2007年04月06日

07.3.10 被害者家族 日本再生フォーラム講演会(5)大宮JACKビルにて

日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『被害者家族の訴え』

★飯塚進さん(田口八重子さんの次兄)

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皆さん、こんにちは。
八重子が生まれ育ちました川口の「拉致問題を考える川口の会」について、お話をさせていただきます。
現在川口市には1名の拉致被害者と6名の特定失踪者がいます。
拉致問題を一刻も早く解決するために、平成16年4月に藤田進さんの弟の藤田隆司さんが中心になって拉致被害者家族・特定失踪者家族も趣旨に賛同するボランティアからなる「拉致問題を考える川口の会」を立ち上げました。

当初藤田隆司さんは署名活動、集会での訴え、テレビに出演等精力的に頑張っていましたが、体調を崩し現在は活動を休んでいます。
会の活動内容は、毎月第一日曜川口駅前での署名活動、チラシ配り、救う会埼玉との合同署名活動、集会への参加、家族の訴え等の活動をしております。

また川口市は岡村市長がとても協力的で、市民へ拉致問題への関心を高めるために福祉課が窓口となり、23万6千人の署名を政府へ提出いたしました。
HPへの掲載、市役所外壁に横断幕等の設置、駅前大型スクリーンに7人の顔写真の放映、市役所ロビーでの写真展など、積極的に拉致問題に取り組んでくださっています。
「拉致問題を考える川口の会」これからも頑張って活動を続けてまいりますので、どうぞ皆さんよろしくお願いします。(拍手)

井上克美さんからお話します。
失踪年月日は昭和46年12月29日でございます。
失踪状況は、当日会社の忘年会の後川口市内の飲食店で飲み、午前10時から1時ごろまで寿司屋で食事をして友人と別れた。
当時は泥酔状態、夜帰宅しなかったので翌日妻から実家に電話があり、両親も知った。
妻の話では、「正月は家に行く」と言っていたので実家に帰っているのだろうと思い電話をかけると、運転免許証の更新もなし連絡も一切なし、長男が生まれる直前だった。
失踪当時は21歳で現在55歳になっておられます。

次は鈴木賢さんです。
失踪年月日は昭和47年5月28日。
失踪状況、会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。
レクリエーションには行っていない。
職場、大学時代、友人も心当たりは無しと言うことです。
23歳で失踪、現在は58歳でございます。

次は藤田進さんです。
失踪年月日、昭和51年2月7日。
失踪状況、失踪当日「新宿のガードマンのバイトに行く」といって服を持って家を出たまま帰らず。
新宿にあるすべての警備会社に電話で問い合わせたが、該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田進さんである事が極めて高い事が判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状を提出。
19歳で失踪、現在50歳でございます。

新木章さんです
失踪年月日、昭和52年5月21日。
失踪状況、買い物に午後6時か7時には帰ると川口市の自宅に電話を入れたまま失踪。
家を出た時は財布しかもっていない。
免許証・クレジットカードも入っていたが更新がなされていない。
カードは使っていない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
29歳で失踪、現在59歳であります。

次、佐々木悦子さん。
失踪年月日、平成3年4月22日。
失踪状況、仕事へ行くといって埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。
当日は休みを取っていた。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状を提出。
27歳で失踪、現在43歳であります。

次、石井久宏さんですね。
失踪年月日、昭和49年5月1日か2日。
失踪状況、化粧品店を経営しており多額の借金を抱えてしまっていた。
父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話を進め、母親も店の経営を手伝っていた。
本人の努力次第で十分解決方法のある状態であったが、突然100万円以上の経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明となった。
当時遊びが派手になっており、マージャンやバーなどでの複数の朝鮮系と思われる人といる所をいとこが目撃している。
店の隣もパチンコ屋だった。
29歳で失踪、現在62歳であります。

以上の方々が、拉致被害者・特定失踪者の川口の方々でございます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

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いつもお世話になっております。
東京の調布、電気通信大学という大学2年生でいた時に、大学寮の寮生と一緒に伊豆七島の神津島に行っていなくなりました高野清文の妹で高野美幸と申します。

私の兄、いなくなってから30年が経過しました。
二十歳になる直前に行方不明になっていますので、丁度去年で50歳になりました。
いつも私チラシの方を入れているんですが、ちょっと今日部数を持って来なかったので、もし私がいつもお配りしている「神津島でいなくなった兄」というチラシをご覧になったことが無い方がいらっしゃいましたら、後ろで配布くらいは持ってきておりますので、見て行っていただければと思います。

丁度先ほど石高さんのお話の中で97年の5月のめぐみさんの事を報道されたという事がありました。
私は90年に東京の方へ上京したんですけども、たまに田舎に帰るときに私の母は、「うちのお兄ちゃんもめぐみちゃんと一緒なんじゃないか?」と言い出したのが、確かその頃だったのではないか?と今考えると思いますので、母がその番組を拝見させていただいたのでは無いかと思います。
その時にですね。
「ウルトラ・ダラー」の本でも出ていたら、うちのお兄ちゃんも今頃は拉致認定を貰っていたんじゃないかな?と思ったりもする次第です。
太平洋側に工作船が来るなんてことは、その当時は当然考えられないことだったと思います。

それから私の兄は東京電気通信大学と言うところに通学していました。
兄がいなくなった後に、久米(裕)さんが宇出津の事件で拉致をされたという事で、久米さんの話は私も・・・(聞き取れず)ですが、当時の話を先ほど聞いたときに、北朝鮮との対立を避けるために数名の犠牲を出してもいいと言う考え方が、この国のどこかにあったという事がとても悔しくてなりませんでした。

そして今日私は、調査会の広報委員のような形で来てしまっているんですけども、今度第8版で特定失踪者のポスターが新しくなりました。
後ろに一部100円で販売させていただいておりますので、改めて拝見していっていただければと思います。
また私の兄、東京都にいる時に伊豆七島神津島からいなくなりました。
今回石原知事が話を出していただきまして、東京へ帰れというコンセプトの下に、東京から失踪された特定失踪者のポスターの方を作っていただきました。

こちらの方を私、勝手にインターネットに乗っているものをA3サイズで印刷したんですが、本当のものはもっと大きいサイズで出ているという事です。
これももし今東京の方に仕事があるとか行きつけの飲み屋があるとか言う方で、貼り出してもいいよと言う方がいらっしゃったら是非お願いしたいと思いまして、30部ほど印刷をして参りましたので、必要な方はお声をかけていただければと思います。

また、調査会の方で短波放送「しおかぜ」に政府の方から支援があるのでは無いか?と言うお話があったんですが、先の6カ国協議の結果に対してですね。
抗議をするという形でその支援をお断りするような形を取ったという事でございます。
丁度CMの方が1億500万という事で、なぜこの500万半端?って思ったんですけど、「しおかぜ」の支援がこっちに来たんじゃないかな?と思ったんですけど、憶測をしてしまうんですけども。

そういったことで、あと他にも今調査会でもバルーンプロジェクトという事で、北朝鮮の国境近く韓国側の方から平壌に向けて風船に、メッセージであるとか拉致被害者の情報を提供してくれたら奨励金を出すよというようなメッセージを書いたものを送ると。
それもビニールコーティングされていて、文章の下に金親子の肖像画とかが印刷されているので破くことが出来ないようにしているといった手を使っているようなんですけども、そういったことにもお金はかかってくると思うんですが、そういったことで支援を断わった手前、中々手を広げられないのかな?という心配もしながら、今日も「しおかぜ」のグッズと調査会の方の署名用紙と、あとカンパの方もご協力いただければと思って持っておりますので、後ろの方で帰り際で構いませんので、ご協力の方していただければと思います。
どうかよろしくお願いします。(拍手)

・・・講演会終了・・・

2007年04月05日

07.3.10 飯塚耕一郎さん 日本再生フォーラム講演会(4)大宮JACKビルにて

日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)の訴え』

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皆さん、こんにちは。
田口八重子の長男であります、飯塚耕一郎です。
ちょっとお時間の方がだいぶ押しているので、駆け足でのお話になるかと思いますけども、ご了承いただきたいと思います。
日本再生フォーラムさんに関しては何度も呼んでいただいて感謝しておるんですけど、私の話をだいぶ聞き飽きている方もあるかと思いますけども、今日私の方からお話したい所は6カ国協議の作業部会も含めてですね。
関係者として家族の一員としてどう思っているか?という事について、お話させていただきたいと思います。

今回2月の下旬から6カ国協議の方がだいぶ慌しく、今週は作業部会の方がだいぶホットになっていましけど、大きな簡単に申し上げた私の印象としては、米中がだいぶ歩み寄りをして核放棄と言う形で6カ国協議ではだいぶお話が進んだという形になっています。
アメリカの方での圧力継承については問題ないと思うんですけども、圧力によって朝鮮の方が日本に対して、拉致問題を含めた日朝協議を進めるという形で今回作業部会に入ったと思っております。

先日、昨日もいろいろな紙面等でいろいろな報道があったと思うんですけど。
また先ほど親父の方から上がった話もあったと思うんですけども、ソン・イルホが、父が言った発言に関してですけども。
一番大きなところというのは、全体として拉致問題に関してはやるべき事はすべてやったと、これ以上議論する余地はありませんという事で、昨日も作業部会の午後の部分に関してはお話を進めずにそこで休会を伴っています。
また時間的な部分がどうだったのか、私もはっきり把握はしていないんですけども、今後臨時の作業部会に絡んでソン・イルホが言った一言と言うのは、「拉致問題は解決済みであり、死んだ人を生き返らせよと言っても無理だ」と言う姿勢で彼は発言をしているわけですよね。

先ほどの親父の方のソン・イルホの会見の方の骨子の中でもありましたけど、「日本としては誠実な対応を取って、日朝平壌宣言に基づいて日本は誠実な対応をすべきだ」といっている部分が一番大きな部分かな?と思うんですけども。
この状況を受けて思うのは、正直言ってとても歯がゆい。
停滞していた部分もありますので、問題が進まないという部分で歯がゆいという気持ちもあるんですけど、やはり怒りと言う部分を感じざるを得ない内容だったと思います。

死んだ人を生き返せと言われても無理だと言う話をしているんでしょうけども、じゃあ誠実な対応をお前らは取っているのか?と。
横田めぐみさんの遺骨の件に関してもそうですし、我々が突きつけられた2002年の死亡通知書に関してもそうですけども、その突きつけられた気持ちに対して、あの方がちゃんと誠実な対応を取ったのかどうか?と言う部分をここ5年の間に、皆さんも過去を振り返って考えて欲しいんですけども、それに関しては間違いなく100%NOだと思うんですよね。

これに関してNOだと思っている部分に関して、先ほど親父の方からも話がありましたけども、私としても日本政府としては今回ちゃんとお話しをしたわけではないんで、ハッキリした事は言えないんですけども、日本政府はどういう形で北朝鮮に対してアプローチしたのか?と言う部分は正直はっきり見えていませんから、本当に何とも言えない部分なんですけども。
ただ、今のままだと歯がゆいと、とても歯がゆいと思っています。

やはり小泉さんの時代と比べるとだいぶ日本として、拉致問題に対する姿勢としてだいぶ正しい姿。
経済制裁をしたり、朝鮮総連の適正化と言う部分もちろん入ると思うんですけども、そこも然りなんですけども。
だいぶ正しい姿になってるんですけども、あくまでもここはきっと多分スタートラインじゃないかと。
我々はこの問題を改めて考えて、日本人として人間としてどうあるべきかというさらに深める過程であって、ここから先に北朝鮮に対する外交姿勢はどうするのか?という部分でまだまだ幼稚なのかな?
幼稚と言う言葉は適正では無いかも知れませんけども、まだまだ向こうの方が上手なのかな?と、そういうところでちょっと考えています。

で、やはり私が歯がゆいといったのは、日本政府はこれまでと違ってちゃんとした形で対応を取って頂いております。
ただそれがやはり上手くすんなり通じない。
世界的な形として通じないという現況が、やはりどうしても悔しいし歯がゆいと思っています。

私もジャーナリストでも専門家でもないので、私がこれから言う事は単なる一個人の飛躍した議論に過ぎないのかもしれませんけども、やはり今の状況から考えてやはり日本政府としてお願いしたいというところは、6カ国協議で決定が下されたエネルギー支援については、日本は今エネルギー支援を一切しませんというお話をしていると思います。
ただこの中でちょっと言ってるのは、安倍首相から違う形でも支援ができるんじゃないかと言う発言の要旨があったかと思うんですけど、それすらもすべきでは無いと私は思っています。
何の誠実さをもって北朝鮮に対してそういう手助けをする形を取らざるを得ないのか?と言うところを推考して欲しいと思います。

確かに一部報道でこの形であれば日本は孤立してしまうんでは無いか?と言う話が、報道の中であるかと思うんですが、私個人として正しい事をやっていて孤立化することに何が問題あるんだろう?ととても感じるんですよね?
日本として我々もそうですけど、政府としてもそうですし、世界に対して北朝鮮が拉致と言う問題で人権を蹂躙しているんだと、これだけ酷い事をしているんだと言っているにも拘らず、その6カ国協議と言う枠組みの中で他の国と合議をどこかしら取らざるを得ないから、輸送支援で何かしら違った形で何かしら支援しましょうと言っている日本のその姿勢が一貫性が欠けてしまうところをちょっと懸念しています。
ですので、エネルギー支援はもとより一切の援助はしないで欲しいという事をお願いしたいと思っています。

ちょっと補足なんですけども、一方これに対して北朝鮮が昨日韓国政府に対して、肥料に対するエネルギー支援を正式に要求しています。
これと言うのはやはり経済制裁を北に課す。
やはり世界人権委員会を含めて世界的な包括されている状況の中で、北朝鮮がどれだけ苦しかったか?という事の現われだと思います。
先ほどの部会で米中が歩み寄りになった。
日本との部会も向こうの思惑通りになった。
じゃあ、ここで正式に打診ができるねと言う形で向こうが動いた結果だと私は感じております。

それとですね、ちょっとパソコンが落ちてしまって自分がまとめた部分がはっきりお伝えする事が出来ないんですけど。
それから後ですね。
やはりちょっと一番大きくて、日本政府に対する対応としてもうちょっと細かい部分があったんですけども、お時間が無いというところでご勘弁していただいて。

やはり私からお願いしたいというところに関して、まず一番最初に一点。
先ほども申し上げましたけども、日本政府が孤立化するとか、6カ国協議の日本に対する姿勢の中でいろいろ議論はあるかと思うんですけども、報道に対して正しい目で見て欲しいというのが第一に一番最初にあります。
やはりテレビとかって言うのは、基本的に受動的に人間がなりやすいものなので、報道されたものをそのまま素直に自分の思考として考えるのがどうしても人間の癖であるとは思うんですけども、そうでは無いと思います。
やはり孤立化と言うのは全然悪くないことですし、日本として正しい姿勢を取る事は当然とても素晴らしいことだと思っています。
そういう誤報じゃないですけども、自分なりの考えを持って報道に対して接してこういう場に来ている。
この場に参加いただけるというその姿勢と言うのはちゃんと持っていただきたいという、気持ちなり姿勢をちゃんと持っていただきたいというのが最初の1点と。

2点目に関してなんですけども、やはり今回の作業部会・6カ国協議の経過として家族会の各メンバーとしてだいぶやきもきした気持ちとか悔しいとか、私が言った歯がゆいという気持ちも持っているんですけども。
このタイミングで帰国された5人の方々が気持ちの部分だけでもいいので、何か発信をして欲しいと僕はとっても思っているんですよね。
やはりあの方々が2004年に帰国された時、あの方々がどれだけ自分が泣き崩れたのか?とても嬉しかったのか?と言う気持ちを考えた時に、その時に出会った気持ちと我々が今苦しんでいる気持ちと言うのは、色としてとても似ているものだと思うんですよね。

あの方々が日本国内の世論に何かを発信していただけるとなると私たちとしても心強いですし、日本の世論喚起と言う観点ではますます盛り上がるんじゃないか?と。
やはり先週ですかね。
安倍さんとお会いしたという報道もありましたけど、そういう受動的な動きじゃなくて5人の方々が、それなりに日本政府としてこうして頂きたいとか、こうした方が救助になりますとかという、別に何でもいいんです。
取り合えずなんでもいいんです。
要は公の場でつまりお話をしていただきたいなと思うのは、あります。

最後にお願いの3点目なんですけど、3点目に関しましては、ここの場でお話させていただく時に毎回言うんですけども、この問題に関して家族の方々や周りの方々に対して、特に私みたいな年代の方ですよね。
年代の方に対して少しでも良いのでお話をして欲しい。
世論と言う形で拡充をお願いしたいと思っているんです。
そこの部分をお願いするというのと、後ひとつ日本政府に対しても、皆さんの気持ちを言う部分で発信をして欲しい。
首相官邸のHPからでも結構ですし手紙でも結構ですので、そこで皆さんの気持ちとして、今回の作業部会がどうだったとか、こうした方がいいとかいう気持ちを発信して欲しいと思います。

この発信した内容が当然安倍さんなり首相官邸が考えることになりますし、それが世論として日本の政治を含んだ社会の中で世論と言うものがどういう形で動いていくものになるか?と思っております。
すみません、ちょっと短くて申し訳ないんですけど私からお伝えしたい事は以上です。
どうもありがとうございました。(拍手)

2007年04月04日

07.3.10 飯塚繁雄さん 日本再生フォーラム講演会(3)大宮JACKビルにて

日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え』

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皆さん、こんにちは。
相変わらずこの問題について熱心なご支援を頂きまして本当にありがとうございます。
時間がありませんので私の方からは簡単にお話申し上げますけども、今石高先生の方からお話がありましたように、この拉致被害者家族会を立ち上げて、3月25日で丸10年になるわけですね。
この間紆余曲折、いろいろ情報の錯誤その他ありましたけども、全体としては全く進展が無いというふうに私は考えております。

一部5人とその家族の方が帰還されましたけども、これについては当初小泉首相が行ってくれたから帰って来られたんだという評価が一般的ですけども、我々としてはあの対応については非常に懸念を持っていまだにおります。
いわゆる北朝鮮の思惑に乗せられて、あれで幕を引くためにああいう形になったというようなことなんですけども。
それ以外は全く我々の拉致被害者に関する的確な情報と言うのは全く得られず、北朝鮮は相変わらずこの拉致問題は解決済みだというふうに言っております。
その中で今回の6者の協議につきましてはこれも全く結果が出ず、尻切れトンボになった形になっております。

一応政府としてはですね。
お互いの主張・お互いの立場を確認が出来たと、そういった判断をしております。
さらには立場が非常に大きく離れている事が確認されたと、そういった事を見て一定の意味があったというふうに言っておりますけども、それはなんなんだ?と私たちは考えるわけです。
この6者協議につきましても当初6者協議の枠組みの中でも、日本の拉致問題を考えるという条件付でこの作業部会が出来たわけですから、そういう意味では拉致問題と言うのは必ず作業部会のメインテーマになるはずだというふうに我々思っておりました。

しかしながら北朝鮮と言うのは、先ほどから出ているように全く勝手な自分の都合の良い事しか情報を出さず、そういた立場なり意見を言うだけで、いわゆる取り付く島が無いという今状況ですけども。
ソン・イルホ、これが会談の後に言ったことですね。
若干・・・(聞き取れず)いましたけど、やはり相変わらず「拉致問題は解決済みで日本の立場は決して受け入れる事は出来ない」と、これがある以上協議になりませんよね?

さらには日本がこの問題について要求している拉致問題の再調査についてはですね。
「過去の清算を開始しなさい」と、それから「経済制裁を撤回しなさい」と、「朝鮮総連に対する弾圧を中止しなさい」と、こういった事を睨みながら要するに「過程を見ながら考慮しますよ」とこういう話なんですね。
いまだに言っているように拉致問題は解決済みだと、もし残っている問題があるとすれば横田めぐみさんの遺骨の返還と保存状態の確認。
それから鑑定した時の真相究明と鑑定をでっち上げた本人の処分という事をしなさいとかね。

こういった事を考えて協議を中断したのは、日本の今回の協議態度は平壌宣言の精神、6者協議の共同精神の精神に反するからであるという様に言っている訳です。
それから「今回相互の間で合意はなくて立場の隔たりが大きいことが分かった」と、「作業部会の日程もこれでは決められない」というように言っています。
それから「日朝平壌宣言に則りお互いに前進していかなければならない事は確認した」と。
「日本に対して2002年の平壌宣言の誠実な履行を要求する」と言う一方的な会見の内容でした。

これを見てですね。
これを聞いて我々は憤慨したわけですね。
何たることだと、けしからんと憤りを感じながら先日も記者会見をやったんですけど、こういった北の態度が改めない限り、この状況は進まないだろうというふうに私たちは思っております。
こういった北朝鮮のしたたかさ、どうやったら自国に有利なような形で解決が進んでいくのか。
どうやったら巨額の支援を取り上げられるのか?
そういった事を前提とした戦略なんですね。

ですから日本としても北に対する態度は変わってませんけど、若干内容的に見ると協議の雰囲気と言いますか、日本としては怒っていないような雰囲気がちょっと感じられるんですね。
普通でしたら、こういう事を言われましたら当然机でも叩いてですね。
強引に、冗談じゃないとお前たちがやっている事をすべて悪行も明らか。
世界も認めている、日本も当然そう思っているというような形でですね。
もっともっと強行に当たっていかないと、またずるずると北朝鮮のペースにハマっていくというような心配が感じられます。

まだまだ日本政府としてはこれからこの問題については、前向きな対応を引き続き求めていくというふうに言っておりますけども、こういうふうな北のコメントがある以上は、どこからこの協議の糸口を掴んでいくのか?
この辺が全く難しいと考えています。
これが始まる前から、一気には解決しないだろうという心配はありましたけども、まさにその通りになって、この問題に対する解決の糸口と言うのが、また分からなくなって来たというふうな所なんですが。

これに対してアメリカに対して我々は支援をお願いして参りましたけども、いわゆるアメリカも若干ぶれてきまして、経済制裁、要するに銀行の口座を開くような動きをしてます。
一部もうそうなっていますが、さらには北朝鮮をテロ支援国家としてはっきりと今まで名指して言っておりましたけども、これを解除するような動きを開始するというような発言もしています。

しかしながらヒル代表、あるいはさらにアメリカの中枢部の話を聞きますと、これはテロ支援国家の指定を解除するには日本の拉致問題の経過を見ながら判断すると言ってくれておりますので、すべてアメリカがこの問題については投げ出すという事はまず無いというふうに私たちも思っております。
いろいろ難しい状況ですけども、先日、この結果6者の協議を受けまして、私たち家族会としても緊急声明、ちょっと早口で読み上げますけども。

本日、6者協議合意にもとづく日朝作業部会がハノイで開催された。
午前中の協議では当然、日朝間の最大の懸案である拉致問題が話し合われた。
ところが、北朝鮮側が約束されていた午後の協議を一方的に拒否してきた。
私たちは、すべての拉致被害者を即時に家族のもとに返せと、強く金正日に求めてきた。
ところが、彼らは今回の協議でも被害者を家族の元へ帰国させる約束をしなかったばかりか、午後の協議から逃げた。

北朝鮮は拉致に関する協議を拒否し、日本が孤立しているという印象を作り出そうとしているのだろうが、金正日政権が横田めぐみさんら多くの日本人、そして、タイ、韓国、中国、レバノン、ルーマニアなど世界中から何の罪もない市民を拉致し抑留し続けていることは、すでに国際社会で広く明らかになっている。
昨年の国連総会決議でもそのことは明記されている。孤立しているのは金正日テロ政権だ。
私たちは、今回の北朝鮮代表の不誠実きわまる協議態度を強く糾弾する。
また、日本政府は昨年10月に決めた方針通り、北朝鮮の不誠実な対応に対しては制裁強化で応じるべきだ。


と言うような、短いんですけど声明を発表しております。
私たちはこの問題については絶対に諦めるわけには行かないわけですから、当然アメリカのブッシュ大統領にも手紙を出して先ほど言いました、この・・・(聞き取れず)文書の国際テロリズム年次報告書の中の北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由は今入っていますけども、これは絶対に外さないようにというお願いの手紙を出しております。
周りの状況を見ながらこの問題どう進むか?心配ですけども、やはり私の思うに日朝の協議がどのように進んでいくのか?
どのように進展していくのか?と言う事が確認されながら、米朝の話し合いがそれに絡み合って進めていくというような形が良かったんでは無いかと思うわけですけど。

