2005年10月22日

被害者を思う心さえあれば良い

9.17から3年。
集会のテキスト化という具体行動を始めて1年。
Blogを立ち上げておよそ半年。
おかげさまで支援者のお仲間も増え、当事者家族の方ともほんの少し顔なじみになりました。
行動を起こしたぶんだけ、家族の生の声やリアルな息遣いに触れる機会も比例して増えます。
けれどもそういうきっかけが増えれば増えるほどですね。
拉致問題に首を突っ込めば突っ込むほど、己の無力さ加減を強く思わざるを得ない自分がいるのです。

私たちの戦うべき相手の底知れぬ闇の深さ。
被害者を取り戻す為に立ち向かわねばならない障壁の大きさ。
当事者としてそれに挑まねばならない家族の思いに心を寄せる時、私も何かとてつも無く大きな物に潰されそうな気分になります。
おかげで最近の私は少々煮詰まり気味です。
この手の運動の活動歴の長いある支援者のお仲間に言わせれば、意気込んで支援をしていても問題の山が動かないとなれば丁度3年目くらいでちょっと気分が落ち込む時があるんだそうです。
なるほどな〜〜〜、と。
それは確かに当たっているかも知れません。

そもそも被害者救出運動は何のためにするのでしょうか?
集会でお見かけする多くの支援者は、私など到底足元にも及ばないような豊富な知識や情報をお持ちの方が大勢いらっしゃいます。
中には本当に体を張って、命懸けの支援活動をする人もいらっしゃいます。
熱心に支援をすると口で言うのは安しですけれど、皆それぞれに仕事があり、生活があり、家族があるわけです。
自分のプライベートな時間を削ってまで支援に力を注ぐのは、それはそれは並大抵の覚悟では務まらない。
私の目から見ても、彼らの努力奮闘には本当に頭が下がると感じております。

早紀江さんが仰る「溺れる子供」を前にして、傍観者ではいたくない。
それが私個人が拉致問題に関る一番の理由でしょうか?
むろん支援者が100人いれば100通りの理由があることでしょう。
何か自分に出来る事を・・・そういう思いで、集会にはせ参じている多くの老若男女に出会いました。
ネットを通じて、こちらも種々様々な考えを持つ人の存在を知りました。

世の中には実にたくさんの考え方があります。
支援の輪を広げようと奮闘すればするほど、この意見の違いという現実の壁にうんざりするほど直面します。
救助の方法一つとっても制裁即刻発動派から慎重派まで様々です。
被害者を救い出したいという気持ちは同じでも、救う会の運動方針には同意できないと言う人もいる。

そんな中で、ではいったいどうすれば支援の輪を広げる事ができるのか?
自説にこだわる余り何かといえば内部ゲバに及ぶ人たち。
内ゲバまではいかずとも、支援者同士の揚げ足取りに終始して溜飲を下げている人も少なからずお見かけします。
振り返れば拉致問題の支援活動には、過去にも種々雑多な争い・内輪もめがありました。
内輪もめなどしている暇があったらば、その力を支援の輪を広げる方向に注ぐほうが前向きではないか?と私などは思うのですが、中々その思いが通じない場合もある。

そもそも支援者として最低限必要不可欠な物は何なのでしょうか?
支援者として必要な資格があるとすれば、それは「被害者を思う心」に尽きると私は思っています。
それさえあれば、後は救出の為の方法論が違っても関心度の濃淡があっても、支援する仲間として手をつながねばならないと考えてもいます。
つなぐ努力をしなければならないと考えます。
立場や意見の違いを乗り越えて大勢の支援者が手をつながねば、国民世論をもっともっと強固な物にしなければ、拉致問題の山を動かす事などとても出来ようはずもない、と思うからです。

被害者は今も救出を一日千秋の思いで待っています。
残り少ない命の火を燃やして被害者の帰国を待ちわびる家族たち。
彼らの胸の内を思ったならば、今私たちが内輪もめして支援の輪を乱す暇など無いはずだと思うのですが。

私たちは何のために自分のプライベートな時間を削ってまで支援をするのか?
一円の得にもならない支援活動をするのか?
集会ひとつ参加するにも交通費から参加費までそれらの費用は全部自分の持ち出しです。
それでも足しげく集会に通うのはなぜなのか?
ボランティアとして裏方仕事を務めたり、ネットに書き込んだり、署名活動やカンパをするのは何のためなのか?

私たちが救うべきは被害者の命と彼らの帰りを待ちわびる家族の命であるはずです。
全ては被害者の為。
被害者を救い出す為。
それが支援活動の原点であろうと思います。
その原点を忘れてはいけないと思う。
それぞれがそれぞれに出来る事を積み上げて、意見の違いを乗り越えて手をつなげれば、それが被害者救出のための大きな力となることを私は信じます。

私に出来ることは所詮この程度。
悩んで苦しんでいつも同じ所をぐるぐる回っておりますが、それでも諦める事はしたくない。
拉致問題の支援活動は命を救うための運動です。
命の危機を前にして、溺れる子供を前にして、私は卑怯者になりたくはありません。


posted by ぴろん at 09:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもながらのテキストアップご苦労様ですm(_ _)m。ぴろんさんのご支援には常々感謝しております。

