日本再生フォーラム 第20回記念講演会
拉致問題を通して日本のあり方を考える・第9弾
07.3.10 大宮JACKビルにて
『石高健次氏(家族会顧問・朝日放送報道局プロデューサー)の講演 その2』
それを聞いて、そのときは引き下がりましたが、逆に、家族をここまで苦しめている拉致をなんとかしなければと強く思いました。
原敕晁さん拉致から始めたこともあって、辛光洙の共犯だった金吉旭(キンキルウック) 金は去年4月に、去年の4月ですよ、ようやく拉致で国際手配されました。
95年月、彼が済州島にいました。
自宅を突き止め、前で張り込んで直撃インタビューしました。
最初、『誰にもわからないんだ。わからないんです』と言いながら逃げ回りました。
私は『原敕晁さんという一人の人の、生き死にが未だにわからないんだ。』とマイク片手に叫び続けた。正直、気持ちとしては、ふんづかまえて、首根っこつかまえてですね、殴りつけても、真相を喋らせたいという心境でした。しかし、それはできません。彼は辛光洙と一緒に捕まりはしたけれど、その後恩赦・減刑で出所し一般市民でしたから。
逃げ回るのを追いかけていると、10分もしなかった。金吉旭は突然路上にしゃがんで考え込んだ。と、泣き出したんですね。声を上げて大泣きしました。
そして、原さん拉致を全部認めた。
韓国では、国家保安法違反、スパイ容疑で捕まっているんですけど、韓国人であれ外国人であれ、誰かを誘拐して北朝鮮に連れて行った場合は、国家保安法の規定で立件しないとならない。ですから辛光洙と一緒に共謀して、原敕晁のどういう拉致をやるか話をしたとか。捜査資料とか、裁判の陳述書に詳細にでてきます。大阪市内の喫茶店の名前も出てきます。
その点について、『あなたが裁判で言ったことは、本当か? ホントにホントなのか?』ということを聞きました。
彼は、はっきり『そうです。その通りです』と静かに言って頭を下げた。最後に原さんのことを『本当に気の毒なことしました』と。
このときに、憎っくき拉致犯なんですけれど、私が思ったのは、ある意味で、彼もまた、被害者だったと。南朝鮮革命という幻想にとらわれたゆえに、利用され使い捨てられた兵隊の駒に過ぎないと。
あの大泣きは、彼の良心がそうさせたのだと思います。ずーっと心の中で気の毒なことをしたと思い続けてきたが故に大泣きをして認めたんだと。
このときです。私が拉致は本当にあるんだと確信したのは。
お手元の資料、『人脈記』(朝日新聞ニッポン『人・脈・記』安倍政権の空気A平成19年3月6日付)という記事に、95年に『闇の波濤から 〜北朝鮮発・対南工作〜』というドキュメンタリー番組のことが書かれています。今申しました一連の取材をまとめたものです。
全国ネットで95年の5月頃に放送しました。原さん、海岸のカップル、田口八重子さんら13人が拉致されているのは間違いないという報道です。
しかし、残念ながらまったく全く反響がなかったんです。他の社からの問い合わせもない。黙殺というのは、こういう事をいうんだろうと思います。
世間は、たぶん、『そんなことあるだろうか、なんだ、嘘だろう』と受け止めたのでしょう。日本人をい拉致していったいなにするんだと。番組では教育係にするとか成りすましとか言ったんですが、信じてもらえなかった。
この『闇の波濤から』というのは、最初に拉致を客観的に実証した報道だったんですけどね。
いいえ、ただひとつ反響がありました。
韓国のKBS=放送公社が、韓国語に翻訳したものをで放送したいといってきた。95年11月、日曜のゴールデンタイム、夜8時から、1時間20分ぐらいですかね、『闇の波濤から』を放送してくれました。1ヶ月経たないうちに、北朝鮮の、これは安企部の人から私は聞いたんですが、ラジオが、朝日放送名指しで『あれはでっちあげだ』とやっていた。
反響があったのは、北朝鮮だけという非常に寂しい結果でしたけれども。(会場笑い)
これで、すべては終わると思っていました。
ところが、また偶然があった。