何か心配なのは米朝で核の問題中心にどんどんどんどん進んでいってしまって、日本の拉致問題を含めた日朝協議が置いてきぼりにされて来ては困ると、言うような懸念もしております。
従って私たちは、この問題についてはもっともっと安倍総理が本部長となっている拉致問題対策本部、これの強力的な動きをさらに要求していきたいと思いますけども。
それにつきましてでもですね。
対外的な日本の印象と言うのは、まだまだ弱いと思います。
というのは確かに安倍総理がこの拉致問題をかかっておりますけども、私感じるに果たして日本国、あるいは日本国民全体が一枚岩となってこの拉致問題を突き進めて行こうとしているのか?
その辺が少し心配であります。

それに比較して安倍総理に支持率がどんどん落ちているという話も聞いておりますけども、何かそういう意味では足を引っ張るニュースと言うか情報と言うか意見と言うか、そういうのが出て来ておりまして。
例えば国会の中でもですね。
こういった問題は自民党だろうが民主党だろうが社会党だろうが、絶対あってはならない問題だと解決しなければならない問題だという事を、本来これは基本的な人権問題で日本の国民の安全を守るものですから当たり前の話なんですが、中々それが一枚岩になって外に出て行かない。
制裁に対するメッセージもそうです。
それから先ほど言った世界各国についてもそういったイメージを与えているような気がいたします。

従って私たちはもちろん家族の奪還を目的・目標にして動いておりますが、前から言うようにこの問題と言うのは2度とあってはいけないというような大きな狙いの中で、この拉致問題がどういう伸展の仕方をしていくのか?
どういう結果で集結するのか?
心配でありますけども、そういう意味では我々少人数の認定された家族だけではなくて、先ほどもあげました特定失踪者の方々、まだ認定されない方々もたくさんいます。
そういった人たちも一気に解決できるような、戦略・戦術を使ってですね。
強力に推し進めていただきたいというふうに心から思っているわけです。

北朝鮮が今まで、最初は拉致をしごめんなさいと謝ったこともありましたけどそれはある程度偽造した手で、今は拉致問題は解決済みだという事でそれを崩さない。
これを崩すという事は今までの北の発言なり立場なり、あるいは情報なりがすべて失せてしまう。
もう一回ごめんなさいと謝るしかないわけですね。
果たしてそういった場面が来るのかどうか?
それと大韓航空機の事件は北の謀略・策略だったということで、はっきりと認めるのかどうか?
すべて北の悪いところがさらけ出されるのは、この拉致問題の経過においてはあるはずです。

従ってそういう事を考えますと全く予断を許さないし、まだまだ時間がかかるなぁと言うふうに思っております。
しかしながら、我々皆さんも含めてこの問題については絶対諦めるわけにはいかない。
国としても政府としてもこの問題は最優先でやるという方針ですので、私たちとしては安倍総理を極力支援してですね。
皆さんの声も、あるいは他の方の意見もそちらに集中出来るように、何とかお願いしていくという事も含めて更なるこの解決に関する活動は続けていきたいと思っています。

しかしながら先日横田代表もちょっとまた入院しましたけども、早紀江さんも体調が悪くて中々出られない状況になっておられますが、これも長い間家族の願いを思いつつ、「自分の娘が帰ってくるなら私が代わりになってもいいよ」というそういう気持ちで続けられてきてきた少し現状だと思うんですけど。
しかしながら実際倒れるまでは活動していこうと言う我々の確認も取れてます。

そういった中で更なる皆さんへのお願いをこれから進めてまいりますが、今日これからまた東京集会なんですけど、明日の救う会として全国協議会の幹事会が総会が開かれまして、今後どうして行こうかという方針等を決めて対応・活動を考えていきます。
多分その中でも今言った活動については、我々に出来ることならすべてやっていこうというような覚悟でこれからやってまいりますので、また皆様の相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)

2007年04月02日

07.3.10 石高健次氏2 日本再生フォーラム講演会(2)大宮JACKビルにて

日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『石高健次氏(家族会顧問・朝日放送報道局プロデューサー)の講演 その2』

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それを聞いて、そのときは引き下がりましたが、逆に、家族をここまで苦しめている拉致をなんとかしなければと強く思いました。

原敕晁さん拉致から始めたこともあって、辛光洙の共犯だった金吉旭(キンキルウック) 金は去年4月に、去年の4月ですよ、ようやく拉致で国際手配されました。
95年月、彼が済州島にいました。

自宅を突き止め、前で張り込んで直撃インタビューしました。
最初、『誰にもわからないんだ。わからないんです』と言いながら逃げ回りました。
私は『原敕晁さんという一人の人の、生き死にが未だにわからないんだ。』とマイク片手に叫び続けた。正直、気持ちとしては、ふんづかまえて、首根っこつかまえてですね、殴りつけても、真相を喋らせたいという心境でした。しかし、それはできません。彼は辛光洙と一緒に捕まりはしたけれど、その後恩赦・減刑で出所し一般市民でしたから。

逃げ回るのを追いかけていると、10分もしなかった。金吉旭は突然路上にしゃがんで考え込んだ。と、泣き出したんですね。声を上げて大泣きしました。

そして、原さん拉致を全部認めた。
韓国では、国家保安法違反、スパイ容疑で捕まっているんですけど、韓国人であれ外国人であれ、誰かを誘拐して北朝鮮に連れて行った場合は、国家保安法の規定で立件しないとならない。ですから辛光洙と一緒に共謀して、原敕晁のどういう拉致をやるか話をしたとか。捜査資料とか、裁判の陳述書に詳細にでてきます。大阪市内の喫茶店の名前も出てきます。
その点について、『あなたが裁判で言ったことは、本当か? ホントにホントなのか?』ということを聞きました。
彼は、はっきり『そうです。その通りです』と静かに言って頭を下げた。最後に原さんのことを『本当に気の毒なことしました』と。

このときに、憎っくき拉致犯なんですけれど、私が思ったのは、ある意味で、彼もまた、被害者だったと。南朝鮮革命という幻想にとらわれたゆえに、利用され使い捨てられた兵隊の駒に過ぎないと。
あの大泣きは、彼の良心がそうさせたのだと思います。ずーっと心の中で気の毒なことをしたと思い続けてきたが故に大泣きをして認めたんだと。

このときです。私が拉致は本当にあるんだと確信したのは。

お手元の資料、『人脈記』(朝日新聞ニッポン『人・脈・記』安倍政権の空気A平成19年3月6日付)という記事に、95年に『闇の波濤から 〜北朝鮮発・対南工作〜』というドキュメンタリー番組のことが書かれています。今申しました一連の取材をまとめたものです。

全国ネットで95年の5月頃に放送しました。原さん、海岸のカップル、田口八重子さんら13人が拉致されているのは間違いないという報道です。
しかし、残念ながらまったく全く反響がなかったんです。他の社からの問い合わせもない。黙殺というのは、こういう事をいうんだろうと思います。
世間は、たぶん、『そんなことあるだろうか、なんだ、嘘だろう』と受け止めたのでしょう。日本人をい拉致していったいなにするんだと。番組では教育係にするとか成りすましとか言ったんですが、信じてもらえなかった。
この『闇の波濤から』というのは、最初に拉致を客観的に実証した報道だったんですけどね。
いいえ、ただひとつ反響がありました。
韓国のKBS=放送公社が、韓国語に翻訳したものをで放送したいといってきた。95年11月、日曜のゴールデンタイム、夜8時から、1時間20分ぐらいですかね、『闇の波濤から』を放送してくれました。1ヶ月経たないうちに、北朝鮮の、これは安企部の人から私は聞いたんですが、ラジオが、朝日放送名指しで『あれはでっちあげだ』とやっていた。
反響があったのは、北朝鮮だけという非常に寂しい結果でしたけれども。(会場笑い)

これで、すべては終わると思っていました。
ところが、また偶然があった。
この5月の『闇の波濤』を、朝日新聞の出版局の人が観ていたんです、東京で。私の所に電話ありまして、『あの話は、本当ですか?』というふうに聞かれました。
『本当ですか?』と聞かれて『嘘かもしれません』とは答えなかったですけど。(笑い)
『それでは記録として残したいし、やっぱり訴えていきたい』と。朝日新聞の出版局というのは、新聞とはまた違う物差しがあるんですね。アエラもそういうところがありますよね。
それで5月の放送は、終わったんですが、本を書くために、また取材を続けたんです。
それが、横田めぐみさん拉致発掘につながっていった。

95年6月、KBSの放送の前、ソウル、明洞の繁華街でした。
韓国情報機関の高官から、『子供が拉致されているようだ』ということを聞いたんです。
それは、当時13才、学校でバトミントンの練習をした帰り、双子の姉妹の妹、76年か77年と。

石高『え?子供もやられてるんですか?』
石高『名前は何というんですか』
高官『わからない』
石高『どこの話ですか』
高官『それもわからない』

この情報を韓国にもたらしたのは、これよりちょっと前に亡命していた北朝鮮の工作員です。その人は横田めぐみさんと話をして聞いたのでしょう。場所は平壌の病院。めぐみさんが心を病んで二度目の入院をしている時だった。秘密の病院にその工作員もケガをするとか、何らかの事情でいたのでしょう。
身の上話かなんかをして13才、バトミントン、双子の姉妹の妹、ということを聴き、後に亡命した。亡命者の情報を吟味するのが、情報機関の仕事なんですけど、『彼が言っていることは、間違いないと思う』と。ところが、どこの誰かを亡命工作員彼も聞かされていない。
彼女が(めぐみさんが)、その亡命工作員に語ったのは、『拉致され、一生懸命勉強して朝鮮語を5年以内にマスターしたら、親の元に返してやる』と言われた。だから、少女は一生懸命朝鮮語を勉強した。ところが、18才になったときに、『返して欲しい』といったけども、ダメだと言われた。何度も懇願したが許してくれなかった。それで心を病んで、病院にかかっていた。
そこで、後に亡命する工作員と身の上話をしたわけです。
なぜ名前を言わなかったんだというふうに不思議に思う方がいらっしゃると思います。
しかし、これと似た例があります。
金賢姫の口から出た拉致女性「李恩恵」。田口八重子さんと後にわかりますね。今お兄さんここにいらっしゃいますけれど、金賢姫と田口さんは日本人化教育のために1年8ヶ月ぐらい一緒に過ごした。しかし、田口さんは自分の名前は告げていないんです。
言うと、自分の身が危ないと。おそらく、そういうことがハッキリ分かっていたのでしょう。田口さんもめぐみさんも。

この情報をもたらした人は安明進とは違います。未だに表には出てきていない。韓国サイドに今まで何回も会わせてくれと言い続けてきましたが、未だに表に出さない。

その後、96年10月に朝日新聞から『金正日の拉致指令』という本を出しました。このときに、「少女拉致」の情報を書こうかどうか迷ったんです。結果的にはこの情報を書きませんでした。
何故かと言いますと、子供がやられている。13才、あまりにも荒唐無稽。95年の5月に『闇の波濤から』を放送したときに黙殺された。こういう事を書けば、13人がやられているという、他の拉致被害者のことも、また嘘だろうなんかいい加減な話だろうと思われのではと考え、この話は書かなかったんです。この時点では、横田めぐみさんという所にはたどり着いていません。

本の出版とともに広告が出ました。『現代コリア』という雑誌から、その本の紹介記事を書きませんかと声がかかりました。そのときまで、全く私は面識ないんですけど。
『現代コリア』の10月号に、『私が金正日の拉致指令を書いた理由』という記事を書いたんです。
10月号なんですが、何かの都合で遅れて11月の始めぐらいに出ました。

なぜ、私にその情報が入ったかと言いますと・・・。
実は、私にその情報を私に告げる以前、韓国安企部の高官は、日本の警察のある官僚に、『子供が拉致されてるらしいぞ』と通報していた。これは、公式通知ではなくて担当者が個人的に電話をして、日本の女性がやられているから調べたらどうですか。それが春のことなんですね。

その警察官僚は、オンラインで叩いてみたが出てこない。5年以上経った記録は、消えてしまうので、中央では。で、そんなの見つかりませんでしたという返事をしたんですね。これもまたそういう官僚の体質の話なんですけれど。

その後3月にオウムのサリン事件がおきるんですけれど。もう一度、韓国安企部の担当官は、連絡をいれて、『いや工作員のもたらした情報は間違ってないと思う。他のことも色々チェックしたが嘘はついてない。もう一回調べたらどうですか?』というのを、今度は放っておいた。

そんな状況のとき、拉致があるのかどうかとワーワー言ってる日本の記者が一人いたなというのをたぶん思い出されたんでしょう。
こちらから願い出て6月23日、明洞(ミョンドン)の居酒屋でこの安企部の人と会った際、「少女拉致」の話が出てきたのです。

話は96年に戻りますが、『現代コリア』に記事が出た直後、12月になって、新潟の「ニュー越路」という公務員宿舎で、佐藤勝巳さんが講演なさって、そのあとの親睦会で、まぁ、こういう記事がうちの現代コリアに載っているんですけどと言ったときに、『それは、横田めぐみだ』ということになったわけです。

それが私の所にも入って−−この間に紆余曲折があるんですが−−、名前がちゃんとわかったのが、97年の1月7日、報道される一ヶ月前です。

それで、1月の末に、兵本さんに横田滋さんは日銀の行員だったと私が言いまして、彼は議員秘書の威力でOB会名簿を出させ、電話番号を割り出した。それで、横田さんのお父さんと議員会館であって、そこに私が電話を入れました。
川崎のご自宅へ伺ったのが、1月23日だったです。まぁ、こうして、当時で20年近く空白があった、横田さん夫妻に『娘さんは、拉致されて平壌で生きている可能性がある』ということを伝えたわけです。

このときに、私は報道を控えました。理由は、横田さん宅にめぐみさんのいろんな写真がありましたから、その写真と、適当に少女ファッション雑誌からとった写真とをもって、この情報をもたらした工作員に、確認をしたかった。それをさんざん、韓国政府に要請しました。
でも、その亡命工作員は、まだ公表できないからダメだと言われて、それは、未だに会わせろと言い続けているんですけど。その確信をとるまでは、私は報道しないと決めたんですね。

それは、このときも、世間が信じて国が動いてくれればいいけど、95年の『闇の波濤』放送のときのように、中途半端におわれば、拉致の証拠であるめぐみさんやその情報をもたらした亡命工作員の家族が、抹殺されるかもしれない。そういうことを考えて、最低、写真で、この工作員に確証をとるまでは、それこそ報道を控えたわけです。しかし、現代コリアの筋とか、西村眞悟さんや、アエラ関係に話が漏れました。いずれの方とも、電話で話をして本当に国が動いてくれるんだったらいいけど、今の状態では、慎重にやってくれということを言いました。1月の30、31日ですね。

ところが、2月3日、これ月曜日だったんです。この日が発売日のアエラが、私が、こういういきさつでみつけたということ。それと産経が出て。その後、午後三時台だったか、西村眞悟さんが、衆議院予算委員会の総括質問で、私が書いた記事と現代コリアの記事と、新潟日報の女子中学生下校途中に行方不明というのを並べて質問された。衆議院の予算委員会総括質問というのは、NHKで生中継されるんですね。やると直前にわかっていましたから、昼のニュースから我々も報道していった。

こうして、横田めぐみさんが、拉致されているということが世に出たわけです。

その直前から、兵本さんと私と手分けして、有本のお母さんには、みなさんの電話番号教えて電話してもらい、被害者家族に会を作ろうと呼びかけを始めた。
被害者家族は、カップル男女の家族は別にして、互いに何のつながりもなく、孤立しておられた。

3月の25日、朝日放送東京支社のあった芝公園の近くの安い都営の会議室、アジュール竹芝にみなさんを集めて家族会を結成しました。
翌日に警察庁に誓願を出しまして、外務省にも行きました。このときに、マスコミ各社が報道してくれたこともあって、対応に出たのが、アジア局長です。今はアジア太平洋局ですけれど、加藤良三局長が対応しました。

その辺りから、政府の対応は変わってきました。
しかし、川崎の駅前で、横田さんたちが署名活動されるんだけど、まぁ、そうですね、半分以上の方は、素通りだった。
「なんだ、これは? 拉致? 何が起きているんだ?」「こどもさん、どうかしたの」って感じでちょっと聞きながら、通り過ぎて行かれる方が、多かったのを覚えています。

めぐみちゃん拉致を発掘報道されるまでの話を長く時間をとって、やらせていただきましたが、そういう所を通じて、ほんとに官僚たちの事なかれ主義、政治家の無責任さというのを私は痛感してきました。

もう一つ具体例をいいますと…。
宇志津事件というのがあります。石川県の能登半島で、久米裕さんという三鷹市役所のガードマンが密貿易で儲かると騙されて海岸に連れて行かれて拉致されるんですね。それを石川県警公安課が、李という実行犯を外国人登録法違反で捕まえる。彼の口からは、拉致のことが出てきたんですね。それで、現場の人たちは東京に海外移送目的の誘拐罪、つまり拉致で立件したいと願い出た。本人が誘い出して連れて行ったと自供しているわけですから。
東京の警察官僚は、『そんなことをすれば戦争になりかねない』っていって押し留めたらしいんです。要は、及び腰で、ビビって、折角の拉致犯逮捕を闇に葬った。結果、彼は外国人登録証を携帯していなかったとそれだけのことで、結局あれは、裁判にもならなかった。

裁判をすると、警察の方は警察の方で、いろんなことで集めた資料が公開されたら、その先情報がとれなくなる。そんな論理が中央に働いたようにも聞いています。
拉致で立件していれば、それで警察が動いていれば、二ヶ月後のめぐみちゃん拉致は防げたのかもしれない。
そういうことを考えますと、現場で頑張っている刑事はいられるんですね、それが中央に行くと、なんかこう、潰されちゃう。これが正に、官僚の事なかれ主義だと思います。

それと政治家の無責任。
拉致問題に手を染めても票にならないと。利権に結びつかないですよね。北朝鮮と国交樹立すれば、利権に結びつく場合もあるでしょうけど。
そういうものに対して、政治家というのは、本当に動かなかったのです。

そういう意味では、拉致が出たときは、橋本龍太郎総理ですね。小渕さん森喜朗さんが後に続いた。
結局誰も、北朝鮮に認めさせるということが出来なくて。小泉さんのことも、色々批判もありますが、拉致の入口をこじ開けたという点では、やっぱりよくやったと僕は思います。
やり方が、もっと全体と関連させて、何故出来なかったんだろうかと口惜しいこともありますが。

そういう長いこと、政治家も動かない、官僚もやらなかった中で、北朝鮮にいる被害者はもちろんですが、家族の方も、本当に辛い思いをなさってきていて、横田さんであれ有本さんであれ、今現在も、我が子が生きているか死んでるのかわからない辛い毎日を送っておられる。
これの辛さは、もう、いなくなった日と、同じ気持ちなんですよね、めぐみちゃんでもう30年なりますけれども。有本さんで24年ですか・・・。
連絡が来なくなった、突然消えた、そういう心が引き裂かれるような痛みを、20年、30年ずっと持ち続けておられるのが、被害者家族の方たちなんです。

これはもう、ほんとうに、早紀江さんが最近、記者会見で『こんな状態で、普通の親であれば、半狂乱になりますよ』とおっしゃっていましたが、本当に辛い、生殺しの状態が続いている。

それとまぁ、最後の方になりましたが、なんていうんですかね、最近の安倍さんに対する期待は、すごく大きいですし、安倍さん自身、一生懸命何とかしようという気持ちでやってらっしゃるのは、ありがたい。
ただ、最近ちょっと、えー?っと思うことがありました。
拉致の家族の方達と一緒に頑張ってくれとやるのは良いんですけど、この前、めぐみちゃんが帰ってきて欲しいということで、有名な歌手、PPMのポールストゥーキーさん、私も10代で彼が大阪に公演にきたときに見に行ったことがあるんですけど。彼が歌を作って、それを官邸で、安倍さんとかが一緒に聴かれた。
僕はそれを聞いて、非常に複雑な気持ちになった。そういうことやっている場合ですかと。

家族の人たちは、僕らもしょっちゅう会食したり私自身も有志を集めて、元気づけとカンパ集めのためにチャリティーコンサートをやったりします。外国からも、有名な音楽家が協力してくれて最後に皆で『ふるさと』を歌ったりしますけれど、総理大臣が、官邸で、一緒になって、コンサート聴いていて良いものかと。
もっとやることあるだろうと。ちょっと、なんか、「えっ?」とおもいましたね。

それと昨日のお昼、共同通信が流したんですけど、政府が1億500万円の広告費を出して、政府は拉致問題解決のために頑張りますと、そういうキャンペーン、公報をテレビを使ってコマーシャル流すという。1億500万ですよ。
「え?どうなってるんや」と。
現にこうやって皆さん今日も熱心に聞いていただいて、テレビや新聞で、拉致はとんでもないことであり、国はなんとかせにゃいかん、政府がなんとかせにゃいかんと、国民はわかってるわけですよね。
わかっているのに、なんでそんな、わからせるための広告が必要なのか?

1億円があれば、いろんな情報、拉致解決につながる情報を集めて欲しい。どれだけの人間がやられているのか?あるいは、今、中朝の国境地帯で警備がゆるんでいるうえ、国内も身分証で自由に移動できるくらいになっていますから、被害者を脱北させて救出させられるかもしれない。そのために1億500万円を使う。
それなら、私はわかります。
でも、政府がここまで頑張ってやっています、拉致について我々は絶対に諦めない、やりますからというメッセージのコマーシャルを流す。これ、一億500万。これ、みなさん、どう思いますか?一億500万、僕は、ちょっと違うんじゃないかと思います。

そんなことを思っていて、ふと昔の、ある光景を思い出しました。
97年、横田さんのことが出て、2月7日に、横田さん夫妻が、院内、つまり国会の中の、新進党、衆参両院議員総会に行かれて、訴えられたんですね。『自分たちは、一民間人なんだと。国交もない国に行って、探したり連れてくることはできないので、政治家の皆さんの力をお借りするしかありません』と頭を下げて、頼まれた。
と、そのときに、議員席から女性のちょっと高い声で、『がんばってねーーー』と言う声が聞こえたんです。横田さんに対してですよ。
これ、政治家ですよ。このことを今思いだした。何と無責任なんだ。
頑張るのは、あんたたちだろう。横田さんは、心配で家でずっと耐えてきた。『もう、あとは私たち政治家がやりますから、じっと体を休めてください』というのが筋じゃないか。
頑張るのは、君たち政治家だろうと。
そのとき、本当に何とも言えない怒りみたいなものを覚えたんですね。
そのことを、なんか、最近思い出しました。

それと、最後にこういう拉致が、何故、未だに、表に出てから10年たっても解決できないのかということを考えたときに、私が思うのは、日本という国には、やっぱり、なんていうか、牙がないんですね。
牙というのは、例えば人は、何か理不尽なことをされたときに、何をするのか!と。言葉だけでだめだったら、ときには殴ったりするでしょう。
国と国では、話し合いだけなく軍隊を派遣するぞという。そういうことが、日本の場合、歴史の流れに於いて、悲しいかな、ある意味と必然的にそうなったと私は思うんですが、牙をむけない国になっている。

アメリカだったら、イランのアメリカ大使館に、職員等が監禁されて、ヘリコプターが救出に行って、
これは、砂嵐で失敗しましたが、最終的には、取り返した。
たとえば、拉致があったら、アメリカなら、空母を東シナ海の北朝鮮沖に浮かべて、話し合いでまず解決しようとするでしょう。被害者を出さなければ、攻撃すると。その前には、経済制裁、勿論どんどんどんどんやっているでしょうけど。
そういう意味での、牙と言いますか、爪というか、そういうものが、やっぱり日本にはない。
やっぱり、アジアを植民地支配した後に戦争に負けて、戦後は平和憲法というのが出来て、結局、なんか言うだけで、靖国神社うんぬんと言うだけで、周りの国は、ワーッと言う。それに対して、胸を張って、日本のやる安全保障の道といいますか、そういうことを堂々と言い返せないできた。安倍さんになって少し変わりつつあるようですが。
結局、なんですかね、その、言われっぱなし、やられっぱなし、足下をみられている。北朝鮮なんか、いくらなめてかかっても、日本は攻めてこないと、わかっているんでしょうね。アメリカはそうじゃない。その違いが、拉致というものの解決を阻んでいる構造だと思います。
で、それはどこから来たかと言いますと、繰り返しますが、植民地支配をした結果、連合国軍に負けて、そのあと、正に武装解除をされて、牙を抜かれて、そして平和憲法といわれる憲法ができて・・・。一方で、アメリカが護ってくれているのを尻目に経済発展をしてきた。ふっとみたら、国防とかそういうことは、全然自分たちの力でやってこなかったんです。

