2005年10月01日

英霊は泣いている

ネット上ではあちこちで話題になっております、大阪高裁による首相の靖国参拝違憲“判断”。
何だかもう、言葉がありませんね。
靖国神社は国のために命を捧げた多くの御霊が祭られている所。
その御霊をお慰めすると言うたったそれだけの事に、なんでこうも大騒ぎをしなければならないのか?
どうしてこうも靖国を目の仇にしなければならないのだろう?

命をかけて守ったはずの祖国。
その祖国・日本が戦後60年の時を経た今、自分達の魂を祭った社を一国の首相が参るか否かでもめているのだと言う。
これでは英霊も浮かばれない。
心安く眠るわけにもいきますまい。
英霊の皆様方は靖国の社の中で、さぞかし嘆いていらっしゃる事でしょう。
いったい俺たちは何のために命をかけて祖国・日本を守ったのだろうか?と。

情けなくとも裁判は裁判である。
“判断”を“判決”のように言いくるめて、はやくも一部のマスコミは反靖国キャンペーンを展開、靖国を貶めるのに忙しい。
そんな世の中の風に流されて、靖国に対しておかしな色眼鏡で見る人も増えるのだろう。
首相の参拝反対、無宗教の追悼施設を即刻作るべし。
ましてや天皇陛下の参拝などもっての外・・・あぁ・・・

国のために命をささげた者の魂を慰める為に、一国の首相や天皇陛下がお参りするのは当たり前のことと思う私の感性は間違っているのか?
裁判を起した彼らには死者の犠牲に敬意を払うと言う謙虚な気持ちはないのだろうか?
命かけて国を守ると言う事が、どれだけの覚悟と決意を必要とするのか?
おそらく彼らの頭の中にはそのような配慮も思いやりも微塵もないのだろうね。

靖国には、沖縄戦で特攻で戦死した私の大叔父の御霊もいる。
敵艦目掛けて戦闘機もろとも木っ端微塵に散った大叔父の御霊は、今靖国の社でどんなに歯噛みしていることだろう。
申し訳がなくて、情けなくて、たまらない気持ちである。
死んだ人間のことなどどうでも良いとでも?
ただただ、今の世を生きている人間の都合だけが優先されれば良いとでも?

私は今叔父の御霊に合わせる顔が無い。

靖国の英霊は泣いている。


posted by ぴろん at 20:00| Comment(2) | TrackBack(2) | 国内問題&国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
spiralです。
今回の違憲判断については、拙ブログでも書いたのですが、全くもって信じられないです。
信教の自由を定めた第二〇条については、戦没者を慰霊するのに一切の宗教性を排除して行うのは不可能ですから、宗教に関わることを禁ずるのではなく、「過度の関わり方」を禁止してるとの憲法解釈がなされていました。

ところが、今回はその前例を無視し、大谷正治裁判長の独断と偏見でこのような違憲判断がされてしまいました。

ぴろんさんの言われるように、一国の首相がその国を守る為に亡くなられた英霊の追悼を行うのは当たり前の話です。

私は、英霊の方々を「心ならずも」亡くなれたなどと侮辱するようなことを言い、”不戦の誓いをするために”(つまり自国民が拉致されても、他国が攻めてきても一切武力を行使しないということです)靖国参拝すると言われる小泉首相は首相は許せませんが、日本国首相として、今年中に必ず参拝して頂きたいです。

そもそも日本人にとって祖先とは、断絶した存在ではなく、この国に永久に留まって、常に自分たちを見守って下さる存在なんだと信じられてきました。

先の戦争で戦死された方の遺書を見ると「愛する国土のため、父母のため、弟妹のために死なねばならぬ」という思いがあり、そして自分が死ぬことにより、子孫たちに良き未来がもたらされることを願い、また、死後もこの国土に魂を留めて子孫を見守っていこうという祈りが込められています。

私はこの7月に特攻隊の生き残りの方に会ってお話を聞かせて貰いました。その方は、「回天」という潜水艦で特攻するべく、山口の方で訓練をされていたそうですが、自分が出撃する前に戦争が終わったそうです。
しかし、仲間が出撃するのは何度か見送ったそうで、港から艦が出発してやがて人影が小さくなり始めた頃、艦の音や波の音に紛れて、「あとを頼むぞ〜!」という声を聞いたそうです。
その方は、「あとを頼む」と言われた言葉を胸に今日まで頑張って来られたそうです。そして仕事も一線から退いた現在は、その仲間の言葉を伝えるべく活動されています。

この父祖に感謝の念を捧げ、後を頼まれた我々は父祖に恥じない日本国にしなければ駄目だと思います。
Posted by spiral at 2005年10月03日 01:28
★spiral様

靖国に祀られている御霊は“国のために命を捧げ死んだ人たち”だと言う事を忘れて欲しくはない、と言うのが私の率直な思いです。
A級戦犯どうのこうの、戦争責任どうのこうの・・・平和な時代を生きる私たちは今、どんな言論でも自由に言える。
それは大変結構な事、ありがたい事。
右から左まで靖国に向ける思いが様々なのも承知しております。
ですから議論は大いにしたら良いとは思う。

けれどその議論の前に、死者を必要以上に冒涜するのはいかがなものか?と私は感じるのです。
どんな思想信条を持つのも自由、靖国を批判する意見を言うのも自由ですが、死者に対する畏敬の念を忘れ、鞭打つばかりの一部の風潮には違和感を覚えます。
まずは国のために犠牲になった人たちに静かに頭を垂れて欲しい。
議論はそれからでも良いじゃないですか、と私は思うのですが。

例え罪人でも死んで罪を償った者は仏となり、死者に鞭を打たないのが日本人古来の死生観だと私は考えています。
けれど靖国問題を見つめる時、特にA級戦犯に対する議論は紛糾し、肝心要の慰霊の気持ちがどこかへ押しやられてしまっている、と言うのが今の靖国の現状かと。
それが遺族の一人としては悲しくてなりません。

A級戦犯合祀の件が靖国を語るとき一番のネックになるのでしょうが、それとて今の時代感覚で物を言えば何とでも色を付けられる。
しかし戦争当時の日本人が彼らいわゆる“A級戦犯”をどう見ていたのか?
A級戦犯を合祀した当時の日本人の意識はどうだったのか?
それらも含めて合祀の問題は考えるべきと思います。
歴史は連綿と続く物。
今の都合だけで今の価値観だけで過去を裁くのは傲慢です。
無論、意見は沢山あって良い。
が、過去に生きた人々の思いや命の積み重ねを無視して、現在の都合だけを振りかざす風潮にどうも私は馴染めない物を感じるのです。
Posted by ぴろん at 2005年10月03日 10:38
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック

覚悟
Excerpt: IWGP調印式 [アニメ]ガンダムSEED DESTINY 信州ら〜めん博... 最終回「最後の力」ガン [Anime]種運命 う ん。やっぱりそうなのか 初フライト 英霊は泣いている 肉にくニク ガ..
Weblog: 覚悟
Tracked: 2005-10-01 20:30

小泉靖國参拝に関する大阪高裁判決(2005年9月30日)雑感
Excerpt:  9月30日に大阪高裁でくだされた総理靖国参拝による損害賠償請求訴訟の判決がマスメディアやネット内で諸種批判されていますが、当BLOGも遅ればせながら、産経新聞が翌10月1日の朝刊に掲げた当該判決要旨..
Weblog: 溶解する日本
Tracked: 2005-10-02 23:37
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。