この5月の『闇の波濤』を、朝日新聞の出版局の人が観ていたんです、東京で。私の所に電話ありまして、『あの話は、本当ですか?』というふうに聞かれました。
『本当ですか?』と聞かれて『嘘かもしれません』とは答えなかったですけど。(笑い)
『それでは記録として残したいし、やっぱり訴えていきたい』と。朝日新聞の出版局というのは、新聞とはまた違う物差しがあるんですね。アエラもそういうところがありますよね。
それで5月の放送は、終わったんですが、本を書くために、また取材を続けたんです。
それが、横田めぐみさん拉致発掘につながっていった。
95年6月、KBSの放送の前、ソウル、明洞の繁華街でした。
韓国情報機関の高官から、『子供が拉致されているようだ』ということを聞いたんです。
それは、当時13才、学校でバトミントンの練習をした帰り、双子の姉妹の妹、76年か77年と。
石高『え?子供もやられてるんですか?』
石高『名前は何というんですか』
高官『わからない』
石高『どこの話ですか』
高官『それもわからない』
この情報を韓国にもたらしたのは、これよりちょっと前に亡命していた北朝鮮の工作員です。その人は横田めぐみさんと話をして聞いたのでしょう。場所は平壌の病院。めぐみさんが心を病んで二度目の入院をしている時だった。秘密の病院にその工作員もケガをするとか、何らかの事情でいたのでしょう。
身の上話かなんかをして13才、バトミントン、双子の姉妹の妹、ということを聴き、後に亡命した。亡命者の情報を吟味するのが、情報機関の仕事なんですけど、『彼が言っていることは、間違いないと思う』と。ところが、どこの誰かを亡命工作員彼も聞かされていない。
彼女が(めぐみさんが)、その亡命工作員に語ったのは、『拉致され、一生懸命勉強して朝鮮語を5年以内にマスターしたら、親の元に返してやる』と言われた。だから、少女は一生懸命朝鮮語を勉強した。ところが、18才になったときに、『返して欲しい』といったけども、ダメだと言われた。何度も懇願したが許してくれなかった。それで心を病んで、病院にかかっていた。
そこで、後に亡命する工作員と身の上話をしたわけです。
なぜ名前を言わなかったんだというふうに不思議に思う方がいらっしゃると思います。
しかし、これと似た例があります。
金賢姫の口から出た拉致女性「李恩恵」。田口八重子さんと後にわかりますね。今お兄さんここにいらっしゃいますけれど、金賢姫と田口さんは日本人化教育のために1年8ヶ月ぐらい一緒に過ごした。しかし、田口さんは自分の名前は告げていないんです。
言うと、自分の身が危ないと。おそらく、そういうことがハッキリ分かっていたのでしょう。田口さんもめぐみさんも。
この情報をもたらした人は安明進とは違います。未だに表には出てきていない。韓国サイドに今まで何回も会わせてくれと言い続けてきましたが、未だに表に出さない。
その後、96年10月に朝日新聞から『金正日の拉致指令』という本を出しました。このときに、「少女拉致」の情報を書こうかどうか迷ったんです。結果的にはこの情報を書きませんでした。
何故かと言いますと、子供がやられている。13才、あまりにも荒唐無稽。95年の5月に『闇の波濤から』を放送したときに黙殺された。こういう事を書けば、13人がやられているという、他の拉致被害者のことも、また嘘だろうなんかいい加減な話だろうと思われのではと考え、この話は書かなかったんです。この時点では、横田めぐみさんという所にはたどり着いていません。
本の出版とともに広告が出ました。『現代コリア』という雑誌から、その本の紹介記事を書きませんかと声がかかりました。そのときまで、全く私は面識ないんですけど。
『現代コリア』の10月号に、『私が金正日の拉致指令を書いた理由』という記事を書いたんです。
10月号なんですが、何かの都合で遅れて11月の始めぐらいに出ました。
なぜ、私にその情報が入ったかと言いますと・・・。
実は、私にその情報を私に告げる以前、韓国安企部の高官は、日本の警察のある官僚に、『子供が拉致されてるらしいぞ』と通報していた。これは、公式通知ではなくて担当者が個人的に電話をして、日本の女性がやられているから調べたらどうですか。それが春のことなんですね。
