2007年07月08日

07.5.30 増元俊子さん 東京連続集会28(10)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『増元俊子さん(増元照明さんの妻)のお話』

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増元照明の妻の俊子です。みなさん、こんばんは。
基本的なことも、私は家族会に入ったばかりで、私が申し上げられることはないので、ご勘弁いただきまして一言だけ申し上げたいと思います。
夫とそれから、斉藤文代さんとお二人、それから島田先生とご一緒に、アメリカに訴えに、それからアメリカの確認をとりに一週間以上訪米があって、その報告と言うことですので、そのことに関しまして一言だけ申し上げさせていただきます。

斉藤さんにも夫にも、母親がおります。
アメリカに行って訴えている子供を案じている母親がおります。
その母は、娘や息子を北朝鮮に奪われて、それで、夫にも、戦い半ばにして夫にも先立たれて、ひとりで、子供たち、アメリカで闘っている子供たちを案じながら静かに、今日を明日に繋いで、何時になるかわからない戦いを、静かに続けている母親がいます。

こないだ、母の日のイベントとしまして、救う会鹿児島の姉のるみ子さんと修一さんの同級生の方々が、わざわざ自宅を訪問してくださいまして、母の日のカーネーション、花束とそれとプレゼントを持ってきてくださいましたけれども、同級生の方々が、『本当はるみ子さんや、修一さんが実際にお母さんにお渡しできればいいけれど、今年も自分たちが持ってこざるを得ないことが非常に残念で、来年は是非とも、るみこさんや、修一さんが実際にお花を届けることが出来ると良いですね』と言いながら、ご本もくださいました。

そういう、此処にいらっしゃる横田めぐみさんのお父様、お母様も、大変体力的にお疲れが出ていらっしゃいますけれども、頑張って闘っている夫にも、母親がおります。母の哀しみを早く解放させてあげてそれで、なすすべもなく、北朝鮮の閉ざされた国の中で、救出してくれるのを待っている被害者の皆さんを本当に1日も早く返して差し上げたいと思いますので、どうぞみなさんのお力をお貸しください。宜しくお願いします。

・・・集会終了・・・

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07.5.30 本間勝さん 東京連続集会28(9)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)のお話』

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今横田さんが言われましたけど、我々拉致被害者の関係者は本当に体力的にどんどん弱って来てですね。
本当に時間との勝負、という事になって来ています。
ですから本当に金正日体制を倒すと言うのを、その方針でこの先ですね。
どうしたらいいか?
それをもう真剣に考えて、出来る事は前倒しで多少無理があってもやっちゃうと。
そういう事は西岡先生も言われましたように、北朝鮮は経済的には貧窮している国です。
経済制裁が一番効くわけですよね。

我々は軍事力は行使できませんけども、経済的力は持っています。
経済では戦えます。
朝鮮総連の在日から北朝鮮に流れるお金を止める。
これだけでも相当な経済制裁になると聞いております。(拍手)
そういった事をびしびしやってですね。
追い込んでいくしかないと思います。

それと拉致問題の認定でいろいろ今特定失踪者問題で警察関係で掘り起しが進んで、どんどん拉致犯人を追い詰めておりますけども、拉致の認定で言わせてもらえば寺越事件の拉致認定と言うのはまだ通っておりません。
これによってですね。
拉致はもう明らかになったんだと、状況判断からしてね。
日本の近海で漁船をぶつけられて、それを北朝鮮が助けてなんで北朝鮮まで持っていくんだ?と。
そんな事は絶対に考えられないわけですよね。
そんな屁理屈が今まで通って来ている。
そういった事を打破するためにも寺越事件を拉致事件として早く認定して、それで今寺越さんの武志さんのお母さんが北朝鮮に利用されているのを、あの人だけはなぜか不思議に50何回それ以上行っているかもわかりませんけど、往来してお金を持って行ったり、または北朝鮮の宣伝工作に使われたり。

それで我々の被害者・特定失踪者の問題を早く解決してやってもらいたい。
国としても特定失踪者問題の方では「しおかぜ」の北朝鮮向けの放送をやっておりますけども、国としても国営放送でそういった問題に取り組もうとしております。
そういった攻めは続いております。
だから総連のお金が日本から渡らないような、それだけでも出来ることなんです。
それを早く国がやってもらってですね。
北朝鮮をどんどん追い詰めてもらいたい。
土俵に乗ろうとしない現状なんですよね。

これを打破するためには戦っていくしかない。
それなんです。
皆さんも我々を支援していただいて、そういった声をですね。
出していただきたいと思います。
宜しくお願いいたします。(拍手)

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07.5.30 横田早紀江さん 東京連続集会28(8)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

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ご苦労様でございます。今、先生方のお話にありましたように、本当に私達は、本当に何にもわからない市民で、知識も何にもないものが、ここまで専門的な、支援の方々、国民の方々の力が結集されて、本当に、ようやくここまで、アメリカの姿勢とか、韓国はなかなか・・ですけれども、北朝鮮も非常に追い詰められたようなところまでくることが出来た現状が、いまやっとなってきたと言うことで、私達は、本当に・・のみなさんについて、一生懸命頑張ってきたということしかないんですが、本当に有り難い事だと思っています。

今は主人が話しましたように−−読売新聞さん、今日いらしているかどうかわからないんですけれど−−私達も朝新聞を見てびっくりしてですね、『何を書いたの、これ?』と言ってびっくりしたんですけれども−−本当に、こういうような、北朝鮮が追い詰められている状況で、ちょうど主人も体調が良くないし−−代表を退任するというのも、読売さんが書いちゃったんですが−−更にびっくりしたんですけれども−−今そう言うような状況の中で、ちょっと体力的に私達二人も弱っているというのは確かなんで、このような記事が載ると言うことは、やはりここにつけ込んで、やはり、ヘギョンちゃんという、私達が会いたくてしょうがない人を出してきて、何とかして、ここでそういう状況を作っていこうじゃないかという、どこか、そう、北朝鮮側から働きかけがあったのか、中国が、それを知ったのか、それを私達は、本当に何も聞いていませんし、政府もそのことは全く聞いていないとおっしゃってますし、全くびっくり仰天している状況なんですが、そう言う中で、こういうことが、いろんな事で起きてくるのではないかということを、非常に懸念しておりまして・・・。

私達は、めぐみたちが、本当にどうなっているのか、今どこにどうしているのか、本当にどうしているのか、情報がないことが、非常に、家族会は、みんな苦しくて、本当に切なくて 何でも良いからわかってほしい、知らせて欲しいという思いでいますので、まず、拉致の被害者の子供たちの状況がどうなのか?そして偽の骨が・・・ここにも書いてありますように、中国が鑑定しても良いということまで書いてありますが、そんなことを持っていけば、どんな風にごまかされるかわからないと、私達は、恐怖感を感じていますし・・・。

色々なことに、本当に取り込まれないように・・拉致被害者が今どうなのか、はっきりとした、具体的な状況を誠実に出してこなければ、解決に至らないんだということを、日本政府が、しっかりと主張していただきたいと思っています。
宜しくお願いします。

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07.5.30 横田滋さん 東京連続集会28(7)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『横田滋さんのお話』

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今のところ、六者協議の動きが全くありません。それは、先ほど島田先生が話されたように、バンコデルアジアのお金が要するに資金回復しないと言うことで、ヒルが、何回も今月中に解決するだろうとか、後数週間で解決すると言ってきたわけですが、それが全て予想が外れて、狼少年が、『狼だ』と言っているのと同じで、だんだん信用をなくしていってきたと思います。

日本側としては今は、『我慢にも限度があるので、もっと制裁しろ』というような外務大臣の発言にもありますように、いわゆる制裁を一層強化するということが、解決の手段ではないのではないかと思います。

それから、最近特に変わったことがありませんけど、先日の新聞に、中国から打診があって・・日中関係者が明らかにしたということで、特定失踪者のニュースをだすとか、それからキム・ヘギョンンさんを金日成総合大学から、北京大学の方に移す。そして我々が会いにいけるようにするとかいうような言う事が出ていましたが、それも、一社だけで、他の新聞にはどこにも出なかったですし、我々に対する取材もありません。又、政府からもそんなような話は、打診みたいなものも全くもありません。どういうところから出たのかはわかりませんが今のところ、我々にとっては関係のないような話じゃないかと思っています。

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2007年06月23日

07.5.30 西岡力氏2 東京連続集会28(6)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『西岡力 救う会副会長のお話 その2』

ブッシュ大統領が9・11の後、アフガニスタンでの戦争が始まり、そしてその次2002年の1月に有名な悪の枢軸演説をするわけです。
北朝鮮を・・・(聞き取れず)に悪魔だと言ったわけですね。
それはテロとの戦争の目標に、彼らから大量破壊兵器を取り上げるという事をしたわけですね。
そこでその後の小泉訪朝につながるドラマが始まるわけですけども、実はその前の2000年には全然別の、北朝鮮が押し込んでいて、我々は本当に負ける寸前まで行っていたという状況があったわけです。
2002年と2000年とたった2年しか違わないんですが。

しかし同時多発テロというのはこちらから言えば追い風が吹いた所もあってですね。
金正日政権に対するブッシュ政権の姿勢が非常に厳しくなって、クリントンとは違うことになって、いくらヒルでもですね。
今、金正日と一緒に反テロ宣言を出すということは・・・(聞き取れず)という事になって、今の国務省では出来ないことです。
当時は、2000年は出来たんですね。
2002年の1月には大統領が悪の枢軸だと言った国と、2000年にはアメリカは反テロ宣言を出したんです。

我々はその後2003年にテロとの戦争が始まって小泉訪朝があるのに、2度目の訪米をしたわけです。
その時の目標も実はアメリカの政府及び議会に拉致はテロだと認めさせると。
アメリカが今戦争をして戦っているテロの一つが拉致なんだと。
世界に対してテロと戦争しようと呼びかけているアメリカがターゲットとしているテロの一つが日本人拉致であるはずだと。
日本がアフガニスタンの戦争、イラクの戦争で自衛隊を出しているのも、第一義的には民主主義国家としてテロと戦うという姿勢を示すためで、アメリカも日本人が被害にあっているテロと戦うべきだと。
そういう論理になったわけです。

そしたらアーミテージ副長官が「イエス、その通りだ」と、「拉致は憎むべきテロだ」と。
アーミテージ長官はテロ支援国家じゃなくて、テロリスト国家だと言ったんですね、アメリカに行った時。
北朝鮮をテロリスト国家だと指定している理由は、もちろん拉致被害者の悲劇的な運命も入っていると、いう事を議会の公聴会で話していたそれをキャッチしたのが島田教授なんです。
ワシントンには日本大使館員たくさんいるんですけど、その人たちが何故かそれをあまり見ていなくてですね。
たまたま訪米の先遣隊でワシントンにいた島田教授が問題意識を持って見ているから、重大な発言が出たという事で、我々の言おうしようとする事がアーミテージ副長官に伝わっていると。
それならご家族が行く時本体が行く時、もう一回それを確認してマスコミにも報道して、後ろにアメリカが戻れないように出来るんじゃないか?と思って、行こうという事になったんですね。
そしたら我々が会ったときもアーミテージ長官は「もちろんその通りだ、拉致はテロだ」と言ったわけです。

ところが日本に帰ってきて川口外務大臣に会った時にですね。
「日本にはテロの定義が無いからテロとは言えません」と言われたわけですね。
それは大変がっかりしたわけですけども、定義が無いんだったらテロだと言ってしまえば良いんじゃないか?と思うんですど。
(定義が)あるんだったらこれは駄目だとかいう事になるんですけど、アメリカのテロに対しては一緒に戦うと言っているんですけど、それぞれがそれぞれの国に一番有利になるように定義はしても良いんじゃないか?と思うんですが。

今でこそテロ国家指定を解除させるかどうか?
日本政府の外交力がかかっている、安倍外交が問われていると言っていますけど、その理由に日本人拉致を書き込ませる努力をしたのは、民間が先にしたわけです。
書き込ませようとするんだったら「拉致はテロだ」と言わなければ書き込ませないのに、外務大臣は逆にテロだとは言えないといったら、アメリカに対してどう説得するのか?という事になるわけですね。
しかしそれは、我々の考えている事とアメリカの考えている事は一致して、そしてブッシュ大統領もおそらく悪を憎むというパーソナリティーもあってですね。
2003年に訪米しまして、2004年も世界テロ報告書から理由の欄に日本人拉致が書き込まれたんです。
2003年までは書いてなかったんです。

アメリカは今ブッシュ大統領、金正日政権から大量破壊兵器を取り上げるという事を戦争の目標にしたんです。
そのテロとの戦争は今でも戦われているわけですね。
我々はそのテロとの戦争の目標の中に大量破壊兵器を取り上げるだけじゃなくて、拉致解決も一緒にさせるために拉致はテロだという事にして、今一定程度成功して、そして一昨年の9月の6者協議の方向に至るわけですけども。
アメリカも北朝鮮に対する政策の方法論ですね。
方法論はブッシュ大統領が悪の枢軸と言ったときから変わっていないんですが、これも島田先生に僕は教えてもらったんですが、当初からイラクと北朝鮮は危険度は同じだと。

しかし対処する方法は違うと言っていたんです。
後付けで言ってるんじゃなくて、当初から言っている。
イラクは経済基盤が強いから経済制裁は効かないんだと。
北朝鮮には経済制裁が効くと。
イラクは経済制裁がかかっていたわけです、湾岸戦争の90年に。
しかし石油を密売して外貨を持っていた。

しかし北朝鮮は外貨の獲得源は犯罪行為か武器販売しかないわけです。
それを締めれば内部矛盾が高まる。
内部矛盾を高めて、核開発をやめなければもっと締めるぞと、金正日政権が倒れるか倒れる寸前になって核開発をやめるかどうかそれは分からないけれど、とにかくギリギリまで締め上げる。
という方針は当初からあったんです。
そしてそれが本格的にスタートするのは、一昨年の6者協議の合意とほぼ同時に始まった金融制裁だったんです。

あの金融制裁、金融制裁と言っていますけど、これは相当のことをやっているわけで、日本で北朝鮮に金融制裁をかけられるか?と言うと現行法規ではかけられないんですね。
世界中でアメリカだけですね。
つまりアメリカって言う国はアメリカに対して主権が権力が働きますけども、世界のイギリスの銀行とか中国の銀行にアメリカが一義的に命令は出来ないんです。
でも、金融制裁と言うのはアメリカ政府が一方的に、世界中の銀行に北朝鮮と取引を止めろと。
なぜならば彼らは犯罪資金を取り扱っていると。
もしも北と取引をすればアメリカの金融機関はあなたの所と取引をしないと。
そうするとあなたの所は潰れるかも知れませんよ、潰れてもアメリカは何も保障をしませんよと、いう事なんですね。

マカオの銀行と言うのは北朝鮮の銀行じゃないんですよ。
北朝鮮のお金を預かった中国系の銀行なんです。
それが今取り付け騒ぎが起きて事実上潰れたわけです。
マカオの国内法に違反していないんです。
それもアメリカでも昔からこんなにかなり無茶なことが出来たか?と言うとそんな事はなくて、9・11のテロの後に作られた愛国者法という法律に基づくから出来てるんですね。

こういう法律があるからですね。
マカオの銀項が潰れた場合、アメリカは訴訟社会ですからアメリカに裁判を起こせる場合があるんですね。
そしたら負けたら莫大な保証金を払わなくちゃいけない。
アメリカは三権分立ですから、司法がどんな判断を下すか分からないわけですね。
だから9・11のテロの後、愛国者法が出来るまではこれは出来なかったんです。
でも、愛国者法は疑わしきは回避せよです。

そういう立法の趣旨があってアメリカも安全保障を守るためには、テロ資金を取り押さえなければいけない。
その為には金融制裁をかけられる、という一歩進んだ法執行をしているわけですね。
今までなかった飛び道具まで使って追い込んだんです。
追い込まれた北朝鮮が苦しくなったという事は間違いないです。
本当にハッキリ苦しい。
彼らにある金正日の秘密資金、40億ドルから50億ドルくらいもの物が、今ほぼ動かせなくなっている。
通常貿易の決済も滞るようになって、鞄の中にドルを詰めて行かなければ物を買えない。
ドルを持っていくと相手が「お前のは偽札だろ」と言ってドル札は受け取ってもらえない、いう事が起きています。

これは我々が支援している自由北朝鮮放送に頼んで調べてもらったんですが、今年の2月の金正日の誕生日に外貨を使って買うような贈り物を、多分党の幹部にはしているはずだと。
それが例年に比べて減ってきているという事が無いか?調べてくれないかと。
最近返事が来まして、第三軍団の副司令官の親戚の人から直接聞いたんですけど、2005年の12月31日。
お正月を迎えるための贈り物が2005年の12月31日まではあったと。
金正日の名前の年賀状が入っていてですね。
酒が3本とかバナナとかですね。
肉とかタバコとかですね。
バナナなんて北では出来ませんからね。
バナナも1キロとか貰っていたのが、去年の2006年の12月31日にはなかった。

それからある道の党の責任者、あるいは道の行政委員長に対しては、今年の2月16日の贈り物はみかん1箱とりんご1箱と酒を焼酎3本、人参酒3本、それから朝鮮人参のエキスだけだったんです。
道のトップですからね。
去年までは同じ人がテープレコーダーとか化粧品とか外国製の電気製品とかが入ってるわけです。
外貨のかかる物はもう入らなくなっちゃった。
一番忠誠心を買わなくちゃいけない人間への贈り物も苦しくなる状況になっているわけですね。
今我慢比べなんです。
それで核実験をしてみたりミサイルを発射してみたりしたけど、両方失敗したわけですね。

で、手がなくなってアメリカの国務省に泣きついたわけです。
何とかBDA(バンコ・デルタ・アジア)の預金を下ろさせるようにしてくれ、そしたら核開発を止めてもいいと。
原子炉を60日以内に止めると言ったわけです。
その見返りは5万トンの重油でいいと。
物凄い譲歩ですよ?表面的には。

しかし、実態は譲歩したように見せかけて金融制裁を解かせようとする。
お金は今でも下ろせるわけです。
ヒルは個人的には自分が・・・・・・(聞き取れず)思っているみたいですけど、送金が出来ない。
でも北朝鮮は通常の銀行の・・・・・・。(聞き取れず)
BDAが通常のルートでも送金できるという事は、犯罪資金を扱ってもアメリカは、送金するときは一度ドルに変えなければいけませんから、アメリカの金融機関が主導している国際金融秩序にアクセスしなければいけないわけです。
そこに戻る事が出来るという前提になって他のお金も動かせるようになれば、と彼らは狙っているんです。
それは財務省が法律に基づいてやった事ですから、愛国者法と言うかなり秘密兵器的な法律ではありますけども、法に基づいてやっているわけですから、動かせないといって今せめぎ合いになっているわけです。

