2006年04月28日

06.4.16 増元照明氏 神奈川県民集会(12)横浜市開港記念会館にて

『増元照明 家族会事務局長の訴え』



こんにちは。
早紀江さんがあれだけ激しい言葉を仰って、トリを務める私が喋り辛くなりました。
でも、今日は加藤さんや山田先生のような北朝鮮から逮捕状まで出されて指名手配をされているお二人と一緒にこの壇上でお話できる事は非常に光栄に存じます。
その点では救う会・家族会ではまだ名前すら挙がっていないので、まだ抗議や活動が足りないのかな?と反省はしておりますけども、北朝鮮から指名手配されるほどの活動はやっていかなければならないと思っております。

先日金桂寛外務次官がやってきました。
そして私たちも声明を出しました。
翌日に家族会激怒という(記者会見を)やったんですけども、僕たちは、早紀江さんもそうだと思うんですけど、この10年間ずっと北朝鮮と言う国を見てきまして、北朝鮮がどういうタイミングでどういう言葉を発するかと言うのを、ある程度予想できるようになりまして、基本的にはあんなもんだろうと思ったんです。
ですから、そんなに怒らないと言うことはないんですけどもそんなに激怒と言う事もなかったんですが、激怒と言うふうに出てしまいまして、どうしようかなと思ったんですが。

でもあの金桂寛の態度にはやはり私たちは疑問を呈さざるを得ません。
2002年9.17以降、初めて北朝鮮の高官として入ってくるのなら、日本国民に最初に謝罪の言葉を述べるべきだと私は思っています。(拍手)
それがひとつもなくニコニコしながら入ってくるなんてとんでもない事だと思いまして、激怒ではありません。
私の・・・(聞き取れず)ですが、抗議の意味で断食を始めました。

それはなぜかといいますと報道の人たちがあの金桂寛が入ってきて、6者協議の再開を希望するような報道しかしなかったわけです。
6者協議が・・・(聞き取れず)迫って、金桂寛が入って6者協議の再開がなされるんじゃないかという、そういう希望的報道しかしなかったから、違うだろうと。
日本には拉致問題があるんではないか?と。
拉致問題がこれだけ日本の関心を持っていて、国民全てが拉致被害者の救出を願っているという報道をしていかなくてはいけないのに、金桂寛が来ているからこそ、報道が金桂寛に突きつけるような感じでやって頂きたかった。
ですから、私はあえて(断食を)やらして頂きました。(拍手)

そしたら11日にヘギョンちゃんと金英男氏の親子関係と言うのが確定がされて、それで初めて報道の方たちが大きく報道をして頂きました。
これで金桂寛も日本に来て拉致問題の大きさと言う物を実感して帰ったと思います。
ソン・イルホはそれに対してあの程度の対応しか出来ないでしょう。
それは我々も分かっています。
それに対してまた我々家族会も・・・(聞き取れず)と書いてあるんですが、私はこれまで北朝鮮がやってきた事で激怒した事は、一回だけです。
めぐみちゃんの骨、あれを出してきた時、めぐみちゃんの骨と証する物を出してきてそして偽物だったと言う、あの時は本当に怒り心頭に達しました。
でも本当に私が激怒しているのは、すでに日本政府のだらしなさに対してです。(拍手)

5月22日に北朝鮮から小泉さんが帰ってきて、二回も騙されてもあの人は良い人だったと。
頭の良い良い人だったと言った小泉さんのこの言葉。
私には本当に恥ずかしい思いで感じられましたし、日本政府は本気で拉致被害者を救出するのか?というその気概が見えないことに対して、私は非常に怒りを覚えています。
今でもそうです。(拍手)

先ほど、○○先生は経済制裁はタイミングを見ながらと言う趣旨で話されたと思いますけども、なぜ万景峰号を止められないんですか?
アメリカの金融制裁はあれだけ効いて、そして世界の銀行が取引停止をさせられたら困ると言って、北朝鮮の貿易を扱う事を嫌がり始めました、
ですから北朝鮮は核を作ろうとしても必要な物資を他国から買う。
その貿易が出来なくなっているから中々作れないでしょうし、金正日のお金が凍結されたら、今今日の新聞を見ましたら、スイスの銀行まで調べ始めたそうですが、そうなったら金正日は干上がってしまう。
これが効いているんです。
こういう波及効果が出てくること。
しかし、私たちの国はまず効く効かないではなく、北朝鮮に対して厳しい姿勢を示すべきではないですか?(拍手)

万景峰号が北朝鮮の・・・(聞き取れず)の船だと私は思っています。
あれが人道の船だというのはとんでもないです。
あの船で在日の方たちが、あの船でしか行けないというのは嘘だと言う事を李英和さんも言っていました。
あの船は20数時間、構造が悪いので非常に揺れる中で行くそうです。
年老いた在日の方たちがあの船で20数時間も揺られて元山に着いて、そこから平壌に行って、そして会わなければならない。
しかも旅費は飛行機で行くよりも高いと言う話なんです。

この前某放送局が言ってましたけど、10数万円と言うのは朝鮮総連が言ってるお金ですから、実際は70万とも80万とも言われているんです。
それよりも飛行機で行った方が安いんです。
しかも早いし、安全だし、そういう船をなぜ日本は止められないのか?(拍手)
あの工作船をなぜ止められないのか?
これはまず私たちの日本は、拉致被害者を救出する為には本当に厳しい対応を取るという姿勢を見せる事、それが必要だと思っています。

先ほど加藤さんがやはり北朝鮮は脅してくるだろうと、それは皆さんに対し覚悟を迫る事かもしれないというふうに仰ってました。
でも北朝鮮が脅してきて、窮地を取られて良いんですか?
それと同じ事です。
100人200人は確かに少ない数かもしれませんが、100人200人を見捨てる国は1億2千万を見捨てます。
それはもう国にはなりません。(拍手)
国家として成り立ちません。
ですから皆さんには、もっと国民としてその覚悟を持ちながら、北朝鮮との対峙をしていただかなければならないと思う。

ただ、北朝鮮は(ミサイルを)撃てないと思います。
私は北朝鮮がそんな覚悟を持っているとは思っていません。
現代コリアの5月号で書いてますけども、1000発のトマホークが、アメリカのイージス艦から北朝鮮の軍事基地を狙っています。
北朝鮮が一発撃ったら全てそれが発射される。
その準備が出来ています。
それを北朝鮮は知っています。
ですから撃てないと思います。
それでも撃って来るなら撃ってみろと、それくらいの覚悟でやらないと・・・・・・・・(拍手で聞き取れず)
私も戦争は嫌いです。
戦争をすべきではないと思っています。
しかし、そういう覚悟を持たないと国は守れないと思っています。

今一番の問題は中国です。
報道の方にお願いしたいんですけど、中国の孔泉さんに私は聞いて頂きたい。
中国人二人が拉致されているのをどうするんですか?と。
どこの社も聞いてくれないんですよ。
なぜか?
中国から睨まれると支局を閉鎖させられるから。
実際追放になった人もいるらしいです。
ですから遠慮して聞けないんです。
そんな遠慮なんかしていてどうするんですか?いったい。(拍手)
中朝国境で今問題なのは、拉北者ですよ。
彼らの人権を今非常に侵されて、それを捕まえてこれを北朝鮮に返還している。
この事実をなぜ、報道はやって頂けないのか?(拍手)

靖国問題を中国が言っている事よりも、中国のやっている大きな人権侵害に対して・・・・じゃないですか?(拍手)
マスコミも現場の方たちは凄くいい人たちばかりです。
しかし社に帰ると全然違ってくるのが、ちょっと不思議なんですけども。(くすくす笑い)
ぜひ現場の方から上に上げてください。

大きな人権侵害、更にアメリカは北朝鮮の人権法案で、その中国に対して何もしない難民高等弁務官事務所に対しても厳しい姿勢を取るようになっています。
私たちはそういう大きな人権侵害に対してはやはり厳しい目で見て厳しい声を上げていただかなければならないと思います。
それは私たちの家族を取り戻す早道にもなりますし、北朝鮮の人民の人権を取り戻す早道になると思っておりますので、是非皆さん、私たちと一緒に戦ってください。
よろしくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・決議文の朗読、事務局からの連絡、閉会の挨拶があって集会終了・・・

2006年04月25日

06.4.16 横田早紀江さん 神奈川県民集会(11)横浜市開港記念会館にて

『横田早紀江さんの訴え』



みなさんこんにちは、長い本当に長い年月ですけれども、この活動の中で本当に沢山のご支援を頂き、カンパを頂き、大変な活動ではありますが、多くの皆さんに支えられ、今日も私のマンションのお住まいになっている皆さま方が、本当に沢山手伝いに来てくださり、始めから終わるまでボランティアとして活躍してくださる方に支えられて今日までくることができました。

本当にありがとうございます。(拍手)

様々なショックを受けながら、めぐみが消えた52年の11月15日のあの夕方から今日まで。
いよいよ、こんどは、めぐみの夫であったと言われる人の金英男(キム・ヨンナム)さんというという方が出てくる。そしてそれがキム・ヘギョンさんのお父さんであろうと、ほとんど確実なまでのものがでる。またこれも、喜びのショックでありますけれども。

ヘギョンちゃんが現れたことや、めぐみが死亡とされたこと。そして白い骨が、骨壷が私たちの前に現れたこと。そして探し続けていた、めぐみのあの13才の白いブラウスの写真が、本当にどんなに探しても20年間見つからなかった、めぐみの姿が、あの時に、骨の壺と同じ時に、白いブラウスの哀しい目のめぐみが、私たちの目の前に、忽然として現れました。

さまざまなショックがこれでもか、これでもかと、私たち家族を打ちのめしながら、この拉致問題が展開されて参りました。

9年前、私たちが立ち上がって家族会を作って、そして、有楽町や池袋、新宿と、いろんなところに、日本中の元気な若者達、沢山の裕福な方々が、何の苦労もなく、右往左往して歩いていらっしゃる中で、(注:何の苦労もなさそうに、楽しそうに往来する姿を言いたかったのだと思います)『助けてください』『助けてください!』と、署名活動をお願いしましたけれども、その頃の日本の皆様は本当に『何のことやってるんですか』『こんな事、本当なんですか?』と(言って)、みんな、片手をあげて素通りをなさったんです。

雨が降ってカッパを着て、一生懸命声をだして言いましたけれど、こんなことをしていて本当に何になるんだろうと思っておりました。

けれども、いつも私たちは、めぐみをはじめ、たくさんの、何の罪もなく、あの海を渡って、船底に閉じこめられて、連れて行かれたまま、長い長い年月、親を想い、兄弟を想い、日本の国を恋しがって、思い、
『助けて!』
『いつ助けてくれるの?』
『明日ですか?』
『あさってですか?』

と、毎日毎日お月様を眺め、星を見ながら、助けを求めている。

またそれは日本の国だけでなく、先ほどもお立ちになった崔祐英(チェ・ウヨン)さんのお父様他、沢山の韓国の拉致被害者の方。

またあるいは、ジェンキンスさんや、いろんな方からの証言がありまして、各国、12カ国ほどの、沢山の国々からも、何の罪もなく沢山の人たちが、いろんな形で、あの北朝鮮に連れ去られて。

全く違った人と結婚させられて、『私はこの人と結婚したくなんかありません』と日本の国のように一言でも言おうものならどんなところに追いやられるかもわからない、本当に恐ろしい監視の中で、『はい』と言うしかないんです。

めぐみのあの哀しい目は、そのことを物語っていました。

私は本当にあの写真を出されたとき−−−

−−骨の壺を見たときは、『この骨は私のめぐみのものだとは思っておりません』と『めぐみは生きている』と。
『お母さんそれを信じないで、私はここにいるのよ、助けて!』と言っている声が聞こえるようでした。