これは、我々マスコミも自戒を込めて、自分たちもやっぱり力がなかったと反省しておりますけど、国防論議ということすら、日本のメディアというのは、長年タブー視してきた。
国家安全保障、国防というのは、正に拉致被害者とか名もない何の罪もない一人一人の国民を守るということなんですよ。
これはみなさんどんな人でも、家族を護りたいとか故郷の同級生、友達を護りたい。いなくなったら、何とかしなければいけない。そういうことの集合なんですね、国家安全保障というのは。そういうことの集合だと思います。そのために何をしたらいいのか、真正面から、やっぱり、考えていかなければいけない。
戦後、おざなりにしてきたメディアの責任も大きいです。

そういうことが、今拉致が、全然出口がみえてこない背景にあると思います。

拉致解決について、アメリカに頼るというのも、考えてみれば、情けないことなんですよね。横田さんが、副大統領にあったり、ブッシュにあったり、アメリカの政治家にあって頼むというのは、追い詰められてそうせざるを得ないんですけど、それを第三の独立国家が見たら、やっぱり、心の底では、「日本という国は、自分の国民が奪われて、なんで被害者までがアメリカに頭を下げなければならないのか・・」と。それ自体で、またなめられるという気がします。

ですから、イラクへの派兵で自衛隊はサマワに行きましたけれど、考えてみたら、それより、二十年ぐらい前ですかね、カンボジアのアンタック、PKOとかで派遣するときに海外派兵は憲法違反だとかものすごかった。それが、だんだん、国民的な合意も出来てきて、イラクに軽いにせよ軍隊の装備を持って出て行った。
これは、北朝鮮からすれば、牙のない自衛隊がよく出て行ったものだ、と少しはプレッシャーになったのではないかと思います。
だんだん、まともに安全保障を見つめていこうという意識は高くなってきているんだけれど、同時並行で、国民の、国や自分の家族を護る意識みたいな、そういう個人個人の内面からの意識も沸き起こってこないとだめです。
いくら物だけ、兵器や道具、ミサイルだけ、そろったって…。

今日はこういう話の機会を与えていただいて、本当にありがたいと思っています。それは、みなさんが、やっぱり、正に、めぐみちゃんとか、田口さんとか、有本さんとか、そういう人がどうなってるんだ、どうしたら解決するんだという意識で来られているからです。
正にそういう意識があることが国を護っていく、そういうことを繰り返させない、あるいは、解決する。そういう流れになっていくと思いますので、これからも、ずっと関心を持ち続けてやって欲しいと思います。
今日はどうもありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によって起こした物を、石高氏ご本人に目を通していただいた上で公開をしています。

07.3.10 石高健次氏1 日本再生フォーラム講演会(1)大宮JACKビルにて

日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて

『石高健次氏(家族会顧問・朝日放送報道局プロデューサー)の講演 その1』

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みなさん、こんにちは。(会場から こんにちは!の声) 再生フォーラム方に、去年(12月北朝鮮人権週間のとき 参照「映像とシンポジウムで語る北朝鮮」)に、埼玉、彩(さい)の里で幾つかのシンポジウムがありまして、取材にきました。その際の懇親会で、『一回講演で来ていただきたい』という話がでました。『3月だ』と。『だいぶ先の話だなー』とこっちは目先のことに追われる毎日なんで、先のことだなーと思っていたんですが、今年に入って、竹本さんから電話がかかってきました。その電話に非常に力が込められていまして、『これはもう、3月の今日の10日はいかなくてはいけないな』と思って参りました。石高です。どうぞ宜しくお願いします。(拍手)

私は一(いち)ジャーナリスト、一記者ですので、いろんな日本の外交、政治のこと、専門家ではございません。
ただ、マスコミの一端におりますので、社会に埋もれた事実を発掘して、不特定多数の人に、それを知ってもらう、そういうことで、もう、32年ほど記者をやってきました。
今、拉致問題というのは、厚い壁にぶつかっています。
横田めぐみさんの拉致を突き止めて、報道したのが、ちょうど、10年前です。
10年経って、まだ先が見えないときに、原点に返ってもう一度考えてみるというのも、大切ではないかと思いまして、その原点で、動かせていただいた私の話が、何かの、みなさんの力づけなり役に立てばと、そういう気持ちで大宮に参りました。

ジャーナリストというのは船でいうと、ウォッチといいますか、ブリッジの上にいて前方周囲を監視する。双眼鏡を用いたり肉眼で見たり道具を駆使して、船が進む前方に何があるかを、しっかり見る役割なんですね。船を操船するのは船長なり機関士がおります。いわば、船長が今は安倍総理で、私なんかは、右の方になにか氷山の固まりがあれば、タイタニックみたいにならんように、『右の方にあるぞ』と言ったり、左の方に、何か、狭い浅瀬があるようだったら、それを知らせる。船長は、うまく船を操って、ぶつからんようにするのが役割。

そんな仕事の中でいろんな偶然から、横田めぐみさん拉致というのを突き止めまして、世の中に知らせたわけです。
それが船長=総理大臣はじめ政治家の知るところになったんですが、未だに先が見えない。めぐみちゃんが生きているのか死んでいるのか、北が死亡と言った8人の状況が全くわからない。向こうには、おそらく100人を超す拉致被害者がいるであろうと思います。彼らも含め、どう解決して良いのかということがわからない。

今日は、拉致問題の発端の最初の話。どうやって、めぐみさんの拉致が出てきたのか、その時の日本の政治、あるいは外務省、警察官僚たちはどうだったのか。その原点の話を、まずさせていただきます。その後、今の状況、これから一体、どうしたらこれは解決できるのかという、そういう内容で、私なりに話をさせていただきます。

世の中が拉致というのをはっきりと認識するのは、2002年に小泉総理が平壌に行って、金正日がそれを認めて、謝ったあの時からだと思います。まず拉致された被害者本人5人が帰ってきて、日本の人は、ほとんどが『あ、拉致というものが本当にあったんだ』というふうに、気づいたのだと思うんです。

実は、私が拉致を頭の中で意識して、これがあるのかないのか。拉致というのは、いったい何のために行われるのかと。全くそういうことがわからない状態で始めたのが、94年なんです。

97年、めぐみちゃんにたどり着くまでは、本当に、<孤立無援>と言いますか、全く誰も振り向かない状態で、取材をしておりました。その一番とっかかりが、91年。
日曜朝の「サンデープロジェクト」が、89年に立ち上がって、その当時、特集コーナーのスタッフをしておりました。今は、担当ははずれておりまして、さっき紹介の時に、前に出した本に書いてあったからそういわれたのでしょうが、その点、訂正させていただきます。

まさに、正にこのサンプロがはじまった2年後の91年、最初の北朝鮮による核疑惑というのがおきたんですね。
寧辺(よんびょん)というところで、フランスの偵察衛星が、核研究施設を撮って、それを解析をしたら、やっぱり核開発をやっているじゃないかと。
91年にソウルに取材に行きました。何故かと言いますと、その当時、公(おおやけ)に表に出ていました、北朝鮮政府の一番の高官、高英煥(コヨンファン)という、アフリカのある国の書記官だった人が亡命してソウルにいたんです。
当時は“脱北”という言葉もなかったと思います。亡命者という言い方をしていました。この人なら何か知っているだろうということで、インタビューに行きました。

これは笑い話のようなんですけれど、非常に極秘で進められているはずの北の核開発というのが、ある部分、秘密が漏れて、口コミで伝わっているという風なことを、彼は言うんですね。科学者たちはもちろん厳重な監視の下に、アパートに住まわせられている。しかし、家に帰ってご飯食べながら子供にしゃべる。子供がそれを学校でしゃべる。そういうのからどんどん広がっていって、『あ、あそこは、ああいう人が住んでいるんだ』と。そうして広まっていった。
さらに、彼が外務官僚として知りうることを聞きました。こういう亡命者を保護管理しているのは、今の国情院、当時の国家安全企画部、いわゆる韓国の情報機関、CIAですね。

そういう人と打ち合わせでメシを喰ったりしたときに、担当者が、ふと、こういう事を漏らしたんですね。
『大阪出身で、北朝鮮に渡って、そのあと、亡命して、今ソウルにいる一人の朝鮮人がいます。』

金秀幸(キムスヘン)という十代で、北朝鮮に渡って、仕事をした後に亡命して、今ソウルにいる。
『それは一体どういう人なんですか』、と聞いたら、『いわゆる、北朝鮮帰国者の一人だ』と。91年の12月のことです。

“帰国者”というのは、私も、うろ覚えながら、吉永小百合さんの映画、『キューポラのある街』、舞台の川口はここから近いんですよね。その中で北朝鮮に在日朝鮮人が帰って行くシーンがあった。駅で、みんなが万歳、万歳をして、当時“地上の楽園”と宣伝された、北朝鮮に帰って行く。ある家族が、帰るかどうか、迷っている、そういうシーンもあったように思いまして・・
それくらいしか、帰国者についての知識はなかったんです。

ここで視聴率調査をさせていただきます。

『キューポラのある街』を見たことある人、ちょっと手を挙げてください。
あーやっぱり、四分の一五分の一ぐらいですね。だいたい今手を挙げた人は、50代半ば以上だと思います。(会場笑い)

帰国者という言葉を聞き、初めて北朝鮮の人権ということを意識した。
この北朝鮮帰国者が、あとで調べて、9万3000人いる。その中には1831人の日本人妻がいる。日本人夫もいましたけれども。

その帰国者の一人で亡命した金秀幸さんに会って話を聞いた。彼から出てきた言葉ですね。『北朝鮮を理想の地上の楽園と宣伝され、そういう夢を抱いて帰った。そのうち数千人が、行方不明になっている。とんでもない国だ。』と。

その頃は、北朝鮮に関する情報が、あまりにも乏しかったために、どんな国だかわからない。
うっすらと、なんとなく地上の楽園とか、みんなが共産主義とか言って、金日成とかいう人が指導しているこじんまりとした国なんだなというようなイメージしかありませんでした。正直言いまして。

10万人の帰国者というのは、100%新潟の港から出港していました。清津という北朝鮮の東海岸の北の方にある港についたわけですね。その着いた瞬間にこの人は、騙されたと。これはみんなそうだと思います。10万人全部そうだと思います。

当時は、日本いる彼等、在日朝鮮人から見たら、韓国の方が経済的には下の方で、北朝鮮というのは、日本の留学生に、あの当時1950年後半で、一億円、あるいは年によっては二億円というお金が奨学金として送られていた。

今考えれば、当時のソ連、東欧の工業発展による援助によって潤っていただけなんですが。

金秀幸さんが言うには、船が着いて、デッキから下を見たら、ボロをまとった、顔色の悪い、痩せこけた人たちばっかりだった。
背景を見たらくすんだ、その灰色の世界で、港の倉庫とか、そういうものが本当にみすぼらしい。これ、全く話が違うと彼は思った。もちろんその時、出迎えのおそらく数百人だったですけれど、北朝鮮の人たちも、騙されたと思ったようだと彼は言いました。というのは、資本主義の敵国であった日本で虐げられた朝鮮人が、我が金日成首相率いる朝鮮民主主義共和国にきてホッとしていると思ったところが、デッキに見えるみんなの顔色は良い、腕時計はしている、体格は良い、良い服は着ている。これは、どういうことなのか、こっちはこっちで騙されていたと。

そして、下に降りていったら、まぁ非常に奇妙な雰囲気があって、その後は、みなさんが、ご存じのように、とんでもない人権弾圧。
文句を言えば銃殺刑にされると。そういうような国だったんですね。

このことを聞いて、本当なのか、日本へ帰って調べたら、ちょっと前に、正に帰国船を送り出した新潟の朝鮮総連の副委員長だった張明秀(チャン・ミョンス)さん、みなさんお聞きになったことがあると思います。この人の親も兄弟も帰っているんですけど、とんでもない国だと、本で書かれていました。『裏切られた楽土』。
この人がホントに、私が考えますに、北朝鮮という国はとんでもないということを実証で、広く世に訴えた最初の人だと思います。この人の本がなければ、『楽園から消えた人人々』という私の番組はなかった。

張明秀さんの所に飛んでいきまして、いろいろ事情を聞いた。これはとんでもない国だということがわかりました。

在日朝鮮人10万が北へ渡っている。当時の在日はだいたい60万ですから、6人に1人が北朝鮮に渡っているんですね。身内、同級生、近所の人、誰かいる。

それが、その後の、北朝鮮による南朝鮮革命のための対南工作の一環として、日本を中継基地としての工作員活動を容易にしていた。つまり、帰国者は北の人質だったとわけです。

そんな在日の人のところを回りました。みんな、喉元まで出かかっていたんですね。自分の弟が、従兄弟が、あるいは、親が、向こうで、行方不明になっている。収容所で拷問され殺されたとか行方がわからないとか。半分位は実名、顔を出してしゃべってもらった。あとの半分は、しゃべると、まだ元気な、他の身内までやられちゃう。だから顔は隠してくれといわれました。
そうしてできたドキュメンタリーが、皆さんにお配りした資料に出ています。『人脈記』という朝日新聞の記事。92年、『楽園から消えた人々 〜北朝鮮帰国者の悲劇〜』という、ドキュメンタリーをやりました。これはサンデープロジェクトの特集でまず、92年の2月にやった。それで30分の全国放送、5月には、1時間15分ぐらいで放送しました。

これで、もう私と北朝鮮との縁というのは、切れたと思っていた。すると94年の夏、番組で証言をしていただいたパクという在日朝鮮人女性から、電話がかかってきたんですね。『会いたい』と。番組では匿名で、背中からインタビューしていました。
会った時に彼女が『私の北朝鮮にわたって銃殺されたお兄さんはね、あのときはいわなかったけれど、実は私が北朝鮮から潜入してきた大物スパイ辛光洙と同居していたことが元で、銃殺刑になったの』と言う。

その時に、正直言って、この人、大丈夫かなーと思いました。何のことを言っているのかなと。スパイが潜入してきたとか。
私のお兄さんは、北朝鮮にわたって、平壌放送の日本語のアナウンサーをして、それを東京でラジオで聞くのが本当に楽しみだった。彼女たちその時みんな、いわゆる総連系で、金日成を尊敬している。そのラジオのお兄さんの声が消えて、85年にお兄さんは、銃殺になっていました。それを知ったのは、5年後の90年。それも銃殺されて死んだと。向こうの帰国者を担当する局の課長から聞いた。

お兄さんが銃殺になった本当の原因は、私が辛光洙というスパイと同棲していた。そこで生じた行き違いの結果として、平壌の兄が監視の対象にされた。その後、辛光洙が85年、逮捕されたとき、おそらく私と平壌の兄が、辛光洙を売ったんだろうと北の当局が理解したのでしょう。辛光洙という男と一緒におったことで、兄は楽園から消えてしまった。

それに続いて出てきたのが、この辛光洙という人は、原敕晁さんという大阪のコックを拉致し、再び潜入して、その人のアパートに住み、引っ越しを繰り返し、住民票を取って、免許証、パスポートを取得した・・・そう言うんです。

ここで、初めて「拉致」という言葉を聴いたのです。
そのとき、何て言いますか、衝撃ではありますが、半信半疑でした。
拉致なんて、いったい何のためにやるのか? スパイ小説スパイ映画でもそんな話聞いたことがない。ただ、嘘を言っても彼女のためになるわけではない。
とにかくその日は別れて、調べてみたら、85年の6月の新聞に、ソウルの安企部発表で、言うとおりの事が割と大きめに載っていました。  『大物スパイ辛光洙逮捕・日本人の原敕晁さんを(名前も入ってます)拉致して、なりすます』とそういう記事があったですね。

彼女の話は、嘘じゃないと思うと、なんか大きな闇に首を突っ込んだような気がしました。ただ、当時の報道は記事を見る限り、一過性のもので終わっていました。

一体どういう事なのかと。全体像が見えないわけです。それでも、何をどうやって良いか解らないまま、闇雲に拉致ということを頭において取材を始めました。94年の夏ですね。
おそらくこの時点で記者として拉致の取材をしていたのは、私一人だったと思います。

取材に出向く私の気持ちというのはですね、当時は今以上に、南北朝鮮の対立が激しかったですから、北朝鮮を貶めるために、韓国が、わざとこういう話をでっち上げて、パクさんとかを私の前に出現させているのではないかと疑心暗鬼にとらわれたこともありました。

拉致は、今でこそみなさん周知の事実なんですけど、その当時はそうなんです。
私がこういう事を言いますのは当時の政治家と官僚のの姿勢・態度がいかにいい加減だったかを知ってもらいたいからなんです。
拉致被害者家族との付き合いが始まったのが94年の暮れです。神戸の有本明弘・嘉代子さん夫妻。

娘の恵子ちゃんが、平壌から手紙が来ていましたから。すでにいろいろ動いていらした。
それで1月初めにご自宅に行きまして、色々事情を聞いて、これは「よど号」の連中に騙されて拉致されたと確信しました。
ご両親は何とかしたいと、非常に思っていらっしゃるんだけれども、誰も相手にしてくれない。警察庁も、外務省も相手にしてくれない。
マスコミに訴えても、誰も来てくれない。そういうところに神戸のご自宅に伺いまして、1月の17日に外務省に一緒に動いてくれと要請に行こうという約束をして、それがまぁ、あの阪神大震災で流れるんですけれど、3月になって一緒に行きました。

その時の状況、出てきた相手が、北東アジア課の地域調整官といいまして、まぁずーーっと下っ端の役人なのです。その人が、どういったかというと。これがとんでもないんです。

有本さんは、すでに一部週刊誌には名前が出ているから実名を出して、娘を助けてくれと言ったのにたいして、その役人は、『実名を出して、安否の照会をすると、命に関わる。だから出来ません。あの国は何をやるかわからんから』 と言いました。つまり外務省としては何も出来ない、何もやりませんと。

その後、海岸から消えたカップルの家族のところへ行きました。
家族の皆さんの当時の心境ですが、皆さん諦めかけておられたのは事実です。
95年当時、蓮池さんや奥土さんは、取材拒否だった。電話をしまして、『どういう状況で消えたのか、親のその後の思いとかを聞かせて欲しい。世間に訴えたい、政治が動いて欲しいから、聞かしてくれ』と言いましたけれど、当時、お母さんのハツイさんが、体調を崩されていたこともあって、『取材に応じられません』と。
その理由を聞いて愕然とした。愕然というのは、国に対してなんですけれど。蓮池秀量さんは『今更、薫のことを、どうのこうの訴えても、国が動いてくれるとは思えない。取り返せるとは思えない。そう考えること自体が辛いのです』と。
自分も年をとってきたし、妻ハツイさんも体をこわされて、体がきつい。取材に応じることは、辛いこれまでを又思い出すことですから、その重圧に耐えられないという。
私にたいして話すことで、辛くなるんですね。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によって起こした物を、石高氏ご本人に目を通していただいた上で公開をしています。

2007年02月10日

06.12.2 質疑応答2 第19回日本再生フォーラム講演会(5)JACK大宮ビル5階にて

第19回 日本再生フォーラム講演会
06.12.2 JACK大宮ビル5階にて

『質疑応答その2 回答者:三浦小太郎氏』

★質問5

質問をそのまま読ませていただきます。
北朝鮮への対応力を一歩でも強めるために有効な方策はなんでしょうか?
中国は北朝鮮への援助を行なっており、6ヶ国協議でもリーダーシップを取りうると思われています。
日本では朝鮮総連が援助を行なっています。
総連への運動で具体的な取り組み方法はどうなっているんでしょうか?と言うご質問です。

★回答 三浦小太郎氏

最初に言うとですね。
総連と言うのはもう、さっき皆様の努力には大変敬意を表しましたけどね。
日本にあること事態がおかしいんですよ。
だからこれは本当にですね。
特権を与えるという事以前に解散させなければいけないんですね。
私は本当はそう思っています。
在日のためにもならない。

ただ、それはそれとしまして、まず最初に朝鮮に対する対応力、どういうふうにしたら影響力を与えられるか?
どういうふうにすれば?
後は中国の事をお尋ねでしたね?そうですね?
私は中国に対してはですね。
私はずっと北京オリンピックボイコットと言うのは大きな問題だと思っていたんです。
実を言うと。
しかし、これは時機を逸したかな?と。
日本だけボイコットしただけではあまり大きな力にはならないですね。

私は中国は損得で動く国ですから本当はですね。
経済制裁とは言いませんけど、ODAその他の経済交流を中国に対して日本が、これ以上北朝鮮を支援する限りは縮小するという方向を出せば、結構中国は損得で動くので敏感な反応をするんじゃないか?と。
靖国神社とかそんなの全然関係ないです。
中国が日本に求めているものはお金といろんな技術交流ですよね?
これを北朝鮮をあなたが支持するなら止めて行きますよ。

あるいは北朝鮮に対して中国が拉致問題解決しろと、6カ国協議で中国はこの事はやはり問題にするぞという事を言わなければ、日本の側に立たなければ日本は中国に対するODAその他、経済交流に対してやはり国民が納得しないから縮小せざるを得ないという事を言えば、きっと動く。
しかし、これが今の自民党はまず言えないです。
それが言えるようになるかならないかが、私は正直言うと、ちょっと言いすぎですが安倍内閣の一つの試金石だと。
私はこれが中国に対して、日本が経済的に、北朝鮮に対する経済制裁も大事なんですけど、わたしは日本が中国に対して経済的に攻めの態度を取れるかどうか?が物凄く大きい。
この問題を動かすために。

本当に実利の国ですからね?中国の場合。
あそこは共産党はあるけども共産主義なんてかけらも無いですから。
完璧な資本主義、日本以上の絶対資本主義の国ですから、お金が流れ込むか流れ込まないかが非常に影響を与えるんじゃないか?と。
そして中国が動くことによって、北は決定的な打撃を受けるはずですから、今回の核実験のダブルパンチとしてはですね。
中国が北への支援を止めさせて行くことと言うのは、日本政府が要求して行けるかどうか?
それが凄く大きいんじゃないか?と。

それについてはですね。
ちょっと私自身何回か抗議に行ったことがあるんですけど、やっぱり朝鮮総連は拉致に加担していたという。
この事実をそろそろ国会で追及するくらいの事をしなくてはいけないんじゃないか?と。
課税の事を頑張られて、皆さん大変立派な事をしていると思いますけどもね。
税金かけるなんてそんな当たり前のことでですね。
これまで役所が税金取らなかったことの方がよほど異常でありましてですね。
私は朝鮮総連が拉致に加担した、もしくは多くの犯罪に加担しているという噂は、すでにいくつかの捜査で判明しているわけですから、その事を場合によっては国会で喚問するような事はですね。
国際テロ行為ですから、あってもいいんではないか?と僕なりには考えています。

★質問6

とても個人的なこととちょっと断りがありますけど、姜哲煥さんの妹さんがどうされているか?
ご存知だったら教えて欲しいと言う質問があるんですが。

★回答 三浦小太郎氏

え〜と、北にいる妹さん。
ちょっとすみません、あまり詳しく知らないもんですから、あまりプライバシーのことでいい加減な事を言うとまずいですから、ちょっとそれは良く分からないので、よく知っている人がいますので、懇親会に出て私に言ってください。
後でその人に連絡とって教えます。

★質問7

ありがとうございます。
それでは最後の質問になりますけども、拉致解決への参考として具体的な提言をお願いしたいという事です。

★回答 三浦小太郎氏

そうですね、これは僕自身正直言って、あまり良い提言が出せないんですよ。
こんな人間がこういう場に来て良いのか?と悩みながら来ましたけど、ただ、僕の理想論だけを言いますとね。
この経済制裁を拉致でやっているという事、日本がね。
核でやってるんじゃなくて拉致で経済制裁をしているんだと言う国家意思を、私はまだ十分示せてないような気がする。
これは明確に出さないと駄目だ。

そうでなければ、全然人に迷惑をかけない人なら良いんですけど、核でなくて拉致でやっていると言う国家意思をですね。
あの、安倍総理は口にしたとは言っていますよ?
言ってますけどね、これは明確に、ある意味では国連の場でも6カ国協議の場でも、ありとあらゆるところで外務省そして日本政府が文書の形で、拉致解決までは経済制裁は解かないという事をまず出さないと駄目。

そして二番目。
日朝平壌宣言、あれを直ちに破棄しないと。
この二個は絶対に必要です。

そして、これはちょっと乱暴すぎるんですどね。
今のまんまの6カ国協議だったら、日本は自らこのままここから出て行きますよと言う意思を、北にばっかり言わせないで、本当は持ってもいいんです。
ただ、それはちょっと今の日本の国力では難しいと思うから、日本が国家意思を示す事が一番大切です。

そのために二つある事は、拉致での経済制裁だという事を明文化して世界に出す。
二番目は日朝平壌宣言、あれは北の裏切りによってもはや無効になりましたという事を明確に言う事。
裏切りという事は無いな、北の条約違反によって無効になりました。
元々あれを結ぶ事が諸悪の根源だったと思うんですけど、そんな事を今更言ってもしょうがないから、具体的な提言は正直言って僕出来ない人間だから、まずそうやって日本が国家意思を示す事が大事ではないか?と。

そして、そうですね。
これは私の口からはちょっと言い難い事の一つなんですけれども、日本の拉致議連もいいんですけど、やはり内閣が以上のことを宣言として出し、実行する。
さらには国連の安保理その他にですね。
核だけではなくて、拉致と国家テロという事で、特に大韓航空機事件。
彼らが国家テロを行っているという事をですね。
これは安保理その他、ありとあらゆるところでですね。
宣言していく。
そして日本の国家意思を示すことですよね。

日本は戦後憲法9条という事で、武器は持たないと言う、まぁ持っていますけど、人を攻撃する武器は持たないという事でやってきた。
それはそれで一つの生き方なんです。
でもそういう国は、言論と情報収集は武器を持っている国の10倍頑張らないと駄目なんです。
武器は持たない、口はしゃべらない、スパイがいても捕まえない、自分から情報を集めない。
これではどうにもならない。

じゃあ、ある脱北者の人が僕に言った言葉を紹介して僕の話を終わりにしますけど、こういう拉致関係の小さな集まりでその人に来てもらったんですよ。
その人は「6カ国協議やったって日朝協議やったって駄目に決まっている。金正日はそれで返すような人間じゃないんだから」
その人が言ったのは、「日本も安明進みたいな工作員をたくさん作って、向こうに送り込んで情報を取ってこなければ絶対に出来ない」
あるいは「労働党の子供か何か2〜3人拉致してきたら、取り返すかもしれない。」
それはめちゃくちゃな言い方ですけどね。

つまり日本がですね。
今のまんまの交渉で取り戻すんじゃなくて、そういった様々なですね。
それこそ暴力には暴力をでは無いけれど、相手が力しか信じない国だという事を考えて作戦を立てていくしかないだろうと思います。
これで良いですか?