その間韓国からは肥料が行き、今40万トンの米が行くかどうか?と言う話になっていますけど、金融制裁緩んでいませんし、日本がやっている日本の法執行制裁も大変効いているわけです。
時間が立てば経つほど、彼らの立場が苦しくなるという事が今成功しているわけです。
特にアメリカの愛国者法なんて言うのは飛び道具的な法ですからね。
こんな事を国際的な場でやるという事は今まで想定になかったですから、それが出来ている。
言う中で、今向こうの陣地まで攻め込んで苦しくなって来ている向こうががどうするか?という慌て出した中で動きが止まっていると。

ただし、韓国からは金剛山観光や開城開発を行うという形で現金が流れていますし、韓国政府はなんとしても口実をつけて北を助けようとしていますが、金融制裁と言う網の目の中から韓国がこぼれている。
実は去年の秋くらいに、韓国の二つの銀行をBDAと同じように金融制裁の対象にするという情報がソウルに流れた。
アメリカは検討してるんです。
銀行の名前まで出た。
今は主たる戦場はソウルになって来たんですけども、そういうふうに見るとブッシュ大統領は若干、北朝鮮が折れたような格好をしたので「金融制裁を完全にやめるというのじゃないのなら、60日で例えば原子炉を止めてみるというのをやってみろ」と言ったという点では、私はそれ程ぶれたとは思ってないです。

ボルトン氏に言わせれば、今止めないでもっと金融制裁を厳しくすれば良い。
韓国の銀行にも金融制裁をかければいいじゃないか?何で止めるんだ?という批判も、今にらみ合っているんじゃなくてこちらからもっと殴ったり蹴ったりしろと。
相手の土俵まで行っている事は間違いないんですけど、向こうに譲歩してないですよ。
金融制裁は解いてないです。
でも、止めたことだけでは駄目だと言っているのがボルトン氏たちの考えです。
日本はその6者協議の中で今度は政権が厳しい態度に出て、エネルギー支援と言う、核兵器を止めさせるという枠の中でも、拉致問題が進展しない限り一銭も出さんと言ったんです。
アメリカを動かさないように。
アメリカが動いてるんじゃなくて日本が絶対自分で動いているわけです。
これも初めてのことです。

国際社会がお金を出すと言っても、核問題が主要な議題である6者協議でも、拉致問題が進展しなければ日本は一銭も出さないと言ったんです。
2000年の時はどうだったのか?
あるいは94年の村山政権の時はどうだったのか?
村山政権は10億ドル出すと、拉致問題を主張もしないで言ったわけです。
実際5億ドル出したんです、核問題だけで。
森政権は60億トンの米を出したわけです。

しかし今は進展をしなければ核問題が大きく動いても出さないと。
拉致問題が動かなければ北朝鮮が困るという状況を作る方針は少しずつですけれど、出来つつある。
包囲の輪が縮まっています。
そういう中で、これは上手の取り合いとかですね。
相手の陣営の中での蹴たぐりの掛け合いとかそういうようなこちらが押されているように見えるかもしれないけれど、大きな状況はこちらが押しているんだと。
自信を失う必要は全くないと。

彼らが拉致問題で本当に真面目な真剣な対応をしない限り、苦しさは続くと。
より一層深刻になるとそういう状況を作らなければならないというのが我々の元々の考えで、その為にアメリカをどう動かすのか?として来たんですけど、今はアメリカがそういうふうに動いていて、そして今度は民間の我々が考えるよりももっと政府対策本部が考えていて、かなりのいろんな手を打っているというのが今の状況だというふうに見ています。(拍手)

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2007年06月20日

07.5.30 西岡力氏1 東京連続集会28(5)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『西岡力 救う会副会長のお話 その1』

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アメリカはどう動くか?という事で今日は集会をやったんですけども、今はこの2月からこの最近の動きについて、増元さんと島田さんが訪米されたときの印象を中心にお話になったんですけども。
私はそれを考えるための基礎材料として家族会・救う会の運動がアメリカをどう動かそうとしてきたのか?という、少しこの7〜8年の我々が考えてきた事を申し上げたいと思います。
そしてその結論としてはですね。
我々はかなり当初思ってきたとおりアメリカを、口幅ったい言い方になってしまいますけど動かすことが出来て来たというか、我々の想定していたところにアメリカは動いていて、今は拉致問題の解決という事をたとえば相撲に例えたらですね。
追い込まれているんじゃなくて追い込んでいて、相手側の土俵で押し出しすることが出来るかどうか?と言う、相手側の陣営に入って力比べをしているという状態だというふうに思ってみています。

家族会・救う会の運動がアメリカに目を向けたのはですね。
実は2000年頃なんですね。
あの頃は我々は大変追い込まれていまして、ご承知の方が多いと思いますが増元さんが森総理に土下座をしたときですね。
南北首脳会談があって、そして森総理が金正日と会うのではないか?という、かなり確実な情報があって実際後で会う計画があったという事が発覚したんですが、拉致問題が進展しないのに日朝国交正常化を進めるのではないか?と。
そしたらば日本政府は拉致問題について決定的な証拠を持っていない。
あるいは被害者を救う意思が絶対にないという間違った判断を北朝鮮政権がすれば、向こうにいる人たちに危害を加えるという最悪の状況も起こり得るかもしれない。
人質を帰さなくてお金が来るんだったら証拠をなくした方が良い。
いうふうに判断するのではないか?と思ってですね。
大変な不安があって、増元さんが「このままでは姉さんが殺されてしまいます」と言って土下座をした年なんですね。

その年実はアメリカのクリントン政権が休息に北朝鮮に接近するわけですね。 
テロ国家指定解除の問題はその時起きるわけです。
クリントン政権は解除直前まで行った。
今ライスさんが訪朝するとかヒルが訪朝するとか出ていますけど、2000年にアメリカのオルブライト国務長官が訪朝して、マスゲームを金正日と一緒に見て金正日と乾杯をして帰ってくるわけですね。
そして趙明禄という国防委員会の副委員長、北の軍人がワシントンに来てですね。
アメリカで交渉すると。
二国間交渉をしないかいう話ではなくて、二国間の政府の高いクラスの交渉が行われていて、クリントン大統領の訪朝が真面目に検討されていたんです。

そして日本では河野外務大臣が「私に任せなさい」といって10万トンと50万トン、2回に分けて合計60万トンのコメ支援をしたわけですね。
拉致問題は何の進展もないのに人道支援と言う名目でWFPが要求する量よりも多く支援が行われると。
我々は座り込みを行いましたけど、支援は変わらないと。
アメリカも米朝国交正常化に進む勢いだったと。
今から考えますとですね。
我々もなんですけど、2000年の11月だったと思いますが、米朝反テロ宣言という(アメリカの)国務省と北朝鮮の国防委員会と が交渉する中で両国政府がですね。
テロに共に戦うという宣言を出したんです。
北朝鮮とアメリカは過去も現在も未来もテロも反対だと、今後もテロに対して一緒に戦うという宣言を出した。
それは何のために出したか?と言うと、アメリカのテロ国家指定をアメリカが解除したかったからです。

その為に議会を説得しなければならなかった。
議会を説得する論理として大韓機爆破事件以降北朝鮮はテロをしていないと。
そして今後もテロをしないといっているという理論を唱えたんです。
だから北朝鮮と一緒にテロ反対宣言を出せば、今後も北朝鮮はテロをしないという証文にそれを使えると。
北朝鮮は過去もやっていないという証文にアメリカはサインをしてしまったんですね。
テロ国家指定をしておきながら過去にも北朝鮮はテロに反対したと書いてある宣言に、アメリカはサインをしたわけです。

そして残るはよど号の犯人。
つまりテロリストを匿っているというのだけが残るんだと。
そのテロリストの日本人のハイジャッカーたちを国外に出すという情報のリークがあって、確か朝日新聞がそういう事は起こりうると書いたんですね。
で、実際そういう事も検討されていたようです。

そして韓国政府はですね。
アメリカに対して韓国をターゲットにしたいろいろなテロは、民族内部の問題だから理由から排除してくれと言ってきた。
大韓機爆破事件もラングーン事件も、あるいは韓国人拉致も排除してくれと言う状況で、真面目に解除が検討されてたんです。

そのときにですね。
アメリカの議会調査局が北朝鮮をテロ指定国家から解除すべきか?と言う報告書を出すんです。
それを読みまして本当にここまで来ているんだと、思ったんですがそこでですね。
実は議会調査局でその報告書を書いたのはニクシュさんと言う人なんですが、その人のところには数年前、多分99年だと思いますけども、荒木、当時の救う会事務局長が家族の人は行かないで、自分の大学の研究費からお金を工面して訪米しましてですね。
資料を英語に翻訳して、当時はもちろん議員なんかに会えませんし、日本の大使館の人ももちろんアポイントも何もしてくれませんでして、それでも何人かの人、特に小さな席だから申し上げますけど産経新聞の小森特派員などには最初からお世話になってですね。
この資料をニクシュさんに渡す事が出来たんです。

そのとき2000年にニクシュが書いた、解除すべきかどうかのテーマの中に日本人拉致が出て来ているんです。
よど号のグループが外に出た場合にそれで解決できるのか?と。
反テロ宣言が出たと、後は日本人拉致をどう解釈するかが問題だと。
その経過の中に先ほど言った韓国政府は、韓国人被害の分は理由からはずしてくれと言ってきている。
だから韓国人拉致は問題にならないと書いてある。
しかし日本人拉致は大韓機爆破事件よりももっと前の、当時でいっても20数年前に起きている。
その後確認されていない。
だとすると毎年毎年テロ報告書を出す時に、この一年やってないということになれば解除してもいいんじゃないか?と言う論理も成り立つんです。
ただし、拉致が現在進行形だと見て被害者が帰ってきていないのだとすれば、テロは終ってないという見方も有り得ると。

アメリカの駐イラン大使館が占拠されて外交官が人質になってきたときに、イランをテロ国家に指定する問題では外交官が人質から解放されるまではテロ国家指定を続けたと。
襲撃だけをテロだとは言わなかったと。
その見方を適用すれば、日本人拉致はまだ終っていないという論理だから解除できないとなる。
と言う議会調査局の報告書が出たわけです。
どうなることかと見ていたわけですが、ブッシュ大統領が当選したんですね。
もしもゴア大統領が当選していたらですね。
ブッシュ大統領が任期までに訪朝しているかゴア大統領が訪朝してですね。
韓国の大統領も金正日に会う、アメリカの大統領が会う。

日本だけが拉致問題を言ってお金を出さないといっても、当時の河野外務大臣であり、森政権も自分がバスに乗り遅れないといって会おうとしているわけですから。
完全に家族会・救う会は孤立して、どこかでハンガーストライキなどやってですね。
誰かが病院に担ぎ込まれることになっても事態はどんどん進んでいるという、こちら側の土俵に足が引っかかって拉致問題が棚上げになりそうになったんですね。
絶望的だったんです。
我々は世論を盛り上げることしか出来ませんけども、国内の世論だけではなくて、アメリカ政府がそういう方向に行かないとしないと日本の世論だけでは持ちこたえられないと思ったんです。

ところがブッシュ大統領が当選した。
ブッシュ政権は北朝鮮政策を決めていないけれどクリントンのやり方を批判する事は間違いない。
そこでブッシュ政権に拉致はテロだと、現在進行形のテロだという事を家族と一緒に行って訴えようと言うことで、最初の訪米を2001年の2月にしたわけです。
その時は蓮池さんのお父さん・お母さん、地村さんのお父さん、浜本雄幸さんとか有本さん。
横田さんたちが一番若い親だったんですけど、それでも高齢の方を十何時間飛行機に乗せるのに、エコノミークラスしかお金がなくて買えなくてですね。
荒木さんといろいろ計算したんですけど、どうしても出ないんですね。
ビジネスクラスにすると財政がもたないので、この人たち倒れたらどうしようか?と思いながら飛行機に乗った事を覚えていますけど、でもやっぱり行かなきゃ駄目だと言って、現在進行形のテロだという事をアメリカに行って訴えると。
アメリカが向こう側につかないようにする。
それを考えたんです。

愚痴を言ってもしょうがないんですけど、このとき外務省からアドバイスをしてもらったり誰もアドバイスを受けないで、我々が無い頭で考えたんです。
民間で考えたんです。
民間で計画して国民のカンパだけで行ったんです。
それでその時はですね。
筆頭公使がうちに招いたので、自分たちでそこまで行ってですね。
でも若干のアレンジはしてくれましてですね。
会ってくれる人は、国会議員でも会えるのは側近補佐官と、それから専門家の人たち。
ニクシュさんなんかにも会ってもらって、国務省に行ってあってもらえたのは次官補代理。
あれは今で言うとヒルの下、に会って貰いました。

たまたまライスさんが当時補佐官だったんですけど、議員会館である会議の事務所の補佐官に会いに行った時の帰りか何かにライスさんとすれ違って、資料をばっと渡して「これが拉致の資料ですから」と渡素事は出来たんですけど、あと何でもなかったという事だったんですが、でもそこでですね。
ずっと我々は拉致はテロだと、テロは社会の敵だと、アメリカ一緒に戦うべきだと。
だからテロ指定国家から外すべきじゃないと、拉致は現在進行形のテロなんだという事を、そこで強く言ったわけなんですね。
その後、拉致はテロだという事を国内でもスローガンに使ったわけなんですね。
それはアメリカに、同盟国に対して直接内容立てるは良くないんですが、率直に言っていかないと目立たないというか、一緒に戦ってもらう論理としてね。
拉致はテロだという事を言ったわけです。

しかし次官補代理も皆様方には同情するとかですね。
今すぐ北朝鮮をテロ支援国リストから解除する予定は無いとか言ってくれたんですけど、拉致が理由だとは絶対言わなかったですね。
それは拉致だといわかったのを我々には説明しないで、解除しないと言ったという事だけ記者会見で言うんですが、理由だという事は向こうも外交官ですから絶対に言わなかったです、自分たちの手を縛る事は嫌ですから北朝鮮との交渉で、日本のことで手を縛られたくないと、国務省の本音としてずっとあったんです。
それを分かっていてもこちらとしては、アメリカまでもが金正日政権に付いたら日本は完全に孤立して持ちこたえられない。
棚上げにされてしまうと。
それを防ぐために、北朝鮮がアメリカに働きかけをしているんなら、こちらも働きかけをしなくちゃならない。

いう事でアメリカと言う陣地を北朝鮮側に取られないためには、その取っ掛かり、つまりてこにはアメリカのテロ国家指定制度で、その理由に日本人拉致を明確に書き込ます事ができれば、北朝鮮は日本人拉致が解決するまではテロ国家から解除されない。
解除されなければアメリカからの援助はもちろんのこと、国際金融機関からの融資ももらえない。
いうことになる。
実は国際金融機関からの融資というのも2000年に大きく動こうとしたわけですね。
アメリカがテロ国家指定を解除しようとしたのは、金大中政権からの・・・(聞き取れず)もあったんです。
金大中政権は南北首脳会談の前に大規模な経済協力をすると北朝鮮に言ったんです。

ところがお金が無いわけです。
森総理に電話してきて、金正日は話のわかる男だから会ってくれと言ったりしたわけですけども、日本からのODAも当然計算に入っていたでしょうけども、考えていたわけです。
アジア開発銀行に2000年、北朝鮮は加盟申請を出すんです。
テロ国家指定がされたままだとアメリカは理事会で反対するんです。
アメリカの国内法で反対しなければならないと書いてありますから。
クリントン政権はそれを外そうとしたわけです。

そうすると日本のODAが行かなくてもですね。
国交正常化で日本からお金が行かなくても、日本が投資しているアジア開発銀行からお金が行ってしまえば、北朝鮮は日本と交渉を急ぐ理由は無くなるってしまうわけですね。
拉致問題の解決が遠のくだろうという事を考えて何とかしなくてはいけないと思って、拉致はテロだというスローガンを出したわけなんです。
そしたら9.11のテロが後で起きたんです。
アメリカはテロとの戦争を宣言して、テロは世界の敵だと、国際社会も一緒に戦えと言ったんです。

我々は頭を下げて助けてくれなんて一度もそんなことアメリカに言っていないです。
一度もアメリカに対してそんな事を言った事はない。
テロと言うのは民主社会の敵ですからアメリカも一緒に戦うべきことで、その事を堂々と主張しただけで、その為の方法は圧力をかけること。
解決しなければ、相手が苦しくなるようにして欲しいとその一点を言って来たんです。
解決できないのに彼らが楽にいろいろなものを手に入れる状況が出来たら、彼らは絶対に真面目な交渉にならない。
解決をしなければどんどんどんどん苦しくなるという状況を作って後、初めて真剣な交渉になる。
それは金正日政権になるのかポスト金正日政権になるかわかりませんが、それなりの交渉が始まる。
そういう国際情勢を作らなければならない。
その為にアメリカを絶対向こう側に付けてはならない。
まぁ思ったんです。

・・・その2に続く・・・

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2007年06月16日

07.5.30 恵谷治氏 東京連続集会28(4)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『恵谷治氏(ジャーナリスト)のお話』

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今日のタイトルが「アメリカはどう動くか」という事で私個人的にはアメリカは余り得意では無いんですが、一言言えばですね。
ブッシュ大統領が譲歩したんでは無いか?あるいはブッシュが変わって来たんでは無いか?と言うような見方も分からないんでは無いんですが、やっぱり大事と言いますか考えるべき事はですね。
大統領に就任して「悪の枢軸」という3ヶ国を名指しして、その内の一つを核を持っているだろうという前提の元に攻撃して崩壊させた。
後残りの2ヵ国の内、核を持っている持っていると口ばっかりだったのが実際実験をした国があると。
もう一つ濃縮ウランをすでに1000SWU以上を稼動させているという枢軸の二つの国が、イラクとは違って実際に核開発を行っていたわけですね。

ですから大統領が退任する2008年、正確には2009年1月かな?
1008年来年末までに、この2ヶ国に対して何らかのアクションを起こさない限りですね。
ブッシュ大統領としては歴史に残らないと思います。
ですからその事を本人も一番気付いているはずで、となれば優先順位からみれば、取りあえず石油が関係するイランの方が優先順位としてはやはりとも思いますが、いずれに白北朝鮮に対してですね。
何らかのアクションを起こさないわけは無い、と私は思っています。

そして今回の認定機関、その前の去年の中間選挙の結果とか、そういう事によって多少の戦術的変更はあるとしても大統領個人の意思は変わるはずが無いと思いますし、そのことによってまだ一年半以上時間はあるわけで。
大統領としては二つの問題を片付ける必要があるし、そういうときに中東の方がイスラエルが協力するとか、何らかの形で退任までには私は大きな変化があるのではないか?と私は期待しています。
というよりもそうしなければ、ジョージ・ブッシュが最悪の大統領だったという歴史的評価になると思います。

つまり、その時々で戦術的にこうあって評価したと、マスコミはこういう批判があるとも思うんですが、もう少し長いスパンで見てですね。
最終的に来年末の結果、それまでには先ほども出ました北京オリンピックもその意味ではどうなるか?という事もありますし、私自身はブッシュ大統領個人を信頼して大丈夫なんだと。
何らかのアクションを起こすんだというふうに期待しています。