−−−けれども、あの写真は本当に酷いものでありました。

あんなに明るかった、元気だった、大きな声で『今日はね、お母さんこんな事があったのよ』と毎日玄関から大きな声で、学校での内緒も明るい声で教えてくれた、また大きな声で歌を歌い続けていた、あの子が脅えた目で哀しい目で、『どうしたらいいの?お母さん』『お母さん、私はどうしたらいいの』と言う目で、私たちを見つめていました。

『あーぁ、めぐみちゃん、こんなところにいたのね』と私は思わずあの写真をさすって、涙が止まりませんでした。ふたりの弟たちも本当に声をだして泣きました。

こんな酷いことを、長い長い年月、拉致をしたこともない、そんな人は一人も入ってきたことはない、見たこともないと言い続けていた北朝鮮が、拉致を認め、挙げ句の果てに、このような無惨な姿のかわいそうな娘の姿を、平然と家族の前に出してくるわけです。

そのようなものしか持って帰ってくることのできなかった、政府の方たちも本当に大変だったと思いますけれども。

この拉致問題というのは、誰がこのようなめにあっていたかわからないような、大変な問題が日本の中で長い年月、行われ続けていたということがようやく今、わかりました。

今私たちの目の前にお座りになっていらっしゃる皆様が、私のようにここに立って、『助けてください。皆さん聞いてください。』とおっしゃっていたかもしれなません。。私がその場に座って、涙を流していたかもしれません。

めぐみの問題だけではないのです。
増元るみ子さんだけの問題ではないのです。
特定失踪者の名前もわからない方達が、まだ北朝鮮の土地で、『私は探してももらっていないんだ。だーれも母も父も、ここにいることを知らないんだ』と『どうしたら日本に帰れるんだろうか』と、嘆いている方がたくさんいらっしゃるのです。

この問題を解決するためには、人間全部の、魂の強さが必用です。家族だけでは有りません。家族は我が子ですから。我が父ですから。何とか助けてあげたいという気持ちが必然的にありますけれど。

これは国民全部の大切な問題であります。政治家の問題であります。警察の問題でもあります。

官邸も外務省もあらゆる日本中の人の心が本気で、この人達を助けるのが当たり前のことなんだという想いで、一つになって熱を持って戦って行かなければ、このことは絶対に解決していかないのだと思います。(拍手)

北朝鮮は様々なことを言ってきます。
めぐみの夫であろうと言う人が、現れたとたんに、その金英夫という人とめぐみの娘であるキム・ヘギョンちゃんという人たちを、南京しているというニュースが入ってきました。
私は、もともと北朝鮮の国そのものが、国民の全部の皆様が軟禁されているような状態であるんだと私ども思っておりますから、『あぁ、またこんな風なことを言っているんだな』というような想いで受け止めておりますけれど。
本当に何をするかわからない国なんだなと言うことも、恐怖の素になっています。

日本にはたくさんの在日の方々もお住まいになっています。
この方々はこの方々で様々なご苦労をなさっていたと思っています。

北朝鮮に沢山の身内の方を、帰国させられて、その人達を人質に使って、『もっと、これだけもののをよこしなさい。』『たくさんの金銭とこれだけのものをもってきなさい。』『これだけのものを持ってきなさい、そうでなければ、あなたたちの家族もどうなるかわからない』というような恐ろしいことを言われて、なさって、一生懸命にその貢物をしてこられて、苦労してやってこられた方が沢山いらっしゃるんじゃないかと、私たちは、本を読んだり、お話を聞いたりして思っています。

みーんな犠牲者なんです。

たった一人の罪深いもののために、これだけたくさんの人が、世界中の人たちが苦しみ続け、たくさんの北朝鮮の善良な、純真な国民のみなさまが、何の罪もないのに、食べる物もなく、餓死に追いやられている。その体は、どこともわからないところに、押しつぶされて、ブルドーザーで埋め込まれているような、そのような国に対して、どれだけの世界中の人々が立ち上がって、『そんな恐ろしいことは、人のすることではありません。もっとあなた方の平和な、本当に自由な生活をしようと思いませんか?暖かい交渉をしながら、あなた方もまっすぐにたくさんの世界の中に出てきて、本当の話をして、助け合って行きませんか』と言うことを、世界中の沢山の人たちが、声を一つにして、北朝鮮にメッセージしていかなければならないのではないかと思っています。(拍手)

訪米をしまして、下院議員の公聴会に出席をさせていただくことになりました。
私のような、学歴もない、英語もはなせないこのような難しい問題なんて何にも知らなかった、普通の主婦である私が、こんなようなことが、本当にできるんだろうかと、プレッシャーでいっぱいですけれども、本当に今お話しましたような事を、いつも心のおいて、あちらの公聴会この問題を、世界の人の知っていただきたいと、お話をさせていただきたいと思います。(拍手)

シーファーさんも、この間、新潟のめぐみのいなくなった現場にわざわざ足を運んでくださいました。
そして私たちにおっしゃいました。『テレビや新聞などで、報道で聞いているのと違って、本当にこの町で、本当にうちが近いこの角で、あんなに小さかっためぐみちゃんが、どうしてあんなむごい目にあうのか、なんと酷いことが行われていたんだろうと、哀しくなります』と涙を流してくださいました。

『私はブッシュさんととても仲がいい。ブッシュさんは大統領ですから、向こうのブッシュさんはじめ、多くの高官のみなさまに、この問題をしっかりお届けしておきますよ』と言ってくださいました。『だからあなた方も、訪米をしてお話をするときに私のことを忘れないでください。』とまで言ってくださいました。

日本のマスコミの方々も、私たちに今は一生懸命付き従ってくださって、しっかりこのことの解決のために、本気でずーっと、長い10年近く、本当に懐かしい顔を見せてくださって、私たちを助けてくださいますけれども。

今でもまだ、こないだの、金英男(キム・ヨンナム)さんのことが出たときに、すぐに、ある新聞社たちは、たくさんの新聞社達が、すぐに平壌に行って、宋日昊(ソンイルホ)という人たちに面会をし、あちらが言っている、『全くそんなことは知らない』というそういうことをすぐに聞いて、それを報道なさるようなことはしていただきたくありません!(拍手)

その方達も・・・日本人であります。
そのような、向こうの、北朝鮮にそこの(支)局が新設されると思って、みなさん活動なさると言うことも聞きますけれど、

そんなことのために私たちの同胞のたくさんの命がないがしろにされて、あのような国で、埃にまみれたままで、あの土の中に埋め込まれてしまうようなことだけは、絶対に止めてください。(拍手)

本当に全世界の拉致された人たち。そしてあちらに離別していらっしゃる韓国の方達。北朝鮮の国で苦しんでいる多くの国民方が本当に、自由な人間らしい生活ができ、そして良い国として、世界に認められるような国になっていただきたいと、私は思うので、こうして、一生懸命お願いしております。
どうかこれから、よろしくお願いいたします

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

06.4.16 山田文明氏 神奈川県民集会(10)横浜市開港記念会館にて

『山田文明 北朝鮮帰国者の命と人権を守る会代表の講演』



ご紹介いただきました、『北朝鮮帰国者の命と人権を守る会』の山田文明(ふみあき)でございます。宜しくお願いいたします。せっかく来たのだから、川添さん高橋さん、主催者の方が、少しは話しをする時間をくれようと、この場に立たせていただきました。

本当にありがとうございます。
こんなに多くの方が、この重い話題にお集まりいただき、熱心にお聞きくださっている様子を伺いまして、大変励まされる気持ちでおります。

まず、みなさまに感謝申し上げます。

最小限、皆様に申し上げたいこと、簡単に申し上げます。

すでに北朝鮮お脱出した日本国籍を持った人、あるいは、もと日本に住んでいた在日コリアンの人、ご家族、100名を超えていると思いますが、日本に戻られている訳でございます。その人達は北朝鮮の帰国事業というので北に渡った方でありますが、その点はもう触れませんが、戻られた方々から、いろんなお話、実情を聞くことができる、それがですね、私達にとりましても、北朝鮮の実態を知り、あの国に対してどう対応すべきかを考える大きな材料を提供してもらえるものになっています。

そのうち、まず日本に戻った方の実情だけを申し上げたいと思います。日本に戻った脱北者の人たちは、大変大きな悩みの中で、日々を過ごしています。
確かに食べ物の不自由や、身の危険を考えないですむところに、ようやくたどり着けたわけでありますが、その方々を通してみたとき、まず北朝鮮で多くの北の人たちは通常の人間としての心を、破壊されるような中で生きている人が多いと言うことです。

通常の正義感や、道徳観などがうちひしがれ、完璧な恐怖政治の元で、賄賂だけが通用する中で、生き延びてきた、そのことによる人間破壊が、いろいろと影響を与えている。更に中国へ脱出する課程でも、北朝鮮の中で、人身売買のブローカーに連れ出された人も少なくありませんし、中国に出てから、母親、姉、本人、妹、4人が売られていったというふうな事例もあるわけでございます。

そう言う中で、その中国で売られていった経過から、ある程度そう言うものを、自分たちが受けた政治状況による危害として受け止めらる人はまだ良いんですが、幼い娘達の場合は、そういう受け止め方が、まだできない。すると自分たちの家族に対する不信感となります。そして、場合によっては、自分の親が助かりたいために、助かるお金を得るために、自分を売ったのではないかという、そういう不信感を持っているんです。

そのために、場合によっては、そう言う人々たちを何とか救出できたとしても、親に対する不信、あるいは、それを通して、出会う人、全ての人に対する強烈な不信感からですね、社会的な適応が困難である。そういう事態が起こっております。

そう言う人々を含めて、北では、まともに職場が機能しておりません。ですから、ちゃんと仕事に行き、決められた仕事を果たして、給料をもらって暮らすという経験がないのです。そう言う人々が、多数いますから日本に入ってきてからも、社会生活の復帰は大変困難でございます。

そう言う人々を含めて、北の脱出者をどう助けていくかということを考えたとき、日本社会に於いてその人々をどう理解して、受け止めていくか、この点が大事だと思います。

北から来た人たちは、自分が北から来たと言うことを言うことをいやがります。
なぜなら、<北から来た、じゃぁ、劣等人間だ、悪い国の人間なんだ>そう思われてしまう。
そういうことを何とか避けたい。だから自分をだます、人に対しても騙して生きていく。
その辛さがあります。

(北に)親族が残っています。自分の親族が残っています。自分だけは、逃げて、安全なところに来た。
家族を捨ててきた。家族は北で生きているかどうかわからない。
その自分だけが助かったという、悩みも持っています。

そういう大変な悩みの中で生きていると言うことも、ご理解いただきたい。

現状の事態の進行から言ったらば、本当にその人々を含めて、北の人権被害者、拉致被害者はもちろんのこと、救うのは、緊急課題です。

をその緊急課題に対応する政治の動きがないというのが、現状であります。

この緊急課題に対応した動きを、どう作っていくか、その上での、皆様方のお力と、特に政治をになう方々の緊急行動を言えるような活発な展開を願っております。

時間がございませんので、これだけを申し上げて、終わらせていただきます。
ありがとうございます。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

06.4.16 加藤博氏 神奈川県民集会(9)横浜市開港記念会館にて

『加藤博 北朝鮮難民救援基金事務局長の講演』



北朝鮮救援難民基金の事務局長をしている加藤博です。

本日、救う会神奈川の川添さんのご厚意によってここにこれましたことを、深く感謝したいと思います。
それから、みなさんにお会いできたことに感謝します。

と言いますと、私たちは、北朝鮮から食べられなくて出てくる人や、どうしても北朝鮮では命を長らえることのできない、そういう人たちを助けています。この行為に対して、北朝鮮は非常に快く思っていない訳ですね。

快く思っていないどころか、みなさんもご存じのように、今年の3月27日に、朝鮮民主主義人民共和国、人民ん保安省というところから、逮捕令状を発行して、私達の身柄を、北朝鮮に戻せとそう言う要求を日本政府にしました。私だけではありません。私の団体におる、野口貴之という国際担当をしているものに対しても、行われました。それから、『北朝鮮帰国者の命と人権を守る会』の山田文明代表に対しても同じようなこともありました。それから、RENKの李 英和代表に対しても、ありました。こういう行為を私達が、黙って、見過ごすならば、これは私達4人に対して行われた事だけでなくて、他の人にも、起こることだと私は考えています。