なぜ、拉致被害者救出のための活動が国民運動足り得ないのかとつくづく考えてきました。それは、ある意味日本社会の縮図なのです。日本は、本当に多様な考え方の出来る様々な言論の自由のあるいい国です。靖国参拝一つとっても、賛否両論。憲法・教育・外交・防衛…様々な事がここまで両極端に意見の分かれる国民性も珍しいのではないでしょうか。意見の多様性はいいことです。少数意見も大切にするのが民主主義のいいところです。

然るに「拉致」は何よりも人の命が懸かっている緊急事態です。イデオロギー云々などと言っている問題ではありません。人の命の前には、主義主張を問わず、一致団結結集するのが最優先だと思いますが、それが出来ないのが日本社会なのです。

私は、平和も人権も大好きです。だからこそ、最大の人権侵害を受けている人を救いたいと思ってこの活動を始めました。それなのに、常日頃より
「平和だ、人権だ」と言っている人や人権団体にかぎって、拉致問題には冷淡です。彼らの考える人権は特定の人のみについての人権であり、残念ながら「拉致被害者」の人権は入っていないのです。これが、日本の人権団体の限界であり、実態です。日本には本当の意味の人権は根付いていないのです。

救う会に賛同できない人は、その姿勢のままで別の形で支援活動をすればいいと思います。拉致救出活動は救う会だけのものではないのですから。関西にブルーリボンの会が出来たように様々な形で支援活動が広がればいいと思います。支援の方法は百人いたら、百とおりあっていいのです。ただ、批判だけして何もしないのなら意味がありません。批判をする方は必ず、対案を出してくださいな。救う会がおかしいと思うのなら、中に入っていって改革するくらいの行動力を見せてほしいと思います。私は自分がノンポリだから、余計に政治的イデオロギーでああでもないこうでもないと言う人に対しては、行動で示してくださいと言いたくなります。私はそうしました。

日本人は「熱しやすく冷めやすい」のです。私は、ある政府関係者に言われました。「日本人はどんな大事件でも半年で冷める。拉致問題は持っているほうだ」と。9.17から3年。確かに持っているほうでしょう。それまでの20年以上が異常だったのに比べれば持っているのでしょう。それもこれもすべて「家族会」の文字通りの血と汗の結晶なのです。あの方達が、自らの命を削って活動をしてきた結果なのです。

そもそも、「救う会」がある事自体おかしいのです。国家犯罪を解決するために民間人が支援団体を作らなければならない事が異常なのです。この問題の当事者はいうまでもなく、
「日本政府」です。その政府が職務怠慢の限りを尽くして、拉致被害者を見捨ててきたからこそ、支援団体が出来たのです。国民すべてにこの異常性に気づいてほしい。なぜ、「家族会」が加害者のテロリスト国家と本来自分達を守ってくれるはずの母国の二つの国家と闘わなければならなかったのか。

拉致被害者の方々と家族会の皆さんにはまだまだ棘の道が続くと思います。でも、心から血を流し続けても歩き続けるしかない…その覚悟で皆さん頑張っておられます。自分達家族が諦めたら、奪われし家族は決して帰ってこないと痛いほど分かっているから。

他人に対して、少しだけ共感する。ほんのちょっとした優しさを持つ。そんな小さなことさえ忘れてしまった社会。それが私達が経済発展の末に築いた現在の日本社会です。でも、日本にはまだまだぴろんさんのような心優しき素晴らしい日本人も沢山います。だからこそ、拉致問題を解決するために歩き続けるしかない…。

「人命は地球より重い」こう言った政治家もいましたね。日本の政治家はこの言葉を実践してほしいです。そのためには、私達国民が北朝鮮族議員である「政治屋」ではなくて、国民の命を守ってくれる「政治家」を選び、育てていかなければなりません。

その積み重ねが拉致問題を解決し、二度と同じ悲劇を繰り返さない礎になると思います。
Posted by うさぎ at 2005年10月24日 21:45
★うさぎ様

気合の入ったコメントありがとうございます。

仰る事概ね同意です。
一つ付け加えるとしたら、職務怠慢の日本政府を支えているのは他ならぬ日本国民である、と言う事でしょうか?
多くの国民は拉致の事を知らぬはずは無いと思います。
一刻も早く解決して欲しいと願ってくれている事と信じます。

けれど被害者を取り返すには、どんな策を講じるにせよ、現状を考えるとかなりの痛みが伴う事態は避けられないと思うのです。
しかし残念ながら、その痛みに耐える覚悟のある人はまだまだ少ないように感じます。
自分の所に火の粉がかかるのは嫌だなと思っている人はまだ少なくないでしょう。
それと拉致問題は主権侵害問題であると言う観点から考えた時、当然日本の主権者は日本国民なのですから、政府の体たらくはそのまま直接私たち一人一人に責任が問われる問題なのですが、まだまだ当事者意識を持てない人が多いようにも思います。
所詮は他人事、遠い世界の事としか認識できない人も少なくは無い。
どうしたら彼らに当事者意識を持って貰えるのか?
どう言葉を尽くせば良いのか?
戦後60年の平和ボケのツケがこんな所にも回って来ているのかと思うとやり切れません。

イデオロギーの呪縛に絡め取られている人は、もう論外です。
人の命の前に右も左も無いだろうと。
それでも一応日本には言論の自由があるのだから何を言っても何を主張しても構わない、とは思う。
けれど呪縛に囚われたまま己の自説を語るためのダシとして、拉致を悪用するのだけはやめて欲しい。
被害者とその家族に対して失礼どころの話ではありませんから。
Posted by ぴろん at 2005年10月25日 02:01
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