それが一点と、今個人的な事として申し訳ありませんが、今出ておりますSAPIOに私拉致の全般を簡単にですが、それをお読みになっている方はお分かりだと思いますが、その事についてアメリカの人たちと関係ないと思いますがそれについてお話したいと思います。
そのSAPIOに書いた中で朝鮮戦争当時ですね。
実際には判明しているのは9万5千人余りの韓国人が拉致された。
これはこれまでにも当然伝えられて来ていますが、それ以前に金日成がソ連から帰国して、その翌年にとにかくインテリその他を南から連れて来いと。
こういういわば実行犯に対して、「こういう理由で必要なんだ、頑張って来い」という文章を金日成全集に載せていたという事実は私も正直言って知りませんでした。

つまり北朝鮮と言うのは、建国の時点でもう拉致国家であったというのが今回はっきり分かったという事と、朝鮮戦争当時9万5千人の、これまで8万5千人と見られていましたが、それが名前が分かったという事であって、だから実際に連れて行かれたという事ではなくて、ある文書では「50万人を南から北に送れ」と言う指示書がある。
要するにこれは、その9万5千人のデータを見ても分かりますが、とにかくリストを作ってその個人の家に行って連れて行くと完全な拉致で、遭遇拉致と言うか通りを歩いている人間をトラックに載せて連れて行くといったようなそういう拉致ではなくてですね。
個人個人を狙った拉致をシステマチックにやっているというのが、今回私が驚きながら記事を作ったんですが、そういった事を考えれば日本人の数十人数百人でも拉致するなんてのは訳なかったんだろうというような感想です。
ですからその事を詳しくSAPIOに書いていますので、ご存じない方は読んでいただければと思います。(拍手)                        

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2007年06月11日

07.5.30 島田洋一氏 東京連続集会28(3)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『島田洋一 救う会副会長のお話』

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増元さんがアメリカでどこに行かれても非常に厳しい強硬な事を言っておられたので、私は穏健派と言う印象を与えたかもしれませんが(笑い声)、増元さんが大体話のポイントを全部抑えましたので、補足という事でいくつか触れたいと思いますが、基本的にアメリカに行ってですね。
ボルトン的なハードライナーと、ヒル氏のようないくらでも譲るというような融和派とのせめぎ合いが続いているという事だと思いますが、ヒル氏のやり方は誰が見ても上手く行っていない状況ですから。
従って力関係としては、かなり強硬派の方が有利だと見ています。

例えば仮にブッシュ大統領がですね。
今直ちに、北朝鮮は6者合意を守っていない、だから2月の合意はチャラだと宣言してですね。
ブッシュはけしからんという事を、民主党を含めてですね。
もういないような状況になっているんじゃないですか?
いう気がします。

ボルトン氏あたりは、最近ウォール・ストリート・ジャーナルに書いた論文でも、直ちに大統領は2月の合意を破棄してですね。
で、また元の強烈な金融制裁をかましていくべきだという主張をしておりますけども、今クリストファー・ヒル氏は北京まで来てて、日本では日に日にヒル氏に対する評価が厳しくなっていますから、日本には来られないんじゃないかと言う感じですが。
彼は今まであと2〜3日でBDAの問題解決じゃないかとか、後2〜3日待ちたい。
a few daysとか話していましたけど、あれ実は良く聞けばa few デケイズと言う人もいるんですけど、a few dacades(デケイズ)と言うと後2〜30年という。(笑い声)
納得デケイズまで待ちましょうと。(笑い声)

国務省的な感覚から言うと別に不思議でもないわけで、北朝鮮がどうも・・・(聞き取れず)実験でもやっているんじゃないかとか、アメリカが形勢を掴んだとか、これ80年代の終わりの方だと思いますけど、恵谷さんがその辺詳しいですから。
それからもう20年経っているわけで、というわけでヒル氏が変に余裕があるような顔がありますが、彼らの発想だとあと2〜30年様子見ましょうという事なんでしょう。

それで訪米において、例えばボルトン氏やあるいは我々の立場、信頼するチャック・ダウンズ氏。
元国防総省にいて元北朝鮮問題専門家ですけども、彼とどういう話をしたか?と言うと、メールニュースでも流していますので。
ただメールニュースを読んでもらえない方も結構おられると聞いていますので、多少ダブるかも知れませんけどもポイントだけ紹介したいと思います。
最近私のブログと言うのをですね。
私の名前とブログと言う単語を入れてグーグルで検索してもらうと、ブログサイトに入れますので、そこでもいろいろ最新状況等について触れていますので参照いただければと思います。

それでですね。
ワシントンで日本大使館の幹部の方たちともいろいろ話をして大使館の情勢分析も聞きました。
で、どなたの発言であるかと言うのはちょっとお名前は言えませんが、ある幹部の方のですね。
「ヒルと言うのは本当に軽い男ですよ」と言うような事を言っていました。
ブッシュ以外はぶれていない。
ただボルトン氏、我々が見ても相当ブッシュ氏は揺らいでいるように見えるんですが、ライスさんあたりにですね。
いろいろ説得されて、そんなもんかな?とブッシュも思っているのかなと。
どうもおかしいという認識にあるいは大統領もなって来ている過程にいるのではないかと。
そういう事で大使館の幹部の方も含めていろんな方が言っておりました。

それで北朝鮮ジェノサイド展についてですが、このリボンカッティングをやった我々について、翌日くらいにですけど、そこにアメリカ議員で一人エドワイド・ロイスという下院の方が来られまして、このロイス議員と言うのは、アメリカで北朝鮮人権問題をやっている民間の連中が一番信頼する議員の一人であり、彼は共和党の下院ですけど、クリストファー・ヒル氏を呼んだ公聴会の場でも「バンコ・デルタ・アジアの資金は一銭たりとも解除するべきではない」と、「何をやっているんだ?」と厳しい言葉を出していますけども。
安倍首相とブッシュ大統領との間で意思疎通というのはきちんと出来ていると思います。

一方我々民間とですね。
アメリカの民間の人権をやってる連中とのコミュニケーションも今しっかりあると思うんですが、議員同士のですね。
接触と言うのはどうも弱いと思います。
従ってこのロイス議員あたりとですね。
日本の安倍サイド議員の交流・接触等々をですね。
今後進めていってもらう必要があるんじゃないか?と、いう事は強く感じております。

それで、ビクター・チャー氏らの面談をしましたけども、これはメールニュースで紹介したことですが、バンコ・デルタ・アジアの件で一体何がお互いに引っかかっているのか?
北朝鮮が何を問題にしているのか?
正直言って分からないというような事をチャー氏は言っています。
それをチャック・ダウンズ氏にその話をするとですね。
ダウンズ氏は政府のある程度の高官が分からないと言うときは、実は裏に答えがあってしかし言えないという事がほとんどだけど、チャーの場合本当に分かっていない。
そこは・・・(聞き取れず)と言っておりましたけども・

そのダウンズは同じですね。
ビクター・チャーは大学ではハードライナーだけど、政治世界全体で見れば彼は穏健派だという言い方をしていましたけども、私はダウンズの評価が正しいと思っております。
しかもヘリテージ財団のクリンガーと言う人は、話が今増元さんから出ましたけども、クリンガーの前任者のバルビナさんという韓国系の女性。
これ彼女去年の6月からクリストファー・ヒルの上級顧問と言う事で国務省に入っているんですけど、このダウンズ氏にバルビナさんはビクター・チャーの教え子なんですね。
ジョージタウン大学で博士号とった時の指導教官がビクター・チャー。 

ヒル、チャー、そしてバルビナ線あたりで米朝合意、具体的なところを絵を描いたみたいですけど、この3人あたり、私はヒルよりチャーの方がマシかもしれませんけど、チャー氏が政権を去ったという事に関しては別に打撃であるとはとは思っていませんでした。
後は早くバルビナさん、クリストファーヒルが政権を去って欲しいですけど、それがいつになるのか分かりませんけが、バルビナさんと言うヘリテージにいた女性、彼女はですね。
日本人拉致問題を6者協議の場で持ち出させるなと、こういう主張をハッキリしておりました。
核のことに6者協議は集中すべきだから、核と6者協議を一緒にさせるならアメリカ政府は日本政府に圧力をかけて拉致問題を持ち出さないように言うべきだと。

彼女は韓国系という事もありますしね、そういう主張をしたのかも知れませんが。
彼女がいなくなって新しく就任したクリグランスというCIAですがここも情報局ですけども、彼らはハッキリですね。
我々がやったというその影響もあるんでしょうが、日本人拉致問題解決するまでは、絶対にテロ支援国リストから北朝鮮を外してはならないという主張を盛んにしております。

そしてですね。
ボルトン氏と会ったのは4月26日、ちょうど安倍首相がワシントンに着かれた日ですけども、これを大体の所はメールニュースで流しておいたんですが、要するにヒルがやっている外交は大きな間違いであると。
ここはやっぱり声を上げないといけないと思って、黙っておこうと思ったけどやむにやまれず声を上げた。
今では皆さんより私の国務省の中、・・・(聞き取れず)でしょうけども、言わざるを得ないと言うような事を言っていました。

共和党議員のほとんどはですね。
北朝鮮が合意を飲む事は有り得ない。
従って金融制裁等も締め付けを締め付けるべきだという意見なんです。
そういう事をボルトン氏は言っておりましたし、先ほど増元さんも紹介されましたけども、イラクやイラン。
中東の問題がアメリカは忙しくてですね。
北の問題には手が回らないんだという事を言う人間がいるけれども、そんな事はないと。

国防総省の人たちの認識というのをチャック・ダウンズ氏の、彼から聞くところではですね。
ペンタゴンにおいては基本的な合意として、もし北の方が軍事的に手を出してきたら、米軍は48時間以内に金正日体制を潰せると自信を持っていることと、国防総省は言っているいう事であります。
イラクのサダム・フセインも潰すだけ、そこの局面はあっという間にアメリカはやったわけですから、48時間以内にと言うのも決して過言では無いと思いますが、イラクはその後の平定戦、治安維持に苦労しているわけですけども、北の場合は潰した後は韓国軍が作戦、というようなやり方も出来るでしょうし。
北もそれを分かっているから中々ですね。
手を出してこない、という事でしょう。

そしてボルトン氏が別の事としていっているのは、要するに何をすべきか?
2月の合意を北が守っていないんだからはっきり破棄して、そして経済制裁・金融制裁を復活させることだと、そういう意見ですね。
私たちもボルトン氏に賛成ですけども。
出来れば日程が合えばですね。
ボルトン氏、チャック・ダウンズ氏、今年の適当な時期に日本へ来てもらって、またこういうシンポジウムで喋って貰おうと思うんですけど。

現在の状況ですけれども、皆さんご承知の通り5月の9日、衆議院の外務委員会において麻生外務大臣がですね。
今後1週間程度で北朝鮮側に合意への動きが無ければ、関係国の間で追加制裁を含めた対応を協議せざるを得ないと、そう発言されました。
この発言は5月の9日ですからもうすでにだいぶ経つわけですね。
20日くらい経っていると。
日本政府もヒルと一緒でいつまでもデッドラインを伸ばすのではないか?と思わせないためにもですね。
もうこれは動かないといけないと思います。
麻生さんの一週間というのはヒルのa few daysと一緒と言うイメージになってはいけませんから、中山恭子補佐官がもうすぐ帰って来られますけども、それくらいのタイミングですね。
日本政府はやれるべき追加制裁をやるべき、そう思います。

今アメリカの民主党が出ていますね。
あまり表立って言わないけれども、背後ではクリストファー・ヒルに対してですね
君のやり方はなんだよと言っているようですけど、チャック・ダウンズによれば、それは民主党がブッシュ政権が失敗するのを望んでいるからそういうふうに言っていると言うふうに言っていましたけど。
おそらくそんなことでありましょう。

そういうせめぎあいが続いていて、ブッシュが決断を下していないという状況ですから、やはりこれは日本政府の方からですね。
もうこれ以上待っていられないという事をどんどんアメリカに政府にも言うべきだし、且つボルトン氏のような今民間ですけれどもそういうしっかりしたハードライナーとのですね。
連携もどんどん進めていくべきではないかと思います。

そして国務省なんですが、ボルトン氏と会った後にですね。
国務省に行ってキャサリン・スティーブンというヒルの下にいる筆頭国務次官補代理、東アジア担当ですけども、と会いました。
彼女は盛んにこっちを聞いてくれるわけですね。
増元さんの話にもありますけども、拉致問題の進展が無ければ日本は北に援助を一銭も出来ないと言っているけども、皆さんの進展の定義はなんなのか?
それを言ってくれれば自分たちも北に対して、日本はこれを進展だとと言っているんだから、やりなさいと言えると。

このスティーブン氏がその際に言っていた言葉ですがね。
何ごろも一気に解決すると言うのは無理ですと。
従って拉致問題に関しても一歩一歩やっていく以外に無いんじゃないか?と言うような、そういう如何にも国務長らしい発言で、それに対して増元さんがですね。
そんな事を言っている場合では無いんだと、言い返しておられましたけども。

今の中国政府の動きもそうですが、アメリカの国務省あたりも解決に協力しますよとは言っていますが、それは要するに日本と北朝鮮の中間あたりにですね。
適当な妥協案みたいなものを、日本もですね。
このぐらいで解決しようと言う緩い線を日本も示して欲しいと。
そうすればその線で北も多少の線で折れて来るようにやりますよと言うような、要するに拉致問題適当にごまかす方向で手を貸しましょうというような。
中国政府なんてこれ人権感覚ないですから、彼らは本当に拉致問題けしからんと、日本の立場に立って協力すると言うはずがありませんから。
北京が協力しましょうなんて言って来ている状況なんてむしろ警戒しないといけないわけであります。

中国政府とそれから国務省を大いに警戒しながらですね。
今後も運動を強めて進めていくしかないと思いました。
まぁ、取りあえずこの辺で。(拍手)

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2007年06月06日

07.5.30 増元照明さん2 東京連続集会28(2)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話 その2』

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さらにヘリテージ財団ですね。
ここの新しいアジア問題担当の担当官と会ったんですけども、以前は女性担当官だったんですけど、私ちょっと名前失念しましたけど、その女性担当官どちらかと言うと韓国系の方です。
韓国系の方で日本に対して厳しい人だったんですが、それが非常にヒルと仲が良くてヒルが国務次官補になった時に一緒に国務省に行って、その後に入ったクリンガーと言う方は、テコンドーですね。
4段くらいですか。
テコンドーをやっておられてアジアに・・・(聞き取れず)もあるし、国務総省で朝鮮・・・・・(聞き取れず)だったので、北朝鮮政策に対して厳しい姿勢を取っていると聞いていました。

話を聞いて賢い方だなと思ったんですけども、北朝鮮が最終的に何を望んでいるか?
それはテロ支援国指定解除もそうであるけれど、でも一番今現在緊急に望んでいるのは国際金融システムへの復帰だと。
つまりバンコ・デルタ・アジアに金融制裁をかけられて、それが元で世界中の銀行が北朝鮮との取引を停止・中止してしまってというこの現状が、北朝鮮が貿易をするための非常な妨げになっている。
だから北朝鮮は何を望んでいるか?
たかが30億円弱のお金ではなくて、その30億円弱のお金を得る過程においてアメリカのお墨付きを貰って、結局は国際金融システムに復帰する事が最終目標だから。
バンコ・デルタ・アジアのお金を取っても必ず難癖つけて、必ず最終目標であるそこまで引っ張って、寧辺の核施設の停止に移行することになるのではないか?

最終的な目標は今現在はそこにあるんだという事を言っていて、それをアメリカ政府が受けるようなことがあってはならないと仰っておられましたが、私はそこまでは考えていなかったです。
テロ支援国指定と言うのをもうすでに米朝の協議の中で話し合うという事は、6者協議の合意の中に入ってないものですから、そこを私は強く考えて、そういう事をされたら拙いからアメリカの真意を聞こうとして米国まで出掛けたんですが、そのヘリテージの方は北朝鮮の狙いはそこにあるのではないか?と。
とにかく国際金融システムに復帰しないことには貿易も出来ない。
それから貿易が出来ないという事は核の部品も手に入らないし、食料もその他もろもろの事に困るんですが、とにかくそこを狙いとしているという事があるようです。

そういう事で今現在バンコ・デルタ・アジアで滞っていますけど、これはまたこれだけではなくて、アメリカの銀行を使って北朝鮮が送金させることを北朝鮮が望んでいるという報道もあります。
私どももそこまで論議になっているのか強く分かりませんけども、もしそれをやったらアメリカへの金融界への信頼と言うのは全く無くなっていって、そしてアメリカの融和的な姿勢が北朝鮮の国際金融システムの復帰へつながっていくものではないか?と私たちも考えると、今アメリカがどの程度動いているのか?怖い気がしますが、北朝鮮は実際それを狙ってアメリカにそれを要請している節があるという事ですね。

これは今のアメリカの国内法に照らして財務省は許可しないとは思いますけども、これが許可されてアメリカの銀行を使って北朝鮮に送金されるようになると、今後の北朝鮮の国際金融システムへの復帰と言う点で非常に北朝鮮に有利に運んでしまう、という気がします。
重村さんが・・・(聞き取れず)に会って言ったんですけども、ヒルはそれほど金融システムに全く分かっていない無能な外交官でアメリカっで初めてあんな無能な外交官を見たと仰っていましたけど、私本当にそれくらいこのヒルと言う人は金融システムが分かっていなかったと思いますから、安易にバンコ・デルタ・アジアのお金を返せばいいというふうに思って、それも返し方を全く知らずに返していたら、約束してしまったというのが今の現状かと思っています。

それが終りまして中国大使館前で、先ほど言った北朝鮮自由連合の皆さんと抗議をしてきました。
それはホワイトハウス前で行われた従軍慰安婦に対する日本抗議の人数よりも3倍くらいの人数で、中国大使館前でやってきました。
3倍と言っても60人から70人ですけど、それだけ慰安婦問題で人数が少ないというのが皆さんもお分かりと思います。
それだけの人間しか向こうは集まらなかったという事なんですけど、中国政府は今この問題に対して全く動こうともしておりませんで、私たち特に韓国系アメリカ人にとって中朝国境で行われている北朝鮮人民に対する人権侵害。
脱北者を捕まえて北に返したり、まして北朝鮮の女性を売り買いしている。
その状況を放置している中国政府に対して非常な不信感と怒りを持っています。
北朝鮮自由連合としては2008年北京オリンピックボイコット、これを掲げて中国大使館前で抗議をしておりました。
中国大使に対し、とにかく中朝国境で行われているあの大きな人権侵害を何とかしろという事を唱えております。

つい最近フランス大統領選挙で敗れた女性の方がいらっしゃいますが、あの方もとにかく中国政府が非人道的国家に対して資源を確保するために支援を送っている。
これをやめない限りは北京オリンピックのボイコットもあり得る。
さすがフランス、人権国家だと私は思いましたが、日本でそれを言う人一人もいないですから。
日本は北京オリンピック、めでたいめでたい。
頑張った選手たちがいて、そこで何が行われているか全く言わないというのはおかしい事じゃないでしょうか?