私は、身柄の請求があったと言って、日本政府がそれに応じるなどと言う事は思っていませんし、日本政府はこの問題に対して『とんでもない話、問題外』と言う態度を取っておりますので、私はそんなことは、心配していません、

しかし、今まで話題になっているように、日本からは多くの方が拉致されていっているんですね。
誰もその人達が、北朝鮮に対して目障りなことをしたわけでも、北朝鮮に、妨害工作をしたわけでもないんです、。
その人達が拉致されていっているんですね。
ところが、私たちは北朝鮮から来た人たちを助けた。それが罪だ。食えない人を助けることが罪だし、病気で死にそうな人を助けることが罪だと。そして、これが国家転覆罪であると言う風に言って、指名手配するわけです。

ですから私は、自分でこれから自分の身に何が起こるかわからないとそういうふうに感じています。

これだけではありません。私は2002年に中国大連で、中国の安全局というところから、拘束を受けました。北朝鮮から逃れて中国にいる人たちに、冬服を配給するために行ったときに拘束されたんです。

このときに、私がこの事件の後に、私が幸いにも日本に帰ってくるときに、聴いた話によると、<私は密かに、北朝鮮に身柄を渡されるはずであった。> 北朝鮮の国籍を持った人間が中国にたくさん住んでいます。それから私達の活動を支援する人たちがいます。それから、私達の活動に理解を示す中国の公安局の人間もいます。そういう人たちから聴いた話によると、私が、2000年に北朝鮮からお尋ね者になった。

その時は今回のように、明確に身柄を引き渡せだとか、逮捕状を発行したとか。そう言うことではなかったんですね。

これは密かに、中国にいる北朝鮮の意を受けて動く、それは、私の身柄を生死に関わらずに北朝鮮に持ってくれば、35万元、(これは日本のお金にすると今525万円ぐらいですけれど)それとベンツ一台を渡す。そういうふうに懸賞金をかけてやるんですね。彼らは、公然ともするけれども、密かにもやるんです。

ですけれども、幸いにも、私の場合には『人道支援家が中国で行方不明になった』ということで、記者会見を開いてくれて日本のメディアが取り上げてくれて、世界のメディアも報道してくれた。そのおかげで私は、北朝鮮に持って行かれないですんだんですね。

もし、あの時に誰も興味を示してくれなかったら、私は今日みなさんの前に立つこともなかったかもしれない。
ですから、そう言う意味では、北朝鮮の人権問題対して、みなさんとここで共に考え、共に語り合える、そう言う場を持ち得たことは、私にとっては、大変嬉しいことです。

もう二度と会えなくなるかもしれないと思ったけれども、再びあうことができた。
そう言う意味では、私が感じた事をみなさんにお伝えすることが私の役割だと思っております。

ですから私の経験から、北朝鮮という国はどういう国なのか、それを少し話したいと思います。

私の逮捕状の件ですが、これは今年の3月に、辛光洙という北朝鮮の工作員他二名を日本政府が、国際刑事警察機構に、指名手配した。そして朝鮮総連傘下の大阪府商工会、これに 警視庁が家宅捜索にはいった。こういう流れの中で起きた事件ですね。、北朝鮮が、この行為に対して、朝鮮総連への弾圧だといってその報復として、私達の、先ほど紹介した4名の逮捕状が出てきたんですね。

私たちはさきほども言いましたように、北朝鮮から食うに食われず、暮らすに暮らせずに、やむを得ず出てきた人たちを、助けている団体です。

そして、北朝鮮が、今私達に逮捕状を発行して身柄を要求しているのに、彼らが罪もない人間を他国に持って行って、それと同等だと考えているんですね。

ですからこんな事は問題外なんですけれども、これは、北朝鮮にとっては常識かもしれない。世界の常識ではないけれども、北朝鮮では常識。北朝鮮の常識は世界の非常識。

これは今まで起きたいろいろな事件からも、それは、言えると思うんです。

日本の新聞も<突拍子もない要求>ということで、これは問題にしませんでしたけれども。私は、このような北朝鮮の要求に事を構えるよりは、実際に日本の中から、甘言を弄し、あるいは暴力的に連れ去った、そこに協力した人間を次々に摘発するべきだというふうに思います。(長い拍手)

その意味から言えば、あまりにも遅い、私は、そう思います。

横田めぐみさんのご両親、あるいは他の、拉致被害者の家族のみなさんが、家族会を作って活動したときから、私は、知っております。あのころはまだ、メディアも多く取り上げてくれず、そして、議員さんの間でも、議連というものが、できてもいなかったし、日本国民の認識も低かった。しかし、家族会の人たちが、寒い冬の日も夏の日も一生懸命やって、ようやくここまで来たんですね。

そして、ひとつひとつの家族会の動きが、国会を動かし、政府の役人を動かすまでになったんです。

でも、しかしこれでも私は十分ではないと思うんですね。
何故かというと、政府が、本当に真剣になってやってくれているのかという事を、時々疑問に思うんです。(拍手)
開場、そうだ!

私達が、何故それを感じるかと言うとですね、特に外務省の高級官僚はこの問題について、本当に自らの問題として解決しようとしない、国民の痛みをわかっていないという風に思うからなんです。

日朝協議の時に、その名簿を渡されたときの対応をみなさん思い出すでしょうか?
政府の安全確認のいいかげんさ、これで事を済まそうとした。このような、行為。人の命を軽んずる、あるいはそれを無視するような、そういう人権感覚の官僚が多いと言うことです。

私は全ての人がそうだとは、言わないけれど、その姿勢を正すのは誰かと言いますと、和tしたち一人一人がそれを正すんですね。(拍手)


これを、家族会に任せっきりとかね、それから救う会に任せっきりだとかね、そういうことではダメなんだと思います。(拍手)

そして、私達は、この問題に対して毅然と対処すべきと言います。
しかしみなさんよく考えてください。
毅然と対処すると言うことはどういう事ですか?

口を厳しく、相手を非難することですか?

そうではありません。、私たちが覚悟を求められていると言うことなんです。

どんな覚悟でしょうか?

北朝鮮は、自分たちで拉致したと言うことを認めても、返さない。
もうおわったことだ、そういう風にしてうやむやにする。
また、こんどのように、DNA鑑定によって、横田めぐみさんの夫が、金英男氏であると言うようなことがわかったとしても、彼らはこの問題に対して、関心を示すことをしない。

ちょうど同じ時期に、金桂寛という外務次官が来ていました。彼は六者協議の再開のためにアメリカの代表と会うために、来たようですが、それができなくなると『それはそれで結構だ』と。で、『我々はその時間に核開発をする時間がある』と、そう言うような事を、捨て台詞を残して帰って行きました。



これだけじゃありませんですね。
南北首脳会談の事務局の会議の中でも、『我々の言うことを聞かなければ、ソウルを火の海にすることができる』、こういう脅しをかけてきますね。

つまり、北朝鮮はミサイルによって、今開発しているミサイルによって、『日本を撃つ事だってできるんだぞ』と、そう言うことを言われたときですね、日本の政治家はね、これに対してどういう風に対応できますか?

国民の安全を守らなければならない国会議員は、こういう事を聞くべきだ。(拍手)

それに断固として反撃すべきか、これは国政を預かる議員のみなさんは、非常に頭を悩ますところだと思います。
しかし、これは、私が【覚悟】と言ったのは、そう言うことなんです。
彼らは、政府のトップが自分たちで拉致と言うことを認めてたとしても、返さない、そう言う人たちです。

余りうるさいことを言えば、『ミサイルを発射するぞ』という脅しをかける、そういう人たちです。

そうした時に、私達は、『ちょっと待て、ちょっと待って、私達は、お米を何十万トンやるから、ちょっと待て』『肥料を何十万トンやるから、待て』と言いますか?

それとも、この問題に真正面から立ち向かう覚悟がありますか?

この問題は、そういう問題としてみなさんが受け止めなくてはならない。
私たち一人一人が、受け止めなくてはならない、そう言う問題だと思います。
そう言う気概、そういう気持ちが自分たちにないと、残念ながら、今、北朝鮮閉じこめられている、拉致被害者を取り戻すことは、私はできないと、そう思います。

こういう断固とした、毅然とした姿勢があってこそ、私達は、この問題を正当に、人権問題は、まんべんなく誰にでも保障される、そういうものだと、知らしめることができると思っています。

ですから、今回の私達の逮捕請求などというのは、小さな、こんな小さなNGOを取引の材料に仕様としているんですね。

こんな小さなNGOを取引の材料にしなければならないほど、北朝鮮は今、追い詰められている。

2004年にはアメリカの上下両院で人権法が成立しました。
そして人権大使も任命されました。
それから、ジュネーブの国連人権委員会では、2003年2、004年、2005年、三度にわたって北朝鮮二対する決議案が出されています。

そして、昨年の12月には、ついに、これは、国連総会で北朝鮮人権問題に対する決議案が、可決されています。
これは、北朝鮮がいかに孤立しているのかと言うことを、示しています。

で、これで終わりではありません。
先ほど、紹介があったように、ちょうど今ご紹介しましたように、アメリカが香港にある、バンコ・デル。アジアという銀行の口座を凍結しました。この銀行は、北朝鮮で作った偽札をマネーロンダリングする銀行ですね。
dすから、これによって止められ、そこと取引をする銀行も次々アメリカによって、制裁を受けています。

北朝鮮はそれによって非常に打撃を受けていますね。

今年の金正日の誕生日に例年ならば、自分の部下達に、下賜品を与えるんですが、それは外貨で買うものです。
その下賜品を与える外貨でさえ不足するようになった。これは非常な、北朝鮮にとっては打撃です。
これは、いいことですね。

何故かと言いいますとね、彼が買えなかったから小気味が良いとか、そう言うことではないんです。
彼が今まで、それができていたのに、できなくなったと言うことは、彼の権力維持基盤にひびをいれることなんですね。ですから、その意味では、この人権問題を解決するためにはですね、プラスの要素なんです。

救う会が、経済制裁をすべきだと言っていますが、私は経済制裁はすべきだと思いますけれども、ま、アメリカの金融制裁ほどではありませんね。

でも、この<アサリを買うなと言う運動>でも、これは非常に有効です。
何故ならば、彼らが持っている、漁業権というのは、北朝鮮の軍の重要な資金源になっている。これは、保衛部であるとか(保衛部は秘密警察ですね)、あるいは、軍団とか、公安部とか、そういうところの、資金源になっている。

ですから、そのはまぐりなり、あさりなりを売る権利が、日本政府の経済制裁によって止まってしまうとですね、売れなくなりますから、持っていれば持っているほど、赤字になりますから、それをできるだけ早く売りたいと。その権力を持っている同士の間で、売り買い。それから、オレの方が多く売りたいと、軍団同士の争いが起こるわけですね。これも、権力基盤にひびをいらせる。

つまり、拉致を認めても拉致問題を解決しようとしない、北朝鮮の人民が2000万人も、餓死しても何とも思わない、我々権力支配層が、200万人いれば、この北朝鮮はそれでいいと考えている人たちに、打撃を与えるためには、そして、人権問題が解決できないと言うことは、自分たちの政権が維持できないと言うことを知らしめるためには、有効な手段です。

私達が、経済制裁をすると戦争になるとか、そう言うことを言う人がいますけれど、これは、そんなような考えをすれば、これは、北朝鮮の思う壺です。

経済制裁が及ぼす効果というのは、何であるのかということを、私は、今一度よく考ええるべきです。
でも、その扱い方には注意が必要です。
私はそのことを、みなさんに申し上げておきたいと思います。

