2006年11月12日

06.10.15 飯塚繁雄さん2 那珂市集会(4)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『飯塚繁雄 家族会副代表の講演 その2』

そういう事で帰りを待ち焦がれているんですけども、息子耕一郎もおかげさまでいっぱしの大人になりまして、こういった街頭ボランティアなんかも、あちこちで講演会でもお話が出来るようになったという事は、私としてはこれは一つの救いだと。
八重子が帰ってきたら、これがお前の長男の耕一郎だよという事で、抱かせてあげたいという事だけは・・・・・・(聞き取れず)ですね。
中々普通ですと兄弟げんかしたときも「お前なんかうちの子じゃない」なんて事でもあるとですね。
耕一郎が途中で変な情報を聞いてグレてしまっても困るわけですし。

今IT関係の技術者として立派にやっていますので会わせる準備は出来ているんですけど、それももう来年30になりますから、嫁さんも欲しい歳ですしね。
早く会わせてあげたいなぁと言う気持ちは私も一杯です。
当の耕一郎はそれよりも親父に先に会わせたいんだと。
それから親父の疲れている後姿を見ると自分もじっとしていられないから、どんどん活動に出るんだという事を言っているので、私もそれだけは良かったかなと。

そういう時にですね。
今年にかけていろんな動きがありまして、特に横田家に関する情報だけはどんどん出てくるんですね。
それも嘘がかなり含まれていますけど、金英男氏がめぐみさんと結婚して子供がヘギョンちゃんだという、いわゆる科学的な証明が出来ていますから、多分そうだと思うんですけども。
その件について、めぐみちゃんに関するいろんな情報なり写真なりそればっかり集中的に出てくる。
それ以外の被害者の情報は全く無かった。
これは金正日の狙いとしては、横田家を陥落させて早くこの問題を終わりにして幕を引きたい。
そして早く日朝を正常化して支援を貰いたいと言う思いだと思うんですね。

横田家の情報が出ている中で向こうの仕向け方としては、横田夫妻を北朝鮮に呼んで、キム・ヘギョンちゃんから「お父さん、実はお母さんが死んじゃったんだ」という事を言わせて諦めさせると。
それで家族会の代表ですから、代表がいなくなれば家族会もガタガタになる、いう目論見だったのではないか?と言うふうに思っているんですけども。
そこで横田家は踏ん張ってですね。
こうなる事をあらかじめ感知しているわけです。
これ、もし行けばこの問題が中途半端な形で幕引きになってしまってめぐみちゃんは永久に帰って来られない。
あるいは他の被害者も帰って来られなくなってしまうという事で、じっと堪えていますね。
確かに肉親ですから、行って抱いてあげたいと言う気持ちはね、分かりますけども。
今それをやったらどうなるか?という事を考えてますね、特に早紀江さんは。

そういう状態ですから、今回はあれで一応話としては打ち切りになっていますけども、今までのいろいろ状況から見ると何とか北はめぐみちゃんなり八重子なりを隠したいという事が明らかですね。
例えばうちの八重子については、北が大韓航空機の爆破事件を自らの責任だと認めない限り、出て来られない存在なんですね。
それでは田口八重子を出せばすべて北がやった仕業いう事が更に証言されるわけですし、この件についてはもうすでにね。
日本からも世界各国からも北の仕業とハッキリしているんですけども、ああいう強かな国ですから未だにそれを・・・(聞き取れず)にしていると。
しかもこの拉致問題はすべて解決済みだと未だに言っているわけですから、自分たちだけが言ってる話でご家族にはそんな事を言っていないし、当然北のそういった面での虚勢ですかね。
・・・(聞き取れず)とか・・・(聞き取れず)とか。

すべてそうですけどね。
向こうからいう事は何も信用出来ないですよ。
私たちが報告を頂いた死亡診断書とか事故状況とか結婚証明書とか全部見ましたけど、まったく捏造されたものと言うのは明らかですね。
例えば事故報告なんか見ましても、とにかく名前が無いんですよね。
誰の事故報告か分からない。
黒いマジックで消しちゃってあるんです、日にちと場所と名前。
誰か調査したのかも消しちゃってある。

こんなものを誰が信用するか?ってことです、誰が見ても分かる話です。
だいたいそんな報告書を配られた方が多いです。
田口八重子の死亡診断書は死亡確認書って言うんですけども、コピーをしてですね。
急いでコピーして急いで書いて、それで斉木さんに渡したという・・・(聞き取れず)た調査書で全くそれもハッキリしない。
まぁ遺骨もそうですね。
ですからそういう状況を見れば嘘をつく理由があるはずですから、これだけ嘘をつくって事は生きているという事ですね。
生きているから死んでる証拠は出せない。
それは私たちはもちろん政府も安倍さんも、今回被害者家族については生きていると言う前提で取り組むという事を確信しておりますし、この問題についてはこの安倍内閣のうちに何とか片付けようというそういう意気込みが感じられます。

先日、組閣が終って3日目にですね。
すぐに家族会の役員、救う会の役員と面会をしてもらいましてね。
当初安倍さんが来るとは思わなかったんですけど急遽来てくれて、私たちの前でこの問題を絶対に解決するんだと言う意気込みを見せて頂きました。
一つは先ほど荒木先生からも出ましたが、拉致問題対策本部と言うのを即作ってですね。
しかも対策本部長に総理自ら入る。
それから事務局長に以前活躍していただいた中山参与、中山、今度は首相補佐官ということで事務局長に入りましたし、それから前から言っている拉致問題特命チームという事も、幹事会と言う名前を変えて各関係省庁全部を把握した組織があるんですけども、そこにも鈴木副長官が入りますし、更には情報担当チームですとか、それから制作企画室ですとか、それから前からある連絡調整室。
今これ組織図だけですけど、名前をきちっと入った形で対応をすぐ始めましたね。

とにかく早いんですね、やる事が。
更にこの席上で感激したのは安倍総理がですね。
この話をしてくれて、たまたま今日は帰国者が帰ってから4年目ですけども、あのときにタラップの下で抱き合う姿と言うのは、被害者と家族が抱き合う姿と言うのは一時も忘れた事がない。
今回というか、今後もですね。
まだまだ帰って来られない家族の方があのタラップの下で抱き合う姿を夢見ている、・・・(聞き取れず)思い出している。
そのときね、声が詰まったです。
ハンカチで目を拭った。
涙出してたんですね。
ああいう姿を見たのは、もちろんマスコミには映らないんですけど、私も初めて見てこれは本当に心底、心の中からこの問題をやってくれているんだなぁという、そういう気持ちがしました。

従ってそれらのハードの部分とソフトの部分では、相当今回この問題に取り組む態度・気持ちは今までに無い強いものがあるな、と言うふうに感じております。
ですからこういった最高のレベルの組織、あるいは頼りになる人達が集まって来たので、変な話もうこれで政府に全部任せて私たち家族会あるいは救う会、家でじっと待っていようかと言う話もチラッとしたんですけども、総理曰く、「それはそれで皆さんが世論に訴える力と言うのも相当な物ですから、出来る限り無理をしない形で今までの活動を続けてください」と言う話もありましたですね。
そういう事もありましたので今度こそはという気が、毎年言うんですけども、今年今度こそはと言うそこに期待が今までの10倍くらいありますし、長くこうしている間にも待っている被害者を一日でも早く取り戻すと言う体制は出来ているというふうに感じております。

更には国際世論の高まり、国際社会の北朝鮮に対するいろんな対応についても、北がミサイルを撃ってくれたおかげで、それから北が核実験をやったと言ったおかげでですね。
変なあれなんですけども活動がハッキリとして来た。
対応がハッキリとして来た。
しかも中国が早い。
ですからこのきっかけは逃してはならないということで、国連ですとか国連の安保理、これも日本が議長国で議決案を提出して採択されましたけどね。