今アメリカの議会の中でも虐殺オリンピックと言って北京オリンピックに対して批判的な人たちが、上院下院を含めて出て来ています。
日本で何故その声が出ないのでしょうか?
私はもっと言うべきだと思います、ハッキリ言って。
中国政府が何をして来たか。
今宥和政策みたいにお礼外交をやっていますが結局は何も得られていないと、この対中外交、ちょっと考えるべきですね。
これはマスメディアが悪いと私は思っています。(拍手)
もっとしっかり中国報道をしなければいけないと思っていますし、今回つい先日中国の協力が得られると。
本当に本気でやってくれるか?と私たちはそれは中国に情報提供とかいろいろ求めて点ではいいんですが、自国の拉致被害者の事をひとつも言っていないですよね?

日本の拉致問題に関して協力すると、自国の拉致被害者の事を全く言っていないというのはどういう事か?と私はちょっと思うんですけど。
もし日本の拉致問題に協力するのであれば、我が国の拉致被害者という事を踏まえて一緒に戦っていこうよくらい言ってもいいと思うんですけど、日本の拉致被害者の問題を解決するのに協力すると他人事のように言っている限りは、私はちょっと眉唾かな?と思っております。
顔見ていわなければならないので、今あまり責める気にはなれないんですが、過大な期待はしないで中国政府に対して厳しい目を向けていかなければならないのかな?と思っております。

とにかく今後日本も北京オリンピック万歳ではなくて、あの人権侵害の激しい中国。
ダルフールで虐殺と言う政府を支援をしている中国で行われるオリンピックって、本当に平和の祭典なのか?と言うそういう姿勢も見せていいんじゃないですか。
私はそう思っております。(拍手)
・・・(聞き取れず)の話もめでたいめでたいというだけではなくて、本当にオリンピックの真意を考えて、スポーツマンも本当にスポーツをするなら真の平和のためにやっていただきたいと思います。
彼らの行為が虐殺を奨励するような結果になってしまっているのであれば、それはスポーツの意義が無いと思います。
これは拉致問題からは外れてしまうのでいけないんですけどね。

ただ、我々はやはり中国が本気になれば拉致問題と言うのはもっと簡単に片付くはずなんです。
北朝鮮の国の大きさと中国の大きさを考えてみれば、ちょっと重油をストップするだけでも崩壊にほとんど近づく、北朝鮮が。
いまだにあの体制のまま存続しているという事は、そしていまだに困窮はしているんでしょうけれど、まだ体制を保っていられるというのは中国の融和的な政策と言うか、どちらかと言うと生かさず殺さずの政策が、ここまで拉致問題を複雑化させている要因だと私は思っていますので、北朝鮮に対して中国は物申すべきだと私は思っております。

ちょっと強硬になってしまいました。
最後にジョージタウン大学で我々の通訳をしてくれた高畑さんと言う方がいらっしゃるんですが、この方毎日新聞の解説員の娘さんで、非常に古森さんもずいぶん推奨されている方でしっかりした考えを持っていると思いますが、ジョージタウン大学で聴講している方らしいです。
確か留学生の日本人を集めて、でもそれでも20人ほど来られてました。
この問題興味を持たれてでしょうし、聞いてみたいという事で集まって来られたので話をさせていただきました。
私ついつい島田先生と一緒にいるのがちょっと長かったので強硬に走ってしまいます。
自分でも凄い・・・(聞き取れず)だなと思ってしまいます。(笑い声)

皆さんに話をした感想を聞きますと、やはりあの、ちょっと強硬すぎると。
私冗談のつもりで言っていた部分もあるんですけど、強硬すぎるとご意見を頂き、ちょっと反省をしています。
もうちょっと柔らかく厳しく言わなければならない。
厳しく厳しく言ったのでちょっと強硬に聞こえてしまった部分もあると思いますが、忘れてはならないのは日本が最終的にどこかで大きな覚悟を迫られる可能性があるという事。
その時に私たちがどういう姿勢を保てるか?と言うことじゃ無いかな?思っています。
ここにおられる方には釈迦に説法だと思います。

でも今やはり日本の国内でもいろんな考え方の人がいらっしゃいますし、先日もちょっとそういった形でちょっと疑問はあるんですけど、私たちが如何に強く心をもって、そして北にいる私たちの家族や同胞を全部助け出すんだという強い思いを持ちたいと思っております。
世界中で拉致問題に協力して怒ったら、拉致された当事国である我々がそれを真剣に捕らえて自分たちももっと私たち自身強く動いていかなければならないかなと、改めて思っていました。
以上です。
ありがとうございます。(拍手)

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2007年06月05日

07.5.30 増元照明さん1 東京連続集会28(1)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話 その1』

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ありがとうございました。
ひと月も前ですので、ほぼ忘れているところもありますが思い出しながら・・・(聞き取れず)と思います。
今回は斉藤文代さんとご一緒していただきました。
島田さんと私の男二人ではどうしても何と言うのかな?色が無いじゃないですか。
女性を一人入れて、そして訴える力と言うのは女性の方が強くて、その方がいいんじゃないかという事で斉藤さんにもご同行願いきました。
22日の国民大集会の後の23日に日本を出発して、そして23日アメリカに着いたんですが、まず日本大使館の公使の方に歓迎を受け、さらに夜には斉木さんに公使公邸で食事をしながらお話をする機会を得ました。

私たち日本にいる人間から見ると中々ブッシュと言う人間が見えてこないところがあります。
報道でしか知る由がない部分も出てきますので、その点で私たちは一番危惧している、2月13日の6者合意。
これのアメリカサイドの意図をもっと強く知りたいという狙いで行ったんですが、日本大使館のブッシュ評と言うのは、風評が良くないブシュ大統領でありますが、やはり人権と言う問題ですね。
北朝鮮国内における人権問題に関しては非常に嫌悪感を抱いてさらに金正日を好きでない事は事実である、というのは加藤大使他、斉木公使も感じておられるようです。
必ずこの拉致の問題に関しては昨年の4月に早紀江さんにお会いした時の感動をそのまま持続して、アメリカ政府としても必ずこの拉致問題を軽視する事はないというのが、日本大使館の加藤良三大使それから斉木公使の感触です。

リップサービスとかそういったものではなくて人物像として、ブッシュはこのような事を許すそのような、宗教的な意味合いからもそんな事は有り得ないというのが感じられました。
その点で少し安心をしておりました。
さらに島田さんがビクター・チャーというNSCのアジア部長ですか。
この方も日本サイドで聞いている風評としてはヒルの下で働いているものですから、ヒルと同調して国務省と同じようにちょっと融和派なのではないか?という事を聞いておりましたけども、それは何かの間違いでは無いですか?と。
ビクター・チャーはヒルの監視役として6者協議の中に入っているという感触で見ているんだそうです。
だからあまりヒルが暴走しないように、NSCとしてはヒルの監視役としてビクター・チャーあの中に入れている。
あそこにいさせている、そういう感覚で日本大使館の方たちは見ているという感触です。

残念ながらその方も、もうアジア部長を終えてジョージタウン大学に戻られるようですけども、何故戻られるのか?
それは個人的な理由らしいです。
政権との確執では無いと、ただ残念なことは、マイケル・グリーン上級部長そしてビクター・チャーという北朝鮮に対して強行と言うか厳しい姿勢を続ける人がNSCから抜けているという、抜け始めたという事は残念ですが、私自身はマイケル・グリーンの後任であるワイルダーと言う方を、どのような方かちょっと分かりませんので、それは後ほど島田先生がじっくりと解説をつけて教えていただけるでしょう。
23日は私たちは公使公邸で食事をしながらブッシュ大統領の下でブッシュ大統領の拉致問題に関することで、融和と言うか日本政府の意向を外れる事はないとまず確認されたので一安心しました。

翌日はNSCに行って、当初ワイルダー上級部長が来られる予定ではなかったわけですが、当初私はビクター・チャーにお会いし、そして真意を伺おうとしたんですが、NSCに行ったらワイルダー上級部長の部屋に通されました。
ちょっと意外だったんですけども、そこに当然ビクター・チャーも同席し、そして我々の来米を歓迎してくれました。
これはリップサービスと思います。
我々家族会と救う会の人間がこういった時期に訪米するという事は非常に重要なことであって、またさらにアメリカ政府の対北政策にとって再認識が出来るので、非常にいい時期に来られたと。

リップサービスは大分入っていると思いますが、そのように言われ、そしてその日の朝にカンファレンス、プレスでの報道として、アメリカ政府は対北との交渉において、テロ支援国指定と日本人拉致を切り離す事は無いという事を、それを外国人に対しても国内の記者に対しても発表したという事を向こうから言っていただいたので、我々もその点に関してはびっくりしました。
向こうから出たのでびっくりした。
こちらから要請したのではなくて向こうからそういう・・・(聞き取れず)したので、ですから私たちが向こうに行く事をすでに知っていたアメリカ政府として、何らかの姿勢はホワイトハウスの見解を持って私たちに会っていただいたのでは無いか?
それは当初予定していなかったワイルダー上級部長との面会につながったのではないか?と感じています。

その時点でアメリカが結局テロ指定国を解除する事は有り得ないだろうという感触は持ちました。
でもブッシュ政権である限りです。
我々のこの拉致問題が解決しない進展も何もしない間に、アメリカが独自にテロ支援国指定を解除をする事は有り得ないという事を感触として感じて当初の目的はある程度終了したんですが、国防総省それから国務省にも回って感触を掴んできました。

元々家族会がアメリカに行くと国防省それからNSC、そういった所は必ずこの拉致問題に関しては非常に協力的な姿勢を見せてくれておりました。
昨年もローレンス次官補が我々を迎える時には、日本の支援の皆さんが作ってくださった事前に向こうに渡しておいた、こういう輪っかのついたブルーリボン、それを出迎えの人間の数人が着けて我々を迎えてくれる状況でしたので、非常に友好的と言うか協力的と言うか姿勢でした。
今回のローレンスさんが健康上の問題という事なんですけど、もうすぐ退官される。
その後任者の方にお会いしたかったんですが、安倍総理も我々の行った数日後に訪米しております。
そちらの対応に追われて高官に会う時間が取れないという事で、最終的にその部下ですが、相変わらず国防省としてはこの拉致問題を決しておろそかにする事はないという感触は得ております。

それから国務省、国務省に行ってヒル次官補にお会いしたいという事は伝えてあったんですけども、先ほど言った理由で時間が取れないということで、キャサリン(スティーブンス筆頭国務次官補代理)というヒルの下で働いている女性の方にお会いしました。
やはり国務省と国防省それとNSCに会っていると、どうしてもそういう目で見てしまうからかもしれませんけども、どうしてもなんとなく融和をしたいと言う、それが形に出始めている気がして、非常にわたしたちに対する質問に関しても融和を誘導したいとかそういう感覚で聞いてこられるし、何か対北朝鮮政策において日本の強硬姿勢にちょっと批判的なのかな?と言う思わせぶりもありましたです。
内容に関しては私も詳しく覚えておりませんが、なんとなく感触的にはあまりいい感触は持っておりません。

ですから一応私たちの主張としては国務省に対しては申し上げてきました。
今日本の国はとにかく安倍総理の対北朝鮮政策を7割の方が支持している。
日本国民の7割はそれを支持している。
北朝鮮への更なる制裁の強化に関しても7割の方が支持していると、この現実を直視してもらわないと困る。
今後の日米関係にとってもおかしい事になるという事は言っておかないとならないと思ったので、言わせて頂きました。
それに対しては明確な返答は無かったですけども、現実に・・・(聞き取れず)の状況を見ればテロ支援国リストの、北朝鮮による日本人拉致問題を切り離す事はないと言明されたので、国務省としてはそれ以上の事は言いませんでした。
テロ支援国リストに関しても解除するとは言わなかったですし、拉致問題に協力するとも、両方とも言わずに向こうはどれを持って進展と判断するのか?と言うのを再三再四聞かれるというふうに思います。

日本政府は対北の交渉の中で拉致問題を北朝鮮がどこまで解放すれば進展とみなすのか?
それが見えないからアメリカサイドは、特に国務省はそれを気にして、北に対してもどこまでやるつもりで聞いたのかもしれませんし、どういった姿勢でいるのか、日本政府の姿勢を確かめたいというのが国務省の考えだと私たちは思っています。
ここら辺がまずNSCとか国防総省との違いだと思います。
NSCと国防省はそれは解決がある、本当に進展が無い限り日本政府を全面的に支援するというのが強いにも関わらず、国務省は日本はどういうふうに考えて自分たちの交渉をどうすればいいのか?と言う、考えているところが自分たちの主導で対北外交・核の放棄を主導するのかと考えているようです。

そこに当然アメリカとしては、自国に関係ない日本人拉致はただ単なる情報に過ぎない。
人権の問題でアメリカがそこまで関与するものでは無いというのが国務省の考えなのではないでしょうか?
島田さんに言わせるとアメリカの国務省の考え方は日本の外務省的・官僚的な考え方で、事なかれ主義。
騒がない、事を荒立てない、話し合いでどうにかなるので話し合いで解決していきたいというのが以前からの姿勢だという事ですので、そういう事なんだと私は思います。

国務省それから国防総省それとNSCと、これを24、25で終ったんですが、その後にボルトン前大使に会いまして、ボルトンさんは昨年の10月にも私たちアメリカに行きました時に会っていただいて、依頼主である北朝鮮を普通の存在として見るなと私たちにレクチャーしていただいたように、非常に厳しい方です。
昨年の12月に国連の大使を辞任せざるを得ない状況になったんですが、ご自身としては私は静かに退任し、そして難民問題に関しても一切何も言わないで、ブッシュ政権に対しても一切何も言わないようにしてみているつもりであったと仰いました。

しかし、今回の2月13日の国務省の6者合意、あれは余りにも酷過ぎるので、それは申さなければならないといって、新聞か何かに確か公開されていました。
そういうふうに説明されました。
さらに国務省もおそらくブッシュ大統領にライス長官から2.13の合意に関する話をして、そしてその許可を貰ったのであろうが、あの時に国務省はあれは日本の安倍総理、日本政府、日本にとって如何に不利益をもたらすか?と言う情報を上げていないのだろうと。
もしそれが正確にブッシュ大統領に上がっていたらあのような許可をするはずが無いと、ボルトンさんは仰っております。

だから国務省的に考えて、不利益がスムーズに進まないようにするだけの報告はしていない。
ましてその中で日本と言う国に対してまだ重要なパートナーとして考えていないのでは無いか?と、国務省が。
そういうふうに私はちょっと受け取ってしまいました。
ボルトン大使は今後も今の国務省の北朝鮮の見方について批判していくだろうと、今後もこの拉致問題を重要視する事を仰っていただきました。
さらにご自分としては今のブッシュ大統領を批判する事はない。
国務省のやり方を批判するやりかたでやる。
余りにも稚拙というか、アメリカとしては考えられない。

さらにもう一つ、これは私ちょっとびっくりしたんですけど、アメリカ側がイラクに足を取られて北朝鮮に手を出さないと思うのは間違いだと、ハッキリと言っていました。
アメリカはそのような弱い国ではない。
自分たちはイラクも北朝鮮も同時に解決する。
さらに軍事的オプションを含んだ解決方法を取ることが出来るんだという事も仰っておられました。

ボルトンさんにお会いしてそれからそのあと、27日でしたか。
26日に私たちは、シン・ユウナムさんそれからスザンヌ・ショルティーさんたちと共に、北朝鮮自由週間の中の行事としててジェノサイト展をワシントンのセントラルステーションの傍の喫茶店でやったんですが、そこに下村副長官をお迎えする事ができました。
これもワシントン在住の対北批判勢力と言うかキリスト教の方たちなんですけども、今の北朝鮮の体制に対するずいぶん批判的な人たちの、やはり日本の官房副長官がわざわざジェノサイト展に来ると言う事自体が非常な感激であり、ましてそのシン・ユウナムさんという方の弁を借りますと、今アメリカの下院で採決されるかされないか?と言う問題になっておりました従軍慰安婦問題。

あれにも韓国系アメリカ人は非常に日本非難の声を上げているんですが、日本政府の官房副長官がその場に来ると言う事を捕らえて、今の従軍慰安婦問題で声を上げている韓国系アメリカ人は、物が見えないと。
日本の政府は60年前の問題ではなく、今現在中朝国境で行なわれているセックス・スレイブ。
さらに大きな人権侵害に対して強い関心を持ち、それを是正するために一生懸命やっている。
ましてミスター安倍はそのために一生懸命やっている。
その安倍を非難する事は許されないという事まで言われております。

さらに60年前の従軍慰安婦問題を取り上げて、今も現在中朝国境で行われている人権侵害に対して何も申さない人間たちは偽善的な奴らであるという事。
まずそういう批判をしていけるという事を言っておられるので、下村副長官があそこに来られたというのは非常に良かったのではないかという事を、強く島田先生が仰っておられました。

・・・その2に続く・・・

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2007年05月18日

07.4.10 質疑応答 東京連続集会27(11)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『質疑応答』

★質問者1

この間ですね。
警察の情報なんですが、在日韓国人(=高姉弟の事)の人が拉致されていると言うような状況がありますよね?
西岡さん、その件についてはどう考えているんですか?