それから、この拉致問題を解決するためにはですね、今、国際的な動きが非常に大きくなって、包囲網ができています。しかし、中国や、韓国というやっかいな問題があります。

中国は、北朝鮮に対して、今、膨大なインフラの投資を始めています。
ムサンと言うところが、中国と北朝鮮の国境に、鉱山が、鉄鉱山があります。ここに、50年間の租借権を得て、中国は今、膨大な投資を始めている。だから、これを失わないために、また、外貨を獲得するために、平壌のデパートを買収しました。このように、中国は自分たちの経済権益を、北朝鮮国内に、今獲得しています。

ということは、北朝鮮の権力基盤を持つ人間が、北朝鮮国民の利益になるような、権益を外国に売り渡しているということなんですね。

ですから、中国の援助なしに、北朝鮮の経済は成り立たない。
そういう状況があると言うことを、私達は理解しなければならない。


それから韓国。韓国は、自国に500人近い拉致者を抱えていても、あの問題は、真剣に解決しようとしない。
朝鮮戦争の時に、捕虜になった人たちを帰せとは言わない。離散家族だと。こういう政府ですね。
そして、できるだけ多く援助する、融和的な態度をする。そうすれば、北朝鮮は平和的になる。
朝鮮戦争のようなことをおこしてはならないという、そういう口実を元に、非常に融和的態度をとる。
ですから、これを変えなくてはならない。

もう一度、みなさんに思い起こしてほしいんですが、横田めぐみさんを返せ、他の拉致被害者を返せと言って、運動を始めたときの、家族のみなさんが、どれだけ大変だったか。
今、韓国の人たちは、それとおなじだけ大変な時期を、今味わっていると思うんですね。

しかし、日本は幸いにして、皆さんの大きな支持と、大きな応援で、ここまでやってこれた。
ですから、私達がそういう経験を韓国のNGOと、韓国の拉致被害者ご家族会とも協力する必要が有るんではないでしょうか?

私たちから頻繁に出かける、交流する、そう言うことが必用だと思います。

政府は、その時々に出された条件によって、政策や、方針がぶれます。その<ぶれ>を止めるのは、私達一人一人なんですね。ぶれたら、『おかしい』とはっきり言う。
そういう声の固まりを、たくさん作っていく。

このような、集会を全国でおこす、それがこの拉致問題を解決する大きなうねりにして、韓国と共に、解決していく、唯一の保障だと思います。

ですから私は、みなさんに、訴えたいですね。そのために、私達の情報発信能力を高めよう。
私達は、積極的にいろいろなところに出かけていって、人権問題、拉致問題について発言し、お互いに交流し励まし合う、そう言うことが必要でしょう。

北朝鮮難民や、人権の問題に関する国際会議が有れば、そこに出て行って、自分の意見を言うことが必用でしょう。
そこに来ている国際機関の人間や、政府の人間に対して語りかけることも必要でしょう。

それから、直接私達の声を届ける放送も必用です。
しおかぜという放送について出てきましたけれど、韓国には、北韓自由放送というキム・ソンミンと言う方が、脱北者の方が必死になってやっている、そういう放送局もあります。
そういう放送を通じて、私達のメッセージをどんどん、伝えていく。それがどうしても必用です。

そのためには、政府にその応援を頼っていてはダメなんですね。
私達自身が、この放送を支える。この放送が最も最も効果的な武器になるように、人権問題を解決する、大きな武器になるように、育てていかなければならない。

これは、荒木さんのところでやっている、<しおかぜ>ですけれども、これがみんなの<しおかぜ>にならなくてはならない。

みんながこの<しおかぜ>を最も有効な武器に育て上げなくては、ならない。

私は、このようにして、他の放送局も、他のメディアも人権と拉致の問題を解決するように力を尽くしていただきたい。

そのために、財力もみなさんの手で集めていただいて、そして、みなさんの自分ができる場で、応援団になってもらいたいと思います。

ありがとうございました。(拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

06.4.16 崔祐英さん 神奈川県民集会(8)横浜市開港記念会館にて

『崔祐英 韓国拉致被害者家族協議会会長の訴え 通訳:金基柱(守る会)』



みなさまこんにちは。(会場からこんにちはの声)
尊敬する川添会長、それにみなさま、日本拉致被害者問題に限らず、韓国拉致被害者問題に関心を持って私達を招待していただいて、感謝申し上げます。

また今日は日本政府が認定している拉致被害者の他に、特定失踪者の(ご家族の)訴えを聞いて、非常に感銘を受けました。

私は高校一年の時に、この世で最も愛する父親(東進号の漁労長、崔宗錫さん)を拉致されました。

東進号という漁船に乗って、先ほどの朴さんと同じように、そのお父さんと同じように、韓国の西の海(=黄海の事)のペニョン(白○、○=令+羽)島と言う島の近くで、北朝鮮に拉致されましたがその当時は、家族は、お父さんがすぐ帰ってくると言う話しを聞いて安心していました。

しかし、ある日突如として、政府から南北会談が微妙になったので、すぐには帰ってこれないという連絡を受けた後、20年間、音信とれなくなっています。

その後、偶然に新聞報道によって、お父さんが、北朝鮮の中の政治犯収容所に入れられていると言う知らせを受けました。
しかし、その時私はまだ幼い年齢であったので、北朝鮮という国が、どういう国か、その中での収容所と言うところが、どういうところなのかを知りませんでした。

韓国では、私の前にお話しした朴さんのお話でもありましたが、公安関係の監視、あるいはひどい場合は拷問を受けることもあるので、どこにも自分たちの現実を、自分たちの実情を訴える場所がありませんでした。

そう言う背景の中で、韓国には485人、拉致被害者がいるんですが、その家族達は、一緒にあうことができません。そう言う環境の中で、私は、横田めぐみさんのお父さん、横田滋さん、増元照明さんたち日本の拉致被害者のご家族のみなさんと韓国の拉致被害者家族よりも早く合う事ができました。

・・・この問題は単なる韓国と日本の問題ではなく、家族を失った、同じような痛みを持っている家族同士の出会いだったと気付きました。

昨日私は、横浜にきたのですが、偶然ホテルのテレビで、横田めぐみ姉さん(横田めぐみさんを<横田めぐみ姉さん。とよんでいますが)の写真展をやっているニュースを見ました。そのニュースを消して私自身、愛するお父さんの思い出が沸々とわき、お父さんのことを考えて眠れませんでした。

お父さんはいつも船に乗っていましたので、身近に愛を分けてくれることはできませんでしたが、船に乗る前に手紙を書いて、妹、私、お母さんに手紙を書いてくれました。

横田滋さんもめぐみさんの写真を撮ることをすごく喜んでいたという話を聞きましたが、私の父親も、拉致される前は、・・・に連れて行ってくれては、写真を撮ってくれました。

私の父親は、「いつも、人間は、誠実に、真実に、まじめに、生きれば、必ず幸せになり、その努力が報われる」と言う話をいつもしていたのをいまだに覚えています。

おとうさんが拉致される以前に、うちの家の近くには、小さな池がありました。その池を掃除しながら、今度くるときはこの池に鯉を放して育てようと約束しました。

私のお父さんは、とても刺身がすきで、その刺身のあらで・・・を食べるのを喜び、そして、いろんな話を私達子供にするのを楽しみにしている非常に優しい父親でした。

「お父さん、お父さん」いつもと呼んでみますけれど、お父さんはあたしの呼びかけに対して、答えてくれることはありませんでした。

生きているのか、死んでいるのか、心の中でいつもお父さんに呼びかけております。いまだに何も返事をしてくれないお父さんを、今、私は待っています。

この場にいらっしゃるみなさんに訴えたいと思っております。私達拉致被害者の家族は、お父さんの情、そして娘の情を奪われたまま、20年、30年間、時間が止まったままの生活になっております。

幸にも、長くて寒い冬が終わり暖かい春になりました。
一日も早く拉致被害者がたちが戻ってきて、家族と共においしいものを食べて、いっぱい話ができるような時間が来てほしいと思っております。



去年の10月、お父さんの還暦がありました。韓国及び朝鮮半島では、こうした還暦の祝いは子供達が、立派な食事を作ってもてなす、そういう風習があります。

お父さんは、北にいるので、そう言う食事を作ってあげることができなかったので、せめてもの救いで、金正日国防委員長に「どうか北朝鮮にいる私のお父さんに、還暦の祝いをしてほしい」というメッセージを込めて、韓国の新聞紙上に広告を載せました。

いろんな出来事が各マスコミに報道され、その報道結果を見て私は今(すぐ)にでも、お父さんが韓国に帰ってくるのではないかという期待を持っていました。

そして、お父さんの誕生日であります10月23日、韓国の・・・・黄色いリボンをかけました。

もしお父さんが近々帰ってくるならば、韓国に残っていた私達家族は「貴方のことを決して一日たりとも忘れずに、貴方を待っていたんですよ」という意思表示のために、この黄色いハンカチの運動を始めました。

この黄色いハンカチの由来は、日本でも知られていると思うんですが、戦争に行っている夫の無事帰還を、無事の帰国を祈った家族の話、そして戦争に行った旦那さん思った奥さんが胸にかけた黄色いハンカチに由来する話しです。

この黄色いハンカチの運動は、私が採り入れたんですが、・・・のみなさん、韓国国内の食堂を経営しているみなさん、そして拉致被害者のみなさんが、みなさんがこのような黄色いハンカチをかけてくれるようになりました。

これは黄色いリボンなんですが、私がここに来たときに日本のある女性からプレゼントされたものです。
その人は、去年の10月の出来事をニュースで知り、そして私と会うまでに作って・・くれたものだそうです。

その黄色いリボンを横田めぐみさんの旦那さんである金英男さんの家族にもあげたら、今度北朝鮮のほうでも、
・・・・・・(不明)

この黄色いリボンを作ってくれたボランティアの女性が私に言ってくれたことがあります。
「拉致問題に関しては、日本と韓国が一緒に、共に連帯して解決していかなければなりません。」と言っていました。

日本と韓国の関係は非常に複雑で、いろんな問題を抱えているのが実情です。

いろんな問題はありますが、この拉致問題に対しては、被害者のみなさんが、手を組んで、また力を合わせ、団結して、そして解決していくまで、努力していかなければならないと思っています。

韓国も拉致問題に対して、だいぶ流れが変わってきました。その一例がですね、イ・ジョンボク統一省長官は、ついこの間、北朝鮮に対して、拉致被害者問題について訴えることを明らかにし、また韓国の国会でも、拉致被害者法法律制定のために動くことを、・・しました。

ここまでくるのに、非常に険しい道でありました。しかし私達韓国の拉致被害者家族達は、日本の拉致被害者を支援しているボランティア団体、NG0団体の日本の国民大集会に参加して力をもらい、韓国に戻って、韓国の拉致被害者達と、力を合わせて頑張ってきました。

日本に拉致被害者がいるのと同時に、韓国にもこのような悲惨な拉致被害者家族及び拉致被害者がいることを、みなさま覚えてください。そして私達(韓国の)拉致被害者の家族は、日本の拉致被害者家族と共に、力を合わせて、頑張っていきたいと思っております。

日本のみなさんも、まだ解決されていない日本の拉致被害者の問題を抱えていながら、韓国の拉致被害者問題に関心を持っていただいたことに対して、非常に感謝の気持ちを申し上げたいと思っております。

また、この場にいらっしゃる拉致被害者(特定失踪者家族)、山本美保さん家族、高野清文さん家族(他)のみなさまも頑張っていただきたいと思います。

私は明日、この横浜を離れますが、韓国に戻ったら、より日韓拉致被害者家族会の連帯及び、私のお父さんの送還、そして韓国の拉致被害者が無事帰ってくるまで頑張りたいと思います。
みなさま、私の話を最後まで聴いていただきましてありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