その警察官僚は、オンラインで叩いてみたが出てこない。5年以上経った記録は、消えてしまうので、中央では。で、そんなの見つかりませんでしたという返事をしたんですね。これもまたそういう官僚の体質の話なんですけれど。
その後3月にオウムのサリン事件がおきるんですけれど。もう一度、韓国安企部の担当官は、連絡をいれて、『いや工作員のもたらした情報は間違ってないと思う。他のことも色々チェックしたが嘘はついてない。もう一回調べたらどうですか?』というのを、今度は放っておいた。
そんな状況のとき、拉致があるのかどうかとワーワー言ってる日本の記者が一人いたなというのをたぶん思い出されたんでしょう。
こちらから願い出て6月23日、明洞(ミョンドン)の居酒屋でこの安企部の人と会った際、「少女拉致」の話が出てきたのです。
話は96年に戻りますが、『現代コリア』に記事が出た直後、12月になって、新潟の「ニュー越路」という公務員宿舎で、佐藤勝巳さんが講演なさって、そのあとの親睦会で、まぁ、こういう記事がうちの現代コリアに載っているんですけどと言ったときに、『それは、横田めぐみだ』ということになったわけです。
それが私の所にも入って−−この間に紆余曲折があるんですが−−、名前がちゃんとわかったのが、97年の1月7日、報道される一ヶ月前です。
それで、1月の末に、兵本さんに横田滋さんは日銀の行員だったと私が言いまして、彼は議員秘書の威力でOB会名簿を出させ、電話番号を割り出した。それで、横田さんのお父さんと議員会館であって、そこに私が電話を入れました。
川崎のご自宅へ伺ったのが、1月23日だったです。まぁ、こうして、当時で20年近く空白があった、横田さん夫妻に『娘さんは、拉致されて平壌で生きている可能性がある』ということを伝えたわけです。
このときに、私は報道を控えました。理由は、横田さん宅にめぐみさんのいろんな写真がありましたから、その写真と、適当に少女ファッション雑誌からとった写真とをもって、この情報をもたらした工作員に、確認をしたかった。それをさんざん、韓国政府に要請しました。
でも、その亡命工作員は、まだ公表できないからダメだと言われて、それは、未だに会わせろと言い続けているんですけど。その確信をとるまでは、私は報道しないと決めたんですね。
それは、このときも、世間が信じて国が動いてくれればいいけど、95年の『闇の波濤』放送のときのように、中途半端におわれば、拉致の証拠であるめぐみさんやその情報をもたらした亡命工作員の家族が、抹殺されるかもしれない。そういうことを考えて、最低、写真で、この工作員に確証をとるまでは、それこそ報道を控えたわけです。しかし、現代コリアの筋とか、西村眞悟さんや、アエラ関係に話が漏れました。いずれの方とも、電話で話をして本当に国が動いてくれるんだったらいいけど、今の状態では、慎重にやってくれということを言いました。1月の30、31日ですね。
ところが、2月3日、これ月曜日だったんです。この日が発売日のアエラが、私が、こういういきさつでみつけたということ。それと産経が出て。その後、午後三時台だったか、西村眞悟さんが、衆議院予算委員会の総括質問で、私が書いた記事と現代コリアの記事と、新潟日報の女子中学生下校途中に行方不明というのを並べて質問された。衆議院の予算委員会総括質問というのは、NHKで生中継されるんですね。やると直前にわかっていましたから、昼のニュースから我々も報道していった。
こうして、横田めぐみさんが、拉致されているということが世に出たわけです。
その直前から、兵本さんと私と手分けして、有本のお母さんには、みなさんの電話番号教えて電話してもらい、被害者家族に会を作ろうと呼びかけを始めた。
被害者家族は、カップル男女の家族は別にして、互いに何のつながりもなく、孤立しておられた。
3月の25日、朝日放送東京支社のあった芝公園の近くの安い都営の会議室、アジュール竹芝にみなさんを集めて家族会を結成しました。