★質問者2

すみません、○○と申します。
4月22日の国民大集会はなるべく多くのメディア、全世界から呼んでいただけるような方法を考えていただくと、これが凄いチャンスだと思いますので、ルーマニアの方と韓国・タイの拉致の被害者のご家族がお出でになると聞いておりますので、是非より多くの外国メディアですね。
それを呼んでいただけるように、働きかけをお願いしたいなと思います。(拍手)

★西岡力氏

先ほどのご質問についてですけど、後者の外国のメディアの人に4月22日に来てもらえないか?という事ですけども、実はルーマニアのですね。
最初にこの事を書いた記者がガブリエルさんの同行取材をしたいと、今そんな話がありまして、来てもらえれば良いなと思って、何か協力できることがあればと思っています。

それから韓国は東京に特派員がいますし、実はこの東京集会で6者協議の事を取り上げたときの事はですね。
朝鮮日報と言う韓国の一番最大手の新聞が記事にしまして、この集会が記事になったりしていますので、この次のことも案内はいつも出しているんですけども、来てくれるんじゃないか?と期待しています。

タイの方はちょっとどうすれば良いんでしょうね?
タイのマスコミは日本にいるんでしょうか?(笑い声)
いないんですか?(笑い声)

★海老原智治氏

タイの方では、この前の12月の国際会議にも私の方から「同行してくれないか?」という事を彼らに話したんですけども、これまで先ほど申し上げました家族がテレビを見たという、そのテレビ局ですね。
これがタイ国で一番拉致問題を扱っておりまして、2005年の国民大集会には同行してくれたわけですけど、今後はアノーチャ拉致について明確な情報の進展が得られるのでなければ、招聘側が経費を持ってくるんじゃなければ行けないと言っておりまして(笑い声)、そのような状況にあります。

★西岡力氏

後、高さんたちの件については私ちょっとルーマニアに行っていましたので、最近の情報をあまり見ていないんですけど、それ以前からこの話は雑誌に出たりしているのは知っていますが、渡辺さん、お母さんについては殺されたという話はあるんですね。
工作員が日本に上陸してきて身分を騙すために偽装結婚をして、必要なくなったから殺してしまったという事ですから、これは大変な主権侵害で酷い人権侵害なわけですね。
工作員と結婚したというケースは小住健三さんのケースも、小住健三さんに成りすました朴と言うのが日本人女性と結婚していたわけですよね。

そういう事がありますので、拉致という事だけがじゃあ北朝鮮による主権侵害なのか?
殺人はしても認定されなくて、拉致だけが認定される。
その場合子供の国籍は何か?と言うのが議論になっているんですけど、お母さんが日本人が、北朝鮮の工作活動の一環で殺されたか連れて行かれたかしていることについて、大問題にならなかったと言う、今までならなかったという事自体重大な問題だと思うんですね。

寺越さんの事件についても中々政府は認定をしないわけですけども、認定と言うのは立件して告発して裁判を起こすよりずっと低いですよね?
裁判所の、なんかは必要ないわけですよね。
総理大臣が決めればいいんですから、だから拉致という事の定義をですね。
法律を変えれば良いのか、「拉致等」とすれば良いのか。
「工作活動の中で日本の主権が侵されて日本人の人権が侵されている事案」と、それが「拉致等」と考えるべきじゃないかと。

それについては主権が侵されているわけですから、殺人なら良いのか?と言う話は絶対に無いわけで。 
寺越昭二さんは殺されたという疑いはあるわけですね。
殺されたという事が証明されたら逆に認定されないのか?
変なことになってしまうわけですね。
拉致される途中で殺されたらそうならないのか?という事になるわけで、やっぱり非合法の工作活動が長い間ですね。
そして広い領域で行なわれていて、それが主権侵害・人権侵害があったぞと言う観点からですね。
もう一度それを見直さなくちゃいけない。

そしてもう一つ今回のことで意外なのは、あの問題になっている会社は朝鮮総連の今でも幹部である人が経営している会社であるという事ですね。
日本政府は今その幹部の人に対して、再入国許可を出さないという事で北朝鮮との自由往来を停止している制裁の対象になっている人でありますけども、その人が実際にじゃあ拉致あるいは殺人あるいは工作に関係していたのか?と。
今までは北朝鮮の人間が上陸してきて、一部の一本釣りされた・・・(聞き取れず)の在日朝鮮人を使って拉致をしたという事までは分かっていたんですが、朝鮮総連の組織全体としてですね。
あるいはその実態にある学習組と言う非公然組織を北朝鮮の、日本における工作活動非合法活動の関係と言うものが明らかになりつつあると。

そういう点では大変重大な事件であって、多分これは安倍政権になって今の体勢だからこそ踏み込んだ部分では無いか?と思いますけども、大変注目をして尚且つ国会などでですね。
拉致だけを取り上げていて良いのか?と言う観点からもですね。
北朝鮮が一体どれくらい日本の中で非合法な活動をしてきて今もしているのか?と。
それに対してなんで対応出来ていないのか?と議論していただかなくちゃいけないんじゃないかなと私は思います。

・・・集会終了・・・

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2007年05月16日

07.4.10 横田早紀江さん 東京連続集会27(10)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

Img_5096.jpg

本当に今日はご苦労様でございます。
本当に長い長い年月なんですけども、今日もタイの皆様の話やルーマニアの話を聞きまして、本当に金正日そのものの、本当にこの人の悪政のために全ての多くの人たちがどんなにか苦しい人生を終えていかなければならないのか?と言うような事に尽きるので。
私たちはアメリカのブッシュさんにも一生懸命お話をして来たんですけども、外交問題と・・・(聞き取れず)はいろいろと難しい問題がそれぞれの中にあって、すんなりとは行かないのかな?と言う思いで、本当に残念な思いをしておりますけども。

北朝鮮の本当にこのどうにもならないこの悪いものに対して、どんな事があっても世界中が一つになって言い続けないと、解決しない。
やっと動きが取れないところまでみんなで言い続けて、そしてあなたと喧嘩したいと思っているんじゃないと。
本当はみんな仲良く暮らしたいんだよという事を言いながら、メッセージをしっかりと全部の国々が、せめて5者と言うのは大事で一丸となってやっていくために、本当にさっき本間さんも仰ったようにせっかく首相がいらっしゃるんですから中国からその方にハッキリと、政府の安倍さんなり上の方がしっかりと本気になって思いを伝えていただきたいと思っています。
これしか、あの人が何とかならない限りはどうにもならないんですね。
こうやってやって来ても、どんなに頑張ってきても頑張ってきても、こういう事に尽きると私は本当に思っていますので、これからはどうなっていくのか分かりませんけども、最後まで頑張らなければと思っております。

それから、アメリカのナショナル・ジオグラフィー・ソサエティというところの社長さん、アブダクションという映画の試写会をしたときに、そちらの方からブッシュ大統領の方にそのDVDを送ってくださったらしいですね
そしてブッシュ大統領がブッシュと言うサイン入りで、そこの今の会社のところに「私のローラ夫人と一緒にしっかりとこれを観ました」というお返事が来まして、私は前にお会いした時の事をもう一度思い出して書いてくださったというお話で、それのコピーが早速入りました。

そういうふうにいろんな所で働いてくださっている方がたくさんいらっしゃいますし、さっき主人が申しましたようにポールさんのこともありますし映画もそうですけども、いろんな方がめぐみを、あの子は13歳という事でどうしても名前がめぐみめぐみという形で捉えてものですから、どうしてもめぐみという個人とお受け取りになるかもしれない人が、私は気がかりでいつも思うんですけど、必ずこれはめぐみだけの事ではなくて本当にいつも講演でも言っていますけど、全部の被害者。
めぐみと言う名前に一緒にくっついた全部の苦しんでる人たちという事ですので、その点だけはよろしくお願いいたします。(拍手)

★横田滋さん

それから映画がDVDになるという話は、アメリカのカーベィさんからFAXで頂いたんですけど、日本では6月1日からDVDが発売される事が決定になりました。

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07.4.10 本間勝さん 東京連続集会27(9)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『本間勝さんのお話』

Img_5093.jpg

今日はタイから海老原先生、遠いところご苦労様でした。
本当にアノーチャさんの環境を、今兄貴も言われたとおりですね。
うちの八重子と本当に同じような年代、境遇。
ただ違うのは八重子は3歳と1歳の子供を残して連れて行かれた。
悲惨な結果になっているわけです。
これが大きな違いですね。

それで大韓航空機爆破というものは、ソウルオリンピックの妨害のために北朝鮮が仕掛けた大きなテロですね。
で、今度恩家宝首相が中国から来日されますけども、この機会を捉まえてね。
是非、北京オリンピックを成功させたいのならば、北東アジアからこの悲惨な拉致問題を是非解決させて、その時真に平和な祭典にさせてくれと、首相じゃないかと。
そういう言葉をね。
是非安倍さんが恩家宝さんに発していただきたいと思います。

そうすればね。
北朝鮮もこの拉致問題を解決させなければ、とても世界の祭典の仲間入りには出て行く顔が無いんだという事をね。
本当に思わしてやりたいと思います。
以上です。(拍手)

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07.4.10 横田滋さん 東京連続集会27(8)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『横田滋さんのお話』

Img_5086.jpg

今の問題に特に家族会が発言はありませんので。
最近の我々の動きと言いますと、体調が悪くて講演会を余りやっていませんけど、1日の日に新潟県の上越市に行ってきました。
上越市の一番大きな文化会館、定員1500人のところに1800人の方が来られて、第二会場を作ってやりましたんですけど、非常に盛況と言いますか。

それから青学会館で、今度ポール・ストーキーさんのコンサートが5月の18日・19の二日間行なわれます。
そしてこの19日の分については「めぐみさんコンサート」と銘打って、二日間の収益金をめぐみ基金と言う、これはどんな形にするか誰が管理するとか何に使うかとか決まっていないんですけど、そんなふうに振り込んでくださるという事です。
そしてこの曲は日本人でもエイベックスのクミコさんと言う人がカバー曲を歌いたいという事で、それは了解を取ったという事ですが、こういうようなポスターが出来まして。
そして今はこういうチケットは、チケットぴあとローソンとイープラスと言うところが扱っているそうですが、このケースですと新星堂と言うレコード店も店舗が協力してくださっているという事です。

それから今日は、後で平田さんの方から話があると思いますけど、前から日本政府は制裁法で万景号が来るのを止めていますけど、延長するという事が新聞に出ていましたんですが今日の閣議で決定しましたので、青学会館での記者会見の後で囲みがありまして、その席で我々も意見を発表しております。
それから明後日には諸君と言う文藝春秋の雑誌に、櫻井(よしこ)さんが「家族会の10年」という事で、対談をすることになっております。
以上です。(拍手)

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2007年05月15日

07.4.10 西岡力氏・海老原智治氏 東京連続集会27(7)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『西岡力氏・海老原智治氏の講演』



★西岡力氏

お二人の話で特に無いんですけど、二つだけ補足をしたいと思います。
タイの何人かの疑惑があると今飯塚さん話してくれたんですが、報道されている件で週刊文春がかなり詳しくやってくれたんですが、タイ人の女性たちが平壌にあるカラオケ店で働いていたということですね。
藤本さんと言う金正日の料理人が勤めていた寿司屋の同じところにあるカラオケ店で、日本の銀座からのママも女性もいるという話でして、その人たちは全員帰国しているんです。
ですから、ただし平壌で働くといわれてなくて、東京で働くといわれていたらしいので、騙されて連れて行かれてお客があまりいなくてお金が動かなくて怒っていたと、そういう事はあったようですが。

アノーチャさんが拉致された後80年代の話なので、同じタイ人という事でアノーチャさんの事を知らないか?と、そういう観点からタイ政府も関心を持っていて、実は海老原さんと私とは去年藤本さんと会いまして、その話を聞いたんですけども、藤本さんからも全員帰国しているという事を確認をしました。
藤本さんもそれ以外のタイ人、アノーチャさんの事は知らないという事でした。
それ以上そこから情報が進んではいないという事で、海老原さんはその帰った人たちが今どこに住んでいるか?捜して、そのうち何人かの人に接触して、藤本さんからではなくて直接その帰った人に会って、本当に平壌でアノーチャさんにあった事はないか?噂を聞いた事はなかったか?とそういう調査をされています。
そういう段階ですね。

それからもう一つの事は国連の対北朝鮮人権非難決議の件ですが、今飯塚副代表の方から少しお話があったんですけども、タイの外務省に行きました時にですね。
向こうから、「タイ政府は国連安保理事会の対北朝鮮制裁決議には忠実に従って出来る事はやっています」という話があったんですね。
タイは今安保理の常任理事国でも非常任理事国でもないんですけど、安保理事会で決まりますと国連の加盟国はそれに従う義務があるんですけども。

そこで私の方からは、それは大変良いことでありがたいことだと思うけれど、去年ですね。
国連の総会で北朝鮮人権非難決議と言うのが採択されたと。
丁度飯塚さんと島田さんと増元さんと一緒に我々ニューヨークに行った時に、その審議が国連の中でされていまして、日本側が北朝鮮の拉致問題を取り上げると北朝鮮側が強制連行800万人、200万人虐殺、20万人セックス・スレイブと言う話を総会の場でやっていましてですね。
そして日本側が反論権を行使して、人数が多すぎると、日本は謝っているとかって言っている。

もう少し事実に踏み込んで反論して欲しいと話をしていたんですが、そういう事についてタイ政府は実は去年その決議に賛成しなかったんです。
その決議の中には日本の外務省が外交努力をしまして、元々はヨーロッパのEUが出して来た決議で、北朝鮮内部の人権問題。
政治犯収容所の問題ですとか、信教の自由の問題ですとか、あるいは脱北者に対する問題だとかがメインだったんですけど、そこに「北朝鮮が外国人に対して行なっている人権侵害も入れるべきだ」というもので、諸外国に対する拉致問題もその中にきちんと入っているんですね。

それについてタイ政府は賛成しないで棄権した。
「タイ政府は拉致問題を認識して日本と協力して対応すると言っているけど、国連総会の場で拉致が書いてある問題について棄権するのは如何なものでしょうか?」と、「来年は是非賛成してくれませんか?」みたいな話を私がしたんです。
もう少し直接的ではなくてソフトな言い方で。
そうしたらば向こうが言ったのは、「タイ政府は国連の場で国の名前が出ている決議、国を名指しした決議には原則的に棄権する事にしているんだ」と。
「これは北朝鮮の人権状況が悪くないとタイ政府が認識しているという意味ではないんだ」と。
「国連の場で一国の内政問題について、名指しで何かすること事態に反対なんだ」と、言う外交方針を説明したんですね。

自国に人権問題を抱えている国と言うのは、いつ国連が自国の名前を出した決議をしてくるか分からないという事があってですね。
そういう反応を一般論としてする事があるんですね。
それに対して私らでは、「それはだから一般的な非難決議で北朝鮮の内政の事を言うならそれはそうかもしれないけれど、これはタイ国の主権が侵されてタイ人の人権が侵されているんだから、タイの一般的な外交方針とは別にこのケースについては、タイとして自国民を守るという観点から賛成すべきじゃないでしょうか?」と言う話をもう一回したんです。
そしたら、「担当部署と検討します」という外交官らしい答えが返って来ましたけど。(笑い声)

担当のシントン(?)さんと言う人は東京の在タイ大使館で公使をされていたので、「私は佐渡まで行ってジェンキンスさんに会いました」と。
「この問題は酷い」と。
「大体13歳の少女を連れて行くのは許されることでは無いでしょう」という話をしていらっしゃって、日本人拉致についても大変関心の高い方ではありました。
ただ、タイ政府の方針がそうだったという事で、飯塚さんはちょっと忘れられたという、前の日に在タイ日本大使館の公使の方が夕食をご馳走してくださった時に、その話題がちょっと出たものですから、そういう事になったという事でした。
私からは以上です。

では、海老原さんにこの後を。

★海老原智治氏

若干補足させてください。
タイ政府の拉致問題に対する姿勢という事はあまりお話をしないですけども、タイ政府は一貫して今まで正式に「拉致被害者」と言う言葉を使った事はありません。
「行方不明者」という事を公式に言っております。
これは革命以後の政権になってもこの件についてはきっちりと継続されています。
これは担当者が常に言っておりますのは、「これはタイと北朝鮮の二国間問題である」と。
ですから「二国間交渉の枠組みで対話で問題を解決したい」

その一方で「拉致問題一般の情報と言う意味では、日本に蓄積されている情報は多い。
それを是非提供いただきたいし、我々が提供出来るものは日本に提供したい。
しかしそれは日本と共同戦線を組んで統一的に当たっていくという事ではなくて、あくまでも対話、北朝鮮との二国間関係の間で交渉して行きたい。」
そのようなスタンスが一貫しております。

そのような中で去る7月にクーデター前の前外相が北朝鮮の亡くなった外相にですね。
地域フォーラムの後に二国間会談を行ないまして、アノーチャの問題に関するタイと北朝鮮の二国間作業部会を設置しようと提案を具体的に行ないました。
タイ側は第一回の会談で平壌に行く準備は出来ている。
ただ北朝鮮の返事待ちだという事で提案をしまして、これを拉致問題に関して日本以外の国が、具体的な提案を北朝鮮に行なった国と言うのはほとんど、まぁレバノンがいますが、無い事だと思っていまして画期的であったわけですけども、それがのらりくらりと回答を引き延ばすうちにタイではクーデターとなりまして、今現在まで北からどうするか?と言う回答は得られていない。

それから拉致被害者ですけど、アノーチャ以外の拉致被害者ですけどももう一件気になる案件がありまして、7月31日に韓国において、初めてタイの偽のパスポートを使った北朝鮮工作員が拘束されたと。
これはニューヨークタイムスをはじめ、かなり大きく記事になっております。
これがどういう案件でなったか?と言うと、その時には拘束されたときにはタイ人に偽装したわけでは無いんですけども、逮捕された後に分かったのはかつてタイにも入国していたと。
原子力発電所の写真・米軍基地の写真を撮って、それをバンコクの北朝鮮大使館に持って行っては送っていたと。
名前はマノウ・スギンというタイ人の男性の名前を使ったと分かっております。

私の方でもちょっとこの案件を追っておりまして、マノウとは実在した男性で亡くなっているのは分かっています。
(西岡氏より「実在したんですか?成りすましという事ですか?」の声)
マノウとは何者なのか?
拉致されたのか?
それとも知らないうちに身分を使われてしまったのか?
それとも協力した人なのか?
そういうのも、まだ分かっておりません。

そのような形で北朝鮮の不正規な活動によってタイの国民および国家の安全が脅かされているという事例、これは先ほどの8人のタイ人女性が騙された案件も、これは「東京に連れて行く」といわれてどういう経路を辿ったのかと言うと、・・・(聞き取れず)に連れて行かれた。
飛行機を乗り換えてモスクワに連れて行かれた。
モスクワから平壌に来られた。
そんなに乗り継いたのは何故かと言うのは、足取りを消すためらしいですね。

工作員を疑われる人間が日本人を名乗って騙して連れて行った。
平壌にいた間も、・・・(聞き取れず)に連絡は出来たと。
しかしそれは完全に日本にいることを偽って日本に行くという会社の名前で日本に手紙を書かせれば、日本から平壌に転送して受け取って、もちろん内容も検閲されるわけですけど。
そのようなことで、これは返しましたから拉致ではなかったですけども、そのような北朝鮮の不正規な活動で、国民の安全・国家の安全が脅かされた事例としてアノーチャの案件、この8人の案件、それから7月31日の案件。
これ一セットにしまして、私の方では早速今回統一的にあたるという事。
また私の方でも出来る事はしたいと、・・・(聞き取れず)しているところでございます。
私の方は以上でございます。

★西岡力氏

今の話と一つだけ関連してですけど、ルーマニア政府がドイナさんの問題についてどう対応しているか?と言う事を先ほど報告するのを忘れましたけど、もう一度いいますけども。
ルーマニア政府はジェンキンスさんの本が出た数ヵ月後に、北朝鮮にそういう人物がいるのかどうか?情報を求める事を外交ルートでやった。
そして去年の12月の国際会議のレセプションで、在東京のルーマニア大使ご本人がレセプションに出て来てくださいまして、私ちょっと話をしたんですけども、しかし「ドイナと言う名前はありふれた名前なので苗字が分からないからまだ特定出来ていないんだ」と。
「我々はジェンキンスさんにも会って情報を貰ったんだ」と大使が言っていたんですね。