確かにこの中には拉致と言う文字は入っておりませんけども、人権に関する諸問題をも解決しなさいと、ちょっと私文字が正確じゃないんですけどそういった意味の言葉をきちっと入っています。
これは何だといえば拉致のことと直接理解できるような文言が入っております。
そういう事が国連として決議され、更なる制裁が加わると思うんですけども、これちょっと問題がですね。
我々核の問題も物凄い大きな問題でありますし、特に日本は隣の国ですから一番関心の高い問題ですし、これと拉致問題がどうやって上手く並行して進むのかな?と言う疑念はありますけども。
絶対に拉致・ミサイルそれから核、この3点は切り離せないというふうに固い決心で政府もおりますので、絶対にこれだけ切り離した形では進まないという事を我々いつも考えながら様子を見ております。

いずれにしましても、この問題というのは絶対にこんな事今後あってはならないという見方から、単なる我々家族だけではない。
我々家族は一応表に出て訴えてはいますけど、これが何百人もいる。
あるいは今後もこういった可能性がある。
そういった中でやっぱりここに至っては、やっぱり国としての重要課題というように捉えてですね。
国民の皆さんもあるいは政府の人たちも・・・(聞き取れず)の人たちもここがチャンスだと、外交も含めて日本の立場を国益をきちっと守っていく。
最も一番重要なのは皆さんの国民の暮らしと安全をしっかりと守っていくという事が当然あるんですから、これの狙いと言うのは相当大きな要素を含んでいるはずです。

ですからこの機会にですね。
更に更に国民の皆さんの応援・支援をお願いしていかなきゃならないなと思っています。
それが安倍政権に対する後押しとなる、大きな力となるし、出来ればもっともっと若い人にね。
30代20代の若い人に伝えながら、国民(からの)相当なパーセントでの支持を受けながら政府ならびに国際社会、更には北朝鮮に強いメッセージを上げて行かなければいけないなと言うふうに感じます。

北朝鮮が一番怖がっているのはですね。
日本の国民の世論なんですね。
その次に家族会だと。
家族会がだいたい突端になって広がったもんですから、いろいろな問題が。
北朝鮮から。
それから後は怖がっていたのは日本の今回の組閣人事、それから安倍総理、更に言えば中山参与。
あんなに強い外交官が日本にいるとは思わなかったというのが北の誤算だったらしいですね。

そういう話もありながら、ますます有利に展開していると言うのが私も実感していますし、多分そう前に前進すると言う前触れ、しかも今までより早い。
こういう事を期待しております。
ですからこの機会を失ったらばもう永久に帰って来ないし、また日本も沈没すると言うようなことにもになり兼ねない。
そんな大きな事も考えながらですね。
私たち身を粉にして全国飛び回っていますけどね。

横田夫妻については、もう横田さんが73、早紀江さんが70で体がやっと動くくらいですね。
皆さんの前ではあっちが痛いこっちが痛いと言いませんから、我慢して頑張っているという姿。
それでも私たち察知してですね。
なるべく全国の講演会とかなんかに、・・・(聞き取れず)平均して皆で担当を分け合ってやろうじゃないかと申し合わせはしています。
それでもやっぱり横田夫妻と言うのはこの拉致問題に対するシンボルですから、どこへ行っても横田さんの話を聞きたいというのが現状ですけどね。
横田さんについては全国回りましたし、全県知らない人はほとんどいない。
横田家に関するいろんな話もほとんどの人が知っているというふうになれば、もうそんなに何て言うんですかね。
身を削って回る事も無いだろうと言う私たちの考えもあります。
 
皆さんもその辺のところをちょっとご理解いただいてですね。
話を・・・・・・(聞き取れず)があると思いますけども、あと残った人たちでまた頑張りますし、いろんな形でご支援をお願いすることもありますが、皆さんの力でですね。
私たち一緒になって進むしかない。
それ・・・・・(聞き取れず)もありますので、相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
頑張ります。
よろしくお願いします。(拍手)

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2006年11月11日

06.10.15 飯塚繁雄さん1 那珂市集会(3)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『飯塚繁雄 家族会副代表の講演 その1』

那珂市の皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
日頃からこの拉致問題につきまして、深いご理解とご支援を頂きまして本当にありがとうございます。

先ほど荒木先生の方からもお話があったように、この問題の一番力になるパワーと言うのは国民の皆さんの世論です。
それだと私も信じております。
当時、1997年に家族会が結成されて、そのときはまだ私は入っていなかったんですけども、いろいろ皆さんに訴えるべく署名活動なりあるいは議員会館なり国会の前なり、訴える機会はかなりあったんですけど、その頃は本当に冷たい白い眼で見られていまして、「なんだあいつらは?」と言うような感じでしたね。
もちろん国会議員の先生もあるいは・・・(聞き取れず)方もそういう感じでいたという事を聞いています。

それが、失った家族を思う残された家族の大きな力と言うか地道な努力によって、更にそれを助けるべく全国のボランティアの方々のおかげでようやくここまで来たという感じでございます。
ましてこの所、今年になってからですね。
特に安倍官房長官になってから、この問題を絶対に風化させてはいけないという強い意思の下に素早い対応を出して来ておりました。
そういう事では私も今までにない絶好のチャンスだというふうに私も感じていますけども、私たち被害者家族だけでは何も出来ません。
北との交渉・対応は政府が進めるしかないわけですから、私たちは政府にもお願いし、あるいは先ほど言ったようにパワーをより強くするために全国に飛び回り、皆さんにこの問題を解決するをご興味を頂きにお願いに参って来ております。

私も埼玉県の上尾と言うところに住んでいるんですけど、茨城はもう4回目でしたかね。
皆さんに訴え続けております。
最近特に横田めぐみさんの話題がほとんどを占めている状況の中で、まだまだ同じような目に遭った被害者の方がおります。
そういう中ご存知の通りですけど、私の妹・田口八重子をはじめとして、まだまだ認定者とそれ以外の特定失踪者の方がたくさんいるはずです。
そういう意味ではもっともっといろんな家族の人の話を聞いていただき、更なるご支援をいただきたいというふうに思うわけですけど。

ちょこっと若干、私の妹の話をしますと田口八重子、まぁ訳あって母子家庭を営んでおりまして、1歳の男の子と2歳半の女の子が当時いたんですけども、22歳のときに東京の池袋から失踪をしたわけです。
先ほど話がありましたように拉致被害者と言うのは何も海辺の海岸だけでは無い。
東京のど真ん中からでもそうやってさらわれてしまう。
これはですね、やはり北朝鮮が何かの工作・何かの企画をするためにそれを決行するために、足らないものは物だけでなく人をも連れて来い、言う工作だと思うんですけども。

例えば後でお話が出てくると思いますけども、私の妹につきましては、例の大韓航空機の爆破事件の金賢姫。
これを日本人化して日本人にして、日本の責任であの事件が起こったんだと言うふうな企みであったようですね。
それからこれも荒木先生の方からまとめております拉致被害者の人のマッピングと言いますか、どういう人たちが連れて行かれているか?と言う話の中で、私が今言ったような大韓航空機の事件の攻撃のために連れて行くと。
私の妹は結婚の経験もあり子供を生んだ経験もあり、あるいは女の人としてのファッションなり情報なり嗜好品なりなんかの全てそういった条件の持ち主だったという事が、たまたま白羽の矢を立てられたという事なんですけども。
その他、いわゆる偽ドル偽札つくりの印刷工、あるいはそれに関係する機械工、それから看護婦さんとかそれから銀行マン、それからIT技術に関する技能を持った人たち。
こういった人に狙いをつけて拉致して行ったというのがある程度分かっております。
そういう中で私の妹については、それこそ人口1億2千万分の1として白羽の矢が立ってしまったんですけども。