★司会

どうもありがとうございました。

★三浦小太郎氏

今日はどうもありがとうございました。(拍手)

2007年02月09日

06.12.2 質疑応答1 第19回日本再生フォーラム講演会(4)JACK大宮ビル5階にて

第19回 日本再生フォーラム講演会
06.12.2 JACK大宮ビル5階にて

『質疑応答その1 回答者:三浦小太郎氏』

★質問1(代読司会女性、以下同じ)

まず最初に、非常に具体的な質問なんですけれども、北朝鮮崩壊時に大量の脱北者が出た場合に、日本にはどれくらいの人たちが来るのか?
また、日本が脱北者を受け入れた場合、私たちは日本国民としてどのような心構えが必要なのか?とい言う質問がございますのでお願いします。

★回答 三浦小太郎氏

どれくらいの脱北者が日本に来るか?という事ですけど、基本的にですね。
いわゆる大量難民、何十万と言うのは有り得ないです。
だって、そんなに船無いですしね。
日本に来たいというのは、日本から帰った帰国者の人、北朝鮮帰国者の人とその家族は来たいと言う意思表示はするでしょう。
そして、その数がどれくらいのものになるか?
そういった事はちょっと私の方では判断できませんけれども、例えば実際に日本に生まれて向こうに行ってそして日本の事を多少知っている人は帰りたい、また日本に来たい、こういう意識は出すと思います。

しかし例えば、その方が亡くなってその息子さんお孫さんとかの場合は、日本と言うイメージはほとんど無いし、日本語もしゃべれないわけです。
だからあまりたくさんのですね。
脱北者・大量難民が日本に押し寄せるという事は、私はちょっと考えすぎではないだろうか?と。
日本はかつて1万人ベトナム難民を受け入れたんですね。
私はそれくらいの範囲内の問題であろうと基本的には考えています。

ただ、どういう姿勢が必要か?という事ですけど、絶対にいけない事が二つあるんです。
これ簡単。
差別と逆差別、それを起こしちゃいけない。
この人たちは何が必要か?と言ったら、まず一時的には難民キャンプ的な住居、これはいるでしょうね。
でもこれはベトナム難民を入れたときの施設が遊んであるんです。
ここで日本語の教育、簡単な職業訓練、これはしてあげなくてはなりません。

しかし、それを超えた段階では、ごく普通の職の無い困った人と同じように考えない。
同情しすぎる、思い入れが強すぎる、これが一番いけないです。
それがお互いの関係を物凄く悪くします。
これは他の外国人問題もそうじゃないか?と思いますね。
あるいは日本人同士の関係もそうかもしれない。
同情して、上からこれもやってあげるこれもやってあげる、これは逆に相手を下に見ている人間になる。
その人間が自分の足で立てるようにする。

それを最低限の職業訓練・言語訓練、いろんな生活指導という事。
あと法律とか、資本主義の国で生きるのはどういう事か?
これは叩き込まないと駄目。
働かざるもの食うべからず、という事は教えないと。
後は自分の足で立っていけるのを、横で、そうだな、自転車に乗るとき最初は支えてあげるでしょう?
自転車の練習のとき、あれと同じです。
自分の足でペダルこいでいつの間にか手を離して一人で走って行ける。。
それが理想です。
それが基本的な心構えだと思います。

どういう対策が必要か?
これは具体的話だと凄く長くなってしまってちょっと勘弁してください。
とにかく差別はもちろんいけない。
しかし、同情から来る逆差別は優遇となって必ず将来もっとまずいことが起きます。
これが今日本でいくつかの人権問題で起きている事です。
私は、いわゆる同和差別、これは絶対なくすべきものなんです。
しかし、その結果が何を生んだか?
いくつかのマスコミが報じている状態です。

ちょっと余計な事を言います。
なんで朝鮮総連が今まで許されてきたか?
それはなんとなく歴史的に外人の人たちに対して気を使ってあげなくちゃいけないんじゃないか?と、そういうその心自体は分からなくも無いけど、それが結局在日の中の犯罪者を付け上がらせていたんです。
それはどんな差別問題でも、二度と起こしてはいけないわけなんです。
ちょっと抽象的な答えですけど、具体的には長い文章が必要なので、これで勘弁してください。
以上です。

★質問2

ありがとうございました。
先生のお話の中で、数万円程度なら郵便局から送金できるというお話がありましたが、この辺のメカニズムについてもうちょっと詳しいお話を聞きたいという質問があります。

★回答 三浦小太郎氏

え〜っと、この話するつもり無かったんですけど、し始めたので言いますね。
東京中央郵便局に行くとですね。
海外送金と言うのは出来ますよね?
これは皆さん知ってますよね?
そこに行って「北朝鮮のこれこれこういう所に送りたいんです」と言って封筒に入れると、向こうで蝋で封をしてくれて、ちゃんと行きます。

平壌止めにするんですよ。
そこに取りに行く。
このパターンで、今は届きます。
あんまりこれを教えたくないんですけども、今日は竹本さん古藤さんその他多くの方々の日頃の努力に顔を立てて申しますが、封筒に入れて送れるレベルのお金ならこれで行きます。
これを本人が確実にそこに取りに行って受け取れば。

私の例で、一つ可哀想だったのはですね。
それが平壌止めのお金が来る事が本人のところに通知が行ったんですね。
ところが平壌に行くときに周りで彼を監視していた北の警察の人が皆付いて来ちゃってですね。
封筒受け取って開けてみたら、全便取られたって言う、そういう悲劇はありました。
また送ってくれといったらふざけるなと言われて、それは送らなかった。
そういう事はあります。
よくね、北に万景峰号とかああいうので荷物送るよりは届きますよ。
以上です。

★質問3

ひとつちょっと具体的な質問なんですけども、北朝鮮の工作員の人と言うのはお金で動かせるものですか?という質問が。

★回答 三浦小太郎氏

これは僕は専門家では無いので、佐藤先生・西岡先生の方がお詳しいと思いますね。
ただ、僕これ断言しますけど今の北朝鮮ね。
お金で出来ないこと無いです。
いろんな脱北者に僕聞きましたけど、お金で出来ないことは無い。
拉致被害者の情報を取ってこようと思ったら、外務省はもっと金使うべきです。
取れます。
私は取れると思います。

いろいろ後でトラブルは起きましたけどね。
横田めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者だという事を突き止めたわけでしょ?
あれは明らかに北と中国を行ったり来たりしている人たちを利用して、ある程度お金も使って、向こうから情報取ったはずです。
田口八重子さんが生きていると言う情報を、私は地獄の沙汰も金次第ですから、金で取る事は出来ると思います。

それを外務省が口に出せないのは分かる。
それは分かる。
ただ、中国にODA送るお金があったら、絶対に取れる。
そして中国に送るODAのお金の一部を使えば、北の中のかなりの情報部の人間を日本に亡命させることも多分出来ます。
それはやるべきだ。
と思います。

★質問4

拉致・北朝鮮の問題に関して、アメリカの動向、それから盧武鉉後の韓国の動向についての情報があればお聞かせいただきたいというご質問です。

★回答 三浦小太郎氏

分かりました。
盧武鉉さんと言う人はですね。
ああいう人を見ていると、小泉さんであろうと日本の政治家皆立派に見えるんで、非常に偉い人だと思うんですけれども、あれはもう思考停止の状態になっていますから、論評してもしょうがないと思いますね。
結局ですね。
韓国はもう何か自主的な判断が出来ているとは思えないです。

ただ一部の誤解を、誤解じゃないかもしれないけど、僕の意見です。
なんとなくハンナラ党が勝てば状況良くなるように思っている人いるみたいですけどね。
そう単純ではないです。
今の韓国はとにかく北が崩壊して難民が来る事を物凄く恐れていて、基本的に保守政権になったところで核の問題とか強く出るかもしれないけど、太陽政策が大幅に変わるかどうかは私は未知数だと思います。
これがひとつ。
ですから韓国に関しては私は、韓国の個々人と立派な人も付き合いもあるし本当に尊敬してますけど、韓国政府はですね。
大きく北を倒そうと言う方向に変わるとは期待していない。
それがひとつ。

アメリカに関しては僕は専門家では無いんですが、ただアメリカがですね。
これは大きな事をやったなと言うのは、バンコ・デルタ・アジア銀行、あれを止めたこと。
そして中国その他に対してですね。
中国の方に圧力をかける形で北朝鮮に送られるドルを止めていると。
これは凄く大きいです。

私はアメリカに対して期待したいのはですね。
北朝鮮が偽ドルを作っていることを、アメリカは物凄く重要視している。
あの偽ドルって物凄く精巧なんですってね。
本物より精巧だとか、本物より精巧ってどういう意味なのか分からないんですけどね。
あの、なんていうか、何でそういう事だけ優秀なのか?非常に疑問なんですが。
とにかくアメリカはあくまで、もちろんブッシュ大統領その他ですね。
私たちは感謝すべきことではありますけど、明らかにアメリカの国益・アメリカの経済システムが偽ドルによって脅かされた来た事で、かなり本気になっている事は確かです。

ただ、これ私の考えですけど、アメリカが軍事的な行動を取る可能性は物凄く薄いと思う。
ゼロとは言いませんけど、ゼロに近いと僕は考えます。
それは事実上中国を含む東アジアの最も大きな戦争、もしくは大混乱につながる可能性があることですから、私はイラクの経験を経たアメリカがそこまでやるとはちょっと思えない。

私たちが大切なのはですね。
今の、ちょっと失礼ですけど、今の日本でまずいのは、アメリカに何とかやってもらえるんじゃないか?という期待感を持つのが一番まずい。
逆にアメリカにやらせるんだと言うくらいの気持ちを政治家、持たないと。
横田めぐみさん(の母親)がブッシュ大統領に会ったこと、新聞は凄く好意的に書きましたね。
もちろん、私も感謝しました。
しかし、あの時重要だったのは横田さんと北韓自由放送の方、そしてハンミちゃん、この三つの3人の方と会っている。
これはアメリカは脱北者の問題、北朝鮮の人権問題、拉致と言う問題、それを包括的に考えていきますよと言う一つのシグナルであり、それはいろんな形で経済的に北朝鮮を追い詰める。

それからアメリカは、恵谷治さんが今ちょっと紹介しているみたいですけど、いろんな軍事的圧力は爆弾を落とすって言うんじゃなくて、いろんな軍事演習を行なったりスクランブルを行なったり、あるいは北の中にいろんな偽情報を流し込むことで、時間をかけてあの政権を崩していく。
それがアメリカの基本方針だと思います。
大体これをやっているのはアメリカの国務省みたいですね。
私はあまり勉強をしていませんけど。
つまり、ネオコン中心のですね。
戦争を使っても独裁者を倒すんだと言う流れとは別の、国務省系の時間をかけてでも少しずつ北の体制を揺るがしていくと言う、経済制裁中心の作戦です。

それと日本の経済制裁とリンクしていく中での、アメリカに核だけではなく拉致、そして出来れば人権と言う方向でアメリカと、民主党になろうが共和党になろうがその連携を作っていく。
これが日本の外交の物凄く重要なところだと思います。
アメリカが戦争をやってでも解決してくれるだろうとか、韓国が立ち直るだろうとか、という人を当てにするのではなくて、どのようにアメリカを利用できるか?と言う発想が必要だと思います。

・・・質疑応答その2に続く・・・

2007年02月07日

06.12.2 三浦小太郎氏3 第19回日本再生フォーラム講演会(3)JACK大宮ビル5階にて

第19回 日本再生フォーラム講演会
06.12.2 JACK大宮ビル5階にて

『三浦小太郎氏の講演 その3』

今、かなり中国政府が望んでいる展開。
日本と北朝鮮が国交回復して、大量の経済的な支援を流し込んでもらって、それを自分たちが中国東北部の開発に利用して行く。
この金の流れを多分わりと中国政府は狙っているんです。
これ、私の誤解かもしれませんけど、この利権はおそらく日本の政治家の中にも企業家の中でも狙っている人がいる。
ある時期から、この日朝国交回復に熱心な政治家や外務省の一部と言うのは、明らかにこれ系の人が多いと思う。
全部がそうとは言いません。
この金の流れを狙っている人がいる。
必ずいます。

もう一度繰り返しますが、日朝国交回復によって多額の経済支援と言う形。
金正日は宣伝の道具は投げたって事はするけど、でも経済援助の支援は物凄く求めます。
そしてあそこ、もうインフラとかは無くなっていますから。
すべての工場がほとんど動いていないんですからある意味ではですね。
一部のゼネコンとか、かなりやりがいのある仕事。
そこで金を流し込む形で中国東北部の方にまで、開発の方までそのお金を活用して行く。
ここ現実的に中国が経済的に握れば、日本からお金を好きなように動かせます。

この人たちが、私はこれもう名前上げますけどね。
田中均さんと言う人は、別に親北だったとかどうかではなくて、これ狙ってましたよね?
だって、かなり本気で思っている。
この流れは、この中に反対の人いるかもしれませんけどね。
この流れは決して消えてないんです。
私は外務省は、基本的にまだこのライン考えている人多いと思う。
それは金が目的だとかそういう事だけじゃなくて、彼らはこれを「東アジア共同体」
日本・韓国、つまり日本・朝鮮半島、そして中国が仲良くすると言う「東アジア共同体」という美名の下にやりたがっている。

田中均さん、はっきりこう言っているんですよ。
「政治的な対立とか、歴史的な対立ってのは中々解消できないんだ」と。
「だけど経済的な損得の中でなら、対話も交流も出来る」
これは、この考えにピッタリなんです。
そしてこの、より大きな経済的な交流やそこから出てくる利権、そして将来的ないろいろな日本の経済的なだけの利益のためならば、一部の国民の犠牲は後回しになってもやむを得ないだろう、と。
この考えは、私は正直言ってですね。
自民党の中にも民主党の中にも無くなっているとは思わない。
私はね、社民党とか共産党とかミニ政党の議論はしてもしょうがないと思ってるからしないんです。

そのとき必ず使われるのが「対話・平和・友好の重要性」という言葉です。
ですから私は今日ですね。
北朝鮮のような全体主義との対話と言うのは、基本的に不可能です。
ということを、僕の下手な講演でしたけど頭の隅においていただきたいと思います。

私たちは「平和」と言う言葉に非常に弱いんですね。
僕もそうですよ?
「平和」という言葉には凄く弱い。
「平和」と言われれば、それは良いだろうと思いますよね?
しかし、私たちが拉致被害者を、そして日本人妻・帰国者、さらには北朝鮮で今餓死していく人たちを見捨てた上での「平和」というのは、こういうのは「恥ずべき平和」といって、これに第一の価値を置くような外交を行なってはいけないんです。

先日でしたか?
麻生外務大臣「自由と繁栄の弧」って言ったんでしたっけね?
ユーラシアの方でいろんな民主化を進める大きなスケールのある外交をやる。
中央アジアとかね、東南アジア、ああいうところの民主化を進める。
私良いと思うんですよね、それはね。
大変良いことだと思います。
思いますけどね、それは長期的な外交として本当にやらなくちゃいけないと思うけど、その前にやらなくちゃいけない事は、北朝鮮とついでに言えば中国。
この二つの独裁政権を倒すことをやっぱりその前にやらないとね。
まぁ中国の話は今日のテーマじゃないですけど、私は中国共産党とは共に手を抱かずという固い誓いを立てたので。

ある脱北者の少年がいて、十数歳でしたけど。
ある団体がその子を孤児だったとして、日本の里親といって私の父親が一時期。
これはプライベートな話なんでこれはあまり録音して欲しくないんですけどね。
私の父親が一時期支援していた。
その子がモンゴルに逃げて何とか韓国に行こうとしたとき、中国の警察、後ろから撃って殺しましたから!
中国人の目から見れば不法入国でしょうから、捕まえたとか、罰したとかいうなら私ここまで言いませんけどね。
武器持ってない、14〜5歳の男の子を後ろから撃たなくても良いでしょうが。

そして、さっきちらっと脱北者と言いましたけど、この中朝国境には物凄い数の何万と思われる北朝鮮からの難民が逃げている。
その中で女性の方々は、こういう場で女性の観客もいる中で言い難いことなんですけど、7割から8割は若い女性ならば人身売買か売春か強制結婚か、どれかはさせられています。
日本で女性の人権運動やってる方々は、本当にこのことに取り組んで欲しい。
そしてそういう方々の間に子供が産まれるんです。
しょうがないですよね、しょうがないという言い方も・・・。

そして、結婚と言う言い方をすればよく聞こえるけど、飢え死にしないだけ良いかもしれないんだけど、そういう女性の人たちが結婚し嫁ぐ先というのは、こういう中国の今農村部と言うのは嫁不足なんですよね。
日本と同じに。
その中でも、私のようにですね。
40の後半になっても嫁の来ない、どうしようもないアル中の男のところに行くわけです。
本当に一種の性奴隷ですよ、ある種の。

それはそれとして、子供が産まれる。
子供が産まれて、その母親が警察当局に捕まって北に送り返されちゃうと。
その子、孤児になるんです。
そういう子供が僕何人いるか分かりませんけど、万単位でいると思います。
この子達ははっきり言って、乞食になるか飢え死にになるか泥棒になる。
それは中国にとっても不幸なことだし。
そういう事例が、よく難民って飢えて可愛そうだって、それはもちろんそうだけどそれだけじゃなくって本当にですね。
人間性と言うものが崩壊して行く過程です。

私は正直言って昔はですね。
国のありがたさとか良く分かりませんでした。
この問題を知るようになってからです。
国が無いという事、そして国が悪くなるという事、どんなに人間にとって不幸か?
これ反論ある人がいるかもしれないですけどね。
人権とか自由とか、国家が無ければ成り立たないですよ、これは。
国家があまり酷い国家になってもまた困るんですけどね。
国家秩序と言うものが無ければ、人間の自由とか人権とか生命とか護られないです。

この日本国が、横田めぐみさん他、たくさんの人たちをこうして拉致と言う形で人生をめちゃくちゃにしてしまった。
これはやはり戦後日本が正しい国家でなかったからです。
これは私たちが、政治家を責めるだけじゃ駄目です。
日教組を責めるだけでも僕は駄目だと思います。
私たち、一人一人の問題。
これは日本国の外交そして政治のあり方と言うものが、正義とか価値とか生命とか、そういったものを取り合えず後回しにして、経済的なプラスかマイナスかだけをやってきた事のやっぱりツケが。
そうなれば、諸外国とはなるべく喧嘩しない方が経済的には良いんですよね。
基本的に。

ですからいろんなことで、とにかくその場その場を謝るときは謝っておけ。
妥協するときは妥協しておけ。
そういう形で50年をやってきた事が、ついには北朝鮮のような国の性格を見誤り、ああいう全体主義国家でもお金を渡せばおとなしくなるだろうと思って、米とかお金とかを渡しているうちに、バンバンと拉致をされていったわけです。
この意味で私たちはああいう特殊な、独裁国家の中でも特に特殊な全体主義体制とは、対話や和解は出来ないのだという事。

政治や外交には経済的にはプラス・マイナスは物凄く大切なんだけど、それ以前の価値と言うものがある。
そして国家が独裁的になって国民を抑圧するのはもちろんいけないんだけど、同時に国家と言うものが無ければ人間の自由・生命・人権と言うものは護られないのだと。
これを私たちが認識していくというのは、私は拉致問題を通した一つのですね。
日本再生のあり方なんでは無いか?と思います。

今日は非常につまらない話で、これまでの拉致問題の集会と違ってですね。
あまり実践的な話が全然出来なかったことを申し訳なく思いますが、ちょっと毛色の変わった話と言うのもですね。
まぁいいかとは思います。
最後に一個だけエピソードを言って終わりにします。

私、この日本に逃げてきた脱北者の方と多少付き合っておるんですけど、多くは在日朝鮮人だった人ですね。
この人たちが一番欲しがるのはですね。
自分たちは日本に来て、これからずっと日本に住んでいくから、是非日本国民として認めて欲しい。
国籍を凄く欲しがる。
私最初はそれはね。
正直言って、損得があると思う。
しかしこれ、本音で欲しがっている。

もうひとつ、ある脱北者が僕に言ったことで、「テレビ見ていたら、何か日の丸・君が代がいけないって言うけど、ここは日本なのに何でいけない事になるんです?」
「あの裁判、腹が立ってたまらん」って彼らが。

そしてこれはある「諸君」と言うところに文章書いちゃったもんで、ここで言うと二番煎じだけど、まぁ面白いエピソードだから聞いてください。
これは韓国に行った脱北者ですけど、この人も帰国者。
日本に本当は住みたかった。
この人が日本に来て、私鞄持ちをやった。
で、お話しているとき、11月だった。
電車に入って、この人茨城の方の生まれの人で、下手なんですけど茨城の訛りがある。
いきなり椅子に座ったらこう言ったんですよ。

「いや、日本はいいですね」
「いきなり、どこが良いんですか?」
ここにいる女性と同じですね。
「女の人が皆ちゃんとした礼儀正しい服装をしている」
「はぁ」
「三浦さん信じられますか?韓国ではね。皆が何かね。肌さらして物凄いだらしない格好で歩いているんです」

まぁ、言わなかったけれど。
今冬だからね。
夏だったら日本もね。
でも、その人の夢を壊しちゃいけませんから「そうですか!」

「三浦さん、本当に信じられないことですが、韓国では女が一人だけとか女だけで酒飲みに行くんですよ」
「はぁ?」
「信じられませんね」
いや、昔から日本もそうですよって。
その時思いました。
1960年に北に渡った人の日本って、60年なんです。

この中には脱北者が日本に来ることに反対の人も大勢いると思います。
ただ、これだけ分かって欲しい。
1960年代に向こうに渡った人、この人たちが日本に帰ってきて言うのは「あれ?何か少し日本、悪くなったんじゃないの?」
いや、最初は言いませんよ?
最初はこっちにそういう事を言って、嫌われちゃまずいと思うから。

「テレビ見たら、何か母親が子供殺したり焼く」とか、「なんか、近所付き合いが全く無くなった」
アパートに入るとき、その人周りに挨拶に行こうとしたんです。
そしたら何か変な目で見られた。
確かに今の東京のマンション、そうかもしれないですね。
そして例えば学校で先生と子供の関係が崩壊しているなんて信じられない。

私はそういう意味でですね。
最後に、本当はこれだけで一つのテーマになってしまうんですけど、北朝鮮を逃げ出して、そしてこの日本に40年ぶりに戻ってきた人たち。
そういう人たちが単に私たちが迷惑がるんじゃなくて、その人たちの是非話を聞いてあげて欲しい。
反対にむしろ北の事を聞いてあげて欲しい。

実は今日ここに脱北者の人来ているんですよ、二人ほど。
今日、マスコミいないですよね?いないね?
じゃちょっと紹介します。
○○さん、ちょっとここに来てください。
あの、○○さんと奥さん。
懇親会出ますんで、あの皆さん、今日懇親会に来て竹本さんにたくさんカンパしてあげてください。