ですから、「そういう人がいるかどうか調べてくれと言う事で、拉致と断定して返してくれと言っている段階では無い」という事を言って、タイ政府と大体似ているかなぁと。
そして今回ガブリエルさんに会って分かったんですが、ガブリエルさんのところにルーマニア政府は全く接触をしていないと。
怒っているんですよ、ガブリエルさん。
このようにマスコミは報道して日本はですね。
実は我々が行った時に、在ルーマニア日本国大使本人が4時間かけて一緒に行ってくれまして、それで事情聴取をする時にいてくれたんですけども、「日本は大使も来てくれて家族会も救う会も来てくれているのに、ルーマニア政府はまだ私のところに接触が無い」と言っていました。

次の日にルーマニアの次官に会った時に、「ルーマニアとしてはまだ被害者の身元を確認出来ていない」と。
「その作業をしている段階である」と。
「その作業として北朝鮮から本当にドイナと言う女性がいたのかどうか?を情報提供を求めてるが返事が来ない」と言う言い方をしていました。
その点ではタイ政府は、アノーチャさんの家族が名乗り出た直後に、辞められたクーデター前の外務大臣が面会をしてくださり、総理大臣も国会でですね。
あれは記者会見でしたかね?
大使と会った時ですね。
この問題を政府として取り上げると直後に言及したりしているんですね。

タイ政府の取り組み、タイは対外的には認定したとは言いませんけど、家族にも会ってそして現場の郡長さんはタイ政府として認定したんだと言ってましたよね?
という事ですけども、認定した後北朝鮮に対して行方不明者と言う単語を使って、話し合いで何とかしてもらおうとしていると。
2000年の頃の河野外務大臣を思い出すような(笑い声)、姿勢だなぁと思って飯塚さんと私で、「大体日本でもそんな事をやったんですけど上手く行かなかったんです」と、「やっぱり圧力をかけなければ駄目だと思います」と、言う話をしたんですけども。
タイのシントン(?)さんと言う方は、アノーチャと言う女性が北朝鮮に拉致された疑いがあって、今行方不明になっていると。
この問題が解決されな限り北朝鮮とタイの関係は正常とは言えませんと。
そういう点では我々も一定の圧力はかけているんですという言い方をしていました。

日本人拉致被害については2ヶ国ともけしからんと言うふうに言っているんですね。
ルーマニアの政府も日本人拉致については大変同情すると、けしからんと、雄弁に話されていましたから、事情をずいぶん日本の外務省も説明しているんだなという事は分かったんですが、逆に自国民についてはどうするのか?と言う事の姿勢でまだちょっと大変弱くて、実はルーマニアもタイも北朝鮮と今国交があるわけです。
通常ならば自国民が拉致されていることが本当に分かったら、断交するという事があっても良いくらいの重大なことだと思うんですけども、そういう事まで話は行っていない。
そういう事のようですけども。

ただ、タイでもルーマニアでもマスコミが一定程度報道し始めていますし、タイは今イ人が入っている協会が講演会をやる。
半分以上、バンコクでやったのは聞いているのはタイ人で、全部彼に通訳していただいたんですけど、そういう点でタイの人たちも自分たちの問題としてこの問題を考え始めていると、いう点で少し状況は変わって来て。
今度はガブリエルさんに来てもらって、タイの活動なども聞いてもらってもう少し勉強したいなと思っていまして、ルーマニアでも海老原さんみたいな人が出てくれば良いなと思って、ルーマニアの日本人から電話が来ていて、「通訳したいとか拉致はけしからん」と言っている人がいたみたいで、その人と連絡を取って、ルーマニアの中で何か活動が出来ないかな?と今思っているところです。

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月14日

07.4.10 飯塚繁雄さん 東京連続集会27(6)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『飯塚繁雄さんのタイ訪問報告』

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皆さん、こんばんは。
いつもお世話になっております。

今説明があったように、私と西岡先生と3月の20日から24日まで、タイへ行って参りました。
もちろん目的は拉致被害者がいるタイ国、並びにその家族の方と連携をとりながら、北に対して国際的な包囲網をがっちり固めていこうという気持ちでおりまして、早く被害者を救出したいという目的でございます。
今海老原先生から事細かく説明がありましたので、私の方からはそこに無い話を若干かいつまんでご報告します。

このアノーチャさんの実家、スカムさんの家はですね。
大体チェンマイ市内から28キロと言っていましたね。
非常な田舎でしてね。
写真にもありましたように、いわゆる高床式の住宅なんですね。
風通しが良くて、上の部屋は窓を開ければ光が入ってくる。
風も入る。
そういう事で昔からそういう知恵を集めた住宅でした。

そこではスカムさんはもちろん、甥っ子のバンジョイさん、それからその奥さんたちにも会いまして、私たちが来るという事で地元のマスコミ・日本のマスコミもいましたけども、相当数来ましてですね。
回りはびっくりしていたという状況なんですが、先ほどもちょっと説明ありましたように、スカムさん非常に気の毒でこの短期間に衰えてしまってですね。
私よりも9歳若いんですけど、頭真っ白、それから耳が聞こえない。
それから足もですね、その高床式の階段を上がるのがやっとだと。
2〜3日前までは全然降りて来られなかったという話も聞いていますけども、結局そういう状況の中で、お父さんも平成5年亡くなりましたし、早く妹が帰ってくることを望んでいると非常に毎日毎日のように思っていると。

私たちが行ったときにですね。
「わざわざ遠く日本から家まで訪問していただいて本当にありがとう」と、涙を流しながら言っておりましたけども、「これによって私も体が弱っているけれども非常に勇気付けられた」と、「元気付けられた」という事で非常に感動しておられました。
やはりその中でも「これからも皆さんと共に、一緒になって家族が帰ってくるまで戦っていきたい」と、気持ちだけはしっかりして強いものを感じております。

それとアノーチャさんが残していったポータブルラジオと言うのがありまして、写真が小さくて見えないんですけども、このラジオをですね。
お父さんがいつも身近において、「アノーチャ、早く帰ってきて欲しい」という念願を込めながら、いつも傍に置いていたと、いう事を聞かされました。
それからアノーチャさんが買ってきたいろんなお土産とか写真とかですね。
部屋においてありまして、いつもそれを眺めながら毎日毎日帰国を待ち焦がれていたという状況を聞いております。

丁度このデータを見ますとですね。
話は変わりますけど、うちの田口八重子の状況とかなり似ているんですね。
拉致された年代も1978年、年齢も22。
うちは22、アノーチャさんは23ですけど、そういった事ですとか、それから働きに出ていた状況とかですね。
非常にそういった面ではアノーチャさん非常に若い時からきれいで、22歳の時の写真もきれいで、そういった関係でも狙われていたかな?と言うそんなことも思いました。
4月22日に先ほども仰いました「国民大集会にも来てください」というようにお願いもしてきましたし、当然ながらスカムさんは無理なので甥っ子のバンジョイさんが来てくれることになりまして、2回目ですけどもさらに皆さんと一緒にこういった活動を是非していきたいという強い意思でございます。

たまたまさっきも出ましたけど、青パパイヤのサラダですね。
さすがに私と西岡先生、食べられなかったです。(笑い声)
一口頂いたんですけどね。
何か異様な味がしまして、酸っぱいのか何か、ちょっと、もちろんそういうお国柄の食事ですからそれなりに好きな人もいると思うんですけども、わざわざ私たちが来るというんで、前の晩作って出してくれたんですね。
「是非食べてください」と。
「これはアノーチャがいつも帰ってくるたび作ってあげているんだ」と。
ちょっと食べたんですけど、残念ながら本当に一口だけで終りました。(笑い声)

アノーチャさんの家族の話は先ほど詳しくしましたので、午後からですね。
チェンマイの県庁に行きまして、チェンマイの副知事に面会しました。
知事は何かいなかったらしいんですけども、話したところ、県庁と言うのはあくまでも内政・内務の関係だけで、外務との関係は一切分からないし、何も出来ないと。
「地元のアノーチャさんの身辺状況をつぶさに調べて政府に報告します」と、「外務省に報告しています」というような事だけだったんですね。

我々がわざわざチェンマイまで来たという事については、非常に日本の活動も更なる理解が深まったし、出来れば何かお役に立ちたいというそういう気持ちはありましたけど、具体的にはあまり活動の中では入り込む感じがしませんでした。
もちろん状況はすでに調べちゃたわけですね。
ですから後は「何か変わった情報があればそれにしてはきちんと報告したい」という事でした。

夕方6時半からタイと日本の友好フォーラムという組織がありまして、先ほど先生が仰ったような支援者の団体もあるんですけど、そこで講演という事で、そこにはバンジョイさん、海老原先生、それからタマサート大学のワリントンさん、女性の先生ですけども来てくださって、それで私と西岡先生が若干お話をしたと。
海老原先生に全部段取りから通訳から何から全部やっていただいて、本当に大変だなぁと言う感じはしたんですけども。
もちろん来てくださった方々は話をいろいろ聞いて、特に拉致が国際的になってきた事を西岡さんの話を感銘を受けて聞いておりましたけど、さらに日本での拉致の実態ですとか、あるいは拉致の解決のための実態ですとか、そういったものを非常にその状況は理解できたという事を言っていましたし、タイ国としましてもですね。
そういったある程度追いつくように私たちも出来ることは何でもしますと、言うような参加者の話もありました。

後は先ほどの出身地の郡長さん、名前ちょっと忘れましたけども、その人が若干お話しまして、その人がアノーチャさんの拉致に関する状況を調べて特定まで持って行った人で、非常にはっきりとその内容が整っておりまして、日本にも行ったんですよね?(西岡氏「はい、そうですね」の声)
日本の集会でも挨拶をしましたけど、そういったときにもいつも参加をして頂いているようです。

それからその前ですがバンコクに移動しまして、行った夜は日本大使館の藤原公使の招待で夕食会を開いたんですが、そこには小山一等書記官、それから先ほどのワリントン先生と海老原先生含めて懇談を致しました。
懇談の内容は忘れました。(笑い声)
要するに、こういう一切含めてですね。
国際的にこういった問題がクローズアップされていく中で、とにかく捨てておけない問題だという事で認識を深めていただいたという事になると思います。

その後23日にタイの外務省に行きまして、先ほどちょっとお話がありましたように、タイ政府の拉致問題の担当者と言うのがおりまして、それぞれ面会しましたけども、その中でシン・トンウン(?)日本部長さんが面会されまして、特にその日本部長の話によりますと日本とのこの問題に関する情報交換はしょっちゅうしてますと。
それからどういう取り組みをしているのか?
あるいはタイとしてもどういうふうにしていかなければならないか?と言うことを考えています。
一貫してこの問題が明確になってからそれぞれ対応しているところですと、言う話がありました。
先ほど話したクーデターが起こって無政府状態のはずですけども、政府が変わっても北の大使館を通じて交渉を続けていくと。

これはタイと北朝鮮は国交があるわけですね。
外務省から大使館を通じてそういった話は持ち込める。
しかしながら、我々の感想としてはですね。
一応話は聞くようなんですけども、全くコメントは無いと。
この問題の共同作業部会を作ろうという事を、提案・要求しても北はこの話をただ持ち帰っていくだけで何の返答もないという事で、タイの外務省としては北との交渉は非常に難しいと。
明日、明後日に解決するような簡単な問題では無いという事を理解と言うか、認識しているようです。

それから私もおや?と思ったのは、タイに7名の拉致疑惑者がいると言う話をしましてね。
これは明確では無いんですけどもそういった人たちもいてですね。
その情報も取りたいんですけど中々取れないと。
何人かの関係者に連絡すると、「協力したくない」と言う返事が返ってくるようなんですね。
ですからそれらを考えてもまだまだ北の拉致に関する被害者と言うか、たくさん出てくると予測されるんですね。

丁度アノーチャさんが拉致されたのは北朝鮮とタイが国交を結んだ後なんですね。
国交を結んでもそんなこと関係なくその国の人を拉致して連れ去る。
いう事が一つ言えるのと、それからもう一つ30周年に再度申し入れたけど返答が無い。
だから国交があっても北朝鮮は正常な状態ではない、というのがタイ政府の外務省がハッキリと認識しているようです。
そういう中でさらにこの問題の追及については、強く解決に結びつくような事柄を要求していくという強い態度は示しておりました。

何か4月に首相が日本に来たんですね。
ちょっと私うっかりしましたけど、その時にもタイ国としての役割をきちっと果たすべく、日本の政府・外務省と協力してやっていきたいと。
タイとしては取りあえずアノーチャ問題について、引き続きやるという強い意思を示していたようです。

それから話はちょっと変わりますが、国連の安保理事会、これは前回北朝鮮非難決議については、いわゆる1718決議ですけど可決されましたけども、タイ国としてはですね。
いろいろ伝統がありましてね。
特定の国を名指す議案については棄権をする。
反対をしないという事よりはいいんでしょうけれども、賛成はしないんですね。
棄権をするという事をハッキリと言っていますが、これの背景とか考え方とか良く聞きませんでしたけども、そういう態度を貫いているようです。

それから午後はですね。
バンコクでのタイ日友好フォーラム、これも拉致問題の講演会を開催しまして、約60名くらいの方が参加されましたけども、主に西岡先生の拉致問題の国際化という事について詳しく説明をし、みんなで手を組んでこの問題を何とか解決して行こうと言うそういった話でしたけども。
ナロンさんですね。
このフォーラムの副会長さんもお見えになっていて、そこでもやはりこの問題については放ってはおけないと。
強い態度で臨んでいくという態度でお話も伺っています。

日本人の方が多かったんですけども、在タイ日本人ですね。
その他、若い方もいまして、こういった拉致問題に対する理解を深めたと。
日本とかあるいは他国の北による拉致の実態だとか、その辺の解決への取り組みだとか、いう事が良く分かったと。
私たちもやれる事があれば努力を惜しまないつもりですというような話も聞いております。

その後は私たちの泊まっているホテルで現地の報道陣と記者会見をしまして、今回の訪問についての目的あるいは成果を思い、今後の方針等を聞かれましたけど。
要するに一人でもそういった被害者を抱えている国としては、もっともっと怒って欲しいというような事も含めながら、ともかくさっきも出ました北に対する拉致に関する件での強い包囲網を作っていくんだと、言う事をちょっとお話しておきましたけど。
もちろんそういった目的で行っておりますので、そういったお話でコメントをしておきました。

後は余談ですけど、バンコクって言うのは気温が39度なんですね。
我々成田を出た時は17度だった。
20度以上も気温の差があってですね。
ちょっと急に行くとまいりますね。
ですからさっきのワリントン先生の日傘を借りまして、それで西岡先生と町を歩いて。
そうしないととってもじゃないけどね、歩けないというか、慣れないせいもあるんですけども。

そういう状態の中で皆さんいろいろ活動していただいて、特に今回海老原先生につきましてはピンからキリまで全部お世話になりまして、本当に助かりましたしお礼申し上げたいと思います。
私の方からは以上です。
ありがとうございました。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月10日

07.4.10 海老原智治氏3 東京連続集会27(5)友愛会館にて

タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その3』



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ジェンキンスさんの本の中の記述から、それから証言から北朝鮮でのアノーチャさんの情報をまとめますと、概略次のような事になっております。
1978年にマカオで失踪します。
拉致です。
その同じ年に78年に23歳から24歳の時、元米兵のラリー・アブシャーと結婚をします。
その2年後、1980年には平壌市内の立石里(リプソクリ)ある家に住む。
この立石里にある家と言うのが曽我さん・ジェンキンスさんが住んでいたのと同じ区域でして、ジェンキンスさんの家とは50メートルと離れていない近いところだったという事です。

しかしその3年後1983年には夫のラリー・アブシャーが家で死去してしまいます。
その為にアノーチャは独身に戻るわけですけれども、1984年、今度は北朝鮮の中で転居をします。
立石里にある新しい4世帯用の住宅と言うのが出来まして、アパートですね。
下に2部屋、2階に2部屋。
1階の2部屋にはやはり米兵のパリッシュさんの一家と、ドレスノクさんの一家が住んでいる。
2階の2部屋にはアノーチャさんと曽我さん・ジェンキンスさんが住んでいる。
アノーチャは一人だったのでそこには指導員が同居していたと。

そのような状況にあったわけですけども、1989年にはどこかへ転居することになってしまった。
これはどこに行ったのかはジェンキンスさんは分からないと言っております。
聞くことも出来ない。
この数ヶ月前に、北朝鮮当局によって在北朝鮮のドイツ人と結婚させられることになっていたという事です。
この1989年に転居しまして、転居した後に一度ばったり、ジェンキンスさん・曽我さんが同じ年に平壌市内の外貨ショップでアノーチャさん一度だけ会っているというんですけど、それが最後の出会いであったという事です。

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これが北朝鮮からジェンキンスさん・曽我さんが持ち帰りましたアノーチャさんの写真です。
この左の小さく写っている女性、この後ろの女性がアノーチャさんであるという事で、この女性についてはタイ国内の人物鑑定において、重要な根拠となった写真でして、これをタイ当局の政府。
具体的にはアノーチャさんの出身地の郡を統括している郡役所と言うのがありまして、郡役所の方が家族・友人・関係者と言う方にこの写真を見せて証言を取ったんですけど、ことごとく「これはアノーチャに間違いない」と言う証言が取れたと言います。
人物鑑定の大きな決め手になった写真でございます。

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このような事がありまして、2005年12月にはジェンキンスさん・曽我さんと東京で面談致しました時の写真がこれですね。

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同じ年麻生外相とも、他の国の拉致被害者家族の皆さんと共に、家族会と共に面会しています。

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これはタイ国内での活動の様子なんですけれども、私どもタイ国内でもこのタイ人拉致というものをタイ社会に発信したいと考えまして各地でこの活動を行なっております。
まだ微々たるものでして、またタイ社会の関心も低いものですから、困難も多いのですけど、これは私の方の勤務大学で学生向けの講演会を開催した時の写真です。

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また市民集会と言う事も開催しております。
これは初めてチェンマイで開催した時の市民集会の写真です。

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2006年2月には、タイの首相に直接私どもから救出の嘆願書を手渡す事をしました。
当時の首相と言うのは、今はもう首相では無いですけどタクシン首相と言う方で、これは報道でご存知の方もいるかと思いますけど2006年9月にはタイでクーデターが発生しました。
それで政権転覆したわけですけども、そのクーデターで追われた首相がこのタクシン氏でして、実はアノーチャの出身郡と同じところの出身者なんですね。
そのようなことから家族としても首相に頼めば、クーデター前は首相は物凄い権限を持っておりまして、首相に頼めば何か進展があるのでは無いか?と期待も持っていたんですが、具体的なアクションが起こる前に首相はクーデターで追われるという事になってしまいました。

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これはつい先日です。
西岡副会長、飯塚副代表がいらっしゃった時のスカムさんとの面会の写真です。
これ、この時にですね。
アノーチャさんの実家の方である料理を準備してもてなしました。
それと言いますのはこの左手にある青パパイヤのサラダ、これはアノーチャさんの好物であったと。
それのために家族の方ではアノーチャが帰ったとしたら、まずこれを真っ先に食べて貰いたい。
そういう料理なんだと、それを準備して飯塚副代表の方に振舞ったわけです。
味の方は、分かりません。
西岡副会長の方で後で。

そのときにですね。
これまであまりスカムさんも、このスカムさんがお父さんも亡くなっているので家族を代表する形で、アノーチャの拉致問題に対処してきたんですけど、かなり強い発言をするようになってまいりました。
これはこの前のテレビの画面から撮った映像ですけど、「アノーチャ早く帰ってきて欲しい。こんな政府は間違っている。北朝鮮は間違っている。」
実際話した時はもっと長い論調でありまして、「こんな事をやる指導者・国、これが正しい国なのか?そんなものが存在して良いのであろうか?」
かなり強い口調で思いを表現したわけです。

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で、このちょっと髪がですね。
すみません、前の写真と比べますと髪がですね。
このように真っ白になっているんですけども、2006年の写真を見ますとまだ真っ黒い髪をしているんですね。
染めていたわけではありませんで、これですね。
こんな、若々しいというかまだ、それが1年後には真っ白になっていまして、実は2006年の8月に急に血液の感染症になってしまいまして、突然危篤と言う事になってしまいました。

意識不明になりまして、私もその日に飛んで行って病院に行きましたら、医者の方が「どうなるかは今日・明日が山だ。もちろん50%50%で分からない」という状況でありまして、それが幸い回復しまして、このように歩けるようになったんですけども、実は今耳が聞こえません。
話せば自分の言いたい事は言えるんですけど、こちらのいう事は分からないので、今回の飯塚副代表の話も息子のバンジョイさんがですね。
私がタイ語で通訳した事を一生懸命紙に書いて、書くと父に見せて、それを読んだスカムさんがそれで急いで返事を言うと、そのようなわけだったんでありますけども。
家族もこのような健康、この問題長引かせてはいけない。
そういう思いを私も支援者として強く思います。

これちょっと映像が・・・(聞き取れず)なってますけどすみません。
それから私どもの活動なんですが家族と共に社会的働きかけの一環としまして、政府の方にも願い出る事を繰り返しております。
前のスライドでは写真ありませんでしたけども、クーデター前の外相に面会を申し出まして、外相の方からも強い言葉でこの問題を重視すると言われました。

しかしその外相も2006年の9月のクーデターで首相ともども政権を追われまして、私どもの心配の一つはそのような政治の混乱の中で拉致問題の対策がどのように取り扱っていくのか?
内政に手一杯になっている中で問題が消し去られてしまうのか?
またこれまでに北朝鮮がタイ政府に対して積み上げた事柄、これが引き継がれるんであろろうか?