当時私たちは妹が失踪したときになんでいなくなったのか?と言うのが、全く分かりませんでした。
2〜3日経てば帰ってくるだろうという事で、高をくくっていたわけですけども、何せ1歳と2歳の子供ですから放っておくわけにも行かない。
当時ベビーホテルと言うのに預けてあったんですが、そこへも置く訳にはいかないという事で我々きょうだいで子供を引き取ったわけですけども。
1週間経てば帰ってくるだろう、あるいは1ヶ月経てば帰ってくるだろうというような気持ちでいたんですけども、全然その情報がない。
例えば交通事故でしたらすぐ情報が入るでしょうし、何か犯罪に巻き込まれたとしてもそんなに時間がかからないうちにハッキリするでしょうし。

という事で情報も何もない中で、とりあえず子供だけは面倒を見て育てていかなければいけないという事で、当然常識でいってもまず子供だということで家族で話し合って、私が長男の耕一郎、私の2番目の妹が姉の、本名はあえて言えないんですけども、それを引き取ってずっと育ててきた。
育てるのはこれは並大抵のことでは無いんですけども、私も子供3人おりましたしもう一人来て4人と言う中で生活があの頃苦しいあの中で、女房もパートを辞めてまた子育てと言う中で何とか過ごして来たんですけども。

耕一郎については絶対にこの事は内緒だよという事を貫き通して来ました。
これは赤ちゃんのときは分かりませんけど、物心つくについて自分が養子だとか、後でわかったんですけども恐れ多くも北朝鮮に拉致されてしまったと、そういう物凄い大きなショックにさらされたらどうなるだろう?と言う私の心配がありまして、私の子供たちにもこの事は耕一郎が20歳になるまでは絶対に内緒にしておくんだと、しゃべってはならないぞと言ったんですね。
ただ子供たちは、たった一言「分かった」と言うだけで、それが20年も約束を守ってくれた。
これが一つの私もホッとした面ですけども、そういう事で無我夢中で育てて来ましたね。

これが妹の行方についてハッキリと分かったのは、先ほどからお話に出ているように大韓航空機の犯人の金賢姫が自殺に失敗して生き残ったという事で、自白・自供をしてくれたわけですね。
証言してくれたわけです。
言ってみれば、金賢姫が死んでしまったら未だに私の妹はどこいいるか分からない、いう事になるわけですけども。
それにしても物凄い事件に巻き込まれているんだなぁと実感がひしひしと迫ってまいりまして、当初はそんな大それた事になるはずがないとか、あるいはそういった事にはなりたくないとか、そういう気分的に拒否をしましたけども。
警察の調査、先に言いましたけど金賢姫の証言によってこれが徐々にハッキリして行った訳ですね。

金賢姫の先生は日本人女性で、リ・ウネと言う女性でした。
20ヶ月の間、一緒に過ごして来たという事ですべて彼女の事を知っていましてね。
それを彼女の出版した「忘れられない女(ひと)」という単行本に出てますけども、その中の概要については過去の調査と全く違わない。
その通りだという話を頂いてます。

捜査の段階で90年から91年ごろなんですけども、日本の警察あるいは政府が本人と面会していろんな調査をしたわけですが、日本人女性と言うだけで誰か分からない。
10枚の写真を持って行きましてですね。
金賢姫の前に並べて、「この中におりますか?」と言ったら、懐かしそうな顔をして「この人です」とハッキリと指差したのがうちの妹だった。

そのときは名前は実はさっき言ったようにリ・ウネと通していたので、これは工作用の専門的な名前なんですね。
ですから誰も知らない。
工作関係に携わった人でなければ誰も分からない名前でして、しかしながら金正日は「リ・ウネなんがいない、だけど田口八重子は拉致をした」というふうに言ってるんですよね。
全くこれが切り離された関係を維持していくためにそう言っているんでしょうけども、だったらなぜ田口八重子を拉致したんだ?という事にもなるんですけど、後の真相究明で多分分かると思う。

そういう中で私たちは更にびっくりしまして、そんな大それた事件に巻き込まれてこれからどうしよう?と慌てふためいたわけですけども、その発表があってから公開しましてからマスコミの皆さんも騒ぎ立てまして、もちろん私の家あるいはきょうだいの家にすべて夜討ち朝駆けで取材に参りましてですね。
いわゆる大韓航空機の犯人と言うそういう見方で記事を書いていたようです。
要するに興味本位ですね。

私が言うのは、私たちの妹はこんな大それた事をするような人ではないし被害者なんですから、という事をしきりに訴えてはいたんですが、やはり記事の内容を見ると大韓航空機を爆破した犯人の一味と言うようなイメージで書かれている。
非常にそれに苦しみまして、これとの戦いもあったわけです。
しかも、先ほど言いました耕一郎に分かっては困るということで、相当苦労はしましたですね。
その当時私のお袋も、要するに八重子の母親も生きていたわけですけども、それから2〜3年経って「八重子がまだ帰ってこない、いつ帰って来るんだ?」というふうに、細々と言いながら亡くなってしまったと言う経過もありますけども。
これはある程度寿命だから仕方がないなと思う反面、自分が腹を痛めた子がまさか北朝鮮にいて苦しい思いに遭っているとは私は言いませんでしたが、特に。
「その内帰ってくるよ」と言う慰めの中で逝ってしまったんですが。

そういう状況の中で私たちは非常に苦しみながら時を待っているわけなんですけども、結局どう助けていいか?
私たちには出来ないんですね。
警察に届けたんですが、住所が池袋ですから豊島警察署に届けたんですが、届け人の所轄の警察署に行ってくれという事で上尾警察に行きまして「実はこういうことで私の妹が行方不明です」と出したんですけど、「はい、分かりました」ってそれで終わりなんですね。
決して積極的には調べてくれない。
逆に、1年経ち2年経ち、1年ごとに「何か情報はありませんか?」と警察の方から聞きに来るんですね。
これじゃとてもじゃないけど分からないなという事では、半分諦めの状況でもあったんですけど。

何しろ倅の耕一郎に対しては非常にかわいそうな子だと思いながらも、絶対にこれを内緒にすると言う徹底した私たち家族の思いで、やっと29歳になったんですけども。
言ってみれば29年も帰って来ていないんですね、子供の元へ。
だからそういう事を考えると、ちょうど本人は人生の一番大事な22から今帰ってくれば50です。
この人生の大事な部分を北に束縛されてしまっていると。
未だに帰って来ない。
これは取り返しがつかないことなんですけども、今となっては早く取り返してそれを何とかかんとかして挽回させて上げたいなと、言うふうに思うわけですけども。
中々それも遅々として進まないと言うのが状況でございます。

向こうにいるときにですね。
帰って来た(地村)富貴恵さんとかですね。
あるいは蓮池さんなんかにも聞きますけども、田口八重子さんは一生懸命頑張っている。
何を頑張っているのか?と言うと、北朝鮮の指導部があるいは指導員が言う事に対して、いわゆる優等生になろうと。
少しでも信頼される者になろうと言うところで頑張っていると言うんですね。
そうすればいつか帰って来られる。

