日政治軍事大学の25期卒業生です。
韓国には11期以降の先輩たちが何人もいるんです。
その先輩たちは皆私が卒業生だという事を認めて、先輩たちと今良い関係なんです。

このような妙な状況を蓮池薫さんが利用しているんじゃないかと思って、私は残念です。

蓮池薫さんは、私が「薫さんを見た、政治軍事大学の教官だ」と言ったので、「いやそれは誤解だ」と。
「自分は政治軍事大学に居たことはない、安さんに会った事も無い」と言っています。
その表現自体は実は正しいんです。

金正日政治軍事大学に居たことがないという蓮池さんの話はある意味では正しいんです。
私は87年3月にその学校に入学しましたけれども、その時の学校の名前は朝鮮労働党中央委員会直属政治学校だったんです。
それが92年の1月の10日に、本校が金正日政治軍事大学になり、分校が烽火(ほうか)政治大学になったんです。
そして二つに分かれたときの前に、日本人の教官たちは分校の方に移って行ったんです。
従って金正日政治軍事大学に蓮池薫さんが居た事が無いと言う、表現自体は正しいんです。
また私と会った事が無いと言うのも、会った事は無いんです。
しかし私の方は彼らを見ていた。
見ることは出来た。
学生は沢山ですけども、日本人教官は少ないわけですから、我々は何回も薫さんを目撃する事ができた、と言う事です。
だから薫さんにもう一度新しい質問をしたんですけども、
「それではあなたは朝鮮労働党中央委員会直属政治学校、またの名を130連絡所、対外的には695軍部隊と言われている場所に居たことはないのか?
そしてそこで学生たちに目撃されるような場所に居たことはないのか?」
いう質問をしたんですが、それについて今度は彼が答える番だと思います。

先ほど私は薫さんに695軍部隊と呼ばれている所、対外名称695軍部隊という所にいなかったのか?と聞いたわけですが、それはつまり金正日政治軍事大学は何度も名前が変わりましたが、130連絡所、695軍部隊と言う対外名称はずっとそのまま変化無く使われているんです。
そして北朝鮮は実は、拉致被害者が695軍部隊にいるということを誤ってなのか何か分かりませんが事実上認めたんです。
8人の死亡診断書が日本に来ましたが、そのうち7枚は695病院と言う判子が押してあったじゃないですか。
実は私は695病院という判子が押してある書類が来るずっと前に、最初に本を書いた時91年、金正日政治軍事大学のまたの名前は695軍部隊だと書いてあるんです。
確認してくだされば分かるんですが、695と言うのは政治軍事大学の中にある病院だから、695と使っているわけです。

695と言うところに日本人拉致被害者が関係している事は北朝鮮が認めたことなんです。
薫さんが695軍部隊と言うところに自分がいたことを認めるのかどうか。
いなかったと言うと、やはり矛盾するんじゃないかと思います。

今蓮池さんたちが話すことができないのは、北朝鮮にいる別の拉致被害者の身の上に何か起こると脅迫されているのかもしれませんし。
あるいは北朝鮮から帰る前に厳しい教育を受けて何かこのように話せと言われて、それをそのまま言っているのかもしれませんが。
とにかく時間が経てば真実が明らかになると、私は思っています。

蓮池薫さんは私は彼が政治軍事大学に居なかったというのでその名称を使うのはやめて、労働党直属政治学校130連絡所695軍部隊の大講堂で、市川さんやめぐみさんと一緒にそこにいた。
そして贈り物を受け取ったりしていた事を目撃しています。
我々は軍服を着ていましたが、彼らは私服でした。

我々は軍服を着ていましたわけですけども、拉致された日本人は我々と区別する為なのか、私服を着せられていたと。
それから日本人だけでなく拉致された韓国人の教官もたくさんいたんですが、その人たちも私服だったんです。
夏には白いワイシャツでネクタイ無し。
そして冬には紺の背広にネクタイをしていました。
背広は同じ者を着ていたので、支給されていたようでした。

薫さんの事を良く覚えているのは彼は背が高かったんですね。
拉致される前の写真を見たときにですね。
最初に拉致の事を証言始めた97〜8年の時、「似てるなぁ、しかし違うかもしれないなぁ」
確実に自信が無かったんですね。
それで、ご両親に対してはもしも違っていたら大きな精神的なショックを与えるのでハッキリとは言わなかった。
しかし関係機関、例えば日本の警察などには似ている人がいたと話はしてありますし、大変親しかった日本のマスコミの何人かの記者にもその話はしました。
そして彼が羽田空港でタラップから降りてきた姿を見て、これは間違いが無いと。
私が良く見ていた姿と全く良く似ていたと。

もし私が私の本の中で薫さんの事を見ていましたと書いていたら、薫さんは帰って来られなかったのではないか。
そのようにも考えています。

蓮池さんは学校の中で教官の中でも指導的な地位に居たんではないか?と。
日本に帰ってきてから5人に対してもどうもその様な関係に見えますので。
地村さんも政治軍事大学にいた可能性はあると思いますけども私は見ていません。
ですから、教官はやっていなかったんではないかとも見ます。
そういう人たちを何人か蓮池さんをリーダーとして、一時ケースとして日本に送ってみたんではないかなぁ、とも考えています。

・・・つづく・・・


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Excerpt: 拉致被害者がこの夏の炎天下で国会前に拉致された方々の救助を求めて座り込みしたのは
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