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この辺非常に不安だったんですけども、2006年の12月に外相に会いましたときにも、「クーデターの後も政府の姿勢には全く変わりは無い」という事が明言されました。
それはマスコミにも外相が同じ言葉を伝えております。
さらに外相の方からこの問題は「私のスケジュールに組み込んでいく」という強い言葉がありまして、「政策変更は無い。アノーチャの問題にもタイ政府は一貫して取り組んでいく。」
そのような事が改めて革命後の現暫定政権からも表明されたわけです。

私どもの方ではそのようにタイ政府への働きかけ、タイ社会への発信、それから家族の支援、そういう事を支援活動として行なっています。
その中でも私どもで重視しておりますのは、この出版活動がございます。
これですね。
これのちょっと前置きをいたしますと、タイにおいて拉致問題を語るのに非常に困難な点、いろいろあるんですけども、ひとつはですね。
北朝鮮と言っても分からない。
韓国と一緒なんです。

そのような中で「北朝鮮に拉致される」と言いますというと、はなはだしい場合は「あの韓国でしょ?ああいうところに行くんだったらいいんじゃない、帰ってこないのよ、アハハ」とそんな印象が非常に多い。
これは実は北朝鮮と言うのはどういう国なのか?
そこで行なわれている人権侵害の実情、これを体系立ててタイ社会に問わない限りは、この問題は十分に理解されないだろう。
そのような思いを強く持っております。

そうしますと個別の拉致問題と言う事を発信しますのと同時に北朝鮮の人権状況、これを体系立ててきちんとタイ社会に問う。
これが極めて重要な救援活動のための要素となってくると考えております。
その為に一つはこのジェンキンスさんの本、これの版権を取得いたしまして、タイ語で出す準備を行なっております。

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それからこちらは、この本は英語の本なんですけど、脱北者の面接集です。
脱北者の人が北朝鮮内でどんなに酷い人権侵害を遭ってきたのか?また目にしてきたのか?
これは強制収容所みたいなものも含めまして、そういう著書なんですけど、私の方で版権取得しまして、つい1月にですね。
翻訳が終了しました。
これも7月くらいにはタイ社会に問いたいものと考えております。

脱北について若干申し上げますと、タイは今現在脱北者がおそらく中国を別とすれば、もっとも発生している国の一つであろうと思います。
私どもが把握している情報では、昨年1年間でタイ当局に拘束された脱北者が約1000名。
今年1月から4月までの数値が昨年度の1月から4月のペースをはるかに上回るペースになっている。
今年においてはおそらく1・5倍から2倍くらいの脱北者が入っている可能性があります。

これの人権侵害、拉致は外国人に対する人権侵害ですけども、脱北は自国民に対する人権侵害の結果として発生していると考えましたなら、北朝鮮による人権侵害と言うのは、タイには脱北で非常に関わりが深いわけですけども、そういったことも含めてタイ社会には何も認識されない。
脱北者と言っても何で来ているんだろう?
それで終わりです。

また報道の傾向を見ましても、日本のマスコミの方とは全く違いまして、非常に個別の一つ一つの事件を気にするだけで、その背景を掘り下げるという事も全くありませんので、そういった事も含めて北朝鮮で何が起こっているのか?
これを体系立ててタイ社会に問うという事、これを私どもの支援団体の大きな使命であると考えております。

スライドはここまでです。
私どもの支援団体、まだまだ人も少なくて、また活動も非常に限られているんですけども、家族と非常に密接な関係を保ちながら、草の根レベルですけどもかなり動きを出しております。
今後とも日本国内の皆様を含めましてご支援をいただければと考えております。
また今回明らかになりましたルーマニアの家族、この4月22日にはタイの家族もこちらに参りまして、タイの家族もルーマニアの家族と会うこと。
そして連携する事を非常に期待する事をしたいと言明しておりますので、タイとルーマニア、タイと韓国と言った連携も今後進められればと考えております。
私の方、長くなりましたがここまでとさせていただきます。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月09日

07.4.10 海老原智治氏2 東京連続集会27(4)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その2』



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これはアノーチャさんが卒業しましたノーンセ寺小学校の現在の様子です。
これはやはりノーンセ寺小学校ですけれども、古い校舎が残っています。
30年くらい前からあるという話で、アノーチャさんもここで学んだのかどうか。
ノーンセ寺と言うのは名前の通り、お寺に併設されています。
タイの学校と言うのは日本の寺子屋と同じでして、由来がお寺に発祥があるわけですけど、今現在もお寺の境内に隣接しているというケースが非常に多くてですね。
名前もなんとか寺学校と言うんですけども、ここも同じようなケースでして、そこの本堂がこのようになっているわけです。
ここは家族のいつも行くお寺であって、馴染みのお寺であったという事です。

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これはアノーチャさんの家がある集落の中の様子です。
これは典型的な北タイの集落の様子でしてずいぶん静かな町なんです。
これも同じ町並みです。

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ここまではアノーチャさんがチェンマイにいたときのだったわけですけど、続きましてバンコクに出稼ぎに出た時の事をお話します。
前後して恐縮ですけど、19歳くらいまではこのように実家で家業の手伝いをしていたわけですけども、その後心機一転してバンコクに出稼ぎに行くことにしたという事です。
理由は何なのかあまり家族は言わないんですけど、その頃のその集落の一般的な考えとして、ちょっと家計が苦しい人はバンコクへ出稼ぎに行くのが非常にその辺では一般的だったから、アノーチャもそのような次元の一人だったというような言い方を家族はしています。

それが1973年から78年の間、19歳から24歳までであったわけです。
アノーチャさんの出稼ぎの経緯、村の女性2〜3人とバンコクへ出稼ぎに行くということにしたと。
行く前はどこで働くかも何も決めずにとにかくバンコクに出て、あちらに出た後に仕事を見つけたと言っております。
しかしそれで運よくあちらで仕事が見つかったんですけれども、実家の方には仕事は何で職場はどこだという事はついぞ言わなかったという事を家族は言っております。

その後、我々が当たったところ、風俗関係の仕事をしていたという事が分かっております。
家族の方はそういう事は口幅ったいのでそんな言い方をしたんでは無いかと思います。
それで年に2〜3回は実家に帰って来たといいます。
そうしますとたくさんお土産を持ってきて、家族や親戚や近所に分けていったという事です。
そのお土産には当時タイでは最高級デパートであった大丸デパート、これは日本の大丸の支店ですけれども、そこの袋を抱えて持ってくることが度々あったということです。

非常に父親に愛情を持っておりまして、実家に帰るたびに父親とは非常に親しくいろんな話をしていたと。
このときアノーチャさんはもう母親を亡くしておりまして、母親は非常に幼い頃亡くなっているので、記憶にもほとんど無いらしいですね。
そのような為に肉親として親として残されているのはお父さんだけだという事なので、非常にお父さんと親密な関係にあるようです。
バンコクでどんな暮らしをしているのかと言うのも、お父さんとは非常に詳しくいろいろ話をしていたらしいんですけど、そういった内容は他のきょうだいですとか親戚には話さなかったという事を言っております。

その中で非常に大きなお金をアノーチャさんはバンコクで稼いでいたようです。
家族にとっても稼ぎ頭であった。
この時期サンカンペーンで実家の月収がタイバーツで500〜600バーツでしかなかった。
これを日本の金銭価値に直してもちょっと今のレートにしても何とも言い難いんですけれども、そのような収入であったのが、アノーチャさんが毎月実家にバンコクから仕送りした額が、一回に1000から2000バーツであった。
家族みんなで実家が働いても一ヶ月に500〜600バーツなのに、アノーチャ一人が毎月1000〜2000。
倍から4倍の金をもって来たということです。
非常に大金を送ってきましたから、生活上頼りにされていたんだろうという事が分かります。
また非常に大きな大金を送ってきた事がありまして、1977年には1万1千バーツ、2万4千バーツ、そういう記録が残っております。

この当時タイの公務員の初任給が3000バーツですとか、その程度であった時代ですから、それを上回るこのような大きなお金をアノーチャはバンコクで稼いでは実家に送ってきていたわけであります。
非常に家族思いだったと思います。
それからには1977年、22歳には名前をブアパーと言う名前からアノーチャと言う名前に替えたと言っております。
ここまでがアノーチャさんのバンコク時代の主な事象ですね。

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写真をご覧ください。
これがバンコク時代のアノーチャの写真です。
1977年ごろ、21歳。
これはパスポートを作るために撮った写真であるという事です。
おそらくマカオに出稼ぎに行く事が決まった後に撮影したのだろうと思われます。

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アノーチャさんがバンコクでかつて住んでいたという場所の現在の様子です。
今現在はこんな状態で工事現場みたいになって何もないんですけど、以前はここにですね。
アノーチャさんは風俗関係に従事していたということで、この界隈はかつてその職業に従事する女性がもっぱら住む長屋のような借家があって、そこに50人から60人の女性が細い道に住んでいたという事です。
その借家そのものは取り壊されてしまって残っておりません。

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続きまして、アノーチャさんの最後の帰郷。
1978年の月は不明ですけど、年の頭の頃であったという事です。
そこで家族3〜4人と食事をする中でお兄さんのお嫁さん、兄嫁に次のように話したといいます。
「私はバンコクに出稼ぎに行っている間に、これまで3回外国に仕事に行っている。今度バンコクに戻ったらマカオに行く予定になっている。これが外国で仕事をする最後でこれが終ればもう行かない。その後はずっとバンコクで仕事をしながら時々また実家に来るから行き来をするから、だからお姉さん、それまでは父の面倒をよろしく頼みます。」
こういう事をお兄さんのお嫁さんに託したんだそうです。
そういう話をしてバンコクに戻ったアノーチャですけども、それから連絡がなく、今現在まで全く連絡が無いという事になっております。

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これが失踪先のマカオで1978年に撮影されたと思われます写真です。
22歳ごろだろうという事です。
そのようにして1978年の5月ないし7月に拉致をされてしまったわけです。
拉致の経緯についてはまた別途お話をしますが、それを家族が知ったのは次のような経緯であるという事です
もちろん拉致されたという事は知らないわけですけども、いなくなったという事自体は78年に知っていたという事です。
それがですね、次のような事情です。

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マカオに同行した友人から実家に手紙が届いたと。
その手紙にはこのように書いてある。
「お父さんとスカムさん、私と話すためにバンコクに来てください。」
大事な話があるというわけです。
その為に出て行きましたら、バンコクでこういう話をした。
「私とアノーチャはマカオに仕事に行った。1978年5月21日にアノーチャはマカオで姿が見えなくなった。失踪するこの日、アノーチャは友人と昼飯を食べに行った。その友人に『もし私が2〜3時間姿が見えなくなったら警察に届けてくれ』というちょっと謎めいた話をして、その日本当に帰って来なかった」という話です。

この友人がアノーチャの家族に続けたところでは、「その時私はアノーチャが本当に失踪したとは思わなかったので、マカオで警察にも届けなかったし、実家にも知らせなかった。」
ちょっとどこかに行って帰ってくるだけだろうと思っていただけだったんですね。
「しかし6ヶ月今経ってしまって本当に行方が分からなくなったと思われるので、今こうして私が実家にお話しすることにししたんだ」と。
要するに概略このような話があったわけです。
これをもちまして実家の方でもアノーチャがマカオでいなくなったという事を、1978年11月、分かったわけです。

しかし、分かったのはこれだけでして、どうしていなくなったのか?どこへ行ってしまったのか?何一つ分からず、それがようやくまた情報が得られたのは2005年、テレビのニュースで初めて分かったという事になったわけです。
それからですね。
バンコクでの話に行った時にこういう話を聞かされたと。
「アノーチャがいなくなったときと同じ時間に香港人も二人いなくなっている。一人は香港の宝石店のオーナーの娘で、もう一人はおそらくその従業員のようだ。」
何でそんな事が分かったのかと言うと、「マカオではその3人の行方不明者の尋ね人の張り紙が今町中に出ているんだよ」と、そんな事を聞かされたという事です

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それ以来全く78年以来情報がなかったものが、2005年になりましてテレビニュースで突然、また消息に触れることになったわけですけども、きっかけになった重要な本がこれです。
ジェンキンスさんがですね。
ジェンキンスさんの本はそのようにタイ人拉致の、まさにこの本から始まったというくらいの重要文献という事で、私の方では是非この本をタイ社会に問いたいという事で、本の版権を取得しましてすでにタイ語の翻訳を終えたところです。
現在出版のために準備にかかっております。
この7月くらいにはタイ国内で頒布できるのではないかという状況になっております。

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ジェンキンスさんの方からアノーチャの拉致の経緯と言うものが詳細に証言されております。
これは本の方には詳しくないんですけど、2005年の12月にですね。
アノーチャの家族と私の方で東京の国民大集会に参加した折に、ジェンキンスさんに面接の機会を救う会・家族会の方でアレンジして頂きまして、その中でジェンキンスさんから語られたアノーチャの拉致の経緯は次のようなものです。

マカオのアノーチャの店、これはマッサージ店、ここに2〜3人の男が数度訪れて「一緒に外に写真を撮りに行かないか?」と何度も頼まれたと。
アノーチャはどうも乗り気がしなかったようなんですけども、店のオーナーが、これはポルトガル人。
アノーチャに「お前、一緒に行けよ」と命令したわけです。
ボスが言うんでしょうがないんでアノーチャは行くことになるんですが、日中町を歩いて海岸で写真を撮っているうちに夕方になった。
浜辺に来たところで突然アノーチャを縛って猿ぐつわをはめた。
注射を打って、外から見えないような長い草が繁っているところにとりあえず寝かされたと。
その状態にした後犯人たちは、一旦車でどこかに去っていきまして、数時間経ったらまた戻ってきた。

戻ってきた犯人はアノーチャを担ぎ上げてですね、歩いて運んでいったと。
丘のようなところを越えていって農村の近くを通ったわけですけども、その時には「もし少しでも声を出したら、打ちのめしてお前を失神させるからな、絶対声を出すなよ。」
まぁそういう脅し文句を言ったと。
そしてマカオで船に乗せられます。
そうしましたら船の上に二人のアジア系の女性がいた。
2〜3日船の上にいまして北朝鮮に到着した。

アノーチャは船が北朝鮮のどこに着いたかは分からなかった。
そのまま平壌の招待所に連れてていかれて、ある日当局が招待所にいる人を庭に集めて一人ひとりを選抜したと。
「アノーチャ、お前はここの部署に行け」という事を言われまして、そこがジェンキンスさんのいる部署と言うのか、居住区域だったわけです。
このような事がジェンキンスさんの方からお話の中で分かってきました。

・・・その3に続く・・・

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月08日

07.4.10 海老原智治氏1 東京連続集会27(3)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その1』

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タイから参りました海老原と申します。
タイの方で、「北朝鮮に拉致された人々を救援する会・チェンマイ」という支援団体を立ち上げまして主宰しています。
救う会の方ではタイの連絡調査員という事で・・・(聞き取れず)いただいております。
今日はタイ人拉致、今現在判明しておりますのはアノーチャ・パンジョイさん1名ですけども、それにつきましてアノーチャさんの生い立ちを写真等を含めまして紹介いたしまして、それからタイ人拉致が判明した経緯、それから最近のタイにおける拉致に関する動きに関しまして約1時間ほどお話させていただこうと思います。

タイ人拉致被害者、今申し上げましたけども、判明しておりますのが1名です。
タイ人の女性、北部タイのチェンマイの出身でアノーチャ・パンジョイさん。
1954年4月12日生まれですので、今現在52歳になります。
4月になりましたらば53歳になります。

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1978年ですね。
5月の21日または7月2日に、出稼ぎ先のマカオから拉致されたことが明らかになっております。
この拉致が明らかになった経緯を若干振り返りますと、次のようなことです。
西岡先生からもお話ありましたジェンキンスさんの証言。
ジェンキンスさんと曽我さんが1980年から1989年まで9年間、平壌郊外に住んでいたときに、そこで米兵のラリー・アブシャーさんの妻として1980年にやって来たタイ人女性、それがアノーチャ・パンジョイさんである、という事です。