06.4.16 朴さん 神奈川県民集会(7)横浜市開港記念会館にて

『朴さん(韓国人拉致被害者家族)の訴え 通訳:金基柱氏(守る会)』

※朴さんのお話中、固有名詞がはっきり聞き取れず、人名・地名などやむを得ず空白にしているところがあります。
また朴さんのお話は通訳の音声その物が全体的に聞き取り難く、途中意訳を加えて文章の意味が通じるようにしてある所もありますことを予めご了承くださいませ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日本語で)こんにちは。

(以下韓国語で)
皆様こんにちは。
私は1971年1月6日、韓国の西の方の海の○○道○○島という島の近海で、北に拉致された朴○○の娘で朴○○と申します。
まずこのような貴重な席で話をする機会を与えてくださった関係者の皆さんに深く感謝申し上げます。

当時、お父さんが乗っていた船の名前は「ヒヨン(?)37号」と言う船で、インチョンに籍を置いた漁船でありました。
その当時非常に視界が悪く、また船の機械の故障によってですね。
船の流れ着いた所、北朝鮮の警備船から攻撃をされ、そして拉致をされました。
その後36年が過ぎた未だに生きているか死んでいるか、まだ分からない状態が今も続いています。
平和だった田舎村にある日突然訪れたこのような苦難はですね。
私たち家族にとって想像が出来ない事だったと思っております。
平和だったのはもちろんその行為によって、お母さんは未だにうつ病にかかっております。

その当時、私は15歳でした。
・・・(聞き取れず)を感じるくらいその当時はですね、今は白髪の混じっているお婆さんになってしまいました。
また私のお父さんは・・・(聞き取れず)を連れて戻ってくる事ができない場所に連れて行かれ、未だに涙の季節は流れております。
今日か明日か、いつか息子が帰ってくると思って海だけを臨んで息子を待っていたお爺さん・お婆さんは、夢にも望んでいた息子を待ちながら、結局は目を開いたまま亡くなりました。
この世を去りました。
旦那をなくし、その悲しみから去る暇もなく、お母さんは私たち幼い子供たちを抱え生活を心配しなければなりません。

しかし、それよりももっと辛かったのは、韓国公安関係の刑事の監視だったんです。
私が結婚する当時も私の主人の・・・・(聞き取れず)まで行うくらいの監視の対象になっていました。
お祝い・・・(聞き取れず)盆と正月が来れば、お父さんの思い出が涙の内になってしまいましたが、しかしその悲しむ間にも刑事たちの監視の目は光っていました。
分断国家で生まれた事が罪といえば罪だと思います。
36年間の・・・(聞き取れず)この出来事を一言では表現出来ないと思います。
すでに涙も枯れてしまった私のお母さんの恨みを子供として少しも楽にしてあげる事が出来ず、隣の国である日本でお父さんの消息を何とか訴えている私のこの姿が余りにも力なく情けなく、本当に惨めな思いで一杯です。

今韓国では黄色いリボン運動によって、韓国の国民たちも少しづつ拉致被害者の事を分かるようになりました。
マスコミの報道によって、日本の拉致被害者であるめぐみさんと韓国の拉致被害者の金英男氏が、北朝鮮で夫婦の縁を結んだと言う事を、関心高く見守っております。
私たち韓国人は韓国に税金を納め、国民の権利を行使できる権利のある、韓国の国民であります。
しかし、どうして私のお父さんは・・・(聞き取れず)仕事をする最中に拉致をされ、それにも拘らずこのような状況を分かってくれる政治家が一人もいない。
韓国の実態を本当に情けなく思っています。

しかしそういう韓国もだいぶ事情が変わってきました。
韓国の政治家にも拉致被害者の為の特別な法律を制定する動きが見えています。
しかし旦那を拉致された私のお母さんは、もう残りわずかな人生なのでこれ以上待っている時間はありません。
一日も早くお母さんが生きている間にお父さんの顔だけでも見る事が出来るように、しかしそれが無理であるならば北朝鮮の中に生きているのか死んでいるのかだけでも教えて貰えるように、集団解決のために日本と韓国が連帯し私たちの家族を一日も早く救出できるように欲しております。
分断の悲劇と言うには余りにも過酷なこの現実が一日も早く解決され、お父さんを連れ戻せるように劇的なヒューマンドラマのような幕を閉じるような場面を一日も早く実現するように待っております。

この場にいらっしゃっている尊敬する皆さん。
また先生方の皆さんに、私のこのような出来事をどうか覚えてください。
また、力を貸してください。
全世界が一つになり、拉致と言う言葉がこの世から無くなる日まで、そして北朝鮮がその過ちを認め、また北朝鮮の同胞たち・住民たちが自由を行使できるようなその日が来るまで、一日も早くその現実が現れる事を望みながら、最後に私の涙声の訴えを聞いてくださって非常に感謝しております。

皆様ともう一度会うときは、「私のお父さんが元気で帰って来ましたよ」と言う知らせを皆様に報告できるような言葉を持って、皆様と再会できる事を望んでおります。
どうもありがとうございました。(拍手)

06.4.16 森本美沙さん 神奈川県民集会(6)横浜市開港記念会館にて

『森本美沙さん(特定失踪者・山本美保さんの妹)の訴え』



山本美保の双子の妹の、森本美砂と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
神奈川から、何人もの方が失踪している中で、山梨の私がお話を申し上げるのは本当に僭越ではございますが、特定失踪者460人いる中で、なかなか家族支援団体が有る方が少ないんです。
みなさん家族だけで苦しまれている方がたくさんいらっしゃいます。
その中で私も同じような立場でございますけれど、たまたま地元で同級生を始め、いろんな先生方が多大な力をくださいまして、今までに、政府に20万人の署名を持って、姉の救出を訴えて参りました。

私の事例は、460名の特定失踪者、特定失踪者の一時例としてお聞きください。そしてその事例は、他の460名、それぞれの家族の想いとおなじことだと考えていただきたいと思います。

私の姉は、山本美保は21年前の、昭和59年6月4日に、当時二十歳でしたが、『図書館に勉強に行ってくるね』と言って母に言い残し、ミニバイクで図書館に向かった日、帰ってきませんでした。

当時受験勉強をしていまして、進学するための大学を目指して頑張っていたときです。何の失踪理由もございません。私が先に、大学に進学していて、そう言う差があったと言うこともありまして、ちょっと姉には応援しきれなかったという部分は、未だに抱えております。

実は、私の2つ上の兄が事故でなくなりまして、当時、姉も東京女子大に受かっていたんです。ところが兄の死をきっかけに、美保ちゃん、−−美保ちゃんと呼んでいます−−美保ちゃんがひとりで東京に行くことを賛成することができなかったんです。
『どうか家族の側にいて!』とお願いをしました。その想いを聞き届け、姉は地元に残りました。

でもやはり、青春真っ直中の中、自分の進学への想いが断ち切れず、もう一度挑戦したいという思いで二十歳からまた勉強し直していた時期なのです。あの時応援していれば、と言う想いが、いまだに私は続いております。姉が失踪して以来、18年間何もできなかったという自分を、いまだに責めながら生きて参りましたが、でもその想いを、こうやってみなさんが応援してくださる力をお借りして、姉の救出をずーっと訴えていきたいと思っています。

地元で本当に大きな力を得まして、先ほど申し上げた20万人という本当に尊い署名を持って、政府に二度も、訴えに参りまして、これはすごいことだと、また・・・思っているんですが。

こうした力を、もしかしたら、政府−−今、拉致被害者認定者は16名、その他に460名ももしかしたら拉致被害者であるという疑いを持って相談されている方、これがもし全員拉致被害者であったらとんでもないことだと言う風に思った−−政府関係者がいるんではないか?

 これをどこで線引きしようと言う風に思った方がいるんだと思うんです。

特に特定失踪者の中で、力強い支援を受けていた私たちの団体を邪魔だと思った方がいるのではないでしょうか?ちょうど二年前、平成16年、3月4日にその当時から21年前に山形で発見されたご遺体が『それが山本美保さんですよ』というふうに急に言われました。『DNA鑑定が一致しました』と言うことでした。たぶんご存じの方、多いと思います。いきなりテロップで全国放送されましたので・・・

私も、本当になんのことか、訳のわからない状態でした。もしDNA鑑定をされるのであれば、家族に詳しい内容が伝えられるべきなんです。『美保さんのところは特定失踪者ですね。これだけ力強く・・・あらゆる捜査をします。もしかしたら不幸にも、国内で違った形で見つかるかもしれません。そういう一つ一つを潰していく意味でも、貴方(美砂さんの)の血液を提供してください』と言う風に言われました。

私は、あらゆる捜査をしていただけるならということで、血液を提供しました。誰も、山形のご遺体がそうかもしれませんので、最後の確認のためにDNA鑑定をすると言うことは伝えてはくれませんでした。
本当は伝えるべきということは後から聞きました。何の情報も与えられないまま、いきなりDNA鑑定をされまして、『一致した』ということだけを、いきなり携帯電話にかかってきたんです。

頭の中が真っ白になりまして、訳がわからなかったです。『それは、そのご遺体が姉と言うことですか?』とやっとの思いで聞き返した私に、『その可能性は高いです。でも詳しいことはまだわかりませんので名古屋大学にかけてあるDNA鑑定の結果を明日持ち帰りますので、是非お母さんにお伝えしたいのでお会いしたい。』と言うお話しでした。

でも私の母は、精神的にかなり参っていました。三年前父を亡くしているんですが、ちょうど、美保の問題が明らかになり、拉致かもしれないと言うことで、当時山梨県警にずっと務めていた父でしたが、姉の問題を抱えながら一生懸命仕事をしていたんですね。

警察の大変な仕事のことを、何よりも知っている父なんですね。現場の人間です。・・の人間ではありません。その現場の人間が、姉の問題を抱えながら姉が失踪した理由をひたすら・・言うことができませんでした。
本当は警察に伝えて、捜索を願いたいと思ったと思います。でも、自分の娘のことで、これだけ大変な思いをしている警察現場に迷惑をかけたくないと言うことで、口を噤んでいたんです。

いわば警察の身内の人間でした。
その警察に裏切られたという思いを未だに持っております。

父は美保の問題が勃発しまして、本当に20万人という署名を、一緒に足を運んで政府に出した人間です。
ところが、やはり・・・たたりまして脳腫瘍ということで、三年前に他界しました。その父を亡くし母はがっくりしていたんです。

本人もいろんな情報がはいったり、北朝鮮から情報が入ったり、また違う情報が入ったりして、一喜一憂している母は、かなり精神的に参っていました。その母に不確かな情報を伝えることはできないと思ったのです。ですから。『待ってください。確かなことがわかるまで、私が情報を聞きますから、母に伝えるのは待ってください』と言ったんですが、もうすでに、マスコミ関係はそのことを聞いていまして、全国のテロップニュースで流しました。

母は詳しい内容を、警察関係者とか専門のDNA鑑定士から聞いたのではありません。いきなりテレビの画面から自分の娘が遺体で発見されたと言うことを聞いたんです。

こんな辛いことがあるでしょうか?(会場から『そうだ!』)

私は母にこの運動に参加してほしいということは、気持ちでは思いますが、

『もうこれ以上、母を苦しめないでください』

ということを、まず言いたいんです。だから私が先頭に立つしかない。

これは、こういう思いをしている人は、私だけではないのです。460名、特定失踪者、いろんな形で苦しんでいるんです。家族を何十年も待ち続けています。失踪した理由も、探すこともできず、ひたすら待つだけの生活で、苦しんでいる。そう言う方、たくさんいるんです。ましてや運動しているのに、まだ拉致だとも、はっきりわからないのに、いきなり『死亡しています。貴方のところは拉致被害者ではありません』というようなことで、いきなり突きつけられた場合、もう母は、二重三重の苦しみを負っているわけです。

何故このようなことが起こったのか?