翌日に警察庁に誓願を出しまして、外務省にも行きました。このときに、マスコミ各社が報道してくれたこともあって、対応に出たのが、アジア局長です。今はアジア太平洋局ですけれど、加藤良三局長が対応しました。
その辺りから、政府の対応は変わってきました。
しかし、川崎の駅前で、横田さんたちが署名活動されるんだけど、まぁ、そうですね、半分以上の方は、素通りだった。
「なんだ、これは? 拉致? 何が起きているんだ?」「こどもさん、どうかしたの」って感じでちょっと聞きながら、通り過ぎて行かれる方が、多かったのを覚えています。
めぐみちゃん拉致を発掘報道されるまでの話を長く時間をとって、やらせていただきましたが、そういう所を通じて、ほんとに官僚たちの事なかれ主義、政治家の無責任さというのを私は痛感してきました。
もう一つ具体例をいいますと…。
宇志津事件というのがあります。石川県の能登半島で、久米裕さんという三鷹市役所のガードマンが密貿易で儲かると騙されて海岸に連れて行かれて拉致されるんですね。それを石川県警公安課が、李という実行犯を外国人登録法違反で捕まえる。彼の口からは、拉致のことが出てきたんですね。それで、現場の人たちは東京に海外移送目的の誘拐罪、つまり拉致で立件したいと願い出た。本人が誘い出して連れて行ったと自供しているわけですから。
東京の警察官僚は、『そんなことをすれば戦争になりかねない』っていって押し留めたらしいんです。要は、及び腰で、ビビって、折角の拉致犯逮捕を闇に葬った。結果、彼は外国人登録証を携帯していなかったとそれだけのことで、結局あれは、裁判にもならなかった。
裁判をすると、警察の方は警察の方で、いろんなことで集めた資料が公開されたら、その先情報がとれなくなる。そんな論理が中央に働いたようにも聞いています。
拉致で立件していれば、それで警察が動いていれば、二ヶ月後のめぐみちゃん拉致は防げたのかもしれない。
そういうことを考えますと、現場で頑張っている刑事はいられるんですね、それが中央に行くと、なんかこう、潰されちゃう。これが正に、官僚の事なかれ主義だと思います。
それと政治家の無責任。
拉致問題に手を染めても票にならないと。利権に結びつかないですよね。北朝鮮と国交樹立すれば、利権に結びつく場合もあるでしょうけど。
そういうものに対して、政治家というのは、本当に動かなかったのです。
そういう意味では、拉致が出たときは、橋本龍太郎総理ですね。小渕さん森喜朗さんが後に続いた。
結局誰も、北朝鮮に認めさせるということが出来なくて。小泉さんのことも、色々批判もありますが、拉致の入口をこじ開けたという点では、やっぱりよくやったと僕は思います。
やり方が、もっと全体と関連させて、何故出来なかったんだろうかと口惜しいこともありますが。
そういう長いこと、政治家も動かない、官僚もやらなかった中で、北朝鮮にいる被害者はもちろんですが、家族の方も、本当に辛い思いをなさってきていて、横田さんであれ有本さんであれ、今現在も、我が子が生きているか死んでるのかわからない辛い毎日を送っておられる。
これの辛さは、もう、いなくなった日と、同じ気持ちなんですよね、めぐみちゃんでもう30年なりますけれども。有本さんで24年ですか・・・。
連絡が来なくなった、突然消えた、そういう心が引き裂かれるような痛みを、20年、30年ずっと持ち続けておられるのが、被害者家族の方たちなんです。
これはもう、ほんとうに、早紀江さんが最近、記者会見で『こんな状態で、普通の親であれば、半狂乱になりますよ』とおっしゃっていましたが、本当に辛い、生殺しの状態が続いている。
それとまぁ、最後の方になりましたが、なんていうんですかね、最近の安倍さんに対する期待は、すごく大きいですし、安倍さん自身、一生懸命何とかしようという気持ちでやってらっしゃるのは、ありがたい。
ただ、最近ちょっと、えー?っと思うことがありました。
拉致の家族の方達と一緒に頑張ってくれとやるのは良いんですけど、この前、めぐみちゃんが帰ってきて欲しいということで、有名な歌手、PPMのポールストゥーキーさん、私も10代で彼が大阪に公演にきたときに見に行ったことがあるんですけど。彼が歌を作って、それを官邸で、安倍さんとかが一緒に聴かれた。