こちらの方、40年ぶりに日本に逃げてきた。
奥様は向こうで結婚された方ですけどね。
向こうでは科学の仕事とかされていたと。
こういう人が日本に来て、日本社会と言うのは何か自分たちがいた時に比べて、なんとなく違いを感じる。

それは甘えもありますよ?
甘えもあるけれども、この国自身がやはり、60年代が60年代で良かったと言うんじゃないんですが、あの時期のある種の隣近所の付き合い。
村や町や都市の人々の共同体、そういったものがもう少しちゃんとしていたら、拉致問題も特定失踪者の問題も、もっと早い段階で皆が助け合う輪が出来たかもしれない。

こういう意味で、別に昔に帰る事がすべてではありませんけども、ある意味では昔の日本の良さと言うものを、拉致被害者の方々がその犠牲になった事を思えば軽々しく言っちゃいけませんが、こういう運動を通して取り戻して行くという事が日本の再生という言葉に、広い意味でつながればと思います。
今日はありがとうございました。(拍手)

2007年02月06日

06.12.2 三浦小太郎氏2 第19回日本再生フォーラム講演会(2)JACK大宮ビル5階にて

第19回 日本再生フォーラム講演会
06.12.2 JACK大宮ビル5階にて

『三浦小太郎氏の講演 その2』

もう一つ、外では帝国主義、内では階級の敵の意味をもう一回言います。
こういうお互いがお互いを密告しあう、それによって国民を上が精神的にも肉体的にも完全にコントロールするのが全体主義の体制です。
そして、逆らったらどうなるか?
それは、もちろん死刑もありますけど、北朝鮮の人たちは大体生涯のうちに2〜3回は死刑を見る。
公開処刑。
あの公開処刑は、皆さんはご存知と思いますけど、単に縛ってそして撃つと言う処刑じゃないんですね。

私脱北者の人に聞いてはっきり出ましたけど、まず、知ってる人にはごめんなさいね、2回もこんな話を聞かせて。
口の中に、食べられない。
歯なんかバリバリに折れます。
その上を縛って、足の関節を折って、逃げられないようにして撃つわけです。
そういうのを生きている皆さんが生活の中で何度か見たら、政府に抵抗しようとか言う意思は生まれるか生まれないか、っていうのはあまりの恐怖と抑圧の中だったら人間って麻痺しますよ。
これが恐怖支配って言う。
人々を、「私はいつ密告されるだろうか?」「私はいつこういう目に遭うんだろうか?」

そしてこれ、「山送り」って北の人は言いますけど、ある家族が突然いなくなる。
これ、スパイとみなされた一家が突然いなくなる。
これは強制収容所送りです。
この強制収容所、山の中で皆がひたすら強制労働させられて、一日一食一握りのとうもろこしで、後は働かされて死んでいくと言うところですけれど、そこに送られるか。
そういう恐怖の中で国民は、もう抵抗しようとかそういう意識は失っています。
唯一の抵抗手段が逃げることですね。
北を逃げること。

そして、なぜこんな恐ろしい支配を政府は、北朝鮮の独裁政権は正当化できるのか?
それは外はすべて敵である。
日本もアメリカも韓国も、いつでも北を攻め滅ぼそうと思っている。
だから、中にスパイが入っちゃいけないから、お前たちはしっかり監視しろ。
これが全体主義体制の、ある具体的な意味です。
外がすべて敵であり、スパイがどこにいるか分からない。
国民のすべてが国民を監視しろ。

ですから、じゃあ、アメリカや日本や韓国が北と仲良くなったらどうなるでしょう?
仲良くなったら、別に、そんな中で厳しい監視をする必要ないじゃないかと。
ですから北朝鮮にとって外国と仲良くなる事はマイナスなんです、かえって。
ですから彼らは、ありとあらゆるポーズは取りますけど、金を引き出そうとか核兵器を取引にしようとか。
ポーズはこれからも取りますよ?
しかし、こういう全体主義政権と言うのはあえて言えば、そうですね。
こういう場で、衆議院議員の方も帰られましたので、あえて申しますけど、あえて言えばですね。
対話する事は基本的に不可能なんです。
彼らは我々と対話する気は無いんですから。
彼らが通じるのは拉致被害者を返さなかったら、自分たちの体制が倒されると思ったときにだけ返してくる。

私は詳しい政治的な専門の事は分からないんですが、小泉さんが訪朝されたときに5人を返してきたのは、かなりの危機感をあの国が持った。
それはいろんな理由があるでしょう。
それは国際情勢の専門家の方にいろいろお話を聞いていただければと思います。
あの体制は自分たちが、極端な事をいえばですね。
空爆されるんじゃないか?と思ったときに初めて妥協してくる。

ですから今北が核実験をして来ている。
これは対話のシグナル。
ある意味では対話というですね、いかにこちらに注意を惹きつけるか?
そしてどういう取引が出来るか?のシグナル。
このときに日本が、核開発をやめ拉致被害者を返さなければ、あなたたちの体制は、本当は私たちが倒しますよ!
と言うメッセージを、まぁそう言えとは言いませんよ?
そういう種類のメッセージを送ったときに、初めて北朝鮮は動きます。

飯塚さんを前に私非常に言い難いんですけれど、田口さんを返せば大韓航空機は北の犯行だと言う事が100%明らかになるわけですから、彼らはやはり返したくないという意思は強いでしょう。
それを取り返すには、田口さんを返さなければ金正日が生きられない!
いう事を示すしか、おそらく他にない。
田口さんだけの問題を議論したいんではないんですよ?
しかし、拉致問題の根本にはおそらくそれがある。

じゃあ、日本はどうしたらいいのか?と言う具体的なことになれば、私は正直言ってこうしたら良いんじゃないか、ああしたら良いんじゃないかという事は、アイデアとしてある人間では無いんですね。
それは申し訳ないんですが、やはり一人ひとりが知恵を絞り、また政治家がいろんな方向で考えなくちゃいけないと思います。
私は正直言うとですね。
救う会の方々が多い集会でこういう事を申し上げるのは、大変申し訳ないんですけどね。
経済制裁だけで拉致問題が解決するかどうか?は、僕はちょっと微妙だと思います。
私は経済制裁プラス、あの体制がもっと決定的に危機に陥るかもしれないという構図を作る必要が、おそらくあるだろうと。

だからといって経済制裁は基本的に行なわなくちゃいけない。
そしてこれは今、明らかに効果を上げています。
効果を上げている事は事実です。
なぜ効果を上げているかと言えるか?と言うと、効果が上がっていなければ、北は核実験なんていう賭けには入りません。
僕はあのニュースを見たとき最初に思ったのは、「あぁ、日米の経済制裁って意外と効果あるんだ」という事を、あの核実験で逆に思いました。
あれはかなりの効果が無ければ、向こうは博打打って来ませんから。

そしてもう一つ、「しおかぜ」について言いますと、皆さんの想像以上にあれは聴いています。
聴いているというのはパンチで効いているんじゃなくて、向こうの国民聴いています。
私、北朝鮮から逃げてきた方々、数十人の方とお付き合いありますけど、ほとんどが向こうで隠れてラジオ聴いていたりする。
ですから、今どの程度の効果が上がっているか?を私いう事できませんけど、これは継続は力なりで必ず効きます。
そして、北から日本に今逃げている人が皆なんて言うか?
「日本に来て拉致事件を知った」
庶民はみんなそうです。
日本に来て、「あ、こんなことがあった」
これが北朝鮮のラジオを持っている人に伝わるという事は凄く意味がある。

そしてこういう事を言う人がいますね?
「被害者は聴けないだろうから、北の人が聴くだけじゃないか?」
北の人が聴くことに意味があるんです。
私ちょっと話ずれて悪いんですけど、今度日本に逃げて来ている日本人妻の方々の放送を向こうに、荒木先生の所から少し送らせてもらおうと実は考えております。
とにかく逃げ出せ。

そして北朝鮮の人たちに私たちがあの放送を通じて、もちろん拉致被害者のメッセージが8割くらいを占めるんですけど、残り2割くらいはですね。
北朝鮮の人間たちにやはり、「あなたたちはこの体制が続く限り生き延びられませんよ」という事は伝えていく。
そして私は北朝鮮に対して、対話と圧力と言う言葉がありますけど、私はいつもこう言うんですよ。
「金正日に対しては圧力を、北朝鮮の人々に対しては対話を」
こういうスタイルで行くためにはあのラジオ放送も非常に実は意味があります。
そして、これがまず全体主義の問題。
そしてなぜ対話が出来ないか?という事をちょっと話させていただきました。

もうひとつですね。
次に、これも僕にとっては非常に大事なテーマなんで申し上げますけど、拉致問題の中で私が本当にですね。
被害者の方々日本に帰られてからいろんな事がありましたけど、特に私強く思うのは、北朝鮮、こういうお互いがお互いを信じることができない社会。
拉致被害者の方々も帰って来た方々はですね。
向こうで、北朝鮮で飢えて死んでいく人よりは良い生活をしていたかもしれないけれど、でもあの人たちは「もしかしたら明日殺されるんじゃないか?」って言う中に数十年いた人たちなんです。
これはちょっと、私には想像も出来ない恐怖と緊張感の毎日だったと思います。
同じように北朝鮮を逃げて、今韓国そしてこの日本にも来ている方々と言うのは、向こうで「これ一言言ったら危ないんじゃないか?」「これやったら危ないんじゃないか?」
そういう中でずっと生きていた人たち。

この中に皆さんの中で失礼ですが、ご年配の方はまだイメージあるかもしれませんが、日本人妻という・・・(聞き取れず)がある。
北朝鮮への帰国運動、日本から北朝鮮へ9万3千人の人が戦後帰国運動と言う形で帰りました。
まぁ、帰ったんじゃない、とにかく行きましたね。
これは自分の意思で行ったんだという人もいますけど、資本主義・民主主義の国から共産主義の国に9万人。
逆はいくらでもありますけど、資本主義の国から共産主義の国に9万人の人間が移動したって言うのは、多分人間の歴史でこれが最初で最後でしょう。

この中には、いろんなカウントの仕方があるんですけど、少なく見積もっても1800名、2000名弱の在日朝鮮人の人と結婚した日本人の人がいる。
逆も、日本人の夫もいますね。
こういう方々がいらっしゃる。
この方々は向こうに行ってから、まだ仕送りがあった在日朝鮮人の人はいいかもしれない。
向こうで朝鮮語もしゃべれない。
あえて言えば、物凄い差別と貧困の中で生きてきた人が多分多いです。
あるいは日本人であることを全部捨てて、北朝鮮の人になりきって生きてきた。
この人たちに対しては非常に悲しい話題も一杯あります。

私は正直言ってですね。
日朝交渉の場で、北朝鮮の全部の人権問題は無理でも、日本国民として向こうに渡っていったこの日本人妻の問題は、一言でいいから本当は触れて欲しい。
そしてこの人たちはですね。
もう、あまりご生存の方は少ないでしょうね。
その人たちに関してはですね。
私は、日本政府が助けてくれとまでは言いませんけど、少なくとも北朝鮮にあまり酷い扱いはしないでくれ、安否を教えてくれ。
行方不明の人もいるんです。
それは拉致被害者の問題の次で構わないから、私は言っていただきたいと思う。
これもまた、日本国民の悲劇であることは確かなんです。

ある日本人妻の話、一つだけ紹介をします。
ある脱北者から聞いたんですけど、北から逃げてきた人に聞いたんですけど、自分の村にいた日本人妻。
この人は凄いきれいな人だった。
そして何でも知っていて、かなり教養のある人だったんでしょうね。
帰国者や日本人妻が集まると本当に人気者だった。
ところが90年代になってから、そういう集まりになぜかぱったり来なくなった。
買い物にもあまり姿を見せなくなった。
本当はそこの段階で心配してあげれば良かったんですけど、やっぱり自分や自分の家族が食べるのが精一杯で、その人のことまで頭が回らなかった。

で、何ヶ月かして、誰かがその人がアパートの窓から顔を出して手を振っている光景を見て、それ以降窓からも見えなくなって外にもほとんど出なくなったんで、ある人が心配して会いに行った。
そしたら餓死していた。
その人は・・・(聞き取れず)みたいで、夫は早く亡くなったみたいですね。
その人僕に言っていました。
「あぁ、日本人ていうのはこうなんだ。苦しくなったときに絶対に人に愚痴を言わないんだ。でも、だから自分たちが気付いてあげれば良かった」
まぁ、これはちょっと極端な例ですけどね。
極端な例ですね。

もう一つ、この前ブッシュ大統領に会った姜哲煥と言う脱北者ですけどね。
10年前かな?初めて日本に来たとき、新聞の名前はあえて言いませんが、ある新聞社が、その新聞社も下の方の人はいい人なんですよ。
どこかね。
「ちょっと原稿を書いてくれないか?」
向こうが言って来たんですよ。
僕はその時、あまりその運動に関わっていなかったけれど、皆さん凄く喜んで脱北者の姜哲煥さんが「自分が収容所で日本人妻が殺されていたのを見た」
ここは日本だから、そういう話なら興味を持ってくれるだろう。

で、ゲラ刷りまでやったんですよ。
ところがその夜、いきなり「これは掲載できない」
どうしてか?
十分な証拠が無い。
それは無いよ、収容所の中だからね、写真も無いですよ。
録音もしていないです。
この言葉、僕なんでこの時嫌味っぽく言うかと別に朝日新聞、あ、言っちゃった。
私は言いたくて言ったのではない。
今、特定失踪者に対しても同じような扱いがされているという事が言いたいから話の枕に言っている。

証拠はそれは無いです。
北朝鮮の中で起きている犯罪行為の証拠を持ってくるなんて大変なことです。
しかしこの日本国内で、日本国内で起きた裁判ならこれは証拠が不十分なのに人を逮捕したり処刑したり、これは絶対やっちゃいけない。
しかし、それがああいうさっき言ったように、すべての国民が国民を敵とみなし、すべての外国を敵とみなしているような国家が、専門の工作員を使って行なった犯罪、あるいは国内で日本人妻や北朝鮮民衆に対して行っているめちゃくちゃな行為に対して、証拠が無いから報道が出来ないとか抗議ができないとかいう言い方をしていたら、それはあえて言えば、人殺しに加担するようなものなんです。

別に朝日だけの悪口を言いたかったんではなくてですね。
正直言えば、まぁそうですね。
小泉訪朝とは言わない。
安明進さんの証言の前までは、産経新聞だろうが読売新聞だろうが十分な努力を払ってきたとは僕は思わない。
私たちもまた十分な関心を持ってこなかった。
それは反省するとして、次からは、これからは是非、皆さんの志をですね。
政治家に伝える。
今日来てくださるようなね、良心的な方に関してはそれはもう必要ないかもしれないけれど、まだまだ無関心なですね。
政治家は多いです。
そういう人たちに対して、マスコミに対してもね。
声を上げていっていただきたいと思います。

あと3点目、もう一つ大事ですかね。
ちょっとこれは、この北朝鮮問題と言うのは私ちょっと中国を抜きに語れないと、私思うんです。
中国に対して述べたいと思います。
今、中国でも拉致被害者がいるわけですけど、中国政府はですね。
自国民が拉致されていることにほとんど何の関心も示していませんし、私はこれからも示さないと思いますね。
中国政府自身がですね。
ああいう基本的に独裁国家が一人一人の国民の不幸などに心を痛めるという事は無いです。
中国に関しても北朝鮮の味方をしたら損だぞ、と思わせるしかないんです。

ちょっと下手な絵でごめんなさい。
画才はまったくないんで、これを朝鮮半島としましょう。
で、こっち中国ね。
私ちょっとこの前もこの辺に行ってきたんですけど、それはいいとして、こっちが北朝鮮で南と。
ここに日本があります。
これも専門じゃないんで外れるかもしれませんけど、皆さんこの中でですね。
いわゆる旧満州、中国東北部に旅行されたことのある人、いらっしゃいます?
約1名ですね、せいぜい。

今もう一人、野口君(=野口孝行氏 北朝鮮難民救援基金・国際担当)て方が手を上げましたが、彼は旅行ではなくて救援活動に行っているので、それは除外します。
これはもしかしたら、一人くらいいるかな?
昔の満州に行ったことあるかな?戦前の、さすがにいらっしゃらないか。
昔の満州、私も写真でしか分かりませんけど、今の中国東北部ね。
どうみても満州時代より貧しい。
どうみても。

例えば奉天、私瀋陽と言いません、奉天と言いますので間違えないで。
私瀋陽、延吉、・・・(聞き取れず)行きましたけど、この中国東北部、これは中国の中では取り残された、もちろん中国の内陸はもっと酷いですけど、ここはやっぱり中国の中では経済的にまだまだ遅れているところですね。
また満州とまで書くと、やはり政治的に偏向していると言われかねないので中国と言いますが、今ここで、かなり中国政府はここを開発しようという事は、一つの政治目的として明確に上げています。
中国東北部の開発。
出来ればこれを日本の金でやりたいんです、彼らは。

そして今、北朝鮮、ここは事実上もう中国の朝鮮族、ここに朝鮮族の方がいますからね。
中国にいる朝鮮民族、中国国民。
この方々が今物凄い行き来をしていて、現実に中国はこの北朝鮮のいろんな鉱山とか資源とかをバンバン買い占めて、ここ事実上今経済的に、このまま行けば中国の植民地。
なぜ中国がそれを、そして今中国が北朝鮮を、中国だって北朝鮮を全く良い国だなんて思ってないです。
なぜとりあえず、形だけ支えようとするのか?
自分たちが掴んだ利権を離したくない。

・・・その3に続く・・・

2007年02月05日

06.12.2 三浦小太郎氏1 第19回日本再生フォーラム講演会(1)JACK大宮ビル5階にて

第19回 日本再生フォーラム講演会
06.12.2 JACK大宮ビル5階にて

演題:北朝鮮との対話は不可能である。
   制裁と圧力のみが拉致被害者を救出しうる!
講師:三浦小太郎氏 (評論家・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会事務局長)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『三浦小太郎氏の講演 その1』

僕の事を別に自己紹介してもしょうがないんで、さっそく今日の話に入ろうと思います。
今日は私、この日本再生フォーラムでは佐藤先生・西岡先生・荒木先生、その他拉致問題・北朝鮮問題の専門家の方が何度もお話はされておられると思うんですね。
ですから、私自身拉致問題また北朝鮮問題に対して、最も専門的に勉強してきている人間というわけではありませんから、ちょっと今日はですね。
別の角度から北朝鮮に対して少しお話をさせてもらえればと思います。
まだ、片付けなくて良かったんですけど、こちらに本日飯塚様いらしてますけど、ちょっと最初にですね。
拉致問題に絞って2〜3、ちょっと気になる事を、専門家ではありませんが私なりに述べさせていただきます。

田口八重子さんに関してはですね。
もちろんすべての拉致が憎むべき犯罪なんですけれども、田口八重子さんの拉致事件は、あれはさらに言えば大韓航空機(爆破事件)に直結している問題で、日本人のパスポートが、金賢姫さん。
まぁ、この方は私罪を悔い改めたので、あえて「さん」と付けますが、金賢姫さんによって使われたわけですね。
大韓航空機の数百名の方々を一瞬のうちに殺害したと言う世論を、冤罪に、日本国民と日本政府はされそうになったわけです。

このことに対してはですね。
日本政府は拉致被害者を取り返すと同時にですね。
「自分たちをテロ国家・テロリスト容疑者にするつもりだったのか?」と。
いう事は、本当はもう少し怒らなければいけません。
あの時、これは西岡先生が良く仰ることと思いますが、本当に偶然金賢姫は自殺出来なかったわけですね。
彼女にとっては幸せだったかもしれない。

もしあれがですね。
あのまま死んでいた場合、「あれは日本のテロリストの仕業だ」とされた可能性は決してゼロでは決して無いんです。
そして、もしかしたら、まぁ「日本赤軍の仕業ではないか?」とか、そういう話になったでしょう。
これが日本国家と日本人に対して、どれだけの不名誉と国際的な不信感を与えることになったか?という事は、もう少し私たちはもちろん、日本政府も真剣に考えないといけない問題です。
このことに関して明確な抗議をしておかなければ、この問題はずるずると北朝鮮は誤魔化そうとします。
この事はひとつ言っておきたいと思います。

もうひとつ、本日特定失踪者の方々のご家族が数名いらっしゃっておられるようですね。
埼玉の方でございますか?
この方々はですね。
安明進さんが証言する前の拉致被害者ご家族の方々と、全く同じ境遇に置かれているんです。
誰もこの人たちの味方がいないんですよ、今。
誰もと言うのは良くないですね、皆さんは味方ですから。
しかし、もちろん荒木先生や皆さん、救う会の方々、そういう方々は味方かもしれないけれど、この方々は国民の中では、また日本政府に置いても、明確な、この人の家族を何とかしようと言う、そういう段階にはまだ至っていないんです。
もちろん、特定失踪者の方々の全員が拉致被害者だと、私は言うつもりはありません。
それは分からないことですね。

しかし、あえて言えば、安明進さんが証言する前は本当はですね。
田口八重子さんの事は日本政府は明らかに分かっています。
そして私たちも、もっともっと想像力を働かせ、もっともっとあの時代からいろんな事を学ぼうとしていれば、少なくとも有本さんの問題と田口さんの問題は、日本国民だってもっと幅広く分かるはずだったんです。
そういう意味で今失踪者の方々、この人たちはもちろん今荒木さんや皆さまの、私たち救う会の支援を受けているとは思いますけど、非常に今辛い状態にあるわけです。

この人たちの救援という事、仮にですね、仮にですよ?
拉致でなかったとしましょう。
しかし、家族の誰かがいなくなって、その行方が分からないと言う苦しみは、拉致被害者であれ、あるいはご家族のどなたが何の前触れも無く失踪した方であれ、すべてそれは同じものです。

皇后陛下でございましたかね?
拉致事件に対して、「なぜ私たちが、この共同体の一員としての悲劇をもっと深く認識出来てこなかったのか?」と。
私は、あのご皇室が政治的に発言することの是非はいろいろあると思いますが、私は拉致問題に関して一番的を射た発言は、今でもあれだったと思います。

私たちが北朝鮮を憎む、批判する、これは当然のことであります。
同時にですね。
拉致被害者への同情がまた支援が、特定失踪者の方々に対する支援や共感に、やはり私たちの中でつながっていくような精神を持たなければ、仮に北朝鮮の拉致がなくなったとしても、同じような犯罪行為は再び行なわれる可能性があります。
こういう問題について、皆様に語るのは釈迦に説法ですかね?
この外にいる方に言わなければいけない。
もっと認識していかなければならないと思います。

まぁそういう意味で、日本再生フォーラムと言うところに呼ばれましてですね。
もう何人か、何年か前からお付き合いしている方が数名いらっしゃいますけど、初めてこういう場で、あまり公開でしゃべる事が無いんでこういう事もしゃべらせていただきましたが、本当は日本再生は別に拉致問題だけじゃ無いだろうから、僕個人は拉致問題以外のテーマでもしゃべった方がいいかな?と。
拉致の事はもうみんなしゃべっているから、と思ったんだけれども、今、私たちの同じ同胞がテロリスト国家に、私はテロリスト国家と言う言葉はこれからはちょっと使わないんで、あそこは全体主義国家と言う言い方をこれからしますけど、その訳は(後で) 説明しますが。
少なくともテロ国家に攫われている中で、この問題を解決しないで他の日本の再生があるとは思えませんので、微力ながら北朝鮮問題という事一つに絞って、今日は語らせていただきます。

ええとですね。
ちょっとボードを使いますね。
今日は大体3つくらいのですね。
テーマで話そうと思って来ました。

最初に全く間違った言説が今でも一部であるので、まずそれを訂正しておきます。
朝鮮総連系の人が時々言いますね。
「拉致を私たち知らなかった、驚いた、9月17日に驚いた」
あれ、全部嘘ですからね。
私の周りの在日朝鮮人の人、「あんなもの、やったに決まってるわ!」と前から言っていましたよ。
これ絶対に嘘、「あれで驚いた」って言うのは。

何でか?
そういう人たちは決して悪い人たちではない。
私の付き合っている方々はですね。
横田さんの集会にも出ておられたし、そして総連もとっくに辞めていますし、最初から総連でない人もいるし。
北朝鮮がどんなに酷い国か、私たちより総連の人の方が良く知っています。
向こうに家族いるんですから。
そして自分の民族をあれだけ殺しまくるような政権が、他の国の人間を攫うことくらい何とも思わないって、彼らは知ってますからね。

