2005年10月16日

第12回藤沢集会(9)05.10.8 藤沢産業センターにて

『高野美幸さんのお話(特定失踪者・高野清文さんの妹)』

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皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
いつもお邪魔させていただいてまして、いつも皆様ご足労頂いてありがとうございます。
今日初めていらっしゃった方には、特定失踪者・高野清文、伊豆七島の神津島から昭和51年の7月30日に失踪いたしました者の妹に当たります。
美幸と申します。
よろしくお願いいたします。

まず今日はですね、私の外に特定失踪者のご家族の方が、寺島さんですね。
鎌倉の花火大会を見に行ってお嬢様が行方不明になられました。
ご両親の方がいらっしゃるかと思いますけど、その場でちょっとお立ち頂ければと思うんですが?
お帰りになられた?あ、いらっしゃいますね。(会場席より寺島夫妻が立ち上がり周囲へ会釈をする。拍手)
集会が始る前からこの会場に足を運んでいただいて、皆さんがこのようにご協力してくださっている姿を御覧になっていらっしゃいますので、これからもご声援をしていただきたくよろしくお願いいたします。

今日は強力なメンバーのお話がたくさんございましたが、今日は私がいつも話をさせていただいておりますので、8月31日の日にですね。
スーパーJ チャンネルと言うニュース、テレビ朝日のニュース情報系の番組で、私の兄がいなくなった神津島についてですね。
調べていただいた映像ですね。
私自身も丁度2年前に上津島の方に伺いまして、調べてきた内容を改めてテレビの映像で放送していただいた経緯がございました。
インターネットではダウンロードして見る事が出来るHPもございますので、ご興味のある方はそちらから御覧いただければと思います。
内容としましては、御覧になれない方もいらっしゃると思いますが、後ろでボランティアをされている方が文字起しというか字で起していただいて。
内容をまたそれをもインターネットが出来れば見ることも出来ますので。

大体概略を申しますと、東京でいなくなった人の事例と言うことで。
なぜいなくなったのかと言う形で上津島の方には取材陣が行きまして、この島が拉致する場所にあるかどうかを調べた時に、千両池と言うこれは池と言う名前が付いていますが、これは昔の火口が地盤沈下をして海の入り江になったと言う所で、外海と全く違って何の波一つ立たない静かな入り江です。
こちらの方、入り江の入り口の丁度反対側のほうに灯台が立っていまして、沖には恩馳瀬(おんばせ)という磯の小島がありまして。
夜でも灯台を目指せばまっすぐ入り江に入ってしまうというと言う様な配置がありまして、そこが非常に特定失踪者の調査会の方でも他に拉致現場でいろいろな場所があるけれど、ここは非常に向いていて、ここほど条件が揃った所は無いと言う話を伺っています。

あと上津島の方では「おたあジュリア」という家康とか秀吉の時代にですね。
朝鮮出兵のときにつれて来られた貴族の娘ですね。
その方がクリスチャンだったが為に上津島までへ島流しにあったと。
その事は実は島の方は忘れていらっしゃったんですね。
うちの兄がいなくなる数年くらい前にヨーロッパの方で、「おたあジュリア」と言う殉教した人がいらっしゃるというデータが出てきて島の方もそれを知るようになってきたと。
それから日本にいる方とか朝鮮民族の方とかが、神津島の方に訪れてお祭りをするようになったと、いうような朝鮮とのつながりがあります。

戦前に日本にいらっしゃった在日の方があの辺でテングサですね。
今寒天ブームで、女性の方は良くご存知だと思いますが。
テングサを採取する作業を行っていたので、そういう方々が帰っていれば海岸とか、あの辺の海の海岸線の地理に詳しいのではないかというお話も出てきています。
そういったことの内容が放送されました。
あと新島の方でも女性が近隣でいなくなっていますので、そちらの方テレビではちょっと名前とか公開されなかったんですけども、マツシタエリコさんと言う方、私の方でこちらの情報も求めておりますが。
そういった放送の内容がございまして、端からかなり神津島って恐ろしい所だったんだねと言うお話を頂いて関心を持っていただいております。

そういった家族の報道があった中なんですが、私いつも母の思いを胸にと思ってこういうところへ来ているんですが。
いつも母の編み物なんかも後ろで販売させていただいていまして、紹介させていただいていますけども。
おととしですね。
丁度子宮がんの手述をしたと言う話をしたことがあると思うんですが、また今年もちょっと検査に引っかかりまして、背骨に二つ黒い影があるとか言う話になりまして。
細胞を取ってみて、悪性ならばガンならば、放射線治療しかないねと言うようなことを今言われている状態です。
特定失踪者、拉致被害者家族の方々、倒れてなくなっていく方がたくさんいらっしゃいます。
私も正直言って、うちの母、時間いつまであるんだろうと。
母に兄を会わせてあげることが出来るんだろうかと、思いながら過ごしております。

そんな中ちょっと実家に帰りましたら、昔から私のうちの家に貼ってあるカレンダーなんです。
100年分あるカレンダーなんです。(大きな茶色のポスター状のカレンダーを広げる)
一番最初で特定失踪者で名前公開されている方、1955年なんで、この辺ですね。
この年に行方不明になっていらっしゃいます。
今が2005年、50年経ってしまいました。
これだけの年数、いなくなられた方、どんな気持ちで過ごされているのでしょうか?

うちの兄、いなくなったのは1976年7月30日、ここら辺ですね。
今が2005年、この辺だと思います。
この期間、兄が拉致だったとすれば、どんな思いで過ごしてきたか。
そしてこの期間、うちの両親、及びそしてここにいらっしゃる寺島さんのお母さんもそうです。
お父さんもそうです。
どんな気持ちで過ごされていたか、カレンダーをちょっと思い出して取りに帰ったんですけども、見た瞬間ますます腹立たしさがますます増したと言うか、悲しさが増したと言うか。
これだけのちっちゃな日々、皆さんどうお過ごしになっていたでしょうか?
私15年くらい日記つけてるんですけども、日記に及ばない日々の思いががあったかと思うと悔しいです。

一刻も早くこの問題解決して欲しいと思っております。
皆様のご協力をよろしくお願いします。(拍手)

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関連リンク

★Ω♪♪♪♪♪  KONAboration-SSQ  ♪♪♪♪♪Ω
9月5日付け サスペンス劇場
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/6579666.html

★aoi blog
9月5日付 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」 拉致疑惑(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/6599997.html


posted by ぴろん at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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