もし、これが本当であれば、私は真実を受け容れるつもりではいました。
どんな過酷なことであっても、真実であるならば、受け容れて姉の供養をしなければというふうに思いました。ところが、DNAが一致したのであれば、もっと他のことも一致するはずなんです。でも一致するものは何一つありませんでした。

さきほども杉野さんからお話がありましたが、DNAといえば、もうこれ以上のものはないと言われています。ところが体のサイズが全く違っているんです。当時ぽっちゃりしていた姉は、かなり体重も身長も・・しているんですが、そのご遺体の体重と身長と座高もあわないんです。遺留品も、見たこともないものでした。とても変わったジーパンをはいているご遺体で、前と後ろに皮が施されているもので、<ノスタルジックスレンド>というロゴまであったんです。『こんな特徴のあるジーパンなら、調べられますよね』というふうに警察の方に申し上げましたが、一切調べてはくれません。

支援団体の友人が、必死になって探して、やっと関西方面のごく一部で販売されていたのではないかと言うことだけがわかりました。
私は山梨県の生まれです。関東の人間です。姉の行動範囲はせいぜい山梨、長野、東京ぐらいです。関西に行くと言うことはほとんどありませんでした。
全く見たことのないジーパンです。『これはおかしいです』と言っても、『DNAが一致して遺留品が違うと言うことは、本人ではないと言うことになるんですか?』と、全くあっさりした答えが返ってきました。それほどDNAというものは威力を持ったものなんだと言うことを改めて感じたんですが。

でも、下着のサイズも体のサイズも、全く違っています。

もし姉だとするならば、柏崎の海岸から、海に入ったとして発見までに13日間です。そのご遺体の写真を私も勇気を出して見せてもらいました。男も女も、人間とすらわからないような、白骨化したとても痛ましいご遺体でした。手足が有りませんでした。スクリューで着られたという風に言われていますけれども、かなり事件性の高いご遺体です。

それを自殺の可能性が高いという一方的な憶測で、テロップニュースは流しました。
『一つ一つ丁寧に証拠を積み上げていくのでなかなか拉致認定はできません』というすごく慎重な警察が、何故、姉の場合だけはあっさりと『自殺の可能性が高いですね』と何の証拠もないのに、言うんでしょうか?

すごく政治的な力を感じました。

山梨県警だった父が(勤めていた父が)その当時からすると18年前になりますが、姉の存在を全く探さなかったわけではありません。警察には全国の身元不明のご遺体の情報や、失踪者の氏名、状況が全部手に入るんです。

父は密かに調べていました。
その山形のご遺体が姉の失踪の21日後、発見されたんであれば、とっくに情報は手に入れているんです。
当時筆まめな母が、日記に残しているものがありました。一ヶ月後に父が情報を得た中に、−−『大丈夫だ、。失踪者とか全国のご遺体の中には、美保の情報はない。安心しろ』と父から(お父さんと呼んでいますが)電話がありホットする−という日記が残っているんです

何故今頃になって、そんな乱暴なことをするのか無念と疑心暗鬼の気持ちと、でも負けないという思いで今戦っております。

特定失踪者調査会の荒木代表、先生が、しおかぜで家族のメッセージ、名前を読み上げてくださっています。とても暖かい言葉で、家族が言い表せないことも、全て力強く訴えてくれています。

その声は絶対、姉を含め北朝鮮で自由を拘束されている拉致被害者が、全員が聞いていると信じています。

私たちは待っています。北朝鮮ばかりか、国内でも圧力はかかっておりますけれど、家族に会えるまで信じて待っています。

こういう想いを、今アメリカでも、支援してくださるという方が立ち上がってくださいました。

横田さんご夫妻、昨日は長野、今日は神奈川と本当に休む暇もなく全国を走り回っていられますけれど、また来週も、アメリカにいかれるんですね。本当に、下院で証言をなさいますけれど。

めぐみさんのことだけではないんです。めぐみさんの事と共に、私たち特定失踪者、北朝鮮にいるならば、拉致被害者なんですね。何の変わりもないんです。
姉はめぐみさんと同世代です。
たぶん向こうで、顔を合わせていると思っているんです。
成田(羽田と言いたかったと思います)のタラップから、めぐみさんと美保ちゃん、また他の被害者の方々が手を取り合って、おりてくるのを信じて待っています。

私は今週、またアメリカの方に旅立ちます。
立場上下院での証言ではありませんけれども、民間団体のワシントン拉致連絡会というグループが、ワシントンにあるホワイトハウスの前で集会を行ってくださいます民間団体がありまして、そちらの方に招待されて行って参るつもりです。

どれだけ私たち拉致家族がどれだけできるかわかりませんが、支援してくださる方が有れば、声を大にして訴えてきたいと思います。

これは姉だけの問題ではありません。拉致被害者全員を救出するために、家族は諦めずに戦い続けます。その想いを伝えるために行ってまいります。

どうかみなさんも、この問題が無事に解決するまで声を出してください。
諦めずに家族と共に戦ってくださいますよう、宜しくお願いします。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

06.4.16 特定失踪者ご家族の紹介 神奈川県民集会(5)横浜市開港記念会館にて

『特定失踪者ご家族の紹介 紹介者:杉野正治氏』

★杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事

今ご家族の話を致しましたけれども、今日は何人かの特定失踪者のご家族が見えておられますので、ちょっと壇上の方に上がっていただければと思います。
今日は山梨県からも、この後お話になって頂きますけども、山本美保さんの妹さんの森本美沙さんがいらしてますので、それを含めて皆さん、ちょっとだけ自己紹介をしていただきます。

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

昭和51年7月30日に伊豆七島の神津島から失踪しました、高野清文の妹で高野美幸と申します。
私横浜磯子区に在住しておりますので、今回の集会もお手伝いさせて頂く事になりました。
皆様のお手元のチラシのほうに、神津島で消えた兄というチラシが入っているかと思います。
私の兄のこと、特定失踪者の事をお訴えした資料となっておりますので、御覧いただければと思います。
また私の家族だけではなく、ご家族で今署名の方を持って来ております。
皆さんの右手奥の方で署名台を作っておりますので、帰りがけなどにお時間ございましたらご協力をお願いいたします。(拍手)

氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 男 当時年齢 19
身長 172センチ 体重
公開 第2次公開
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


★佐藤暢一郎さん(特定失踪者・佐藤剛生さんの父)

私は平成9年7月29日に失踪しました佐藤剛生の父の佐藤暢一郎でございます。
私は今世田谷に在住しております。
7月29日以降、現在まで一切何の手がかりも掴めておりません。
失踪した以降ですね、夜8時からの1時間のテレビ番組、6時からの準報道番組、30分ほどの番組ですけども、それにも出演させて頂いて、日本国内に何とか手がかりが無いか、その番組を見た方から御覧になった方から何らかの連絡が無いかと言うような事もやって参りました。
しかし、現在まで何の手がかりもありません。
今日、この会場に参りまして、大勢の方が失踪者に対して関心をお持ちになってあるいは応援をしていただいて、非常に心強く思っております。
これからよろしくお願いします。(拍手)

氏名 佐藤 剛生
失踪年月日 平成9(1997)年7月29日
ふりがな さとう たけお
生年月日 昭和46(1971)年11月30日
性別 男 当時年齢 25
身長 170センチ 体重 70キロ
公開 第3次公開
当時身分 会社員
特徴 体形普通。眼鏡使用。高校時代水泳。高校時代から長距離走に興味を持ち、ミニトライアスロンに出場したこともあり。
失踪現場 千葉県船橋市JR駅近く
失踪状況 7月28日22時頃、先輩と帰社。翌29日11時20分頃、出社しないため、会社から寮に寮に電話。寮の管理人が部屋を見にいったところ、本人は電話中、かなりの長電話だった。その後本人の姿を見かけた者はいない。8月1日と4日は会社の先輩グループと登山の計画があり、有給休暇申請済み。写真が寮に残っていない。その他持ち出したものは特定できない。パスポートも後日発見。仕事上の問題なし。国外には出ていない、サラ金の借入なし、その他手がかり、痕跡なし

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


★笹垣さん(特定失踪者・笹垣範夫さんの父)

92年の9月の12日に、失踪しました笹垣範夫の父親の笹垣でございます。
13年ちょっとになりますが、まだ何の手がかりも掴めておりません。
何か情報でもありましたら、と思っておるんですが、北朝鮮で淡い期待を抱いております。
今後とも何かありましたらよろしくお願いします。(拍手)

氏名 笹垣 範男
失踪年月日 平成4(1992)年9月12日
ふりがな ささがき のりお
生年月日 昭和49(1974)年3月4日
性別 男 当時年齢 18
身長 168センチ 体重 58キロ
公開 第3次公開
当時身分 予備校生(美大志望)
特徴 剣道をしていた(2段)ので利き腕側の胸が厚い。歯並びがよい。
失踪現場 神奈川県三浦市
失踪状況 当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。姉が昼に出かけるときはまだいた。予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。いつもは夕方5〜6時に帰宅するのが、10〜10時半に帰宅する日もあった。前日、前々日は終電で帰ってきた。誰と会っていたか聞いても答えなかった。預金通帳は残っている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


★杉野正治氏

ありがとうございました。
このあと森本美沙さんの方にお話を頂きますので、その中でご主張をお願いしたいと思います。
いずれにしましてもこの拉致問題、あの北朝鮮と言うたった一人が物事を決める、あるいはたった一握りの人間が物事を決める。
その時にこの民主主義と言うシステムをとっている我が国が屈する事は、民主主義国家の一員として許される事ではありません。(拍手)

民主主義国家と言うのはたくさんの人が、日本国民全員の力の結集なんです。
その意味で皆さん一人一人がこの問題に関心を抱き、そして我々国民の同胞を取り戻す。
そして無辜の人たち、日本だけではなく韓国そしてもっと他の国々からも拉致をされている事が判明しております。
この民主主義国家の力と言う物を我々は発揮してこの問題を解決していただき、皆さんのご協力をこれからもよろしくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※尚、当日会場には特定失踪者・寺島佐津子さんのご家族もお見えになっていたそうです。
壇上にはお上がりになりませんでしたが、ここで寺島さんの情報も合わせてご紹介をさせて頂きますのでご一読ください。

氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 女 当時年齢 19
身長 体重
公開 第12次公開
当時身分 銀行員
特徴
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html

2006年04月24日

06.4.16 杉野正治氏 神奈川県民集会(4)横浜市開港記念会館にて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演』

ご紹介を頂きました、特定失踪者問題調査会の杉野でございます。
今日は本当にたくさんの方にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

今日皆様こちらの会場にお入りになったときにお聴きになった方が多いと思いますが、会場で冒頭に流されておりましたナレーションと言いますか、これは「しおかぜ」という私ども特定失踪者問題調査会でラジオの短波放送、これ北朝鮮向けに発信しようと言う事で作った番組でございまして。
毎日1時間半づつ、特定失踪者に寄せられた方のお名前、それからご家族の方からの直接のメッセージと言うのを是非北朝鮮に届けたいという事で、昨年の10月30日から始めた番組であります。
今まで私どもは、私たち日本は北朝鮮からの情報と言う物を一方的に受け入れるだけ。
朝鮮中央なんとかテレビですとか、脱北者の情報ですとか、そういった物を受け取るだけでした。

我々特定失踪者のご家族にお会いしますと、皆さん仰います。
私達が待っていると言う事を自分達の家族に、もし北朝鮮にいるのであれば伝えたい。
決して諦めているんじゃない、探しているんだ。
言う事をぜひ伝えたい。
是非そういう思いをですね、北朝鮮に我々も伝えるお手伝いが出来ればと言う事で、この放送を始めておりまして。
お陰さまでいろいろな世界中からですね。
この番組を聴いているという情報が寄せられております。
残念ながら北朝鮮内部からの情報は無いんですれけども、ある人によりますと北朝鮮内部でもよく聴こえているという事は伺っております。

我々はこの情報をこちらから発信するだけでなく、是非向こうからも北朝鮮内部からの情報も我々の元に持って来たいと言う事で、このラジオ放送を通じてですね。
もっともっとこれを活用して、そして出来ればですね。
今年中に我々も拉致問題を解決したいと言う事で、日夜努力を致している所でございます。