後もう一個。
万景峰号が無いと家族が飢え死にする、これも嘘。
何で嘘と言い切れるか?
送る手段あるんですよ、他に。
ただ、大金を送ったり、ミサイルの部品を送ったり、それから金正日将軍様のお食べになる物を送ったり、そういう手段は無い。

ただ、「自分の家族に飢え死にしないために1万円送りたい」って言うんだったら手段はあるんです。
これは別に飛行機で行くとかそんな大げさな事をしないでも、現段階では出来ます。
現段階では。
これ言っていいのかね?まぁ言いますけど。
あのこの程度の事を知らない人が時々新聞記者でもいるから、あえて言いますけどね。
郵便局で送れますからね?北朝鮮へ、送金は、数万円なら。
それも止めるべきだと言う意見もあるかもしれませんけど、今の事実だけを言います。
送れますよ、数万円なら。

別に万景峰号、あれ乗るのに、相当お金かかるんですよ。
確か20万円くらいかかるのかな?
全部総連が、自分たちが搾取したいがために言っているんです。
そしてあれは人道の船でもなんでもない、あれは差別の船ですから。
総連に逆らった在日は乗れないんだから。
総連に逆らった在日だけじゃない、向こうにいる日本人妻、在日の人と結婚して北に行かれた方。
この方々の家族、これ支援できないんだから。
ですからあれは、もう明確に差別の船なんです。

この埼玉でも対朝鮮総連に対しては、非常に充実した活動をしてこられた事を、竹本さんも、今日はいらっしゃっているのかな?
古藤さんも非常に頑張られて来られている事を、私知っていますけどね。
あの組織は、もはや在日その物をコントロールし、差別する組織です。
あそこが無くなった方がはるかに在日朝鮮人幸せになります。
これはもう、断言できます。
僕はあれがあるから逆にね。
朝鮮人への偏見がなくならないんじゃないか?と思ってるくらいですからね。
これは大体ほとんど、在日コリアンの方も僕と変わらない考えですよ。
それが言えないだけです。

そして、これからが本番でありますが、3つ目の全くの間違いがあります。
これは、僕は北朝鮮専門家じゃないんで、私なりの勉強の結果ですけど、北朝鮮の中に改革派と保守派があると良くテレビで言う人がいるでしょ?
あれは間違いです。
間違い。
それは比較と言う意味では言えるかもしれない。
根本的には僕はそういう政治勢力に分かれているとは思えない。

そして北朝鮮の、これが今日のテーマですけど、北朝鮮と対話をして拉致被害者が帰ってくるとか、あるいは北朝鮮と平和的な交流をすれば、だんだんあの国が長い時間をかければ良くなるとか、これはあり得ない!
私はどうしたら拉致被害者が帰ってくるか?という正解を出せるような、知識や実力は無いです、正直。
だけど、対話で帰ってくるという事だけは無い。
この事は今日断言できますし、そしてその理由をこれから説明していきたいと思います。

北朝鮮の事をですね。
先ほど竹本さん、仰ったのがなんだっけな?
えっと、先軍政治でしたっけね?
あと異常な国という言葉も良く使われる。
テロ国家、これも言われますね。
全部当たっていると思います。

ただ、私、あんまりですね。
独裁政権という言葉は、まぁ使うには使うけど、これからはこの説明を出来るだけきちんとしていこうと思うんです。
独裁政権と言うとね、必ず次にこれを言われるんですよ。
「昔は南も独裁政権だった」と。
全然違うんです、これ。
北朝鮮に関して、私が私なりに勉強した範囲では、あの国は全体主義政権。
政治学用語では、こういう言葉が一番当てはまる。
こういう政権。

全体主義って言うのは、皆様の中で最も分かりやすい例えをすれば、スターリンの政権、ナチスの政権。
そうだな、ある時期の毛沢東。
この辺をだいたい頭に思い浮かべていただければ、イメージとして分かる。
全体主義政権と、例えば朴正煕さんの軍国主義政権。
軍事独裁、まぁ朴正煕でなくてもいいや、軍事独裁。
よく、できるだけ北朝鮮をかばいたいと言う人は北も軍事独裁だけど、あぁ、そうそうこれいろんな人が言うんだけど、田原総一郎まで言いますよね?
「ああいう国はたくさんあるから」って。
ねぇよ、そんなたくさんは。

全体主義政権と軍事独裁、これ全く違うものです。
どこが違うか?
軍事独裁とかそういう政権というは、国益とか平和、対外関係の改善、これは全部丸なんです。
ある軍事独裁政権が軍事政権があったとして、例えば自分たちにとって国益になること、経済的に豊かになること、あるいは平和。
自分たちが対立している国との間が平和になること、関係が改善されること、これは基本的に良いことなんです。
これは一応最低限彼らはプラスと取る。

全体主義政権と言うのは全く逆で、まず平和になっては困るんです。
対外関係、外はすべて基本的にですね。
外国は敵でないと困る。
国益、こんなものはあんまり関係ないんです。
国民が幸せになろうがなるまいが、全体主義政権にとっては関係ないんです。
逆に言えば300万人死のうが関係ないんです。

これはですね。
政治学者の最近有名になりましたけど、ハンナ・アレントさんという方が、非常に詳しく説明したんですけど、北朝鮮を例に言いましょう。
北朝鮮の金日成は1961年、こういう事を言っているんです。
「外に、外部に帝国主義、内部に階級の敵」

外に自分たちを攻撃している帝国主義国家、これはアメリカと韓国と日本、具体的にはね。
中に階級の敵、これは簡単に言えばスパイです。
北朝鮮の金日成にとって敵対するものは全部スパイ。
この二つがいる限り、わが国の戦いは止まらない・終らない。
妥協の無い戦争を続ける。
これは1961年に金日成が言ったことです。
これは現在に至るまで、全く変わっていない。
外に帝国主義がいて、内に階級の敵がいる間、闘争は終らない。

そして、大体ですね。
外に帝国主義、中に階級の敵が存在する間、戦いは止めない・終らないということは逆に言うとですね。
大体北朝鮮、1967年ていうか、60年代の後半には北朝鮮の中の中国派とか、労働党の中のね。
中国派とかソ連派とか、そういう金日成体制に反対するような勢力は全部いなくなっているんです。
全部粛清されているです。

ところがそしたら、そうやって中に敵がいなくなってからの方が、じゃ中に敵がいなくなったら今度はどうするか?
国民の中にスパイが混じっている。
このとき特にやられたのが帰国者とか日本人妻。
これ、日本から来た人間は資本主義の影響がある。

北朝鮮て言うのは、これは皆様もいろんな本でご存知と思いますけど、国民の中で家族以外、家族でもと言った方がいいんでしょうかね?
基本的に全員が密告者になる可能性がある。
北朝鮮体制と言うのは本当の意味で、例えば私が竹本さんにしゃべるように自由な事をしゃべった場合、次の日にそれが保衛部つまり警察に伝わって、私が逮捕される竹本さんが逮捕される。
そういう事が起きる社会。
だからこそ、北朝鮮はどんなに飢餓が激しくなっても、民衆の反乱と言うのは起きません。

私これはね、一時期大きく間違えていた。
私は北朝鮮問題に大きく興味を持ち始めたのは、1990年代。
このとき私、もう物凄い飢餓が起きているという事を、脱北者の方々その他から聞いたときですね。
配給はストップした、もうばたばた人が死んでいる。
これは絶対この国は潰れるぞと思った。
これ、全くの間違いでした。

あの国では例え何百万人の人が死のうと、例えば3人集まって計画したら、誰か一人密告したら残り二人やられるわけですから。
民衆が連帯して立ち上がるという、ああいう東ヨーロッパ的なものは全く起きません。
ごく一部にそういうものがあったらしいという噂は、第6軍団(?)の話とかいろいろありますけど、それももぅ皆潰されています。
これ、全体主義体制と言うのは、国民同士を国民によって(監視する)。
国民を警察が監視するだけなら、これは軍事政権はそうなんです。
国民が国民をお互い監視しあって、それを密告させる。
密告しなければそれによって逆に「お前はスパイなのか?」と、そういうところに追い詰められていく社会。
そういう国では基本的に民衆の反乱と言うものは、絶対とは言いませんけどほとんど起り得ない。

・・・その2に続く・・・

2006年05月09日

06.4.16 野口孝行氏 日本再生フォーラム(14)JACK大宮ビル5階にて

『野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金・国際担当)の講演』

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皆さん、こんにちは。
指名手配中の野口孝行と申します。(笑い声)
今日はこういった貴重な機会にですね。
時間を与えて頂きまして、誠にありがとうございます。
今日私、初めて埼玉で話す機会を頂いたんですが、実は私埼玉の出身で蓮田市と言う所で育ちました。
そして現在はさいたま市、ここからも自転車ですぐの所に住んでまして、とてもここの場所は良く知っている所なので、今日は本当にこの場所でお話しする事が出来て大変光栄に思っております。

更にそれだけでなく、先ほどですね。
鈴木(賢)さんのお兄さんだったかと思いますが、実はですね。
私、鈴木さんの高校の後輩に当たる関係でありまして、実は高校は浦和西高校と言うところに行ってまして、その関係でですね。
なにか経歴を見たら、浦和西・明治大学と書いてあって、これは他人事では無いなと思って本当にこの問題にはですね。
これからも埼玉県民の一人としてですね。
一緒に協力して立ち向かって行きたいなと思っている次第です。

次なんですが、実際に私が(中国で)捕まったんですが、これはですね。
2003年の12月ですね。
私と元在日朝鮮人の人で北朝鮮に渡っていた人が二人いたんですが、彼らと中国の遼寧省の大連と言うところで合流しまして、彼らが「どうしても日本に帰りたい」と、「どうしても助けて欲しい」と言う要請を受けまして3人で、4人ですね。
4人でバスと列車を使ってベトナムの方に、ずっと何百キロ何千キロを走って逃げていく途中、最後の広西壮族(チワン)族自治区と言うところでですね。
区都の南寧(ナンネイ)と言うところでですね。
ホテルで休んでいる時に中国の公安に踏み込まれまして、そこで逮捕されるという事になりました。

その前にもですね。
私は脱北者といわれている人に会って来ていまして、どういう状況かと言いますと、だいたいその黒龍江省とかですね。
遼寧省、吉林省と言われる、東北三省と言われるところにたくさん脱北者の方たちがいるんですが。
ご年配の方々には凄く馴染みのある都市の名前だと思いますが、ハルピンとかですね。
牡丹江とかそういったところからバスなんかで何時間も走っていく。

「昔はここに開拓団の人たちが居たんだよ」と言うそういう話をですね。
聞かされるようなちっちゃな村に隠れている脱北者の人たちと会ってですね。
お話をするわけですが、そういった中で私は日本人としてそういったところに行きまして。
年配の方、60過ぎた方がですね。
生まれ故郷である日本に対してですね。
「どうしても帰りたいんだ、助けてください」と、そういったちっちゃな寒村で話をされるわけですね。
そうしますと私も日本人として、こんなに日本を恋焦がれているなら助けてあげたいなと言う思いが強くなりまして、こうした活動を続けてきたわけです。

ハルピンで会ったとき、何人かの脱北者がいたんですが、とても不思議な思いと言うかですね。
彼らは私の生まれる前の日本を知っていて1960年代に北に渡って行った訳ですね。
私は1971年生まれですから、彼女たち・彼たちが知ってる日本を知らないわけです。
で、逆に彼らはですね。
要するに彼らの知らない日本を私は知っている。
そういった存在をお互い東北三省という土地で会って、お互い日本の事を話をして、「今日本はどうなっているんですか?」と話をしながらですね。
「じゃあ、一緒に日本に帰りましょう」と言う思いでこれまでいろんな思いで、脱北支援を運動をして来ました。

そういうわけで私は捕まりまして8ヶ月という実刑判決を受けたんですが、作戦の中でですね。
いろいろな予期せぬ事が起こりまして、その南寧(ナンネイ)と言う町はベトナムの国境から列車で3時間の所なんですが、そこに到着する列車のですね。
私は夜到着する列車を予約して乗ったんですが、それは以前にも乗った事がありまして、夜着けば後は中国の町の闇に紛れてしまえばですね。
人の目にもつかないし、どうにかなるだろうというような計画で以前も行っていたんですが、皆さんご存知のように中国の経済発展と言うのはですね。
本当に日進月歩と言うか凄まじい物がありまして、数ヵ月後に同じ時間北京の駅を発車する列車に乗ったらですね。
その間に電車の性能と保線の性能と言うか品質が良くなったせいだと思うんですけど、私たちが目的地に着いたときは真っ昼間だったんですね。

というのは数時間単位で電車が速くなっている。
そこに着いたらあれ夜のはずなのになんでこんな昼間についているんだろう?(笑い声)そういう状況でして。
後々話を聞くとどうやら北京の前で張っていた公安の連中がいまして、僕らを見てこいつら怪しいぞと。
と言う事で私たちを尾行したと言う話がありますので、今思いますと、あれが夜だったらもしかしたら助かったのかな?と言う思いもあります。

先ほど荒木先生からちょっとお話がありましたが、私が今年の2月ですね。
日朝交渉の時に、私が日本に帰ってもう2年くらい経ちますから、あまりマスコミなんかで名前が上がらなくなって来てちょっとホッとしていたと言う所なんですが、7人の引き渡し要求が出たと。
言う話が突如出て来まして、正直、もう本当に北朝鮮を、実際笑ってしまったと言う感じなんですね。
よくもまぁこんなにとんでもないコジツケをですね、言えたものだと。
恥も外聞も無い状況だなというように思いました。

それでまぁ3月ですか。
次は逮捕状が出されると言う状況なんですが、本当にここで真面目にどうこう話をするのも馬鹿らしいくらいなんです。
実際向こうは北朝鮮の公民を拉致誘拐した極悪犯と言う事を言ってるんですが、だったら私と一緒に拘束されて北朝鮮に送還された二人は被害者なわけですね、私に誘拐された。
であれば、その二人を表に出しなさいと、言いたい所なんですが、結局ですね。
私が連れていた一人は結局収容所みたいなところに入れられて、もう命が無いんじゃないか?と言う話も有りますし。

また、もう一人の人はですね。
6ヶ月間、強化所と言われているところに入れられまして、酷い罰を受けてどうにか生きて出てくる事は出来たんですが、罰せられたわけであります。
もしくは私に誘拐拉致された被害者であれば、彼らは保護されるべき位置にいる人間であって、決して罰せられる対象では無いと言う事をですね。
いうまでもなく、北朝鮮の言ってる事はデタラメであると言うことを言っておきたいと思います。

今回ですね、この件があったときに出て来たときに、たまたま実際に現地で一緒に活動してきた韓国の60歳を過ぎている活動家の人がいるんですが、東京で食事をする機会がありました。
その時に私と、私の団体の事務局長の加藤(博)もまた逮捕状を出されているんですが、二人で食事をして、その韓国人の男性が上手な日本語で「加藤さん、野口さん、これは良い機会じゃないですか?」と。
「あなたたち北朝鮮に行きなさいよ」と。
そして引渡しを受けて「辛光洙で何でも引き渡せ」と、「やりなさい」と。
「そうする事によって日本人の勇ましさを世界中にアピールする事が出来るんですよ」ととても強く叩られたんですが。
 
「うん、そうですね」と言いながらですね。
「そんな馬鹿な話に乗ってもしょうがない」という事で、今お手元にある私たちの資料にですね。
共同声明を出すと言う所で一応納まってるんですが、これ以上いい加減な事を言ったらですね。
私たちも更にレベルをアップしてですね。
何か対抗処置を取らなければいけないというふうに思うところもあります。

最後にですね。
そこの資料にもあるんですが、自民党と民主党が先々月同時に順番にですね。
北朝鮮の人権法案と言う物を出しました。
これですね、内容を見ると自民党案と言うのは基本的にもちろん拉致問題を解決しましょうと言う内容で、経済制裁も使いながら解決していきましょう、という内容です。
これは私はそれはそれで意義のある事だと思います。

また民主党案はですね。
経済制裁と言うよりも脱北者の問題を難民として取り上げて、国連の難民条約に準じた形で条約難民として、北朝鮮の難民の人たちを助けて、日本に保護を求める人はこちらに保護を許すと。
こちらで在留する事を許しましょうという法案ですね。

それで私ここでひとつ申し上げたい事なんですが、もちろん拉致の問題も解決しなくてはいけません。
もう一つなんですが、ここで日本としてですね。
脱北者を助けると言う法律・法案で・・・(聞き取れず)をつけて、それに対して動くと言う事はとても大切な事だと思うんですね。
なぜかと申しますと、これまで私も韓国の人たちにたくさん会って来ました。
それはこの問題に関る前からもいろんな所で韓国の人たちに会って来ました。

で、大体ですね。
皆さんもご経験ある方もおられるかもしれませんが、やはり豊臣秀吉の話から始まるわけですよ。
日本人は悪い人ですね、と言う話から始まってとくとくと歴史の話をされるんですね。
で私が「お前500年前生きてたのか?」と、「俺は生きてないよ」と。
「過去の事を言われても私は責任取れません、ただこれからの未来に向けては責任を取ることは出来ます」ということで、いつも韓国人とはだいたい朝までかかる口論になってしまうんですが、そういう状況の中でですね。
今回、その日本と言う国が朝鮮半島の人たちを保護する為に、法律を作ると言うのはですね。
大変意義のある事だと思うんですね。

歴史問題、認識をですね。
に対して、あの国の、韓国も含めて朝鮮半島の認識を変えると言う事は本当に難しい事だと思うんですね。
ただ、これからの将来とか未来を作っていくと言う事は、若い世代を始めとして出来る事だと思うんですね。
ここでそういった朝鮮の人たちを助けると言う法律を日本が作る事によって、本当にですね。
拉致の問題だけじゃなくて、更に大きな大局的な立場に立った場合、100年後200年後にですね。
相手は500年前の話を言ってるわけですから、100年後200年後にですね。
いや、ちょっと待てよと。
俺たちはあの時にこういう法律を作って、北朝鮮の人たちを救ったじゃないかと。
そういう事をですね、言える法律だと思うので、是非皆さんも、もちろん拉致の解決は当然の事です。
ですが、もう少し大局的な観点からですね。
こういった難民の問題と言うことにも目を配って頂いて、ご理解を頂けたら大変私は感謝いたします。

時間ももう無いようですが、最後にですね。
この脱北者の取り組み、国際的な取り組みなんですが、3月にベルギーで国際会議が開かれました。
これは今までの会議と違って、今まではこんな酷い状況がありますよと言うような、状況を説明するばかりだったんですが、今回はちょっと一歩踏み出しまして、金正日を国際法廷で裁こうじゃないかと決議案が出まして、国際法の専門家の弁護士さんたちが集まって今後ですね。
金正日を国際法廷に引きずり出そうと言う枠組みが出来ました。

更にその後には国連、今民間レベルですから、その後は国連のですね。
オランダのハーグにある国際犯罪法廷に持って行こうと言うような枠組みも出来ています。
先月ですか、ユーゴスラビアのミロシェビッチがですね。
あの中で亡くなりましてね。
と言う事は、国家元首級の人をですね。
迎え入れる施設があそこに空いている筈なんですね。(笑い声)
ということは、そういう事でですね。
是非あそこに金正日をぶち込もうと(拍手)、いうように私は思っております。

どうも今日はありがとうございました。(拍手)

・・・この後主催者の挨拶などがあって、講演会は終了・・・

06.4.16 特定失踪者・鈴木賢さんの兄2 日本再生フォーラム(13)JACK大宮ビル5階にて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え 2』




アピールの方は以上なんですけども、私思いますのに。
先ほど来荒木代表、本間さんの方から大変力強い話がございましたが、現在このまま推移しますとある日ある時、国が国民が大きな後悔の念を持たざるを得ない日が来るんじゃないかと言う事でもって、大変危惧しております。
そういう意味で、少なくともですね。
北朝鮮の理不尽な発言については、国のトップがもっともっと心の底から怒りを持って強硬に抗議を発信すると言う事が大事じゃないかと思います。

最近お話を伺ってますと、お話を聞いてますと、国のトップの言動と言うのは大変熱い物が感じられません。
そういう点でですね。
少なくとも日本人の生命と安全を守る国の最高責任者の発言とは思えません。
少なくとも、国のトップと国民の世論との間に非常にギャップがあるんでは無いかと思います。
この隙間を北朝鮮は突いているんじゃないかというふうに思えてなりません。

そういう意味では「拉致被害者救出緊急事態特殊法」とでも言いますか、そういった物を制定して頂いて。
少なくとも国のトップと国民が同じ方向で向き合って同じ犯罪への目に立って、この問題に対処して行く時期では無いかと考えておりますので、これからも出来るだけ精一杯のご支援を頂いて、一人でも多くの方のご協力を頂きながらこの市民活動の輪を広げていきたいと言うふうに思っております。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)

2006年05月08日

06.4.16 特定失踪者・生島孝子さんの姉 日本再生フォーラム(12)JACK大宮ビル5階にて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え』

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こんにちは。
特定失踪者・生島孝子の姉、馨子(けいこ)でございます。
どうぞよろしくお願いします。

妹は1972年渋谷区笹塚、新宿の駅から3つ目ですね。
のところで、日中にいなくなりました。
それから33年経って北朝鮮での目撃証言を得ました。
妹が失踪した当時母は入院しておりましたが、33年後に(孝子さんが)北朝鮮で目撃されたと言う証言を得て、母はとても喜びまして、自分が33年間生きていると信じて生き延びてきた事を、自分自身をとても褒めて喜んでいました。
33年生きていて良かった、会えるんじゃないか?
会いたい会いたいと言いながら、でもその目撃証言を得て3ヵ月後に、会いたい会いたいと言って力尽きて亡くなってしまいました。

その母の無念さを皆様に知って頂く事で、孝子を取り返す運動につなげていきたいと思って、自費出版をする事を決意したんですが、母の無くなった当時、特定失踪者と言うことがまだ世の中に余り知られていない為に、言って良いのかどうか?と言う疑問がありました。
不安がありました。
それと、家族会になんで入らないの?と言われた事もありまして、当時の状況から特定失踪者の母がこのように残念な思いをして死んでいきましたと言うふうに言う事が憚られたんですね。

それでも何か家族としては、残された私としては何か母のためにしてあげたいと思って、このような本を出版いたしましたが、1年経って見るともうちょっと『特定失踪者である妹の孝子という者の母親であった』と言う事を、ハッキリ書けばよかったかな、と思ってます。
ですからこれの中にはその事は殆ど触れてなくて、『母親がこういうふうに我慢して33年間生きてきた』と言う事だけを中心にして書きました。

今日この場に主催者の方、またご出席の皆様のご好意に甘えまして、このつまらない本をちょっとご紹介させていただきます。
こんな中身の薄い物を1400円も出すのはちょっと憚られると思われる方は、ネット本に入れましたので、ネットで500円で見て頂きたい。
それもちょっとねと言う方は、そういう思いで私が、母の思いを世の中に知って頂きたいと言う事だけで、こんな本を出したという事をチラッと思っていただけると、ありがたいと思います。
どうもいろいろありがとうございます。
よろしくお願いします。(拍手)

氏名 生島 孝子
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
性別 女 当時年齢 31
身長 体重
公開 第1次公開
当時身分 港区役所麻布支所交換手
特徴
失踪現場 東京都渋谷区
失踪状況 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

・・・・・・・・・・・・・
参考過去エントリー

★「うらさんの願いはダイヤモンドになって」特定失踪者・生島孝子さんの姉、生島馨子さんの著書紹介
http://piron326.seesaa.net/article/13463564.html
★「うらさんの祈りはダイヤモンドになって」電子版出版のご案内
http://piron326.seesaa.net/article/15574603.html

06.4.16 特定失踪者・江原信明さんの姉 日本再生フォーラム(11)JACK大宮ビル5階にて

『大越宏子さん(特定失踪者・江原信明さんの姉)の訴え』


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★鈴木智さん

次にはですね、特定失踪者の江原信明さんのお姉さんでございます、大越宏子さんです。

★大越宏子さん

こんにちは。(拍手)
こちらが私の弟の江原信明です。(弟さんの写真を掲げる)
1988年の5月9日に大宮の方にちょっと遊びに出かけます、と言う事で出て行ったきり、本日まで何の消息もございません。
両親も警察やら友人やらいろいろ捜しましたけども、全然手がかりになるような事はひとつもありませんでした。

そして特定失踪者問題調査会の方で、取り上げて頂き今日に至っております。
警察も・・・(聞き取れず)ですけど、銀行の口座ですとかいろいろ両親も調べたりしたんですけども、何の動きも無い。
全く手がかりがつかめなかったんです。
それで、万が一拉致と言う可能性もあるんじゃ無いか?と言う事で、姉の私が今ここでこうしてお願いしているわけでございます。
これからも市民の皆様が関心を寄せて頂く事で、少しでも早く解決出来る日が近付くと思っております。
どうぞこれからもよろしくお願いします。(拍手)

