2008年05月05日

5月4日靖国へ、特攻の大叔父の御霊に逢いに行く

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5月4日の命日にあわせて、特攻の大叔父の御霊に逢うべく、両親と共に靖国神社を訪ねてきました。

実は今年3月20日の神雷部隊戦友会の方と共に昇殿参拝をした折、私たち母子と共に同行した叔母(母の妹)が、先月4月に急逝してしまいました。
遊就館に大叔父の遺影を納め、戦友会の方と共に参拝を済ませた事をとても喜んでいた叔母が、私がBlogを通じて大叔父の事を世に伝えている事を喜んでくれた叔母が、靖国で共に参拝をしてひと月も経たない内に、あの世へと旅立ってしまったのです。

3月20日は折悪しく雨。
心臓の具合が悪く体調を崩していた叔母は、本当は千葉から九段の靖国まではるばる足を運ぶほどの体力はなかったものと、いまなら分かります。
当日も道中休み休みしながら、やっとの思いで靖国まで辿り着いたであろう叔母。
独身のまま亡くなった大叔父には供養をしてくれる子供がいません。
大叔父の両親ははるか昔になくなり、大叔父のきょうだいもすでに亡くなり、生前の大叔父を直接に知るのは後は甥姪しかいません。

大叔父戦死時、5歳だった叔母。
大叔父を知る肉親がだんだんと少なくなる中、時を経て代替わりをすれば、悲しいけれど大叔父の存在は少しずつ忘却のかなたへ葬り去られてしまう。
「大叔父の事を直接に知る私たちが元気な内に、できる供養をしておきたい」ということで、私の母と共に大叔父の写真を遊就館に納めるために奔走した叔母。
その写真が無事に遊就館に奉納されたかどうかを自分の目で確かめるべく、無理をして靖国まで出向いてきたであろう叔母。
大叔父の写真が遊就館の展示室に無事奉納されたのを確認し、叔母はホッと安心をしてしまったのかもしれません。

叔母は一足先に大叔父のいるあちらの世界へ逝ってしまいました。
自分より年下の妹に突然先立たれる、というのは母にとっても衝撃だったようです。
そんなこともあったので、今年は叔母の写真も鞄の中に携え、亡き叔母の大叔父への思いも胸に靖国を訪ねてまいりました。

今年の参拝には、3月20日の神雷部隊戦友会参拝の折、叔母と共に写した写真を持参しました。
3月20日に叔母に会ったとき「姉は私より靖国に近いところに住んでいるからこれからも何度でも来られるだろうけど、私は遠いからもう滅多には来られないだろう」と口にしていた叔母。
いつもなら勝気で強気な叔母がやけに弱気な事を言うなと思いつつ、歳を重ねると遠出はしんどくなるのかな?と、そのときは軽く聞き流してしまった私。
けれど本当は体調の悪さから、この参拝がもしかして最期の参拝になるかもしれないと言う予感が、あのときの叔母の心中にはあったのかもしれません。

神雷の桜は、5月の新緑。
母は妹の分まで大叔父さんの桜に抱きつきました。
妹の分まで心をこめて昇殿参拝をしました。
遊就館を訪ねて、大叔父の遺影をもう一度確かめてきました。

自画自賛ではありませんが、私の特攻の大叔父は、何度見ても良い男なのです。
亡き叔母も、遊就館に納められた大叔父の写真を見るなり「わぁ、叔父さんいい男!」と喜びの声を上げましたっけ。
時間の流れは残酷です。
当時を知るものはどんどんといなくなる。
先人の思いをどうにかして後世につながなくては、どんな思いも忘却の彼方に消えてしまいます。

遊就館にたった一枚の写真を納めるにしても、そこには遺族の溢れんばかりの思いがある。
生前の大叔父を知る私たちが動かなければ、大叔父の存在も消え去ってしまう。
そんな思いが、あそこに納められた膨大な写真一枚一枚にまとわり付いているのだと思います。
どうか遊就館をお訪ねの際は、膨大な写真の裏にある遺族の悲痛な思いなり、遺族それぞれのストーリーなりも汲み取って頂けたら、と願っております。

尚、私の特攻の大叔父・石渡正義の遺影は、『御遺影86 5列目 上から2段目』に掲げられています。
遊就館の最後の方、感想ノートが置いてあるお部屋の中で来館者を見つめています。
海軍の白い制服姿ですので、割合に目立つと思います。
遊就館をお訪ねの際は、是非大叔父の美男子ぶり?をご覧になってくださいませ。


posted by ぴろん at 09:56| Comment(5) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ぴろん様

叔母様が急逝されたとのこと、お悔やみ申し上げます。

3月21日に建長寺へ行ってきた秋山です。
靖国へは桜の季節に行って参りました。満開の神雷桜を見ることが出来ました。子供にも言って聞か
せながらお参りしてきました。その時の写真を私のブログに載せております。模型の製作記とあわせ
て見て頂ければ幸いです。
http://wildom2000.blog.so-net.ne.jp/
「あまのじゃくブログ 一式」で検索されても出てくると思います。

プラモデルは子供の頃からの趣味で、今でも時たま思い出したように作っております。
一式陸攻と桜花については「重たい史実」ゆえに手を出さずにおりました。しかし昨年建長寺でお会
いした方に差し上げようと思い立ち、現在製作中です。こういう物を喜んで頂けるものか心配しまし
たが、ご連絡したところ「楽しみに待っている」とのお言葉でした。小1の息子にも話しを聞かせな
がら作っております。