僕はそれを聞いて、非常に複雑な気持ちになった。そういうことやっている場合ですかと。
家族の人たちは、僕らもしょっちゅう会食したり私自身も有志を集めて、元気づけとカンパ集めのためにチャリティーコンサートをやったりします。外国からも、有名な音楽家が協力してくれて最後に皆で『ふるさと』を歌ったりしますけれど、総理大臣が、官邸で、一緒になって、コンサート聴いていて良いものかと。
もっとやることあるだろうと。ちょっと、なんか、「えっ?」とおもいましたね。
それと昨日のお昼、共同通信が流したんですけど、政府が1億500万円の広告費を出して、政府は拉致問題解決のために頑張りますと、そういうキャンペーン、公報をテレビを使ってコマーシャル流すという。1億500万ですよ。
「え?どうなってるんや」と。
現にこうやって皆さん今日も熱心に聞いていただいて、テレビや新聞で、拉致はとんでもないことであり、国はなんとかせにゃいかん、政府がなんとかせにゃいかんと、国民はわかってるわけですよね。
わかっているのに、なんでそんな、わからせるための広告が必要なのか?
1億円があれば、いろんな情報、拉致解決につながる情報を集めて欲しい。どれだけの人間がやられているのか?あるいは、今、中朝の国境地帯で警備がゆるんでいるうえ、国内も身分証で自由に移動できるくらいになっていますから、被害者を脱北させて救出させられるかもしれない。そのために1億500万円を使う。
それなら、私はわかります。
でも、政府がここまで頑張ってやっています、拉致について我々は絶対に諦めない、やりますからというメッセージのコマーシャルを流す。これ、一億500万。これ、みなさん、どう思いますか?一億500万、僕は、ちょっと違うんじゃないかと思います。
そんなことを思っていて、ふと昔の、ある光景を思い出しました。
97年、横田さんのことが出て、2月7日に、横田さん夫妻が、院内、つまり国会の中の、新進党、衆参両院議員総会に行かれて、訴えられたんですね。『自分たちは、一民間人なんだと。国交もない国に行って、探したり連れてくることはできないので、政治家の皆さんの力をお借りするしかありません』と頭を下げて、頼まれた。
と、そのときに、議員席から女性のちょっと高い声で、『がんばってねーーー』と言う声が聞こえたんです。横田さんに対してですよ。
これ、政治家ですよ。このことを今思いだした。何と無責任なんだ。
頑張るのは、あんたたちだろう。横田さんは、心配で家でずっと耐えてきた。『もう、あとは私たち政治家がやりますから、じっと体を休めてください』というのが筋じゃないか。
頑張るのは、君たち政治家だろうと。
そのとき、本当に何とも言えない怒りみたいなものを覚えたんですね。
そのことを、なんか、最近思い出しました。
それと、最後にこういう拉致が、何故、未だに、表に出てから10年たっても解決できないのかということを考えたときに、私が思うのは、日本という国には、やっぱり、なんていうか、牙がないんですね。
牙というのは、例えば人は、何か理不尽なことをされたときに、何をするのか!と。言葉だけでだめだったら、ときには殴ったりするでしょう。
国と国では、話し合いだけなく軍隊を派遣するぞという。そういうことが、日本の場合、歴史の流れに於いて、悲しいかな、ある意味と必然的にそうなったと私は思うんですが、牙をむけない国になっている。
アメリカだったら、イランのアメリカ大使館に、職員等が監禁されて、ヘリコプターが救出に行って、
これは、砂嵐で失敗しましたが、最終的には、取り返した。
たとえば、拉致があったら、アメリカなら、空母を東シナ海の北朝鮮沖に浮かべて、話し合いでまず解決しようとするでしょう。被害者を出さなければ、攻撃すると。その前には、経済制裁、勿論どんどんどんどんやっているでしょうけど。
そういう意味での、牙と言いますか、爪というか、そういうものが、やっぱり日本にはない。