氏名 江原 信明
失踪年月日 昭和63(1988)年5月9日
ふりがな えばら のぶあき
生年月日 昭和34(1959)年9月12日
性別 男 当時年齢 28
身長 177センチ 体重 63キロ
公開 第4次公開
当時身分 農業
特徴 髪は多めでややくせがある。白髪が多かったので黒く染めていた。前歯は銀色のものをかぶせていた。タバコ、酒はほとんどやらない。電気工事士、アマチュア無線、普通自動車の免許あり、趣味は釣り 失踪現場 埼玉県南埼玉郡白岡町の自宅
失踪状況 「たまには大宮にでも行って映画を観てくる」と白岡町の実家を出たまま失踪。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html


★鈴木智さん

先ほどお話しました7名の特定失踪者の中で藤田進さん、佐々木悦子さん、新木章さん。
この3人は拉致が濃厚と言う事でもって、政府のほうに認定を申請して頂いているという状況でございます。
続きまして、埼玉では無いんですけども東京の方で(失踪をした)生島孝子さんのお姉さんを紹介します。

06.4.16 特定失踪者・佐々木悦子さんの母 日本再生フォーラム(10)JACK大宮ビル5階にて

『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

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皆さん、今日はありがとうございます。(拍手)
特定失踪者問題調査会でお世話になっております、佐々木悦子の母でございます。
いつもご支援ありがとうございます。

先ほど荒木先生から短波放送「しおかぜ」のお話がありましたが、家族からの手紙の代読を荒木先生には一生懸命に読み上げて頂いております。
また1月からは家族の声も流しております。
長い長い年月の中、本当に月日が経っているんだなと。
皆さん、家族の中には亡くなった方がたくさんおります。
本当に辛い事です。

うちの場合もそうなんです。
悦子が失踪してから5年後、やはり娘の安否を気遣って、本当に心労心労で(主人は)5年後に亡くなりました。
本当に無念でなりません。
私は主人のために、悦子が日本に帰るまでこの目で悦子を見届けるまでは、死ぬ事は出来ません。
頑張り続けます。
皆様これからもご支援の程よろしくお願いします。(拍手)

氏名 佐々木 悦子
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
ふりがな ささき えつこ
生年月日 昭和38(1963)年12月6日
性別 女 当時年齢 27
身長 162センチ 体重 52キロ
公開 第1次公開
当時身分 埼玉銀行パート
特徴 左目の下に泣きぼくろあり、両手共ふっくらとしているが指先が細い。
失踪現場 埼玉県浦和市
失踪状況 「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

06.4.16 特定失踪者・鈴木賢さんの兄 日本再生フォーラム(9)JACK大宮ビル5階にて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

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はじめまして。
私、特定失踪者・鈴木賢の兄でございます。
現在は拉致問題を考える川口の会をしまして、川口の自治体の強力なバックアップの元に、それと更に家族を支えてくれる支援されている多くの皆様のご支援によりまして、現在月一ではございますが第一日曜日午後2時から4時まで署名活動を行っております。
もちろんその他にもいろいろこの問題を考えて頂くという事でもって、一人でも多くの皆様方にご協力を頂きながら現在はですね。
支援される方々とそれから川口に住所を持つ、あるいは田口八重子さんを救う会の皆さん共々と現在はこの拉致問題の拉致被害者の一刻も早い救出を願いつつ、精一杯行動を起こしております。

川口の特徴と言いますと、拉致被害者の政府認定者の田口八重子さんですね。
それと当初は6名の特定失踪者がおったわけですけども、現在は特定失踪者が7名おります。
あ、ごめんなさい、当初は5名の特定失踪者だったんですけども、現在は7名おります。
それぞれですね、これから一言ずつお話を頂き、あるいはアピールをさせて頂きたいと思いますけど、私の弟はですね。
昭和47年、5月にですね。
大学を出て東京の会社に就職をしました。
春のレクリエーションということで5月に、まさにハイキングスタイルでもって朝の6時に私のお袋に見送られて、ハイキングスタイルで当時の自宅三芳町の藤久保、ここを出ました。

今年で34年になるんですけども、この間、全くの音信不通。
それといわゆる風の便りのひとつもございません。
そういった点では本人が出て行った時の状況と言うのはあまり良く分かりませんけども、例えば免許証だけは持って出ました。
免許証の更新はされておりません。
その他、自分の意思と言う事も考えられない事はないですね。
事件、事故、自分の意思と言う事も考えられなくはないですけども、私の感覚としましてはもしやこの拉致事件にも関りはあるんじゃないか?と言う事でもって、先ほど来お話を頂いた、特定失踪者問題調査会の方に申し出をしましていろいろ調査をして頂いている。
と言うのが現状でございます。

尚川口の自治体におきましてはですね。
大変力強い物がございまして、川口の自治体、長、それから市議会に起きましても大変ですね。
この問題に対しては高い関心とご協力を頂きまして、例えば市庁舎の所には大きな横断幕を張ってあります。
それと駅前には電光掲示板、それと尚、各公民館・自治会館、自治会を通しまして署名と言うような物については常時出来ると言う状況になっております。
そんな事でこれからもですね。
自治体のバックアップ、あるいは支える会のバックアップを頂きながらこれからも署名運動を中心にですね。
諸活動を邁進していきたいというように考えております。

氏名 鈴木 賢
失踪年月日 昭和47(1972)年5月28日
ふりがな すずき まさる
生年月日 昭和24(1949)年1月12日
性別 男 当時年齢 23
身長 170センチ 体重
公開 第3次公開
当時身分 会社員
特徴 中肉。
失踪現場 埼玉県三芳町の自宅を出て
失踪状況 会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。レクリエーションには行っていない。職場、大学時代の友人も心当たりなし。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

それではですね、今日ここに写真が出ておりますけども今日お見えになってない方が井上克美さん、それから藤田進さん、それから新木章さん、それと石井久宏さん、長谷山洋さんのご家族の方はお見えになっておりません。
従いまして、佐々木悦子さんのお母さんの佐々木アイ子さんから一言お願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下、川口関係の特定失踪者の情報の紹介

※情報はすべて特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

★氏名 井上 克美
失踪年月日 昭和46(1971)年12月29日
ふりがな いのうえ かつよし
生年月日 昭和25(1950)年2月25日
性別 男 当時年齢 21
身長 体重
公開 第4次公開
当時身分 電気工事店勤務
特徴
失踪現場 埼玉県川口市
失踪状況 失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時〜1時)、すし屋で食事をした後友人と別れた。当時泥酔状態。夜帰宅しなかったので翌30日前実家にtelがあり両親も知った。妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思いtelしたとのこと。運転免許の更新もなし。連絡も一切なし。長男が生まれる直前だった。

★氏名 藤田 進
失踪年月日 昭和51(1976)年2月7日
ふりがな ふじた すすむ
生年月日 昭和31(1946)年6月16日
性別 男 当時年齢 19
身長 体重
公開 第5次公開
当時身分 東京学芸大学教育学部1年生
特徴 家ではあまりしゃべらないタイプ、ギターがうまかった。
失踪現場 埼玉県川口市の自宅
失踪状況 失踪当日6:30〜7:00頃以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。後に新宿に有る全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。「脱北者が北朝鮮から持ちだした写真が、鑑定の結果、藤田進さんである可能性が極めて高いことが判明。」平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

★氏名 新木 章
失踪年月日 昭和52(1977)年5月21日
ふりがな あらき あきら
生年月日 昭和22(1947)年10月16日
性別 男 当時年齢 29
身長 体重
公開 第1次公開
当時身分 銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
特徴 中肉中背、眼鏡使用。
失踪現場 埼玉県川口市
失踪状況 「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と家を出たまま失踪。家を出たときは財布しか持っていない。免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

★氏名 石井 久宏
失踪年月日 昭和49(1974)年5月1日か2日
ふりがな いしい ひさひろ
生年月日 昭和19(1944)年9月29日
性別 男 当時年齢 29
身長 体重
公開 第13次公開
当時身分 化粧品、雑貨販売店経営
特徴
失踪現場 埼玉県川口市の店舗兼自宅から
失踪状況 化粧品店を経営しており、多額の借金を抱えてしまっていた。父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話をすすめ、母親も店の経営を手伝っていた。本人の努力しだいで十分解決方法もある状態であったが、突然100万以上の経営資金を持ったまま自家用車ごと行方不明となった。当時、遊び方が派手になっており、マージャンやバーなどで、複数の朝鮮系?の方と一緒に居るところを従妹が目撃している(言葉からそう思ったとのこと) 。店の隣もパチンコ屋だった。失踪後一度も免許証の更新をしていない。

★氏名 長谷山 洋
失踪年月日 平成6(1994)年8月頃
ふりがな はせやま ひろし
生年月日 昭和45(1970)年1月16日
性別 男 当時年齢 24
身長 体重
公開 第10次公開
当時身分
特徴
失踪現場 埼玉県川口市付近
失踪状況 失踪の約1週間前、戸田市の会社に就職。川口市のアパートを引き払い、会社が借り上げた寮に移ったが、その会社を1週間ほどで辞め、寮も引き払った。その夜川口市内の弟の家で食事をし、翌朝、友人が川口市内を歩く本人を目撃したのを最後に失踪。失踪後、静岡県伊東市に住民票を移していることが分かり、そこ場所へ行ってみたが、転出先の住所の番地は存在しなかった

06.4.16 飯塚耕一郎さん 日本再生フォーラム(8)JACK大宮ビル5階にて

『飯塚耕一郎さん(田口八重子さん長男)の訴え』

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ご紹介を頂きました、田口八重子の長男で飯塚耕一郎と申します。
本日はお招きを頂きまして、誠にありがとうございます。
本来ですとうちの親父、副代表の飯塚繁雄の方がお伺いする所、ちょっと私用がございまして、こちらの方へは私及び私の伯父の方が代わりに出席をさせて頂きました。

本日はまず荒木先生の方にとても有意義なご講義を頂きましたけども、まず家族会としての総意と言っている部分はこの2〜3年まったく変わっていないと思っています。
まず早期の経済制裁を求めたい、この一点に尽きると思います。
皆さん、この言葉に関してはもしかしたら耳にタコが出来てしまう、それくらいのお話かと思いますけども。
ここには早期経済制裁を実施しないといったいどう言う事が起きるか?と言う部分が、本日皆様にお配りいただいているこの資料の中にとても分かりやすくまとまっていると思います。

こちらの資料の方の5ページ目、まさに家族会が言いたいことがかなり集約されていると思います。
まず経済制裁を行わなくてはいけないと言う部分に関してはまず一点、国家の意思を発信させるという観点、ここの部分にまず尽きると思います。
日本がこの問題に対してこの事件に対してどれだけ怒っているか?と。
そういった部分を犯人の北朝鮮に告げなければいけない。
そうでないと別に犯人の方としては、日本が怒っていないと。
別に人質を帰さなくても日本は何も言って来ないと。
お金は出来るだけ出してくれるというずるい態度、北朝鮮のずるい態度ですね。
ずるい態度がこれまでの歴史どおりに北朝鮮によって・・・(聞き取れず)しまうという問題があります。
 
もうひとつ違った観点で申しますと5ページの一番上、2004年の11月日本政府の制裁予告と言う部分がありますけど、この時期に細田官房長官の方から「迅速且つ誠意ある対応が無ければ厳しい対応を取らざるを得ない」という発言をしております。
今、2006年の4月です。
一年半以上、こういう「迅速且つ誠意ある対応」を取っているのかどうか分からない政府というふうに、私としては考えられます。
この1年半と言う長い時間は、果たして短いスパンなのでしょうか?
ここの部分は私は疑問に思います。
逆にこの1年半、何もしてこなかったと言う部分はますます北朝鮮に対する認識として、やはり拉致問題というのは日本は重要視していないと言う考えが定着してしまいます。
これは時が経てば経つほどそうだと思っています。

こういう観点からまずそういう、単独であろうが共同であろうが何でも構いません。
日本としての意思を発信する。
政治的な発言をして発信すると言う経済制裁を行うべきだと、この点を改めて私は皆さんにお伝えしたいと思います。
また、実際に私たち個人レベル民間レベルでは、じゃあ政府は経済制裁に全く動かない。
我々はどうすればいいのか?何をすれば良いのか?と言う疑問が湧いてくるかと思います。

それは前回は、私もこちらの日本再生フォーラムさんの方に参加させていただいた時も申し上げましたが、まず政府に対して我々の意思を発進する事が大事であると。
荒木先生も先ほど仰っていましたけど、この問題に関して動かすと言うのはやはり国民の民意と言うか、感情の部分がまさにこの活動、運動の大きな源、源泉かと思います。
その源である皆さんのひとりひとりから政府に対して手紙でもメールでも電話でも結構です。
政府に対して何故拉致問題を早く解決しないのか?何故経済制裁を実施しないのか?と言う部分を政府に発信していただければと思います。

これは横田拓也さんのお話ですけども、横田拓也さんはかつて日本政府に対してメールを何百通何千通と出しました。
あるときに、今安倍官房長官ですけど、安倍さんと初めてお会いした時に安倍さんからのまず一言は「君が横田拓也君か?メールは見ているよ」と言うふうに仰って頂いたというお話があります。
やはり日本政府には毎日何百通も何千通も連絡が来ると思いますけども、やはりこの拉致問題に対して解決をしたいという意思を持っている方は、必ず我々拉致問題を解決したいと思う気持ちに同情している人の発進や意思と言うのは、どのくらい忙しくても汲み取ってくれると思います。
ですので皆さんも無駄な事とは思わず、政府に対して発信していただければと思います。

これまでは私の家族会の立場として申し上げましたけど、やはり私個人として申し上げれば、今こちらにも写真がありますけども、実際私どうしても田口八重子さんと言ってしまいます。
どうしても母とは呼べません。
今年で29歳になりますけども母と一緒に居たのは、たった生まれて1年の間しか母子として一緒に居た事がありません。
当然1歳ですから、記憶も何もありません。
その様な状況で親父、副代表である飯塚繁雄に育ててもらって、何不自由なく育てて頂きましたけど、親父にはいっぱい親孝行的な物をしていきたいと思います。
旅行とかお袋と行って来なよと言って促してあげたりとか、体の心配をしてあげたりとか、巨人が負けているからどうするんだと愚痴を聞いて上げるとか、そんな下らない事までだいぶ話せるようになりました。

ただ、親父に対してはそう出来るんですけども、田口八重子さんに対しては何も出来ていません。
まだ家族である、「お母さん」とすら一言も彼女に伝えてあげる事が出来て上げられてないのが、現状です。
正直、その部分については複雑な気持ちがあります。
やはり一度も見た事の無い人なので、その人を本当に「お母さん」と呼べるのか?と言う複雑な思いもある一方で、やはり自分の事お腹を痛めてを産んでくれた母として、拉致をされた時の北朝鮮の海岸の所で、「私には子供が居るので」と人目を憚らずにお腹を出して妊娠線を北朝鮮の工作員に対して(見せて)訴えて「だから日本に返して」と。
「是が非でも帰りたい」と言う気持ちを嘆願したという、まだ見ぬ母に対してはやく親孝行をひとつ、何でもいいから出来ればと。
でもやはりその前にまずは「お母さん」と呼んであげたいと思っております。

私が今現状、日本政府はこの問題に対する大きな動きはございません。
この事件は1年半近く、こちらの資料に書いてありますけども細田官房長官の発言以降、対北朝鮮に対する政治的な発信と言うのは、政府としての発進はほぼ皆無だと私は思っています。
この停滞している中でここまで家族会の運動が盛り上がったのは、やはり皆さん国民一人一人の方々のご協力とお声の発進があったからこそだと思います。

私が親孝行でも何でもないんですけど、田口八重子さんに対して直接「お母さん」と呼んであげられるように、何とか頑張っていきたいと思います。
それには皆様のご協力とご理解とご発信が必要だと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。

2006年05月07日

06.4.16 本間勝さん 日本再生フォーラム(7)JACK大宮ビル5階にて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)の訴え』

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どうも今日はこんなに多数の皆様方、日本再生フォーラムの講演会に来て頂きまして、拉致問題に対し興味を持っていただくことに対しましてありがとうございます。
今日は本来であれば家族会の副代表である、私どもの一番上の兄貴・飯塚繁雄が来てお話すべき所なんですが、親戚にお祝い事がありまして、そちらの方にどうしても出かけなければいけないという事で私がちょっとお話をさせて頂きます。

私の妹の八重子という、そこに写真もあるんですけども、昭和30年生まれで昭和53年に・・・(聞き取れず)に拉致をされてもう28年、今50歳ですね。
50歳になる所なんですが家族を、ここに来ております当時1歳でした耕一郎君と3歳のお姉さんを残して、北朝鮮に非情にも連れて行かれて現在に至っている状態です。
本当に早く耕一郎君の胸元へ母親である八重子を飛び込ませてやりたい。
早く抱きしめて上げさせたいと、本当にそれだけです。

私どもの方も段々年をとって来ております。
北朝鮮と言うのはそういう暮らしが悲惨な、食料も無いとかね。
ごく一部の平壌に住む特権階級・軍隊・そういった人たちだけが安穏と、人よりはレベルの高い生活をしているという事を聞いております。
ですから八重子はそういった組織の一員として働かされているとは言え、平壌からは多分遠くの山間部に収容されて人目の見難いね。
日本人がいると言う事が分からないような山間部に多分収容されているんではないか?と現在思います。

八重子はですね。
蓮池さんたちと一時期同じ所の収容所に生活をしていました。
蓮池さんたちは労働党の情報部の工作員とかいった政治軍事大学の先生をやっていたと言う所にいたみたいなんですけども、八重子は工作員教育、大韓航空機爆破の金賢姫を教育した、というひとつの工作員教育に携わさせられたという所なんですけども。
ある時期から労働党から離れて、軍隊の組織である人民軍の総参謀部・総政治局と言う所に、敵工局というのがあるそうですね。

当初は蓮池さんからね。
聞いておったんですが、敵工地に八重子さんは回されていますよと言う話だったんですが、どうも聞きますと敵工地ではなくて敵工局だと。
今言った人民軍の総参謀部の政治局の中の敵工局にいると。
その組織は何をやっているか?と言いますと宣伝工作ですね。
政治工作です。
韓国に対する対南工作、それから人民軍のですね。
日本軍が攻めて朝鮮半島に来た時に、「どう対処すればいいか?」というようなマニュアル的な本を作る。
そういう事もやってる所なんだそうです。
対南のラジオ放送局もやってる所だと。
今は平壌放送の一部でもそういった事をやってるそうです。

この話はですね。
先日12日に、田町の東京の友愛会館と言うところで集会があったんですが、今度新たにですね。
ラジオ放送、「自由北朝鮮放送」と言う組織、支援日本委員会と言うのが設立されたんですね。
西岡先生が日本側の委員長になられるんですけども、そういった韓国側の自由放送の責任者の方(=金聖民代表)が、北朝鮮の軍隊の将官の方だと言うことでしたので、私は人民軍の生の組織の人だったらそういった話も聞けるかなと思って質問をしました。(※本間さんの質問の様子は下記の参考過去エントリー参照の事)
そしたら今言われるような話なんですね。

それで蓮池さんたち5人は帰って来られましたけど、うちの妹田口八重子の事とか有本さんとか増元さんと言った人たちは帰って来られないわけなんですが。
要するに公開できない秘密を知っている部署にいる人間は出さないんじゃないか?と。
出さないだろうと、いうような話をしておりました。

先ほど話の出ました金正日の料理人、藤本健二さんが逃げて帰って来られたんですけども、ああいう人は金正日の料理の仕入れ、食材を仕入れるために外国に行けた訳ですね。
それを利用して脱出できたというような話なんですね。
うちの妹も、非情にもですね。
私も工作員になって海外に出られればね、逃げるチャンスもあるんじゃないか?
工作員にしてください、と言うような事を訴えたそうです。
そしたら周りの人が、そういう人間性も見ての話なんでしょうけども「あなたはとても工作員にはなれませんね」と言うような話だそうです。

先ほどの自由北朝鮮放送と言うのは、設立されて近々中波で放送するわけなんですが、目的の若干的なことを紹介させて頂きますと、自由北朝鮮放送を通じて金正日政権幹部に拉致被害者救出に対する日本人の不退転の決意を伝える。
被害者の保護、救出や情報提供に協力すれば報償を与える事を伝えると、攻めの姿勢で放送をやるということですね。
自由北朝鮮放送を通じて北朝鮮住民に国際社会の動き、民主政治の思想とか金正日政権の政治宣伝の嘘を伝えて北朝鮮の自由化に備える。
そういった目的を持って放送を始めると言うことです。

しおかぜの方でも我々の拉致被害者の名前・特定失踪者の名前を放送していただいて、荒木さんがアナウンサーやっているんですけども、深夜11時からそういった放送を聴いておりますと涙の出ない時はありません。
本当にもう「元気でいてね」「きっと取り返すからね」そういった声が、皆同じ声を上げております。

私も経済制裁が何故いけないんだろう?と常々思っていますけど、国民の皆様70%以上が経済制裁をやるべきという支持を頂いているにも拘らず、小泉さんが腰が引けているから経済制裁は実行できない、と思ってます。
どこにこれは原因があるのかな?
対話と圧力と言って、対話だけ重視していれば・・・・・(聞き取れず)日朝の友好関係を保ちたい。
ただそれだけなんですね。

後はちょっと穿った所ですけども、在日の朝鮮総連に対して相当気を使っている。
そういった人たちに直接関る経済制裁を控えているんでは無いか?と、決断出来ないんではないか?と思っております。
朝鮮総連からかなり日本の国会議員に金が相当ばら撒かれているみたいですけども、そういった人たちが経済制裁を声高に声を上げない。
それがひとつの原因かな?と言う、私なりの穿った気持ちでいます。

先日10日からですか。
6者協議のメンバーが東京に集結して、国際学術会議・北東アジア協力対話という対話の元に集まりましたけども、北朝鮮は金融制裁を解除、ただそれだけで対話に乗ってこない。
もう、アメリカはそんな話にはならないと。
金融制裁と核の問題は別個なんだから6者協議は当然やる。
早く出て来いという事を強く言ってるんですけども、金融制裁を解除して欲しいという話は、本当にあの体制が存続するのに危ない。
金が軍資金が凍結されて金正日の手元に残っていない。
それだからそれに絞ってですね。
動いているんではないかと思います。

金融制裁の解除、それがかなりの効果を持ってこれからそれでもって体制が、金正日が倒れて民主的な体制が出来れば我々拉致被害者の家族が出てこられると思いますけども。
そのとき無事でいられるかというのもちょっと心配なところなんですが、先ほどの自由北朝鮮放送の中でね。
日本人に危害を加えたら容赦しないよと、それを強力に言っております。
と言う話です。

私も北朝鮮の体制が崩れて、北朝鮮の内部に入って行ける時があればと言う事で、遅ればせながらですね。
韓国語、本当に初期的な入門なんですけども、東京にある家政大学というのが十条にあるんですけども、そこで韓国語の入門の日常会話程度を話せるように勉強して、それで北朝鮮に入って八重子を探す。
日本人を探す。
そういったことに命をかけようかと、そういった決意で私はいます。
遅かれ早かれ体制の崩壊は来ると思います。
来て欲しいと思います。

あと万景峰も当初4月の11日、新潟港に入港する予定だったそうなんですが、保険の証明書の交付が国交省から出ないために引き延ばしされたと。
それで24日に第一回の入港があるそうです。
これも早くこの船は、大型の工作船に間違いないんです。
藤田進さんがこの船で北朝鮮に連れて行かれたとか、そういった話もありますけども、一方的な北朝鮮に利するだけの船なんですね。
日本人がそれに乗って自由往来、そんな出来る船じゃないんです。

先ほど深井(明・埼玉県議会議員)先生が新潟の方に万景峰の入港阻止の集会に声高に抗議してきたと。
私も入港する度にですね。
兄貴と交代で入港阻止の集会に声を上げてきました。
万景帰れ!日本人を返せ!
あの白い1万トン級のでかい船体を見ると、本当に物悲しくなってきます。

新潟港に入港する時はですね。
海上保安庁の大型の巡視艇、最近は余り大型の舟は使わないでいるんですけども、そういう船が先導して入って来るんですね。
で、ゴムボートで新潟港の河川の周りを周回して危険物は無いか?
そういった行動をしながら守られながら入港してくるんですよ。
あの船は民間の船という事になってますよね?万景峰号は?
そんな民間の船だったら、危険だったら、当然入港させないのが筋だと思うんですよ。
日本は、海上保安庁はそれを守ってあげなければと行き来出来ないような、そんな状態だったらば入港させない。
と言うのが一番だと思います。

それから最後にですね。
西村眞悟先生が弁護士法違反で捕まって、一時臭い飯を食べてきた所なんですが、今現在は国会に戻って活躍をしていますが。
この拉致被害者救出の運動の発端と言うのは西村眞悟先生が国会で声を上げ、それで周知して戦ってたからこそ、現在につながってるんですね。

弁護士法違反と言う罪は罪なんですけども、それにあまり足を引っ張らないで、ますますこれからも国会でも継続して拉致被害者救出運動に携わって頂きたいなと。
また皆さんのそういった目で見て上げて頂きたいと思います。
西村眞悟先生、大阪で裁判を受けるわけなんですが、罪は罪としてなるべく穏便にお願いしますと。
我々拉致被害者の救出から考えれば無くてはならない人なんですと、言う事を最後にお願いして終わります。
ありがとうございました。(拍手)

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参考過去エントリー

★06.4.12 質疑応答 東京連続集会17(8)友愛会館にて
『質疑応答 通訳:西岡力氏』
http://piron326.seesaa.net/article/16922182.html

2006年05月05日

06.4.16 質疑応答その2 日本再生フォーラム(6)JACK大宮ビル5階にて

『質疑応答 回答者:荒木和博氏 その2』

★質問4
それから北朝鮮の体制崩壊の可能性は?と言うことのご質問がございます。
その時の難民の問題とか、その事が出てございます。
また最近報道されています、金正日の義理の弟の復活等々についてのご質問がございますので、まとめてお答えしますと。

★回答
今金正日の義理の弟、張成沢と言いますが、この人が1月の末に復帰をして参りました。
私は、結論から言いますとこの張成沢の復帰と言うのはおそらく中国の差し金だろうというふうに思っております。
どうしてか?
一番最初に出てきたのは旧正月の日の宴会と言いますか、観劇と言いますか何かイベントがありまして、旧正月を祝うイベントがありまして、そこに金正日が座っている後ろに張成沢が立っていた。
言うのが写されてこれが復活という事になったんです。
その後、金正日の出張と言うのに同行しているのが報じられたというのもあるんですが。

非常に印象的だったのは、一番最初に写真の出たその時ですね。
この旧正月のお祝いと言うのはどういう会だったか?
普通日本で報道されているのでは全く分からないと思いますが、あの時に金正日の隣に座っていたのは中国の大使です。
で、労働新聞の記事を見ますとあの時にですね。
大使の隣はおそらく顔は良く分かりませんが間違いなく大使夫人だと思います。 
こっちは金正日の部下と言うか軍の幹部なんかが座っている。
記事を見てもですね。
その時の中国の、平壌にいる外交官から仕事で来ている人から留学生から皆集められたんです。
一番最後終わった時にはその中国の人が、劇の主役なのか分からないけど芝居のそういう人たちに、花束を進呈したと書いてある。
それはつまり、中国に向けてある意味で中国を接待する集まりだったわけですね。
その後ろに来ていたと言う事がどういう意味があるか?