招待所にいる賄いのおばさん兼監視員の人が言うには、「私は日本人でここに連れて来られた人を何人も見ている。その中でワイワイ騒いだり金正日の悪い事を言ったり非難したりする人は山に行ってしまう」
山って言うのはね。
多分収容所と言う意味だと思うんですけども、「だからあなたは苦しいけれども今ここに来たらすぐに帰れない。だから頑張りなさい」という事を言われて富貴恵さんと一緒に頑張ったらしいですね。
だから邪険にもされない粗末にもされないという事につながるんでしょうけども、そういった事を思うにつけ本当にかわいそうだなと、全くこれは悲劇だなと言うふうに思うんですけどね。

いわゆるこの状況は86年の7月まで1年ぐらい、めぐみさんと一緒に過ごしたという事実が情報がハッキリしていますけども。
ちょうどめぐみさんが金英男と結婚させられるために、その3号招待所を出て行ったと同時に八重子も出て行ったんですね。
その時の噂ですけども、八重子も誰かと結婚するんではないか?というような話が来ているんですね。
誰と結婚するかは分かりませんけども、向こうで結婚するとすれば北朝鮮人とは結婚しないと言うのはこれは決まっていますし、韓国人の拉致被害者か誰かかな?というようには憶測はしますけども、それは事実としては全く信憑性の無い話なので、そういう事をしながらでもですね。
生き長らえていて、いつか帰りを待っていていられると言う事を私は望んでいます。

・・・その2に続く・・・

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2006年11月09日

06.10.15 荒木和博氏2 那珂市集会(2)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2』

で、これらの事は今日本で実は十分に出来る事です。
不思議なことですがこの国の中で拉致被害者の救出という話になったときに、自衛隊を使うとかそういう物理的な力を使って取り返すという事について、ほとんど誰もやっていませんでした。
常に話し合いでとかいう事でやって来た。

皆さん、「話し合い」と言うのはとってもきれいな言葉です。
話し合いで解決しよう、日本では何かとあれば必ずそう言います。
今回の制裁などについてももっと話し合いをいう事を口に出す。
それは結構です。
話し合いに応じる相手であれば話し合いをすればいい。
あるいは北朝鮮が「どうしても話し合いをしたいんだ」というふうに言って来たらば、そのときは応じるかどうかを考えればいい。
しかしこちらからいくら話し合い、話し合いと言ったって相手が応じる気がなければどうしようもありません。

大阪の池田小学校に刃物を持って入って来た宅間と言う男、あの男を前にして「話し合いをしよう」と言える勇気のある方はそういうふうにしたら良い。
相手が刃物を振りかざしてきてあるいは突き刺してきて、それでも私は話し合いをしたい、いうふうにいえる方はそういうふうにすれば良い。
しかし、もしそういうふうにしたとしても、ご自分が死ぬのは勝手ですがその後に後ろにいる子供たちがまた殺されていく。

この拉致と言うのは一種の戦争です。
個別の事件ではありません
私たちは戦争の中にいるんです。
この国は我々平和だと思って来ました。
確かにそれはそうです。
街中を夜の11時12時に女性が一人で歩いていても危なくないかもしれない。

しかしそういう事と言うのは本人が多少注意していればどうにかなるんです。
何の罪もない人が日本国内から外国の国家目的に従って連れて行かれる。
そのことに対して無力であったという事の方がよほど恐ろしいです。
これは個人が努力したってそう簡単に変えられる事ではない。
しかも更に始末の悪いことには日本政府はこのことについてず〜っと隠し続けて来ました。

横田めぐみさんの事件が昭和52年の11月15日に起きた。
それから間もなくしてこの国のトップはこの事件について知っていたそうです。
横田めぐみが拉致をされたという事は当時、日本海にいた工作船の無線とか、そういう物から分かっていた。
しかし、その問題は伏せられてしまいました。

私たちがこの失踪者の調査で全国各地、沖縄から北海道まで参ります。
あちこちで聞きますが、警察のOBの方とかいろんな関係者の方から、
「あの事件は拉致だという事はほとんど分かっていたんだ。そういうふうに言ったんだけど上に上げたらみんな潰されてしまった」
いう話と言うのは、非常に多いんです。

皆さんもし例えば、すぐ近くまで台風がやって来ている。
天気予報で「明日も晴れますよ、明日もいい天気ですよ」と言われていたところに突然台風がやって来たらどうなるか?
日本は台風がたくさん来るところです。
そういう自然災害が多いところですけれど、台風であれば天気予報で大体いつごろ来るか?そういう事は分かる。
分かれば皆それに対して備えをするんです。
何にも言わないんです。
何も言わない状態で突然台風が来たら大変な事になります。
それと同じ事がこの拉致事件でずっと起きて来たんです。

政府が認定している16人、皆さんがお持ちの政府が作ったパンフレットがございます。
そこに16人の顔写真が入っていて、後ろの方にどういう状況かと言うのが書かれておりますが、この16人をどうやって政府が認定をしたのか?
半分はマスコミが最初に報道した。
そして田口八重子さんなどは工作員が捕まって、そして自供した事によって分かりました。
曽我ひとみさんに至っては北朝鮮が先に出している。

日本の政府が国民の誰も知らないときに「これは拉致ですよ、北朝鮮という国が拉致をしようとしているんですよ」というふうに言ったケースと言うのは実はただの一つもないんです。
皆工作員が自供したり、マスコミが書いてしまったり、そういう事でもう仕方が無いから拉致認定と言うのをやって来た。
いうのが、この国の現状です。

日本政府が初めて拉致を認めたのは昭和63年の3月、この茨城県出身の当時国家公安委員長の梶山静六さんが、国会答弁の中でした事が最初でございました。
それによって初めて拉致と、これはおそらく答弁をした方も相当の覚悟をした答弁だったんでしょうけども、しかし残念ながらその後が続かなかった。
「拉致の疑いが濃い」とまで言ったにも関らず、それでは「その人たちを救うためにはどうするか?」と言うところまでは、この国は残念ながら動きませんでした。
そしてその状態がずっと続いてしまったわけでございます。

現在の安倍政権もその流れの中にあります。
だから安倍さんご自身は確かに拉致問題を解決したいと思っている。
それは間違いがない。
私も安倍さんとは何度も話をしておりますし、それは感じております。
しかし、あの政権の中にはそれを支える者の中には、これまで拉致事件を隠蔽し続けてきた力と言うものが間違いなく働いているんです。
だから任せて置いてはダメなんです。
安倍政権になったというチャンスを利用して、そしてそれを物にするのは我々の力でやるしか方法がない、という事でございます。

で、これをやっていくためにはまず誰がどこにいるかという事を調べていくという事もしていかなければいけない。
それも警察では出来ません。
基本的には軍隊がやる役割であって、自衛隊がやるべき役割でございます。
そして見つかった人について何とかしてアクセスをして、もし例えば中国にでも逃がせるのであれば逃がす。
あるいは東海岸でも回収できるものであれば何とか回収をする。
そしてそういう人たちについて北朝鮮側に返せという事を制裁と共に強く申し入れると共に、北朝鮮の今の体制を倒していくという事をすること以外に、取り返す方法と言うのは無いんです。

今、北朝鮮の政権と言うのは日本人の拉致だけをやっているわけではありません。
韓国人の拉致被害者と言うのは、今韓国政府が認定しているだけで500人近くの数になります。
それ以外に10ヶ国以上の国から拉致をしている。
韓国の場合はそれだけではなくて、50年以上前の朝鮮戦争のときに捕虜にした人たちをまた未だに炭鉱に入れて働かせている。
そして北朝鮮の一般の人たちも世界で最悪の人権状況の中で苦しんでいます。
また・・・(聞き取れず)の方が何人も行っておりますけど、北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、そしてその日本人妻をはじめとする日本人の家族なども北朝鮮の中で、あの酷い北朝鮮の中で最悪の状況で暮らしてしているわけでございます。
一言でも文句を言えば収容所に送られたり殺されたりしてしまう、いう状況です。
それをまとめて解決しなければ問題と言うのは全部・・・(聞き取れず)訳がない。