松本零士原作の「音速雷撃隊」アニメを何度も見てしまいます。ご存知でしょうか。
史実を元にした架空の話ですが、興味本位ではなく丹念に調べ上げたうえで作られた作品です。
DVDで発売されていますがYoutubeでも見れます。「音速雷撃隊 YOUTUBE」で検索しますと
出てきます。

今年と去年とそれぞれお2人、たった4名の方ですが元部隊の方からお話を聞けました。
一番切なく思うのは「関心を持ってくれてありがとう」と言っていただくことです。本当に切ない
気持ちになります。もっと早くから行動して話しを聞きにまわるべきでした。
私は遺族でもありませんし、当然ですが戦友でもありません。しかし絶対に後世に伝えるべき事と
確信します。それも正しくですね。広く一般にというのは難しいかもしれませんが、まず自分の子
供には着実に伝えていきます。忘却のかなたへ押しやるなんてことはあってはならない事、それは
次の世代に伝える責任を持つ我々に架せられた事だと思うようになりました。我々は直接話が聞け
る世代でもあるわけですから。そういう意味でもぴろん様の話は貴重です。これからもよろしくお
願い致します。
Posted by 秋山一之 at 2008年05月11日 06:57
秋山様

再びのご訪問ありがとうございます。

>我々は直接話が聞ける世代でもあるわけですから。

そうですね。
たとえ細々であっても知り得た事実を発信する。
それが大叔父から託された肉親としての使命なのかもしれません。
ちょっと大げさな言い方かもしれませんけれど。

秋山様のBlogにて、桜花の模型を拝見しました。
この小さな桜花で突撃する瞬間、大叔父は何を思ったのか?と思うと切ないです。

今、遊就館では桜花特攻のレプリカ展示ブースの近くで、元神雷部隊隊員へのインタビュー映像が流されています。
その中で、元隊員が、戦後長い間特攻について語らなかったのは、いくら自分が特攻についての事実を率直に語っても、インタビューする側が自分の都合のいいように話を編集して伝えてしまい、自分の思いが正しく伝わらないことに苛立ちを感じて、それなら喋るまいと口を閉ざしてしまったからだ、という内容のお話をされていました。

彼らが今重い口を開いて真実を語るのは、このまま何も言わずに死んでしまったら、先に死んだ戦友に申し訳ないという思いと、今の日本、どこかおかしいことになってはいないか?という素朴な疑問からだそうです。

先人の思いを正しく受け継ぐことで、日本のあり様もまた正しく修正することも出来る。
そういう彼らの思いの一端を、当Blogでも伝えることができたら、と願っております。

秋山様もどうか折にふれ、知り得た事実を周囲の方に話して聞かせて差し上げてください。
私たちの一歩は小さな一歩かもしれませんが、それによって開かれるものは必ずあると信じます。
Posted by ぴろん at 2008年05月11日 19:25
ご丁寧なご返事ありがとうございます。
また自分のブログまで見ていただいて恐縮です。

直接話が聞ける世代は最初にバトンを渡される訳ですから責任重大ですね。
その中でも大叔父様のお話は大変なレアケースですから本当に貴重です。

遊就館のビデオは1月に行った時に見ました。何があったのか素直に、純粋に取材するのでは
なく、あらかじめ筋書きがある所へ都合のいいようにインタビューが使われる… 恣意的に使
われたようです。私もマスコミの影響は少なからず影響を受けて育ってきたのが自分で分かり
ます。偏向した見方をつい最近までしていました。恐い事です。
昨今の毒餃子やチベットの報道を見て当初は中国の報道はひどい、そう感じてました。しかし
長野での事や胡錦濤主席来日のニュースなどを見ていると、日本ですら遠くない状況を悟り、
戦慄するこの頃です。

正しい事を知りたいし、それを伝えてゆかねばと思います
あのような模型程度しか作れませんが、喜んで頂ける人がいればと思っております。
Posted by 秋山一之 at 2008年05月12日 18:27
>あらかじめ筋書きがある所へ都合のいいようにインタビューが使われる

そうですね。その通りだと私も思います。
そうやって戦後の長い間、日本人の多くは自虐史観に縛られてきた。
特攻も所詮は軍国主義に洗脳された若者が犬死させられただけ・・・という定義でしか語られる事は有りませんでした。

特攻について記された書物はたくさん世に出回っております。
でも、実際に特攻に臨んだ若者の人となりや息遣いの分かる資料と言うのはそうはありません。

大叔父の在りし日の姿を伝えることで、少しでもリアリティを持って「特攻」と言うものを考えて欲しいと思っています。
大所高所ばかりから歴史を見るのではなく、庶民の視線でその当時を生きた生身の人間の息遣いを感じた上で、歴史の審判を下す材料として欲しい。

自分にとって余りにも当たり前だった桜花特攻が、改めて調べてみたら大変なレアケースであったことも、何かの因縁なのかもしれません。
大叔父が残し置きたいと願った思いが、時を越えて我が身に乗り移っている、と言ったら大げさでしょうか?

これからも私なりに知り得た事実を書き綴ろうと思っています。
これからもどうぞ宜しくご教示の程お願いいたします。
Posted by ぴろん at 2008年05月12日 22:30
靖国神社みたままつりに行こうとしていた矢先、偶然こちらのブログにたどり着き、いくつか記事を拝読させていただきました。

きのう7月13日、大叔父様の御遺影に、今日の平和に対する感謝の気持ちをお伝え申し上げると同時に、心からご冥福をお祈り申し上げつつ、お参りをさせていただきました。

お身内の皆様、どうぞお元気でお過ごしくださいますように。
ありがとうございました。

Posted by 勇子 at 2019年07月14日 23:10
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