約9年間に亘って曽我さん・ジェンキンスさんと非常に親密な交際を続けて、89年に、ちょっと前後しますけども、最初の夫が米兵のラリー・アブシャーさんですけど、結婚後2〜3年で亡くなります。
ずっと独身時代を続けた後、1989年にドイツ人と結婚するという事になって、このドイツ人と言うのは北朝鮮に在住するドイツ人、名前も分からないという事ですけども、結婚することになってそのために北朝鮮当局によってどこかに転居させられた。
それがジェンキンスさん・曽我さんとの別れだったという事です。

それを曽我さん・ジェンキンスさんが2005年の5月に救う会・家族会の面接によって証言しまして、北朝鮮から持ち帰った写真もある。
それを示したわけです。
それがですね、2005年の10月にジェンキンスさんの「告白」と言う本が出まして、ベストセラーになったんですけども、そこに非常に詳細にアノーチャとの交際が記されていたわけです。
それが大きなニュースになりましたために、これがテレビのニュースになりまして2005年の10月の末に、タイのテレビで「アノーチャと言う女性について拉致されたのでは無いか?」と言う報道がタイで大きくなされました。
テレビがこれを取り上げた、そして写真も取り上げられました。

それを偶然アノーチャの家族がそのテレビ番組を見ておりまして、「これは私の家のアノーチャに違いない」ということでテレビ局に名乗りでまして、それがきっかけとなって身元が判明したという事になります。
従いまして2005年の11月に身元が判明致しまして、それから今までですから身元が判明してから1年半という事になっております。

私の方の活動を若干申し上げますと2005年の11月に、アノーチャさんの身元確認のために西岡副会長と増元事務局長がチェンマイの方でアノーチャの家族に面接をするという事をしまして、その際に私の方でお目にかかりまして「タイの方で何かお手伝いできる事はないか?」と申し出たことで、私がこの問題に関与し始めたきっかけとなっております。
その直後に支援団体を立ち上げまして現在に至っているわけです。

それではこれがこれまでのタイ人拉致被害者アノーチャのごく大雑把な経緯なんですけど、ちょっと写真を見ていただきながらアノーチャと言う人の半生を説明させていただこうと思います。
これはアノーチャさんの実家の写真です。

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今実家にいますのは実兄のスカムさんと言う方です。
スカムさんの写真写っていませんけど、ご両親はすでに亡くなっておりまして、特にお父さんは2005年にアノーチャの拉致が判明するわずか4ヶ月か5ヶ月前に94歳で亡くなっております。
今実家を守っていますのは長兄のスカムさんで、この方は2年前の国民集会にも参加しております。
このような木造の家で典型的な北タイの農村のごく一般的な家庭という感じです。

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アノーチャの個人情報ですけれども整理いたします。
姓がパンジョイさん、で名前がアノーチャ。
なぜかアノーチャと言う名前を改名しておりまして、これは元々はブアパーと言う名前であったという事です。
これは拉致の1年前、1977年にアノーチャに改名しております。
ニックネームはイット。
生年月日が1954年7月12日。
ずっとチェンマイに生まれてからずっといたわけなんですけど、その後バンコクに出稼ぎに出てまいりました。

失踪年月日が1978年の5月21日または7月2日、23歳の時。
この日取りですけれども、ちょっとまだ情報が錯綜しております。
確定しておりません。
これは失踪地マカオに同行した友人がおりまして、私どもも直接電話で何度か話をして直接聞いているんですけども、そこで言うのは5月21日だというんですね。
その人たちが言うには、アノーチャのビザが5月の30日で切れる予定であった。
ビザだかパスポートだかちょっと忘れてしまいましたが、だけどアノーチャは「もう延長しないよ、タイに戻るから」と言っていたので21日で間違いないといっているんですけど、マカオ当局の情報では新聞の方にですね。
二人のマカオ人女性と失踪したタイ人女性がいるという事が大きく報道されていまして、7月2日と言われていましてこの齟齬がちょっと情報を取っているんですけど、まだ分かっていません。

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アノーチャさんの家族構成、このようになっております。
両親がおりまして、お父さんソンさん、1911年生まれの方で2005年に先ほど申し上げましたけども、アノーチャさんの件がニュースになるものの数ヶ月前にですね。
94歳で亡くなっております。
この件、今実家を守っておりますスカムさんが言いますと、まさにですね。
「あと数ヶ月で娘の消息を伝えられたのに本当に残念だ」と繰り返し繰り返しスカムさん言っておられます。

お母さんのノイさん、この方はかなり早くに亡くなっておりまして、あまりアノーチャさんにはお母さんの印象というのはほとんど無いだろうという話です。
長子、3番、お姉さんがいます、ブンユアンさん。
この方は早くに亡くなっておられます。
で、第2子、4番目スカムさんですけど、これがアノーチャさんのお兄さん。
アノーチャさんは、ブユンアン、スカム、アノーチャの3人兄妹の末っ子であるという事です。
6、7、8はスカムさんの奥さん、それから息子さんになります。

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これがその家族の写真です。
一番左が甥のバンジョンさん。
その隣がスカム・パンジョイさん、アノーチャさんのお兄さんになります。
私を挟みましてスカムさんの奥さんのトーンさん。
これがスカムさんの孫ですね。
アノーチャさんとは面識のない、かなり下の世代になります。

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アノーチャさんがどんな人であったのか?
私ども何度も何度も尋ねているんですけども、家族あるいは友人と言う人が口を揃えて言うのは、次のようなことです。
非常に優しくて親切気のある人である。
それから友人が多い、社交的で友人が多い。
様々な物事に関心がある、知りたがりである。
度胸があって人を恐れない。
それから化粧をしたりして身なりを綺麗にするのを大事にする人。
移動や旅行が好きである。
このようなことが伝えられております。
そんな性格背景もあって失踪地・マカオに出稼ぎに行ったのでは無いか?と思われます。

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ではアノーチャさんが拉致されるまでの半生をちょっと詳しく見てみることに致します。
1954年にチェンマイ県のサンカンペーン郡のファイサーイ村と言うところで出生致しました。
出生時の名前はブアパーと言う名前だそうです。
1961年に同じ村にあります、ノーンセ寺小学校に入学いたしました。
1964年にここを卒業と言うのか修了していると。
これは小学校4年生なんですけど、当時タイでは小学校4年生までが義務教育でして、それをして卒業という事では無いんですけど、当時金銭的に豊かでなかった方は4年生修了で教育は終ったという方が多数いまして、義務教育修了という事でみなしております。

アノーチャさんもそのような経緯だったんですけど、それが終りましてすぐにもう10歳の頃からですね。
家業の手伝いに入りました。
初期のころは実家が農家であったために農業の手伝い、これは田んぼを作ったり果物を作ったりそれから葉タバコを作ったりという事を家がやっておりまして、その手伝いをわずか10歳の頃から行っていたという事です。
その後タバコ工場の雇われ人としまして、北部タイの各地の工場に行ったと。
これも極めて幼い頃でして、わずか10代の12〜3歳くらいの頃からそんな事をやっていました。
しかしタバコ工場の労働と言うのは非常にきつい労働でして、それは幼い女性には辛いという事でもうそういうのは辞めようと言う事で、家業の手伝いに専念してまた家に戻ってきたという事です。

そのようなことで家業の手伝いを中心に仕事をしていたんですけども、チェンマイ市内の職業技術学校に若干通いまして、美容ですね。
美容師になろうと思って美容を習ったと。
そんな事をした後には、今度は実家にいながら様々な農業関係の物品の販売を行なうこともあったと聞いています。

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これが小学生ごろのアノーチャさんの写真です。
それからこれが実業学校で美容を習っていた頃の写真だというのですが、すみません。
どれが、写真自体がきれいに出来ていないのですみません。

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これが先ほどの実家の写真に戻りました。
これは実家の家ですけども、この家につきましては甥のバンジョンさんがこのような事を言っています。
「1978年にアノーチャがいなくなってから、家は何度も建て直している」と。
しかし祖父、祖父と言うのはバンジョンさんの祖父ですからアノーチャの父、それからアノーチャの兄はそのたびに、「アノーチャが帰ってきてどこに帰って来たか分からなくならないように同じ形で直そう」という事で階段の形ですとか階段の前ちょっとベンチのようなところがあったりするんですが、それをまったく同じ形で直し続けてきたという事です。

・・・その2に続く・・・

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月06日

07.4.10 西岡力氏 東京連続集会27(2)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『西岡力救う会副会長のルーマニア訪問報告』

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今の話とマスコミの報道で大体お分かりと思いますけど、後でお話があると思いますが私たちはジェンキンスさんの本が出る半年くらい前に曽我さんに会ってですね。
日本の政府を通じてそれぞれの国の政府に情報提供をしたんですけれど、中々政府がたくさんいる失踪者から該当者を見つけ出すという作業は難しくてですね。
中々家族に辿り着けなかったんですが、タイではテレビの力で、ルーマニアではインターネットの力で、そして家族の人たちが諦めていなくて捜し続けていたという事があって、離れたところにある情報が結びついて家族が名乗り出ることになったという事を目の当たりにしました。

ルーマニアの場合は、一昨年の10月にジェンキンスさんの本が出まして、その直後にルーマニアの新聞が「ルーマニア人の被害者がいると本に書いてある」と言う記事を書いたんです。
しかしその記事を、ブカレストから4時間くらいの田舎に住んでいるガブリエルさんは気付かなくて、分からなかったんですね。
その記者はその記事を書いた後ですね。
いろいろ情報収集をしていたと。
我々は我々でルーマニア政府に情報を外務省を通じてお話していただいて、日本政府もそういう情報提供をしていたという事だったんですが、実はそのルーマニアの新聞記者が救う会のHPを見ていてですね。
救う会にメールを書いたというんですが、我々はそれに気がつかなくてですね。
返事が出せなかったと。

こちらは政府ルートで捜そうとしていたんですけども、向こうは個人的にしていて、それを我々が気がつかなかったという事もあってですね。
向こうも捜していてこちらも捜していたんだけども、気付かなかったと。
ガブリエルさんは新聞の紙は見なかったようですけども、仕事でコンピューターの修理をやっている方で、去年になってですね。
いろいろとネットをやっていたら、どうもルーマニア人の被害者がいるようだという事がだんだん分かってきて、それで自分ひとりでいろいろ情報を集めていらっしゃったようですけども。

一方ルーマニア人の新聞記者は、イギリスのドキュメンタリー監督が北朝鮮に入って、ドレスノクさんと言う人のインタビューをしていると言うのをネットで知って、イギリスのテレビドキュメンタリー監督に電話を直接かけたりして「情報をくれ」と。
「ルーマニア人に関することだけでいいんだ」と言ったけども、「いや我々もその映画が公表されるまでは取材の事を外に出せないんだ」と言われて、情報をもらえないでいたと。
そしたらですね。
今年の3月にそのイギリスの監督が作ったドキュメンタリー映画がアメリカのテレビで放映された。
それを家族のガブリエルさんがインターネットで、アメリカのテレビ局のサイトに入ってそれを見たんですね。

それで自分のお姉さんの名前と同じ名前の、ある程度ネットで情報を集めていましたから同じ名前だと思ってたわけですけども、その息子が、北朝鮮で生まれた息子の名前が自分と同じ名前だと。
ガブリエルと言う同じ名前で、尚且つその写真がフィルムに映ったもんですから、それがお姉さんの顔に似ているということで、これは間違いないんじゃないか?と思って、そこでルーマニアの記者の記事を過去に遡って辿りついていましたから、ルーマニアの記者に話をしたと。
ただルーマニアの記者の方もイギリスのフィルムを作っているという話は聞いていたから、それで確認をしてみてこれで間違いないと思って、家族が名乗り出たという記事を今年の3月に書いています。

ですから北朝鮮はですね。
多分イギリスの映画監督を北に入れてドレスノクさんのインタビューを取らせたのは、ジェンキンスさんが嘘を言っていると。
ジェンキンスさんが日本に来て、北朝鮮がタイ人を拉致しているとかルーマニア人を拉致しているとか酷い目に遭ったとか言っていると。
そんな事はないんだと。
脱走米兵は待遇を良くしていて、脱走兵が主体思想を信奉しているんだという事を言わせるために取材させたんですね。
ドレスノク氏はそういう事を言っているんです。
北朝鮮としてはジェンキンスさんの情報を否定しようとして取材させていて、それによってフィルムが出来てアメリカで放送されたと。

ところがそれをルーマニアで見ている。
ルーマニアでは放映されていないんだけど、そしてその一部に写った甥の写真を見て間違いないとなって、ルーマニアで新聞記事が出て。
それを我々はルーマニアで新聞記事が出たのを分からなかったんですけど、そしたらワシントンにあるですね。
自由アジア放送と言う、これはアメリカ政府がお金を出してやっている北朝鮮向けの短波放送なんですね。
外の情報を北朝鮮の中に入れるという放送局が、ルーマニアの新聞がそれを書いたのを情報を入手して、ラジオ放送でそれを流して、そのラジオ放送でやったものをまたネットで出るわけですね。

それを見て韓国の韓国日報と朝鮮日報が韓国語で報道して、それが韓国日報と朝鮮日報は日本語のサイトがありますから、それが日本語のサイトを見ていた人が分かって日本でも報道されて、その時私は丁度タイにいて、海老原君と一緒にいたんですけど、私のところに電話がかかってきて、そしてもう一回東京の社会部の私の知り合いの記者に「調べてよ」と言って電話したりしている間にどんどん話が進んで、日本のジャーナリストではNHKが一番最初にガブリエルさんのところへ行って、その後テレビ朝日が行って、朝日新聞が行ってインタビューを取って。

そこでその後、そこで多分朝日新聞だと思うんですけど、朝日新聞の記者の人からブカレストから救う会に電話がかかってきて、「ガブリエルさんが来週家族会と救う会の人が来るといっているんですけど、いつ来るんですか?」と言われて。
まだ連絡先も分かっていなくて行くことも決めてなかったんですけども、多分私たちがバンコクで記者会見をしたときに、「それが本当ならいかなくちゃならないと思います」とかと言ったら、それが報道されたのが、向こうはネットを見ていますから来てくれると思ってしまったみたいで、それ出来てくれるというふうに言われたと電話がかかってきたりして、それで我々は行くようになったという事で、情報がですね。

だからルーマニアと佐渡にある情報が、ルーマニアと佐渡が直結しないでロンドンがあったりワシントンがあったりしてですね。
韓国があったりしながら飛んで結局結びついて、調べてみたらば名前もドイナと言う名前で、家族もお父さんは軍人ということで、そして78年に拉致された。
大体アノーチャさんも78年、同じ年で。

それから後今回ですね。
ジェンキンスさんの本に書いてないことで我々確認しようと思ったのは、島田さんとですけども、去年の12月に東京で国際会議をやりまして、その為にジェンキンスさんに話を聞きに行ったんですね。
「ドイナさんについてもっと詳しく教えてください」と言って教えてもらった情報は、ドイナさんのお父さんが軍隊を辞めるきっかけについて教えてくれたんですね。
「軍隊の中であるパーティーが開かれて、そして軍の自分の上司の将軍との間でちょっとトラブルが起きて、それで軍を辞めさせられた」という話だったんです。

それで私もこの事が頭にあったもんですから、今回お母さんと弟さんに会って「お父さんが軍隊を辞めたいきさつを聞かせて欲しい」と言ったら、1958年に、ずいぶん早く辞めているんですね。
「軍隊の中でお父さんの意見と上司の意見が合わなくて辞めさせられた」と。
その後運転手をやったり、いろんな職業を転々としたと。
軍関係の職業には就いてないんですね。

トラブルがあって辞めさせられたというのと、意見の違いでというのは主観的な物の言い方の違いで、実態としては同じ事を言っていると思いまして、その事は本にも書いてないわけですから、事前に準備することができない情報も一致しまして、間違いないなという事ですね。
ジェンキンスさんと曽我さんが、ドイナさんのいろいろ写している写真を見て、ジェンキンスさんが「これは間違いない」と言っていることがありまして、間違いないと思ってるわけです。

後すみません、話がちょっと前後しましたけど、拉致された経緯。
イタリアに行って結婚して離婚して絵の勉強をしていたところ、香港で個展を開かせてやるとか。
私がジェンキンスさんから聞いたのは、「日本で絵の勉強をさせてやる」とか言われて騙されて北朝鮮に連れて行かれたというんですけども。
現場で聞いてきたのは、「イタリア人と恋愛をして美術学校の1年生の時に結婚をしてイタリアに行って、そこで絵の勉強を続けていて離婚をして、そして絵の勉強を続けていた時ある日本人を名乗る男性が近づいてきて、日本で画廊を持たせてやる」と言ったんです。
お母さんに「大変これはいい話だ」と言って、「うちの経済的な問題は全部解決する」と言って喜んで電話をして来たと。
そのいきさつも一致するわけです。

という事で、間違いないだろうというふうに思いまして、アノーチャさんのときもそうだったんですけど、間違いなければ一番心配なのは向こうでどういう暮らしをしているのだろうという事だと思いまして、行く前に曽我さんに電話をしてドイナさんの思い出を教えてくださいといったらば、「大変手先が器用な人だ」と。
「料理が上手くて、ミシンを買ってきて生地を買ってきて自分で型紙を作って服を作っていた」と。
「ロールキャベツとイタリア風サラダとピザの作り方を私は習ったんだ」と。
「それから生地からワンピースを作ってもらった」と。
「曽我さんと曽我さんの娘二人全部に作ってくれた」と。

いう話を聞いてその話をそこでしましたら、お母さんが涙が出てくるんですね。
どういう暮らしをしていたかと言うのが分かると思い出してしまうんですね。
そしたらガブリエルさんが「いや実はそのロールキャベツはうちのお母さんの得意な料理なんだ」と。
そして「うちの母もミシンで裁縫が上手いんだよ」と。
「それはうちの母から習ったんですよ」というふうに弟さんが言って、そしたらお母さんは、急に思い出を話してくださいといったら、「良い子で話を良く聞いてくれて、実は17歳年下のガブリエルが生まれた時、妊娠して歳が離れているから恥ずかしい」と思っていたら、ドイナが「お母さんそんなに恥ずかしがる必要は無い」と。
「可愛い子が生まれてくるから産みなさい」と。

「そして生まれてきた子に名前を実は娘のドイナがガブリエルとつけたんだ」と。
「私が裁縫の仕事をしていたり料理の仕事をしていたりすると、美術学校の勉強で忙しいにも拘らず、朝早く起きていつも手伝ってくれた」とか、わぁ〜と思い出を我々の前で話すわけですよね。
ここでもそれぞれの家族に思い出を語っていただきましたけど、それと同じで親は自分の子供の事をずっと覚えていているんだな、と。
そして一番やっぱり残酷なのは、どうなったか分からないでず〜っといると言うのは、文化とか体制とか関係なく本当に家族を苦しめていることなんだなと、拉致と言うのは本当に酷いことだなと実感して帰ってまいりました。

「ジェンキンスさんに会えるでしょうか?」と言う話をしましたものですから、「22日に国民大集会をします」と。
「そこに来てくださるのならば、是非我々の方で招待をしたい」と話をしまして、是非ガブリエルさんはという事で来てくださるということになりました。
以上です。(拍手)

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