しかも拉致被害者の中には我々自身が気がついていない方もおられます。
今の政府認定者の中で、お手元の資料を見てお分かりになると思いますが、田中実さん・原敕晁さんそして久米豊さん。
この3人の拉致と言うのはすべて身寄りのない人を狙った拉致です。
身寄りのない人を狙った拉致が成功していれば、ご家族が声を上げることがありません。
つまり我々自身も、拉致と言うのは基本的にはご家族からお届けのあった人についての調査を中心としてやっていますから、全く誰も知らない拉致まで調べる事はとても出来ない。
しかし間違いなくその中で拉致をされている人がいるんです。

それから日本国籍を持っていない在日朝鮮人の拉致被害者と言うのもかなりの数います。
そういう方々は中々我々のところに来ない。
我々のリストに二人在日朝鮮人の方おられますけど、大部分の方はおそらく泣き寝入りをしているのであろうと思います。
そういう人たちも我々はすべて救う義務があるという事でございます。
そこまでしていかなければいけない。
そこまでする為にはどうしなければいけないのか?
あの今の金正日の体制をひっくり返すしか方法は無い、そういう事でございます。

今の金正日の体制は大変 曲がり角に差し掛かっています。
今、私自身が元々朝鮮半島の研究者ですが、4年前の5人を返して来た時と比べても全くリーダーシップが無くなったに等しいという状況です。
もう少し力を加えれば倒すことが出来る。
別に爆弾なんかを落とす必要は全くありません。
北朝鮮の中にもっともっと情報を入れて、そして今、金正日と最後まで手を結んでいるのか?
それともここで手を切って、北朝鮮の民主化とそして国民の安全、そして世界の平和のために立ち上がるのか?
どっちにするのか?と言う情報、そして宣伝活動を続けていけば自然とあの国は内部から倒れていきます。
そういうふうにしていかなければいけない。

私どもがやっております短波放送は一日朝夕30分ずつ1時間、毎日流れておりますけども、この中でも同様の事をずっと言い続けております。

「拉致被害者を返しなさい、そして我々自身も北朝鮮の民主化のために一生懸命努力をします、向かう道は同じです、一緒に立ち上がりましょう。
もし皆さんが拉致被害者を取り返すためにご協力をしてくれれば、我々は絶対にそれを忘れません。
しかし、もし皆さんが拉致被害者を取り返すことを邪魔するんであれば、私たちはそれも絶対に忘れません」

半ば脅迫みたいなものなんですが、しょちゅう北朝鮮からは脅迫みたいなことを言われていますから、たまに私が一言くらい脅迫しても別に罰は当たらないだろう、という事でやっているわけでございます。
そういうふうにしていくことで北朝鮮の体制を揺るがして、今もう周りから北朝鮮の事を何とか助けたいと思っている中国や韓国でさえ、それが出来なくなっている状況であります。
今このチャンスを絶対に逃してはいけないというふうに思っているわけでございまして、それを何とか我々としてはやっていく。

そして更に今丁度国会とかそういう所でですね。
私どもの放送についてNHKの施設を使って放送をさせてくれそうな雰囲気になって来ております。
総務省の次官がそういう事を検討するという事までわざわざ記者会見で言ってくれておりますので、我々としては何とかこれをFMを使ってやれる事はしていきたい。
この、どこだったか忘れましたが茨城県内に国際放送の送信施設があるんだそうです。
我々の放送は別の国から100kwで出していますが、その茨城の施設は500キロまで使える施設があるそうで、それを使って出せば現在北朝鮮で出している妨害電波も跳ね除けてですね。
一般の人たちに聴かせる事ができる

去年の初めにテレビ朝日の報道ステーションで流れましたのでご覧になった方もおられるかも知れませんが、平壌でも私どもの放送が聴こえたという事が確認されております。
そしてまたそれと別の情報で平壌でキム・ガクセイ(?)が聴いていて、北朝鮮の当局が問題視して何とかしろと言う通達まで出したとか言う話まで聞こえてきている次第でございまして、必ず拉致被害者の誰かは聴いていてくれると言うふうに思っております。
これを我々としてはともかくどんどんやっていく。

更にそれと併せまして韓国の北朝鮮の境のすぐ近くから風船でですね、ビラを飛ばすという作業もこれからしていくつもりです。
本当は今月中にやりたかったんですがちょっと間に合わなくなりそうなので、11月からですね。
我々のビラを北朝鮮に送っていくという事をやって、ともかく少しでも北朝鮮の中に情報を入れて、そしてあの体制をひっくり返して、あの北朝鮮に住んでいる2000万の人がそれぞれの立場で拉致被害者の人が自分の祖国に帰り、あるいは北朝鮮の人たちは中国に逃げている人たちは北朝鮮に戻ってきて安心して暮らせるようにしていくと。
あるいは在日朝鮮人の帰国者の人たちは戻りたいと言う意思があれば自由に日本に戻って来れるようにする。
そういう状況を何とかして作らなければいけない、いうふうに私どもは思っております。
これこそが解決でございます。

何度も言いますけども、あの北朝鮮の体制の間にいくら話し合いをしたって絶対に解決をしません。
もし例えば北朝鮮が援助したら拉致被害者を返してくれる。
一時的にはそれで評判は高まるかもしれません。
しかし現実にはその援助をもって、北朝鮮の金日体制は延命をしてしまう。
延命をすれば他の拉致被害者は更に苦しみを続ける。
他の一般の北朝鮮の人たちの中には、またこの冬を越せずにまた死んでいく人が増える。
それを許してはいけない。
我々としては、この千載一遇のチャンスに何とかして問題のすべてを解決していかなければいけないと言うふうに思います。
私自身、本年一杯でこの拉致問題を解決するという事を昨年来言い続けております。
それが実現しなければ自分なりの責任の取り方をするというふうにも申している次第でございますが、まさにその為の絶好のときに来たというふうに思うわけでございます。

皆さん、この日本と言う国は、もちろんこの那珂町もそうでございますけども、今住んでいる1億2千万の私たちだけのものではございません。
言うまでもなく国がこうやって豊かで安心して暮らせるようになるためには、何千年も何万年も前から私たちの祖先がこの国を作ってきて下さったわけでございます。
それがあり、あるいは戦争で命を落とし、あるいは災害で命を落とし、そういうふうにしていった人たちがいたから今日の日本があるのです。
そして私たちが死んだ後にはまた次の世代がこの地で生まれて、この日本を引き継いでいくわけでございます。
その過去と未来の日本人の数から比べれば、1億2千万と言うのはほんのわずかな数でしかありません。

私たちがやるべき事は何か?
私たちはその過去の我々の先輩たちと、そして後輩の中継ぎをするだけでございます。
私たちはこれまでこの国を作ってくださった先輩たちに恥ずかしい国にする事は出来ないし、そしてまた恥ずかしい国を次の世代に渡すことも出来ません。
私たちが何らかの犠牲を払うことがなければ、それは我々の時代を貶めるものになってしまうものだと言うふうに思います。
過去の私たちの先輩とそしてこれから生まれてくる世代も、今選挙権も何もありません。
ですから昔の人たちがどう思っていたとしてもそれを今言葉にすることは出来ない。
これから生まれてくる後輩たちも、もちろんそれを言う事は出来ません。
ですから私たちは過去と未来の言葉を聞き取って、そしてそれを私たちがやるべき事としてやっていかなければいけないと思います。