さて、私ども特定失踪者問題調査会というのは出来てから3年になります。
あの小泉訪朝の後、9・17の後に先ほど木村先生からもご紹介のありましたように、私どもの元には自分の家族も拉致をされているんじゃないだろうか?
非常な心配をされた方が、たくさん相談を寄せられまして、現在460名の方が私どもの元に相談を頂いております。
現在260名くらいの方が、氏名をお名前を公表いたしまして、今日もご家族こちらの方に上っていただきますけども、そういったたくさんの方が自分の子供も拉致をされているんじゃないだろうか?
言う所で、私どもも調査を続けている所でございます。

そしてそのうちの34名の方、いろんな情報からはこの方々は拉致の可能性が高いであろう。
いうふうに判断を致しまして、私どもは警察に告訴・告発を行う、などの事をやっております。
先ほど木村先生からもお話がありましたように、その中の一人古川了子さんについては是非拉致の政府認定をして頂きたい。
言う事で東京地裁の方に行政訴訟を起こしているわけですけども、被告である政府側の方は「これは裁判に馴染まない」と。
「我々は認定はしていないが一生懸命やっているから裁判をしても無駄です、却下してください」という事で現在の所、意見は平行線を辿っていると言う状況でございます。

しかしながらその中で、政府の方が訴えられたからアリバイを作ったわけではないでしょうけども、昨年12月の日朝協議におきましては、この拉致の可能性が高いと言われる34名を含めた方、これを北朝鮮に提議をしたと言う事でございます。
何もやらないよりはマシなんですけども、ここの34名を提出して北朝鮮に「調べてください」と北朝鮮に対して「このような方はいませんか?」と顔色を伺うように北朝鮮に対して我が日本政府はお願いをしているという状況でございます。

この政府認定と言う事、我々はこれを非常に高いハードルと感じてならないという事でございます。
政府認定をするには今の法律の下では、拉致被害者支援法と言うのがございますけども、この拉致認定をするまで警察は一生懸命調べて証拠を積み重ねて、そして首相官邸にこの方を認定してくださいと。
それを官邸が、ハイ認定しましょうと、それで初めて拉致認定という事になるわけです。
そして認定されて始めて外交交渉で、「この人を返せ」というふうに言っている。
そういう流れとなります。

しかし考えて頂ければ分かるかと思いますけども、こんな事をしていますといったいひとつ認定するのに何年かかるか分からないのです。
この支援法と言う法律が出来て以来拉致認定されたと言うのは、昨年神戸のラーメン屋の店員をしていた田中実さんと言う方、ただ一人でございます。
そういう意味で言いますと、警察が一生懸命捜査をして証拠に証拠を積み上げて拉致認定できるまで何年も何年もかかっちゃうわけです。

考えてみて頂きたいんですけども、拉致被害者と言うのは人質に捕らえられているのです。
北朝鮮に誘拐されて犯人の手元にあるんです。
現在切羽詰って、我々はこの人たちを救出しなければならないんです。
それを警察の捜査から一からやると言うのは、これはもう我々はこの人たちを救出すると言う気はないんじゃないか?と政府は考えているとしか思えない。

拉致と言うのは確かに犯罪でありますけども、個別の犯罪、誘拐事件・殺人事件国内で行われているああいう個別の事件ではないんです。
北朝鮮と言う国家の、日本と言う国家に対して日本国民を拉致するという国家的な犯罪なんです。
だとすれば警察任せにするんではなくて国が国の責任として日本人を救出すると言うことにしなければいけません。
良く真相究明は大事だと言われますけども、真相究明をしてその上で救出をするということでは何年もかかってしまいます。
まず救出をして、それから真相究明と言う事をやっていかなければいけない。

そうしないとどういうことが起こりますかと言いますと、例えば北朝鮮の中に拉致された日本人がいる。
それが分かっているときに、その人が、
「私は日本に帰りたくありません。この北朝鮮と言う国は良い国です」
と言ってしまうと、これ警察の発想からすると、これ事件で無くなってしまうんですね。
そういう事じゃないんです。
この人が帰りたいと言おうが言うまいが、日本の国の責任としてこの人を日本に連れ帰り、そして自由な意思を取り戻してからこの人の意見を聞く。
それから拉致の真相究明、こういう発想をしていかないとこの拉致問題と言うのは何年経っても解決はしていかない。
そういうふうに考える次第です。

先ほど全国で特定失踪者460名と言うふうに申し上げましたけども、私どもの所に来ている以外に警察の方、約900名の方が拉致をされているんじゃないか?
そういう相談が来ているそうです。
と言う事は拉致された日本人は相当数に上る。
我々調査会が把握している以外にも多くの方が拉致をされている。
あるいは中には身寄りの無い方がいらっしゃる。
そういう人を狙ったと言う事だってありえるわけですから、いったい拉致の規模と言うのはどのくらいだったのか?
いう事を・・・(聞き取れず)なく調べなければならない。

そして救出するという事を考えなければいけません。
そういう意味では北朝鮮の中でどんな人がどんな所にいるのか?
そして救出する時はどうするのか?
例えば日本人を日本に運ぶ時には自衛官を出すのかどうか?
自衛隊の船を出すのかどうか?
そういったところも、もう今から想定をしていかなければなりません。
 
あるいは拉致被害者が日本に帰ってきたとき、どうするのか?
相当な規模で、例えば北朝鮮が崩壊して日本に帰ってくる。
北朝鮮が崩壊して日本人被害者が帰ってくる。
日本はどのように対応するのか?
国だけでは対応できません。
おそらく各自治体などもその準備をこれから進めておかなければなりません。
そういった法律ですとか、準備とかが今全く日本の中でなされていない。
つまり救出すると言う発想が日本の中に無いのではないか?
いうふうに思うわけでございます。

この神奈川県内におきましても十数名の方が特定失踪者としておられます。
この方々、460名全部もそうですけども、全部が全部拉致をされているという確証はありません。
しかしながら拉致をされているかも知れない。
ご家族が心配をして私どもに相談をされているわけです。
私たちはこの人たち、拉致の認定をされていようがいまいが、拉致被害者だと言うふうに・・・(聞き取れず)
北朝鮮が拉致をしなければこの人たち心配して、私どもの所に電話をかけてきたりする事は無かったわけです。

しかし皆さん、自分のところは拉致じゃないかもしれないと、しかし北朝鮮の拉致はもし違っていたとしても北朝鮮の拉致は許せない。
なぜ日本の政府は毅然とした態度を取らないのか?
なぜ経済制裁をしないのか?
一刻も早く横田めぐみさんに帰ってきて欲しい。
そして他の人たち皆帰ってきて欲しい。
そう仰って、仲良くビラを配ったり署名活動をしたり。

今日もここに何人か来られておりますのでご紹介したいと思いますけども皆さん同じ思いです。
自分達の力であの北朝鮮と言う国家と闘おうとしているわけです。
大変素晴らしい事なんですけども、じゃあ日本の国家はこれでいいのであろうか?と。
冒頭申しましたように、大変な思いをして認定をして、その結果北朝鮮に名前を提議して誠意を見せろと、北朝鮮に誠意はあると思ってやってるのか?とつい疑問になってしまうわけですけども。
国としてこの人たちを守る。
取り返すと、いう立場を表明して、そして行動に移すと言うのが本来の姿だと思います。(拍手)
いうふうに思うわけでございます。

このご家族の皆さん、私は皆さんに会うときに必ず申し上げる言葉がございます。
460名もおりますので、特定失踪者のご家族にもいろんな方がおられます。
中には今日見えていただいた方の中にも署名活動をしたり、街頭で訴えたり、ビラをまいたり、活動されている方もおられれば、大変な高齢で立ち上がる事も出来ない。
調査会が出来ましておよそ3年になりますけども、ご家族の方ですいぶん何人かの方が亡くなっておられます。
大変時間が無い中でその様にいろんなご家族がおられるわけです。

私が申し上げるのは皆さんの仕事は、何にも出来ないと仰るかもしれませんけども、皆さんが待つと言う気持ち、待っているんだ、じゃあいつまで待つんだ?と言う話ではありません。
待つ、絶対に帰ってくると信じて待つ。
絶対に取り戻すんだという気持ちを強く持っていただきたい。
ご家族の仕事と言うのはそれが最初で最後です。
そういうふうに申し上げます。

そうでなければ、もし北朝鮮に連れさられていて、日本に帰ってきたとき、諦めていましたとか、探していませんでしたとか、そういう事だけにはならないで下さいと私は申し上げます。
しかし翻ってみますとこれはご家族だけ、ではありません。
私を含めてここにいらしている皆さん、日本国の政府もそうなんです。
必ず取り返すんだと、帰って来たときに何もしませんでしたと、探していませんでしたと、諦めていましたと、そういうことだけには絶対になって欲しくない。
その意味で、今日来られている皆さん方、是非これまで以上にですね。
我同じ日本人を取り戻すという気持ちを強く持ってもらって、ご協力を頂きたいとお願いする物でございます。

06.4.16 木村晋介氏その2 神奈川県民集会(3)横浜市開港記念会館にて

『木村晋介 法律家の会共同代表の講演 その2』

拉致被害者は今日本で認定されておりますのは11件16人という事になっております。
これは金正日は拉致の犯罪を認めて、その後日本で北朝鮮拉致被害者の支援法が作られ、それによってそれによって拉致被害者と認定された人々です。
しかし実際にはかなり多くの人々が拉致されていると言うふうに考えます。
先ほど名前が呼び上げられ拉致の経過が報告されておりましたけど、特定失踪者問題調査会と言う団体がありまして、この団体にやはり自分の身内も全く理由の分からないまま、失踪している。
北朝鮮による拉致ではないか?と言う事で申し込みが殺到しております。

現在460名がこうした可能性がある特定失踪者という事になっております。
そのうち34名については北朝鮮の中で目撃した人がいるなど、拉致被害者である可能性が高いとされている人であります。
私どもはそうした拉致被害者の中で、なぜある人々だけが認定され他の人々は認定されないのか?ということも問題にしております。
もっと拉致被害者の根は深い、幅は広い、いうふうに考えているわけでございます。
その全体像は北朝鮮の反人権的な国家政策が変わらない以上、全貌は分からないのであります。 
しかしその範囲も一つ一つの努力を詰めて、真相を明らかにしていく事を行なわなければなりません。

私たちは35人の中の一人、千葉に市原に住んでおられて73年の七夕の日に突然失踪された古川了子さんと言う方の拉致被害者認定を求める裁判を現在進めております。
東京地裁の民事二部と言うところで進めております。
この裁判では実のお姉さんから委任を受けておりますが、この裁判でようやく証人尋問が開かれる事になりました。
6月の28日、特定失踪者問題調査会の代表である荒木和博さんが証人に立ってくださる。
裁判所もこれを1時間証言を聞く、言う事になりました。

私たちは一つ一つの努力を積み重ねて、私たちに出来る事を一つずつやっていきたいと考えております。
もちろん何を持って拉致問題を解決するか?という事は難しい問題であります。
拉致された人々の全員を救出、これはもちろんの事でありますけども、この拉致を行った国家機関に対して適切な制裁・処罰が私はなされなければならないと言うふうに思います。

最近ベルギーのブリュッセルと言うところで行われました、アメリカの人権団体「フリーダム・ハウス」と言う所が主催した北朝鮮の難民問題・人権問題の解決を目指す国際集会が、金正日を国際法廷で裁こうではないか?と言う提案がなされているそうであります。
もちろん国際法廷で裁くために、日本がオランダにある国際刑事裁判所に提訴すれば一番良いわけですが、これには壁があります。
日本自体が国際刑事裁判所の条約をまだ批准していないと言うことがあるんです。
将来はこうした拉致犯罪を犯した所の処罰を含めた運動が進められなければなりませんが、そうした所にも私たちは被害者の救済を含めて出来る限りの努力をしていかなければならないと思っております。