そして3月になりましてから中旬に張成沢は中国を訪問しました。
この事については私が気がついている限りでは、北朝鮮では報道していません。
しかし中国政府はちゃんと報道している。
で、金正日が回ったところと同じ所を回ったと言われております。
北京市の共産党の代表と会った事も書いてありますが、もっと重要な人とも会っているんだと思います。

こういうことは全て北朝鮮に対しておそらく、ここから先は完全な推測なんですが、張成沢を通して金正日をと言うか北朝鮮をコントロールしようとしているのではないか?いうふうに私は考えています。
それだけ金正日のリーダーシップは低下している、と言うことでありまして、バランスさえ崩せばいかにも簡単にあの体制を倒してしまう事が出来るというふうに感じます。
ただし、放ったらかしてもいつまで経っても中々崩壊しない。

これはあの国は朝鮮半島と言うのは、周囲が日本と中国とロシアとアメリカと言う4つの国に囲まれておりまして、どこかが面倒を見てしまう。
言う事があってですね、放っぽっといても中々潰れない。
私はもう十年以上前にですね。
北朝鮮はすぐにでも潰れると、1年以内に潰れる事に10万円賭けてやると、10年以内に潰れる事に100万円賭けてやると言いまして、誰も賭けに乗らなかったお陰で助かったんですけども(笑い声)、やはり考え方を変えまして待っていてもしようが無いから潰してしまおうと、言うふうに考え方を変えた次第でございます。

あと難民の問題があるんですが、今、後ほどお話をされます野口さんなんかが北朝鮮難民救援基金でですね。
難民で出た方の保護を一生懸命やっておられます。
中にはすでに100人くらい日本に帰って来ている在日朝鮮人の帰国者などがいると、言う事なんですが、更に出るんじゃないかと言われます。
しかし、私はですね。
一時的にはともかくとして、朝鮮半島の外に難民が出るという事はですね。
逆にかなり激減をするのではないか?と思っております。

と言うのは朝鮮半島で、北朝鮮で、今の体制が潰れてしまえばあの北朝鮮の中で十分飯が食えるんです。
あの体制があるから飯が食えない。
体制が潰れてしまってが開放政策が戻ればですね。
わざわざ危険を冒して中国へ出て行って苦労をする必要はなくなります。
そうなれば私は逆に戻る人が多くなるのではないだろうか?と思っています。

ただし、韓国に対しては離散家族とかがありますから、南に行く人は相当いるだろうと思います。
それから日本に対してはやはり在日朝鮮人の帰国者などでですね。
帰ろうとする人はいると思います。
その数、かつて入管では30万くらいと予測しておりまして、ひょっとしたらそれくらいになるかもしれませんが、それは日本の人口1億2千万5百万から考えれば30万の在日くらい帰国出来ない事はない。

まぁいろいろ問題は起きるかもしれませんが最終的には出来るだろうと言うふうに思っておりまして、そういう支援作業は韓国政府は北朝鮮を大韓民国の領土だと言って韓国の憲法に書いてありますから、それは韓国はやるしかない。
それから日本に帰ってくる人たちについてはこれはやっぱり日本がやるしかないだろう、と言うふうに思います。

日本に関係なく来る人についてはですね。
一般の難民の保護という事になりますけども、それはやはりそれなりの保護はしなければならない、というふうに私は思っております。
しかしいずれにしても日本に出来ないような事ではない、と言うふうに思います。

★質問5
それから、帰って来た5人が発言しないのは北で脅かされているからじゃないだろうか?
それから日本の中にも北のシンパが相当いるということで、これですが。

★回答
それは間違いなくあると思います。
ただ、安明進さんの話ですけども、彼に言わせるとやはり蓮池さんは特に彼は北朝鮮の中で対日工作の要員の教育をやっていると。
だからいったい日本の中でどれ位工作員がいて、彼らがどれくらいの事が出来るか?と言う事は当然知っているはずだと。
だからそう簡単に喋らないんじゃないでしょうか?というのが安さんの言い方なんですけども、それ以外にもいろいろ彼から聞くとやはり彼らが喋れないように二重三重四重にですね。
北朝鮮はタガをはめた上で日本に送り返しているという事は、間違いないだろうと言うふうには思います。
しかし、それでも尚且つやはり彼らは喋ってもらった方が、彼ら自身が北朝鮮の体制から自由になれると私自身は思っています。

★質問6
それから「金正日の料理人」藤本健二さん、著書の内容は本当か?と言うことなんですけども。

★回答
私も一回あの人にお会いした事がありますが、書いてある事自体に嘘はそんなに少なくとも無いんではないか?と思います。
ただ、書いて無い部分でですね。
かなりあの人はいろんな物を見ていると、あるいはいろんな事を知っているはずだと思います。
本人が喋りたいという思いがあるみたいですけども、やっぱり躊躇している事はいろいろあるというふうには気がついています。

★質問7
それから、久米さんのケースで警察庁長官賞をもらったのはいくつになるか?と。

★回答
警察の中でも、これ何とかしないといけないと思ってる人はたくさんいるのは間違いないですね。
これは本当にですね。
一生懸命苦労している方おられます。
それは私たちも本当に頭の下がる思いなんですけども、それだけでは中々上手くいかない。

あと警察にとってはですね。
ひとつは検察がブレーキのネタになっていることがある。
検察が逮捕状とかをですね、中々出してくれない。
結局、だから裁判が維持できなかったりすると検察にとってマイナス・減点になってしまうので中々ちゃんとやらないと言う事がありまして、これが非常に警察にとって困るという事もあるというふうに聞いています。

★質問8
それから、日本が弱いという事の原点は金丸訪朝時にあるのではないか?ということで。

★回答
あの人がいろんな物を貰ってきたりとかですね。
いろんな事をしたと言うのは事実でございますので、そういうことの中でいろんな弱みがあるという事は間違いが無いと思います。
これは北朝鮮だけではなくてですね。
どこかの総理大臣が中国の女性と大変仲良くなってしまったりですね。
そういう事はたくさんあるわけですね。

山崎拓さんなんかもあの人もほとんど・・・(聞き取れず)みたいな者ですから、北朝鮮に限らずいろんな所でいろんな事があるんでしょうが、そうすると沢山弱みを握られている。
しかし、そういう弱みを握られるなどと言うのは政治家にとっては当たり前の事でありまして、しかしこれも図々しくやると言う事が本当は必要では無いだろうか?と言うふうに思います。

ちなみに昔ですね。
若い方は覚えてらっしゃると思いますが、私のおりました民社党に春日一幸 という元委員長がおりまして、この人は特に女性関係が非常に華やかだった方でありましてですね。
あるとき、皆もう知っていた。
ある地元で演説をしたときにですね。
共産党の人間がですね。
「妾はどうした?」ってですね、野次を飛ばしたんですが、それに対して春日さんはですね。
「いやありがとう、お陰で元気にやっております」と(笑い声)いうふうに答えてですね。
これで話が続かなかったと。
山崎拓さんもですね、あれだけやるんだったらそれくらい堂々とやって貰いたいものだと思うんですが、ちょっと若干・・・(聞き取れず)な感じが致します。

それはともかくとしてですね。
ちょっとですね、そういう弱みがある事は事実なんですが、しかしそういう物だけでですね。
動かないと言うのは許されないだろうと思います。

★質問9
それからめぐみさんが金正日王朝の誰かに日本語を教えていたのではないか、と言う話が・・・(聞き取れず)本当にあるか?でございますが。

★回答
これはおそらく大体間違い無いだろうと思います。
ジョンチョルかその下のジョンウン、あるいは両方に教えたんではないだろうか?
そういうこともあるのがやっぱり北朝鮮側がですね。
出せない理由なのでは無いだろうかな?というふうに私は思っております。
まぁ理由のひとつですね。

★質問10
それから、よく国交正常化といいますけども国交正常化すれば拉致問題は解決するか?と言う事で。

★回答
そういう事をいう人がいます。
国交正常化したら自由に行き来出来るようになる。
そうしたら探せるんじゃないだろうか?いう事はありますが、これはですね。
全く嘘です。

例えば日本と台湾の間だって国交はありません。
国交無くったってですね。
お互いに自由に行き来が出来る、どこにでも行ける。
で、例えば中国と北朝鮮の間と言うのは国交が、一番強い関係があるわけですが、それだからといって中国人が全く自由に北朝鮮のどこにでも行けるか?と言えばそういうわけではない。
と言う事でございまして、そういう事は国交とは全く関係が無いわけでございます。

北朝鮮と日本の国交正常化の前にまずやらなきゃいけないのは、北朝鮮と日本をそれぞれ正常化していくということでありまして、日本と北朝鮮がちゃんと正常になればですね。
おのずから国交正常化は簡単に実現するということでございます。

★質問11
それから平沢勝栄議員が外国との折衝は二元外交と言う事で、拉致議連の事務局長を辞めたけども、なんで二元外交では悪いのか?
外務省が過去にどんな事をしたのだろう?と言う事でございます。

★回答
ここは確かにですね。
ちょっと難しい所で、外交のやり方の中に政争は水際までと言いまして、与野党が戦っていたとしても外交については、やはり外国に対しては一致してやらなければいけない。
これがひとつ当然の事ではありますが、それ以外の外交の仕方、いろいろなですね。
民間のルートとかそういう物を使ってやるという事も、有効に使える場合には使った方が良いのは事実だと思います。

ただ、個別的に言えば平沢勝栄さんのやったこと自体はあの時に、逆にですね。
正攻法から押すと言うやり方、特に経済制裁とかそういうことをやる事によってですね。
押して行こうと言うやり方に対して、ブレーキをかけることに結果的にはつながってしまった。
と言うことがあったと言う事だろうというふうに思います。

あの時、ですから3年前の年末から一昨年の4月頃にかけてはですね。
北朝鮮側もとにかく出来るだけいろんな手を使おうと思っていろんな事に手を伸ばしておりました。
私、見ていてですね。
なんでこんな事まで手をかけるんだろう?と思うほど、NGOから何からいろんな所へ手を出して日本とのルートを探っておりました。
それだけ北朝鮮にとってはこの拉致問題でですね。
経済制裁をかけられるのが怖かったということだろうと思います。

だから、だとすればあの時にこっちから手を差し伸べてはいけなかった。
もっと締め付けて北朝鮮が本当に逃げられないようにしなければいけなかった。
そのときにある意味で言えば手を差し伸べてしまったような形になってしまったという事だろうと、言うふうに私は思っています。

★最後にまとめ

大体ご質問のお答えは以上だったろうと思いますが、ともかくですね。
この経済制裁の問題なんかは効き目があるから相手側はですね。
効き目が無いと言うんですね。
北朝鮮側は経済制裁なんかやられたって全く意味が無い。
我々は心配ない。

あるいはアメリカがやって来たら直ちにですね。
100倍1000倍にして返すんだと、言う事を言ってるわけですが、こういう事を言ってる時は大体向こうは怖がっている時です。
北朝鮮と言うのはですね。
直ちにアメリカ帝国主義を倒してとか日本軍国主義は粉砕してとか言う事は、しょっちゅう労働新聞なんかを読めばですね。
毎日のように出て来る。

放送にはですね。
あの絶叫しているおばさんが出て(笑い声)しょっちゅう言ってるわけでございますけども、あんな物はですね。
アメリカ帝国主義を粉砕する、日本帝国主義を打倒すると言う言葉はですね。
おはようございます、こんにちは位に還元しておけばいいだけの話でありまして、たいした意味は無い。
言うことですから余り気にしないでですね。
向こうが怖がっているんだと言う事を逆にこちら側がしっかり理解して、有効なカードを使っていけばいいのでは無いだろうか?と言うふうに思います。
以上です。(拍手)

2006年05月04日

06.4.16 質疑応答その1 日本再生フォーラム(5)JACK大宮ビル5階にて

『質疑応答 回答者:荒木和博氏 その1』

※この講演会での質疑応答は事前に質問を文書で出しておき、その中から荒木氏ご本人が質問を選んで回答するという形式を取っています。
従ってこの質疑応答は質問の朗読・回答どちらも荒木氏ご本人が行っているのですが、テキスト上では質問と回答の区別をつけて、読んで分かりやすいように文章の構成をしております。
その事を予めご理解の上でテキストをお読み下さるよう、お願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんご質問を頂きましてありがとうございます。
できるだけお答えをしたいと思います。

★質問1
まず、経済制裁はなぜ出来ないのか?
ご家族に対して説明はなされているのか?という事でございまして。

★回答
このご家族に対する説明の方は、誤魔化そうと・・・・・・・・・。(聞き取れず)
政府は経済制裁を出来ない理由を説明していない。
なぜか?というということで、これは私どもも良く分かりません。
ある意味でかなり執拗に、断固として経済制裁をしたくないと言う意思を感じます。

北朝鮮は逆にですね。
経済制裁の動きがあった一昨年の、てか3年前の年末くらいですか?
経済制裁の動きがあって公安がですね。
審議をされていると、いう時に何をやったかと言うと、平沢勝栄さんあるいは山崎拓さんと中国でのですね。
会談をやりまして、そして一昨年の5月ですか?
子供さんたちを返してきたということで、おそらく経済制裁をやられては絶対に困るというものがあるんだと思います。
困ると言うものがあるので、日本の側にもとにかく「これだけはしないで貰いたい」と言う事をいろんなルートを使って言っているんだろうと思います。
これが経済制裁と言うが進めば、非常にいろんな物が変わって参ります。
それをしない・させないという事は単に北朝鮮側の意向と言うことと日本の政権だけの意向じゃなくて、ひょっとしたらそれ以外の意思も働いているのではなかろうか?と。

一つは中国はやはり経済制裁させたくないでしょうし、韓国もさせたくないと思うんですが、場合によったらひょっとしたらアメリカも何かあるのかな?と、いう感じもちょっとしたりしております。
これは正直言って絶対こうだと言う回答は私にもございません。
アメリカがやってる事はですね。
金融制裁、この偽ドルやなんかの問題につきましてこれは北朝鮮に対してどの程度の効果があるか?
また日本政府はこれに呼応した動きをすると思われるけれども、アメリカに加えて日本政府の圧力はいまひとつ及び腰である。
この理由は何か?と言うご質問がありまして、ですからやっぱり経済制裁への及び腰だということにはいろんな事が、さっき言った様な事もありますし、場合によったら何かの脅迫をされているのかもしれない。

例えば東京中枢でですね。
かつてのオウムのサリン事件とか、ああいうのに匹敵するものとか、あるいは新幹線に爆弾を仕掛けるとかですね。
そういうような事で大混乱を起すと、あるいは原発を狙ったテロであるとか、そういう事をやるぞと言うような脅しもされている可能性もあるのではないだろうか?と思います。
これは一つや二つではない、と言うことだろうと思っております。

★質問2
それから、北朝鮮の体制が崩壊すると直前に拉致被害者への危険が及ぶ可能性がある、と言うことは無いだろうか?と言う事で。

★回答
これはもう相手が向こう側にいる限りは、その可能性は最後の最後まで絶対に捨て切れません。
それをどうするか?
じゃあ穏便にやれば取り返せるか?と言うと取り返せない。
取り返せないどころか時間が経てばですね。
その前に、場合によっては命を落とす人が出てくる可能性もございます。
ですからここはですね。
もう気合でやるしか仕方が無いです。

かつて9.17の時にですね。
あの飯倉公館で、私ご族と一緒に政府からの宣告みたいな物を聞いておりまして、そして最初に横田めぐみさんのご両親、双子の弟さんと一緒に呼ばれてですね。
「めぐみさんは亡くなっております」と、言う話を聞いたときは私はですね。
これは拉致の救出運動に関っている者は、誰も大なり小なり皆心の底にあると思うんですが、この救出運動で北朝鮮を刺激して拉致被害者に危害が加わるんじゃないだろうか?
言う思いがこれ当然あるわけでございまして、あの時はですね。
これは本当の事になってしまったんだと、自分のやってる事は人殺しだったんだと言う思いでですね。
本当に茫然自失と言う思いをした記憶があるんですが、これから先だって、そういう事を思う事が無いという保障は正直言って全くございません。

そうなったらばどうしなければいけないか?
と言うことの最低限の一応覚悟をしてやっていくつもりでございますけども、そのときに、ともかくそうしないようにする為には何が必要か?
絶対にこれ何が必要か?と毅然たる態度が必要です。
もし日本人がですね。
一人にでも手をかけたらばただではおかない。
非常に言い方がキツイ言い方をすれば、「お前ら皆殺しにしてやる」と、北朝鮮の幹部をですね。
それくらいの事を言う事は絶対に必要です。

その代わりもし日本人の拉致被害者を助けてくれたらば、それはもう絶対に我々としては身柄を保護するという事をですね。
飴と鞭の両方を、こういうのを対話と圧力と言うんですね。
こういうのを使わなければいけない。
我々が絶対に取り返すんだと、言う事の意思を明らかにしている限りはそこは、北朝鮮の高官も手を出しません。
あの国のやり方からすると、今までのいろんなやり方をみてますとね。
こっちが強い時は絶対に強く出ません。
必ず引き下がります。
こっちが弱くなると偉そうな顔をする。
言う事ですので、ここは一種のチキンゲームみたいな気持ちでですね。
最後まで徹底してやるという事が必要では無いだろうか?と思います。

★質問3
それから、世論の大切さも国民一人一人の気持ちが大切なのも分かりますが、トップが代わる事で随分違うのではないかと思う。
誰が総理大臣になったらば被害者が帰ってくると思うか?

★回答
いいご質問がございました。
これは全くそうなんですけども、ある意味で言うと小泉さんのときにですね。
北朝鮮が拉致を認めて5人が帰って来たと言うのは、もちろんそういう時代になっていたと言う事もありますが、たまたま今の総理大臣がですね。
外交に全く関心が無い人であったと、尚且つしかも総理大臣になる時に、誰もあの人が総理大臣になるとは思っていなかったために、北朝鮮側はマークしていなかった。
いう事がございます。

これから先今言われている4人はですね。
皆それなりにそれぞれ北朝鮮側がマークをしておりまして、それがどれくらいの力があるか分かりませんけども、しかしですね。
それは誰がなってもそれほど極端な違いは、良い意味でも悪い意味でも私は無いんじゃないか?と思っております。
もちろん個人的に親しいとかそういう意味で言えば、安部さんにやって貰いたいとか、いう思いはありますけども、しかし安倍さんだったら全て上手く行くか?と言ったら私はそんな事は絶対にありえないと思っております。
安倍さんだってご出身の選挙区の下関というのはですね。
極めて北朝鮮とつながりの近い地域でありまして、安倍さんの選挙地盤の中にもそういう物は入っている。
安倍晋三さんが選挙に出るはるか前から出来ていたつながりでございまして、そう簡単にいくら本人がそういう意思があったとしても簡単には切れるものではない。
ですから、それでも切って貰いたいと思いますけど、これはそれだけの問題ではないと思います。

こういうふうに変わってこなかった問題と言うのはですね。
例えば金丸信ですとか野中広務ですとか田辺誠ですとか、そういう名前がいろいろ出て参りますけど、もし今まで逆にですね。
そういうそこに出て来た政治家の一人が悪くて、そうなっている問題であればその政治家が失脚したり死んだりすれば問題は解決していたはずです。
少なくとも大きく動いているはずです。
それが動かない。
金丸信が失脚しようが何をしようが事態は極端に前には進まなかった。
これはいったいどういう意味があるのか?

これはもっとですね、個々の政治家ではない、この国の戦後60年の政治構造の中に深く根ざした物があるということでございまして、これはですね。
そう簡単には引っくり返せるものではない。
変えて行かなければいけないものでありますけども、そう簡単に出来る事ではない、と言う覚悟を持って当たるしかない。
いう事ではございます。
その辺の事はタケマサ議員(?)に頑張って頂くと致しましてですね。

しかし、それでも尚且つ拉致問題がこれだけ大きな問題になって来ていると言う事はどういう意味があるのか?
これは国民の声です、断然、何をさておき。
国民の声があってですね。
これはこんな事は許しておけないと、いう事があったからここまで動いて来たんです。
それが無ければ政府だけで勝手に動くなんて言う事はありえない。

尚且つ、それと一緒にですね。
マスコミの方々がこれを報道してくれた。
いろんなこと文句を言う方はもちろんおられますし、いろんな立場の人いるわけですけども、しかしそれでもですね。
マスコミの中でこの問題何とかしたいと思ってる方が何人もおられて、その方が報道してくれたという事によって、更に多くの方がこれを知る事が出来た。
いう事は間違いなく言えると思います。

そういうものが更に大きな流れを作って行ったということでございまして、これは私は度々こういう席で報道関係の方が来ておられれば言っているんですが、報道関係の方々もこれはもちろんお仕事でやるわけで、そのお仕事の中で良い仕事を残していただければいいんですが、その書いていただく活字の一文字。
あるいは映して頂くテレビの画像のホンの5秒の画像が与える影響がいかに大きいか?
それによって動かす、その意味で言えばマスコミの方々も、やはりこの拉致の救出と言う第一線に立っているということは言えるのではないだろうか。

ですからここにおられる皆さんでもですね。
是非新聞とかテレビとか、そういう物で拉致問題でですね。
いい報道があったと言うのを御覧になった方は、それぞれの会社にですね。
電話して頂いて、「あの番組は良かった、この記事は良かった」という事を言ってですね。
「是非もっと頑張ってやってください」という事を応援をしてあげてください。
そういう事をやることによって、何とかしようと思っているマスコミの方々にですね。
追い風を与えることが出来るのだというふうに思っております。

で、質問の話に戻りますけども、ですからそういう流れはいろんな事があっても簡単に消えないと思います。
ですからこれから先、誰が総理大臣になってもですね。
私はこの拉致問題は前に進むだろうと思っておりますし、そうさせなければいけない。
いうふうに考えているわけでございます。

・・・その2に続く・・・
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