人一人の命はもちろん大切でございます。
しかし、あの中越地震の時に、岩の間に挟まれた自動車の中から子供を助け出したレスキュー隊の人たちは、一つ間違えれば自分たちが二次災害で亡くなっていたわけであります。
もし本当にただ命が大切なだけであれば、見ず知らずの子供なんか放ったらかしておけば良い。
自分が死ぬかもしれない。
自分にも子供はいるわけです。
放ったらかしておけば良い。
知らん顔をしていても別にいいじゃないですか。
生きているかどうかも別に保証も何もなかったわけであります。
しかし、あそこに行ったレスキュー隊の人たちはあの子を助け出した。
自分の命が亡くなる事も覚悟して。

やはりそういうものではないかと思います。
そういうふうにしてやって来たことの積み重ねが今日の日本。
ですから私たちも今拉致をされている方々、それが皆さんが帰って来てこの地を踏む。
それ自身が我々のためでもあり、そして次の世代のためでもあり、また過去の私たちの先輩に対して胸を張って「こんなにやりました」と言うふうに言える事だろうと思います。

バッターボックスに立っているのは皆さん自身、安倍総理ではありません。
皆さんの声がこれまでこの拉致問題を動かして参りました。
あと少しです。
絶対にあと少しで問題の解決に行きます。
最後までご協力をお願い致しまして、私の話を終らせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・
このテキストの音声ファイルはこちらにございます。
ご参照ください。
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2006年11月08日

06.10.15 荒木和博氏1 那珂市集会(1)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

ご紹介頂きました荒木でございます。
本日は大変お忙しい中、また天気もいいお休みの日に多数の皆様お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

今副議長のお話にもありましたけども、情勢は大変緊迫を致しております。
この北朝鮮に対する制裁が国連で決議をされてそして実行される。
そしてまた日本では安倍政権がスタートいたしまして、そしてこの拉致問題についても特段の取り組みをしていくという事を、総理自ら言われているわけでございます。
北朝鮮はいよいよ逃げ場の無いところに追い詰められておりまして、この状況は野球でいえば9回の裏ツーアウト三塁で一打サヨナラという手前まで来ている状況だと思います。

ただ、ここで皆さんにご理解いただきたい事は、このツーアウト三塁で後ヒットが一本出ればサヨナラ勝ちというときに、バッターボックスに立っているのは誰か?
それは安倍晋三では有りません。
ここにお出での皆さん、もちろん私も含めてでございますが、ここにお出での皆さんがバッターボックスに立っているのであって、安倍政権が出来た事、あるいは北朝鮮がミサイルを撃ったりあるいは核実験の真似事をやって追い詰められているという状況は、あくまで三塁までランナーが進んだというだけの事に過ぎないわけですね。
安倍さんに任せておけば後は大丈夫だといって、自分たちが観客席にいて応援団の立場になったらばこの問題は解決を致しません。

逆に言いますと、拉致問題をこれまで進めて来たものは何よりもここに皆さんがお出でいただいたように、拉致問題を解決しようと言う国民の声があったからこそ前に進んで来た事であって、それを成就させるためにもやはり国民の声と力が必要でございます。
そして皆さんご自身がそれぞれ市民の皆さんであると思います。
普通の人である皆さんがどうしてバッターボックスに立っているのか?
あるいは立たなければいけないのか?という事をこれからお話しようと思います。

皆さん、拉致事件というと海岸でですね。
歩いていたら突然襲われて袋に入れられて工作船に乗せられて連れて行かれる、というイメージが大変多いだろうと思います。
・・・(聞き取れず)ですとかそういう所でそういうような事をやっています。
しかし実際は拉致を行われている場所と言うのは別に海岸線ではありません。
運び出すときは当然海岸線ですけども、実際に拉致事件が行われているのは内陸でもあり、あるいは太平洋側でもある。
我々が怪しいと思っている事件の中には伊豆七島の神津島で起きている事件もございます。
茨城でも私どもの特定失踪者問題調査会が持っております拉致の可能性のある失踪者のリスト、県内でいなくなっている方が何人もおられます。

拉致事件というのは北朝鮮から工作員が突然やってきて、そして待ち伏せをして連れて行くという事件ではありません。
拉致をしようというふうに決めたらば、決めた人を時間をかけて調査をしてどういう仕事をやっているか?
あるいはどういう学校に通っているか?どういう家庭環境か?どういう行動パターンか?という事を調べて何らかの形で騙してどこかに連れて行って、そしてそこからは無理やりに連れて行く、言うパターンでございます。

例えばこの那珂町の中だって、拉致と言うのは簡単に出来ます。
この町の中で普通に住んでいる方であればお互いに顔も分かっているでしょうからそういう事はし難いと思いますが、例えば何かのお仕事で面識のある業者くらいの人間関係の方、つまり直接ですね。
ご家族にこんな業者がいるんだよとお話をしなくても面識はある。
街中で会えば挨拶はする。
そういう方にたまたまどこかで会った。
本当はたまたまではないんですが、たまたまどこかで会った。
「ちょうど良い所で会いました。ちょっと仕事の話があるんでそこに事務所があるので来てくれませんか?」言うふうに言って、「分かりました、じゃあ20分くらいなら」という事でそこから建物に入ったとする。
この建物もそうですが、入ってドアを閉めてしまえば後は密室です。
そこで当身を食らわせて気絶をさせて、そして袋かあるいは段ボール箱のような物に入れて、荷物を偽装してワゴン車に乗っけてしまえば後は何をやっても分かりません。

茨城県内にもひょっとしたらあるかもしれませんが、千葉の房総の南の方に行けばそういうののですね。
監禁場所に使ったのではないか?と思われるような場所がございます。
そこまで車を飛ばしてそこに隠しておいて、そして工作船が来たとき、あるいは北朝鮮の貨物船に何らかの方法を使って乗せて北朝鮮に連れて行く、いうことは簡単でございます。
この茨城の県警でも例えばですね、まさか北朝鮮の拉致があるなんて事は思っていない。
ですからそういう事に対する警戒は全くやっていません。
日本海側の県警ならばまだそれでもいくらかは警戒はしていますが、そういう所だって平気でやってくる。
いわんやこちらの太平洋側であれば遥かにやりやすい。
ですから県内からだって失踪した方で拉致をされている方というのは当然いる可能性はある、という事でございます。

私ども特定失踪者問題調査会と申しますのは日本政府が認定をしていない、今日本政府が拉致だと認定していますのは、今日お出での飯塚繁雄さんの妹さんである田口八重子さんを初めとする16人の方々ですが、それ以外の拉致の可能性のある被害者について調べてそして救出を目指すのが私ども特定失踪者問題調査会のやっていることでございます。
で、このリストの中でですね。
我々今460人、公開非公開の方を合わせて可能性がある、可能性が高いじゃなくて可能性があるというふうにいっている方が460人くらい。
そのうち260人は公開しておられまして、お配りを頂いております「しおかぜ」と書いたチラシに小さい写真がたくさん載っかていると思いますが、その方も公開をしている方々でございます。
一番古い方は昭和23年、一番新しい方は一昨年まで、失踪者で拉致の可能性が存在するという事を言い続けているわけでございます。

この方々の大部分は北朝鮮とは何の関係もありません。
私であれば北朝鮮の悪口を言って歩いていますから、例えば私がいなくなればそれは「あんなふうに言っていたんだからやっぱりやられたんだろう」というふうに思ったかもしれない。
しかし田口八重子さんを含めまして失踪した方々と言うのは、ほとんどが北朝鮮と何の関係も無い方々でございます。
であればいなくなったときに、誰も拉致をされたという事は疑いません。
そうするとどうなるか?