やっぱり、アジアを植民地支配した後に戦争に負けて、戦後は平和憲法というのが出来て、結局、なんか言うだけで、靖国神社うんぬんと言うだけで、周りの国は、ワーッと言う。それに対して、胸を張って、日本のやる安全保障の道といいますか、そういうことを堂々と言い返せないできた。安倍さんになって少し変わりつつあるようですが。
結局、なんですかね、その、言われっぱなし、やられっぱなし、足下をみられている。北朝鮮なんか、いくらなめてかかっても、日本は攻めてこないと、わかっているんでしょうね。アメリカはそうじゃない。その違いが、拉致というものの解決を阻んでいる構造だと思います。
で、それはどこから来たかと言いますと、繰り返しますが、植民地支配をした結果、連合国軍に負けて、そのあと、正に武装解除をされて、牙を抜かれて、そして平和憲法といわれる憲法ができて・・・。一方で、アメリカが護ってくれているのを尻目に経済発展をしてきた。ふっとみたら、国防とかそういうことは、全然自分たちの力でやってこなかったんです。
これは、我々マスコミも自戒を込めて、自分たちもやっぱり力がなかったと反省しておりますけど、国防論議ということすら、日本のメディアというのは、長年タブー視してきた。
国家安全保障、国防というのは、正に拉致被害者とか名もない何の罪もない一人一人の国民を守るということなんですよ。
これはみなさんどんな人でも、家族を護りたいとか故郷の同級生、友達を護りたい。いなくなったら、何とかしなければいけない。そういうことの集合なんですね、国家安全保障というのは。そういうことの集合だと思います。そのために何をしたらいいのか、真正面から、やっぱり、考えていかなければいけない。
戦後、おざなりにしてきたメディアの責任も大きいです。
そういうことが、今拉致が、全然出口がみえてこない背景にあると思います。
拉致解決について、アメリカに頼るというのも、考えてみれば、情けないことなんですよね。横田さんが、副大統領にあったり、ブッシュにあったり、アメリカの政治家にあって頼むというのは、追い詰められてそうせざるを得ないんですけど、それを第三の独立国家が見たら、やっぱり、心の底では、「日本という国は、自分の国民が奪われて、なんで被害者までがアメリカに頭を下げなければならないのか・・」と。それ自体で、またなめられるという気がします。
ですから、イラクへの派兵で自衛隊はサマワに行きましたけれど、考えてみたら、それより、二十年ぐらい前ですかね、カンボジアのアンタック、PKOとかで派遣するときに海外派兵は憲法違反だとかものすごかった。それが、だんだん、国民的な合意も出来てきて、イラクに軽いにせよ軍隊の装備を持って出て行った。
これは、北朝鮮からすれば、牙のない自衛隊がよく出て行ったものだ、と少しはプレッシャーになったのではないかと思います。
だんだん、まともに安全保障を見つめていこうという意識は高くなってきているんだけれど、同時並行で、国民の、国や自分の家族を護る意識みたいな、そういう個人個人の内面からの意識も沸き起こってこないとだめです。
いくら物だけ、兵器や道具、ミサイルだけ、そろったって…。
今日はこういう話の機会を与えていただいて、本当にありがたいと思っています。それは、みなさんが、やっぱり、正に、めぐみちゃんとか、田口さんとか、有本さんとか、そういう人がどうなってるんだ、どうしたら解決するんだという意識で来られているからです。
正にそういう意識があることが国を護っていく、そういうことを繰り返させない、あるいは、解決する。そういう流れになっていくと思いますので、これからも、ずっと関心を持ち続けてやって欲しいと思います。
今日はどうもありがとうございました。
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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によって起こした物を、石高氏ご本人に目を通していただいた上で公開をしています。