少なくとも今のような拉致問題を解決する姿勢を全く示さない、あの国。
そしてその背後に先ほど述べた様な、大変凶悪な人道犯罪・人権犯罪を犯し続けている北に対して、私の個人的な考えでありますけど、やはり何らかの制裁はなされなければならないだろうと思っております。
その一つの選択肢として経済制裁も考えて然るべきだろう、いうふうに思います。

経済制裁によって人権問題が解決された例としては南アフリカのケースがあります。
南アフリカではアパルトヘイトと言われまして黒人たちが住むところも別々にされて差別をされている。
そういう隔離政策と言うものが行われております。
これはまさに敵対階層を北部の山岳地方に収容している北の政策と共通する物があります。
この南アフリカに対して国際社会は経済制裁に踏み切ります。
経済制裁を行う事はかえって南アフリカの貧しい人々にとって苦しめる事になるのではないか?
こういう議論がありましたけれども、そのときに南アフリカのアパルトヘイトと戦っている黒人指導者はこのように言いました。

「南アフリカに対する経済制裁はアフリカ人に苦しみを与えるかもしれない。
だがその方法が我々の願っている、我々の被っている血みどろの苦しみを短縮する物である。
この苦しみを短縮する物であるなら我々はその犠牲を喜んで払うだろう。」

こうした黒人指導者たちの断固たる戦いがあって、国際社会の経済制裁の効果を奏し、その結果94年にアパルトヘイトに終止符が打たれ、ネルソン・マンデラ大統領の新しい政策、黒人による大統領が生まれたわけです。

私は経済制裁による人権問題の解決と言う事は大いにある選択肢である、と言うふうに考えております。
そして全ての拉致被害者が救出される事に、その思想が廃止され、そしてこうした人権犯罪を犯した人・国家機関が徹底的に処罰される日まで、粘り強くこの問題と寄り添って行きたい、言うふうに思います。
是非、皆さん一緒に戦いましょう。(拍手)

2006年04月23日

06.4.16 木村晋介氏その1 神奈川県民集会(2)横浜市開港記念会館にて

『木村晋介 法律家の会共同代表の講演 その1』

大変大勢の方にお集まりいただいて、大変私たちも心強く思っております。
私ども法律家の会、3年前に発足しまして、拉致被害者の方々のために一つでも何か法律家として応援出来ることは無いか?ということでやっております。
この拉致の問題がもっとも人道上憎むべき人権犯罪であるということは、言うまでもない事でございます。
私たちは自分で自分の人生考え、誰とどのように生き、何を夢見て何をして生きていくのかと言う事を自分で決めていくという基本的な権利を持っております。
これを根こそぎ奪ってしまうのが拉致と言う犯罪であります。

しかしこの拉致と言う犯罪は、その拉致をした瞬間に終わる物ではなく、拉致された瞬間から開放されるまでその人権侵害は止めないんです。
そういう継続的な根こそぎ的な物であると言う事を、私たちは深く心に刻まねばならないと思います。
国際法の中でもこの拉致は強制失踪とされまして、大変重い人道上の罪でございます。
そして位置づけられております。
今日一日、今一刻、私達がここでこうして話をしている間も人権侵害は行われているんです。
今続いているんです。
そういう意味で拉致と言う人権犯罪は寸暇と言う物を許さない。
特別の人権犯罪だというふうに私どもは思っております。

先般大阪で、原敕晁さんと言う拉致被害者の方の関係で、3月の23日に朝鮮総連系の商工団体と(拉致の)関与が疑われている中華料理店の強制捜査と言うことがありました。
が、原敕晁さんが拉致されたのは26年前の事でございます。
26年前に起こった犯罪なのになぜ今頃?と言う声があるかもしれませんが、今でもそれが出来るという事はそれだけこの犯罪が現在尚行われ続けている犯罪だと言う事を国家が正式に認めたと言う事であります。
しかも強制捜査と言う事は、これは警視庁公安部がやっている訳でございますけども、警視庁の公安部の判断だけで出来るものではありません。
裁判所から捜索令状が出て初めて出来るわけです。
それは拉致と言う犯罪が今今日尚犯され続けている犯罪であると言う事について、司法の判断がなされた言う事をも意味しているわけでありまして、その解決と言うものが私どもは改めて肝に銘じなければいけないだろうと思っております。

北朝鮮の教育では政治の名称を北朝鮮民主主義人民共和国といっております。
民主主義を名乗る国家でありますので、当然ながら憲法と言う物を持っております。
この憲法の中ではどういうことが謳われているかと言いますと、一切の人民は性別・民族・信仰・技術・財産・知識の如何に拘らず、全ての部門において平等の権利を有すると言う事が定められています。
そして人々は言論・出版・結社・集会の自由も持つというふうに規定されています。
信仰の自由も認められております。

こうした憲法を持つ国でありますが、その実態が、この憲法に約束された物といかに異なるか?という事について、皆さんもご承知の通りの事でございます。
今の北朝鮮は人権以上の事態になっているといって過言ではありません。
北の労働党の政策によって厳しい身分差別が行われております。
党に友好的な勢力を確信勢力、政治的な人々を動揺階層、そして気に入らない人物を敵対的階層と言うふうに呼びまして、この敵対的階層という事になりますと事実上北部の貧しい山岳地帯に追放されるようになっております。

こういう敵対階層の中にどういう人々が入るのか?と言うことのリストが明らかにされております。
宗教の自由が認められておりますからどうなんだろうと見ておりますと、プロテスタントを信仰して儀式を行う者、これは敵対階層だとされております。
プロテスタントと言うのは慣行的な宗教だからそうなのかな?と思って横を見ておりますと、カトリックを信仰してその儀式を行う者も敵対階層だという事になっております。
そうか、キリスト教が西洋的なものだから駄目なのかな?と思ってその間を見ておりますと、仏教を信仰してその儀式を行う者、これは敵対階層だと書いてあります。
仏教も駄目なのか?
そうすると朝鮮は儒教の国だから許されるのは儒教だけなのか?と思いますと、儒教を信仰してその儀式を行う者をやはり敵対階層と言うふうに謳われているわけでございます。
結局これはその国の指導者を神として崇め、これを神格化し、これに当然従わない者全てを敵とする国家。
そういう国家であると言う事を意味いたします。
ここに何の平等があるでしょうか?

そしてひとつは徹底した監視体制の下にあります。
同時に北朝鮮の中に多くの強制収容所、そこに政治犯の強制収容所が作られている事が分かっております。
北朝鮮の人口は2000万人と言われておりますけども、その100人に一人に当たる20万人くらいの人がその強制収容所に入れられた経験を持つ。
収容されていると言われております。
こうした事実は北朝鮮から脱出してきた脱北者、あるいは亡命してきた元収容所の警備員の証言によって極めて詳細に語られております。

デビッド・ホークという、これは国連高等弁務官事務所にも勤めておったある著名な人権家でありますが、この方が25人の収容所体験者から詳細な証言を得まして、強制収容所での収容者に対する反人権的な取り扱いについて詳細なレポートを提出しております。
ここでは大変重い労働が課され、そして食べるに足りない食料しか渡されておりません。
このレポートの中に4人の元収容所経験者が、ヨドク(耀徳)と言う地域にある政治犯の強制収容所で体験した事が書かれております。

ここで収監者の処刑が行われておりますが、逃亡を企てたり食べ物を盗んで捕まった収容者の絞首刑や銃殺刑。
時にはそれよりも酷い形の公開処刑が行われた。
逃亡を企てた収監者の公開処刑では、その収監者は車の後ろに縛り付けられて、集められた収監者の前で死ぬまで引きずられる。
処刑後、他の収監者はその横を通り過ぎながら、血まみれの体に障るように要求される。
この惨状を見て叫んだ収監者は直ちに銃殺された。
このような証言が書かれております。

8人の女性の収監者からは、収容所の中での人口を増やさないために、妊娠した女性は強制堕胎させられている。
生まれた子供が次々殺されている実態が報告されております。
こうした人を人とも思わないような反人権的な国家の政策と拉致事件、私たちの直面している拉致事件とは本当に一体の物でございます。
その意味で北朝鮮の中に起きている反人権的なそれによる被害を受けている人々。
これも拉致被害者とともに北朝鮮政府による反人権的政策に苦しんでいる人々がありまして、この問題は決して北朝鮮国内の問題ではなく、拉致問題と一体になった私たち日本人の問題であり、日本国の問題であり、国際社会の問題であるというふうに考えなければならないと思います。

・・・その2に続く・・・

06.4.16 横田滋家族会代表 神奈川県民集会(1)横浜市開港記念会館にて

〜〜06.4.16 神奈川県民集会  横浜市開港記念会館にて〜〜

『横田滋 家族会代表の挨拶』



本日は日曜日で何かとお忙しい中、拉致問題の・・・(聞き取れず)を取り扱う集会に大勢の方がお越しいただきまして誠にありがとうございます。

先般政府の方からめぐみの夫である金英男さん、韓国から拉致された5人の高校生の内の一人だと言う事が判明いたしました。
この事は韓国でも大きく報道されたという事を我々は知りました。
救う会・家族会では従来から拉致問題と言うのは日朝間の問題でもありますけど、私たちは国際世論を高め、日本人以外の拉致の人についても救出すると言うのを運動の方針としておりまして、これは韓国の拉致被害者の方にもお話を伺ったり、こちらから訪問して集会に参加した事もございます。

本日も拉致被害者家族の崔祐英さんともうお一方お見えになっておりますが、やはりこの問題を解決する為には世界各国、ことに日韓の連携と言う事が非常に大切になってまいります。
これまで韓国の場合は日本の動きと(違い)、政治家それと政府の関心が若干低いと言う問題がございますが、これを機会に韓国の世論も盛り上がって、拉致被害者全員が一日も早く帰ってくる事を ております。

先般神奈川でめぐみの写真展を開催しましたが、この席でこれまでで一番の方が来て頂きまして、累計で9万人を突破いたしました。
先般の日朝の並行協議の中で、北朝鮮は新潟で開かれました写真展を取り上げて、元々新潟は拉致に対する関心が高い所なんですが、「たった2000人の人しか来なかった」と言う事を日本代表に伝えたそうです。
それに対して日本の梅田参事官は、「誰がそんないい加減な事を伝えたのか分からないけれど、私が行った時は満員で実際には2万5千人の人が来てくれた」と反論したそうですけど。
そういう地方で開かれる写真展までどのくらいの方が来ているか?と言う事を気にしているようです。
ですから本日の集会でも、もし皆様方のお越しがなければ、我々の(拉致問題に対する)関心が薄いんだと言う事が報道されてしまいますが、大勢の方お越し頂いたと言う事は非常にありがたく、拉致の解決の支えになると思います。

この問題は世論が政府を動かすか?と言うことであります。
そして世論を背景にして政府は交渉する事になりますので、皆様が関心を持ち続けてくださる事によって大勢の拉致被害者を助ける事につながります。(拍手)
安倍官房長官の話の中に拉致の解決は、「何を持って解決するのか?」と言う記者の質問に対して、「全ての被害者が帰ってくる事だ」と答えております。
これが従来の交渉ですと、政府の認定者だけが中心で特定失踪者についてはそれほど交渉が行われなかったんですけど、前回は日本側がリストを提出したら、北朝鮮側はもう少し追加の資料を出して欲しいと言ったそうですが。

こういった事で認定している人が少ないと言う事は、・・・・・(聞き取れず)と言えますけど、それは我々としましても・・・・・・(聞き取れず)。
それから分かっても国会でも認定までは時間がかかっていますし、それから現在は認定されていないという方でも事実上拉致されたのであれば全ての人を救出しなければこの問題は解決とはいえませんし、そしてその問題が解決しなければ国交正常化と言うのはありえないと政府は言っておりますので、それを是非貫き通していただきたいと思います。

なんと言ってもこの問題が解決するのには世論の力が最大の力となります。
是非引き続き拉致問題、広い意味での拉致問題ですが、是非関心を持って見守ってくださいますようお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)