例えば横田めぐみさんが拉致をされたのは昭和52年の11月の15日。
若い方はまだお生まれになっていない方もおられるかもしれませんが、その当時成人をされていた方でも、今から例えば警察がたずねてきて昭和52年の11月15日に何していましたか?と聞かれて思い出せる人はおられるでしょうか?
あの時は朝ちょっと頭が痛くて少し遅く起きてきて会社に遅刻して、そしてでも昼間くらいになったら治ったので夜は一杯やって外でカラオケ歌って帰って来たと、言うような事が話せるような方であればそれだけで飯が食える。
そんな人はまずほとんどいないわけです。

ところが一番最初いなくなったときに、ご家族は警察に大抵届けます。
届けても警察で受けるのは生活安全課が受けます。
生活安全課の人というのは警察の中でも、生活安全課と拉致問題を担当する公安とは余り仲が良くない。
ですから情報が横へはいきません。
ひょっとしたら公安の人が見たら「この事件は怪しい」と思うような事件でも警察署の中で止まってしまう。
そして警察には年間10万人も行方不明という事でお届けがありますが、これを全部調べていく事はとても出来ない。

例えば遺体が出てきたとか、あるいはよほど事件性が伺える。
横田めぐみさんの事件のように中学校1年生の女の子がいう事であればそれは調べますけども、大抵の場合はもう大人ですからほとんど調べる事は無い。
家出人の捜索願だけを書いてそしてそれを出しておしまいです。
その状態で何年も何年も時間が経つんです。
10年20年と経って、それからもう一回ひょっとしたらこの事件は拉致だったかもしれないと思って調べようと思っても、その時には証拠も何も残っていません。

ご家族はどうか?
拉致された方がいなくなる、失踪していなくなる。
一体なんでいなくなったか分からない。
ご自分の意思で何か嫌な事があっていなくなったのか?あるいは事件に巻き込まれたのか?
生きているのか死んでいるのかも分かりません。
いくら、一生懸命ご家族は探すわけです。
友達のところにですね電話をかけまくって、そしてちょっとでも似た人を見かけたという話があったらそこまですっ飛んで行って、そして聞いて回る。
それでも分からない。
そういう苦しさと言うのは、本当に我々自身でもとても想像が出来ません。

これは酷い言い方ですが亡くなっているなら諦めるしかない。
ご自分のお葬式を出して、そしてご自分の心の中に思い出をとって置く以外にもう仕方が無い。
そういうふうにして気持ちを片付けていくわけでございますけど、失踪と言うのはそれが出来ません。
生きているか死んでいるか分からない。
その状態で生き地獄の中でご家族は苦しみを何十年も続けなければなりません。
次第にその方について家族の中でも話をしなくなります。
段々に、その方の話をすればお母さんが泣き出してしまうとか、ご家族の中で気まずい思いをする。
できるだけ話題から避けようと言うふうにしてしまう。
そうすると次第にその頃の記憶を片隅に追いやってしまうと出て来なくなる。

我々のリストの中の古い方であれば、いったい何年にいなくなったのかも分からないという方がおられます。
当然いなくなったときにご家族は捜しているんですが、辛さの余りその事をですね。
思い出さないようにしているうちにだんだん記憶がなくなっていく。
そしてご両親が亡くなっていったりすればますます事態が分からない、いう事になってしまうわけでございます。
ところが今この国の中には、そういう中で拉致をされた人が誰かという事を捜す機関と言うのがありません。

皆さん、先ほどのお話の中にこの4年前の今日が拉致拉致被害者が帰って来た日だという事を○○(聞き取れず)さんが仰っていました。
この5人が帰って来た日、私は羽田空港におりまして、あのタラップを降りてくる5人を下から迎えておりました。
そしてそこに日本政府が拉致だと言っていなかった曽我ひとみさんが入っている。
降りて来た訳であります。

皆さん覚えていらっしゃいますか?
あのときに、曽我ひとみさんは24年間日本政府が拉致だという事を気がついていませんでした。
気がついていなかった事に対して「申し訳ありませんでした」と言った人がただの一人もおりません。
新潟県警は曽我ひとみさんについては拉致では無いと認識していました。
それは日本政府も基本的に同じです。

曽我さんの場合は、大変失礼な言い方なんですが、昨年お亡くなりになったお父さんが当時若干アル中の気があって、近所ではですね。
「あそこの家はおそらく親父に愛想をつかして、親子で逃げ出したんだろう」というふうに言っていたそうです。
お父さんからすればとんでもない濡れ衣だったわけですけれども、そういうふうに思われ続けて24年間、全く分からないままで来てしまった。
そして24年ぶりに北朝鮮が先に言った事で分かったんです。
北朝鮮が何も言わなければ未だに曽我ひとみさんはただの失踪者です。

そして曽我ひとみさんが拉致だと分かったときに「申し訳ありませんでした」といって、例えば警察庁長官が辞表を書いたか?
国家公安委員長が謝罪をしたか?
誰も何もこの国の中でしていないんです。

実は大変お恥ずかしい話ですけども、私自身がそれに気がついたのは、それからふた月後のことでした。
帰って来たときのドタバタで、その事を全く頭に思い浮かびませんでした。
帰ってきてから2ヶ月経った4年前の12月18日に、5人が初めて故郷に帰ってから新潟市で一同に会しました。
当時私は救う会事務局長をやっていましたが、その時に私の書いた本で「拉致救出運動の2000日」という本が出ましたので、その本を5人の方々に配りました。
で、配っている最中にふと気がついた。
2000日間の記録ですから分厚い本なんですが、曽我ひとみさんという名前が出てくるのはその一番最後の方だけなんです。
本当にちょっとの部分だけ、それまでは何も書いていない。

あっと気がついて、曽我さんにお詫びをしました。
「私自身が救う会の事務局長という立場でやっておきながら、曽我ひとみさんの拉致に気がつくことが出来ませんでした。申し訳ありませんでした」というふうに言ったんですが、その時にハッと気がついたのは今言いましたようにこの国のお役所の中でそれに対して誰一人としてお詫びをした人も責任を取った人もいない。
という事でございます。

誰一人お詫びをしていないという事はどういう事か?
この国の中に拉致をされた人が誰なんだ?という事を捜すための機関が存在していないという事です。
そういう機関があるいはそういう役職を持った人が存在しているのであれば、その人は当然責任を問われるはずです。
あるいは人から言われなくても自分で「申し訳ありませんでした」という事を言って辞表を書くらいの事はするはずであります。
ところがそれが無かった。

それは今でも基本的には同じです。
皆さんや皆さんのご家族、お子さんですとかあるいはお友達ですとか、そういう方々が拉致をされていなくなったと。
それを捜す人というのは捜す機関というのは、今現在この国には無いと思った方がいい。
見つからなくても誰も責任を取ろうとしない、言うふうに思った方が良いと思います。

更に酷いのは去年の6月に参議院の内閣委員会で、拉致問題の質問に当時の細田官房長官がこういうふうに答えている。
「どうやって拉致被害者が救いを待っているときに助けるんですか?具体的にどうやって政府は助けるんですか?」
その質問に対して細田官房長官はこういうふうに答えました。
「相手も国家ですから、そこにいる限りその国の権限が及ぶ。ですから私たちとしては話し合いをして、そして北朝鮮が分かりましたと『この人たちは実は我々が拉致しておりました』と『すみません』と言って返すまで話し合いを続けるんです」
いう言い方をしている。
本当であればこの答弁ひとつで内閣が吹っ飛んでもおかしくないような答弁です。

この答弁と言うのはどういう事を意味しているのか?
「日本国政府は絶対に拉致被害者は助けない」と宣言しているのに等しい。
話し合いで帰ってくるような国であれば、元々拉致などするはずがない。
そういう常識を完全に超えた国だから、全く何の関係もない中学校1年生の女の子を海の向こうまで拉致をしていくわけでございます。
それなのに話し合いをするしか出来ないという事は、取り返さないという事と同じです。
国家は国民の生命・財産を守る義務があります。
その義務を果たしませんよというふうに言っているわけでありまして、この状態であればこれから先、拉致された人は帰って参りません。

今拉致の救出はどういうふうにこの国の政府はやっているか?
警察が捜査をします。
そして警察がこれは拉致間違いないというふうに言ったもの、それについて内閣の責任で認定というのをします。
田口八重子さんもそうやって認定をされました。
そして認定をした人について日本政府は「生存を前提として返しなさい」と北朝鮮側に言う。
そして北朝鮮が「分かりました」と言ったら帰ってくる。
そういう順番になります。

ところがさっき言ったように事件がもう何十年も前の事件が多いわけです。
その事件を調べようと思っても証拠が出て来ない。
ですから100件拉致があったとしても、その中で警察がこれは拉致間違いないと言える事件というのは本当に数件くらいです。
そしてその数件について警察が内閣に渡して「これは拉致ですよ、認定してください」と言ったとしても、今度は政府の方がまた拉致被害者の数を増やしたら、北朝鮮が話し合いに乗ってこないという事で中々認定をしようとしない。
そしてそれでも認定を何とか例えば半分したとして、その人について「これは拉致被害者だと返しなさい」というふうに言ったとしても、そこに圧力がかかっていなければ北朝鮮が返すわけがありません。
という事で今のやり方でやっていたら大部分の拉致被害者は北朝鮮で亡くなっていく、いう事でございます。

いわんやご家族、ご両親はもうすでにご高齢の方が非常に多いんです。
家族会の方々の中でもご両親で一番お若いのは横田さんご夫妻、それでももう70歳を超えています。
私どもの特定失踪者のご家族では90歳とかもう100歳近い方もおられます。
現在私ども短波放送を北朝鮮に向けて流しておりますが、その短波放送の中で一人、東京で昭和40年ごろにいなくなった方で井上征子(せいこ)さんと言う方がおられるんですが、そのお母さんが広島県と島根県の境の山の中に住んでおられました。
娘に何とかして自分の声を伝えたいという事で、今年の2月に大阪まで出て来て下さいまして、そこでこの「しおかぜ」の北朝鮮向けのメッセージの収録を致しました。
で、この電波は今でも北朝鮮に流れておりますが、お母さんは残念ながら5月に具合を悪くされて他界されてしまいました。

私たち調査会が出来ましてからもう4年くらいになりますが、私が直接お会いした方でももう何人もの方がお亡くなりになっている。
北朝鮮にいる拉致被害者の中にも高齢の方は、どうなっているか分からない。
あるいは田口八重子さん、横田めぐみさん、政府認定の方々はほとんど無事だと、特に若い方については私は大丈夫だと思いますけど、しかし今日ご無事であられてもそれは明日の無事を保障するものでは無い。
だから何とかして取り返さなければいけないんです。
話し合いをして相手が分かりました返しますと言うまで粘り強くやりますなどという言葉で、誤魔化せる問題では無いんです。

それでは一体どういうふうにしなければいけないか?いう事でございますけども、まずどこに誰がいるのか?と言う事を調べていかなければいけません。
そして今北朝鮮の中は相当な混乱をしています。
政権が崩壊をしていく直前まで来ている。
体制が潰れたときに、そのときはある意味でいうと救出のまたとないチャンスですが、もう一つ間違えば大変なピンチになる。
その救出をするときに拉致被害者が証拠隠滅のために消されてしまうと言う可能性も存在しているわけです。
そのときには行って助けていかなければなりません。
誰がそれをやるか?

それは誤解を恐れずに言いますけど、自衛隊が行くしか方法が無いんです。
体制が崩壊したときというのは、クーデターとかそういう状況になっている可能性がある。
助けに行ってもどこから弾が飛んでくるか分からない。
民間の船舶ですとか飛行機が行ったって無事に取り返せると言う保証は無い。
その時に場合によったら犠牲を覚悟しても取り返しに行ける集団というのは自衛隊しかありません。
それを使って取り返しに行く。

そして可能であればそれ以前でも拉致被害者の方々と何とかして連絡をつけて、そしてご本人が多少の危険を犯しても逃げ出したい日本に帰りたい、いう意向が明確になれば何とか例えば東海岸に出てもらって、そこで海上自衛隊の潜水艦と陸上自衛隊の特殊部隊を使って救出をする。
いう事も含めてやっていかなければいけない。
国家の責任と言うのはそういうものです。
ひょっとしたらそれによって一人の拉致被害者を救うために何人かの犠牲者が出るかもしれません。
しかしそれでも拉致被害者を助けるんだという意思を示したときに、初めて今この国の安全が確保される。

この国の海岸線の長さというのはアメリカの半分もあるんだそうです。
物凄く長くて、そして入り組んだ海岸線です。
北朝鮮の工作船はどんなに少なく見積もっても月に一回は、日本のどこかにこの数十年の間入って来ております。
止める事は絶対に出来ません。
今陸上自衛隊が約16万ほどいますけども、この部隊をですね。
全部一ヶ所に集めて海岸線を警備したとしてどれくらい守れるのか分かりますか?
せいぜい青森県一県くらいだそうです。
日本全部なんて絶対に守れない。
・・・(聞き取れず)もちろん警察でもとてもそんなこと出来るはずもない。

つまり、この国はですね。
入ってくるのは極めて自由なんです。
そして何をやっても余り警戒をしていない。
スパイがいても捕まえたってスパイをやっているという事では罪にならない。
そういう国です。

だから、そういう国が守るためには、我々自身を守るためにはどうしなければいけないか?
すでに拉致をされた人たちはどんな手段を使っても取り返す。
そしてそういう事をやった国、主権侵害をやった国に対してはどういう酷い目に遭うかという事を分からせる。
こういうふうにしなければまた必ずやって来ます。
北朝鮮が拉致を辞めたという証拠は何もありません。
これからだって必要があれば北朝鮮は拉致をします。
世界中でやっているし韓国でもやっている。
韓国人の拉致の、今韓国政府が認定している一番新しい被害者と言うのは西暦2000年の1月です。

我々のリストでその可能性のある人は2年前までいますが、これは拉致であるとは断言できませんけど、しかし最近でもやっている可能性は存在する。
我々が拉致被害者を放っておけば、また次の拉致被害者が出る。
その拉致被害者になるのは皆さんご自身かもしれないし、そのご家族かもしれないという事です。

拉致被害者の救出運動と言うのは、田口八重子さんがかわいそうだからやるのではありません。
飯塚繁雄さんがかわいそうだからやるのでもありません。
私たち自身が、我々自身が、ここにお出での皆さんご自身が、ご自分とご家族と周りの方々の安全を守るためにはそうしなければいけない。
そういう問題だという事を、ぜひともご理解を頂きたいと思うわけでございます。

私自身、確かに一番最初のスタートは横田めぐみさんの事件が明らかになって、ご両親が活動する。
それに私どももやはりその経緯から言ってお手伝いをしなければいけない。
何とかご両親のためになりたいという思いがそのスタートの所でございました。
しかしやはりやっているうちにそうではない、というふうに実感したんです。
これはもう誰かのためにやる話では無い。
自分たち自身が安全な国を次の世代に渡すためにやらなければいけない事である、いうふうに思った次第でございます。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・
このテキストの音声ファイルはこちらにございます。
ご参照ください。
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